第5章 王都出立
第40話 黒豚王子は王都に凱旋する
「……セリエさまのご協力もあり、ケガ人の治療は現在までにほぼ完了。家屋が被害にあった民については、一時的にではありますが神殿や城の一部を開放して寝泊まりしてもらうことで対応しております」
――“四魔将”リオネッタによる王都襲撃があった当日の晩のこと。
ピシュテルの王宮、謁見の間。
そこには国王カストラルをはじめとした国の要人たち、そして今回の事件――後に史実では“ピシュテル事変”と呼ばれる――に関わった人々が集められ、その後の対応や経過を報告しあっていた。
「ふむ、よくやってくれた。これで騒ぎも一段落といったところか」
文官の報告を聞き、カストラルは力強くうなずいたあと――
「それで……息子たちの捜索はどうなっておる? 手がかりはあったか?」
そちらが本題といった様子でそう続けた。
文官は視線を泳がせ、申し訳なさそうにゆっくりと首を振った。
「いえ……
「命を落としたか、ということか」
言いづらそうな文官の言葉を、カストラルが険しい表情で継いだ。
そうなのだ。
第一王子ブラットの活躍にくわえ、カストラルや王国中枢の人々の迅速な対応により、どうにか今回の騒ぎは終息した。
一方で、事件をおさめた立役者のブラット、さらには弟のアルベルトの両名が騒動の最中に行方不明になってしまっていたのだ。
『残念だが……こうなると厳しかろうな』
『日も暮れてしまったからな。もはや発見は困難。魔将とともに姿を消したブラットさまに至っては、まず無事では済むまい』
『改心なされたばかりだというのに……』
貴族たちはぼそぼそとそんな言葉をかわす。
(ブラットさま……)
謁見の間の片隅でそれを聞いていたマリーは唇を噛み、うなだれた。
闘技場上空でリオネッタと互角の戦いを繰りひろげていたブラット。彼は突如リオネッタとの戦いを中断したかと思うと、リオネッタの転移魔法でこの王都から一瞬にして姿を消してしまった。
あえてブラットがそれを望んだのか、あるいはリオネッタの幻惑魔法に操られていたのか、そのあたりは判然としないが、とにもかくにも彼はそのまま行方知れずになってしまったというわけだ。
(いったいどこにいらっしゃるの……?)
マリーも公爵家の私兵を投じて捜索させたものの、手がかりはつかめず。
父である公爵に無理を言ってこの会合に同席させてもらったが、やはり騎士団のほうも成果をあげられなかったらしい。
(せっかく皆も殿下を認めつつあったというのに……なぜこのようなことに)
これからというときだったのだ。ながらく後向きだったブラットがようやく前向きになったこのときになぜと思う。
(これが警告されていたあの災厄だった、ということなの……?)
降りかかると言われた災厄。
それが今回の件のことだったとしたら、それによってブラットが命を落とすことになったとしたら、それは完全に自分の責任だ。自分が先日ブラットにほだされず、はっきりと婚約を破棄していれば、それは回避できた事態かもしれないのだから。
(無事でいてくださいませ……)
ただ無事を祈ることしかできぬ自分が、マリーは歯がゆかった。
もしもブラットの身になにかあったらと思うと、胸が張りさけそうだった。
しかし謁見の間に重苦しい空気が流れだしたそのとき、そんな空気をまったく読んでいないかのような呑気な声が響いた。
「ブラットくんなら大丈夫だと思うよっ☆」
声の主は、“七英雄”グラッセ。
セリエは疲労のため、マーリンは捕虜の監視で、それぞれ欠席するなか、グラッセだけは飄々と会合に参加しているのだった。
カストラルは眉をひそめ、
「グラッセ殿、大丈夫というのはどういうことですかな? なにか心当たりがあるのなら、ぜひお聞かせ願いたいのですが……」
「ん、ないけどっ☆」
謁見の間の面々が淡い期待をしたのもつかのまで、グラッセはいつもの軽薄な微笑でそう肩をすくめるだけだった。
マリーふくめ、謁見の間の面々は同時に大きなため息をついた。
この英雄の冗談もいつもなら生暖かい目で聞いていられるのだが、こういった深刻な場面ではさすがにやめてほしいと思う。ブラットが無事である確証をなにか持っているのかと思ってしまった。
「いまだ痕跡すらつかめぬとはな。ブラット、アルベルト……ともに万一のときのことは考えておくべきじゃろうな」
カストラルのそんな言葉により、場の空気がさらに重々しくなる。
だが、そんなときだ。
「……!?」
謁見の間の中央。
そこに突如として膨大な魔力が収束する。
気づけばその空間に、人の等身大サイズの黒い穴のようなものが開いていた。
それは召喚魔法や転移魔法を用いるときに使われる異次元へと通じる扉で、数えるほどの機会だがマリーも見たことがあった。
「――刺客やもしれぬ、警戒せよ!」
カストラルが即座にそう声を張る。
謁見の間に集っていたものたちは皆一斉に厳戒態勢へと入り、護衛の騎士たちが武器を構えてその転移門を取りかこんだ。
転移門から現れるということは、人間にしろ魔物にしろ強大な力を持つ存在である可能性が高い。リオネッタの襲撃があったばかりだということもあり、息をのむような緊張感が謁見の間に伝播した。
だがしばしあって――
「!?」
そこから出てきたのは、輝く銀糸のような髪に褐色の肌を持った美男子。
間違いない。
リオネッタとともに行方をくらましたマリーの婚約者であり、この国の第一王子ブラット・フォン・ピシュテルその人だった。
ブラットが完全に姿を見せ、転移門が役割を果たして消失したところで、謁見の間にざわめきが波打つように広がった。
『なんと……生きておられたのか!?』
『信じられぬ……あの魔将とともに姿を消したというのに、無事だったとは!?』
『奇跡だ……よくぞお戻りになられた!』
数ヶ月前に国中から嫌われきっていたあのブラットからは考えられぬほど、ブラットの帰還をよろこぶ人々の声が耳に入る。
最近のブラットの立ち居振る舞い、そして慈善事業や教育事業への貢献は評価されつつあったことに加え、今回この王都を窮地から救ったことで、さらに多くの人々から認められたということだろう。
そんなふうに婚約者が受けいれられたことをふだんのマリーなら静かによろこんだのだろうが、今日はそんな余裕はなかった。
ブラットが無事とわかって感情爆発し、気づけば彼に飛びついていたからだ。
「マリー、無事でよかった」
「……こちらのセリフですわ」
なによりまずこちらを気遣う言葉が出てくるのがブラットらしいと思いながら、マリーは彼の背にまわす腕に力を込める。
するとブラットは壊れやすい宝物でも扱うかのようにマリーの背に手をまわし、そっと抱きしめかえしてくれた。
「――」
もはや言葉はいらなかった。
二人はひしと抱きしめあう。
まるで呪いによって永きに渡って引きさかれていた英雄と姫が、幾千年のときをこえてふたたびまた巡りあえたかのように。
*
「ブラット、よくぞ戻った」
しばしあってカストラルにそう声をかけられ、ブラットはハッと我にかえった。
(……あ、そうだ。謁見の間に直接転移させてもらったんだっけ)
人々の注目が、抱きあう自分とマリーに集まっていることに気づく。
いきなり飛びついてきたマリーが愛おしくなり、つい彼女しか視界に入らなくなってしまっていた。なんというか帰宅時に尻尾を振って出迎えてくれた愛犬を思いだすかわいらしさだったのだ。いや、犬でたとえるのは彼女に失礼かもしれないが。
「父上、ただいま戻りました」
名残惜しく思いながらもマリーを解放し、カストラルの前にひざまずく。
「うむ。つかれているとは思うが、事の経緯を説明できるか? 皆も集まっているいい機会じゃ。情報を共有しておきたい」
ブラットはうなずくと、前世のことを隠すために多少ブラフを織りまぜながら、自身が姿をくらました経緯を簡潔に説明した。
闘技場上空での戦闘中、リオネッタと話す機会があったこと。その折、彼女がベルゼブブの謀略により、魔王軍に協力をさせられていたのが明らかになったこと。そして彼女が魔王軍に協力する原因となっていた彼女の妹の呪いを解いてきたことを。
「――というわけで、リオネッタが魔王軍に協力する理由はなくなりました。もはや我が国の敵にまわることはないでしょう」
ブラットが淡々と説明すると、カストラルは「なんと……そういうことであったか」と驚愕と感嘆の混ざったうめきをあげた。
『まさか……あの魔将を説得したと!?』
『襲撃を読んで事前に対策を施していたのも見事だったが、ついには魔将さえも無力化してしまわれたというのか………信じられん』
『確かなのは……殿下がこの国を救ったということだな。殿下がいなければ、我が国は間違いなく大打撃を受けていたろう』
まわりの貴族も同様にいたく感心した様子でそんなつぶやきをもらす。
ブラットは好意的な感想が多いのは非常にありがたいと思いながら、
「リオネッタに制裁を、という声も皆からは当然出るかと思います。しかしすでに彼女には微塵も敵意はありませんし、これからは魔王軍から離れて隠居したいとのこと。個人的には彼女のことは放っておいてあげてもよいのではと愚考しております」
カストラルは眉をひそめ、しばし思案するようにうなり声をあげた。
「……死者はいまのところ出ておらん。リオネッタにも事情があったこと、さらには誰でもなく今回の騒動を見事におさめ、英雄的な活躍をしてくれたおぬしからの提言じゃ。よかろう、ひとまずリオネッタの居場所を問いただすことはせぬ」
「陛下、よろしいのですか……?」
文官のひとりが険しい顔で訊ねる。
「そもそもあやつを打倒するには、こちらにも尋常でない被害が出るのは明白。わざわざ冬眠中の竜に手を出すことはあるまいて」
しかしカストラルが現実的な理由とともにそう肩をすくめると、声をあげた文官もそれ以上は特に反論しなかった。
今回のようなリオネッタの暴挙に対し、制裁をくわえぬまま終わらせるのは王国の沽券に関わる。だが犠牲を覚悟してまで、いまリオネッタを無理に討伐するメリットはこれといって見当たらない。放っておくのが得策だと判断したのだろう。
(……問題なく収まりそうだな)
ブラットは「ありがとうございます」と一礼し、ホッと胸をなでおろす。
だがこれで今回の件は一段落であろうと思ったのもつかのま、カストラルが「それよりも……」とすぐに言葉を続ける。
「……アルベルトの行方を知らぬか?」
訊ねるその表情は険しかった。
「アルベルトの……行方、ですか?」
ブラットは眉をひそめる。
なんの話かまったく心当たりがなかったが、なにやら不穏な空気である。
「剣舞祭の開会式以来、顔は合わせておりませんが……どうかしたのですか? まさか、アルベルトの身になにか?」
「……そうか、やはり別行動じゃったか」
カストラルは落胆を隠せぬ様子でそうつぶやき、ひとつ息をついた。
「そのまさかじゃ。実は今回の騒ぎと同時に、おぬしだけでなくアルベルトも行方知れずになってしまっておるのだ」
なんと、とブラットは目を見開いた。
(どういう、ことだ……?)
想定外のことだった。
今回の一件はリオネッタとの和解によって、すべて解決したと思いこんでいた。そこに冷水を浴びせられた気分である。
「感知魔法や魔石による交信は……試したうえでということですよね?」
「もちろんじゃ。あたりにあやつの魔力の痕跡はなく、あやつからの応答もなかった。あやつが周囲に一言もなく姿をくらますというのは考えにくいので、何者かに捕らわれたのではと踏んでいたが、リオネッタでないとすると何者の仕業なのか……」
カストラルは眉をひそめながら、
「……まあ、とりあえず大筋は理解できた。ご苦労であったな。アルベルトのことは騎士団にまかせ、おぬしは体を休めるがよい」
「いえ……アルベルトはいまこのときも窮地におちいっているやもしれません。皆が捜索に当たっているのに、自分だけ呑気に休んでいるわけにもいかない。自分もこれから捜索に当たろうと思います」
今日何者かに捕縛されたのだとすれば、時は一刻を争う可能性がある。自分もすぐにでも捜索に行かねばなるまい。
しかしカストラルは首を振った。
「焦ってもよいことはない。疲労困憊の状態では体も頭もまともには動かぬぞ。しっかりと休息をとって全快したのちに捜索したほうが、アルベルトも早期発見できよう。だから今日のところは休め」
「しかし……」
さらに反論せんとするブラットだが――その瞬間のことだった。
(あ、れ……?)
――くらり、と。
体が急に言うことを効かなくなり、ふっと意識が遠のく感覚に襲われる。
どうにか意識を戻そうとするが、自分の意思ではもはやどうにもならず。
――ブラットさま、ブラットさま!?
いままでに聞いたことのないようなマリーの慌てた声が耳に届いた直後、ブラットの意識は闇へとかき消えた。
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