第4話 とある侍女の勘違い



「ふわあああああ……ねむいデス」


 ロジエは寝間着から仕事着の侍女服に着替えつつ、つい大あくびをしてしまう。


 侍女の朝は早い。

 王族の世話をする専属侍女の朝はことさらだ。


「ロジエ……あんたひどい顔しとるけど、大丈夫なん?」


 心配そうに訊ねてきたのは、相部屋をしている侍女仲間のリイナだ。


 リイナはハーフエルフなので見た目はきれい系なのだが、西方の辺境伯の娘で陽気な性格をしており、ポニーテールがトレードマークの美少女だ。


 彼女もロジエとならび、早朝から仕事支度をしていた。


「だいじょぶデス、ちょっと睡眠不足なだけで」


 ロジエはそう答えながら、ぺちんと自身の頬を叩く。

 だが眠気はなかなかとれず、目は相変わらずしゅばしゅばとしていた。


「ほんまに大丈夫~? さいきんあんたのご主人さま、よーわからんやる気出しとるみたいやけど……無理させられとるんやない?」

「そんなことないデスよ? ブラットさまは休めって言ってくれるけど、わたしがやりたくてやってるだけデスから。それに、ブラットさまはわたしがねむっているあいだにもがんばってらっしゃるし……のんきにねむってられないデスよ」


 ブラットが学院の授業中に倒れた日から、1週間が経過していた。


 あれからブラットは体調不良を理由に学院を休み、一方で王宮ではあれこれと活発に動く日々を送っていた。素行も成績もよくないなかでの仮病による自主休講で周囲はよく思っていないようだが、身近で彼を見ているロジエからすれば、これまでになく精力的な様子なのでいいことだと思っている。


 ロジエはそんなブラットの手足となって毎日大忙しだ。ごらんのとおり、睡眠不足になるぐらいだが、やりがいがある仕事ばかりでうれしい悲鳴だと思っている。ブラットの叱責に怯えながら仕事をしていた以前とは大違いだ。


 目的はわからないが、あるじがやる気を出しているのだ。側近の自分がここで踏んばらないでどうすると思う。


 握り拳をつくってあらためて気合いをいれるロジエだったが、その顔をリイナがひょこと横からのぞきこんでくる。


「……」


 至近距離でじっと見つめられ、ロジエはなんだか照れくさくなって顔をそらした。

 だが顎をつかまれ、くいっと強引にリイナのほうに向かされる。


「あーあ……おっきな隈つくって、かわいい顔が台無しやで」


 リイナはそっとロジエの目元に触れ、呆れ顔で肩をすくめた。


「たしかにブラットさまはさいきん人が変わったみたいに寛大だけど、これがいつまでも続くとは思わんほうがええよ? どうせ気まぐれですぐに元通りのおバカ暴君になるんやから、やさしいうちにしっかり休んどき」


 自分を気遣ってくれているようだが、主を悪く言われたようでロジエは少しムッとしてしまった。


「気まぐれじゃないデスよ、ブラットさまはきっとこれからもやさしいデス! そもそも元々おバカ暴君だったとは思わないし」

「いや……しょうもないことで毎日毎日ブチギレてまわりに当たりちらしてたあれを暴君と言わずになんて呼ぶん?」


 リイナは肩をすくめる。


「たしかにこれまでのブラットさまは……一見、暴君だったデス。リイナちゃんが勘違いするのもわかるデス。だけどあれはたぶん、ぜんぶ演技だったデス」


 主がバカにされているのが我慢ならず、ロジエはここ一週間で至ったブラットについての推察の結論を述べる。


 演技? とリイナは眉をひそめる。


「そうデス、演技。ブラットさまがさいきん私財を投げうって、それを慈善事業にまわしてるのは知ってるデスよね? それが証拠のひとつデス」

「ああ、そんな話も聞いたな? でもあれってただの点数稼ぎやないん? さいきんは第二王子のアルベルトさまを次期国王にって声が高まっとるから、陛下にアピールしだしたんやろってみんな言うとるで」

「違うデス! あれはたぶん、ブラットさまが前々から計画をしたことだったデスよ。一見してブラットさまは贅沢三昧の毎日を送ってたデスが、実はちゃんと換金可能な財として手元にたくわえていたデス。それはたぶん、いざというときにこうして自分で苦しむ民に手助けするためだったデスよ」


 さいきん国政が貴族優遇のものになりつつあり、貧民や下層民が冷遇されている。そういう状況が来ることをはるか昔から予期し、ブラットはこれまでおバカなふりをして贅沢品を買いあつめて財をこつこつとたくわえていた。


 最初はなんとなくそうかもという程度だったが、ブラットのさいきんの思慮深い様子を見ていて、ロジエはそうなのだとなかば確信していた。


「……はあ? なにそれ考えすぎやろ? 単なる気まぐれを深く考えすぎやって。これまでめちゃくちゃ自己中だったことの説明にもなってないし」

「考えすぎじゃないデスってば! ほかにも民のためにいろいろといま動いてらっしゃるし、暴君だったのにもきっと理由があるデスよ! たとえばアルベルトさまとのあいだに王位継承争いが起こらないように、あえて無能を演じてアルベルトさまに王位を譲ろうとしたとか、きっとなにかそういう……」

「だとしたら、まだ暴君を演じとるはずやろ?」


 冷静につっこまれ、ロジエは一時口ごもる。


「それは……きっと国の状況がその演技をやめてまで、自分で動かなきゃって思うようなひどい状況だったデスよ。それかアルベルトさまには国はまかせられないと判断して、自分が国王さまになることにした、とか」

「いやいやいや、相変わらずアルベルトさまは優秀でイケメンやし、最高の王になるって評判でイケメンやし、とにかくイケメンやからなあ……別にブラットさまを特別嫌いやないけど、さすがにアルベルトさま派やわ」

「アルベルトさま、裏では女癖悪くて腹黒いってうわさデスよ? 優秀でイケメンでもいい人だとはかぎらないデス」


 アルベルトもブラットと同じく専属侍女を頻繁に替えており、その理由が侍女に手を出しているからだといううわさがあった。


 もちろん根拠のないものであり、ロジエふくめて誰もまともに信じてはいないようだが。そもそもアルベルトはブラットの双子の弟なのでまだ14だ。これからならばともかく、いまそのようなことをしていると思えない。


 リイナも「誰かが嫉妬で流した嘘やろ」と一蹴する。


「とにかく……ない、絶対ないわ。ブラットさまが変わってるのはいいことやけど、あんまり幻想は抱かんほうがええで」


 鼻で笑われ、ロジエはぷくぅと頬をふくらませる。


 リイナはロジエの頬をつんと突き、空気を無理やり排出させて頬をしぼませると、「そんな怒らんでよ」とくつくつと笑った。


「とにかく、無理はせんでってこと。せっかくうちら仲良くなったんやから、あんたが倒れてこの仕事やめたりしたら悲しいやん?」


 ロジエは納得いかないが、それでもリイナが気遣ってくれているのもわかった。


「……わかったデスよ、気をつけるデス」


 心配してくれてありがとう、とロジエは素直に礼を言う。

 リイナはにっこりと微笑み、ロジエの頭をいい子いい子と撫でてくる。


「……子供扱いはやめてほしいデス。歳は同じ16デスよ?」

「あ~ごめんごめん、小さいからついね」


 リイナはぺろっと舌をだす。

 ていうか――とそのままふと窓の外を見やる。



「噂をすれば、あんたの推しが今日もがんばっとるで」



 言われて外を見ると、中庭に人影がふたつ。


 ひとりはロジエの主である“黒豚王子”こと第一王子ブラットで、もうひとりは軽薄そうな笑みが特徴的な長身の男――名誉騎士として騎士団に籍をおいている英雄“魔神殺しデモンスレイヤー”のグラッセ・シュトレーゼマンだ。


 二人は早朝から剣戟の音を激しく響かせ、剣の稽古をしている。

 一週間前から様子が変わったブラットは、突如グラッセに弟子にしてもらえるように頼み、ここ一週間毎日こうして早朝に稽古をつけてもらっているのだ。


「一日でやめるかと思ったけど、もうなんだかんだ一週間。よーやるわ。ていうか、そもそもグラッセさまもよー付きあっとるわ」


 グラッセは大陸屈指の戦士である一方、つかみどころのない気分屋な性格で有名だ。面倒なことには首をつっこまないで楽して生きるというのが性分らしく、この王宮に身を置いているのも衣食住が用意されるからだと聞いたことがある。


 だからこそ、ブラットの師を引きうけたのは意外だった。単なる気まぐれか、あるいはブラットになにか才能を見出したのか。


「しっかし、ブラットさま相変わらずひっどい顔しとるな。ロジエ……あんたあれをほんまに推せるん? さすがにきつくね?」


 リイナはブラットにまるで汚物を見る目を向け、そう訊ねてくる。


 傍目から見てもグラッセとブラットには信じられぬ実力差があり、ブラットが終始グラッセに遊ばれているようにしか見えなかった。


 ブラットは必死にグラッセの動きについていこうとするものの体がついていかない様子で、奇妙な踊りでも踊るかのような動きになってしまっている。おまけに汗だくでその苦しげな顔はいまにも倒れてしまいそうだ。


 こんな調子でいつも稽古しているため、周囲の貴族やリイナふくめた使用人たちはその姿を滑稽だといつもあざ笑っていた。


 だが――



「……かっこいい」



 ロジエはそう思っていた。


 どう見ても苦しくてたまらない様子なのに、それでもブラットは一週間ずっとグラッセとの稽古を継続している。そのひたむきさは素直に尊敬できるし、全身の贅肉を揺らしながら必死に動くその姿がかっこよくさえ見える。


 さいきんのブラットはものすごく理知的で、その考えは海よりも深い。だからこそ息を切らして必死にがんばるその姿にギャップを感じ、尊く思えるのかもしれない。おまけにここ一週間ずっと厳しい稽古に耐えているせいか、顔や体型がシュッとして凛々しくなってきたような気もする。


「え……ロジエ、あんたなんでほっぺた赤くしとるん?」

「あ、え!? 赤くなってるデス!?」


 リイナに指摘され、慌てて自身の頬に触れる。

 頬が妙に熱くなっていることに気づく。


 リイナは頬をりんごのように染めるロジエを驚愕と呆れのいりまじった顔で見やり、「こりゃ重症だ」と肩をすくめた。



「……って、あれ? ?」



 しかしそこで、ロジエは中庭に第二王子アルベルトの姿を発見する。


 貴族からも民衆からも褒めそやされるイケメン王子は、侍女を引きつれて中庭を横切ると、なにやらブラットに話しかけている様子だ。


(いったいなにを話しているデスかね?)


 二人が話すのは見たことがないが、あまり仲はよくないという話だ。大丈夫だろうか、とロジエは眉をひそめた。


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