第31話 黒豚王子は予選を通過する


「……おれがディノじゃない、だと?」


 核心をついたブラットの問いに対し、ディノの姿をしたそれ――ディノは自身に視線を移し、不敵な微笑を浮かべた。


「いったいなにを言っている? おまえの目は節穴か? どこをどう見ても、おれはディノ・シュヴァルツァーそのものだろう?」


 確かに姿形はディノに違いない。


 だが――ブラットの目も節穴ではない。節穴でないからこそ、目の前の存在がディノ本人ではないことが明確にわかった。


「たしかに姿は……ディノだな。だがいまの動きで見せた敏捷値、そして剣で石畳をえぐるほどの物理攻撃力……あきらかに俺の知るディノじゃない。やつもなんだかんだそこそこ優秀だが、これほどの力はなかった。それに口調もいつもと違うしな」

「……」


 ブラットが指摘して肩をすくめると、ディノもどきはもはや肯定も否定もせず、ただヒュ〜と愉しげに口笛を吹きならした。


 その態度こそが、ブラットの指摘が図星だと物語っていよう。


「……答えろ、おまえは何者だ? 本物のディノはどこにいる?」

「答える必要は……ない」


 ディノもどきはゆっくりと微笑を深め、



「――貴様はここで死ぬのだからな!!!」



 直後。ブラットへと襲いかかってきた。


 本物のディノではありえぬ人間離れした膂力でバネのように跳躍し、はるか上方からブラットへと剣を振りおろしてくる。


 この大会はあくまでも祭の余興。

 殺しはご法度だ。


 にもかかわらず、ディノもどきの放ったその斬撃はあきらかにブラットの体をまっぷたつに両断するだけの殺傷力を持っており、そこに込められた殺意を鑑みるに間違いなくブラットを殺める目的でくりだされていた。


 だが殺意を帯びた剣を前にしても、ブラットは動じなかった。


(レベル20ちょいってところか)


 優雅な所作で、静かに剣を抜きはなつ。


 そして振りおろされた斬撃を流れるような所作で受けながし、そのまま続けざまにディノもどきの背へと横殴りの蹴撃を放った。


 その一撃をもろに受けたディノもどきは、ブラットの桁外れの脚力によって勢いよくふっとび、舞台に激しく叩きつけられる。


 だがその途中にまるで獣のような柔軟さで受け身をとり、ごろごろと転がったのちにその流れでノータイムで立ちあがった。


 息は多少切れているものの、見たところノーダメージのようだ。


 ブラットは目を細めながら、


「おまえが何者かはわからないが、おまえじゃ俺には勝てないよ」

「ふつうにやれば……そうかもしれんな」


 ディノもどきは嗤う。


「ふつうにやれば……?」


 ブラットがその言葉に引っかかりを覚え、眉をひそめた瞬間だった。



「……?」



 突如として――、と視界が揺れるような感覚に襲われる。


 まるで脳震盪を起こしたかのようだった。目眩かと思ったときにはブラットはふらふらとよろめき、その場で膝を折っていた。


「これは……?」


 そしてその視界が揺れるような感覚は一時的なものではなく、膝を折ったあとも慢性的な頭痛と目眩をともなって持続した。


 まともに立っていられない。


「なにを……した?」

「……ようやく効いてきたか。ドラゴンの動きさえ封じる毒をしこんでおいたというのに、効くのが遅すぎて焦ったぞ」


 ブラットが声をしぼりだすと、ディノもどきは勝ち誇ったような笑みとともに、唇にぺろりと人間離れした長い舌を這わせる。


「毒……だと?」


 思いあたらずに眉をひそめると、ふいにロジエの声が耳に届く。


『……お〜っと、ブラット選手がいきなり崩れおちたデス!? いったいなにが起こったのか!? 解説の御三方いかがデス!?』

『あら、おなかでも壊したのかしら〜?』

『西方の安い麦酒エールでも煽って二日酔いになったんじゃないかな☆』


 ロジエが話を振ると、セリエとグラッセは相変わらずふざけているのか天然なのかよくわからぬ調子でそんなことをのたまう。


『……ドアホ、ぬしらはまともに解説する気はないのか! おそらく、さきほど剣をかすめたときに毒でももらったのじゃろう』


 呆れた様子でマーリンが補足する。


『え、え!? 剣に毒デス……!? それってルール違反では!?』

『どうじゃろうな。試合前に塗られておったならまずいが、戦闘中に魔法で付与された可能性もある。それならばセーフじゃろ』


 当惑した様子のロジエに、マーリンは肩をすくめてみせる。


『さすがマリンちゃん、よく見ってる〜♡』

『……マリンでなくマーリン!』


 言いつつマーリンは『というか……』とグラッセに視線を送る。


『グラッセよ、おぬしは弟子が窮地だというのにやけにのんきじゃのう? あれはおそらく麻痺毒じゃぞ? いかにぬしの弟子が強者であろうと、身動きがとれなくなればそれまで。負けは決まったようなもんじゃ』

『そう思うのならそうなんじゃないかな、きみのなかでは☆』


 マーリンはそう指摘するが、グラッセはふだんどおりの軽薄な微笑を崩すことなく、愉しげに舞台を見つめつづけていた。


 グラッセの返答にマーリンはやれやれといった調子で肩をすくめてから、ふたたび舞台のブラットへと視線を戻した。


 そんな英雄たちによる素人漫才じみた解説を聞きながら、ブラットはこれまでにないぐらい冷静に思考をめぐらせていた。


(なるほどな)


 本当に小さな傷なので気にもとめていなかったが、さきほどの攻撃のときにディノもどきの剣は、実はブラットの頬をわずかにかすめていた。そのときに剣に仕込まれていた毒がブラットの体内に入りこみ、いまようやく効いてきたということらしい。


(これほど強力な麻痺毒を持つとなると、やはり正体は……)


 そして、確信する。


 さきほどの獣のような身のこなし、即効性のある麻痺毒を有すること、そして人間へと姿を変えられる変身能力、それらを考えあわせると、ディノの姿をしたそれの正体はもはやひとつしか考えられない。



「おまえの正体はワーウルフ……いや、ワーウルフロードだな」



 ブラットがそう告げると、ディノの姿をしたそれは正体を看破されたことを不快に思ったようで憎々しげに鼻を鳴らした。


 それから見下すような視線を向けてきて、


「……よくぞ見抜いた、オラは誇り高き人狼族の戦士。広場でおまえが斬りふせ、命を奪ったあのワーウルフロードの弟だ」


 ブラットは目を見開く。


「復讐……ということか」


 ワーウルフロードはなにかを懐古するように遠い目をする。


「兄者は、強かった。里でも頭がひとつもふたつも抜きんでた勇者であり、オラもガルロフ兄弟として双璧で語られてはいたが、そのオラが正直敵わぬと思うほどにな。将来は魔将となって魔王軍を率いるはずだったんだ。それをおまえは……殺した」

「……」


 ワーウルフロードに憎悪に満ち満ちた視線を送られ、ブラットは無言でただワーウルフロードを見返すことしかできなかった。


 ワーウルフロードのその目は感情が高まるにつれて広場でのやつの兄のように血走り、理性を失いかけているように見えた。



「おまえだけは……おまえだけは許さん、殺す殺す殺す!!!」



 直後に轟くワーウルフロードの咆哮。


 たまりにたまっていた怒りと憎しみがついに爆発してしまったかのように、ワーウルフロードは全身から魔力をあふれさせる。


 あまりに――禍々しい魔力だった。


(この魔力は……まさか)


 それはふつうのワーウルフロードの魔力とはどこか異なるもの。


 広場でのときも実は脳裏によぎっていたのだが、この禍々しい魔力と現在のワーウルフロードの様子には覚えがあった。



(操られていた俺に……似ている)



『ファイナルクエスト』作中で魔王軍の傀儡となっていたときのブラットは、ちょうどこのような魔力をまとっていたはすだ。


が……裏で糸を引いている?)


 自分の記憶違いでないとするならば、その可能性は十分にあろう。


 だがいまの理性を失いかけているワーウルフロードから情報を訊きだすのは困難。一度大人しくなってもらわねばなるまい。


 そんなふうに思考をめぐらせてブラットが黙っていると、ワーウルフロードはそれを勘違いしたのか不気味な微笑を浮かべる。



「ついに恐怖で声も出なくなったか。安心するがいい、存分にいたぶっていたぶっていたぶりつくして殺してやる!!!」



 直後。ワーウルフロードは目にもとまらぬ速度で拳をくりだしてくる。ブラットはその拳を顔面にもろに受け、舞台に転がった。


 ブラットが無様に倒れふしながらもすぐさま顔をあげると、ワーウルフロードはそれを睥睨して嘲笑の声をあげる。


「……恐ろしいか? 身動きできぬ状況で一方的にいたぶられ、命を奪われようとしていることが! だが兄者はそのような恐怖の感情すら抱くまもなく、おまえに命を奪われたのだ! その恐怖……しかと噛みしめるようにして死んでゆくがいい!」

「言い訳はしない。俺がおまえの兄をこの手で殺めたのは事実だ。だから、おまえには……すまないことをしたと思う」


 その言葉は、紛うことなく本音だった。


 この世界では魔物の多くが人間と対立しており、生かしておけばこちらが被害をこうむることになるという状況だ。だから魔物を殺すのはよくないなどと善人ぶるつもりはないし、民を襲っていたワーウルフロードを討伐したことに後悔は一切ない。


 だがそれでも家族の死を悼み、復讐のためにブラットの前に現れたこのワーウルフロードの怒りと悲しみは、人間の持つそれとなんら変わりないものに思えた。ゲームに登場する魔物とは違う。本物なのだ。だから自然と謝罪の言葉が口をついて出た。



「ふ、ふざけるな……!!!」



 するとワーウルフロードは一瞬だけ呆けた表情をつくり、だがすぐに圧倒的な怒りと憎しみの感情をそこににじませた。


「すまなかっただと!? どの口が言っている!? 毒で身動きがとれずにどうしようもなくなったから、命乞いのつもりか!?」

「命乞いじゃないさ、ただ素直にそう思っただけだ。家族を奪われる苦しみというのは、人も魔物も同じだろうからな」


 ワーウルフロードはなにかをこらえるような表情をしたあと、



「そう思うのならば……死ね!!!」



 剣をかまえて襲いかかってくる。


 麻痺毒におかされたブラット。せまりくるワーウルフロード。万事休すといったその状況下で、しかしブラットは動じない。


 そしてワーウルフロードの剣がこちらへと振りおろされ、



「だが……死ぬわけにはいかない」



 しかしその瞬間だった。


 カキンッ!!! と剣と剣が衝突する音が響きわたる。ブラットが紙一重のところで抜剣し、剣を弾きかえしたのだ。


 ブラットの桁外れの筋力値に負け、ワーウルフロードの剣は勢いよく跳ねあがり、その手を離れてくるくると宙を舞った。


 ワーウルフロードは驚愕に目を見開き、


「なぜ動ける……!?」

「あいにくこういう状態異常への対策は誰よりもしててね」


 ブラットはそう言いながら肩をすくめ、自身の体に視線を送る。


 視線のさき――首、腕、脚にはそれぞれ瀟洒な細工のほどこされた装飾品があり、それらのすべてに魔石が埋めこまれていた。


 実はブラットが身につけているこれらの装飾品のすべてが、を持つマジックアイテムなのだった。


「まさか……なぜそんなものを!?」


 ワーウルフロードが驚くのも無理はない。


 このバトルトーナメントには直接的な効力のないマジックアイテムならば、3つまで身につけてもよいという決まりがある。


 出場選手の多くは試合への干渉度が高い攻撃魔法への耐性を付与するマジックアイテムを装備するのが慣例で、あえて状態異常耐性を付与するマジックアイテムを選ぶものはいない。まして今回のブラットのように3つすべてをそうするなんて異例だ。


(俺からすれば妥当なんだがな)


 現状、ブラットのレベルとステータスはほかの出場選手を大きく上回っている。通常の攻撃魔法程度ならば、わざわざ対策するまでもないのだ。一方で麻痺や毒といった状態異常は、レベルにかかわらず危険だ。だから3つすべてこれらの耐性を付与するマジックアイテムを選んだわけである。


 もちろんマジックアイテムがあれど、完璧にそういった効果を無効化できるわけではないが、3つものマジックアイテムを装備していれば、格下の麻痺毒ぐらいは身動きできる程度に軽減できる。おかげで現状も体が気だるい程度の感覚で済んでいた。


「く……だが、まったく効いていないわけではないのなら……!」


 ワーウルフロードは次撃へと移ろうとしながら苦々しげにそう言いかけるものの、最後までその言葉をつむげなかった。



「悪いな、



 次の瞬間にはブラットがワーウルフロードのふところに入りこみ、その拳をワーウルフロードの腹に埋めていたからだ。


 ワーウルフロードはブラットの腕によりかかるようにゆっくりとゆっくりと崩れおち、そのまま舞台へと倒れふした。


 ワーウルフロードはそれきり動かず、気絶してしまったようだ。


 闘技場がしんと静まりかえる。あまりに突然の戦いの幕引きだったため、観客もなにが起こったのか理解できなかったのだろう。


 しばしあって――



『しょ……勝者、ブラット選手!!!』



 ロジエがそう宣言すると、割れんばかりの歓声があがった。


 ブラットは手をあげ、歓声にこたえる。


『毒で一時はどうなるかと思ったデスが……気づけば終わっててなにがなにやら。解説の御三方どうなってるデスかね?』


 釈然としない様子でロジエが問うと、グラッセはブラットが勝利したからかご満悦といった様子で誰よりも先んじて答える。


『ブラットくんが持ちこんだマジックアイテム、あれはすべて状態異常への耐性付与効果のあるものだね。真の強者は決しておごらない。抜け目のないブラットくんのことだ。相手がなにをしてくるかを事前に把握していて、準備していたのだろうね☆』

『え、ブラちゃんすご〜い♡』


 セリエの称賛にさらに気をよくしたらしく、グラッセはさらに饒舌になる。


『ブラットくんがすごいのはそれだけじゃないよ☆ さっき相手の拳を受けたのもわざとだろうね。戦いでもっとも隙ができるのは攻撃をしかけるときだ。だから最初にわざと拳を受け、麻痺で自分の体の自由が効かないということを相手に印象づけ、敵からの隙だらけの攻撃を誘発した。結果は見てのとおりだよ。ふつうにやりあってもブラットくんの勝利は揺るがなかっただろうに……まったく恐ろしい子だ。そろそろぼくもうかうかしてられないね☆』


 グラッセの解説を聞くと、マーリンはごくりと唾をのみくだす。


『なるほど、ただの脳筋ではないというわけか……そこまで考えていたとなると、グラッセが一目置くのもわかるのう』


 解説陣の補足が入ると、ロジエは『さすがブラットさま♡』と大盛りあがりで、観客席の親衛隊も大きな歓声をあげた。


(まあ……実際はただ怖いのは状態異常ぐらいだからこの装備だっただけで、別にディノ対策してたとかじゃないんだけどな。最初の拳を受けたのだって、ただ……)


 ブラットはやれやれと思いながらワーウルフロードのほうへと視線を移し、だがそこでその姿が変貌しかけていることに気づく。


(……変身がとけてるのか!?)


 ディノの顔の原型はいまだとどめてはいるものの、その顔が元のワーウルフロードの獣顔に戻りつつあったのだ。じわじわと獣耳がひょこっと生え、あきらかに体毛が濃くなってきていた。ブラットが気絶させたことで変身がとけはじめているようだ。


(まずいな)


 このディノが魔物であることがこのままあかるみに出れば、面倒なことになりそうだ。ディノの行方について、そしての動きについて、聞きたいこともいろいろとある。ゆっくりと話を聞くためにも、正体はまだ隠したほうがよかろう。


 顕現しはじめたワーウルフとしての特徴を極力隠すため、ブラットはワーウルフロードの体を抱えるようにして運びだす。


『おっと……対戦相手の体を気遣っているのでしょうか!? さすがブラット選手デス! 戦神のごとき強さのブラット選手相手に勝ち目がないにもかかわらず戦いぬいた選手たち、そしてなにより心優しいブラット選手にもう一度拍手を!!!』


 相も変わらずあからさまにブラットを持ちあげるロジエの声がとどろき、同時に大きな拍手が闘技場に響きわたる。


 というか、拍手しながら泣いている観客までいるのはなんなのか。


(……いやもう、好きなようにしてくれ)


 もはや勘違いされることに慣れたブラットは、呆れながらも大歓声に見送られながらアリーナから退場するのだった。

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