第41話 黒豚王子は魔物に会いに行く


「……失礼いたしますデス」


 ブラットの専属侍女ロジエはささやくように言い、部屋へと入る。


 そこは王宮のブラットの私室。


 非常にシンプルな部屋だ。以前までは派手な調度品が並び、きらびやかに装飾されていたのだが、ブラットが調度品のほとんどを売却してしまったため、いまは最低限のものしか置かれていない。


 そんな部屋の中央に、豪奢なベッドがどんと鎮座していた。


 ほぼすべての調度品が安価なものに買いかえられたなか、唯一このベッドだけは以前から使われている高級品のままだった。


 ロジエがブラットに理由を訊ねたところ、『ベッドは一日の三分の一、つまり人生の三分の一を過ごすもの。安眠のためにもここで妥協はできない。最高のものを使いたいんだ』とのことらしい。


 貧乏貴族のロジエからすればベッドなんて横になれさえすれば十分と思っていたのだが、言われてみると確かに納得である。睡眠というのは忘れがちだが重要だ。さすが我が主は目のつけどころから違う。


 そしてそんな最高級品のベッドにいま、その尊敬する主が眠っていた。


(……あらら、よっぽどおつかれデスね)


 おだやかな寝息を立てる主を見て、自然と口元がほころぶロジエ。


 四魔将リオネッタの謀略からこの王都フォールフラットとそこに住まう民を救い、見事に生還を果たしたブラット。


 昨夜、謁見の間で皆に事情を説明したあとに突如倒れてすでに翌日の昼過ぎになるが、いまだに彼は眠りつづけていた。


 それもいたしかたあるまい。


 倒れたときのブラットは完全に魔力枯渇におちいっていた。魔法の使いすぎで魔力枯渇におちいった人間が、こうして長時間眠ることはしばしばある。リオネッタと渡りあい、その後も奔走していたのならこうなってしまうのも納得である。


 あの状態から回復するには、いくらブラットでも時間がかかるのだろう。


 実際、まだ目覚める気配はなさそうだ。


 ということは――



(……寝顔をしばらく見放題デスね♡)



 元よりほころんでいた口元を、にへらとさらにほころばせるロジエ。


 ブラットがいつ目覚めてもいいように侍女が交代でこの部屋で番をしているのだが、これから夜まではロジエの担当ターンなのだ。


 ほかの侍女たちもこの“ブラット番”にはこぞって立候補していたので競争率はすさまじかったのだが、ロジエは専属侍女の特権で強引にひと枠を奪ったのだった。まあ誰よりもブラットに尽くしている自負があるので当然の報酬だろう。


(本当にきれいなお顔デス……)


 いつもは恐れおおくてあまり顔を見ていられないのだが、こうしてあらためて見ると本当に麗しい面差しであった。


 まず睫毛が驚くほど長い。

 しかも量が多くてパサパサである。


 鼻筋がすっと通り、輪郭もシャープ。顔のどこを切りとっても整っているのではと思わせるような造形美だ。見ているだけで、世界最高の芸術家が端正こめてつくった美術品を見ているような――いや、それ以上の満足感が得られるほどである。


 しばしうっとりとした表情でブラットの寝顔を独占するロジエ。


 だが、そのときだ。



「あ……しまった、洗うの忘れてたデス」



 ベッドのそばを見やり、汚れたまま放置されているマントが目に入る。


 そういえば昨日ブラットが倒れたときに外したのに、洗うのを忘れていた。洗って替えを出しておいたほうがいいだろう。


 ロジエはマントを手にとり――



「……」



 しかしそこで、待てよと動きをとめる。


 マントをじっと見つめ、生唾をのむ。


 ロジエはちらちらとブラットのほうを見て起きていないのを確認すると、罪悪感を募らせながらもマントを自身の顔に持っていく。


 そして、



 ――クンカクンカ、と。



 ひとまず匂いを嗅いでみた。



(こ、これが……ブラットさまの匂い!)



 目を見開く。


 あくまでも洗わぬまま放置していたものだ。それはさすがにいい匂い――とは一般的には言えない匂いなのかもしれない。


(だけど……)


 ロジエはその匂いが好きだった。


 妙に落ちつくのだ。


 そもそもそれがブラットの匂いだと思うと、それだけでなんだか無性に愛おしくてたまらなくなってしまうというのもある。


 そして愛しの主の匂いをすうううっと一息に吸いこんで堪能しつつ、ロジエはハッと名案――もとい、迷案――を思いつく。



(そうデス……こうすれば!)



 おもむろに薄汚れたマントを広げると、なんとそれを自身の体にまとった。


(ふひひひひひ……これで実質、ブラットさまに抱きしめられてるのと同じデスね♡ キャッ、ブラットさまだめデスよ~♡)


 薄汚れたマントにくるまり、赤面してくねくねと身をよじりはじめるロジエ。


 そしてそれから真顔になったかと思うと、


「……ブラットさま、お聞きください。わたしはただの貧乏貴族出の侍女にすぎないデス……! ブラットさまとは釣りあわない……決して結ばれない女なのデス! だからこういうことをするのはもうやめるデス……! いえ、ブラットさまのことはもちろん嫌いじゃない……むしろ大好きデス! でもやはり主と侍女の関係でこんなこと……キャッ♡ え、そんなの関係ないって……!? 俺はおまえのことを愛しているからって……!? そ、そんな、しかもソファーでいきなりなんて……だめデス、だめだめ~〜〜♡♡♡」


 完全に自分の世界に入ってしまったロジエは、ブラットに強引に押し倒された妄想をしながらソファーに自ら倒れこむ。


 さらには妄想シチュエーションに鼻息荒く興奮しきってしまい、マントにくるまって奇声を発しながらごろごろと転がった。


 だが妄想のなかのブラットが、ついに一線をこえようとしたときだった。



「キャッ、ブラットさま……いきなりそんなところはだめデスってば――」

「……ほう、なにがだめなんだ?」



 横合いから、そんな声が耳に届く。


 一瞬妄想のブラットが言ったのかと思ったのだが、どうにも聞こえた方角がおかしい気がしてロジエはぴたりと硬直した。


「……ッ?」


 声のほうをおそるおそる見る。


 そしてベッドに腰かけるその人物を見て、「あ……」とまぬけな声が漏れた。


 さきほどまで眠っていたはずのブラットが、呆れた顔でこちらを見ていたのだ。


 瞬間。ロジエの全身から、じっとりとした嫌な汗が滝のようにあふれてくる。


 ロジエは慌てて、


「あ、いや、これは、その……! 汚れたマントを洗うのを忘れていたので、これから洗濯をしようとしただけで……! そしたらちょっとだけマントにくるまって遊びたいなあ、なんて思ってしまっただけで……! べ、別にブラットさまが眠っているいまがブラットさまの匂いを心ゆくまで堪能する絶好のチャンスとか思ったわけじゃないデスよ……! このマントにくるまれば実質ブラットさまに抱きしめられてるのと同じとかも、まったく思ってないデス……!!!」


 突然のことで大混乱におちいり、訊かれてもいないのに勝手に自白するロジエ。


 もはや自分でもなにを言っているのかわからなくなってしまっていた。


 だがとにもかくにも謝罪をせねばならぬのは確かなので、「も、申し訳ございませんデス!!!」とそのままの勢いで頭をさげる。


 怒られるのかとびくびくするロジエを、ブラットはしばし険しい顔でにらむ。


 だがやがてその空気に耐えきれなくなったようにプッと吹きだし――



「……バーカ、自分の服までわざわざ汚してしまってどうするんだ」



 くつくつと笑うのだった。


 一見こちらを叱るような物言いだったが、むしろ自分が怒っていないとロジエを安心させるような優しい言い方であった。


 しかもブラットはマントの汚れが付着したロジエの侍女服を、わざわざその尊い御手でパンパンと優しく払ってくれるではないか。



(は!? なんデス、この御方!? なんでこんなに優しいデス!? 好きになるデスよ!? いやもう好きデスけど!!!)



 そんな主人の心の広さというか、器の大きさみたいなものにまた胸を射抜かれ、さらに主に惚れこんでしまうロジエなのだった。


 ちなみに内心では主への愛をうるさいほどにわめきちらしていたロジエだったが、実際はブラットを前に頬をそめてうつむくことしかできないポンコツと化してしまっていたのは、まあご愛嬌だろう。




 *




「……そうか、行方はつかめずか」


 ――数刻後。


 ロジエの話にあいづちを打ちながら、ブラットは険しい顔でふむとうなる。


 そこは王都の外、街道を走る馬車のなか。


 身支度をととのえ、軽く腹ごしらえを済ませたブラットは、馬車で王都近くのルーランの森へと向かっているところだった。


 リオネッタが連れてきた魔王軍の大隊。

 その1000にもおよぶ魔物たちがグラッセとマーリンの二英雄に屈して捕虜となり、現在は森のなかに待機しているらしいからだ。


 ロジエによるとマーリンひとりで監視をしてくれているとのことなので、まず最優先で対応せねばと思った次第である。


「他国にも協力を要請し、捜索範囲を広げてるみたいデスが……やはり少なくともこの付近にはいらっしゃらないようデスね」

「……こうなると焦って動いても、すぐに見つけるのは難しそうだな」


 アルベルトはやはり、いまだ行方不明のままということらしい。


 謁見の間にて行方不明の第一報を聞いたときに妙な胸騒ぎを覚えたが、どうやらそれは気のせいではなかったようだ。


(アルベルトになにが起こったのか……まずはそれを突きとめたいな)


 さきほど目を覚ましてすぐ、ブラットはアルベルトについて訊ねるため、事情を知っていそうなリオネッタに連絡をとった。


 だが彼女はアルベルトの件を知らないと言っていた。アルベルトを操り人形にすることを虎視眈々とねらっていたのは確からしいが、それを実行に移す前にブラットによって問題が解決したからだ。


(リオネッタじゃない何者かによって連れ去られたか、あるいは自分の意志で出ていったのか……まだ推測の域を出ないな)


『ファイナルクエスト』作中では、思いだせるかぎりアルベルトが過去に行方不明になったという話は聞いたことがない。


 おそらく史実になかったことなのだろう。


 今回の剣舞祭でのリオネッタによる襲撃は、ブラットがサイクロプスを討伐して魔王軍に目をつけられた結果。つまりブラットが起こしたそれら一連の史実の変化により、今回のアルベルトの件も引きおこされたと考えるのが自然だろう。


 なんにしろ自分のせいでアルベルトが危険に巻きこまれたかもしれないのだ。どうにか早期に手を打たねばなるまい。


(……情報が少なすぎるが、マーリンさんならなにかつかんでいるかもしれない。ついでで申し訳ないが、一度訊いてみるか)


 この世界の魔法でどれほどのことが可能かはいまだ不明瞭だが、マーリンならばアルベルトのいる場所を特定できるかもしれない。なにしろ彼は間違いなく世界最高の魔法使いのひとりなのだから。


(アルベルトのこともだが、キャロルにもあのことを話さないといけないな……)


 くわえてダストリアの状況について、あらためてかの皇女に話す必要もある。そちらも早く手を打たねば、手遅れになりかねない。


 為さねばならないことは山積みである。


 そしてしばし思考をめぐらせていると、ついに馬車はルーランの森に到着した。



「ここで待っていてくれ」



 御者にそう声をかけ、ロジエをともなって森の奥地へと足を踏みいれる。


 広大な森だ。

 背丈が高い樹々が視認できるかぎり延々と並んでいて、まさに樹海といったたたずまいである。一方で、広さがありながらも魔物は少なく、王都や近隣の町の住人が薬草採取や狩猟に訪れることも多い。


 ブラットも幼少期に馬や愛竜ギルガルドを乗りこなす練習のため、何度かこの森を訪れたことがある。思い出深い森だ。


(アルベルトとも……よく来たな)


 なつかしい。

 あの頃はまだ仲がよかったはずだ。


 過去を回想して思い出の痕跡をたどりながら、ブラットはマーリンと魔物たちが待っているという場所へと歩を進める。


 しばしあって――



「!?」



 樹々の天井のない開けた場所に出て、そこに1000もの魔物の大群を発見する。


 森の広場とでもいうべき場所。

 そこにリザードマンやグールにくわえ、有翼の魔獣パズズや巨大毒蛇バジリスクといった厄介なモンスターの姿が多数ある。


 それらの多くは、南方の砂漠地帯を生息域にしている魔物だ。この魔物たちがリオネッタが連れてきた大隊で違いなかろう。


(……想像以上の戦力だな)


 スカイマウンテンを占拠していたサイクロプスたちもおそらくは魔王軍の一大隊だったはずだが、それよりも一段階上の戦力だ。


 リザードマンやグールはスカイマウンテンの魔物と大差ないが、パズズやバジリスクは『ファイナルクエスト』作中でレベル30オーバーの魔物。それが複数いるのだから、リオネッタがあわよくば本気でこの王都を落とそうとしたのだとわかる。


 もしも魔法騎士たちが万全の状態で迎えうてていたとしても、まともにやりあったら相当の被害が出たことだろう。実際にそのようなことになっていたらと考えると、それだけで恐ろしいかぎりだ。


 そしてもっと恐ろしいのが、そんな凶悪な魔物たちがまるで王国兵かのように整然と隊列を組んで待機しているところだ。


(どんな目にあわせたら、こんなに魔物が従順になるんだよ……)


 魔物たちにも知能はあるが、基本的には人間よりも低いと言ってもいい。上位種の“魔人”となれば話は別だが、普通の魔物が元々このように規律ある振るまいができていたとはとてもとても思えない。


 つまりは本能的に戦意を喪失し、従順に振るまいたくなるような目にグラッセやマーリンに遭わされたということになる。


(……うん、怖すぎる)


 あの二人からそんな仕打ちを受けたとすれば、魔物たちに同情すらしてしまう。


 グラッセはふだん飄々としているが、邪魔者や自分を不快にさせたものには容赦しない冷酷な一面がある。『ファイナルクエスト』作中で彼が本気で怒ったことが一度だけあるのだが、もしもあの怒りが自分に向けられたらと思うと恐怖だ。


 マーリンも『ファイナルクエスト』作中では情深い面を見せていたものの、敵だと判断したものには非情になれる人間だ。魔術を極めたマッドサイエンティスト的な側面もあるため、魔物を実験体モルモットにして笑顔で拷問していてもおかしくない。


(……まあ、従順なぶんには問題はないか。テイムしやすくなるからな)


 そしてこの戦力をものにできれば、これからの計略にさらに幅が出るだろう。


 特にダストリアの件については、力技も必要になるかもしれない。いまだ名前さえ定まっていないブラット軍(仮)だが、その初陣になる可能性は十分にある。どういう形での参戦になるかは不明だが、可能なかぎり戦力は増強しておきたい。


(……というか、マーリンさんはどこだ?)


 そんなことを考えながらま魔物の群れのなかにマーリンをさがしていたのだが、その姿はなかなか見つからなかった。


 が、そのときだ。



「……?」



 背後からひときわ強大な気配を感じる。


 振りむくと――そこにはいたのはかの“大賢人”、でなく一体のモンスター。


 それはこの大隊の長たる魔王軍の魔団長であり、美女の上半身に蛇の下半身を持つ半人半蛇のモンスター“ラミア”だった。

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