第24話 黒豚王子は久々に登校する
ブラット・フォン・ピシュテル。
『ファイナルクエスト』作中では“四魔将”の手により闇堕ちし、父であるピシュテル国王を殺害。その後に王位について暴政のかぎりを尽くし、国民を魔王の生贄に捧げようとする悪役キャラクターである。
そしてこれは本人に転生してわかったことだが、そんな悪役としての兆候――性格のゆがみは本編開始のはるか前から見られた。
おもな原因は、いじめだ。
ブラットは常に優秀な弟アルベルトと比較された。そして能力や容姿が弟に劣っていたため、周囲から軽んじられて陰口を叩かれてきた。そんな周囲からの蔑みはいつしか、ブラットへの面と向かった暴言や暴力といったいじめ行為へと発展したのだ。
父や貴族の大多数がアルベルトに肩入れし、ブラットを無視していたというのも大きいだろう。ブラットが虐げられているのを知りながらも、それを助けようとするものが王宮にも学院にもいなかったのだ。
結果、周囲からの庇護がなかったブラットは自己防衛のため、性格のゆがんだ人間へと変わらざるをえなかった。
そして生まれたのが、前世の記憶を取りもどす前の高慢ちきなブラット。
他人にはいつも高圧的に振るまい、自身に牙を剥いたものには裏で手をまわして狡猾に復讐する“黒豚王子”なのだった。
とはいえ、あくまでも復讐は復讐だ。
害したのはブラットを虐げて危害をくわえてきたものだけで、それ以外のものには基本的には手は出さなかった。ブラットの被害を受けたものは総じて因果応報だったのだ。そう考えると『ファイナルクエスト』本編開始前のブラットは悪役キャラクターというほどではなかったとも言える。
しかし一部の人間に対してブラットがやりすぎていたのは否めない。特に賄賂を送って宮廷仕えの貴族を左遷させたり、学院生の評価を改ざんして落第させたりしたのはさすがにやりすぎだったと思う。
それについては、ブラットは前世の記憶を取りもどしてからロジエや信頼できる使用人の協力を得て、自身がやりすぎたと判断したものに相応の補填を行っている。
最低限の清算は済ませたのだ。
とはいえ、それで周囲に根づく悪いイメージが払拭しきれるわけでもない。王宮の身近なものはともかく、それ以外の使用人や学院の生徒のあいだではブラットはいまだに面倒くさい陰湿デブス王子との評価だろう。
だからこそ、ブラットはそのイメージの払拭にてんやわんやするのが嫌で学院へと足を運ぶのが億劫だったわけだが――
(めちゃくちゃ……視線を感じる)
ワーウルフロードを撃退した翌朝。
満を持して学院へとやってきたブラットを待っていたのは、想像していたのとは異なる生徒たちからの反応であった。
王立ウィンデスタール魔法学院の中庭。
そこではいつものように送迎馬車が無数にとまり、侍従や侍女によって学院に通う貴族子女たちのお見送りが行われていた。
馬車は貴族同士のマウントに使われるステータス――前世で言うと腕時計や車のようなもの――のため、贅を凝らしたものが多い。
そして貴族の子女たちはそんな豪勢な馬車から次々と降り、談笑しながら美しい並木道を通って校舎へと入っていく。ざわめきはそんな中庭の一角で起こっていた。
『あの麗しい殿方はどなた……!?』
『なんとお美しい方かしら……あのような方を見たのはアルベルトさま以来ですわ』
『乗ってらっしゃる馬車の造形もお見事ですし、高貴な御方かしら……?』
そんなざわめきの中心にいるのは、もちろんブラットその人だった。
馬車を降りたとたんのことだ。
ひそひそとこちらを見てささやく声が聞こえたかと思うと、そのざわめきが一気に広がって気づけば注目されてしまっていたのだ。
理由はなんとなくわかる。
貴族社会では貴族同士のつながりが王宮での地位に直結する。そしてそのつながりの構築のために、誰がどれほどの地位や権力を持つかを把握することは必須事項。だから貴族たちは王国中の貴族の顔と名を把握しているし、その子女も同様に学院内の生徒の顔と名ぐらいは把握しているのがふつうだった。
そういう貴族社会特有の背景があるなか、見覚えのないブラットがひときわ目立つ豪奢な馬車から出てきたのだ。小さな騒ぎになってしまうのもうなずける。
(というか……いくら変わったと言っても、さすがに俺とわかると思ったんだがな)
そもそも自分とバレていないのが驚きだ。
確かにブラットの外見は変わった。
だが昨日の騎士たちはともかく、生徒たちとは頻繁に顔を合わせていたのだ。さすがに誰か気づくと思ったのだが、誰ひとり気づいたものはいないようで――
『あれって……黒豚じゃないか?』
だがふいに、そんな声が耳に届く。
さすがに少しは勘づくものもいたようだ。
『え、あれが黒豚だって……!?』
『ほら、うわさがあったろう? 黒豚が学院を休んでいるあいだに王宮でグラッセ殿に弟子入りし、別人のように変わったとか』
『わたくしも宮廷仕えの知人に聞きましたわ。ブラットさまは改心して貧民や平民のための事業に私財を投じ、“身を切る改革”を始めなさったと。物腰もやわらかくなり、見違えるほどにお痩せになったとも……』
『昨日街に出現した恐ろしい魔物を倒したのも、ブラットさまだという話がありますわね。騎士やアルベルトさまが歯が立たずに瀕死になったところに現れ、なんと一撃で斬りふせてしまったとか……』
貴族社会は情報が命。
噂という形ではあるが、すでに昨日のことふくめてこれまでのブラットの動向についての情報はかなり出回っているようだ。
貴族の情報収集能力もバカにできないなとブラットがつい感心していると、
「いやいや……ありえねえッスよ」
続いてそんな嘲笑まじりの声が耳に届く。
「ぜんぶ根も葉もないうわさッス。あの黒豚がこんなイケメンになり、ましてや強大な魔物を一撃で倒すなんてありえねえにもほどがある。あの黒豚のことだ。どうせこのディノ・シュヴァルツァーさまに授業で焼き豚にされたのが恐ろしくて半ベソで引きこもってるだけッスよ。人違い人違い」
その粗暴な口調と名に思いあたって目をやると、巨漢の男子生徒がそこにいた。
――ディノ・シュヴァルツァー。
この王立ウィンデスタール魔法学院の実習授業のさなか、ブラットを火球で吹きとばし、前世の記憶を取りもどすきっかけとなったブラットの同級生だった。
ディノは伯爵家次男かつアルベルトの側近であり、その陰に隠れて過激ないじめをブラットに行っていた男だ。そもそもペアを組もうと言ったのもディノだったので、火球を当ててきたのもおそらくわざとだろう。
(いまさら復讐するつもりはないが……さすがに仲良くなるのは厳しい気がする。でもまあ……一応話ぐらいはしてみるか)
ブラットがゆっくりと近づいていくと、ディノはいぶかしげにこちらを見る。
「ディノ、二ヶ月ぶりになるか。あの実習授業のときは世話になったな」
ブラットが微笑とともに声をかけると、ディノはなにか考えるように目を細める。それから、舐めるようにブラットを見てきた。
そしてやがて勘づいたように目を見開く。
「まさか……本当に黒豚ッスか!?」
「そんなにおどろくことでもないだろ? ただ少し体を鍛えて痩せただけだぞ?」
ブラットは愉しげに肩をすくめた。
「いやいやいや……少し痩せただけなんてレベルじゃねえッスよ!? どうがんばってもあの愚劣で愚鈍でどうしようもなく醜い黒豚と同一人物とは思えねえだろ!?」
ひどい言われようである。
まあこれぐらいは言われ慣れているし、実際それぐらいに姿は客観的に変わっているようなので別になんてことはないが――
「むっきいいいいいいいッ! ブラットさまに失礼な!!!」
しかしブラット本人がよかったとしても、となりのブラット狂信者と化している侍女ロジエは、我慢ならなかったようだ。
憤懣やるかたないといった様子で興奮し、ディノに詰めよっていく。
「な……なにを!?」
ロジエの剣幕におののくディノ。
しかしロジエは勢いをゆるめることなくびしっとブラットを指さすと――
「この方は正真正銘……ピシュテル王国第一王子ブラット・フォン・ピシュテルさまであらせられます! この馬車と肩に輝く王家の紋章が目に入らないデスか!!!」
控えおろう!!! と声高に叫んだ。
本人は主がバカにされて真剣に怒ってくれているのだろうが、時代劇にありそうな言い回しで聞いているこちらが恥ずかしい。
しかも無駄に大声だったこともあり、さらに注目を集めてしまっているのが最悪だ。ありがた迷惑とはまさにこのことである。
「ロジエ……落ちつけ」
ブラットは慌ててロジエの腕を引き、彼女を抱えこむように口をふさぐ。
「キャッ……♡ ブラットさま、このような衆目の場で大胆すぎるデスッ♡」
「……いいからおまえは黙っておけ」
ブラットが「面倒なことになるだろ」と耳元でささやくと、ロジエはあふんっ♡と妙な声を出し、恍惚とした表情でうなずいた。
さすがのブラットも引く反応だったが、静かになったのならいいかと一息つく。
「申し訳ない、我が侍女が失礼した」
それからディノに向きなおり、謝罪の言葉を口にする。ディノはうらめしげにこちらをねめつけながらも、ふむとうなる。
「確かにこの侍女は黒豚……いや、殿下の専属侍女ッスね。あまりに姿が変わりすぎていて、本当に殿下だとは思いませんでしたよ」
「わかってもらえてなによりだ」
あきらかにわざと“黒豚”の部分を強調して煽ってきていたが、ブラットは特に気にすることなく余裕の微笑で返してみせる。
そんな態度が気に食わなかったのか、ディノは激しく舌打ちした。
「だが……主人が主人なら、侍女も侍女ッスね。まさかこのおれに声を荒らげてつかみかかろうとするとは……粗暴にもほどがある。ろくでもない主人にはろくでもない侍女がつくということッスかねえ」
嘲笑するように言われ、ブラットはその瞬間に厳しく目を細める。
「……なんスかその目は、事実でしょう?」
「俺に暴言を吐くのはかまわない。しかし俺の侍女への暴言は許さない。ロジエは詰めよりはしたが、一切手は出していない。無礼を働いたのは事実だが、脚色して彼女を貶めるのはやめていただこう」
淡々と言葉をつぐが、ディノは不敵な笑みをくずさない。
「ほう……嫌だと言ったら?」
すぐに挑発するように訊ねてくる。
だがその瞬間――
「――――」
ブラットは全身から魔力をあふれさせた。
魔力は信じられない速度で急激にふくれあがり、やがてその圧倒的な殺気と魔圧に押されたように、ディノはヒイッと間抜けな声をあげて尻もちをついた。
「嫌とは、言わせない」
ブラットはディノを氷のように冷めた目で見下ろし、淡々と言った。
まわりの生徒たちはブラットの桁外れの魔力に瞠目し、ロジエは「キャ〜♡ ブラットさまかっこいい〜♡」と黄色い声をあげた。
(……ふふふ。気合いだけで相手をびびらせるこれ、やってみたかったんだよな)
もっとも――当のブラットはというと内心で目当ての中二病シーンが再現できたことに、ただただご満悦状態だったのだが。
ディノはしばし口をあんぐりと開けてブラットを見あげ、だがブラットに無様に尻もちをつかされた自分をクスクスと笑う野次馬の声に気づいて我にかえる。
「き、貴様……黒豚ごときが恥をかかせやがって! ゆ、ゆるせねえッス!」
ディノは頭に血がのぼりきってしまったらしく、躊躇なく抜剣する。
しかしその刀身が完全にあらわになる前に、ブラットは一瞬でディノのふところに入りこみ、その手から剣を蹴りあげた。
「!?」
剣は鞘ごとくるくると空高く舞いあがる。
「……学院内での抜剣はご法度だろう?」
ブラットがそう言いはなった刹那、舞いあがった剣が野次馬のほうに飛んでいったらしく、そこにいた令嬢が悲鳴をあげた。
だがその剣が令嬢へと届く前に、ブラットは一瞬で令嬢の眼前へと移動し、空中で旋回する剣を華麗にキャッチした。
そして腰を抜かす令嬢を安心させるように微笑みかけ、手を差しのべる。
「万一このような美しいご令嬢がケガをしたら一大事、規則は守ってほしいものだ」
「あ……ありがとうございます♡」
令嬢はブラットの手をとって立ちあがると、まるで魔法で魅入られてしまったかのようにブラットを見つめ、やがて熟れたりんごのようにポッと頬をそめた。
『速すぎる!? いまの誰か見えたか!?』
『ほう……おそろしく速い動き、こりゃ俺でなきゃ見逃してたろうな……』
『いやいや……おまえさっきまで明後日のほう見てたろ。嘘つくなよ』
『え、いまのイケメンすぎない……♡』
ブラットの信じられぬ身のこなしに生徒たちが驚愕するなか、
(あっぶねえ……)
当の本人は内心で冷や汗をかいていた。
ものすごくかっこをつけたにもかかわらず、自分が蹴りあげた剣で令嬢がケガさせてしまっていたらダサいにもほどがある。
「な、舐めおって……!」
しばしあってディノに剣を放りかえすと、ディノは額に青筋を浮かべた。
ふたたび恥をかかされて爆発寸前――どころか、もはや絶賛爆発中といった様子だ。ブラットにやりかえしたくてたまらないようで周囲になにかないかと視線をめぐらせている。まったく困った男だ。
しかしディノがさらに次の行動を起こすかと思った、そのときだった。
「――ディノ、そこまでだ」
横合いから声がかけられる。
振りむくとそこには、美貌の少年。
ブラットの褐色の肌とは対照的な白皙の肌を持った彼は、ブラットの弟でありこの国の第二王子、アルベルト・フォン・ピシュテルその人に違いなかった。
キャッキャッという女子生徒の黄色い声と、男子生徒のひそやかなざわめきをかきわけるように、こちらへと歩いてくる。
「しかしアルベルトさま……こいつが!」
「やめろと言っている。側近の恥はおれの恥だ。これ以上おれに恥をかかせるな」
不服そうなディノだが、アルベルトに有無を言わさぬ調子で言われ、悔しげに歯噛みしながらも「……はい」とうなだれた。
「兄上、うちの側近が迷惑をかけた」
アルベルトがすぐに頭をさげてくるが、ブラットは慌てて顔をあげさせる。
「いや、うちの侍女も無礼を働いたのは事実だからな。それよりもおまえも無事でよかった。昨日は広場でケガを負ったと聞いたぞ」
「それは……兄上が討ちとった魔物に敗北したおれへの当てつけか?」
目つきを鋭くするアルベルトに、ブラットは首を振ってクスリと笑う。
「いーや、単純におまえのことが心配だっただけだ。ワーウルフロードは危険な魔物だからな。それで本当にケガはないんだな? ほれほれ、この兄に見せてみろ?」
言いながらアルベルトの全身を上から下まで、まるで身体検査でもしているかのように両手でくまなくチェックする。
「な……ないからいちいち触らないでくれ、べたべたうっとうしい!」
「別にいいだろ、幼少期は裸でともに水遊びしてはしゃいだ仲じゃないか」
いつの話だ! とアルベルトは取りみだした様子で声を荒らげる。
「いまさらなんだというんだ……ずっとおれを無視してきたくせに。そうやって近づいて油断させて寝首をかくつもりなのだろう。その手には乗らない。油断はしないし、剣舞祭では今度こそおれが勝つ。そして王位をねらいはじめたようだが、そちらも譲るつもりはない。肝に命じておいてくれ」
「……ん、王位?」
なにか勘違いされている気がする。
ブラットは慌てて訂正しようと呼びとめるが、アルベルトは「ディノ、行くぞ!」と声をかけて歩きだしていた。
そしてそのまま立ちどまることなく、さっさとその場を立ちさってしまう。
(ま……顔を合わす機会も多いだろうし、誤解を解くのはそのときでいいか)
ブラットはやれやれと肩をすくめる。
そんなこんなで――
朝から濃い時間を過ごすブラットだが、まだ授業が始まってすらいないことに気づいて辟易しながら校舎に向かうのだった。
――ブラットは知らない。
『……兄弟で王位継承争い勃発か』
『アルベルトさま当確と言われていましたが、こうなるともうわかりませんわね』
『だな。さきほど見せた圧倒的な強さ、そして以前から流れている“身を切る改革”などのうわさが真実だとすると……これはもしかするともしかするだろうな』
『剣舞祭の結果も関わってきそうだし、これは目が放せないぞ……!』
ブラットとアルベルトとのやりとりを見ていた人々により、完全にブラットが王位をねらっているという話になっていることを。
『――こ、こりゃ大ニュースだ! 今年の剣舞祭で次の王が決まるぞ!!!』
話はそんなふうに拡大解釈され、それがまたたくまに学院中へ――さらには王国中へと広まってしまったことを。
そして、中庭の野次馬のなかに――
『……』
例の灰色のマントのものがいたことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。