第36話 黒豚王子は予想を的中させる
(あっぶねえ……)
自身の胸でぶるぶると身を震わせる
間一髪のところであった。
もしも自分が助けに入るのがわずかにでも遅れていれば、マリーがあの男にいったいなにをされていたか。そう思うと準備に手間どった自分が腹立たしい。貴賓席は安全だとたかをくくっていたのも愚かだった。
(……すまない、マリー)
涙まで流させ、恥をかかせてしまった。
マリーは公衆の場においてはマナーや礼節を完璧に守りつつも、他者に基本的に一線を引いたサバサバとした――悪く言えば、冷ややかな対応をすることが多く、高嶺の花という雰囲気を醸しだしている。
だがそれは、“妖精姫”とも形容される触れたら壊れてしまいそうなガラス細工のような美貌を持つがゆえ、浮ついた男どもを寄せつけぬための自衛策なのだ。本当はとても心優しく繊細で、年相応の少女なのだと幼馴染のブラットは知っている。
男にこんな目に合わされ、恐ろしくないわけがあるまい。涙まで流しているのだ。本当の本当に恐ろしかったのだろう。
にもかかわらず――
「あ、あの……殿下、助けていただいてありがとうございました。わたくしはもう問題ございませんので、皆をお願いいたします」
マリーは深呼吸して落ちつきを取りもどすなり手の甲で涙をぬぐい、いつもの気丈な表情をとりつくろってそう言った。
まだ声も体も震えていて恐怖を感じているだろうに、自分のことは後回しにして、民や周囲の人間のことを最優先に考えられる。
まったく――よくできた少女である。
(俺の婚約者がこんなに天使すぎるわけがない……ってラノベ書けそうだ)
抱きしめられていたことが気恥ずかしいのか、ほんのりと頬をそめているところがまたかわいらしい。できることならこの少女を一日中なでまわし、抱きしめ、そして甘やかしてみたい。そんなふうにブラットが思ってしまうのも無理なかろう。
だがブラットはどうにか自制し、
「……承知した。もっときみのそばにいたいところだが、残念ながら状況はそれを許さないようだ。マリー、どうか気をつけて」
マリーの頭をなでながらうなずきかける。
「殿下も……どうかご無事で。無理だけは決してなさらぬように」
こちらが心配していた側のはずなのに、まるで子を送りだす親かのように、マリーは不安げな表情でブラットを見つめてくる。
ブラットはそんなマリーを安心させるように悪戯な微笑をうかべ、
「……きみが頰にキスでもしてくれたら、がんばれる気がするんだけどね?」
ねだるように自身の頬を指さす。
キ、キスですの!? とマリーは頬をそめながら戸惑うような表情を浮かべる。
ヨーロッパ的な思考が適用されているらしく、この世界ではキスが挨拶代わりにしばしば使われる。だが身内でない適齢期の男女がするとなると、互いに意識してしまうのはやはり避けられないのだ。
「……冗談だよ。婚約破棄を申しいれられてる身だからね。でももしも今回の騒ぎをおさめられたら、ぜひ一考してくれ」
「あ、え……殿下!?」
もっとからかっていたい気持ちは山々だったものの、ブラットは肩をすくめながらそう残し、かわいらしくあたふたするマリーを尻目にすぐさま自身の仕事へと移った。
手始めとばかりに貴賓席でいまだ暴れていた観客数人を拳で気絶させ、父である国王カストラルや貴族たちを救出する。
「ブラット……すまぬな、助かった」
「いえ、当然のことでございます。あとはおまかせください」
少し気まずそうに礼を言うカストラルと積もる話をしたい気持ちもあったが、いまはそのような状況ではない。いつもどおりの微笑で短くこたえ、ひとまず貴賓席の安全――なによりマリーの安全――を確保できたことをしっかりと確認する。
それから闘技場上空に浮遊する女――“四魔将”リオネッタに目を向けた。
「あらあら……ブラット・フォン・ピシュテル、遅かったわね。あまりにも遅いから、おさきにショーは開演してしまったわよ」
リオネッタは待っていたとばかりに薄暗い微笑をこちらに向けてくる。
「わずかでも待ってくれたのなら光栄だよ、リオネッタ嬢」
ブラットが微笑みかえすと、リオネッタは不快げに鼻を鳴らす。
「軽口を叩く余裕があるみたいだけれど、貴方がもたもたしているあいだに、王都はこのとおりの大混乱よ。人助けが大好きらしいけれど……貴方ならばこの状況をどうにかできる、というのかしら?」
この状況を見ろとでも言うように両手を広げるリオネッタ。
“
「俺には……どうにもできそうもないな」
そして状況を理解したうえで、ブラットはそう判断する。自分の力ではこれほどの騒ぎは収められそうもないと冷静に。
「フフフフフ……そうね、そうでしょうね。そもそも聖母をわたくしが封じたいま、この暴動をとめる手立てがあるはずがないわ」
これでわかったかしら? とリオネッタは嬉々と声をあげる。
「この世には救えぬものもある……そんな当たり前の事実が。貴方にはこの国もこの国の民も……そしてもちろん、わたくしでさえ手をこまねく妹も救えるわけがない。貴方ごときにはなにも救えないの。国とともに滅び、自身の慢心を悔いなさい?」
リオネッタは勝利の美酒に酔ったかのように高らかに笑う。
ブラットは無言でそんな彼女を見あげ――
「そうだな、俺にはなにも救えないよ」
うなだれるようにそうつぶやいた。
それは客観的に見れば、あきらかに敗北宣言だったろう。
『ブラット……』
『殿下……』
『ブラッドさま……』
実際――国王カストラルが、婚約者マリーが、侍女ロジエが、闘技場に居残る民が、その言葉に沈痛な面持ちを浮かべた。
頼みの綱に思えたブラットでさえ、この状況はどうにもできないのだ。この国はこのまま魔王軍の手に落ちてしまうのだ、と。
だがすでに哄笑のために大きく開いていたリオネッタの口の端が、さらに裂けるように不気味に広がったその瞬間――
「――救うのは、俺じゃない」
ブラットはふいに顔をあげ、ニヤリと不敵な微笑をうかべた。
直後――
「……!?」
突然、あたりがまばゆい光に包まれる。
まるで豊穣の女神が大地に祝福を与えているかのように、まばゆい純白の輝きを放つ魔力が、闘技場へと降りそそいだのだ。
そしてさきほどまで騒々しく暴れくるっていた人々が、なんとその魔力を浴びると次第におだやかな表情になってゆく。
『あれ……俺なにしてたんだっけ?』
『わたしなんであんなに怒ってたのかしら』
『すまねえ、やりすぎたよ……』
気づけばみな正気を取りもどし、その多くが自身の行いを悔いている様子で、口々に謝罪と和解を始めたではないか。
「これは……まさか“エリアクリフィケーション”!?」
純白の魔力の正体に気づき、リオネッタは驚愕の声をあげる。
――“エリアクリフィケーション”
それは第6位階の広範囲治癒魔法だ。
毒や麻痺、混乱といった状態異常効果を無効化する第3位階治癒魔法“クリフィケーション”。それと同等の効果を持つ純白の魔力を雨や雪のような粒子状にし、広範囲へと放つという上級魔法である。
「しかも闘技場全体に!?」
その効果範囲は術者の力量に依存しており、闘技場全体に効果をおよぼすほどの“エリアクリフィケーション”となると、教会の大司祭クラス――少なくともレベル30オーバーの実力者にしか不可能なこと。リオネッタが驚くのも無理はなかろう。
「誰が闘技場だけなんて言った?」
しかし現時点ですでに驚愕の事態だというのに、ブラットはリオネッタにそう笑いかけ、闘技場の外を見るようにうながした。
「……?」
リオネッタは闘技場の外を見やり、信じられぬと首を振る。
気づいたのだろう。
闘技場だけでなく、闘技場の外――王都全体へと“エリアクリフィケーション”の純白の魔力が降りそそいでいることに。
「ありえないわ……現在の王都にこのようなことができる人間は“
リオネッタは当惑しながらも魔力の出どころ――王都の中央広場へとすぐに視線を向け、そしてすでに驚愕に見開いていたはずの瞳をさらに大きく見開いた。
それもそのはず。
絶対にそこにいるはずのない人間が、確かにそこにいたのだから。
敬虔な祈りをささげる“七英雄”――圧倒的な純白の魔力をまとう麗しき“救世の聖母”セリエ・シュトラスフィールその人が。
「まさか……なぜあそこにあの女が!? さきほど間違いなく異空間に幽閉したはず……いまだって確かにここに!!!」
リオネッタは中空に指で円を描き、異空間への扉を開く。
そしてその真っ暗な異空間のなかにはリオネッタの言葉通り、セリエとおぼしき女がいまも膝を抱えて座りこみ、幽閉されていた。
ふいに顔をあげたその女の顔は、ブラットが見ても――いや、おそらくほかの誰が見てもやはり“救世の聖母”その人である。
だが一方でその表情には、常に柔和な笑みを絶やさぬセリエと異なり、ふだん彼女が浮かべぬ意地の悪い笑みが浮かんでいた。
そして、そのことにリオネッタが気づいただろうその瞬間――
「!?」
セリエらしき女のその顔は見る見るうちに形を変えはじめ、セリエとはまったくの別人――否、別の存在へと変貌をとげていく。
全身からは焦げ茶の体毛、頭部からは獣耳、臀部からは尾がそれぞれ生え、牙や鉤爪が鋭くとがり、口が裂けるように広がった。
そして気づけば、完全に人狼の姿へと変貌をとげていた。
「フハハハハ……バカがァ!!! よく見ろオラだよ、おまえにボロ雑巾のように使い捨てられたワーウルフの弟だよ!!!」
セリエに化けていたその魔物――魔王軍魔団長のワーウルフロード、ウル・ガルロフは勝ち誇ったようにそう言いはなった。
「……なぜおまえが!?」
状況をのみこめぬという様子で口をあんぐりと開けるリオネッタを見て、ウルは気をよくしたようにさらに哄笑をあげた。
「半信半疑の部分があったが……そこの王子の言葉を信じて正解だったぜえ! リオネッタ……てめえの吠え面が見られたんだからなあ! どうだ、散々バカにしていた元配下にハメられた感想は!?」
「……計画が、読まれていた?」
いまだ状況を理解しきれぬ様子のリオネッタにいぶかしげな視線を向けられ、ブラットは肩をすくめながら淡々と説明する。
「リオネッタ……悪いがきみの情報を集めさせてもらった。きみがどんな魔法を使うのか、どんな策を講じるのかが俺には筒抜けだったんだよ。だからきみの幻惑魔法への唯一のカウンターになりうるセリエさんを守るため、こうして影武者を立てさせてもらった。これでじきにみな正気に戻り、王都中の騒ぎも落ちつくだろう」
実際はリオネッタの情報は集めたわけではなく、前世のゲーム知識で最初から知っていただけだが、まあ似たようなものだろう。
『ファイナルクエスト』作中においても、リオネッタは“悪夢の蜃気楼”で国落としを計画したことがあった。そして現状この国でリオネッタの幻惑魔法に対抗できるとすればセリエだけ。だからセリエがねらわれることを見越し、対策を打ったのだ。
(……変身能力ってほんと便利だよな)
ワーウルフロードがもしもこのままブラット軍団(仮)に入ってくれるようなら、これからいろいろとはかどりそうである。
『なんと……そういうことじゃったか!』
『すごい、殿下そこまで読んで!?』
『さすがブラットさまデス♡♡♡』
一転して嬉々とした声をあげる一同。
リオネッタは悔しげに歯噛みし、だがまもなく不敵な微笑を取りもどす。
「まさか……そこまで読まれているとはね。確かに想定外だわ。けれど別にそれはそれで問題ない。あくまでも“悪夢の蜃気楼”は一手にすぎないのだから。失敗に終わったのなら、次の一手を打つだけ」
次の一手? とブラットは眉をひそめる。
「貴方は聞いていなかったかもしれないけれど、王都の近くにあらかじめ魔王軍の大隊を待機させていたの。すでに魔物たちは王都へとなだれこみ、民を蹂躙しているころでしょう。その証拠にこの魔石に王都中の民の魔力がどんどん集まって……」
リオネッタは微笑とともにふところから拳大の魔石を取りだし、しかしその色を確認すると、けげんそうな表情をする。
「……ああ、そのことか」
リオネッタの手の魔石をちらと見て、ブラットは思いあたる。
非常に希少な鉱石なのでブラットも現世では見たことがないが、『ファイナルクエスト』作中では目にしたことがあった。
その魔石――アダマンダイトは通常では漆黒なのだが、魔力を吸収するにつれて色が変わるという性質を持っている。細かく言えばキリがないが、おおまかに黒、青、緑、黄、赤といった順に変化する。
いまリオネッタの持つそれは青。王都中の民から魔力を吸収しているにしては不自然な色だった。王都中から魔力を吸収しているのなら、少なくとも緑――いや、黄に変わっていてもおかしくないはず。
「どういうこと……!? なぜこれだけしか魔力が集まっていないの!? まさか魔力の自動収束術式が間違っていた……?」
自動収束術式――魔石がまわりにただよう魔力を自動的に吸収するようにと命令する魔法術式だ。これを魔石にほどこすことで、リオネッタは王都中に発生した魔力を集めていたのだろう。そして魔石の色に変化が起こっている以上、おそらくその術式自体はしっかりと発動しているはず。
つまりは魔力が集まっていないのには、別の理由がある。
「……魔力が集まっていないのは、きみの術式が間違っているからじゃないよ。そもそもこの王都に魔力が発生していないんだろう。なにしろ市壁内には魔物は一切入ってきていないはずだからな」
まさか、とリオネッタは首を振る。
「……なにを言っているの? そんなはずがないわ。あの混乱状態だったのよ? 魔物たちの侵入を食いとめられるわけがない!」
リオネッタはありえぬといった様子で視線を市門へと向ける。
ふだんは大門の脇にある小門だけが開き、内外から人々が出入りしているのだが、現在は大門が完全に開いている状態だった。これは剣舞祭当日だから開いているわけではなく、おそらくリオネッタが門衛たちをあやつって仕組んだことだろう。
あの門には特殊な保護魔法がかけられており、ちょっとやそっとのことでは壊れないようになっている。たとえ魔王軍であっても、あの門を突破するのは容易ではないのだ。だから魔王軍の進軍に合わせ、門を開けはなっておいたのだろう。
あの門がなければ、王都の守りは意外にも脆い。さきほどまで王都中が混乱状態にあったことを考えれば、魔王軍の大隊が数少ない門衛を突破し、王都内に侵入するのは確かに容易なことだろう。
だが王都内に魔物が侵入している様子も、そしてそれによって民が慌てふためいている様子も、門付近では一切なかった。
「ふだんのピシュテルであれば、無理だったろうな。だけどいまは、ふだんとは違うものが――世界最高戦力が集まっているだろ?」
ブラットの言葉に思いあたったのか、リオネッタは“レビテーション”で自身の浮遊高度をあげ、市壁の外へと目を凝らす。
そして――
「……あれは!?」
魔物の大群と向かいあっているふたつの人影を見つける。
ひとりは剣とともに悠然と立ちつくし、もうひとりは杖とともにあぐらをかき、ふわふわと宙に浮かんでいる。
「“
それはまぎれもなく、闘技場から姿をくらましていたふたりの“七英雄”、マーリンとグラッセその人に違いなかった。
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