第34話 とある魔将の襲来


 ――リオネッタ・ブルーネル。


 彼女は幼少期から暗殺者として育ち、暗殺者として生きてきた。


 代々ブルーネル家は神聖リーマ王国につかえる子爵位の貴族で、暗殺を家業としてきた王国の暗部の存在だったからだ。


 だが、ある日のこと。

 ブルーネル家はリーマ王国から、にあった。


 年々ブルーネル家の正体を知るものが王宮に増え、暗殺一家とそれを抱えるリーマ王家を非難するものが現れはじめたのだ。結果、王国はその声に屈し、ブルーネル家を始末することにしたというわけだ。


 王国軍に不意の奇襲を受けて一家のほとんどは命を落とし、リオネッタは妹と二人きりで追っ手から逃げることとなった。


 追っ手を蹴散らす力自体はあったのだ。

 なにしろリオネッタの実力は当時から抜きんでており、『ファイナルクエスト』のレベルに換算すれば45相当だった。


 だがリオネッタも人間。

 常に気を張った生活を続けられるわけではない。いずれは消耗して討ちとられてしまう。だから安住の地をさがす必要があった。


 しかし気が遠くなるほどにさまよい歩き、ようやくデルトラ半島の小村に安住の地を見つけたと思ったそのときだ。


 妹が闇の精霊シェイドに呪われ、永遠の眠りについてしまったのは。


 家族も仕事も失っていたリオネッタにとって、妹はすべてだった。妹を呪いから救いだすため、とにかくあらゆる手を試みた。


 しかし――ダメだった。


 最高級のポーションを使おうと、最高位の神官に依頼しようと、妹は頑として眠りつづけたまま、目を覚ますことはなかったのだ。


 そんなとき現れたのがベルゼブブだった。


 そしてリオネッタは後に魔王に妹の呪いを解いてもらうことと引きかえに、魔王の覚醒に協力することを決めたのだ。


 そして魔王軍に加担し、その実力で“四魔将”にまでのぼりつめ、いま魔王の覚醒までついにあと少しのところまで来ていた。


 魔王覚醒には、膨大な魔力が必要だ。


 そして魔力というのは、人間の感情の動きにより生みだされる。


 だから今回、リオネッタはターゲットのブラット殺害を念頭に置きつつも、実はそれ以上にピシュテルの王都フォールフラットを大混乱におとしいれ、民の感情をゆさぶることを計画しているのだった。


 王都中の民から生みだされる魔力は膨大だ。それを回収できれば、魔王覚醒に大きく近づくことは間違いなかったから。


 さきほど王宮でブラットに遭遇したのは、闘技場の試合の進行具合をながめながら、そんな計画の準備をしていたときだった。




 ✳︎




(……妹を助ける、ですって?)


 あのブラット・フォン・ピシュテルという王子の憎らしいぐらいに整った面差しを思いだし、リオネッタは歯噛みする。


 そこは中央広場にある時計台の頂上。


 リオネッタはブラットに遭遇したあと、場所を王宮からこの場所へと移し、計画の最終確認をしながら闘技場を見下ろしていた。


 時刻はすでに昼過ぎ。


 午前中に予選のバトルロイヤルはすべてが終了し、まもなく本戦のバトルトーナメントが始まろうとしているところだった。


(……なにもわかっていないわ)


 あの王子の話ぶりからして妹がいまどのような状況にあるのか、経路は不明だがある程度の情報はつかんでいるのだろう。


 だが妹の眠りの呪いがどれほど強固なのかは、妹を救うためにずっと側にいたリオネッタが誰よりも知っている。いきなりあの王子が呪いを解き、おいそれと救いだせるようなものではないのだ。


(きっと、恵まれた貴方は知らないのね。助けたくても助けられない人もいるってことを。ならわたくしが教えてあげる。目の前で貴方の大切な人たちが傷つくのを見て、自身の無力さを痛感なさい)


 リオネッタが冷めた笑みをこぼしたそのとき、事前に強化しておいた聴力のおかげで、闘技場の司会の声が耳朶を打った。



『なお……予選では“七英雄”の御三方に解説していただいていたデスが、マーリンさまとグラッセさまがとのことで本戦からは離脱。解説はセリエさまおひとりにお願いすることになったデス!』



 リオネッタは口元の笑みを深めた。


(確かに“大賢人ワイズマン”と“魔神殺しデモンスレイヤー”の気配がどこにも感じられないわ。フフフフフ……流れは完全にこちらに来ているようね)


 今回のショーの計画は、あくまでもグラッセとマーリンとセリエの三英雄がいる前提で進めていた。だから民の感情をゆさぶり、魔力を回収さえできれば、別に戦いには勝つ必要はないと考えていたのだ。


 だがグラッセとマーリンがいないとすれば、魔力回収だけでなく、このままこの国を落とすことすらも可能かもしれない。


 もしもそうなればさらに魔王の覚醒が近づくことになろう。


(……なんにしろ、そろそろ楽しいショーの時間ね。まずはもっとも邪魔なあの女……“救世の聖母セインテス”に消えてもらうとしましょうか)


 リオネッタは手を闘技場へと掲げ、



「――“シャドウハント”」



 妖艶な声でささやくようにそう唱えた。




 ✳︎




 闘技場には関係者用の裏通路がある。


 選手やその関係者はその裏通路を通り、アリーナや貴賓席へと向かうのだ。そんな裏通路をいままさに通る二つの人影があった。


 ブラットの婚約者であり、儚げな美貌を持つ公爵令嬢“妖精姫”マリー・エル・フォークタスと、その専属侍女のレミリアだ。


 ブラットの予選通過を見届けて一時退場し、本戦開始に合わせて戻ってきたのだ。



「マリーさま……このままブラットさまが優勝なさったらどうなさるのですか?」



 レミリアにふいにそう訊ねられ、マリーはうつむいた。


 しばし間を置いてから、


「……まだ、殿下が優勝なさると決まったわけではないでしょう?」

「もちろん確定ではありません。その上で優勝なさった場合、どうなさるおつもりなのかとお訊ねしているのです。お約束したように婚約破棄を考えなおすのですか?」


 マリーはふたたび口ごもり、



「それは……できないわ」



 思案したあとそうこぼした。


「たとえ約束を違えることになっても、婚約は破棄します。これはわたくしだけの問題ではなく、殿下のに関わること。臣下として、婚約者として、殿下をお守りするのがわたくしの務めですもの」


 マリーはその目に強固な意思の光を輝かせ、そう告げた。


 レミリアはやれやれといった様子で、


「そうおっしゃると思いましたよ。婚約を破棄すればマリーさまご自身は傷物の令嬢として扱われ、メリットなどなにひとつないでしょうに。本当に呆れるほどに殿下のことがお好きなのですね」

「べ、別にそのようなことは……!!!」


 マリーはその透きとおるような頬をポッとそめて弁解しようとし、しかし途中でやめて「あるけれど……」とひとりごちる。


「……あるのですね」


 レミリアにくつくつと笑われ、マリーは不服そうに唇をとがらせる。


 サバサバとしていて近寄りがたい存在だと思われがちだが、気心知れた侍女の前では子供じみた素が出てしまうマリーだった。


 そんなやりとりをしているうちに遠くに聞こえていた歓声がどんどん近づき、気づけば二人は貴賓席へとたどりついていた。


 国王カストラルに一礼し、席につく。



(あら、グラッセさまとマーリンさまはいらっしゃらないのね)



 解説席を見て、首をかしげるマリー。


 予選時には解説席で楽しげに話していた二人の姿がなかった。


 貴賓席にも姿が見えないので、少なくともこの闘技場にはいなさそうだ。マーリンはともかく、グラッセはブラットのことが気にいっている様子だったので、本戦にいないというのは意外だった。それともブラットの試合のときには戻るのだろうか。


 マリーがそんなことを考えていたときだ。


 ついには襲来する。



「!?」



 ふいに解説席のほうから、肌を刺すような禍々しい魔力を感じる。


 直後。解説席のの下の影がうごめき、まるで大きな風呂敷のように広がって、セリエの体を丸ごとつつみこんだ。


 そしてセリエをつつみこんだ影はみるみるうちに小さくなり、そのままなんとセリエとともに完全に消えてしまった。



「あれは……“シャドウハント”か!?」



 カストラルが驚愕とともにそうつぶやくのが耳に届く。


 ――“シャドウハント”。


 対象を影によって捕縛し、真っ暗闇の異空間に閉じこめてしまう第5位階魔法だ。


 通常ならばほんの数分で異空間は消滅して対象は解放されるのだが、持続時間は術者の力量次第で大きく伸びる。術者の力量によっては数時間ものあいだ対象を完全に隔離することも可能だと聞いたことがある。


『え、え!? セリエさま!? いったいどこへ……!?』


 司会をしているブラットの専属侍女ロジエが慌てはじめたときだった。


 闘技場の上空。

 気づけばそこに人影が出現していた。



「……レディースアンドジェントルマン。ピシュテル王国のみなさまごきげんよう。魔王軍最高幹部“四魔将”がひとり、“人形遣いドールマスター”リオネッタと申します。本日は楽しいショーをお届けにまいりましたわ」



 自身を“四魔将”のリオネッタと名乗ったその妖艶のドレス姿の女は、貴婦人のごとき優雅な所作でゆっくりと頭をさげた。

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