第19話 黒豚王子は猫人族に崇拝される
(……うまくいってよかった)
ブラットは思うように魔法が発動したことを確認し、胸をなでおろす。
放った“ファイアウェーブ”の効果が一段落すると、あたりには生ゴミを焼却したような焦げた刺激臭がただよい、ゴブリンやオーガの数百もの屍が転がっていた。
ブラットは数百ものモンスターの軍勢をたった一撃で――それも第三位階の低位魔法で灼きつくし、全滅させてしまったのだ。
「し……信じられない、にゃーの知る“ファイアウェーブ”と違いすぎるにゃ!? 第三位階の魔法でこれほどの威力が出せるなんて」
ふと、ミーナの驚愕の声が耳朶を打つ。
たしかに位階の高い魔法ほど効果が強いというのはまぎれもない事実だ。
だがそれが魔法のすべてではない。
威力や効果量は、位階の高い魔法ほど大きくなる。一方で魔法の効果というものは、使用者の魔力量や魔法攻撃力で激しく上下する。場合によっては、位階の低い魔法が高い魔法を凌駕することもあるのだ。
第一位階に“ルーモス”という小さな光を対象に灯す呪文があるのだが、幼少期にその光の大きさでそのものの魔法の才覚を判断する風習が各地にあるのもそのためだ。
そういった魔法の特性――『ファイナルクエスト』のゲームシステムに準ずるこの世界のルールにより、本来は火傷を負わせる程度の力しかない“ファイアウェーブ”が、想像以上の効果を発揮したというわけだ。
(……理不尽だな)
灼熱の波動をもろに受けたモンスターはもちろん、余波を受けたモンスターまでその圧倒的な熱で焼死してしまっている。
それは、あまりに理不尽で――あまりにあっけない死だった。
『ファイナルクエスト』の戦闘ではそもそも出現モンスターの数に上限があり、これほどの数を一度に相手をすることはありえない。
だからこういった軍勢を一度で薙ぎはらえたら爽快だろうなと前世から思っていたのだが、実際にはまったくそんなことはなかった。むしろ不快感が勝っている。
サイクロプスの配下に
「全、滅……だとォ!?」
そのときふいに、野太い声が耳に届く。
「数百もの我が配下が……低位魔法でたったの一撃!? これは夢か!? 俺様はいま悪い夢を見ているのかァ!?」
「そうかもな」
狼狽するサイクロプスの自問に、ブラットはなんら感情を見せずにそうこたえる。
気づけばサイクロプスは、背に翼が生えた悪魔のような姿になっていた。
配下をけしかけているあいだに変身をちゃっかり終えていたようだ。
体自体がひとまわり大きくなり、青白い屍人のようだった体色は黒ずんで禍々しさを増している。爪や牙はそれ自体が凶器として機能するようにさらに研ぎすまされ、頭部には二本の角、臀部には鞭のようにしなる長大な尾が新たに生えていた。
これぞ悪魔というこの姿こそが、『ファイナルクエスト』作中で勇者パーティーをぎりぎりまで追いつめた最凶最悪のサイクロプス第二形態に間違いなかった。
しかしあきらかにこれまでよりも強力な姿になったというのに、サイクロプスのブラットを見る目には怯えが見えた。
「……それが真の姿とやらなんだろう? さっさとその力を見せたらどうだ?」
なかなか動かぬ巨人に訊ねるブラット。
だがサイクロプスはふたたびこちらを見やると、信じられぬという顔で首を振る。
変身してなまじ強くなったことで、これまで曖昧だった自身とブラットとの圧倒的な力量差が鮮明に理解できてしまったのだろう。
「ならば終わりにしよう」
サイクロプスを生かしたまま追いつめて果たしたい目的もあったが、それもこうまで圧倒的な力を見せつけたあとでは達成は難しくなったように思う。
となれば、さっさととどめを刺してやるのが人情というものだろう。
「ま……待てェ! いま猫どもの集落には、俺様の配下がいる! 俺様に手を出せば、集落のものたちは皆殺しだぞ! 俺様からの連絡が途切れた時点で、そうするように指示は出している! 見殺しにするのかァ!?」
「な……卑怯にゃ!」
サイクロプスは勝機がないと判断したらしく、テンプレな人質戦法で脅しをかけてくる。単純だが効果的な戦法だ。
「へ……へへへ、俺様にとっちゃ卑怯ってのは褒め言葉だぜェ。この世はクレバーに生きなきゃなァ。さあ小僧、わかったら立ちどまって武器を捨てなァ!」
猫人族のものたちが焦った様子を見せたからか、サイクロプスは余裕を幾分取りもどし、強気にブラットを威圧してくる。
しかし、ブラットは――
「好きなようにしろ」
冷たく言いはなち、歩みはとめなかった。
変わらず剣をかまえたまま、淡々とサイクロプスのもとに詰めよる。
猫人族が死んでもかまわないととれるブラットのその言動に、サイクロプスと討伐隊は虚をつかれてそろって絶句する。
「き、貴様に情ってやつはねえのかァ!」
サイクロプスが焦った声をあげると、ブラットは肩をすくめる。
「……ああ、勘違いするなよ。誰も見捨てるとは言っていない。ここに来る前に集落には立ちよってきたからな。集落にいたおまえの配下は、まとめて始末しておいた。だから人質戦法は通用しないってことだ」
そうなのだった。
『ファイナルクエスト』作中でサイクロプスはいくつもの狡猾な手で勇者を苦しめる。そのひとつがこの人質戦法だ。
万全を期すためにぎりぎりまでレベリングに励んでいたブラットは、ふいにサイクロプスがこの姑息な手を使うことを思いだし、事前に集落の安全を確保することを決めていたのだ。おかげでここに来るのは遅れたが。
「……イビルアイ、集落につなげェ!」
サイクロプスは後方の安全地帯にぷかぷかと浮かぶイビルアイに命じるが、イビルアイはしばしあってぷるぷると震えるように首を振り、ブラットには理解できぬ言語――おそらく
まさか本当に……!? とサイクロプスはやがて信じられぬと首を振り、その表情を絶望にそめてよろめくように後ずさる。
「な……なにかの間違いだ、俺様はエリートだぞォ!? 俺様より強く、計略でも上回る人間なんざいるわけがねェ! 俺様はこの圧倒的な才能で敵も味方もすべてをねじふせ、ここまでのしあがって来たんだァ!」
サイクロプスは自分を奮い立たせようとしているのか怒鳴りつけるように叫び、全身から禍々しい魔力をあふれさせる。
そしてその魔力を鉤爪に凝縮し――
「し――死ねええええええええい!」
鎌のように使ってブラットに斬撃を放つ。
だが斬撃はブラットには届かない。
斬撃が届く前にブラットが巨人の倍速で剣を一閃させ、サイクロプスの胴体を腰を境にまっぷたつに両断したからだ。
鮮やかな切断面を見せ、青々とした血しぶきをまきちらし、巨人の上半身がごとりとダンジョンの地面へと落下する。やがて上半身を失った下半身も自身に命令をくだす頭脳を失い、ゆっくりと崩れおちた。
「あ、ありえねェ……人間ごときが、こんな人間がいるわけがねェ」
「いるさ、ここに」
上半身だけになりながらもこちらに驚愕の表情を向けてくるサイクロプスにこたえ、介錯してやろうと歩みよるブラット。
だがブラットが近づくと何処にそんな力があったか、痙攣する瀕死の手をブラットへと伸ばし、脚を力強くつかんできた。
「ブラ、ットと……言ったなァ? 貴様は……危険すぎる。人間ごときと……油断したのは、間違いだった。いずれ……陛下が覚醒なさるときのため、貴様みたいな野郎を……放置するのは、あまりに……危険だァ」
遺言ぐらい聞いてやろうと耳をかたむけるブラットだが、直後にサイクロプスの口の端が裂けるように不気味に広がるのが見えた。
ゾッとするような悪寒が体を駆けめぐる。
巨人のその表情は、あきらかにこのまま無為に死んでいこうというものの顔ではない。なにかを狡猾にねらっているものの顔だ。
「……ッ!」
ブラットは即座に巨人の首を刎ねようと剣を振るったが、剣はこれまでにない妙な手応えで弾きかえされ、巨人の首を落とすどころか傷ひとつつけられなかった。
気づけば巨人の体は妙な光を放っていた。
そしてその光を見た時点で、ブラットは巨人がしようとしていることを理解する。
『ファイナルクエスト』においてそのような独特の光の放ちかたをし、剣が通らぬ無敵時間を有する魔法スキルはひとつだけだ。
「……ミーナ、聞け! 仲間とともに負傷者を連れて全力で逃げろ、いますぐだ! そしてここからできるかぎり遠くへと走るんだ!」
「あ、え……どういう!?」
突然ブラットから声をかけられ、当然のように困惑するミーナだったが、ブラットは問答無用といった調子で「いいから急げ、死ぬぞ!」と語調を強めた。
そのただならぬ様子で察したか、ミーナは真顔で「わかったにゃ」とうなずき、討伐隊の指揮をとってすぐさま駆けだした。
そしてミーナたちの避難と同時にブラットもサイクロプスの巨躯を強引に引きずり、討伐隊とは真逆のほうへと駆けだす。
そんなブラットの意図を察したのだろう。
巨人はこれまでブラットが一度も見たことがないほどに邪悪な笑みを浮かべる。
そして全身からまばゆい光を発し――
「道連れだァ……“エクスプロージョン”」
直後――ズドン!!! とサイクロプスの体が激しい魔力反応を起こし、鼓膜がやぶれん轟音とともに大爆発が巻きおこった。
*
――寸刻後。
「ブラット……ブラットどこにゃ!?」
爆発が一段落して土煙が舞いあがるなか、ミーナは討伐隊をつれて爆発の現場へと戻り、ブラットの捜索を開始していた。
現場は想像以上に悲惨だった。
天井や壁がくずれおちて瓦礫となって転がり、地面は爆発の起点となった場所を中心に大きくえぐれ、クレーターができている。
ダンジョンは硬質な魔法鉱物でできているので、基本的にそれほど大きく破壊されることはない。にもかかわらず、それがここまで破壊されているのだ。それほど桁外れの威力だったということだろう。
「これは……サイクロプスの」
爆発現場に歩みよると、サイクロプスの残骸が転がっていた。
生死を確認するまでもないほどに無残な状態だ。原型は判別できる程度に残ってはいるが、黒い炭のようになってしまっている。
発動者がこうなるほど攻撃を間近で受けたとすれば、彼はもう――という思考が脳裏をよぎるが、ミーナは信じぬと首を振る。
「……この近くにあいつもいるはずにゃ! みんな手分けしてさがすにゃ! ブラット、聞こえているなら返事をしろ!」
ミーナはまわりの瓦礫をかきわけ、彼の姿を隅から隅までさがした。そんな小さな瓦礫の下にいるわけがないと理解しながらも小さな岩石までも必死に退かして。
しかしいくらさがしても、ブラットの姿は影も形も見つからなかった。
「返事を……してほしいにゃ」
しばしあって消えいるようなミーナの声が、迷宮に虚しく反響する。
彼からの返事はもちろんない。
だがミーナはそれでも捜索をやめなかった。目尻に大粒の涙をためながらも、彼の姿をさがしもとめて手と目を全力で動かす。
だがしばしあって、従兄弟のユグルドがミーナの肩に手をおいた。
「ミーナ……さすがにもう皆も限界だ。あきらめて集落に戻んぞ」
「な……なにを言うにゃ! ブラットは……にゃーたちの命の恩人にゃ! ひとりだったら逃げられたのに……にゃーたちを逃がすために、身をていしてサイクロプスをにゃーたちから遠ざけてくれたにゃ! 命を賭けて、にゃーたちを助けてくれたにゃ! 恩人を見捨てるっていうのか!?」
ミーナは震える声を張りあげて主張するが、ユグルドは首を振った。
「わかってる……おれもわかってんよ。だけど彼はおそらくもう……」
「あいつはにゃーをかわいいって言ったにゃ……! かわいい女の窮地に駆けつけるのは当然だって! あれはもはや求婚にゃ! あんなことを言って……そんな簡単に死ぬなんて……許さないにゃ!!!」
感情を昂らせてわめきちらすミーナの瞳から水滴が頬をつたい、幾筋もの線を引いた。水滴はぽたぽたととめどなくこぼれおち、地面に血のように濃いしみをつくる。
若長の悲痛な姿を見て、討伐隊の面々はなぐさめようと口を開きかけるが、結局だれひとりなにも言えずに口ごもった。
しかし、討伐隊の面々がなかば捜索をあきらめかけていたそのときだった。
――ガタッ、と。
瓦礫の音が耳に届く。
音のほうに目を向けた瞬間、なんとサイクロプスの残骸の下から人が這いでてきて、ゆっくりと立ちあがるのが見えた。
負傷して見えるものの、その銀糸の髪と褐色の肌、そして
「……」
彼はミーナの姿を見つけると、安心させるように穏やかな笑みをつくった。
自身のほうが負傷しているのにこちらを気づかう彼の優しさにミーナは感極まってしまい、気づけば彼に抱きついていた。
「……死んだかと、思ったにゃ」
「そう簡単に死ぬ気はないさ。貴方のようなかわいらしい女性にせっかく再会できたのだ。もったいないだろう?」
優しくミーナの頭をなでながら、そんなキザな軽口をたたくものだから、彼が生きていたよろこびと照れくささが入りまじり、ミーナはわけがわからなくなる。
とりあえずごまかすように彼の胸に顔をうずめるが、それがまた逆効果だった。
彼の胸板は思ったよりも厚く、優しくなでるその手は節くれだっており、妙に男を感じさせられてしまったのだ。顔に全身の血がのぼり、火を噴きそうな熱を帯びる。
(もしかして、にゃーは……こいつを)
胸に手をやると心臓が早鐘を打っていた。
幼少期をふくめても彼に会ったのは数回なのに、言葉だってほとんどかわしていないのに、自分のなかで彼に特別な感情が芽生えつつあるのを認めざるをえなかった。
ミーナがこれまでにない感情にとまどっていると、同胞たちの声が耳に届く。
『あの爆発で生きのこるなんて……』
『信じられない、奇跡だ』
『我らを命賭けで悪夢から救ってくださった“巨人殺し”の英雄……奇跡の王子ブラット・フォンピシュテル殿下、万歳!!!』
今日だけでいくつもの奇跡を起こした彼を称賛する声が同胞のあいだで広がり、気づけば全員による合唱になっていた。
――万歳、万歳!!!
合唱は大きなうねりとなり、彼らの声が枯れるまで迷宮に響きつづけるのだった。
――彼ら猫人族は知らない。
(……なんかまた勘違いされてるんだが)
そんな賛美の合唱を聞くブラットの表情が、ひどく強張っていたことを。
なにしろ彼らはブラットが命がけで自分たちを救ったと思っているようだが、事実はまったく違うのだ。サイクロプスによる自爆魔法“エクスプロージョン”を受ければ、確かにブラットでも無傷では済まない。
しかしダメージこそ受けるが、しょせんは格下の攻撃。ぎりぎりで魔法耐性を付与したこともあり、死ぬという心配は毛ほどもなかったのだ。ブラットは命などこれっぽっちも賭けていなかったのである。
(まあ別にいいか)
いいふうに勘違いされるのは問題ない。
ブラットは思考を放棄し、泣きじゃくるミーナを抱きよせる。前世の妹のことをなつかしく思い、頭をなでるのだった。
――そして、ブラットは知らない。
今日という一日が、ピシュテル王国の第一王子ことブラット・フォン・ピシュテルの覇道への大きな第一歩となったことを。
悪く言えば……さらなるいくつもの面倒ごとをブラットに運んでくることを。
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