第5話 黒豚王子は動けるデブになる



「ハア、ハア……うりゃああああッ!」


 時間は少し巻きもどり、王宮の中庭。

 息も絶え絶えになりながら、ブラットは目の前の戦士に打ちかかる。


 だが目の前の軽薄な笑みをうかべた長身の戦士――英雄“魔神殺しデモンスレイヤー”ことグラッセ・シュトレーゼマンは動いたかすらわからぬぐらいの必要最小限の動きだけで、ブラットの渾身の剣撃を完璧に避けてみせる。


 見切られているというレベルではない。

 彼には自分の動きが何十倍にもスローモーションに見えているのだろうと確信してしまうほどの圧倒的な力量差――いや、ステータスの差を感じた。


「一週間前に比べたら進歩したけど……まだまだ、そのへんの騎士程度だね~☆」


 グラッセは午後のティータイムの最中かのように余裕しゃくしゃく様子でつぶやいたかと思うと、空間転移したかのような速さでブラットのふところに突如出現し、ブラットの黒々とした額にでこぴんを入れる。


 ブラットはたったそれだけで思いきりぶん殴られたかのようにふっとび、中庭の芝のうえにごろごろと球のように転がった。


(ハア……死ぬ、まじで死ぬわこれ。昔の少年マンガでは強くなるためにつらい修行を乗りこえるってよくあったけど、もうそういうの流行んねえだろおい)


 グラッセは『ファイナルクエスト』において重要キャラのひとりであり、最強キャラの一角だ。レベルにすれば70オーバーであり、平均的なゲームクリア時の勇者パーティーのレベルが50前後であることを考えると勇者よりも強い。


 にもかかわらず性格やバックグラウンドに難があり、魔王討伐には協力的ではないという癖のあるキャラだ。一方で作中においては勇者のピンチに急にあらわれ、いいところをかっさらっていくこともあって人気がある。


(正直この人に転生したかったわ……)


 まあとにもかくにも最強キャラなのだが、そんな相手と最弱レベルの自分が稽古をすれば、このように地獄の特訓となることは想像にかたくない。


 なぜ自分がこのようなドM大喜びの特訓をみずから望んだかというと、もちろん死亡エンド回避のためなのだが、細分化するとがある。


 ひとつが――ダイエットだ。


 痩せなければならないとわかっていても、自分の意志で運動を継続するというのは難しいこと。ある程度、運動の継続に強制力をもたせたかったのだ。


 グラッセに弟子にしてもらい、毎朝稽古をつけてもらうように頼んでしまえば、強制的にそれがルーティンになるだろうと思ったのだった。


 もうひとつが――レベルシステムの検証だ。


 強くなるには、しっかりとこの世界にレベルシステムが適用されているのかを再確認する必要があった。そしてレベルシステムが適用されているのなら、グラッセという圧倒的強者との稽古をすれば、低レベルのブラットが手にいれられるはずのない膨大な経験値を一気に手に入れられる。結果的に急激にレベルがあがり、ブラットがそのことを実感できるほどに強くなれるだろうと考えたのだ。


 そして検証の結果、あきらかに一週間前とくらべて自身の体が別人のように強靭になっているのを感じた。力、耐久、速さ、器用さ、魔力――それらすべてのステータスがブラット自身が実感できるほどに明確にあがっているのだ。


 まだまだグラッセにはまったく歯が立たないし、見物する使用人たちに嘲笑されていることからわかるように、傍から見れば相変わらず無様にぼこぼこにされ続けているのだが、その実は少しずつグラッセの動きに体が追いついてきている。


 これまでまったく運動すらしてこなかったデブが、いきなりそれほど動けるようになるなんて以前の世界なら絶対にありえまい。


 つまり、レベルシステムは存在している。


 レベルが目に見えるわけではないが、少なくとも内部システム的には存在している。そしてグラッセとの稽古のさなかにブラットの体がときおり淡い光を放つことがあったが、おそらくあれがレベルアップのエフェクトだったのだろう。


 となると、いまのブラットはレベル15程度には達しているはずだ。これはグラッセも指摘したとおり、そのへんの騎士と同程度である。学院の平均的なモブ貴族のレベルが10程度だと思うので、それよりは強くなれたはず。その程度ではあるが、一週間で6から15になったと考えれば大きすぎる進歩である。


(……けっこう他人の強さって魔力とかでわかるから、レベルやステータスをゲームみたいに数値化して表す道具や魔法なんてものも開発できそうだよな)


 ふとそんなことを思いつき、あとで宮廷魔術師にでも相談してみようと決める。


(にしても、いつになったらスキル教えてくれるんだろ?)


 グラッセに弟子入りするにあたり、グラッセにブラットがそれに見合うと認められれば、を伝授してもらえることになっていた。


 そしてそのスキルの習得こそが、今回の稽古を受けた3つある目的の最後の目的であり、同時に最大の目的だった。


『ファイナルクエスト』作中では、このグラッセによる稽古を受けることでのみ習得できるエクストラスキルが存在するのだ。ふつうにゲーム攻略するうえでは不要なものだが、いまのブラットにとってはこれからさらに効率的なレベリングをするうえで、絶対に身につけておかねばならないスキルだった。


(いまのまま稽古を続けていればそれなりには強くはなれるが……グラッセがゲームのように永遠に稽古に付きあってくれるとも思えないからな)


 なにしろグラッセは気まぐれだ。

 そもそもなぜ彼が弟子入りを受けてくれたのも、いまいちわかってはいない。もちろん好物のコロッケを差し入れたり、できるかぎり媚は売ったのだが。


 まあとにもかくにもそんな理由でグラッセの稽古を受けているわけだが、正直ここまでつらいものだというのは誤算だった。


『ファイナルクエスト』の作中では「そんなに教えてほしいの~? しょうがないな~☆」とグラッセがその独特な口調で訊ねてきて、「はい」と答えると特訓ゲームが始まる。それをクリアするとあっというまにスキルが身についているというものだった。まさか実際に受けるとここまできついとは。


「ねえ、いつまで休んでるつもり~? ぼくもいろいろと忙しいなか、早朝にわざわざ時間をつくってあげてるんだけどな~☆」


 地面で明るくなりつつある早朝の空を見上げてそんなことを考えていると、グラッセが呆れたように声をかけてくる。


「あ、いや……すまない。続けよう!」


 ブラットは慌ててそう答え、そのずんぐりとした胴体を起こして立ちあがる。


 以前ならばこうしてすばやく起きあがることなんて絶対にできなかったので、成長したんだなと内心でうれしくなる。ブラットは動けないデブから動けるデブへと見事に進化しつつあるのだった。


(体重も100キロから90キロまで減ったし)


『ファイナルクエスト』内の重さや長さの単位は、ほとんど前世のものと同じであり、魔力を用いた体重計までも存在する。


 それで毎日体重を測っているのだが、一週間でしっかりと10キロ痩せていた。これだけ激しい運動を毎日続け、さらには食事制限もしている成果であろう。筋力も増えていることを考えると、脂肪はもっと落ちているはずだ。


(よし、順調順調!)


 ブラットは自身が死亡エンドから遠ざかっていることを実感しながら、グラッセとの稽古を再開するのだった。


 そしてブラットとは犬猿の仲にある第二王子アルベルトが中庭に姿を現したのは、そんなときのことだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る