第23話 黒豚王子は刺客を一蹴する
(なにが……あったんだ?)
はるか上空から貴族街を見おろし、ブラットは目を細める。
貴族街は瀟洒な建物が立ちならび、道路も他区域よりもきれいに舗装されている。貧民街にまで石畳の敷かれた王都フォールフラットでも、特に美しいエリアだ。
しかしそんな街並みの一角がいま、半壊となっていた。まるで戦があったかのように、十数軒もの建物の壁がえぐれ、屋根が崩れおち、瓦礫を撒きちらしている。
そして広場のあたりに、その状況の原因であろう巨大な魔物の姿を発見する。
「――“イーグルアイ”」
視力強化の呪文を使用し、目を凝らす。
すると広場の様子が双眼鏡を使っているかのように拡大されて視界に広がる。
(あれは……ワーウルフロード!?)
そして広場の魔物の姿をあらためて確認し、ブラットは目を見開いた。
――ワーウルフロード。
二足歩行で狼の頭部を持つ獣人型の魔物、ワーウルフの上位種である。ふだんの姿形は狼男といった外見のワーウルフとほぼ同じで、身体が一回り大きいぐらいだ。しかし戦闘時には成竜ほどにまで巨大化し、ワーウルフと比較にならぬ桁外れの力を発揮する。ワーウルフのボス格である。
眼前のワーウルフは実際、立ちならぶ建物と同じぐらいの大きさにまで巨大化している。ロードでまず間違いなかろう。
ちなみに『ファイナルクエスト』作中においてはメインストーリーにこそ関わらないものの、レアアイテム獲得のためのサブストーリーに中ボスとして登場する。物語中盤のサブストーリーということもあり、レベルは確か25は超えていたはず。そのへんに出現する竜よりもよっぽど危険な存在だ。
(いったいなぜこんなところに……?)
そんな魔物が王都で暴れているなんて、通常では考えられぬことだった。先日のサイクロプスが王都で暴れているようなものだ。
しかしいまは考えている場合ではない。
広場には多くの民や騎士がいて、いまも危険に晒されている。そしてワーウルフロードは広場のすみに皆を追いつめ、いつ襲いかかってもおかしくない状況だった。
(……え、あれってロジエじゃ!?)
しかし追いつめられている民の顔がふと視界に入り、ブラットは目を見開く。
民のなかに――というより先頭に、ブラットの専属侍女ロジエの姿があったのだ。
ロジエは毅然とした表情でワーウルフロードの前に立ちはだかっていた。
なぜ逃げぬのかと思ったが、よく見るとその背後には豪奢な馬車が横倒しになっており、馬車に乗っていたであろう人々が身を寄せあって怯えていた。そこにはドレス姿の令嬢方やロジエの友人の侍女――確かリイナという名のハーフエルフ――の姿もある。彼女たちをかばっているようだ。
「……バカが」
状況を理解してからのブラットの動きは、すさまじく迅速だった。
立ちあがって抜剣する。
そして――跳んだ。
そこは王都のはるか上空。
落ちたらまず助からない高さだというのに、一切の躊躇なく愛竜ギルガルドの背から飛びおりたのだ。ギルガルドの体を蹴るようにして飛んだこともあり、まるで流星のような勢いで広場へと急降下する。
「――“レビテーション”」
そして広場が視界のなかで大きくなってきたところで浮遊呪文を発動。
高度100メートル、90メートル、80メートル……地上が近づくにつれ、落下の勢いをじわじわとゆるめてコントロールする。
そしてワーウルフロードがいざロジエたちへと襲いかかろうとしたそのとき、ブラットはついに地上へと到達し――
「――――」
剣を横薙ぎに一閃。
ワーウルフロードの頭部が鮮血のしぶきとともに跳ねあがり、宙を舞う。
それとほぼ同時に――ズンッ! とブラットは広場の石畳に着地。その勢いで地面がえぐれ、瓦礫と土煙がわずかに舞いあがる。だが落下してきた勢いを考えれば、浮遊呪文のおかげで驚くほど静かな着地だった。
そしてブラットが剣に付着した血を払った瞬間、ワーウルフロードの頭部が地に転がり、それと共に残った胴体も崩れおちた。
広場が水を打ったように静まりかえる。
あまりに一瞬のできごとだったので、みな状況をのみこめないのだろう。
『信じられない……あの魔物を一撃で!?』
しばしあってようやく騎士のひとりが、驚愕のうめきをもらした。
その騎士の言葉を皮切りに、ざわめきが広場にさざなみのように広がる。
『我らではまったく歯が立たなかったというのに……いったいなにものだ!?』
『バカもの、仕える王子殿下の顔を忘れたか……! ブラットさまだろうが!』
『え、あれがブラットさまだと!?』
どうやらブラットの姿が変わりすぎて、ブラットとわからぬものが多数のようだ。しかし以前に痩せかけのブラットを目にしていたものも多く、特徴的な銀髪に褐色の肌のおかげもあって皆すぐに納得する。
ブラットの変貌ぶりとその強さに場がどよめくなか、騎士隊長は冷静にワーウルフロードの死を確認し、ケガ人たちを運ぶように騎士たちに指示を飛ばす。
騎士たちはその指示で冷静さを取りもどし、ケガを負った令嬢方やリイナ、騎士たちを順に広場から運んでいく。
「ブラット……さま、デス?」
そんなとき、ふいに声をかけられる。
振りかえると、ロジエの姿があった。
魔物と対面していた緊張感がまだ残っているのか、どこか怯えた様子だ。
「ああ、もう大丈夫だ。よくがんばった」
ブラットは安心させようと微笑みかけ、ポンとロジエの頭に手をおく。
途端。それがたまりにたまっていた感情の起爆装置になってしまったらしく、ロジエはその愛らしい顔をくしゃっとゆがめた。
そして激情をこらえるように首を振り――
「うわあああああん、ブラットさまあああああああああああ! 怖かったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
号泣しながら、胸に飛びこんできた。
よっぽど怖かったのだろう。
体中の水分をすべて出してしまうのではないかというほどに涙をぽろぽろとこぼし、ブラットに強く強くしがみついてくる。
ブラットはしかたないやつだなと思いながらも、よしよしと頭をなでてやる。
そんな感動的なシーンだったのだが、
(……うわ、鼻水やべえ)
ロジエは涙と同じぐらいに鼻水もだらだらと流しており、その顔で胸に顔をうずめてくるものだから、鼻水で服が悲惨なほどにぐちょぐちょになっていた。
糸まで引いていたので正直すぐにでもこの鼻垂れ娘を引きはがしたかったが、事情が事情だ。今回だけは見逃してやることにした。
「?」
ふと、背後から視線を感じる。
目を向けると離れた脇道の陰から、こちらをのぞいている妙な人影を見つけた。
(あれは……?)
すでに視力強化の呪文の効果は切れており、顔は見えなかった。
そして視線に気づいたのか、人影はすぐに陰に引っこんでしまう。同時に人影のまとうマントが大きく風にたなびいた。
(灰色の……マント)
そのマントが見えたきり、人影がふたたび顔をのぞかせることはなかった。
人影のいたその場所をしばし注意深く見つめながら、ブラットは目を細めた。
*
「……それで、なにがあったんだ?」
ロジエがちゃんと落ちついたのを見計らって、ブラットは事の経緯を訊ねた。
ところ変わって王宮のブラットの私室。
ブラットとロジエの二人は、ソファーで向かいあって腰かけていた。
広場は混乱していたうえ、残っても面倒なことになりそうだったので、ロジエをつれてさっさと王宮へと戻ってきたのだ。
「わたしも……正直よくわからないデス。リイナと買いだしを頼まれて広場を通りがかったら急にあの魔物が現れて、建物を手当たり次第に壊しはじめたデス。街は大混乱になってわたしも逃げようと思ったデスけど、通りがかった馬車が魔物に転倒させられて、それに手をお貸ししていたら……」
「一緒に逃げ遅れたというわけか」
ブラットがため息まじりに言うと、ロジエはバツが悪そうにうなずいた。
「……おまえの命はおまえのものであると同時に、主人の俺のものでもあるんだ。できるかぎり危険な真似はしてほしくないな」
「申し訳……ございませんデス」
ブラットが厳しい口調で言うと、ロジエはしゅんとうつむいてしまう。
だがブラットは「誰が謝れと言ったんだ?」とくすりと微笑まじりに言い、ロジエの頭をわしゃわしゃと撫でまわす。
「え、だって危険な真似をしたから……」
「できるかぎり……と言ったはずだ。窮地の人に手を貸すのは、淑女として当然の行い。自身を危険に晒してまでも、おまえは人を救おうとした。それはとても勇敢で、称賛されるべきことだ。誰にだってできることじゃない。俺はおまえの主人であることが誇らしいよ。ロジエ、よくやった」
ブラットがそう微笑みかけると、ロジエは驚いたようにきょとんと目を見開き、やがて感情をこらえるように唇を噛みしめた。
結局最後には涙ぐみはじめるロジエを見て、ブラットはくつくつと笑う。
「おいおい、さっき散々泣いたろ?」
「ブラットさまが悪いデスよ……すぐ泣かせるようなことをおっしゃるから。わたしめもブラットさまの侍女であることが心から誇らしいデス……このロジエ、これからも全身全霊をかけて貴方さまにお仕えするデス!」
ロジエはごしごしと目元をぬぐい、決意するようにぐっと握り拳をつくった。
大げさだな、とブラットは肩をすくめる。
「それにしても……ワーウルフロードがなぜ王都に出現したのだろう? あんなものそううろついている魔物ではないのだが。もしもあれほどの魔物が度々出現していたら、人間なんてまたたくまに絶滅だぞ」
「確かにそうデスね……騎士だけじゃなくて、アルベルトさまですら歯が立たなかったデスから。とんでもない強さだったデス」
ロジエは当時の恐怖を思いだしたかのように、ぶるっと身を震わせた。
「え、アルベルトがあそこにいたのか?」
「はい、騎士と駆けつけてくださったデス。ブラットさまが来るまえに倒されてしまったデスが、治療されていたので命に別状はないと思うデス。ただ、ブラットさまが倒したと知ったら、悔しがるかもしれないデスね」
ロジエは悪戯めいた笑みを浮かべる。
一方でブラットのほうは、弟が無事とわかってほっと胸をなでおろしていた。
『ファイナルクエスト』作中でアルベルトは勇者パーティーの一員だ。万一があってはこまる。それに仲こそよくなかったが、血をわけた弟。これから仲を深めようと思っていたので、何事もなくてよかった。
「……」
しかしアルベルトが倒されたとなると、やはりあの魔物はワーウルフロードに間違いないだろう。そうなると、やつが王都に侵入した方法自体は見当がつく。
ワーウルフは人間に姿を変え、社会に溶けこんで狡猾に人間をねらう魔物だ。人間に姿を変えて侵入したということだろう。低位のワーウルフならば検問で見破られるだろうが、ロードともなると高度な変身能力を有していて看破は困難だからだ。
(だが……妙だな)
ワーウルフは知能が高く、あのように街中で派手に暴れるような真似はしない。
上位種のロードとなると、なおさらだ。
どうもきな臭い匂いがぷんぷんしてきた。
「……ワーウルフロードはどんな様子だった? なにか話しかけてきたか?」
「いえ……なにも。血に飢えた獣って感じだったデス。ものすごく血走った目で手当たりしだいに人に襲いかかって暴れてたデス」
ブラットは目を細める。
ライカンスロープという近似種の魔物ならば、満月を見ると理性を失うという習性がある。しかしワーウルフは別だ。そういった方法で理性を失うことはない。まあそもそも昼前なので月すら出ていないが。
「ほかになにかワーウルフロードや街について気になることはなかったか?」
「う~ん……必死だったので特には」
お役に立てず申し訳ございません、とロジエはすまなそうに頭を下げてくる。
何者かにワーウルフロードは操られていたのではないかと思ったが、これでは情報が少なすぎる。怪しいものと言えば、さきほどの灰色のマントの人影が思いつくが、顔も見えなかったので手がかりはないも同然だ。
(灰色のマント……)
この世界では、マントで人間の出身国を見分ける慣習がある。特に決まりがあるわけではないが、人々は自身の国の模様や色のマントを身につけることが多いからだ。
あの灰色のマントは、おそらく“灰色の帝国”ダストリアのもので間違いなかろう。
そして『ファイナルクエスト』の主要登場人物のなかで、ダストリアの人間と言われて浮かぶのはひとりだけだった。なぜならダストリアは本編開始時にはすでに存在せず、魔王軍の謀略で国ごと滅ぼされていたからだ。
(いやしかし……この世界ではまだダストリアは滅びていないはず)
ダストリアの人間は大勢いるのだ。
おそらく、あの人影もほかの人間だろう。そもそもあいつがこんな異国のこんな街なかを闊歩しているわけがない。
なんにしろ父や国の重鎮にできるかぎり情報は伝えておくべきだろう。
そんなことを考えていると、ロジエが「それはともかく」と言葉をつぐ。
「あらためまして……ブラットさまおかえりなさいデス! 心配しておりましたが、無事に帰ってこられてよかったデス! 一月会わないあいだにまた凛々しくなられて……! というか、アルベルトさまでさえ歯が立たなかった魔物を一瞬で倒してしまうなんて……! さすがブラットさまデス……!」
「まあ……血のにじむ修行をしたからな」
目を輝かせるロジエに罪悪感を覚えつつ、ブラットは頭をかいてごまかす。
実際はオリハルコンスネークを求めてひたすらダンジョンをさまよい、見つけ次第討伐するという単純作業をくりかえしただけだが、リスクをおかしてのレベリングだったのは間違いない。嘘ではなかろう。
「すごいデスすごいデス……これで剣舞祭も大活躍で優勝間違いなしデスね!」
言われて、ブラットはハッとする。
「そうだ、選手登録はどうなっている!?」
「締めきってるデスよ? もうあと一週間で予選だから当たり前じゃないデスか」
な……!? とブラットは絶句する。
剣舞祭に参加できないとなるとこれまでのがんばりはなんだったのか、とレベリングの日々が走馬灯のように頭を駆けめぐる。
しかしブラットが間抜け顔であんぐりと口を開けていると、ロジエが鼻を鳴らす。
「ご安心くださいデス。このわたしめがこんなこともあろうと、手を回してブラットさまの選手登録を完了させておきましたから」
「ほ……本当か!?」
ブラットが慌てて訊きかえすと、ロジエはこくりとうなずいた。
えっへんと誇らしげである。
「でかした……でかしたぞ、ロジエ! 出場できないんじゃなにも意味ないからな……! さすがだ……できる侍女は違うな!」
「そんな褒めてもなにも出ないデスよ~♡」
ロジエは真っ赤な顔でくねくねと身をよじり、まんざらでもないご様子だった。
この侍女のこういうちょろいところはやはりかわいらしい。そして仕事もできるのだからさすが俺が選んだ侍女だ、とブラットは自画自賛まじりに満足気にうなずく。
まあ選んだ基準は、顔がかわいくて好みだったというのと、従順そうなところが気にいったというしょうもない理由だったが。
「でもでも……もっと褒めてくれてもいいデスよ~♡ あと、ご褒美に頭なでなでしたり……なんならまたぎゅっと抱きしめても! あわよくば壁ドンして……“ロジエ、実は俺はおまえのことが……”なんて口説いちゃっても! あ、でもそれはやっぱりダメデス! わたしは下級貴族の侍女で、ブラットさまは一国の王子さま……マリーさまという婚約者さまもいらっしゃいますし……それは許されざる恋なのデス♡ キャッ、わたしったらなに言ってるんだろ♡」
「……」
なにかロジエがひとりで勝手に盛りあがりはじめたが、ブラットはいつものことだと気にもとめずにグッと背筋を伸ばした。
「よし、選手登録ができてるなら安心して明日からも修行できるな!」
ロジエはハッと我にかえった様子で、
「な、なに言ってるデスか!? 明日からはちゃんと学院に行くデスよ! 今日まで散々修行してきたデスから……剣舞祭までの期間は休むデス。身体を休めておかないと、当日に力が発揮できないデスからね!」
「わかってるわかってるって」
言われずとも授業には出るつもりだった。
出ておかないと後々めんどうなことになるかもしれない。人付き合いが苦手なうえにこれまでの振るまいもあって学院は憂鬱だが、これも身から出た錆。自分が前世の記憶を取りもどす前のこととはいえ、尻ぬぐいは自分でせねばなるまい。
「でもいまのブラットさまを見たら、きっと皆さまびっくりデスよ! あんな魔物を一撃で倒しちゃうぐらい強くて、おまけにこんな絶世の美少年になってるんデスから……令嬢方がきっと放っておかないデスね!」
ちょっと痩せたぐらいで大げさだな、とブラットはやれやれと肩をすくめる。
確かにこの一月の修業ですっかり痩せ、理想体型にはなった。しかしこれまでのブラットの学院での振るまい、そして自分が生徒たちにどう扱われてきたかを考えると、それぐらいのことでなにか変わるとは思えない。ロジエは主人補正でよく見えているのかもしれないが、もっと客観的に見るべきだろう。
そう思っていたのだが――
ブラットは翌日実際に学院へと行き、そして自分を客観的に見られていなかったのはロジエでなく自分のほうだったことをまざまざと思い知ることになるのだった。
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