第37話 黒豚王子は畏敬の念を抱かれる



 ――王都フォールフラットの市壁の外。


 その茫漠な草原地帯には現在、1000にもおよぶ魔物たちの群れ――リオネッタが招集した魔王軍の大隊の姿があった。


 リザードマンやグールといった下級の亜人型モンスターだけでなく、有翼の魔獣パズズや巨大毒蛇バジリスクといった厄介なモンスターの姿も多数見られ、一見しただけで本気で王都攻略にきたのだとわかる戦力だ。


 しかしさきほどリオネッタの合図を受け、王都へと進軍を始めたはずの魔物たちの足はいまぴたりととまっていた。



(いったい、何者なのネ……?)



 大隊を率いる魔王軍魔団長ヴィエラ――美女の上半身に蛇の下半身を持つ半人半蛇のモンスター“ラミア”――はいま困惑していた。


 突如ヴィエラたちの進軍を阻むように、が現れたからだ。



「まさか……本当に大隊がやってくるとはのう。森に潜伏しておったのか。ブラット・フォン・ピシュテル……わしでさえ見抜けなかった潜伏を看破するとは、どこまで見えておるのか底が知れん」



 ひとりは――呼吸をするかのような自然な魔力操作技術で宙に浮かび、ぶつぶつと何事かつぶやく魔術師らしきエルフの少年。



「ふわああ……ねむいなあ☆」



 そしてもうひとりは――自身の背丈よりも長大な剣を片手で軽々と持ち、眠そうにあくびをする気だるげな長身の剣士であった。


「……、」


 相手はたったの二人だ。


 1000もの魔物を擁するこちらの軍からすれば、取るに足らない存在。ふつうならば間違いなく無視して進軍していただろう相手。


 にもかかわらず彼らが眼前に姿を現した瞬間、魔物たちは驚くほど一斉に進軍をやめ、ぴたりと立ちどまってしまっていた。


 ヴィエラがそう命じたわけではない。



(なぜ……なぜ足が動かないのネ)



 それはだった。


 ヴィエラふくめ、魔物たちは自身の意思で――否、本能で立ちとまってしまったのだ。


 感じとったのだろう。

 眼前の二人組の異様なまでの存在感を。魔王軍最高幹部“四魔将”にも匹敵するのではと思わせるバケモノじみた魔圧を。


(バカらしい……そんなわけがないのネ)


 ありえない、とヴィエラは首を振る。


 魔王軍において“四魔将”というのは、次元の違う圧倒的な存在だ。そんな存在と同等の人間が、おいそれといるわけがない。


 しかも――



「グラッセよ、あの王子は本当に何者なのじゃ? 真に人の子か?」

「……」

「巨人討伐時や闘技場で見せたあの圧倒的な戦闘センス、そしてすべてを見透かすかのようなあの洞察力……やはり人の子とは思えぬのだがな。あの歳であの風格というのも、どうしても信じられん。天賦の才では片づけられぬと思わんか?」

「…………」

「これでもそれなりの時を生きたが、あのような規格外の人間は見たことがない。なあグラッセよ、おぬしはどう見とるのじゃ?」

「………………ふわぁぁぁ」

「ナチュラルに無視すなっ!!!」



 二人組は目の前にヴィエラたちがいることを忘れてしまったかのように、のんきにも漫才じみた掛けあいをしていた。


 緊張感の欠片もない。


 ごちゃごちゃとよくわからぬことをつぶやくエルフの少年はともかく、剣士に至っては大あくびをしている始末。これほどの魔物の大群を前にし、まるで昼下がりのティータイムのような様子である。


 このようなものたちが“四魔将”に匹敵する存在であるわけがない。



(だがいま、……と言ったのネ?)



 エルフの少年は確かに剣士をそう呼んだ。


 かの“魔神殺しデモンスレイヤー”と同じ名である。


 そしてピシュテルにあの男がよく滞在しているという噂も耳にはしていた。


(……そんなわけがないネ)


 しかしヴィエラはぶんぶんと首を振る。




“――わたくしが王都を魔法で混乱におとしいれるから、貴女たちはそのあいだに民を蹂躙してちょうだい。たとえ“魔神殺し”が滞在していたとしても、それはこちらで絶対に抑えこむわ。楽な仕事よ”




 自分に声をかけてきたとき、リオネッタはそんなふうに言っていた。


 あの女は得体のしれないところはあるが、実力は疑いようがない。絶対に抑えこむと言ったからにはそれを有言実行しているはず。



「……ごめんごめん、小さすぎてまったく気づかなかったよ☆」

「だ、誰がちびじゃ! そもそもわしの体が小さかろうとそうでなかろうと、声に気づく気づかないはまったく別問題であろう!」

「……ん? いやだから、小さいというのは声のことだよ? きみが指でつまめるぐらいに小さいのも変えようのない事実だけど」

「あ、え……声のことじゃったのか?」

「そうだよ、被害妄想で勝手に勘違いして八つ当たりするのはやめてくれないか。きみは体だけでなく、器も小さいんだね☆」

「ぐぬぬっ、確かにおぬしの言うとおりじゃ……って、どさくさにまぎれて結局めちゃくちゃちびとバカにしとらんか!?!?」


 

 二人組は相変わらず、間のぬけた漫才じみたやりとりを続けていた。


(……こんなアホどもが、泣く子も黙るあの“七英雄”のわけがないのネ)


 知恵ある魔物の子らは、幼少期から“早く寝ないと七英雄に喰われる”だとか“悪い子は七英雄にさらわれる”だとか親に脅され、七英雄の恐ろしさを植えつけられて育つ。そんな神話のごときバケモノが、こんなまぬけなものたちのはずがあるまい。


 おそらくあの二人組は酒に酔っているか、あるいはリオネッタの幻惑魔法で理性がふっとび、正常な判断ができぬままこの戦場に出てきてしまった哀れなものたちといったところだろう。そうに違いない。



「どうでもいいけど、眠いからぼくは寝ていてもいいかな☆」

「ドアホ、少しはやる気を出さんかい! あの王子に頼まれたときは自信満々に“一匹も王都には入れないからまかせといて☆”とかなんとか言っておったじゃろう! ちゃんと有言実行せんかこらっ!」

「そうは言ったけど……正直、きみひとりで十分でしょう。そもそも冷静に考えると、ぼくってには興味ないから☆」



 ぴくり、と。

 聞こえてきた二人組のやりとりに、ヴィエラは眉をひそめる。


(わちらのことを雑魚……と言ったのネ?)


 聞き捨て、ならなかった。


 自分はこれでも魔団長だ。

 魔団長とは魔王軍のなかでも魔将の次点に位置する地位であり、1000もの魔物たちが属する大隊をまかされている長である。弱肉強食の魔王軍において、無能では絶対にたどりつけない地位なのだ。


 そして連れてきた魔物たちも、血の気の多い精鋭ぞろい。どこの馬の骨ともしれぬ二人組にバカにされるいわれはない。


(ふんっ……あまりに行動がアホすぎたから、つい深読みをしてしまったのネ。雑魚がどちらかを教えてやるのネ)


 あのようなちんけな二人組ごときをなぜ恐れてしまっていたのか。


 ヴィエラは自分に苛立ちながら二人組を無鉄砲なまぬけと結論づけ、いまなお歩をとめる魔物たちへと声を張りあげる。



「――動じるな、単なるまぬけな二人組ネ! 全軍……進撃!!!」



 ヴィエラがそう指示した途端。


 魔物たちは自身の仕事を思いだしたかのように武器を構え、鬨の声とともに王都へと勢いよく進撃を再開しはじめた。


 一方、エルフの少年はそれに気づくと――



「……おっと、仕事をこなさねばな――“サモン・サーヴァント”」



 短くそう唱えた。


 まるで第一位階の生活魔法のように気軽に唱えられたそれは、だがこれまで見たことがないほどの大気への魔力干渉力を見せる。


 びりびりと身震いしてしまいそうな張りつめた魔振動の直後。エルフの真下の地面に、巨大な魔法陣が浮かびあがった。


 そして百人単位の魔術師で行う儀式魔法かのような規模のその大魔法陣から、まもなく一体の魔物が顕現する。


 空間を引きさくようにして現れたのは、一柱のであった。


 雑多な血がまざって巨人としての血が薄まっていると言われるトロールやオーガとはまた違う。魔団長でも上位に位置した“単眼の巨人サイクロプス”に匹敵する巨躯を誇り、さらにその体には“単眼の巨人”を上回る圧倒的な蒼く神々しい魔力をまとっていた。



「“霜の巨人フロストジャイアント”……!?」



 ヴィエラは一目でそうだとわかった。


 それはアイシクルマウンテンの巨人族が守り神とあがめる氷の上位精霊である。


「いきなりこのような騒がしいところに呼びだしてすまぬが、ちょいとこやつらを無力化してほしくてな。頼めるかのう?」

『……主の仰せのままに』


 エルフが巨人の肩に乗って命ずると、巨人はニヤリと口の端に微笑をきざみ、進撃してくる魔物の大群へと向きなおる。


 そして――



『――ぬんっ!』



 手始めとばかりに巨人は腰を落とすと、その巨体からは考えられぬ速度でぶんっと振った。すると数十もの魔物たちの群れがたったの一振りで薙ぎはらわれ、面白いようにふっとんで激しく地面に叩きつけられる。


 続けて巨人が二度三度と腕を振りまわし、最前線の魔物たちを一通り薙ぎはらうと、後方の魔物たちが進軍を尻込みしはじめた。


 そこで巨人は大きく息を吸いこみ――



『――“アイシクルブレス”』



 凍えるような氷の吐息を吐きだす。


 その吐息を浴びるやいなや魔物たちは氷漬けになり、そうまでならなくとも体の自由を奪われ、その場に次々と倒れてゆく。


(信じられぬ……フロストジャイアントをああも簡単に召喚し、使役するなんて!? やはりただのまぬけではなかったのネ!?)


 動揺するヴィエラだったが、事態は待ってくれない。自分が隊の長なのだ。



「怯むな……! 巨人を無視して王都へと突きすすむのネ!!!」



 巨人を恐れて右往左往しはじめた魔物たちを奮起させんとそう檄をとばす。


 冷気耐性防具ふくめて専用の装備で対策をしてきているのならともかく、あの巨人をいま相手にするのは分が悪すぎる。


 そして王都はいま大混乱におちいっているはずなのだ。一度王都にさえ入ってしまえば大勢の民がいるため、巨人も迂闊に手を出せなくなるはず。となれば、巨人をできるかぎり無視して突入するほかない。


 しかしヴィエラが一部の魔物たちとともにフロストジャイアントによる猛攻をくぐりぬけて王都の門前にたどりつくと――



「ふわぁぁぁ……抜けてきてるのか、まったく面倒くさいなあ☆」



 さきほどの気だるげな剣士があくびをしながら棒立ちで待ちうけていた。


(ふっ……飛んで火に入る夏の虫ネ!)


 ヴィエラはニヤリと不敵に笑い、そのまま魔物たちとともに門へと駆ける。


 あの巨人相手ならばともかく、いまだ緊張感のないあの剣士相手に足をとめる理由はない。前方を駆ける魔物たちにも怯えた様子は一切なく、威勢のいい声をあげながら、剣士へと襲いかかっていく。


 だがその直後――



「――“絶対領域テリトリー”」



 剣士は一言、そうつぶやいた。


 瞬間――ぐるり、と剣士のまわりに大きく血の色に似た魔力線が描かれる。


「魔物たちよ、引きかえしたほうが身のためやぞ。そこからさきは――やつのテリトリーじゃからのう……って遅かったか」


 エルフが巨人の肩でやれやれといった調子で肩をすくめるが、すでに最前線の魔物たちは剣士へと殺到してしまっていた。


 魔物たちの一団はそのまま剣士の“テリトリー”へと侵入し――



「!?」



 魔力線を踏みこえた瞬間、斬撃らしき無数の閃きが視界を走ったかと思うと、目にもとまらぬ速さでになった。


 同時に噴きあがる大量の血飛沫。


 さきほどまで威勢よく声をあげていた精鋭の魔物たちが、跡形もなくなるほどに斬りきざまれて肉塊となってしまった。


 たった一体で小さな村ぐらいであれば滅ぼせるとされるパズズやバジリスクといった上位の魔物たちもすべて、である。


「…………っ!?」


 ヴィエラはその惨劇を目の当たりにし、ギリギリでどうにか線をこえる前に踏みとどまり、のけぞるように倒れこんだ。



「きみは……☆」



 剣士は返り血を舌でぺろりと舐めながら、ちらとこちらに微笑を向ける。


 さきほどまでと同じ微笑のはずなのだが、この男の起こした惨劇を目の当たりにしたいま、それは死神の微笑にしか見えなかった。


 あと少しでも前に出てしまっていたら、あの線を超えてしまっていたら、自分も眼前の魔物たちと同じように細切れの肉塊になっていたことだろう。そう考えるだけで、全身が芯から震えあがった。


(か、勘違いでは……なかったのネ)


 さきほど二人組を見たときの全身の震え。それは勘違いではなかったようだ。


 この二人組はやはり――



「貴様は……“魔神殺し”、なのネ?」

「ん? そだけど☆」

「それでは、あっちのエルフは……もしかして“大賢人ワイズマン”ということか?」



 その剣士――“魔神殺し”グラッセ・シュトレーゼマンは、いまさらなにを言っているのかという顔でこくりとうなずく。



「それよりもさ、なんだかいらいらしてきちゃったなあ。だってきみたちのせいでブラットくんとの楽しい楽しい時間を邪魔されたわけだよね。そう考えるとやっぱり……きみたちは皆殺しでいいかな☆」



 変わらず軽薄な微笑でのたまうグラッセだったが、目は一切笑っていなかった。


 本気だ。


 あれは圧倒的高みから見下ろす捕食者の目。本気で1000もの魔物を擁する大隊を皆殺しにしようと思っているものの目だ。


「こ……降伏するネ!」


 ヴィエラは慌てて立ちあがると、本能的にすぐにそう申しでるが、グラッセは「……降伏だって?」と眉をひそめる。


「面白いことを言うね☆ 考えてもみてよ。たとえばきみが道端で自分を不快にさせる害虫に遭遇したとしよう。それを始末しようとしたら、害虫が命乞いをしてきた。さあ、きみは耳を貸すのかい?」


 ヴィエラはごくりと唾をのむ。


 ぴりぴりとするほどの桁外れの殺気が、グラッセの全身から発せられ、ヴィエラふくめた大隊全体に一瞬で伝播する。


 死。


 死。


 死。


 おそらくヴィエラと同じく、大隊の魔物たちもみな本能的に察したことだろう。自分たちと眼前の男との生物としての圧倒的な差と、自分たちはここでこの男に殺されるのだというゆらぎない事実を。


 しかし――

 予期した惨劇は起こらなかった。



『――待ってください、グラッセさん』



 そんな声が狂戦士の行動を制したからだ。


 グラッセは動きをぴたりととめ、ふところから魔石を取りだした。


 その魔石から声は聞こえているようだ。


「ブラットくん……なぜとめるんだい? 人と魔物はどこまでいっても殺すか殺させるか、喰うか喰われるかだろう?」

『利用価値があります。できるかぎり生かしておいてもらえませんか?』


 魔石の声の主――ブラットにそう言われ、グラッセは悩むようにしばし動きをとめたあと、気を鎮めるように大きく息をつく。


 それから少し不満げながらも、


「……わかったよ。雑魚狩りに興味はないし、ブラットくんの頼みとあらばね。でも生かしてどうするつもりだい?」

『ありがとうございます! それは今回の件が片づいてから説明するので』


 グラッセはやれやれといった調子で肩をすくめ、「……らしいよ☆」とヴィエラのほうに視線を送ってくる。


「おぬしたち命拾いしたのう」


 マーリンにそう笑いかけられたところで、ようやくヴィエラは張りつめていた緊張から解放され、その場に崩れおちた。


 いまだ気力を残している数百もの魔物たちも、ほぼ同時にへたりこんだ。


(たす、かった……のネ?)


 これからどのような扱いを受けるのかは不明だが、眼前の男の気が変わらぬかぎりはこの場で殺されることはなさそうだ。


 安堵するとともに、ヴィエラのなかに魔石の声の主への疑問が次第に湧いてくる。



「ブラット・フォン・ピシュテル……いったい何者なのネ?」



 “夢幻城”の会議のときに、サイクロプスを討伐したピシュテルの王子だという最低限の情報は得ていたが、正直わざわざ魔将が出向くほどの敵だろうかと疑問だった。どうせ大したことがなく、すぐにリオネッタが仕留めるだろうと思っていた。


 だが眼前の正真正銘の“七英雄バケモノ”を味方につけ、彼らを言い聞かせられる存在となると、それは過小評価と言わざるをえない。


「それはぼくも知りたいところだね☆」

「あやつは……人にしてはあまりに底が知れん。神かそれに近しいなにか、と言われたほうが個人的には納得ができるのう」


“魔神殺し”と“大賢人”は、冗談とも本気ともつかぬ調子でそんなことをのたまう。


 ブラットという男は、魔将と同等の威圧感を放つこのバケモノたちにそうまで言わせる存在らしい。“七英雄”をこえる存在だとすれば、つまりそれは眠りにつく“魔王”に匹敵する存在ということになる。まだ少年という齢のはずなのに、である。



(……会ってみたい。もしや……ブラット・フォン・ピシュテルこそが、わちがすべてを捧げるべき真の御方なのかもしれないネ)



 魔物たちに全面降伏を指示しながら、一度も会ったことのないブラットに心からの畏敬の念を抱いてしまうヴィエラなのだった。

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