第49話 黒豚王子は方針を定める



 ブラットがリデルの窮地を救ったのは、本当に偶然のことであった。


 キャロルとともに愛竜ギルガルドの背に乗ってピシュテルを発ち、デルトラ半島にたどりついたのがつい先刻。そのまま帝都まで一息に向かうつもりだったのだが、そこで魔法の爆発音が耳に届いたのだ。


 ブラットはすぐさま視力強化呪文イーグルアイで音のほうを確認し、リデルが窮地におちいっているのを発見。このままでは間にあわぬとギルガルドの背を降り、ひとり彼女のもとに駆けつけたのだった。


 そして城塞でのダークエルフ戦。


 ダークエルフは一流の暗殺者として大陸各地で恐れられる魔法戦士ではあるが、『ファイナルクエスト』のレベル換算では25程度。レベルシステムというのは無情なもので、たとえ3人いようともレベル56のブラットの敵ではなかった。


 そんなこんなで、ブラットはたったひとりで彼らを圧倒したあと――



「――なるほどな、それで交渉に」



 リデルからひととおりの事情と経緯を聞き、うなり声をあげていた。


 そこはムンガル城塞内部、衛兵の詰め所。


 あの後すぐに情報交換しようということになり、キャロル、リデルという二人の姫君をともなって場所を移したのだ。


 途中でダークエルフたちが目を覚まして一触即発になるアクシデントはあったものの、キャロルがいて幸いだった。あれほど気性の荒かったダークエルフたちだが、自国の皇女の顔はさすがにわかったようで驚くほど素直にしたがってくれたのだ。


 ダストリアにおける皇帝カスケードの権力が絶大なのは知っていたが、娘のキャロルもここまで崇拝されているとは驚きだった。


「そうなの……お父さまにはとめられていたけど、いてもたってもいられなくて。キャロルさまのご家族の命を奪ったのは、エルネイドじゃない。エルネイドはそんな卑怯なことはしない。キャロルさまにも……ダストリアの方々にもそれだけは伝えたくて」


 必死に自国の潔白を訴えるリデル。


 嘘は言っていなさそうだ。


 しばし少女を観察し、王宮生活で磨いた洞察眼でそう結論づけるブラット。


(それにしても、まさかエルネイドの王女とはな。偶然ってのはあるもんだ)


 眼前の美しいエルフの少女をあらためて見つめ、ふむと一息つくブラット。


 だがリデルが今回のダストリアとエルネイドの争いに違和感を覚え、みずから交渉に動いていたというのは朗報である。


 ダストリアとエルネイド――どちらにも協力者がいるのは、両国の戦をとめることを考えると大変心強い。しかもキャロルはダストリアの皇女で、リデルはエルネイドの王女。この二人がいて話を無視されるということはまずあるまい。


(しかし、そううまくいくかどうか……)


 ブラットがひとり黙々と思索をめぐらせていると、キャロルがリデルを励ますようにリデルの肩をそっと抱いた。


「……わかっているから泣くな、リデル。わたしの知るエルネイドは堅苦しくはあるが、なにより“義”を重んじる国だ。決して卑劣な真似をする国ではない。それはわたしもよくわかっている」

「キャロルさま……」


 ありがとうございます、とリデルはいまにも泣きそうな顔で頭をさげる。


 キャロルはリデルをなだめながら、


「そもそもわたしとこのブラットも、今回の戦を止めるためにピシュテルからこのデルトラ半島に戻ってきたところだ」

「お二人も……?」

「ああ、そうだ。わたしたちとリデルがともに話をしにいけば、さすがの父上も話を聞いてくださるだろう。だから大丈夫だ」


 それは心強いなの! と嬉々とした声とともにぴょんと跳ねるリデル。


 だがすぐにひょこと首をかしげながら、ブラットに視線を向けてくる。


「しかし、なぜ“魔将崩し”と名高いあのブラットさままでもご一緒に……?」

「魔将、崩し……?」


 眉をひそめるブラット。


 その“魔将崩し”なるまったく聞き覚えのない異名はいったいなんなのか。


「はい、ブラットさまの勇名はすでにこの半島にも轟いているなの」

「勇名……ですか」

「魔将リオネッタの謀略を看破し、ピシュテルの王都であるフォールフラットを見事に防衛……! そして最後にはその桁外れの剣術でリオネッタと互角に渡りあい、相打ちとなって行方不明となった……その身をもって魔将の侵攻を食いとめた“魔将崩し”の英雄だと。生きていらっしゃったうえ、こうしてお会いできるなんて光栄なの! しかも文武両道なだけでなく、こんなに見目麗しい方なんてびっくりなの!」

「……」


 なるほど、ネットやテレビがないので伝わるのは遅いようだが、さすがに事件の大きさが大きさなので情報は届いているようだ。


(もっと命をねらわれそうだから、あんまり有名にはなりたくないんだが……)


 そうは思うものの、まあいまさらだろう。すべては自分の思うように動いた結果だ。こうなってしまったものはしかたあるまい。


 それはさておき、とブラットは息をつき、


「こちらこそこのような美しい姫君に知っていただいていたとは光栄です。そしてわたしがこの国に来た理由ですが、とめられる戦はとめたいということがひとつ。あとそれにくわえて、行方不明になった弟のアルベルトをさがすためです」

「アルベルト殿下が……行方不明に!?」


 リデルが驚愕に目を見開く


 アルベルトは優秀な王子として有名だったので、名は知っていたらしい。


「はい。行方不明となったのは突然で経緯もわからないのですが……アルベルトはこのデルトラ半島に来ているようなのです」


 なにか心当たりはありませんか? とブラットは好機とばかりに訊ねる。


 しかしリデルは思案し、首を振る。


「申し訳ありませんなの、残念ながら……」

「……そうですか。いえ、ありがとうございます。そうすぐに手がかりが見つかるとはわたしも思っていなかったので」


 少しがっかりしながらもそう言い、ブラットはおもむろに立ちあがる。


「とにかく、いまは戦をとめることが先決。早速、皇都に向かいましょう」

「……だな」「ですなの」


 キャロルとリゼルはほぼ同時にそう返事をし、ともに立ちあがった。


 まだ今回の諍いの黒幕がベルゼブブという件は説明できていないものの、それは行きながら詳しく話せばいいだろう。


(急がないとな)


 今回の諍いを見るかぎり、想像以上に事態は進行している。急がねば、いつ大きな戦に発展するかわからない。


 だがブラットが歩きだそうとすると、リデルがブラットの肩を叩いた。


「あの……ブラットさま、失礼なのですが手を握っていただけませんか?」


 ブラットは首をかしげる。


「手を、ですか?」

「はい。実は……今回の件でどうしようか迷っていたとき、ブラットさまのご活躍を聞いて何度も勇気づけられたなの。ブラットさまはたったひとりで魔将を退けて国を救ってみせたんだから、わたしも戦ぐらいはとめなきゃって……!」


 リデルは思いかえすように胸に手をあて、柔らかな笑みを浮かべる。


「そしてさきほどは命まで救っていただいて、ブラットさまはわたしの守り神さまみたいなものなのかなって勝手に思ってるなの。だから戦をとめられるように、少しだけ力をわけてほしくて……」

「……なるほど。過大評価だとは思いますが、こんなかわいらしいお姫さまにそう思っていただけているのは素直に光栄です。力を与えられるかどうかはわかりませんが……ともにがんばりましょう」


 それぐらいならばお安い御用だと手を貸すと、リデルはぎゅっとブラットの手を握り、えへへとはにかんでみせた。


 キャロルはそれを見てからかうように、


「リデル、やめたほうがいいぞ。ひとつ言っておくが、こいつは垂らしだ」

「まあ!? そうだったなの!?」

「……人聞きの悪いことを言うな。ともかく急ごう。時間はあまりない」


 ショックを受けた様子のリデルを尻目に歩きだし、さっさとギルガルドのもとへと向かうブラットなのだった。



 こうして――


 ブラットは二人の姫君とともに城塞を発ち、皇都にてついにあの“狂人皇帝”カスケードとの謁見を果たすのだった。





 ✳︎





「そちらの状況を報告するんだナ」


 漆黒の空間。


 なにも視認できぬ暗闇のなかで、魔王軍の最高指揮官の四魔将であり、“暴食オーバーイーター”の異名をとるベルゼブブの声が静かに響いた。


 するとふところに忍ばせた魔石から、まもなく配下の魔物の声がかえってくる。


『……は! すべてはベルゼブブさマの思惑通りに進んでおりまス。エルネイドは城塞都市アドラスへの侵攻を開始。ほどなくアドラスは落ちるでしょウ。そうなれば、両国ともにもはや後戻りはできなイ。確実に大きな戦となるでしょウ』


 嬉々とした声音のその報告を聞き、しかしベルゼブブは神妙に思案する。


(ふむ……うまく行きすぎているんだナ)


 物事がうまく行きすぎているときというのは、だいたいの場合その後になにかしらの大きな反動があるものである。


 そんなベルゼブブの思考を読んだかのように、配下が言葉をついだ。


『しかしご存知かもしれませんが、なにやら不穏な動きもあるようでして……』


 不穏な動き? と眉をひそめるベルゼブブ。


『はい、エルネイドの王女がダストリアに向かったことは前回ご報告したとおりですガ、その王女がどうやらダストリアの皇女キャロル、そしてピシュテルの王子ブラットと合流したようなのでス』


 ベルゼブブは目を見開く。


「ケケケ、皇女キャロルはともかく……あのピシュテルの王子が、このデルトラ半島に来ていると……そういうのか?」

『そのようでス』


 ベルゼブブはふむとうなる。


 ――ブラット・フォン・ピシュテル。


 あのピシュテル事変において、リオネッタの謀略を読みきったばかりか、彼女と互角に渡りあった謎多きピシュテルの王子。


 いや、それだけではない。


 どういうわけかあのブラットは、リオネッタを手駒にするためにベルゼブブがしかけていたリオネッタの妹の秘密すら看破し、ついにはリオネッタを説得してしまったのだ。誰にも知られぬように秘匿していたあの情報に、そしてあの少女の真実にいったいどうたどりついたのか。


(ケケケ、あの王子については……正直いまだに不明なことが多すぎるんだナ)


 サイクロプスを討伐したと聞いたときは大した脅威とは思っていなかったが、こうまで計画を狂わされると注意せざるをえない。


 特に今回の計画は、ベルゼブブにとって非常に重要なものだ。万にひとつにも、邪魔をされるわけにはいかなかった。


『……どういたしますカ?』

「なにもするナ」


 配下の問いに即答するベルゼブブ。


『よ……よろしいのですカ? あの王子には妙な力があル。両国の姫君たちと結託し、もしや戦がとめられてしまうやモ……』

「ケケケ……勘違いするナ。手を打てないのではない。打たないのがベストだと言っているんだナ。へたに動けば、こちらにボロが出る。すでに歯車は動きだしたのだ。動きだした歯車とめるのはもはや至難。我らはただあの“灰色の帝国”とともにあの面倒な皇帝が朽ちゆくのを、ただ見ていればいいんだナ」

『な……なるほド』


 失礼いたしましタ、と配下が慌てて謝罪するのを聞き終える前に、ベルゼブブは話は終わったとばかりに通信を切断する。


(ケケケ、なにもせずとも……もはやすべてはとめようもないんだナ)


 力と力の衝突、人間の感情の大爆発――それらは大きな魔力を産みだす。


 今回の戦で桁外れの膨大な魔力が生みだされることは確実。そしてそれらを回収できれば、魔王は間違いなく覚醒するだろう。リオネッタが抜けた穴は大きいが、計画自体にはなにも支障はない。



(さて、ブラット・フォン・ピシュテル……とめられるものならとめてみナ)



 ベルゼブブは嗤う。


 その邪悪な笑みは、周囲を覆っていた深遠なる闇でさえかすんで見えるほどに、あまりに暗く、黒く、そして禍々しかった。


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