第10話 黒豚王子は婚約者に誓う


 マリー・エル・フォークタス。

 王国の宰相フォークタス公爵の娘であり、ブラットの婚約者である。


 王子の婚約者ということもあって教養も家柄も文句のつけようがなく、さらには貴族やその子女のあいだでは“妖精姫”とうわさされるほどの儚げな美貌までも持っている――まさに才色兼備の令嬢であった。


 だがそんな完璧さゆえに、ブラットは彼女を苦手としていた。


 それは優秀な弟アルベルトへの嫉妬と似ていて、マリーの完璧さが目立てば目立つほど自身の無能さが浮きぼりになり、婚約者として“不釣りあい”だという周囲からの声が大きくなっていたからだ。


 そしてブラットが高慢で偏屈な性格であり、マリーもサバサバとして感情表現が希薄な性格であったため、二人の仲は良好とは言いがたかった。婚約者だからしかたなくそう振るまっている――気づけばそんな仮面夫婦のごとき関係になっていた。


『ファイナルクエスト』作中でも、マリーは直接は登場しないものの、勇者とアルベルトの会話内で伝聞という形で登場した際、“闇堕ちしたブラットを見限って他国に逃亡した”という設定が明かされていたはず。実際このままゲームどおりに話が進んでいたなら、そうなるだろうことは容易に想像できた。


 だがそれはあくまでも、ゲームどおりに進行した場合のことだ。そもそもブラットが闇堕ちしなければ見限られることもないはず。そんな考えもあって、ブラットは前世の記憶が戻ったあともマリーとの関係の修復を後回しにしてしまっていた。


 これはその天罰なのだろうか――



「こ、……してほしい!?」



 マリーから突然の婚約破棄を切りだされ、ブラットはまぬけな声を出した。


 屋上でそのまま話すのもなんだということで場所を移し、そこは来客用の王宮の一室。ブラットは小さな円卓をはさみ、マリーと向かいあっていた。


 婚約者とゆったりと優雅なひとときでも過ごすかと思い、南方のお高い紅茶をロジエに出してもらってリラックスしながら味わっていた矢先のことである。


(冗談じゃ……ないよな?)


 冷水を浴びせかけられた気分だった。


 まさかひさしぶりに会って開口一番に婚約破棄を告げられるなんて誰が想像できよう。元々仲があまりよくなかったため、二人で会って話したいと言われて違和感はあったが、まさかそのような話だったとは。


 ブラットの内心の疑問に答えるように、マリーはこくりとうなずいた。


 マリーは冗談を言うような性格でもなければ、そもそも二人は冗談を言いあうような仲でもない。どうやら本気のようだ。


「な……なんでまた急にそんな話に?」

「話は急ですが、ブラッドさまご自身にも覚えがおありでしょう?」


 マリーは妖精のような面差しをぴくりとも動かさず、淡々と訊きかえしてくる。


「急に婚約破棄される理由なんて……」


 ……いや、ありすぎた。


 今回のように婚約者のマリーをないがしろにしたり、周囲の人々に事あるごとに横柄に振るまったり、ろくに勉強や鍛錬もしないで部屋でだらだらと茶菓子をむさぼったり――考えてみると完全に王族どころか人間失格であり、むしろこれまで婚約破棄されなかったのが奇跡と思えるほどだ。


 冷や汗をかくブラットを見て、マリーは呆れた様子で小さく息をつく。


「現状、ブラットさまの評判は最悪ですわ。わたくしは幼少期から王妃となるにふさわしい人間であろうとしてきたつもりです。一方でブラットさまは王族としての自覚が一切見られず、努力をする素振りもございませんでした。王族としての責務を放棄している貴方にいい加減ほとほと愛想が尽きたのです」


 マリーの言葉はあまりにもっともで、ぐうの音も出なかった。


(だけどなんでこのタイミングで……?)


『ファイナルクエスト』作中では闇堕ち後にブラットを見限ったという話だから、婚約破棄がされるならそのときのはず。このタイミングで婚約破棄をされてしまうと、ゲームとは話が違ってくるのではないか。


(まさか、俺の影響か……?)


 ブラットが前世の記憶を取りもどしてゲームとは違う行動をした結果、世界に変化が起こっているのだろうかと思い至る。


(でも記憶が戻ってからの俺はいいほうに向かってるし、その影響で婚約を申しこまれるならともかく婚約破棄はおかしい気もする)


 考えるものの推測の域は出なかった。


 あるいは婚約破棄をしたいとは言いつつも、結局最終的に婚約破棄には至らないというパターンなのだろうか――


「……なお、陛下にも話は通してありますのでそこはご心配なく。“我が愚息に10割の非がある。余にはそなたをとめる権利はない”とのことですわ。そういうわけなので、婚約破棄決定ということでよろしいですね?」


 しかしマリーは完全に外堀も埋め、躊躇する素振りもない。なにも言わねば、このまま婚約破棄は順当に進められてしまいそうだ。


「ちょ……ちょっと待ってくれ。さすがに話が性急すぎないか?」

「あら、とめるなんて意外ですわね? わたくしのことなんか歯牙にもかけておられないと思っていましたわ。約束も忘れていらっしゃったようですし」


 的確に皮肉を言われて口ごもるブラットだが、言い負かされている場合ではない。


「……約束を忘れていたのはすまなかった。だが気にかけていなかったわけじゃない。この姿を見てもらえばわかるとおり、俺もようやく自身がこのままではダメだと反省し、変わろうとしている最中なのだ。マリー……きみには心身ともに成長してかっこよくなった俺を見てほしくて、中途半端な状態では会いたくなかった。だからこうして会うのをつい後回しにしてしまったのだ」


 口をついて出た言葉だったが、それはブラットの本音だった。


 ブラットはマリーのことが苦手ではあったが、決して嫌いではない。むしろ幼少期からずっと好意を抱いていて、だからこそ比較されることでひどく劣等感を覚え、彼女を粗雑に扱うことで遠ざけてしまっていたのだ。


 記憶を取りもどしてからは、マリーにふさわしい男になろうというのも大きなモチベーションのひとつだった。より完璧な男になってから会おうと思っていたのが今回はあだになったが、気にかけていなかったわけではないのは断言できた。


 そして虫のいい話だが、このような形で彼女との関係を終わらせるのは本意ではない。どうにか思いとどまってほしかった。


 そんなブラットの気持ちが少しでも伝わったのか、マリーは視線を落とす。


「……確かにさきほどお会いしたとき、あまりにお姿が変わっていたので最初どなたかわかりませんでしたわ。物腰も心なしかやわらかくなったような印象も受けます。変わろうと努力はしているのでしょう」

「ならば……!」


 けれど、とマリーは首を振る。


「わたくしは以前から何度も期待し、そしてそのたびに貴方さまに幻滅させられてきました。そう簡単には信用できませんし、それは周囲の貴族や民も同じでしょう。結果で見せなければ、みな納得できないのです。殿下の失墜してしまった名誉を挽回するには、それこそもはや英雄的な偉業でも成すしかないでしょう。たとえば……それこそで優勝するとか、それほどの偉業を」


 ――剣舞祭。


 それはブラットの在籍する王立ウィンデスタール魔法学院で毎年行われている学院最強を決めるバトルトーナメントのことだ。優勝者には国王から“剣聖”の称号とともに大きな名誉が与えられる。学院に通っている貴族の誰もが優勝を夢みる大会だ。


 確かにそんな名誉ある大会でもしも優勝できれば、ブラットのこれまでの汚名も返上できるかもしれない。


「まあそんなことは不可能ですから、婚約破棄はこのまま進めさせて――」



!?」



 しかしその話を聞いたとたん、ブラットは瞳を輝かせた。


 剣舞祭での優勝。

 以前までのブラットならば夢のまた夢どころか、世界が引っくりかえっても達成できないことである。しかしいまの前世の記憶を取りもどしたブラットならば、難しくはあるが達成しうることであった。


「? いえ……おそれながら申しあげますが、ブラットさまは剣や魔法の授業で万年最下位の成績ですわよね。そのような状況のブラットさまでは優勝どころか、予選すらも勝ちのこれないかと愚考いたしますわ」

「難しいだろうな、でも絶対にできないと決まっているわけではない」


 まっとうな見解を述べるマリーにブラットは不敵に笑ってみせ、それから彼女のかたわらに流れるような動作でひざまずいた。


 そしてまるで王女にかしずく騎士のようにそっとマリーの華奢な手をとり、


「剣神バルザークに誓おう……俺は剣舞祭で必ず優勝してみせる。だからその暁には今回の婚約破棄は思いとどまってほしい」

「あ、え……なにを!?」


 マリーが当惑した様子でおろおろとしているのも気にせず、ブラットは彼女の白皙の手の甲に誓いの口づけを落とした。


 前世の黒川勇人ならば絶対にできないような気恥ずかしい所作であったが、王族としていくつもの儀式をこなしてきたブラットには慣れたものだった。


 くわえて20キロ近く痩せたこともあり、以前は黒豚が人に餌をせがんでいるようにしか見えなかったその光景は、英雄譚のワンシーンのようにサマになっていた。


 そんなブラットの成長のおかげもあるのかマリーは頬をほんのりとそめていたのだが、ブラットはそれに気づくことなく余韻も少なに立ちあがった。


「ふむ……やはりなにを置いても、俺は強くならねばならないらしい! こうしてはおれぬ、さっそく修行にいかねば!」


 それではマリーまた会おう! と新作ゲームに寝食を忘れて熱中するゲーマーのごとく猪突猛進状態になったブラッドは、そのままマリーに背を向けた。


「あ……ちょ、お待ちになって!」


 呆然としていたマリーが慌てて我にかえって呼びとめるが、こうなったブラットはもはやとめようもなかった。


 ブラットは一方的に言うだけ言って、部屋を飛びだしていくのだった。




 *




(……面倒なことになりましたわ)


 小高い丘に屹立する王宮から斜面を下っていく馬車のなか、マリー・エル・フォークタスは美貌の面差しをゆがめて嘆息する。


「マリーさま、よろしかったのですか?」


 マリーの専属侍女であるレミリアが、神妙な面持ちで訊ねてくる。マリーは数秒の間を置いたあと、侍女の顔をちらと見やる。


「もちろん、よろしくないわ。けれどブラットさまが一方的にああ言ってどこかへ行ってしまったのだから、どうしようもなかったでしょう? まあ、あの殿下が剣舞祭で優勝なんて万にひとつもできるはずがないから結果は変わらないだろうけれど」

「いえ、そちらもですが……をブラットさまに伝えなくてもよろしかったのかということです」


 レミリアにまっすぐにそう訊ねられ、マリーは目を見開いた。それから一時硬直し、言いあぐねるように口をぱくぱくとさせる。


「……、」


 そう、実は今回の婚約破棄の理由は、ブラットに伝えたような内容ではなかった。


 確かにブラットはこれまで王子としての責務を放棄していたが、ここ最近は改心したらしく評判はすこぶるいい。特に私財を投じて進めている施策が“身を切る改革”だとして、貧民や平民を中心に支持を集めている。様子を見る必要はあれど、その件で婚約破棄する理由はもはやなくなりつつあるのだ。


 だから今回の真の婚約破棄の理由は別にあるのだが、あえてマリーはそれをブラットには伝えずに虚偽の理由を伝えたのだった。


 マリーは車窓から憂いを帯びた表情で曇りつつある空を見上げ、



「……世界には知らないほうがいいことってあると思うの、意外とたくさんね」



 一言、そうつぶやくのだった。

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