第6章

第48話 黒豚王子は異国の◯◯を救う


 デルトラ半島。


 人間、亜人、魔物、蛮族――そこでは大陸のどの場所よりも多様な種族が暮らしている。そんな混沌とした地域であるがゆえ、価値観の異なる住民同士、衝突が起こるのは日常茶飯事であった。


 一方で、至るところで絶えまなく争いごとが起こっていた以前より、争いごとが減りつつあるのもまぎれもない事実だった。


 それは間違いなく、“狂人皇帝バーサクエンペラー”と呼ばれる英雄カスケード・ド・ラ・トラフォードという男の尽力によるものだろう。


 なにしろカスケードはその圧倒的なカリスマによって、これまで長きにわたって争ってきたダークエルフや蛮族といった凶暴極まりない半島の住人を次々と従え、半島南部をまたたくまに統一すると、信じられないことにこの不毛の大地にひとつの国を打ちたててしまったのだから。


 ――“灰色の帝国”ダストリア。


 それがその国の名だった。


 人と魔物、光と闇、白と黒――それらが混ざりあってともに生きる国であることから、いつからかそう呼ばれるようになった。


 もちろん国が建てられようと、すぐに平和が訪れるわけではない。まだまだ平和は遠く、半島各地では争いが起こっている。


 だがそれでも、カスケードという絶対的指導者のもと、ダストリアが国としてまとまりつつあるのは間違いなかった。


 そう。

 良い方向へと向かっていたのだ。


 数ヶ月前、ダストリアの皇妃と皇子が、“義の国”エルネイドの刺客と見られる暗殺者によって命を奪われるそのときまでは。


 ダストリアとエルネイド――協定関係にあった両国が仲違いし、各地で小競りあいが起こりはじめるそのときまでは。




 *




「――エルネイドの犬どもを討ち滅ぼせ!」


 ダークエルフの指揮官の威声とともに、魔法の爆裂音が響きわたる。


 場所はダストリアとエルネイドの国境付近、街道沿いにある通称“ムンガル城塞”と呼ばれるダストリアの防衛拠点。


 そこでは今日も、ダストリアとエルネイドの小競りあいが起きていた。


 ただし戦況はというと、一見しただけでエルネイド側が不利だとわかる。


 なにしろエルネイド側の戦力がグリフォンに騎乗した幻獣騎士たったの5騎だけであるのに対し、ダストリア側の戦力は一騎当千と名高いダークエルフの魔法戦士3人にくわえ、彼らが操る人間大の魔導人形マジックドールがなんと100体もいたからだ。


(くっ……このままでは確実に全滅なの。どうしてこんなことに……)


 エルネイド側の隊長であるエルフの女騎士リデルは、魔導人形たちに包囲された絶体絶命のその状況に歯噛みする。


 そもそも戦うつもりはなかったのだ。


 今回の両国の行き違いについてダストリア側とあらためて話しあいたくて、皇帝への謁見のためにこの関所通過の許可を求めただけ。それはたったの5騎という戦力を見ても、あきらかなはず。


 にもかかわらず、ダストリア側の指揮官であるダークエルフはそれを拒否。


 リデルの話を聞くことすらなく、攻撃魔法による洗礼を浴びせたあと、このように魔導人形をつかって包囲してきたのだ。


「待ってほしいなの! わたしたちは皇帝陛下と話がしたいだけで……」

「話すことなどない!」


 リデルはあらためてそう訴えるが、ダストリア側はそれを聞きいれない。


 3人のダークエルフが腕を振りおろすと、それに合わせて100体もの魔導人形たちが群れをなしてリデルたちに襲いかかってきた。


(くっ……)


 ダークエルフがけしかけたその魔導人形たちは、創造コストが安価な低級のもので、魔物のランクにするとDランク相当。創造者による簡単な指示にしか対応できないうえ、武器を型通りに振りまわすような単調な攻撃手段しか持っていない。


 だがその一体一体の膂力は並の人間を軽く凌駕しており、それが100体も一度に襲ってくるとなると、十分に脅威であった。


(数が……多すぎるなの)


 リデルふくめた5騎の幻獣騎士たちは次々と魔導人形を蹴散らし、その数を減らしてはいくものの、それでもたったの5騎だけで100体にもおよぶそれらに対応しきるのは、やはり不可能だった。


 追いつめられたリデルたちはやむを得ず、一時的に空へと逃亡をはかり――


「……!?」


 しかしそこには槍で武装した数十体もの魔法の石像ガーゴイルたちが待ちぶせており、不気味な鳴き声とともに容赦なく襲いかかってきた。


 リデルたちも必死に応戦するものの、やはり数の暴力は如何ともしがたい。すべてをいなすことはできず、ガーゴイルの槍の穂先が次第にグリフォンたちの体をとらえ、ダメージを蓄積させていく。


「キャッ……!」


 そしてついにリデルが騎乗するグリフォンが力尽き、地面へと墜落してしまう。


 リデルはグリフォンとともに地面に激しく打ちつけられ、倒れこんでしまう。



「……死ね」



 それを待っていたようにダークエルフが眼前に現れ、体勢を立てなおそうとするリデルへと容赦なく短剣を突きだした。


 一流の暗殺者であるダークエルフの刺突は、あまりに速く鋭い。剣を取りおとしたリデルが防ぐことは不可能だった。


(お父さま……ごめんなさいなの)


 リデルは自身の死を確信し、身勝手な行動に走ったことを父に謝罪する。


 実は今回リデルがダストリア皇帝への謁見を求めたのは、エルネイド王国の総意ではない。リデルの独断だったのだ。


 だが父の制止をふりきって動いたことそれ自体に後悔はない。死の淵に立ったいまでも正しかったと思う。このままでは間違いなくダストリアとエルネイドのあいだには大きな戦が起こる。それを防ぐにはいま動くしかなかったのだから。


(悔しい……悔しいなの)


 だがもう少し――もう少しだけ自分に力があればよかったのに、とは思う。


 もう少しだけ力があれば、この両国の不毛な争いをとめて、これ以上誰も傷つかずにおさめられたかもしれないのだから。


 自身の無能さが腹立たしくなり、リデルの頬を血のように濃い涙がつたう。


 だが目の前の“死”という現実はもはや変えようはなく、ダークエルフの短剣はリデルの胸へとまっすぐに向かってきていて――



「……ッ!?」



 その刹那。


 幻獣騎士とダークエルフのあいだに人影が乱入し、! という甲高い音とともにダークエルフの短剣を弾きとばした。


「何者……ぐあっ!」


 そして人影はそのまま流麗な動作で、ダークエルフの胴に横薙ぎの蹴撃を放つ。


 ダークエルフは完全に不意を撃たれ、勢いよく地面を転がった。


(なにが、起こって……?)


 リデルは慌てて視線を送る。


 リデルを窮地から救ったその人影の正体は、男――いや、少年だった。


 線の細い整った容貌にくわえ、輝くような銀髪に褐色の肌という特徴もあいまって、ダークエルフかと見間違えそうな少年だった。


 だがその耳の形や魔力を見るかぎり、人間であるのはあきらかだった。


「くっ……エルネイドの偽善者どもめ。やはり元々この城塞をつぶす気で、近くに仲間を待機させていたか。卑怯な」


 ダークエルフが苦痛にうめきながらも立ちあがり、そんなことをぼやく。


(彼はいったい……?)


 だがもちろんリデルはダークエルフが言ったような卑怯なことはしていないし、目の前の少年についても心当たりはなかった。


「いや、待て。俺はエルネイドの人間じゃないぞ。中立というかなんというか……とにかくまずは話を聞いてくれないか?」

「ふんっ……黙れ! やつらに味方するものは、すべからく我らの敵だ」


 少年のそんな訴えもむなしく、ダークエルフは構わずに「やってしまえ!」と魔導人形たちを少年へとけしかける。


 少年の騎士服は、あきらかにダストリアのものとは違う。だが少年がリデルたちエルネイドの味方をしたのは事実。ダークエルフからすれば、それだけで少年を排除する理由は十分なのだろう。


 しかし魔導人形たちが少年へと襲いかかろうとした、その瞬間――



「――――“ファイアウェーブ”」



 少年は小さくそう唱えた。


 ――“ファイアウェーブ”。


 発動者を中心に小さな炎の波動を放つ第三位階の広範囲攻撃魔法。


 しかし広範囲攻撃魔法のカテゴリー内では最弱の部類のため、威力は第二位階の単体攻撃魔法“ファイアーボール”よりも劣る。せいぜい威嚇や足止めといった用途でしか使われない貧弱な魔法である。


(あれじゃ魔導人形たちは倒せない……ちょっと焦がすぐらいで精一杯なの)


 ダークエルフもそれを察したのだろう。勝ち誇った微笑を浮かべている。


 だが、次の瞬間――



「え……!?」



 !!! という爆裂音が響く。


 少年の手から放たれた小さな種火が、激しく燃えあがった音だった。


 炎は少年の手でみるみるうちにふくれあがり、なんと通常ではありえぬほどの超規模の灼熱の波動となって一帯に拡散した。


 そして魔導人形たちを津波のような勢いで呑みこむと、一瞬でそのすべてを灼きつくしていくではないか。さらにその波動はそのまま上空へと波及し、ガーゴイルまでもまたたくまに呑みこんだ。


 気づけば魔導人形とガーゴイル――優に100体をこえていた敵戦力のほとんどが、焼死体のようになって地面に倒れていた。


「嘘……なんて威力なの!? 一度にあの数を灼きつくしてしまうなんて!?」


 驚愕のうめきをもらすリデル。


 同じ魔法でも術者の練度で効力が変わるというのはリデルも知っていたが、まさか第三位階魔法でこれほどの威力を出せるとは思わなかった。これはあきらかに第三位階の範疇を逸脱している。下手すれば第六、七位階に列されるものだ。


「くっ、まさか……エルネイドにこれほどの魔法使いが!? だが……魔法使いならば、それはそれでやりようはあるというもの!」


 ダークエルフは歯噛みしながらも、すぐさま味方のダークエルフともども短剣を構えると、視界から一瞬でかき消えた。


 ――第五位階魔法“インビジブル”。


 ダークエルフの得意とするこの闇属性の身体透化呪文こそ、彼らが最高の暗殺者と言われる所以だった。彼らがその魔法によって一度身を隠してしまえば、まず見つけることはできなくなるのだ。


「逃げてくださいなの! ここにいれば貴方さままで巻きぞえで……!」

「……」


 リデルは叫ぶが、少年はその場から一歩も動かなかった。まるでなにかを感じとっているかのように目を閉じている。


 そして、次の刹那――



「……!?」



 まるで武術の型を披露するかのように、少年はなにもない中空へと拳を突きだし、その流れのままに続けて二発の打撃を放った。


「ぐぅっ……な、ぜ……」


 かと思ったときには、少年が打撃を放った場所にダークエルフたちが次々と姿をあらわし、うめき声とともに倒れこんでいた。


「話を聞いてくれと言っただろう。まあ、もう聞こえちゃいないか」


 一瞬で気絶した3人のダークエルフを睥睨し、少年は肩をすくめる。


 どうやったのかはわからないが、ダークエルフ3人の動きを完全に読みきったうえ、それぞれをたったの一撃で気絶させてしまったらしい。魔法だけではなく、どうやら体術すらも桁外れのようだ。


(信じ……られないなの)


 100体もの魔導人形に数十体のガーゴイル、そして強力なダークエルフの魔法戦士3人――リデルたちが歯も立たなかったそれらすべてを、少年は一瞬で倒してしまったのだ。にわかに信じがたい。


 リデルがあっけにとられていると、少年がこちらに歩みよってくる。


「……お嬢さん、ご無事ですか?」

「あ、え……は、はいなの」


 甘い微笑とともに手を差しのべられ、その整った面差しに無意識に見とれてしまい、リデルはつい挙動不審になってしまう。


 だがすぐに我にかえり、頭をさげる。


「助けていただいて感謝しますなの。だけど貴方さまは……いったい?」

「わたしはピシュテルの王子、ブラット・フォン・ピシュテルと申します」


 リデルは少年のそのあまりに優美な礼にふたたび見とれつつも、しかしすぐに少年の言葉を反芻して首をぶんぶん振った。


「ピシュテルの……王子!? なぜそのような御方がここに!?」

「あ、えっとそれはいろいろと事情が……」


 リデルが少年の予想外の告白に驚愕の声をあげた、そのときだった。



「――ブラット!!!」



 そんな声とともに上空から現れたのは、美しい蒼鱗の氷竜だった。


 そしてその背からひょっこりと顔を出した声の主――中性的な美貌の少女を見ると、リデルはハッと声をあげた。


「貴女は、キャロルさま!? キャロルさまではございませんなの!?」

「んっ、おまえは……?」


 中性的な美貌の少女――キャロルはいぶかしげにこちらを見て、そしてリデルの姿を確認するとぎょっと目を見開いた。


「おお、リデル! リデルじゃないか!」

「キャロルさま、おひさしぶりなの!」


 キャロルは嬉々とした声とともに颯爽と竜から飛びおりると、そのまま勢いよくリデルへと抱きついてきた。


 リデルも抱きしめかえし、二人はしばしのあいだ抱擁を交わす。


「ん……キャロルの知りあいだったのか?」


 少年――ブラットが歩みよってくる。


 キャロルはしばしあってリデルを解放してブラットに向きなおると、


「ああ、知らぬわけがないさ。彼女はリデル・シル・エルネイド。エルネイド王国の正真正銘のなのだからな」


 リデルの正体をそう明かすのだった。

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