第11話 嵐の前の静けさ、お母様の姿に驚愕する私。そして、悪意が私達に牙をむくのです。

公爵邸の敷地の片隅、誰も訪れぬ暗い潅木の茂み。

そこにぽっかりあいた広場。

そこで4人の亡霊達がひそひそ話に熱をあげている。


「いやあ、あの「治外の民」の若サマの強い事といったら! あっという間に妾宅めかけたくの連中、追い詰められたなア。痛快だア」


のっぽの幽霊は上機嫌だ。


「ひひひひっ、女の子の格好してるくせにね。ありゃあ、成長したら、苦みばしったいい男になるよ。あたしにはわかるんだ」


痩せた女の幽霊が笑う。


「ええ~! オイラ可愛いままでいてくれたほうが嬉しいな」


でぶの幽霊が残念そうに言う。


「生者の時間はとめられん。成長する。変化する。だからこそ一瞬一瞬が、かけがえのない思い出になる」


武人の幽霊が重々しく口を開く。


「その価値がわからん不粋なものだけが、軽い気持ちで人の命を奪おうとする」


空を仰ぎ、目を細める。


妾宅めかけたくの連中あきらめてはおらん。大きな嵐がくる。若狼といえど、ひとりきりで支えられるかどうか」


思案する武人の幽霊を見て、痩せた女の幽霊がくっくっくっと笑う。


「ひとりきり? なんだい、あんたともあろうものが気づかなかったのかい。やっぱり女同士じゃないと通じないものがあるんだねぇ。この中で勘付いていたのは、あたしだけか。男どもはぼんくらだねえ」


きげんそうに顔を向ける亡霊たちに、女幽霊が誇らしげに胸を張る。


「この屋敷には、もう一人頼りになる人間がいるさね」


武人の幽霊が眉をしかめ、「あの嬰児みどりごのことか?  たしかに強い力は感じるが、今回の襲撃には幼すぎて戦力になるまい」


痩せた女幽霊はにやりとし「知ってるよ。だから、あんた達は開きめくらだってんだ」


そして彼女は公爵邸のほうを見やり、微笑した。


「……ひひっ、やっと本当の自分を取り戻したかい。あの男の子に感謝だね。それでいい。それがあんたの価値だ。自分を抑えるな。社交界? 礼儀? 女のつとめ? そんなものは豚にくわせておやり。失った10年間を取り戻せ。女は泣きながらでも闘えるぐらい強いんだ。その意地を、強さを、驕るよこしまなバカどもに叩きこむんだ」


言葉の内容は激しいが、口ぶりは妹を気遣うように優しかった。

普段辛らつな女幽霊らしからぬ口調に、亡霊たちが顔を見合わせる。


そのとき、弦の鳴る音が空気を引き裂いた。

風にのって流れてきた音につられるように鼻をぴくつかせていたでぶの幽霊が驚きの声をあげる。


「ほへぇ~!? なんであの人が弓なんか!?」


そして発射音と命中音が連続した。

瞑目していた武人の幽霊が片目をあげ唸る。


「……一騎当千。そういうことか。見事な腕だ。我が不明を詫びよう」


女幽霊は満足そうにうなずいた。得意げに鼻をぴくつかせる。そして彼方を見て呟いた。


「ひひひっ、あたしはあんたの強さに気づいてたよ。あんたがこの屋敷にきたときから、ずっとさ」


にやりと笑う。


「女は守られてるだけの存在かい? 違うだろ? この屋敷を、子供を守るのは、あんたの務めだ。きっちり晴れ舞台をこなしてみせな。それで、あんたらは、やっとほんとの親子になれる。あたしの期待を裏切るんじゃないよ。ひひひっ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


カッ! キュンッ! ボッ! カッ! キュンッ! ボッ! カッ! キュン! ボッ!


リズミカルに弓の木と柄の木がぶつかる音がした。

矢をつがえているのだ。

弦が鳴る響き、そして的に命中した音が続いた。


メアリーに抱っこされて我が家の庭園を散策中、文字通り矢継ぎ早に聞こえてきた音に、私は伸び上がるようにして耳をそばだてた。

私達は池のほとりを歩いていた。

池をはさんだ建物の壁の向こうで誰かが弓を射っている。

音は連続しているが、一定のリズムを正確に刻んでいる。

つまり射手はひとり。

それもかなりの熟練者だ。


建物のかげになって姿は見えない。


この公爵邸にこんな優秀な手練れが!?

てっきり老人達……失礼、元壮年の勇士達ばかりと思っていたのに。


「アーウーアー」


私は目を輝かせ、メアリーに必死に向こうに様子を見に行こうとうながした。

ぱすぱすと顎を叩く。


これは期待できる。

妾宅が刺客を送り込む暴挙に出た今、頼もしい味方はひとりでも多く必要だ。

ブラッドはたしかに強いが一人しかいない。複数が同時に襲われた場合、対応しきれない可能性がある。


「わかってますよ。お嬢様」


メアリーはにっこり笑いかけてくれた。


おおっ!  私の心が伝わった!  これぞ以心伝心! 


さすが私の乳母。私の身体の半分はメアリーのお乳で出来ています。

あとの半分は引きこもりを目指すエナジーです。


「この音を鳴らしている啄木鳥きつつきが見たいのですね。メアリーと一緒に探しましょう」


赤い頭の鳥を懸命に探し出す愛すべき乳母に、私はがっくりとうな垂れた。


あかん、この人、天然だ……。

これは啄木鳥が幹を突つついている音じゃないです……。


ちなみにもう一度注意をひこうと顔に手を伸ばしたら、

ささっとあたりを見回したあと、


「ああっ、もうっ! 私もお嬢様が大好きですっ」


と頬ずりされました。


どうもありがとうございます。

大人の記憶持ちとしては複雑なり。

うう、気恥ずかしい。耳まで赤くなる。


「あら、お嬢様、お顔まっか。おしっこかしら」


違うよ!! ああっ、臭い嗅がないで!!


……みなさん、こんにちは。


なんの因果か109回目の人生をやり直しているスカーレット・ルビー・ノエル・ハイドランジア、おっと今の私は女王でないので、リンガード……ですます。

羞恥プレイ真っ最中です。ううっ。


母乳は頭から浴びましたが、洗礼はまだ受けていません。

もしかして人間として絶賛不認可中?

原罪思いっきり背負ったまま?

教会に信徒として認識されてません。

このままでは天国の門をくぐれそうにないです。

なんだか破滅の未来が確定しているような悪い予感が……。


誰か私を早く教会に連れて行ってくださいな。

私、名前もまだつけてもらってないんですけど……。

今の私は名無しのゴンベ子ちゃんです。


たぶん公爵邸のみんなは、お父様がお越しになるのを待ったうえで、あらためて……と期待しているんだろうけど、ぜったい来ない。


だって、あの妾一家が、帰宅をうながす手紙をチェックしてないわけないじゃん。直接使者をたてても門前払いか、買収されるか、あるいは……こわっ。


この数日妙に鳴りを潜めているのがよけい不気味だ。

絶対よからぬことを企んでいるよね……。


「ふん、ふふーん」


メアリーが弓音を聞きながら、鼻歌つきで私をあやしだした。

あきらめた私は、庭園の池面を眺めながら考えにふけった。


弓を射ってる人、見たかったんだけどな……。


池は暗く沈んだ色をたたえていた。

見とおしは極めてよくない。

濁っているのもあるが、この池には蔦のような水草が大量に繁茂している。

シーズンになると食べられる実がなる。

採取用の小船が、粗末な船着場に係留され、寂しげに浮かんでいる。


む、岸に誰かタオルを置き忘れている。ゴミはきっちり持ち帰りましょう。


そういえば、前の人生で子供の頃、さんざん園丁のおじいさんに脅されたものだ。


「お嬢さまあ、ここの池の水草は性質たち悪いでな。足に絡むから、絶対池のなか入っちゃあきません。むかあし、大きな犬がここで溺れたことがありましてな……。出るんですわ、それ以来。たまに夜になると」


そして、おじいさんは言葉を切る。じいっと私を見て、


「死んだ犬が、ぐわあっと!!!  池の中から、新しい犠牲者をひきこもうと!!!」


「ひゃあっ!?」


…………………………


……ふふっ、あのときは、思わず大きな悲鳴をあげてしまったっけ。

しばらく池の端に寄るのに、ずいぶんビクビクしたものだ。

今にして思えば、私が池に入らないよう、おじいさんが考えた創作怪談だったのだろう。

ふっ、見た目は赤ん坊でも、今の私はそんな脅しではびびらないのだ。


私は余裕の笑みを浮かべた。


「お嬢様、なにを、にまにましてるんですか」


メアリーが不思議そうに私を見る。


ふふんっ、だいたい幽霊なんて気軽にそのへん、うろついてるわけがない。

いるなら私の前に姿を現してごらんなさいな。

元悪の女王の私の前にかしずくとよい。

ペットとして飼ってあげてもよくってよ。おーほっほっほっ。


「アーアッアッアッ」


私は悪役令嬢のあかしたる高笑いを決めようとした。

ああッ!  赤子声帯では高笑い出来ないッ!

未熟!! 圧倒的未熟!! 

憤懣やるかたなしッ。


憤慨する私の目の前で、ぽこっぽこっと、池面が泡立った。


「……?」


そして、ぐわあっ! と突然、水面が黒く盛り上がった。

なにかが叫びながら、池の中から、せりあがってくる。


「オアアーッ!!? 」


余裕ぶっこいてた私は、腰を抜かして絶叫した。


幽霊でたあっ!? ごめんなさい!! やっぱ、かしずかないでいいです!!

どうかお怒り、お鎮めになり、池にお帰りください!!

うちはペット禁止なんですっ!!


「やべっ! この池、やべっ! ごほっごほっ!」


咳き込みながらもがいていたのはブラッドだった。


なにやってんの!? あんた! 水浴びでもしてたの!?

脅かさないでよ! 心臓とまるかと思ったじゃない!


……オムツしててよかった。

どうかこの件はご内密に……。


ブラッドは、なんとか岸に泳ぎ着き、はあはあと肩で息をしている。

さすがにメイド服は着ていない。上半身はだかで半ズボン姿だ。


殿方が気軽にあられもない姿を晒さないでください。

年頃の娘に対する配慮がほしいところです。


でも、こうしてみると、やっぱり男の子なんだなあ。

女装してると女の子にしか見えないんだけど。


「水草が足にからまって、あぶなく溺れるとこだったよ。俺、泳ぐの得意なんだけどな」


息を整え、タオルで水気をぬぐいながら、にっこりと私達に話しかけてくる。

岸辺の不審物はゴミじゃなく、ブラッドのタオルでした。


「この池じゃあ、襲撃者がひそんだり、武器を隠したりは無理だな」


ああ、そういうことか。


ブラッドは邸内や庭園の安全を確認してまわっているらしい。


………妾宅の襲撃に対し、私たちは籠城作戦をとると決定したからだ。


お母様、ブラッド、メアリー、私で話し合い、そう結論を出したのだ。

ま、私は、まだ話せないから聴いてただけなんだけどねっ。

じつは意見は、まっぷたつに割れたのだ。


お父様への手紙が潰されている可能性があるなら、お戻りになるまで、身を隠してしまえばいい。わざわざ屋敷にいることにこだわる必要はない。


そう主張したのはメアリーだ。


うん、私もその意見に賛成かな。

襲撃者をかわす一番手っ取り早い手は、逃亡して行方をくらませてしまうことだ。


逃亡は有効な手段だよ。前の108回で私もよく城落ちしてるし。

……だいたいそこで殺されてるけど。ううっ。


だが、その意見に反対したのはブラッドだった。


「迂闊に外に出ると、敵に多くの機を与えることになるよ。勝手がわかっている屋敷のほうが迎え撃ちやすい。それに、たぶん、襲撃者はもうこないよ」


なぜか自信にみちて断言する。

自分から攻めるほうが得意って言ってたのに。

この裏切り者め。


「ただ万が一がある。それに備えて一応、手はうっておきたい」


なぜかお母様と見つめあい、頷きあっている。

……今のなんだろ?

そしてお母様もまさかの籠城派ですか。

現在の公爵邸の最高責任者と最強兵力の二人が手を組むとは……。


お母様の治療のあいだ、二人は随分いろいろと話しこんでいた。

ブラッドは聞き上手語り上手なので、しばらく人と話をろくに交わしていなかったお母様も、心安く会話できたようだ。


ブラッドの治療は驚くほど効果的で、お母様の顔色はびっくりするほどいい。


ほんとうなら産褥期で動くのもままならないはずなのに、日常生活をほぼ支障なく過ごせている。

痛み止めや回復促進まで並行してやってのけてるそうな。

精神的にも肉体的にも随分楽になったらしい。


人間、孤独ほどの猛毒はない。

ま、私は将来の進路志望は引きこもりだけどね。


すげーな、ブラッドさん。殺し屋よりお医者さんのほうが天職なんじゃ。

一家に一台置いておきたいよ。結婚する人はきっと幸せだろう。


その可能性を前の108回の人生では、私がすべて奪ってしまっていたけど……。

……ごめんね。今さら謝って済むものじゃないけど、本当にごめんなさい。


「「治外の民」は血流を操れるからな。オレの母上も、出産した翌日には、元気で狩りに出かけてたよ」


なに、そのスパルタンな血族!

前言撤回!

そんなとこに絶対お嫁入り薦められるか!

あんたらは野生の獣かなんかですか!?

お母様、なに頷いてるんですか!

影響されちゃダメです!


「アーウーアー」


わたわたしている私がおかしかったのか、お母様はころころと笑い出した。


いいもん。どうせ私はそんな役割ですよう。


うん、でも、こうしてみると、お母様ほんと美人だわ。

月下の百合に似てるけど、はかなくはなくて、しっかりと存在を感じる。

母親が素敵なことは娘として誇らしいよね。


かわいそうに。今までほんと病んでたんだな。

でも、急に美人になりすぎです。

はっ! もしかしてブラッド、美容術かなんかも心得てない!?

私にもいっちょ施術お願いしますよ! お願いっ。


……………………。




私の乙女の回想は、誰かの拍手で中断された。

弓音がしていた建物の向こう側からだ。


あ、もうブラッドいないや。

だいぶ長い間考え込んでいたらしい。


「なんでしょう。行ってみましょうか、お嬢様」


メアリーが私をあやしながら歩き出す。

池は大きくはない。歩けばすぐに対岸の建物にまわりこめる。

私はあわてて声を張り上げた。


「アーッ!! ウーッ!! アアアーッ!! 」


周囲に注意をうながすためだ。

いくら望みどおりとはいえ、弓を射る音と気づいていないメアリーは無防備すぎる。誤射で殺されでもしたらたまらない。


角を曲がると最初に目に入ったのは、拍手しているブラッドだ。


いつの間に!? あんた、ほんとは二人いるんじゃないでしょうね?

あ、でも、髪濡れてるや。やっぱり本人か。


拍手をやめ振り向く。


「よう、お二人さん。見てみなよ。たいしたもんだぜ」


相変らずのメイドの格好に戻っている。早着替えだ。


そして今、スカートの両端つまんで挨拶してこなかったか!?

さっき会ったばかりでする必要あった!?

どんどん女装に馴染んでくるブラッドの未来が不安です。


だが、ブラッドが見せたいのは、もちろん女装姿ではなかった。


木の幹にくくりつけられた板に矢が突き刺さっていた。

即席の的だ。

すべて真ん中に命中している。

ここから随分と的が遠い。

これを全部命中させたなら並の腕前ではない。

私の女王時代の配下にも、これほどの腕前の持ち主はそうはいなかった。

いったいどんな人が弓を!?


……その射手はブラッドの横に立っていた。


足元に矢を無数につきたてている。

弓を片手でもって額の汗を拭っている。

一息ついているところだ。


後ろで無造作に束ねた髪が揺れている。

背中を向けているので顔は見えない。


意外なことに女性だった。

張りつめた野生的な雰囲気。

毛皮の上着をはおって、ブーツを履いている。

狩人や弓兵の格好だ。


見ていてしっくりくるという事は、つけ焼き刃ではなく、馴染むほどにその格好で生活したことがあったという証明だ。


でも、後ろ姿に見覚えがあるような……私は目をぱちくりさせた。

誰かすぐにわからなかったのは、あまりにも普段と違う服装だったからだった。


「オアアアッ!!? 」


「どええええっ!? 」


そして私とメアリーの口から同時に驚きの叫びがほとばしった。

ブラッドがにやにやしている。


こいつ、知ってて黙ってたな!


長身の女性は振り向いてにっこり笑った。

健康的で溌剌とした笑顔だった。


「あら、二人でお散歩中だったのね」


そこにいたのは私のお母様だった。

頬を上気させ、凛としてそこに立っていた。

木々の緑を背景に。

まるでこの戸外こそ、自分の本当の住みかだと言わんばかりの自然な笑みで。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「だから、最初からあたしらに任せてくださいと言ったでしょ……」


待ち合わせた墓地で、せむしの小男が咽喉の奥でくっくっと嗤う。


「もうどんなにお金を積まれても、誰も雇われはしますまいよ」


雇い主が渋面になる。


小男の指摘の通り、暗殺の打診を、目星をつけていたすべてが断ってきた。


「心臓止めは「治外の民」の宗家の秘術でさ。ってことは、公爵夫人の背後に、血を操る「治外の民」全体がついたかもしれないってなるわけですわ。あいつら怒らすと、脳の血管や内臓を壊死させる、えぐい報復してくるんですなあ。廃人になったり、不随になったり、死ぬよりつらい目に会わされるんでさあ。裏のもんなら、みいんな、手え出すなって、知っておりますわ」


男は耳障りなひきつるような笑い声をたてた。


「それに加えて、紅の公爵邸に乗り込もうなんて酔狂者、この国中さがしても二人とはおりますまいよ。やばさを理解できないバカならおるでしょうが、ものの役にはたちますまい」


発端は、ブラッドの存在を知らず、公爵邸を襲撃し、こてんぱんにされた刺客たちだった。化け物の存在を秘密にされたまま、公爵邸に送り込まれたと勘違いした彼らは、激怒して帰還し、ことのあらましを洗いざらい仲間達にぶちまけたのだ。自分たちの雇い主の名前と、誰を暗殺させようとしたかまでだ。


彼らの雇い主は口封じに忙殺される破目におちいった。

そのためだけに貴重な数日を使い果たしてしまったのだ。

もちろん暗殺のあらましを知った者たちも、依頼を断った者たちも、すでにこの世にはない。


雇い主の手先になって、血に濡れたおぞましい仕事をしてまわったのが、


「おお、わしのかわいい子達が帰って来たようですな」


小男が残った片目で破顔する。反対の目は醜い傷跡で潰れているのだ。


暗闇の中から、一匹、また一匹と、子牛よりも大きな獣達が、ゆらりと姿を現す。犬だった。燐火のように目を光らす、信じられないほど巨大な犬。


一匹が首を振り、口に咥えていた生首を放り出す。

髪を噛んでぶらさげていたのだ。


ごろんごろんと雇い主の足元にころがり、虚空を睨んでいるその顔は、ブラッドに撃退された刺客のものだった。生首は墓石にぶつかって止まった。


全部で三匹の魔犬が、うっそうと男の後ろに控える。


ふいごのように息を吐く。獅子のように膨大な筋肉をもつ怪物どもだ。

その荒毛は猪よりも硬い。


そそり立つ無数の墓石を背後にしたその姿は、地獄からの使者そのものだった。


「この世で最強の殺し屋は、人間などではない。わしの鍛え上げた、この訓練された獣たちこそ、最強なのですわい」


傲然と嗤う小男。

そして振り向くと、ひときわ大きい一匹のたてがみを、誇らしげにいじくった。


「特にこのガルムは自信作でしてなあ。子供や赤ん坊を率先して狙うよう躾けてある。後継ぎ問題、邪魔な競争相手の血筋を絶やしたい……いろいろと需要は尽きませんわい」


男は口角から泡を飛ばしながら、どれだけの熱意と苦労をもって、自分がこの魔犬を育成したか、滔滔と語りだした。狂人の目つきだ。さすがの雇い主も辟易している。


「こいつのモチベーションを保つのは大変でしてな。定期的にを与える必要がある。近くで続けると大騒ぎになるでな。この前など、わざわざクロウカシス地方まで足を運びましたわい」


そのときのことを思い出し、酷薄な目の光が細まる。


「えらい若い母親が取り乱して泣きすがってきて、苦労させられましたわい。あれはほんとにしつこかった。何度蹴り飛ばしても、諦めようとしなかった。こいつが、女の血の味を憶えると、赤ん坊を先に襲わなくなるので、女の命は取りませんでしたが」


月の光が蒼白く冷たく光る。風が、鳴る。


「……なんて叫んでたっけな……ヨセフ……ジョシュア……おお、そうだ、ヨシュア! ヨシュア、と言ってましたわい」


忘れかけていた獲物の名前を思い出して、目を輝かせ、せむしをさらに歪めて笑う小男。墓場に陰惨な声が響く。


「母親めは、とうに息絶えた、こぉんな小さな赤い塊を抱きかかえて、必死に蘇生させようと泣き叫んでましたわ。ヨシュア、ヨシュアとな。頭など砕けておるのに諦められんのですなあ。まこと女というものは、理性の対極でして。わしらはとっととその場を立ち去りましたが、いったいいつまで、ああしていたのやら」


悪意が、嵐が、公爵邸に襲いかかろうとしていた。


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