第32話 とある人狼族の怒り


 魔王軍は主に5つの階級にわかれている。


 休眠状態の“魔王”は例外として、最高幹部の“四魔将”を頂点に、上から“魔団長”、“魔隊長”、“戦闘兵”、“雑務兵”の5階級だ。


 基本的には階級は戦闘力の高さで決まるため、上位階級のものには魔物たちから自然と尊敬と崇拝の目が向けられることとなる。


 だがそういった肯定的な目と同時に、上位者となったものが妬みや嫉みといった否定的な目も向けられるのは人間社会と同様だ。


 それは人狼族の戦士ウル・ガルロフが、双子の兄のアル・ガルロフとともに若くして“魔団長”に昇格したときも同じだった。


 ウルはいまでも当時をよく思いだす。




 ――それは数年前。


 ウルは戦功をたたえられ、兄とともについに“魔団長”に昇格した。これまでの軍への貢献を考えれば、それは当然のことだった。


 だがまだ若いこともあり、まわりからの風当たりは強かった。



『また人狼の兄弟が手柄をあげたらしいぞ』

『どうせまたこすい手を使ったのじゃろ』

『だな。人狼どもはいつも狡い手ばかりじゃ。そうでもしなきゃ結果を出せぬ非力な存在だからのう。本当に卑しいものたちよ』



 そんなそしりの声が次々と耳に届いたのだ。


 いまのウルならばそういった声が出るのもしかたがないと大人の考えで無視できたのだろうが、当時のウルは非常に血気盛ん。すぐに牙を剥きだしにして、陰口を叩いた魔物につかみかかってしまった。



『弟よ……気にすんな、ただの妬みだろ』



 それをすかさずとめたのは兄だった。


『兄者……だが好きに言わせておけばオラたちの沽券こけんにかかわるぞ!』

『口ではなんとでも言えるさ。それはオラたちも一緒だ。オラたちまでこいつらと同レベルまで落ちるこたあねえよ』


 兄はあくまでもそう自分を冷静にいさめ、


『……真の英雄ってのはな、口でなく行動で示すもんだ。あいつらが黙るぐらいでけえ手柄を立て、オラたちの強さを見せつけてやりゃいい。そしていずれは兄弟そろってへと進化してやんだ』

『オラたちが……キングに!?』


 ワーウルフの上位種ワーウルフロード。

 そのさらに上位種がワーウルフキングだ。


 ワーウルフロードですら人狼族のなかで一握りのものしか進化できない上位種。キングともなると、もはや歴史のなかで片手で数えられるほどの人狼しか存在しまい。兄はそんな存在に兄弟そろってなると言ったのだ。


『ああ、そうだ。そうすりゃ魔将になるのだって不可能じゃねえ。ごちゃごちゃ言ってるあいつらを顎でこきつかってやることだってできるんだぜ。夢みてえな話だが、ガルロフ兄弟に不可能の文字はねえだろ?』


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる兄は自信に満ち満ちていて、その言葉がその場しのぎの虚勢でないことが見てとれた。


 ウルはこのとき兄のその言葉を聞き、その澄んだ目を見て、兄を信じようと決めた。生涯、兄についていこうと決めたのだ。



『そうだな……なってやろう、キングに』

『弟よ。ともに目指そう、高みを』



 しかし兄弟が熱い言葉を交わし、誓いを立てるように互いに拳をぶつけようと手を伸ばした――そのときだった。



『……グアッ!?』



 突如、兄の胸からが突きだした。


『あ、兄者……!?』


 兄はうめき声とともに血塊を吐き、徐々に虚ろな瞳になっていく。


 背後から何者かにつらぬかれたようだ。


『おまえは……ブラット・フォン・ピシュテル!? いや……違う』


 兄を背後から刺したその人物。

 それは最初あのピシュテルの王子の顔だったが、すぐにその顔はぐにゃりとゆがみ、やがて妖艶な女の顔に変化した。



『……リオ、ネッタ』



 それは魔王軍の最高幹部、“四魔将”のリオネッタに違いなかった。


 リオネッタは口の端が裂けるような不気味な微笑をうかべたかと思うと、兄の胸から勢いよくスルリと剣を引きぬく。


 そして剣からしたたる鮮血を舐めとりながらゆっくりとウルに視線を移し、次の瞬間こちらへと剣を振りおろしてきた。


 ウルは蛇のような視線ににらまれ、金縛りにあったように動けず――




 ✳︎




「……!?」


 ハッとして、ウルは覚醒した。


 全身に気持ちの悪い汗が伝っているのを感じながら目を開ける。



(夢……だったようだな)



 すぐに青空が視界に入り、それが夢だったことを悟って安堵する。


 あの日、実際に行われたウルと兄との誓い。そこに兄が殺されたという記憶が混ざって、悪夢に変わってしまったようだ。



(ここは……、か?)



 まわりを見ると、そこは墓地だった。


 ピシュテルの王城裏の墓地だ。


 王族や名だたる貴族のみが埋葬される由緒ある墓地であり、通常の墓地とは比較にならぬほど綺麗なつくりをしている。生えそろっている芝もふくめ、定期的に庭師によって手入れされているのだろう。


 その墓地の一角にウルは横たわっていた。


(そうだ、オラは兄者の仇を討つために剣舞祭の予選に参加し……)


 ブラット・フォン・ピシュテルを毒塗りの剣で麻痺させたものの、装備していた耐性付与アイテムによってそれを無効化された。


 そして直後に一撃をもらい、ノックアウトされてしまったのだ。


(なぜオラはこんなところに……?)


 試合中、すでにあの王子にはあきらかに自分の正体はバレていた。


 そうでなくとも気絶後に変身は解け、この人狼の姿は目撃されたはず。となれば捕縛され、拷問されたのちに処刑というのが人間の手におちた魔物の末路だ。牢ならともかく、なぜこんな墓地にいるのか。


 ウルはいぶかしげにあたりを見回し、



「……!?」



 そして視界に、を見つける。


 直後。ウルは思考するまもなく、本能のままにその男に襲いかかっていた。一瞬で間合いをつめ、自慢の鉤爪を振りおろす。


 しかし男はすでにそこにはおらず、鉤爪はブンッ! と空を斬った。


(速、すぎる……!?)


 そして背後から気配を感じて振りむくと、気づけば男は自分の背後に立ち、やれやれとあきれたような微笑を浮かべていた。



「……起きたのか。俺に襲いかかる元気があれば、もう大丈夫だな」



 その男――ピシュテルの王子ブラット・フォン・ピシュテルは敵意などこれっぽっちもない穏やかな目で笑いかけてくる。


 一瞬その無防備な笑顔に毒気を抜かれそうになる。だがウルはすぐに首を振り、牙を剥きだしにしてブラットを威嚇した。


「なぜオラはこんなところにいる……!?」

「そりゃ俺が運んできたからだよ。観客にバレないようにこっそり運ぶの大変だったんだぞ? 試合直後に変身が解けたからさ」


 獰猛な威嚇をものともせず、微笑まじりに肩をすくめるブラット。



(バレないように、運ぶ……?)



 ウルは眉をひそめる。

 それはつまり――


「オラを……かばった、ということか?」

「……まあそうなるかな。でも勘違いするなよ。訊きたいことがあったからだ。あと、ここに連れてきたかったというのもある」


 ここにだと? とウルはいぶかしげにあたりを見まわした。


 こんな墓地に自分を連れてきてどうするというのか。情報を訊きだしたあと、すぐにここに埋めるというわけでもあるまいに。


 なにしろここはピシュテルの王侯貴族のための由緒ある墓地だ。間違っても自分のような魔物を埋葬する場所ではない。


 考えていると、ブラットはひとつの墓標をおもむろに指さし――



「あれが……おまえの兄の墓だ」



 一言、そう告げた。


「!?」


 ウルは目を見開き、その墓標を見やる。


 真新しい花が手向けられた墓標にはなんの名も彫られておらず、ただ兄が死んだのと同じ日付だけが刻まれていた。この男の話が本当ならば、兄の名をこの男が知るはずもないので、それは当然のことだろう。


 だが本当のわけがない。

 敵であった魔物をわざわざこの由緒ある墓地に埋葬するなんて、そんなことをする馬鹿げた人間がいるわけがないのだ。


 そう思いながらも墓標のまわりの匂いを確かめると、しかし確かに兄の体臭が残り香としてわずかにただよっていた。


 間違いない。

 ここに兄が埋葬されている。


「とりあえず埋葬はしたが……人間の弔い方が気に入らないなら、掘りかえすなりなんなりおまえの好きにすればいい」


 ウルが目を向けると、ブラットはため息まじりに肩をすくめた。


 ウルは兄の墓標に歩みより、その前で歯を食いしばった。それから墓標をしばし見つめたのち、ブラットを振りかえった。



「なぜ兄を……魔物をこのように弔った?」



 ブラットは考えるような仕草をして、


「おまえの兄は町で暴れ、民を傷つけた。結果、俺に討伐された。その事実を考えると、おまえの兄を憎らしくは思えど弔おうとは確かに思えない。だけど今回は例外だ。おまえの兄の一連の行動は、おまえの兄の。だからだ」

「……本意では、なかった?」


 どういうことだ? と眉をひそめるウル。


 ブラットは不思議そうな顔で、


「……知らなかったのか。いやそうか。試合の様子を見るに、おまえ自身も同じを受けているようだったからな」

「……影響? なんのことだ?」


 ひとり納得するブラットに説明をうながす。


「人狼族は賢い種族だ。冷静に考えて、その種族のなかでも上位種のおまえの兄が、王都であのような無謀な暴走をするのはあきらかにおかしいだろ。もっと人目につかないように狡猾に俺をしとめようとするはずだ。おまえの兄はおそらくなんらかの魔法の影響で、理性を失っていたんだ」


 ブラットはそう肩をすくめる。


 確かに考えてみるとそのとおりだ。

 兄は昔からいつも冷静で、血気盛んな自分をいさめる立場にあった。そんな兄があのような無謀な行動を起こすのは不自然だ。



「なぜ……オラは疑問に思わなかった?」



 あきらかに兄の行動は無謀すぎる。

 なぜ自分はとめなかったのか。


「言ったろ、おまえも兄と同じく正気ではなかったからだ。おそらく……“幻惑魔法コンフュージョン”によって錯乱状態にあったんだろう」

「オラが……“コンフュージョン”に!?」


 ――“コンフュージョン”。


 それは対象に幻覚を見せたり、対象の精神に干渉したりすることで、対象を惑わせて思考を混乱させる第4位階の幻惑魔法だ。


 幻惑魔法にかかっていたとすれば、あの兄の無謀な行動や自分が兄の行動を疑問に思わなかったことも説明がつく。


 だが人狼族は元々そういった魔法への耐性が高い。人狼族のなかでもワーウルフロードという上位種にまで進化した自分や兄は尚更だ。影響を与えられるほどの幻惑魔法の使い手なんてそうそういまい。



(いや……いる)



 自分や兄に影響を与えられるほどの幻惑魔法の使い手。その人物にたったひとりだけ心当たりがあることに気づく。


 ―― “人形遣いドールマスター”リオネッタ。


 その分野を得意とする彼女の幻惑魔法ならば、自分や兄すらも手玉にとれよう。むしろ彼女にしかできないとすら思える。


「まさか……あの女が」


 今回この王都へと旅立つ前、ウルは兄とともにリオネッタと会っている。彼女も眼前のブラット・フォン・ピシュテルを始末するためにピシュテルを訪問するとのことで、作戦の擦りあわせをするためだ。


 結局は互いに互いのやりかたがあるだろうと干渉しあわずにそれぞれのやりかたでターゲットをねらうことになったのだが、思えばあの女と会ったあとぐらいから、自分も兄もどこか思考がおかしかったように思う。



「やはりリオネッタがからんでいるのか?」



 ブラットにふいにそう訊ねられ、ウルはまさかと目を見開く。


 どういった思考を経れば、リオネッタにまでたどりつけるのか。さきの試合で見せた戦闘力といい、やはりただものではない。


 これほどに頭まで切れるとなると、状態異常への耐性付与アイテムを装備していたのも、自分の存在を見抜かれたうえで準備されていたのではという気さえしてくる。それぐらいに底知れぬ男だと思った。


 だがブラット•フォン•ピシュテルという人間に脅威を感じつつも、ウルの内心にはそれ以上に大きな激情がわきあがってきていた。



(リオネッタ……あの女が、兄にあんな無謀な行動をさせたのか)



 リオネッタは魔将のひとりで、ウルにとって敬うべき立場の人間だ。


 しかし兄があの女の魔法で正気を失い、無謀にも敵地で暴れて命を落としたとすれば、それは到底許せることではない。


 兄がみずからの意志で堂々と戦ったうえで散っていったのなら、まだ納得できる。だがあれでは兄はただの犬死である。



「……」



 ウルはぎりと歯噛みし、身をひるがえす。


 全身が怒りに打ち震えていた。


 リオネッタがどういうつもりで兄や自分に魔法をかけ、あのような行動をさせたのか。それを知らねばならない。


「……どこへ行く?」


 ブラットにそう声をかけられるが、ウルは振りかえらない。


「ブラット・フォン・ピシュテル……おまえは後回しだ。首を洗っておけ」

「ディノはどこだ? 殺したのか?」


 訊ねられ、ウルは立ちどまる。


 視線をちらと動かし、この男がつくった兄の墓標を見やる。


 兄を弔ってくれた。

 そのことについては恩がある。



「……学院の第二棟、倉庫を調べろ」



 一言そう残し、ウルはその膂力をいかんなく発揮して駆けだした。




 ✳︎




(……やはり、リオネッタか)


 ワーウルフロードが去った直後、ブラットはひとり思案する。


 これまでのワーウルフロードの一連の事件について、リオネッタが裏で糸を引いていたのはまず間違いないだろう。


 そしてそれはおそらく『ファイナルクエスト』の史実にはなかったできごと。ブラットが史実と異なる行動をしたからこそのできごとだ。サイクロプスを討伐したブラットを危険視し、リオネッタが始末を命じられたといったところか。


 リオネッタは『ファイナルクエスト』作中でブラットを闇堕ちさせた元凶。それが本編開始にさきだって暗躍しはじめたとなると、死亡エンド回避を目指すブラットにとって看過できることではない。



(だが……いま戦うのは危険だな)



 ブラットのレベルは56。

 これは『ファイナルクエスト』本編で魔王を攻略可能なレベルであり、中ボスのリオネッタならば当然攻略できるはずのレベルだ。


 しかしそれは、あくまでもパーティーメンバーが4人そろっていればの話。単独で相手をするとなると、難易度は跳ねあがる。


 リオネッタの手のうちを熟知しているブラットであっても、事前準備を周到にしたうえで勝てるかどうかというところだ。


(ディノ救出後にグラッセさんたちに協力を仰ぎ、それから一緒にあのワーウルフロードを追跡するのが無難なところだが……)


 考えながらさきほどのワーウルフロードが去ったほうを見やる。


 リオネッタは幼稚で、残虐な性格だ。基本的に他者を自分を楽しませる玩具だと思っている。あのワーウルフロードの兄を暴れさせたのも『楽しそうだったから』と大真面目に言うような女であり、実際の理由もそんなところだろう。


 もしもそんなふざけた理由を面と向かって告げられれば、あのワーウルフロードが平静を保っていられるとは思えない。兄をもてあそばれたことに怒りくるい、リオネッタに牙を剥く可能性はきわめて高い。


 そしてそうなれば、あいつはまず間違いなくリオネッタに殺される。



(……みんなを呼びに行ってたら、たぶん間に合わないだろうな)



 たかが魔物が一体死ぬだけ。

 しかも自分の命をねらってきた敵だ。


 ざまあみろ、と思うのがふつうである。


 だが兄を手にかけた罪悪感もある。リオネッタに命を脅かされるあの魔物のことを他人事とは思えない自分もいた。


 なによりワーウルフロードたちの不幸は、おそらくブラットが前世の記憶で史実を変えたから起こっていることなのだ。


(いやいや……自分の命をねらってきた敵にいちいち同情するなんて、いまどき熱血少年マンガにもいないレベルのバカだぞ)


 ブラットは頭をぶんぶんと振る。


 しばし思考したあと、小さく息をつく。


 おもむろに交信用の魔石を取りだすと、自身の魔力を流しこんだ。



『――はい、こちらエイバスでございます。殿下、御用ですか?』



 まもなく魔石は淡い光を放ち、王宮執事長エイバスにつながる。


「今から学院に人を向かわせてくれるか?」

『学院に……でございますか?』


 いぶかしげな声のエイバスに、ブラットは迷いなくうなずく。


「調べてほしい場所があるんだ。本当は自分で確認したいんだが、ちょっと

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