第18話 黒豚王子は巨人を圧倒する


 ――サイクロプスはエリートだった。


 生まれつきの大きく強靭な肉体は他モンスターの追随を許さず、さらには巨人種ジャイアントには珍しい卓越した頭脳と思慮深い性格を合わせもっていることから、将来的に魔王をそばで支える逸材になるだろうと大事に育てられた。


 そして成体となって以後はその才能をいかんなく発揮し、魔王軍での地位を順調に確立させていった。その勢いは幹部となったあともとどまることを知らず、いずれは魔王の下でこの世界の支配者のひとりになるだろうと自他ともに確信していた。


 サイクロプスの才能はそれほどに周囲と比べて突出しており、その並外れた豪腕で蹂躙できぬものはこの世に存在しなかった。


 しかしいま、その圧倒的なまでの力によってくりだされた渾身の攻撃は――



「な……なんだとォ!?」



 自身が狡賢ずるがしこいだけの弱者だと見下してきた卑小な人間に受けとめられていた。


 それもただ受けとめられただけではない。


 眼前のこの自称ピシュテル王国の王子だというブラットなる人間は、あろうことかその場から一歩たりとも動かず、なんら表情すらも変えぬまま、超重量の棍棒による一撃を受けとめていたのだ。


(なにが……どうなってやがるんだァ!?)


 眼前の光景が理解できなかった。


 いや、理解はできても納得できなかった。


 棍棒を振りおろすという単純ながらも自身の力をもっとも発揮できるこの攻撃で、サイクロプスは数多の生けるものを圧殺して物言わぬ屍へと変えてきた。そして眼前の男もその屍のひとつになるはずだったのだ。


 しかし眼前の男は――



「……軽いな、手を抜いているのか?」



 圧殺されるどころかダメージを受けた様子もなく、淡々とそうのたまった。


 自分はもちろん手など抜いていない。全力でこそないものの、苛立っていることもあって8割程度の力は出ているはず。


 並の人間は――否、歴戦の猛者であろうとも、このサイクロプスの棍棒による一撃をその身に受ければ、まるでやわらかな果実のように圧殺されるだろう。


 それをこの男は易々と受けとめている。

 息ひとつ乱さずに、だ。


 到底信じられることではない。


(人間ごときのちんけな体のどこにそれほどの力が……いや、そもそもそんなことはありねェんだ。まずちんけな人間ごときが俺様と同等の力を持っているわけがねェ)


 大前提として巨人種というのは人間よりもすべての能力において優れた上位存在。


 そのなかでもサイクロプスはずば抜けた力を持ったエリートだ。そんな自分と同等の力を持つ人間がこの世に存在するわけがない。


 その前提のもと、弱者である人間ごときが圧倒的強者である自分の攻撃を受けとめる方法。そんなものがあるだろうかとサイクロプスは卓越した頭脳で考える。


 そしてしばしあってひとつの結論に思い至り、不気味な微笑をうかべた。


「なるほどなァ……そういうことだったか。貴様、を使ってやがるなァ?」


 それが現在のこのありえぬ状況から、サイクロプスが導きだした結論だった。


 ブラットというこの男は自身になんらかの強化魔法をほどこしている。それもただの強化魔法でなく、おそらくなんらかの副作用をともなうドーピング的な強力なものだろう。それぐらいせねば自分の攻撃が受けとめられるほどの力は得られまい。


 しかし指摘されたブラット当人は――



「……ないない。俺の体の魔力の動きを見れば、そんな魔法は使ってないのはすぐにわかるだろ? おまえもしかして、バカか?」



 貴公子然として笑みとともに即座に否定したうえ、そんな挑発までしてくる。


「こ……この俺様が、バカだとォ!?」

「悪い悪い、バカじゃなくて木偶の坊か」


 その知力の高さもふくめ、常に称賛されて育ってきたサイクロプスにとって、そのように小馬鹿にされた経験はほぼ皆無で、一気に頭に血がのぼるのを感じた。


(……冷静になれ、俺様よォ)


 しかし、ここでキレては相手の思う壺だ。


 サイクロプスは深呼吸して気をしずめ、それから実際に魔力の動きを確認するため、ブラットの体に目を凝らした。


 すると確かにブラットの言うとおり、強化魔法を使っている痕跡は見つからない。


(だがたとえ強化魔法を使ってなかったとしても、なにかからくりがあるはずだァ)


 自分の攻撃がただの人間に受けとめられるわけもない。強化魔法でなくとも、なんらかのからくりを用いているに違いない。


 そしてそれが具体的になにかはわからないが、この魔王軍随一の豪腕を誇る自分の一撃を無効化するほどのものだ。強力な効果を発揮するものは、得てして代償が大きいもの。そう安々と使えるようなものではないだろう。ひょっとすると、使用できるのはいまの一度だけだったという可能性すらありえる。


(つまり……俺様がすべきことは単純だァ。やつがそのなんらかのからくりが使えなくなるまで、


 そう結論づけ、にやりと嗤う。


 攻撃をただ続けていれば、いずれやつはからくりの種であるなにかが使えなくなる。そうなれば攻撃も通るようになるはずだ。


 そう考えたサイクロプスはその巨躯からは想像もできぬ俊敏で流麗な動作で棍棒を引きもどし、即座にブラットの頭部めがけて横に薙ぐような次撃をくりだす。


 常人ならば脳漿をぶちまけて即死はまぬがれない致死級の一撃だが、


「何度やっても無駄だ。悪いが、俺はどうやら


 ブラットは不意のその攻撃に驚くような素振りもなく、さきと同様に片腕一本で棍棒の一撃を軽々と受けとめていた。


 だがサイクロプスはそれも折りこみ済みとばかりに即座に次撃へと移る。


「その余裕が……いつまで保つかなァ!?」


 それからサイクロプスは怒涛のように棍棒を振りまわし、一撃一撃が人間を死にいたらしめるほどの攻撃を連続でくりだした。


 しかし――



(ど……どうなってやがる!? なぜいつまで経っても、攻撃が通らねェ!?)



 次にくりだした攻撃もその次の攻撃もその次の攻撃も、何度攻撃をくりだしてもブラットはすべてを涼しい顔で受けきってしまう。


 ブラットがあまりに涼しい顔をしているものだから、こちらが弱体化魔法でもかけられているのかという線も疑ったものの、状況的にその線もなさそうだ。


 サイクロプスの棍棒とブラットの腕がぶつかりあうたびに衝撃波が巻きおこり、ズンッ! とブラットの真下の地面が陥没して土煙が激しく舞いあがっている。


 このダンジョンの大部分は硬質な魔法鉱物でできている。表層とはいえ、そのダンジョンの地面をこのように陥没させるほどの威力があるのだ。サイクロプスの攻撃が通常時よりも弱体化しているとは思えない。


「ハア、ハア……なにがどうなってやがる」


 からくりがわからぬまま時間は悪戯に過ぎ、体力ばかりが削られていく。


 暗闇で見えもしないゴールを目指しているかのようなこの状況には、かくもの巨人も焦燥と不安が隠せなくなってきていた。


「……脳筋のおまえもさすがに気づいたんじゃないか? 最初からからくりなんてないってことに。単におまえが俺よりも圧倒的に劣っているだけだというその事実に」

「な……なわけねえだろうがァ!」


 これまでありえぬと考えることを避けてきたその可能性をブラットに言及され、サイクロプスは声を荒らげて反論する。


「生身で俺様の攻撃を受け、ノーダメージで済む人間なんぞ存在しねェ! いや人間どころじゃねェ……そんな存在は我らが崇拝せし闇の覇王ぐらいだろうよォ!」

「俺もノーダメージなわけじゃないさ。能力差があってもダメージはゼロにはならない。でもまあ……いまの俺のレベルならこの程度のダメージはすぐに自然回復するから、実質ノーダメージみたいなものか」

「……自然回復、だとォ?」


 ブラットの話が理解できず、サイクロプスは眉間にしわをよせる。


「たとえば……おまえも猫人族の攻撃を受けた程度のダメージは、すぐに自然に治癒してしまうだろう? それと同じだよ」

「お、俺様の攻撃が……このちんけな猫どもと同レベルだと言いてェのか!?」


 サイクロプスはブラットの言いたいことを理解し、語気を強めた。


「さすがに同じ、というわけじゃないさ。おまえと猫人族の戦士のあいだには、明白な力の差がある。だがそれと同じように俺とおまえのあいだにも明白な力の差があるって話だ。だからおまえが猫人族の攻撃が痛くもかゆくもないと思うように、俺にとっておまえの攻撃も痛くもかゆくもないんだよ」


 理解できたか? とブラットはまるで幼子を諭す大人のように言う。


 淡々と事実をのべているというその様子からは、嘘をついているもの特有の動揺が感じられない。真実を言っているように見えた。


(う、嘘だァ……嘘に決まっている!)


 だがサイクロプスは信じなかった。


 自分は猫人族を劣等種だと見下してきたのだ。そして眼前の男にとって自分がその程度の存在にすぎぬのだとやつは言った。


 そんなことが、あっていいわけがない。

 自分が人間ごときに劣るはずがないのだ。


 生来のエリートであったサイクロプスは、自身が人間に劣っているという現実をどうしても認めることができなかった。


「ダ……ダハハハハ! ありえねェ、そんなわけがあるかよォ! なかなかうまい演技だったが、そんなはったりで俺様をびびらせようとしても無駄だァ!」

「はったり……ねえ」


 そう思うのは自由だけどな、とブラットは少し呆れたように息をついた。


 その余裕がまた巨人をいっそう焦らせる。


「ま、まあ……どんなからくりがあるかは知らねェが、もうそんなことはどうでもいいぜェ。そんな小細工が意味をなさぬほど圧倒的な力を……俺様の姿で、格の違いってやつを見せてやろうじゃねえかァ」


 光栄に思え、とサイクロプスは嗤う。


 真の姿への変身は、武力で言えば最終兵器と言うべきもの。その姿になれば、たとえ相手が誰であろうとも負ける気がしなかった。それぐらいに信頼しているものだ。


 そんな真の姿への信頼が、サイクロプスの心の余裕を幾分か取りもどさせた。


「俺様が真の姿になれば……貴様も終わりだァ。真の姿へと変身した俺様と相対し、生きているものはこの世にたったの二人しか存在しねえからなァ!」


 サイクロプスは哄笑をあげ、全身から禍々しい魔力があふれさせた。


 ウグググググッ! と地獄の底から湧きだしているかのような声が喉からもれると同時に、サイクロプスの全身に禍々しい魔力と血液が一気に駆けめぐった。


 全身が火にあぶられたかのような高熱を帯び、まるで自身の細胞が根本からつくりかえられるような感覚に襲われる。


 真の姿への変身が始まった証だった。


 だが、その刹那のことだ。



「……ぐああああっ!?」



 シュンッ!!! と雷光が閃き、同時にサイクロプスの右腕に激痛が走った。


 気づけば変身を始めていたサイクロプスの右腕は見事切断され、宙に舞っていた。


 そして目の前には、剣を振りおわって血を払うブラットの姿があった。その剣はサイクロプスの青々とした血にそまっている。


「き、貴様……ふいうちとは卑怯なァ!」

「いや、あまりに隙だらけだったからな。そもそもあきらかに敵が奥の手を出そうとしているのに、黙って待つ間抜けがいると思うか? おまえ、やっぱりバカだろ?」


 ブラットの再三の挑発により、理性的だと自負していたサイクロプスの我慢もすでに限界にまで達してしまっていた。


 それでもどうにか自制しようと試みるサイクロプスであったが――


「あと変身するときのウググみたいな声、大を踏んばってるみたいに聞こえるからやめたほうがいいぞ。聞いてるだけで恥ずかしい」


 その完全に馬鹿にしたような言い草により、ついに怒りを爆発させた。



「――き、貴様ァァァアアアッ!!! 許さん、絶対に許さんぞォ!? 俺様の忠実なる配下どもよ、いますぐこの人間を殺すのだァ! 骨すら残さず喰らいつくせェッ!」



 サイクロプスが怒りのままに命じた瞬間。

 キイイイ! とゴブリンどもの甲高い声が迷宮に響きわたり、同時に配下の数百ものモンスターの群れが一斉に動きだす。


 まるでパンに群がるアリのごとく、すさまじい勢いでブラットへと殺到した。


「おいおい、俺ひとり相手にそんなに大勢けしかけてひどくないか?」


 ブラットは肩をすくめ、後方を見る。

 気づけばそこには猫人族の一同が集っていた。ブラットに気をとられているうちにケガ人を回収し、治療を行っていたらしい。


「……このまま乱戦になると面倒だな、“レジストファイア”」


 ブラットが小さく唱えると、猫人族のものたちを覆うようにドーム状の赤い半透明の膜が展開される。炎耐性付与する魔法だ。


「多少調整は必要だろうが……これで猫人族には被害もおよぶまい」


 面倒くさそうに言うと、全身からすさまじい魔力をあふれさせた。


 身震いするような深遠なる魔力だった。

 それこそかつて幼き頃に戦場で目にした“七英雄”や、魔王軍の最高幹部“四魔将”にも匹敵するほどの桁外れの魔力に思える。



「灼け――“ファイアウェーブ”」



 そしてブラットはささやくような声で、小さく小さくその呪文を唱えた。


 ――“ファイアウェーブ”。


 発動者を中心に小さな炎の波動を放つ第三位階の広範囲攻撃魔法だ。


 しかし攻撃魔法といっても、そのカテゴリのなかでは最弱の部類のため、実は相手に火傷を負わせる程度の威力しかない。


 なにしろその威力は第二位階の単体攻撃魔法“ファイアーボール”よりも下だ。せいぜい相手を炎で威嚇したり足止めしたりという用途でしか使われない魔法である。


(お……おどろかせやがってェ! 桁外れの魔力をまとったかと思えば……使うのは低位魔法かよォ。そんなちんけな魔法じゃ数体を灼くのでやっとだろォ。俺様の忠実なる配下どもはそんなもんじゃとまらねえよォ)


 そしていくらあの男が強かろうが、数百のモンスターを一度に相手にはできまい。


 配下のモンスターどもがあの憎たらしい男を喰らいつくす未来を想像し、サイクロプスはダハハハハハと豪快な笑い声をあげた。


 だが、その瞬間――



「な……!?」



 ゴオオオッ!!! という爆音が響いた。


 ブラットの手から放たれた小さな種火。

 それが激しく燃えあがった音だった。


 炎はブラットの手でみるみるうちにふくれあがり、人間の等身大ぐらいにまで肥大化したところで、通常の“ファイアウェーブ”では絶対にありえぬほどの超規模の灼熱の波動となって空間一帯に拡散する。



「――――」



 目測だけでもその威力と規模は通常の“ファイアウェーブ”のはあろうか。


 まるで世界を終焉へといざなう大災厄に突如見舞われたかのように、数百ものモンスターの群れはそのあまりに桁外れな灼熱の波動にまたたくまにのみこまれた。

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