第17話 黒豚王子は巨人と対面する


「なんで、ここに……?」


 美貌の貴族ブラットの手をとって立ちあがり、ミーナは首をかしげる。


 なぜ彼がここにいるのかわからなかった。


 猫人族ケットシーとピシュテル王国は大きなくくりでは同盟関係にあるものの、決して深い仲というわけではない。そもそも距離的に離れているために交流自体がなく、わざわざ危険をおかしてまで助けるメリットもないからだ。


 だからこそ一月前にダンジョンで彼に遭遇したとき、ミーナは救援要請は行わなかった。助けてくれるわけがないと思ったから。


 だがブラットは整った面差しに貴公子然とした微笑を浮かべると、


「愚問だな。貴方のようなかわいらしい女性がこのような窮地にあるのだ。駆けつけるのに特別な理由など必要ないだろう?」


 当たり前のようにそんなことをのたまう。


 そのふいうちをもろにもらい、ミーナは顔をみるみる真っ赤にした。


「ななな、なにを言って!? じょ、冗談を言っている場合じゃないにゃ」


 ミーナはしどろもどろになりながらどうにかそう返したものの、いっぱいいっぱいであることを隠しきれずに声が裏返ってしまう。


 一月前にも同様のことで狼狽してしまったので情けないとは思うものの、いたしかたあるまい。なにしろミーナはこれまで男と惚れた腫れたの関係になったことがなく、免疫が皆無なのだ。そうそう慣れられない。


 そもそもこのような美男子に手の届くほどの至近距離でまっすぐに目と目を合わせてかわいいなどと言われれば、ミーナでなくても大多数の女がぽんこつと化すはずだ。それぐらいにこのブラットという貴族は見目麗しく、むしろ赤面しながらも反応できただけ自分はほめられるべきだと思う。


 そんなふうに自分に言い聞かせて冷静さを取りもどそうとするミーナだが――


「冗談ではないのだがな……俺は世辞が苦手だ。自己評価が低いようだが、貴方は貴方が思っているよりもずっと愛らしい」


 そこにブラットが悪戯な微笑を浮かべ、そうやって追いうちをかけてくるものだから、もうたまったものではない。


 ブラットは続けて「人気すぎて同人誌めちゃ出てたしな」とぼそりとつぶやいたものの、ミーナはすでにぽんこつのなかのぽんこつに成りはてて「うううっ」と唸り声をあげて赤面していたために聞いてもいなかった。


(む……無理、まじで無理にゃ)


 脳内にはもはやそんな知能指数の低そうな言葉しか浮かんでこない。


 ブラットはりんごのように真っ赤な顔で硬直するミーナを幼子を見守る親のようにおだやかな表情で見つめ、微笑んだ。


 それからひとつ息をつき、


「とはいえ……そのようなことを言っている場合ではないのは確かだな」


 言いながらまわりをちらと見回し、打って変わったように真剣な顔になる。


 そんなブラットを見て、ミーナもハッとしてあたりを見回した。


 サイクロプス配下の数百ものモンスター。

 それが相変わらずブラットとミーナたち討伐隊を包囲しているという状況だった。モンスターたちがさきのサイクロプスの指示を守っているのか、一体足りともこちらに手を出してこないのがまた不気味だ。


 とにもかくにもブラットが落ちついているので気がぬけてしまっていたが、どう考えてもじゃれていられる状況ではない。


(そういえば、サイクロプスは……)


 思いあたって視線を送ると、サイクロプスはいまだに両腕を斬りおとされた激痛に苦悶の声をもらしていた。


 だがその近くには無数のゴブリンメイジが集まって回復魔法を唱えており、すでに腕が根本からじわじわと再生しはじめている。


「そんな……!」


 ミーナのなかで絶望がさらに色濃くなる。


 サイクロプスはミーナたち討伐隊レイドの総攻撃を受けてなおノーダメージだった。それほどの並外れた耐久力を持っていながら、傷を負わせてもゴブリンメイジに回復させられてしまうとなると希望の欠片もない。


 だがブラットは腕を再生させるサイクロプスを眺めながらも焦った様子はなく、むしろたのしげな表情をしていた。


「そうか……サイクロプスとの戦闘ではゴブリンメイジが一緒に湧いてくるポップするんだったっけ。あいつらボスを回復させたりこっちに弱体化魔法デバフをかけてきたりで、一周目はかなり苦労させられたなあ。なつかしい」

「? やつと戦ったことがあるのかにゃ?」


 ミーナが疑問に思って首をかしげると、ブラットはハッとした顔をする。


「あ、いや! こちらの話だ」


 それからそう言ってハハハとごまかすように笑うものの、どちらの話だと思う。


 しかしブラットにはいろいろと訊きたいことはあるものの、それよりもいまはこの状況にどのように対処するかが最優先だ。


「相手は……無限に回復するサイクロプスにくわえ、数百ものモンスターの群れ。一方でにゃーたちの討伐隊は壊滅させられ、満足に戦えるやつは残ってない。やっぱり勝ち筋がないにゃ、こうなると逃げるしか……」

「そうだな、貴方がたは傷を負った仲間を連れて引いたほうがいいだろう」


 ミーナが冷静に結論づけると、ブラットがそれにうなずいて同調する。


「貴方がたはって、おまえはどうするにゃ?」


 その言い方をいぶかしげに思うミーナ。


 するとブラットは柔軟をするように首をぐるりと回しながらミーナに背を向け、サイクロプスのほうへと向きなおり――



「やつを……



 さらりとそう答えた。


 そして迷いなくサイクロプスのほうへと歩きだすものだから、ミーナはブラットの腕をつかんで慌てて引きとめた。


「な、なにを言ってる!? 無理に決まってるにゃ!? 確かにおまえは腕が立つようだし、やつの腕を落としたのを見てもしやと思ったが……結果はあれにゃ。傷つけてもまたゴブリンメイジに回復されてしまう。勝ち目なんてないにゃ。おまえだってこの前会ったとき、そう言ってただろう!?」


 確かにこのブラットという貴族は一瞬でサイクロプスの両腕を落とした強者だが、しかしそれは不意を撃てたからにすぎないだろう。真正面からあの巨躯から繰りだされる豪腕と渡りあうのはやはり無理だ。


 サイクロプスがこれから警戒を強めるとなるとまた不意を撃てるとは思えないし、万一そんな幸運が訪れたとしても、ゴブリンメイジに回復されてしまうだけだろう。


 サイクロプスの強さはもう骨身にしみた。

 あれは人間が敵う相手ではない。そしてサイクロプスはただ強いだけでもないのだ。狡猾なうえに半不死身のバケモノ。勝ち目なんて万にひとつもありはしない。


 一月前にブラット自身そう言って討伐を中止するように自分に忠告していたし、その恐ろしさはわかっているはずだが――


「だとしても……このまま逃げたところで、そちらの集落の状況は好転しないだろう? やつは今回のことを引きあいに出し、さらに過剰な生贄を要求をしてくるはずだ。そんな状況には貴方がたも耐えられまい」

「それはそうだが……しかし」


 反論しようとするミーナに首を振り、ブラットはミーナを安心させようとするようなおだやかな微笑をうかべた。


「別に貴方がたに戦えと言っているわけではない。俺が勝手にひとりで戦うだけだ。もしも俺が負けたところで、貴方がたに被害はない。そもそも逃げるにしても、手負いの仲間を連れていくとなると時間が必要だろう。俺がその時間を稼ぐから、貴方がたはそのあいだに引いてくれというだけだ」

「そ……そんなのなおさらできないにゃ! 他所者のピシュテルの貴族にそこまでしてもらう義理もないし、それに……!」

「義理がどうだとかを言っている場合ではない。いいから行ってくれ。こんなことをしてるあいだにも、サイクロプスが――」


 ブラットがそう言いかけたときだった。


 

「――逃さねえよォ」



 その言葉をまるで上から押しつぶすかのように、威圧感のある声が響いた。


 声に視線を向けると、そこには禍々しい魔力をまとうサイクロプスの姿があった。


 気づけば斬りおとされた両腕はゴブリンメイジの魔法で完全に再生され、その腕に棍棒をかついでこちらを睥睨していた。


 額に無数の血管が浮きださせ、あきらかに怒りくるっている様子だった。


(なんという魔力にゃ……!)


 若長としてちょっとやそっとのことでは動じないように訓練してきたミーナだが、その圧倒的な魔力には恐怖せずにはいられない。


 これまででも自分とは桁外れにすさまじい魔力だったのに、さらに強大さを増している。さきほどまではまだまだまったく本気ではなかったようだ。


 あれと戦ってはいけない。いますぐに全力で逃げるべきだ。種としての生存本能がミーナに全力でそう警鐘を鳴らしていた。


「余興として遊んでやっていたが……興が完全に削がれちまったぜェ。全員……一匹足りとも逃さねえ。ここにいるやつらも、クソ猫どもの集落のやつらも皆殺しだァ」


 憤怒にゆがむサイクロプスの表情は、やつの言葉が脅しでもなんでもなく、これから実行される未来なのだと確信させた。


 その場に居合わせたものたちが皆、巨人の圧倒的な迫力に気圧されて息をのむ。


 しかし、ただひとり。

 ブラットだけは表情を変えず、自身の何倍もの偉躯を誇る巨人の眼前に立った。



「そんなことはさせないさ」



 そして一言、静かに言いはなつ。


 そんなブラットを品定めするように睥睨し、サイクロプスは目を細めた。


「貴様……あんまり調子乗るなよォ? たったの一度……それも不意打ちで腕を落としたぐらいで、俺様より強いつもりかァ?」

「おまえみたいな木偶でくぼうの腕を落としたぐらいで、いい気になどなれないよ」


 貴公子の笑みでさらりととんでもない挑発をするブラットにギョッとするが、サイクロプスはその挑発には乗らなかった。


「ほざけ。まあふいうちとはいえ、俺様の腕を斬りおとしたんだから並の人間じゃねえのは確かだなァ。特別だ。“四魔将”たるこの俺様に名乗りをあげることを許そう」


 一方でその落ちついた声音に反し、サイクロプスの魔力は禍々しさを増していた。


 腕を斬りおとしたこのブラットという男への並々ならぬ怒りがそこにはこめられていて、その怒りの矛先が自分だったならばミーナは失禁してしまっていたかもしれない。それほどのすさまじい剣幕だった。


 だがブラットは「それは恐縮だな」とそれにも動じた様子もなく――



「――我が名はブラット・フォン・ピシュテル。ピシュテル王国が第一王子だ。盟友たる猫人族の窮地を知り、助太刀に参った」



 優雅に貴族の礼をとりながら、おどろくべき自身の正体を告げるのだった。


 ミーナはそれを聞いてしばし硬直してしまうが、やがてその言葉の意味を咀嚼しきると、驚愕に目を見開いた。


「お……王子!? だって、子爵って!?」

「騙してすまなかった、いろいろとわけがあって正体を明かせなかったのだ。しかしこの期におよんで隠すこともなかろう」


 ミーナは真偽が判断できずただ首を振る。


 ふつうならば絶対にありえないと否定していたところだが、王子と言われてみれば納得してしまうほどの気品を彼が備えているのも紛うことなき事実だった。


 澄みわたった紅玉石ルビーの瞳でこちらをまっすぐに見つめてくるこの美貌の男が嘘をついているようにも見えなかった。


 しかしブラット・フォン・ピシュテルという名に冷静に思考をめぐらせ、


「いや、だが……うわさと違いすぎないかにゃ!? ピシュテルの第一王子はデブの性悪ブスで、次期国王は第二王子確定と言われるほどの無能のなかの無能と聞いている! おまえとはイメージがかけ離れていて……」


 おまえはかっこいいし、とミーナは彼に聞こえぬようにぼそっとつぶやく。


 そしてそんなことをつぶやいてしまった自分が気恥ずかしくなって、頬をポッとそめてしまう。完全に自爆だった。


「ハハハ、その性悪デブス王子で間違いない。ここ最近で改心して変わったがな」


 ブラットは苦笑しつつそう説明するが、ミーナはそれでも信じられなかった。


 そしてそれは巨人も同じようだった。


「王子だァ? そんなのがこんなところにノコノコ現れるわけねえだろうがァ。そんな王子がいたとしたらバカのなかのバカだろォ」


 確かにそのとおりなのだ。

 一国の王子がこんな危険な場所にひとりで来るはずがない。騎士団を丸々護衛につけてくるというのなら考えられなくもないが。


「そのバカのなかのバカが俺だ。民にも貴族にも父上にさえも見放されているから、勝手にやらせてもらっている。まあ最低限この身に危険が迫ったときには国に連絡がいくようにはなってはいるが、それも死んだらわかるようにという程度のものだろう。王子という立場でこのような向こう見ずな行動をしているのは俺だけだろうから、信じられぬのも当然。俺が言われても絶対信じない」


 まあ信じなくてもかまわないが、とブラットは飄々と肩をすくめる。


 彼自身もその言葉の信憑性のなさはしっかりと理解しているようだ。


「ま、誰であろうと関係ねえかァ」


 サイクロプスは考えるように唸ったのち、やがてそのように結論づけたらしい。


 そして次の瞬間――



「――どうせここで、死ぬんだからなァ!」



 そう吼えながら視界からかき消えた。


 ミーナが慌ててその姿をさがすと、気づけばサイクロプスはブラットのそばに空間移動したかのように忽然と姿を現していた。


 そしてブラットめがけ、棍棒を目にもとまらぬ速さで降りおろす。


「ブ……ブラットッ!」


 ミーナがそう叫んだ瞬間。

 超重量の棍棒がブラットを急襲する。


「……」


 その巨躯からは信じられぬほどの超高速で繰りだされた不意の一撃。


 ミーナでさえぎりぎりで気づくのがやっとだったその攻撃は、受けるのも避けるのもあきらかに不可能なものに見えた。


 おそらく事態を見ていた誰もが、ブラットが棍棒によって叩きつぶされ、轟音とともに血飛沫と土煙が舞いあがる結末を予想していたはずだ。ミーナもそんな光景を幻視し、恐怖で目を閉じてしまいそうになった。


 しかし――



「……!?」



 その結末が訪れることはなかった。


 そして代わりに訪れた結末は、それを目にしていた人々を――ミーナたち猫人族の討伐隊を、サイクロプスと配下の数百ものモンスターたちを、そして遠方からのぞきみる英雄たちを――そろって瞠目させた。


「あ……ありえないにゃ」


 ミーナは眼前の光景が信じられなかった。


 信じられようはずがなかった。


 その光景はたとえるなら干上がった砂漠に雪が降りそそいでいるぐらいに信じられないもので、夢かと何度も目をこすってしまう。


 しかしその光景になんら変化はなかった。


 ――たったの一本。


 サイクロプスの豪腕により繰りだされた超重量の棍棒。それをブラットは地面をわずかに陥没させながらも自身は微動だにせず、受けとめていたのだ。

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