第2章 巨人討伐
第9話 黒豚王子はぽっちゃりになる
「おや……殿下、遠乗りですかな?」
ある日の午前中――ブラットが大きな麻袋をかついで王宮を歩いていると、執事長のエイバスが気軽な調子で声をかけてきた。
「ああ、ちょっとそこらの山までな!」
「ほほ~う、それはよきかなよきかな! さいきん殿下がどんどん聡明でご活発になり、この爺も感無量ですぞ!」
それではお気をつけて! と笑顔で礼をするエイバスに片手でこたえ、ブラットは跳ねるような足取りで竜舎へと歩を進める。
『殿下、おはようございます!』
『ブラットさま、ご機嫌うるわしゅう!』
『本日も凛々しいお姿でなによりです!』
侍女、執事、文官、騎士――さまざまなものたちとすれちがい、そのたびに深々とした礼とともにそんな元気な声をかけられる。そしてブラットはそれぞれにできるかぎり笑顔でこたえ、気の利いた言葉を返していく。
(……こんなの、記憶が戻る前じゃ考えられなかったよなあ)
進歩を感じ、しみじみとするブラット。
すでにブラットが前世の記憶を取りもどしてから二週間、そして中庭での弟アルベルトとの試合からは一週間が経過していた。
その二週間でのこまめな挨拶や気配りといった努力が功を奏し、さらにはアルベルトと試合をして引きわけたという噂が使用人たちを中心に広まり、王宮のものたちからのブラットの評判は上々になっていた。
最初は皆、突然やさしくなったブラットにおっかなびっくりといった調子で接してきたのだが、ブラットがそれでも根気強くやさしく接しつづけたため、ここ数日は皆ふつうに接してくれるようになっている。
散々悪行を重ねてきたにもかかわらず、正直ありがたい。まあ悪行とは言っても父である国王の抑止力があったため、よくよく考えるとわがままの範疇でおさまる程度のことばかりだったというのもあるのだろうが。
『……あ、ブラットさまだ』
『最近ちょっとかっこよくない?』
『わかるう! 変わったよね』
そんな侍女同士のひそやかなうわさ話を小耳にはさみ、ブラットは少々機嫌をよくしつつもなるほどなと思う。
(……見た目がまともになったのもあるか)
強くなるためにひたすらグラッセとの稽古に励んでいたのであまり気にしていなかったが、記憶を取りもどしたときには100キロの大台に達していた体重は、二週間が経ったいま80キロ近くまで落ちていた。
鏡をあらためて確認したところ、元々身長が高いこともあって、もはやデブという印象はあまりなかった。単純に体格がいい巨漢という雰囲気だ。とはいえ、顎の下や腹を見てみるといまだぷにぷにとした感触がけっこう残っているため、総括して“ぽっちゃり”というところだろうか。
とにもかくにも減量し、さらには運動不足と栄養不足が解消され、日頃のケアを欠かさなかったため、脂ぎってニキビが浮いていた肌質もかなり改善されている。
このように小汚いデブから小綺麗なぽっちゃりになったことも、周囲の反応がよくなったことに影響を与えている気がする。
そんなことを考えながらも脚を動かしていると、気づけば王宮屋上に設置された竜舎へとたどりついてた。
(……ま、本番はこれからだ)
周囲の人間関係に関していえば、順調に味方を増やして死亡エンドから遠ざかりつつある気がするブラットだが、やはり一番大事なのは単純な“強さ”だ。
四魔将を打倒できるほどの力を手にいれなければ、死亡エンドは回避できない。
だからブラットはこれから竜舎のドラゴンに乗り、通称“天空の山脈”と呼ばれる迷宮スカイマウンテンに行き、そこで山ごもりの修行をするつもりだった。
『ファイナルクエスト』の知識通りなら、そこでほかのどんな方法よりも効率よく最強への道を駆けあがれるはず。
そのためにこの二週間、最低限のレベルと装備を必死にそろえ、グラッセからスキルを伝授してもらって準備してきたのだ。
「行こうぜ、相棒! いざ、最強へ!」
ブラットは愛竜である氷竜ギルガルドにまたがり、いざ天空の山脈へと飛びたとうとするのだが――その、直前。
「ブ……ブラットさま、ちょっと待ってほしいデス~!!!」
聞きなれた少女の声が耳に届く。
慌ただしく駆けよってきたのは、専属侍女のロジエだった。
ブラットはしかたなく一度ギルガルドの背から飛びおりた。
「ん、どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないデスよ! いきなり置き手紙だけ残して、山にこもるって……わけがわからないデスよ! 少なくとも一国の王子がすることじゃないデスし、いろいろとやる気があるのはけっこうデスけど、もっと事前にいろいろとこちらに相談していただかないと困るデスよ……!」
ぷんぷんと頬をふくらませるロジエ。
なるほど、確かに彼女の言うとおりだ。
思いたったら吉日と我慢できずにすぐに行動してしまうタイプのため、報告がぎりぎりとなったうえに置き手紙だけになってしまった。やはりどのような組織であっても、迅速な報連相は徹底しなければなと反省する。
それにしても怒っている姿も相変わらずウサギみたいでかわいいなと思い、ブラットはよしよしとロジエの頭をなでた。
「な……なんで撫でるデス!?」
ロジエはあきらかに当惑した様子で、頬をポッと赤くそめる。
「いや、かわいいなと思って」
「かかか……かわいい!?」
ボフッと湯気が出そうなほどに顔を真赤にしたかと思うと、ロジエは絶句して石像のようにかたまってしまう。
それからしばし硬直したかと思うと――
「そ、そんな取ってつけたように適当に褒めたって……許さないデスよ~♡」
視線を斜め下に落とし、もじもじと照れた様子でそんなことをのたまう。
……まんざらでもなさそうである。
(うむ、よきかなよきかな。我が侍女は今日もちょろかわいくてなによりだ)
なんというか見た目が小柄で子供っぽいうえ、ものすごく感情が表情に出ておもしろいため、ブラットはこうして日頃からロジエをいじりがちだった。
いじりというのはお互いの信頼関係があってこそだし、本人が嫌がっているのならすぐにやめるつもりなのだが、現状は本人も嫌がってはいなさそうだし、こちらも癒やされるのでまあ問題なかろう。たぶん。
「んじゃ、行ってくる!」
とにもかくにも侍女の機嫌は取ったし、さっさと修行に出るかと思い、ふたたびギルガルドにまたがろうとするのだが――
「いや、待ってほしいデス! いまからはだめデスよ!? 明日……いや、せめて午後までは待ってもらわないと!」
我にかえったロジエが慌てて引きとめる。
いつもなら自分が勝手することをとがめつつも、なんだかんだと許してくれるのだが、いったい今日はどうしたのだろうか。
「え、どうしてだ?」
「どうしてって……忘れたデスか!? 今日はマリーさまが王宮にいらっしゃるから、絶対に忘れないでほしいって前々から伝えてたじゃないデスか!?」
言われて、ブラットはハッとする。
強くなることばかり考えていて話を聞きながしてばかりいたが、そういえばそんなことを言われた気がしなくもない。
「……マリーとの約束って今日だったか?」
「今日デスよ! ていうか、もう――」
ロジエが言いかけた、そのときだった。
「――あら、ブラットさまひどいですわね」
まるで小鳥のさえずりのような――かわいらしさと透明感を合わせもった少女の声が、静かに王宮の屋上に響きわたった。
振りかえるといつのまにかそこにいたのは、静謐な雰囲気をまとう美貌の令嬢。
「休学してなにをしてらっしゃるのかと思っておりましたが、まさか婚約者のこのわたくしとの約束まで忘れてしまうなんて」
黄金色の髪をなびかせる妖精のごときその少女は、ブラットの婚約者の公爵令嬢マリー・エル・フォークタスその人であった。
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