第2話 黒豚王子は侍女に感謝する



 ブラット・フォン・ピシュテル。

 ゲーム『ファイナルクエスト』ファンのあいだでの愛称は“ブラピ”。


 これは某ハリウッド俳優とまったく同じ略名にもかかわらず、それに似つかわしくない黒豚のような容姿をしていることを皮肉った蔑称である。「黒豚を英訳したら“ブラックピッグ”だし、制作側もあえてそうしただろ」とのまことしやかな噂もある。


 作中でのブラットは、魔王に魅入られた悪逆非道な若き国王として登場し、民の命を魔王覚醒の礎にせんと画策。最終的に勇者とその仲間である自身の弟に処刑される。


 つまりはお亡くなりになるキャラなのだ。


 悪役でデブで、最期には無様に殺される。

 それがブラット・フォン・ピシュテルというゲームキャラクターの生涯――そして、ブラットとして転生してしまった元黒川勇人だった少年の未来なのだった。


(……ふつうは転生するなら勇者か、その仲間だろうが! 最悪魔王ってのもありだったけど……なんでよりにもよって噛ませっぽいデブの悪役キャラなんだよ)


 それにくわえて死亡エンドが決まっているなんて、どんな罰ゲームだ。


 現在のブラットは14歳。

 確か作中でのブラットは18歳ぐらいだったし、父である国王は存命しているため、処刑されるまでには4年ほどの猶予はある。


 だがこれまでのブラットとしての人生を振りかえってみると、まさにゲームでの高慢な国王ブラットのとおりであり、このまま行けば処刑は順当に避けられまい。


「いやだ、死にたくねえええええええ!」

「――ブラットさま、どうなさったデスか!? なにかあったデス!?」


 頭をかきむしっていると、メイド服姿の少女が慌てて部屋に入ってくる。


 うさぎのように愛らしいその小柄な少女は、専属侍女のロジエだ。


 ブラットが授業で倒れてこの自室に運びこまれてから数時間が経過しているのだが、部屋に入ってきた彼女の早さからして、部屋の外でずっと待機していたようだ。いつ自分が目を覚ますともしれぬのにご苦労なことだ。


「どこかお体が痛むデスか!? いますぐにヒーラーを呼んで……」

「あ、いや……もう大丈夫だから、余計な真似はしなくていい」


 慌ただしく部屋を飛びださんとするロジエを、ブラットが制する。


 ロジエはブラットに肩をつかまれると、怯えるようにビクッと身をすくませたあとしどろもどろで血相を変えて頭をさげてくる。


「さ……差しでがましい真似をいたしましたデス! これからは気をつけるデスから……ど、どうか寛大な措置をお願いいたします!」


 決して犯してはならない法でも犯したかのような全力の謝罪だった。


 なるほど、完全に怯えられているようだ。

 ブラットは愚鈍だったのであまり気にかけてはいなかったが、前世の記憶と感覚がよみがえったいま、ロジエのブラットへの隠しきれない恐怖をひしひしと感じる。


 寛大な措置もなにも、彼女はそもそも自分を気遣ってくれただけ。

 それで罰を与えるわけもないのだが、これまでのブラットはとりあえず他人の揚げ足をとり、罰を与えるクソガキだった。ロジエが怯えるのも無理あるまい。


 実際ブラットはその高慢で意地悪い振るまいで使用人たちを罰してきたし、それに耐えられずにやめていったものは数しれず。専属侍女もこのロジエで七、八代目ぐらいだったはず。いま思うと、本当にとんでもない。


(……これからは気をつけないと)


 ブラットとして生きた時間は14年だが、黒川勇人として生きた時間はその倍以上ある。前世の記憶がよみがえったいま、黒川勇人としての人格のほうが色濃くでており、使用人たちへの罪悪感はすさまじかった。


 これまでの悪行の数々が消えるわけではないが、これからは使用人たちにできるかぎり優しくしようと心に決めるブラットだった。


「いや……なに、謝ることではなかろう。おまえは俺を心配してくれただけなのだから。ロジエ、おまえにはいつも苦労をかけている。ありがとうな」


 ブラットとしての人格の反発か、単に黒川勇人のコミュ力がないせいなのか、ぶっきらぼうにはなってしまったが、ブラットはロジエにそう声をかける。


 ロジエは驚愕に目をまんまるに見開いた。


 しばしなにか言いあぐねるかのように口をぱくぱくと動かす。

 やがて目尻に大粒の水をため、最期にはぽろぽろと泣きはじめてしまった。


「お、おい……なぜ泣く!?」

「も、申し訳ないデス……! ブラットさまにそのような労いのお言葉をいただけるとは思ってもおらず、いつもいつもブラットさまのご期待にそえずにお叱りを受けてばかりで、これ以上へまをしてはいけないと気を張っていたこともあり、緊張の糸がとぎれて感極まってしまってつい……うわあああんっ」


 ロジエは言いながら泣きだしてしまう。


 感謝を伝えただけで号泣させてしまうとは、いかにブラットが彼女にとって恐怖の対象だったのか再認識せざるをえない。猛省。


(いつもいつもしょうもないことでキレてたからなあ、ほんとすまん)


 ブラットは自身のこれまでの態度を省みながら、よしよしとロジエをなだめる。

 しばしあってロジエはハッと我にかえり、


「ももも、申し訳ないデス! ブラットさまの前で取りみだし、さらにはなだめていただくなど! とんでもないご無礼を! この罰はわたしの命でもって……」

「いや……いいから気にするな。むしろ謝罪すべきなのは俺だ。俺のこれまでの態度のせいで、おまえに必要以上の気苦労をかけてしまった。これからはおまえたち使用人の主人として恥ずかしくない男になるから、これからも俺に仕えてくれるか?」

「ブラットさま……」


 ロジエはふたたび瞳をうるうると潤ませ、感極まった様子だった。

 やがてヘッドバンキングのようにぶんぶんぶんぶん首を縦に振り、


「当然でございます! このロジエ、誠心誠意お仕えさせていただくデス! そもそも、謝罪すべきはやはりわたしめ! 貧乏な下級貴族の出身であるわたしを専属侍女として高給で取り立てていただいたご恩がありながら……わたしはそんなお優しいブラットさまが、あまり、その……よい主人ではないのではと疑念を抱いておりました。こんなにもわたしごとき一使用人のことを考えてくださっているのに! こんなにも心優しく、寛大なご主人さまなのに! ごめんなさいデス!」


 ロジエは身を乗りだしながら、そんなことを言ってくれる。

 これまでのブラットは侍女のことなど気にかけてはいなかったし、このロジエを取りたてたのは、単純にロジエの容姿が優れていたからなので気まずい。


 ロジエは体に小人族の血がわずかに入っているらしく、うさぎのような愛らしさを持つ小柄な美少女であり、さらにはあかるく人畜無害そうなところも、人を支配して言うことを聞かせたがる高慢なブラットのお眼鏡にかなった。採用理由はそれだけのことで、決して彼女の言うやさしさからではないのだが。


(……まあ、いいふうに勘違いしてくれるぶんには問題なかろう)


 うれし涙を流すロジエを見つめ、冷静に肩をすくめるブラットだった。

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