第22話 黒豚王子は王都に帰還する


 ――“夢幻界”。

 それは人間たちが棲まう人間界と、魔物たちが棲まう魔界のあいだにある世界。妖精界や精霊界にほど近く、時間と空間の概念があいまいな異質な世界であった。


 二つの黒い太陽、そして妖しいオーロラのごとき虹色の空が見下ろすその世界に、魔王軍の現在の拠点“夢幻城”があった。


 そしてブラットが猫人族ケットシーの集落を発つよりも少し前のこと、“夢幻城”では魔王軍の重鎮たちによる会合が行われていた。



「……」



 そこは謁見の間。

 魔石灯の明かりにおぼろげに照らされたその空間には、数十もの多種多様な魔物たちが集っていた。全員が魔王軍において高い地位を持ち、同時に並の人間では太刀打ちできぬ強大な力を持った魔物たちであった。


 そしてそんな魔物たちのなかでも、ひときわ禍々しい魔力をまとうものがいた。


 宙空に浮かんだ豪奢な玉座。

 そこにゆったりと腰かけ、脚を組んでふんぞりかえる人型の魔物だ。


 人間よりも一回り小柄なうえ、人型ということもあって姿形は一見すると貧弱な子供。だが全身を覆う外套からは、ぴりぴりと張りつめるような魔力があふれ、ほかの魔物たちの追随を許さぬ桁外れの威圧感がある。


 なにより顔を覆う

 魔王軍において最高幹部“四魔将”であることを示すその証が、その魔物の圧倒的なまでの強さを如実に現していた。



「ケケケ……まさかサイクロプスが倒されるとはナ。“七英雄”以外にもこれほどの力を持った人間がいようとは興味深い」



 仮面の魔物――現在この魔王軍の最高指揮権を持つ“暴食オーバーイーター”ベルゼブブは、そう嗤いながら謁見の間の中央に目を向けていた。


 そこには巨大な魔水晶が浮かんでおり、迷宮スカイマウンテンにてサイクロプスがたったひとりの人間の手で討伐された無様な光景が映しだされていた。


 ベルゼブブが愉しげな一方で、その光景への魔物たちの反応はさまざまだった。


『豪腕を片手で受けとめたあの腕力……信じられん、いったい何者だ!?』

『……うろたえるな、しょせんは脆弱な人間だ。オラたち兄弟があの場にいれば、またたくまに肉塊に変えていたことだろう』

『いや……あれはそう容易ではなかろウ。まだ力を隠しているとしたら、下手をすれば陛下の喉元にさえ届きうるやモ……』


 謁見の間がまたたくまに騒がしくなり、一体のゴブリンロードがそんなことをのたまったそのときのことだった。


 それまで微笑まじりだったベルゼブブの目が険しく細められ、同時にベルゼブブの外套の下部がもごもごとうごめいた。



「!?」



 直後。ベルゼブブの外套の裾から鞭のような触手がすさまじい速さで飛びだし、ゴブリンロードへと襲いかかった。


 触手はゴブリンロードをまるで蛇のようにぐるぐると搦めとると、軽々と宙へと持ちあげ、そしてきつく絞めあげた。



「……ぐああああああああああッ!!!」



 ゴブリンロードの悲鳴がとどろく。


 触手から抜けでようともがいているが、一見すると貧弱そうなその触手にはベルゼブブの桁外れの力がこめられており、易々と離脱できるはずもなかった。


 これは捕縛されたゴブリンロードの力が弱い、というわけでは決してない。


 ゴブリンロードはゴブリン族最上位の魔物で、『ファイナルクエスト』のレベルに換算すれば30を超える。だがそれ以上にベルゼブブの力が桁外れすぎたのだ。


 触手に絞めあげられて苦しむゴブリンロードの様子を冷えきった目で見つめ、ベルゼブブはケケケと乾いた笑みをもらした。


「……あの人間が誰の喉元に届きうると? 言葉に気をつけろ。たかが巨人ごときを倒しただけの人間と、我らが闇の覇王を同列に並べて語るなど嗤わせてくれるナ」

「も……申し訳ございませン、ベルゼブブさま! どうかお慈悲ヲ!」


 ゴブリンロードが懇願すると、ベルゼブブはしばし思案する仕草をしたのち――



「……よかろう、オレも鬼ではない」



 ふいに、触手の力をゆるめた。


 するとゴブリンロードはようやく満足に空気を吸えるようになって息をととのえ、赦されたのだと安堵の微笑をうかべる。


 だがそれが、彼の最期の微笑となった。



 ――、と。



 刹那。なにかが潰れるような音が響く。


 それはまるで、果実から汁を絞りだそうとしたときのような音だった。


 問題は果実に当たる部分がゴブリンロードの肉体であり、そして絞りだされたのが彼の赤黒い鮮血だったということだ。


 力をゆるめたのもつかの間、ベルゼブブは触手の絞めつけを急激に強め、その圧倒的な力でゴブリンロードを圧殺したのだ。


 派手に飛散した血しぶきが、肉塊と化した魔物の体とともに床を汚した。


「ケケケ……よろこべ。陛下が目を覚ましてらっしゃったなら、貴様のような愚かものは拷問され、永久に生き地獄に堕とされていたところだ。苦痛もなく命を奪ってやった慈悲深いオレに冥界で感謝するんだナ」


 ベルゼブブは蛇のような舌を触手に這わせ、滴る魔物の血液をなめとった。


 それからひとつ息をつき、


「……いちいち大げさなんだナ。サイクロプスなど“四魔将”のなかで最弱……どころか、でしかない。替えのきく駒だナ。その程度の小物が倒されただけで陛下を引きあいに出して愚弄するなど言語道断」


 “七英雄”の手によって大きく力を削がれた魔王は、いま休眠状態にある。


 そしてその魔王を目覚めさせるには膨大な魔力と、鍵となるいくつかのアイテムが必要だ。それらを集めるべく、いま魔王配下の魔物たちは世界各地で暗躍している。


 サイクロプスに“四魔将”を名乗らせ、猫人族に生贄を要求するというこれまでの魔王軍にない目立つアクションを起こさせたのも、そんな計画の一環だったのだ。


 実際はサイクロプスなど魔王軍において“四魔将”のという地位でしかない。倒されても大きな痛手にはなりえないのだ。


「……とはいえ、危険因子の芽を早めにつむべきなのは確かだナ。現時点であやつが我らの障害になるとは思わんが、万一“七英雄”クラスにまで成長すれば厄介だ。侮れば巨人の二の舞になろう。綿密に立ててきた計画を邪魔されてはかなわん」


 ベルゼブブがそう続けると、しかしそこで魔物の一体、エンシェントリッチが恐る恐るといった調子で手をあげる。


 ベルゼブブが一瞥して発言を許可すると、エンシェントリッチは安堵したように息をつき、ゆっくりと口を開く。


「ブラットなる人間の始末には賛同でありまス。しかしながらピシュテルには“魔神殺しデモンスレイヤー”がいル。恐れるわけではございまぬが、中途半端に手を出せばしっぺ返しをくらうのはこちらかと愚考しまス」


 ベルゼブブはふむと鼻を鳴らす。


「確かに“魔神殺しデモンスレイヤー”はなかなかに厄介だ。当初の計画通り、準備が整ってから綿密に対策して確実にしとめるべきであろう。となるとあの王子を始末するには、自然とやつの目をかいくぐる必要が出てくる。そんなことができるものとなると難しいナ、オレ自ら出向くというわけにはいかぬ状況であるし……」


 ベルゼブブならば適任だが、魔王軍全体の指揮をとるために長期間この“夢幻城”を空けるわけにもいかない。じっくりと調理していたデルトラ半島の状況が佳境ということもあり、そんなことをしている暇もない。


 となると、ほかに適任は――



「……どうかオラたちにおまかせください」



 ベルゼブブがまわりを見回すと、即座に一体の魔物が声をあげた。


「ほう、ガルロフ兄弟か」


 進みでてきたのは、同種の二体の魔物。


 ワーウルフの上位種、ワーウルフロードだ。

 血に飢えた獣の頭部を持つ二足歩行の獣人のごとき外見をしており、狡猾に人を騙して喰らうことに非常に長けた魔物である。


「オラたちには人間へと姿を変えられる能力がある。あの王国ではまもなく剣舞祭という祭が大々的に行われることもあり、それに乗じれば人間のひとりやふたり一瞬でしとめられましょうぞ。ぜひおまかせあれ」


 ワーウルフロードの兄弟は自信満々といった表情で言い、不敵な微笑を浮かべた。


 ベルゼブブはしばし考えるように黙りこんだのち、「よかろう」と嗤う。


「ケケケ……さっそくピシュテルへとおもむき、我らに牙を剥いた愚かさをあの人間に身をもって教えてやるがいい」

「ははっ! ありがたき幸せ」


 瞬間。ガルロフ兄弟は不敵な微笑を深め、その圧倒的な脚力で跳躍。

 そのまま謁見の間から飛びだしていった。


 しかしその直後のことだった。



「あんな獣にまかせてよろしいのかしら?」



 謁見の間の出入り口から、そんな声とともにひとりの女が入ってくる。


 優雅にベルゼブブの前へと歩を進めたのは、をかぶった妖艶な女。


 すらりと上背がある細身の体に、マーメイド型の紅のドレスをまとっている。

 露出が多く娼婦のごとき出でだちなのだが、一方で立ち居振るまいにはそうとは思えぬ上品さがあり、どこか貴族を連想させる。


 そしてその肩には二羽の鴉がとまっており、さらにゴシックドレスのかわいらしい少女の人形が一体ちょこんと腰かけていた。


「リオネッタ、戻っていたか」


 ――“人形遣いドールマスター”リオネッタ。

 “四魔将”のひとりであり、現魔王軍においてベルゼブブと対等に言葉を交わせる数少ない存在のひとりであった。


「あのブラットという人間の力量と状況を考えれば、この場ではあれがもっとも適任であろう。おまえが行ってくれるというのなら……話は変わってくるのだがナ」

「行ってもよろしくてよ」


 ベルゼブブが冗談まじりに提案すると、リオネッタはそう即答した。


 意外な返答にベルゼブブは目を見開く。


「……ほう、どういう風の吹きまわしだ?」


 興味深げに訊ねると、リオネッタは飄々とした調子で肩をすくめた。


「元々ピシュテルをまかされたのは、このわたくし。後に弊害となる存在を排除するのも、わたくしの仕事だと思うのだけれど?」

「ケケケ……確かにおまえの仕事ではあるがナ、おまえはおまえの仕事を素直にこなすほどに勤勉な女ではなかったろう?」


 リオネッタは実力は確かではあるが、いささか性格に難がある。ふだんこういった面倒ごとにわざわざ名乗りでる女ではない。


「失礼ね、わたくしはこれでも魔将では三番目に真面目なつもりですわよ?」

「そりゃ四人しかいないうえに、残るひとりがすさまじい偏屈だからナ」


 ベルゼブブが肩をすくめると、リオネッタは「あら」と口元を手で覆う。


「だが行ってくれるというのならば拒む理由はないナ。考えがあるのだろう?」

「ええ、ピシュテルにを見つけたの」


 ね、アリエッタ? と声をかけると、肩のうえの人形がまるで生きているかのような自然な動きでこくりとうなずいた。


「なるほどナ、行ってもいいと言いだしたのはそのためか。現金なやつめ」


 ベルゼブブが理解したと愉しげな微笑を浮かべると、リオネッタは肯定とも否定ともとれない調子で曖昧に鼻を鳴らした。


「ケケケ……よかろう、勝手にするがいい」

「……言われずとも」


 リオネッタは妖艶な微笑で即答する。


 直後。肩にとまっていた鴉がまるでスライムのようにぐにゃりとつぶれ、漆黒の液体のようになってリオネッタの全身を覆った。


 そしてそれが消えたときには、すでに彼女の姿は謁見の間にはなかった。




 *




(お、もうすっかり剣舞祭仕様だな〜!)


 はるか上空からおよそ一月ぶりの王都を見下ろし、ブラットは感嘆の声をあげた。


 猫人族の集落を発って丸一日、ついにピシュテル王国へと到着したところだった。


 旅立つ前は石造りの落ちついた色合いを見せていた王都フォールフラットだが、剣舞祭が近いこともあって街のいたるところに鮮やかな装飾がほどこされ、テーマパークのような虹色の街へと変貌を遂げている。


 特に街中にぷかぷかと浮かぶ色とりどりの魔法の球体“マジックボール”は、近年の魔導力技術の進歩を如実に表わしているようで見ているだけでわくわくしてくる。


 魔法都市エンディミオンの最高指導者マーリンを初めとする魔法学者の尽力により、魔導力技術は日々格段に進歩している。そして日常に必要なインフラとしてだけでなく、ついには娯楽としても利用されはじめているのだ。


 そういった細かな部分にしっかりとしたロジックが垣間見えるたび、この世界は『ファイナルクエスト』と酷似しているが、やはり現実なのだと再認識させられる。


 そんなことを考えながら、ブラットはいつもよりも人通りの多い王都をぼんやりと見下ろしつつ王城の竜舎へと向かう。


 しかし、ギルガルドに高度を下げるように命じたそのときだった。



 ――



 耳をつんざく悲鳴が聞こえた。


 竜の翼の風切り音のなかで耳に届いたのだから、そう遠くはないだろう。



(……貴族街のほうだな)



 声の方角から即座にそう判断する。


 ブラットは予定を急遽変更し、愛竜に貴族街に向かうように命じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る