第27話 黒豚王子は女騎士と話す


 ――ラッキースケベ。


 それはアニメやマンガといったエンタメ作品において、男性キャラに幸運にも訪れるエッチな状況のことである。


 男なら誰しもこのラッキースケベに一度は憧れるものだが、アラサーオタクだった前世の黒川勇人もそれは同様だった。


 だが出会い頭に美少女とキスしたり、転んだ拍子に美少女の胸に触れたりなんて状況は、もちろん現実ではそうそう起こらない。そうそう起こらないからこその憧れのシチュエーションだとも言えるだろう。


 だが転生して二度目の人生を歩みはじめて14年、前世から合わせると40年以上、ついにそんな状況がブラットに訪れていた。


 そして、着替え中の半裸の美少女に偶然出くわすというまさにラッキースケベな状況で、ブラットが最初にした行動は――



「……」



 、だった。


 ブラットは両手両膝を床につき、深々と頭をさげ、額を床にこすりつけていた。

 

 思いだしたのだ。

 こういったラッキースケベのとき、男がだいたいどのような仕打ちにあうのかを。


 たとえば物語の終盤でヒロインの好感度がMAXの状況ならば話は別なのだろうが、たいていこういったラッキースケベのあとにはヒロインが怒って男に暴力を振るうというのが一種の様式美となっている。


 いろいろな作品を思いかえすと、顔面をビンタされて鼻血をぶちまけながら饅頭のように腫れあがった顔にされてしまうものもいれば、魔法でふっとばされて空のお星さまのひとつにされてしまうものもいる。


 そんな悲惨な結末を迎える自分を思いうかべるやいなや、ブラットの体は驚くほど自然に動いていたのだ。前世のリーマン時代の『まずいことをしたらとにかく即謝罪しろ!』という社畜根性が出てしまったらしい。


 着替えをのぞいてしまった謝罪の意をこめて完璧な土下座を披露するブラットを、キャロルはしばし驚くように見つめ――



「……いや、どういうことなのだ?」



 冷静にそうツッコんできた。


 あまりに冷静にツッコまれたため、ブラットも突然のラッキースケベ展開に沸騰しきっていた頭が急速に冷えていくのを感じる。


(確かに……)


 出会い頭にいきなり土下座された彼女からすれば、確かに意味がわかるまい。


 ブラットが冷静になって顔をあげると、



「ま、まさか……このわたしに、頭を踏みつけてほしいということか!?」



 いまだ裸体を晒したままのキャロルが、とんでもないことに気づいてしまったというような顔で口元を押さえていた。


「……いや、違う。それは断じて違う」


 ブラットは即座に否定する。


 自分にそういった性癖はない。

 美少女に踏まれるのも確かに悪くない気もするが、美少女にされればたいていのことはプラスにとらえられるだけであって、別に特別に踏まれたい願望はないのだ。


 しかしキャロルは聞く耳を持たず、


「くっ、確かに……女性にたれたり踏みつけられたりすることに異常な性的興奮を覚える人種も存在すると風のうわさに聞いてはいたが……まさか直接踏んでほしいとせがんでくるものがいようとは。だがわたしの容姿は確かにこの世のものとは思えぬほどに美しいし……こういった不埒な男が現れるのもいたしかたないことなのかも……いやしかし、さすがにこれは……きつすぎる」

「いや……あの、だから違うんだが!? 勘違いで引くのはやめてくれ!」


 キャロルは勘違いしきっているようで、まるで蛆虫を見るかのような目をこちらに向けてくる。さすがに勘弁してほしい。


「ならばなぜ頭をさげている?」

「もちろん、謝罪のためだ。故意ではないにしろ、俺はきみの着替えをいままさにのぞいてしまっているわけだからな」


 なるほど、とうなずくキャロル。

 納得してもらえたのならなによりだが、



「というか……きみこそなぜ隠さない?」



 いままさに裸体を見られている状況だというのに体を隠す素振りが一切ないキャロルに、今度はブラットがツッコミをいれる。


 あまりに堂々としているから、もはやこの世界では異性に裸体を見られても羞恥心を感じないものなのかという気がしてくる。


「隠すようなものがどこにある? 我がダストリアは強いものこそが正義の弱肉強食の国だ。自身が鍛えあげた体を誇りこそすれ、恥じることなどない。このわたしの美しい体を拝めたのだ。感謝してもよいぞ?」


 自信満々に断言するキャロル。


 確かにそんな話は聞いたことがあるものの、にしても彼女は見せたがりすぎだ。『ファイナルクエスト』ではあまり感じなかったが、ナルシスト気質があるらしい。


「確かに美しい体だが、悪いが今日はそんな話をしにきたわけじゃないんだ」


 ブラットは仕切りなおすように咳払いし、


「お初にお目にかかる。名はご存知かと思うが、俺はこの国の王子ブラット・フォン・ピシュテル。ダストリアの皇女キャロル姫、あらためてお会いできて光栄だ」


 ブラットは優雅に礼をし、キャロルの手をとって甲に口づけを落とす。


「もちろんおまえのことは知っているとも。留学する国の王族の顔と名前ぐらいは覚えていて当然だからな。だが以前はもっと肉付きのいい姿をしていたと思ったが?」

「いろいろあったんだ、聞かないでくれ」


 ブラットが苦笑まじりに肩をすくめると、キャロルはいぶかしげにこちらを見たあと、「まあいい」と同じく肩をすくめた。


「だが姫はやめろ。そういう柄ではないし、格式ばったことは苦手だ。立場的には一応同格に当たるし、キャロルと呼びすててくれ」


 ダストリアは新興国であり、かつ邪悪で粗暴なものの多い土地柄ゆえにそういった格式はあってないようなものなのだろう。


「なるほど、わかった。キャロルも俺のことは好きに呼んでくれ」

「そのつもりだ」


 キャロルは鷹揚にうなずき、


「それで王子がこのわたしになんの用だ?」

「その前に……ひとまず服を着てくれないか? 目のやり場に困る」


 ブラットが指摘すると、キャロルは自身の姿をちらと見て、まるで半裸であることにいまさら気づいたように目を見開く。


 そして「わたしは別にこのままでも構わないのだがな」と頬をそめることすらなく、淡々と衣服を身につけはじめた。




 *




「ダストリアが滅亡する……だと?」


 ブラットが話を聞かせると、キャロルは険しい顔で目を細めた。


 場所は変わらず、第5魔法演習場の器具庫内。あまり人に聞かれたくない話なので、そのままここで話すことにしたのだ。


 ブラットがキャロルに伝えたのは二点。

 ダストリアとエルネイドに全面戦争が近く起こること、そしてそれによってダストリアが滅びの道をたどることだった。


「そんなわけがあるまい。エルネイドとは確かに不穏な空気があるが、それも民衆同士の小競りあいが偶然重なったことが原因だ。父上がいま話しあいで解決しようと動いている。そもそも戦にもなるまいよ」

「本当に起こった小競りあいなら……話しあいで解決できるんだろうがな」


 ブラットが肩をすくめると、キャロルはいぶかしげに眉をひそめた。


「偶然では……ないと?」


 ブラットは神妙な面持ちでうなずき、


「ああ、すべては偶然でなく必然。魔王軍の参謀……四魔将ベルゼブブが裏で糸を引いていることだ。ダストリアとエルネイドのあいだに大きな戦を起こすためにな」


 そしてその事実を告げた。


 するとキャロルはまさかと目を見開き、だがすぐに首を振る。


「確かに偶然起こったにしては、事件が同時期に重なりすぎてはいるが……裏で魔王軍が糸を引いているという根拠はあるのか?」


 キャロルのその疑問は当然だった。


 だが素直にブラットが『ファイナルクエスト』というゲームから情報を得たことを伝えたところで、信じてもらえるわけもない。


 ブラットは一瞬逡巡し、ひとまず適当な理由をつけてごまかすことに決める。


「……根拠と言われても困るな。これは放っていた俺の斥候が手にいれてきた情報だ。こちらとしては信頼してもらうほかない」

「斥候が? どこからだ? 魔王軍の拠点は夢幻界にあり、現在そこに干渉する術は存在しない。だとしたら、その斥候は魔王軍の情報をどこから手に入れた?」


 飄々と返してはみたものの、キャロルは淡々とブラットの論理の穴をついてくる。


 どうやらかなり疑われているようだ。


「そもそもブラットよ……おまえはさきほどきたるその戦で、ダストリアが滅亡すると断言したな? それはなぜだ? 戦力的には現状ダストリアのほうが上だ。戦をして滅びるとすればエルネイドのほうであろう」


 さらに詰められ、ブラットは口ごもる。


 それはダストリアが邪悪な存在と手を結んだとするベルゼブブの流した偽情報から、他国がエルネイドに味方したからなのだが、それをいま告げたところでなぜ知っているのかとさらに疑いが深まるだけだろう。


「……」


 非常にこまった。

 とにかく早く伝えなければという想いがさきだち、細かい言い訳について考えてこなかったのが仇となったようだ。


「……とにかく俺が言いたいのは、このまま放っておけば戦が起こるということ。そしてそれは間違いなく、ダストリアに大きな災禍をもたらすということだ。だからそれを避けるために、きみには協力をしてほしい」


 ブラットはそう伝えるが、キャロルは整った面差しをさらに疑わしげにゆがめる。


「根拠も情報元も提示できぬようでは話にならんな。そして、さきも言ったように戦は起こらぬ。すでに父上が動いており、いまごろエルネイドの王と会談にのぞみ、平和的解決に向けて話しあっているはずだ」

「会談が……いま? まさかペルレス会談がもう行われているのか!?」


 キャロルがぽろりとこぼした些細に思えるその情報は、しかしブラットにとって聞きずてならない重大な情報だった。


 ブラットが身を乗りだすように訊ねると、キャロルは驚いたように身を引く。


「……なぜ会談の開催地がペルレスだと知っている? 機密情報のはずだが?」 

「そんなこといまはどうでもいい……会談は本当にいま行われているのか?」


 ブラットのこれまでにない剣幕に負け、キャロルは渋々といった調子でこたえる。


「もう日も暮れる……行われているどころか、おそらく終わっているだろう」

「なんてことだ……」


 ブラットは二の句がつげない。


 ダストリアとエルネイドのあいだに起こった全面戦争。その皮切りとなる事件が起こったのが、ペルレス会談なのだ。


 このペルレス会談での話しあいは当初順調に進んでいたらしい。しかし和平の成立寸前、ダストリアの皇妃が何者かに暗殺されたとの報が入る。皇帝は激怒し、それがエルネイドの仕業ではないかとの疑念から交渉はあっけなく決裂してしまうのだ。


(……いや、まだ希望を捨てるのは早い)


 首を振り、キャロルに向きなおる。


「きみの母は……皇妃さまはどこにいる?」

「母なら幼い弟を連れ、会談に同行して父とともにペルレスにいるはずだが……?」

「いますぐにそちらの人間に連絡を取ることはできないか? 会談の結果についてもだが、彼らの安全を確認してほしい」

「なぜそのようなことを……」

「頼む、彼らのに関わることなんだ」


 ブラットは真摯な表情で訴える。


 キャロルはいろいろと言いたげにしながらも、家族の命に関わるというところが響いたのだろう。すぐに交信用の魔石を取りだし、どこかと連絡を取りはじめる。


「ジャスパー……聞こえるか?」

『……キャロルさま、どうなさいました?』


 キャロルが呼びかけると、まもなく魔石を通じて若い男の声がこたえた。


「そちらの様子を聞きたい。今日の会談の結果と……あと、母上とカールがいまどうしているかを教えてくれないか?」


 訊ねるとジャスパーと呼ばれた男は『ふむ……少々お待ちください』と一旦声が遠くなったあと、しばしあって――



『……会談につきましては滞りなく終了いたしました。いまだ両国間にわだかまりは残るものの、快方に向かうかと思います。また、母君と弟君につきましても変わりなく、お元気にしておいでです。ご安心くださいませ』



 用向きはそれだけでしょうか? とジャスパーは息つくまもなく逆に訊ねてくる。


「……そうか、ならばいい。用はそれだけだ。そちらのことは頼んだ」

『はっ!』


 交信が途切れると、キャロルはキッとブラットを鋭くにらみつけてくる。


「会談は無事に終わり、母と弟にもなにもなかったようだが? まさかピシュテルの王子ともあろうものが、このわたしをかついだのか? そのために家族の命のことまで持ちだしたとすれば……冗談ではすまんぞ」


 言いながら、喉元に剣を突きつけてくる。

 これまでにない本気の剣幕であった。


 ブラットは慌てて首を振る。


「いや……もちろんそういった意図はない。ダストリアの危機に関する情報が入ったので、伝えておかねばと思ったのだ。どうやら誤情報だったらしいが……」

「入った情報を精査もろくにしないままこのわたしに伝えた、ということか?」

「そう……なるな、すまない」


 言い訳しても快方には進まないと思い、素直に謝罪するブラット。


「ふんっ……姿が変わったのでどうかと思っていたが、中身はやはり依然として愚鈍な黒豚とのうわさのままなようだな」


 キャロルは忌々しげに舌打ちすると、くるりと身をひるがえした。


「不愉快だ。なんの根拠もない情報で我が心をかき乱してきたおまえも、そしてその程度でゆらいだ我が心の弱さもな」

「待てキャロル、まだ話は……!」


 歩きだしたキャロルを慌てて呼びとめるが、キャロルはとまらない。


「話などない。おまえのせいで鍛錬する気もすっかり失せた。剣舞祭で次代の王が決まるらしいが、おまえのようなものが王になったら世も末だ。当日はわたしが叩きのめしてやるから覚悟しておけ」


 すっかり怒らせてしまったらしく、そのまま器具庫を出ていってしまった。



(これは……どういうことだ?)



 ひとりその場に取りのこされ、ブラットはしばしその場で考える。


『ファイナルクエスト』の史実では、ペルレス会談がダストリアとエルネイドの戦の皮切りになったのは間違いない。だがダストリアのジャスパーという男によると、交渉はうまくいったということらしい。


(史実が変わったのならいいが……)


 ブラットの変化によって史実がうまいこと変わり、事前に戦が回避されたということならばよいのだ。だがブラットとダストリアには特にこれといったつながりはないので、さすがにそうとも思えない。


 ブラットはしばしあって、おもむろに“魔物使いの指輪”を起動させた。


「ロード……聞こえるか?」

『はい、またどうなさいましタ?』


 するとまるで待っていたかのような速度で、ロードから応答がある。


「さきはど連絡したばかりですまない。少しばかりダストリアの様子をさぐってほしいのだが、隠密行動の得意なものはいるか?」

『ブラットさマのお役に立てることこそが我々の至上のよろこビ。隠密行動ということならバ、シャドウがおりまスね。ちょうどシャドウナイトに進化したところでありまスし、隠密行動にはまさに最適かト』

「おお、もうシャドウナイトになったか!」


 シャドウというのはスカイマウンテンの100体の魔物のなかでも、ブラットが特別に名を与えた七体の魔物の一体だ。


 名を与えた七体の魔物はいずれも進化すれば『ファイナルクエスト』中で最強クラスの魔物となるであり、特別に取得経験値があがるレアアイテムを持たせていたので、進化はそのおかげかもしれない。


 シャドウナイトはサイクロプスやワーウルフロードよりも一回り劣る種族ではあるが、そこらの魔物を一蹴する力はあろう。


「では今回の件はシャドウに一任しよう。詳細は本人に伝えることとするから、残りのものたちは引きつづき鍛錬に励むように」

『……すべては大魔王さマの御心のままに』


 ロードとの交信が途切れ、息をつく。


(完全にあいつらのなかでは大魔王になっているようだが、まあいいか。それよりもいまはダストリアが心配だ。本当に会談が無事に終わったのならいいのだがな)


 なんとなくそうは思えなかった。


 キャロルの連絡をとったジャスパーという男の声は、どこか嘘をついているもの特有の息づかいをふくんでいる気がしたのだ。


 たとえ戦が始まっていたとしても、即座に国がひとつ滅亡することはあるまいが、できるかぎり早く真実を知っておきたかった。



 そんなこんなで――

 派遣したシャドウによる調査結果が届いたのは、剣舞祭当日のことだった。

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