第23話 アリサ胎動 ・・・・・はっ!?今、不吉なサブタイトルが聞こえた気が。もしかして、私、いろいろ大ピンチ!?
【 語りべ、アリサ 】
私は、アリサ。
アリサ・ディアマンディ・ノエル・フォンティーヌ。
・・・・・・ふふ、そうそう、今はフォンティーヌになるのね。
フォンティーヌ家。
王家への忠義しか能のない、辺境の弱小貴族。
そう思った王家のおバカさん達は、厄介者の私を、フォンティーヌ家に押しつけて、遠ざけた。
それですべて丸くおさまったと安心している。
まさかフォンティーヌ家がとっくに「赤の貴族」最古の四家に寝返っているとも知らずに。
私がフォンティーヌ家に送られたのは、四家がそういうふうに、手を回したからよ。
ほんと愚かな人達。
大鷲の雛が怖いからと、巣から遠ざけただけで安心している小雀さんたち。
赤子の今なら、あなた達でも私を殺せたのよ。
懐にいるうちなら、たやすく縊り殺せたものを。
フォンティーヌ家に送られたら、私は四家の庇護下に入り、手出しができなくなるとも知らずに。
あとは・・・・・そうね。
5歳くらいまで安全に成長すれば、誰も私を殺すことは、かなわなくなる。
王家が私を見逃した理由はなにかしら。
肉親の情? 憐憫? くふうっ、馬鹿ねえ。
この私を、鉄仮面をかぶせられた間抜けな父様と一緒にしないでほしいわね。
お礼に、あなた達の大事な大事なお姫サマの命を、啄ばみに行ってあげる。
私が成長して自由に動けるまで、つかの間の一家団欒を楽しみなさいな。
王女のお葬式が、王家破滅のはじまりの鐘となるのだから。
また王や妃のあの血を吐くような悲痛の叫びを聞けると思うと、ぞくぞくする。
「神よ、なぜ私を代わりに殺してくれなかったのか! こんな不幸には耐えられぬ!」
だったかしら。
不幸じゃないわ。必然よ。
あなた達にとっては、はじめての体験でしょうけど、私にとっては109回目になる単純作業。
目をつぶってだってこなせわ。
失敗するほうが難しいくらい。
私の手から逃れられない、かわいそうなかわいそうな私のオモチャたち。
ええ、私は、人の苦しむさまを見るのが好き。
人が悲しみで泣き叫ぶさまを聞くのが楽しい。
だって、面白いもの。
自分が安全なところにいて、苦境に立たされた他人を見学するとき、口元がほころぶの。優越感と、自分は安全であると確認し、悦びを感じるの。誰だって身におぼえがあるはずよ? それが人間の業というものよ。
いくら取り繕っても、私には人の本心がわかる。
恥じることなんてないわ。人の不幸は蜜の味だもの。
人間は、ミツバチのように、その蜜に大喜びで群がるの。
古代のコロシアムの観客達は、その欲望求を否定しなかった。国をも動かす大きな炎。
そして、剣闘士の殺し合いという素敵な一大娯楽をつくりあげたの。
彼等は狂ってなんかいない。いたって正気だった。賢人達も数多くいた。哲学に長けた彼等は、人の心というものをよく理解していた。名士や貴婦人達が、剣闘士の死闘にうっとりと頬を上気させ、息をはずませたと言うわ。そこでは命は高価な商品だった。
命の価値を正しく理解しているからこそ、それが儚く散る刹那の火花に魅了されたの。
正しい観劇のあり方を、私が教えてあげましょう。
取り澄ました仮面は不要。ただ、人間らしくあれ。
弱者が踏み潰され、泣き叫ぶさまをあざ笑い、ただひたすらに愉しむの。
高みから、他人を憐れむことの楽しさといったら!
あなた達の不幸は無意味じゃないわ。
こうして私を楽しませてくれているもの。
命が消える時あらわになる、むきだしの人の本性。
誰もが稀代の名優となって輝く一瞬。
喜劇、悲劇、風刺劇、みんな、私の魂の活力になって生き続けるの。
だから私は、人の不幸を全力で堪能する。
一滴たりとも、あなたたちの嘆きは無駄にはしないわ。
あははっ! みんな! みんな! かわいそうねえ!
そうそう、アンブロシーヌという愚かな小悪党の死に様も、なかなか可哀想でよかったわ。
おのれの分をわきまえない小物の末路。
虫ケラみたいな最高の道化。
愛する夫人を毒殺された「紅の公爵」の報復はなかなかの見ものだったわ。
108回見学したけど、飽きずに楽しむことができたもの。
私のお気に入りの、喜劇のロングラン公演というところね。
なあに? アンブロシーヌの死に様を聞きたいの?
公爵はね。アンブロシーヌを、シャイロック家の別邸に閉じ込めたの。
外に逃げられないよう足首の腱をきり、助けを求められないよう、水銀で咽喉を潰してね。
外聞的には、公爵の愛人ということにして、その実ただの囚人ね。
報復がゆるい?
ふふ、それで終わるわけないじゃない。
楽しいのはここからよ。
公爵はね。別邸の使用人を総入れ替えしたの。
全員を、アンブロシーヌに殺された犠牲者の遺族たちにね。
そのうえで、召使いの全員に毒薬と刃物の所持を許した。
アンブロシーヌが公爵夫人を殺した毒薬をね。
もちろんアンブロシーヌに、すべてを明かしたうえで。
初顔合わせでは、彼等がどんなふうにアンブロシーヌを恨んでいるか、アンブロシーヌを皆で取り囲んで発表会をしたの。素敵でしょう。皆がお互いの話に共感し、怒りと悲しみは増幅され、心はひとつになり、復讐の誓いはより強固になったわ。盛り上がってたわよ。終った後、小突き回されたアンブロシーヌはすっかり対人恐怖症になっていたもの。
そして、アンブロシーヌの寝室や個室の鍵をすべて取り払ったの。
誰でもいつでも自分を殺せる環境。
助けを求める声も出せず、まわりには自分を恨む視線だけ。
いつ殺されても不思議はない。
あるいは今も毒を少しづつ飲まされているかもしれない。
アンブロシーヌは寝ているときでさえ、気が休まらなかったでしょうね。
食事には針が混ぜられ、水差しの水は濁った色をしていた。
いつも死人の顔色で、がたがた震えていた。
生きた心地がしなかったと思うわ。
公爵は使用人達に、勤務中の私語を推奨したわ。
彼らは四六時中アンブロシーヌの耳元で語り続ける。
いかに残酷にアンブロシーヌが、自分達の大事な人を奪い去ったのか。
それをどれだけ恨んでいるのか。
毎日毎日、寝ているときでさえ。
許しを乞おうにも、声は潰されている。
耳を塞いで逃れようとしても、周囲から伸びた他の人間の手が、それを許さない。
一年が過ぎる頃、アンブロシーヌは舌を噛んで死のうとして失敗。
ずいぶん気の弱い女だこと。
お人好しのスカーレットなら、10年だって耐えたと思うわ。
あれは自分が殺される覚悟で、人を殺す命令をくだしていたのだから。
私とは方向が違うけど、愚直でいとおしい極悪人よね。
ふふ、今はアンブロシーヌという虫ケラの話の途中だったわね。
あの女は、以降は「人道的な処置」で舌を切り取られたわ。
まあ、どのみち喋れないんだから、同じことよね。
凍てついた夜には、夜具は洗濯のため取り払われ、山ほど石炭の積まれた暖炉には、火がついていない。
最高の料理は、鍵のかけられた隣室におかれ、匂いだけが運ばれてくる。
もちろんアンブロシーヌの目にふれるようにしてね。
末期にはアンブロシーヌは死を望んでいたから、普通の毒の脅しは効かなくなっていたのね。
屋敷の女主人でありながら、奴隷にも劣る生活。
足の腱を切られたのに杖さえ与えられず、誰も手を貸さず、ミミズのように床を這いずる毎日。
でも!そんな生活が、五年も続いたある日!
ついにアンブロシーヌは許されたの!
まあ、素敵!
神様の祝福が、かわいそうなアンブロシーヌにあらんことを!
その日、屋敷中に、幕をかけられた何かが取り付けられたわ。
そして正装した紅の公爵が、久しぶりに屋敷に姿を現したの。
床に力なく這い蹲り、死んだ目をしたアンブロシーヌを一瞥し、朗らかに笑いかけたの。
「さあ! 舞踏会に出かけようか!」
言葉の意味を理解し、声なき絶叫をあげて逃れようとするアンブロシーヌの髪を引っつかみ、引きずりながら歩き出したの。
「おめでとう!」「おめでとう!」「いってらっしゃい!」
使用人達の祝福の声と拍手が鳴り響く。
幕が一斉に取り払われると、無数の鏡があらわれ、醜く老いさらばえたアンブロシーヌの姿を容赦なく照らし出した。
心と体を間断なく責め苛まれた五年間は、三十年にも匹敵するダメージをアンブロシーヌに与えていたの。
あははっ! あのときのアンブロシーヌの顔の、かわいそうな事といったら!
この世の絶望と、悲痛をすべて詰め込んだら、ああいう表情になるのかしら。
あの顔を見せてくれただけでも、あの虫ケラがこの世に生を受けた意味はあったわねえ。
ほんとに、ほんとに、かわいそう!!
この日のために、公爵は屋敷中の鏡を取り払い、アンブロシーヌに自分の顔を見させないようにしていたのねえ。立つ事もままならない足と、醜くかわり果てた姿で、華やかな舞踏会場に放り込まれると知ったアンブロシーヌ。
引きずられていく廊下には、失禁のあとが黒々と帯になって続いていた。
屋敷の出口までたどりついたとき、しゃくとり虫のように弱弱しく抵抗していたアンブロシーヌは、ぐったりしていたわ。刺激が強すぎたのね。公爵はつまらなそうに、片手でひきずってきたアンブロシーヌの遺骸を見下ろすと、
「・・・・・死んだか」
と無造作に放り投げたわ。
ごろごろとゴミのように階段を転げ落ちていく、かわいそうなアンブロシーヌ。
馬鹿みたいにぽかんと開いた口の中を、お日様が明るく照らしていた。
階段の下には、右頬に大きな傷跡のある大男が、ポケットに手を突っ込んで立っていた。
「我が友、エセルリード。復讐はなった。この女の価値は幾らぐらいかね?」
公爵の問いかけに、エセルリードは頷き、足元のあわれなアンブロシーヌの遺体に、小銅貨数枚を放り投げたわ。ちゃりんちゃりんと音をたて、一枚がアンブロシーヌの口の中に飛び込んだ。おもしろい! 悪党としては失格だったけど、最期まで道化役を務めたことは褒めてあげる。
「・・・・・・これぐらいですかね」
ぼそっと呟くエセルリード。
アンブロシーヌは、彼の恋人を殺した際、散らばっていた中銅貨を見て、貧乏人が幸せな死に方をしたとあざ笑ったのよね。小銅貨は中銅貨の十分の一の価値。エセルリードは、あのときの恨みをずっと忘れてなかったのねえ。
「・・・・・馬鹿だ。姉さんは・・・・・」
エセルリードは、小さく小さく呟く。
でも、まだ肉親の情を捨てきれてはいなかったのよね。
それなのに鬼になれるなんて! 胸が高鳴るわ。
優しさをもった復讐鬼、エセルリード。
あわれなアンプロシーヌは気付かなかったのね。
もしも公爵夫人とマリーのことを少しでも気にかけていたのなら、あなたは死なずに済んだのよ。
身ぐるみはがされて追放されても、命だけは助かったのに。
でも、アンプロシーヌは、殺した二人の名前すらまともに覚えていなかった。
もちろん他の犠牲者のこともなにひとつ。
大好きな宝石やドレスの生地のことは、一分も漏らさず正確に把握しているのにね。
アンプロシーヌにとっては、他人の命は覚える価値すらないものだったのね。
だから、公爵とエセルリードは、処刑に踏み切ったのよ。
ほんとうに馬鹿ねえ。人の命こそ、最上の娯楽だと言うのに。
消える瞬間の、人生が濃縮された輝きは、どんな宝石だって色あせるぐらい。
それを今まで見逃してきたなんて。
審美眼のない小悪党は、やっぱり駄目ねえ。
農具のフォークを手に集まってくる、アンブロシーヌの犠牲者の遺族たち。
「君はあいかわらず優しいな。ぼくなら土くれを投げかけるがね」
遺骸を取り囲んで突き刺す音が響く中、公爵が笑う。
串刺しにされるたび、アンブロシーヌの死体が生きているように踊る。
あら、随分斬新なダンスだこと。
舞踏会でお披露目出来なくて残念ね。
でも、大丈夫。
みじめなあなたの姿と名前は、私がしっかり記憶しておいてあげる。
私をこんなに愉しませてくれたんだもの。
あなたが殺された意味はあったのよ。
それにしても、公爵のいい笑顔といったら。
美しい悪魔のようでときめくわ。
串刺しの奏でを背後に微笑むあなたは、まるで美しい絵画のよう。
宮廷のどの名画よりも、私の心を惹きつける。
だから、あなたは、いつも私が自ら殺してあげるの。
その価値があるもの。
復讐の鬼となったエセルリードもすてきよ。
悪魔と鬼・・・・・私の獲物にふさわしい二人。
愛ゆえに道を踏み外した男たち。
この二人を狩るとき、私は興奮を抑え切れない。
大事な大事な私の遊び相手。いなくなるときは少し寂しい。
ずっと戯れていたい、でも駄目。本命はスカーレットだもの。
私はこう見えても一途なのよ。
終りとはじまりの業火をキャンドルにして、私とスカーレットはいつまでも踊り続けるの。
そのためには、魅力的なあなた達にも退場してもらわなきゃね。
ああ、あなた達の他に、5人の勇士達もいたわね。
5人の勇士・・・・・笑えるわね。
戯れにつけてあげた呼び名だけど、滑稽なあの子達にはぴったりだわ。
自分達が殺そうとしているスカーレットが、なにものかも知らず、憎しみをたぎらせ挑んでいく・・・・・!
あはははっ! おかしい! こんな楽しい見世物、他にないわ!
かわいそうな5人の勇士たち! もっともっと、かわいそうなスカーレット!
真実を知ったとき、どんな顔をするのかしら!!
なんて気分がすがすがしい!
・・・・・・・・・・?
・・・・・ふうん。
この109回目は、今までと随分趣きが違うようね。
公爵夫人が、スカーレットの母親が、生き残った・・・・・はじめてのパターンね。
「魔弾の射手」の再来を謳われた、堕ちた天才コーネリア。
スカーレットはよく知らなかったようだけど、あなたのママは一部では有名人だったのよ。
「赤の貴族」たちの苛めで心が壊れ、廃人同然の引きこもりになったけれどね。
その彼女が死なない?
転がりかた次第では、少し警戒する必要があるかしら。
どういうこと・・・・・・・?
ああ、そうなの! かわいいスカーレット!
あなたも、私と同じように、ループしている記憶を思い出したのね。
あなたの嫌悪が伝わってくる。心地よいわ。
まだ、私と顔も合わせていないのに、すでに私のことで頭がいっぱいなのね!
ふふ、そして、そんな自分を少し自己嫌悪している。あなたらしいわ。
「108回の歴史」を思い出しただけなのだから当然ね。
「真の歴史」の記憶がないと、真実は見えてこないもの。
あら、ブラッドとセラフィが、今度はスカーレット側につきそうね。
いいわ。お祝い代わりに、その二人はあなたにプレゼントするわ。
だって、私、とっても気分がいいのもの。
人生の最初から、あなたが私のことを記憶してるなんて、とても素晴らしいことではなくって?
さあ、5人の勇士、残りの3人は、どう動くかしら。
月影の貴公子ルディ。
蒼白い新月のようにはかなく、少女のようにかぼそい人。
あの大きな狼を従えて、あなたは獣と人の道、どちらを選ぶのかしら。
闇の狩人アーノルド。
やり場のない怒りを抱え、猛禽の鋭い目で、人の欺瞞を見抜こうとする男。
闇をも見通すフクロウの目は、今度こそ、あなたの矢を真実に導いてくれるのかしら。
大学者ソロモン。
学問という名前の狂気にとり憑かれ、毒も薬も等し並みに愛する男。
あなたが一番私に近いわ。星はあなたに、どんな道を指し示すのかしらね。
そして、四家の化物たち。私のかわいい子ら。
前の108回では出番のなかったあなた達。
私だけが飼い慣らせる愛おしい怪物ども。
久しぶりに、あなた達の雄姿も見たいわねえ。
うふふぅ。楽しいわねえ。
あら、スカーレット、あなた引き篭もりたいの。
馬鹿ねえ。そんなこと、この私が許すわけないじゃない。
ハイドランジアじゅうを炎に包んでも、あなたを、遊び場に引きずりだしてあげる。
底抜けにお人好しのあなたに見過ごせるかしら。
真面目なあなたですもの。
これから起きる自然災害も、すべて頭の中に入っているんでしょう。
もちろん私もそうよ。
津波で兵士を押し流し、蝗の群れで敵軍の食糧を喰いつくす。
大地震で行く手を塞ぎ、大嵐にまぎれ、敵の本陣に奇襲をかける。
きっと私達二人の戦いは、神の戦いのように、他人の目には映るでしょうね。
それだけのことをして、なお引き篭もれると思うなら、やって御覧なさいな。
ふふっ、今回はいろいろ楽しそう!
魔犬ガルム?
ああ、ジュオウダの魔犬使いの最高傑作にして、大失敗作ね。
この時点ではたしかに強敵ね。
でも、たとえ産まれたばかりでも、あなたはスカーレット。
私の策略以外で死ぬことは許さない。
どんなに恐ろしい敵に見えようと、魔犬ガルムには欠点がある。
そんな相手に不覚を取るようなら、また死んで出直していらっしゃい。
ああ、試練を乗り越えたスカーレットに再会する日が待ち遠しい。
さあ、早く、二人の舞踏会をはじめましょう!
ハイドランジアだけでなく、周辺国すべてを巻き込んで。
あのときの炎の舞台のように、華々しく!
すべてのものを、私達二人を引き立たせる薪にしてくべましょう。
みんな! みんな! 私達を照らす炎になるがいい!!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【 語りべ、コーネリア 】
「おお、奥方様。まだ、こちらに来るのは早すぎますぞ」
「まだまだ、あと、お子の二、三人は産んでいただかんと」
「わしらが子守りの取り合いをせんで済むようにのう」
白髭と黒髭と茶髭のお爺さん達が笑う。
手にした頑丈な木製のジョッキを乱暴にぶつけあう。
車座になって楽しそうに酒盛りをしている。
「やっと待ち望んだときが、やってきましたわい」
白髭のお爺さんが相好を崩す。
「なりはアレじゃが、たいした坊主じゃ。姫様もよう頑張った」
そうだ。私はこの三人を知っている。
命懸けで私達のために闘ってくれた、老戦士達。
ブライアン。ボビー。ビル。
ああ、私はまた間違いをおかしてしまったのか・・・・・!
「なぁに。生きとれば、間違いなんぞ、いくらでも正せますわい」
「奥方さまは心を狂わせる麻薬を盛られとったんじゃ。許せんのはシャイロックの馬鹿どもじゃ」
「早く戻りなされ。悪夢はもう終わりじゃ。あの坊主は毒ぬきの技も心得ておりますでのう」
三人のお爺さん達は、慈しむように、ゆっくりと私に語りかける。
「わしらは残念ながら力及ばなんだが、奥方さまが戻ってくださるなら、百人力ですわい」
「魔弓の狩人、その見事な腕前があれば、魔犬ごときにどうしてひけを取りましょうぞ」
「姫さまを、どうかお守りくだされ。あなた様のお力こそが、今必要とされておりますでのう」
でも、私は・・・・・
我が子を殺そうとした。
生きる価値なんてない、心の弱い女。
あの人にどんな顔をして、再会すればいいのか。
恥ずかしい。死んでしまいたい・・・・・・・
「・・・・・あなたはお強い。たぶん若殿よりも。ご自分で気づいておられんだけじゃ。女の強さと戦士の強さを兼ね備えておられる。それに母親の強さも加われば、鬼に金棒ですじゃ。貴族らしく振舞うことよりも、おのれの心のままに生きてくだされ」
「挫折を知らん人間は、強いようで案外脆いもんじゃ。ほんとに強い人間は、どん底から這い上がった人間ですじゃ」
「嘆くよりも立ちあがりなされ。死ぬのはいつでも出来る。まずは生きてみなされ。わしらが言うと洒落にならんがのう」
まったくじゃ、と三人は豪放に声を揃えて笑った。
「・・・・・さあ、そろそろ行きなされ。姫さまが、若殿さまが、あなたを待っておられる」
白髭のブライアンが優しげに目を細め、口元をほころばせた。
「奥方様が抱える心臓の病は、わしがあの世に持っていきますわ。姫さまと、若殿さまによろしく」
「はい・・・・・! ありがとうございます・・・・!」
武骨な思いやりが伝わってる。
胸がしめつけられ、私は返事に詰まった。
この人達には、どんなに感謝しても感謝したりない。
「ブライアンばかり格好つけるでない。ならば、わしは奥方さまの小皺を持っていく。長年のすとれすで奥方さまもお肌の曲がり角じゃ。出産のいきみで肌もあちこち傷ついておられる。皺と傷は男の勲章じゃ。遠慮なさるな」
「ならば、わしは浮腫みとくすみかのう。30なかば過ぎの女盛りの色気と、乙女の張りつめた肌の競演。これは若殿さまも、惚れ直し間違いなしじゃのう。腫れと傷は戦士の証。気遣いご無用」
黒髭のボビーと茶髭のビルが張り合って割り込んできた。
「ううっ・・・・・! ありがとうございます・・・・・」
嬉しいんだけど、素直に喜べない。
私、まだ20代なんですけど・・・・かろうじてだけど・・・・・
そ、そんなに老けて見えてたの・・・・・
軽くショックです・・・・・・・・
そして、私の皺と腫れは傷扱い・・・・・
「奥方さま。姫さまには、アリサという化物がつきまとっておる。わしらを殺した魔犬などより、よほど危険な相手じゃ。姫さまお一人を苦しめるために、平然と国ひとつを焼き払う怪物じゃ。決して気を緩めてはなりませぬぞ」
涙目だった私は、ブライアンの言葉に、唇を噛み締めて頷いた。
そうだ。思い出した。アリサ。あの化物!
スカーレットを苦しめる、ただそれだけのために、優しいメアリーを殺し、夫が私を思いやる心を利用し、雪崩の中に突き落としたあの悪魔!
ぜったいに許すものか。必ずこの手で殺してやる。
「ここでの記憶は現世には持ち込めん。残念ながら」
悔しそうにブライアンが首を振る。
「ですが、もしかしたら、わずかにでも記憶に残ることを祈り、ひとつだけお教えしておきたい」
ブライアンは、ゆっくりと、一言一言、しみわたるように、静かに呟いた。
「アリサと満月の夜に戦ってはなりませぬ。たとえ、どんな状況であろうとも。もし、戦えば、奥方様は必ずその場で命を落とすことになりましょう。ゆめゆめ忘れてくださいますな」
私の身体にその言葉が残ることを祈りながら、彼は言葉を紡いだ。
・・・・・彼の忠告が私の脳裏に甦ったのは、それからずっと後、私がアリサと対峙し、狂った高笑いを耳にしたときだった。そのとき夜空には、血のように不吉な色の満月がのぼっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【 語りべ、スカーレット 】
「コーネリアさん、入るよ」
お母様の部屋の外でブラッドが声をかけたけど、返事がない。
ブラッドとメアリーと私は顔を見合わせた。
お母さまの感覚は鋭い。
声をかけて返事がないなどありえない。
「入るからね!」
「奥さま!」
「アウアー!」
ブラッドが慌て気味に部屋に飛び込み、メアリーと私もあとに続いた。
ブラッドの秘術で抑えられてはいるが、お母様は本来まだ産褥期だ。
万が一を想像してしまい、焦った私達は、前につんのめるようにお母様に駆け寄った。
あ、私はメアリーに抱きかかえられたままなので、背中から・・・・・だって新生児ですもの。
お気に入りの籐椅子に腰かけたまま、お母様は安らかに寝息をたてていた。
私達はほっと胸を撫で下ろした。
読書していた令嬢がうたた寝してしまったような、春風がよく似合う寝姿。
はあ、それにしても、お母様ほんと美人よね。
というか若すぎる気が・・・・・・メアリーと齢が変わらないみたいに見えるんだけど。
化粧なしでこの肌の質感は反則でしょう。
「奥さま、お若いですよね。お嬢様をお産みになってから、むしろ若返られた気が。どうなってるんでしょう」
メアリーも不思議そうに首を傾げている。
ふむう、私の目の錯覚ではないようだ。
ということは、犯人はブラッド! あんた一人よ!
「アウアアアー!」
得意になって私はブラッドに人差し指を突き付けた。
あんたが治療と称し、お母様に美容術をほどこしたのは、とっくにばれているの!
観念して、私にもその美容術をかけてくださいな。早く、早く!
「アアウアアー」
上目づかいで懇願する私。
ここ数日筋肉がついてきて、とうとう首が据わりました。
ふふ、寝返り地獄の成果が、思わぬ形でリターンしてきおったわ。
これで、女子必殺の上目づかいおねだりが可能に!
くふふ、頑固なブラッドもいちころね。
「いや、おまえ、これ以上若返ってどうするんだよ・・・・・・」
呆れかえるブラッド。
はうあッ!! そうでした。私、生後2週間のぴちぴち新生児!
あやうくお母さまのお腹に逆戻りするところでした。
「そもそもオレは、血液の流れと内臓の解毒作用は整えたけど、それだけじゃ説明がきかないんだよ。最初感じた心臓の異常も消えてるし・・・・・わけがわからな・・・・・」
「アウアッ!!」
天啓のように閃いた私は、鋭くブラッドの言葉をさえぎった。
わかった! きっと、お母様は恋をしているのです!
恋は女を輝かせ、奇跡を呼ぶというじゃない!?
「アウッ! オオオーア! アウアアアー! オアアアー!?」
「あのさあ。おまえ、恋を魔法かなにかと勘違いしてない? そんなことあるわけないだろ・・・・」
力説する私に、ブラッドはあきれ果てたというふうに、ため息をついた。
「まあ、零歳児が恋のことを正しく知ってるわけないんだけどさ」
「アウアッ!?」
なんですとッ!?
このハイドランジアの宝石といわれた私に、なんという侮辱を!!
各国の王や王子、貴公子達の求愛を笑顔ですり抜けた私に向かって・・・・・
あ、すり抜けてた・・・・・・・
だ、だって、女王稼業が死ぬほど忙しかったもの! 私は国と結婚してたの!
最後は国中から石もて追われたけど・・・・・う、涙出てきた。
おのれ、ブラッド! そこに直れ! 新生児キックで成敗してくれるわ!
あ、メアリー、おくるみ緩めて、私の美脚を出してくださいな。
「いいえ! お嬢様、恋は魔法ですとも! 私もそう思います! だって、現にブラッドとお嬢様は、会話を成し遂げているじゃありませんか! これこそ、まさに恋のなせる技!!」
目をきらきらさせて熱っぽく語るメアリー。感極まったように私を、ぎゅうっと抱きしめる。
「オアッ!?」
「なんで!?」
私とブラッドが同時に叫ぶ。
むう・・・・・不覚。ハモってしまった。
ちょっと、あんた。もう少し気をつかって、タイミングずらしてよ。
「ほら、息ぴったり!」
メアリー嬉しそう。
いや、ないから・・・・・・・
確かにいつの間にかブラッドは、私のアーウー語と普通に会話してるけどさ。
それはこいつがチートなだけで、恋愛とは無関係なのですよ。
さっき、ブラッドが跪いて私の手に誓いの口づけをしたときから、メアリーの恋愛スイッチが入ってしまったらしい。あれ、恋愛の誓いじゃなくて、守護と自重の誓いなんですけど。
そういえばメアリーさん、お父様とのなれそめを聞いたとき、恋愛重装騎兵になって、お母様を熱く問いただしていたっけ。経産婦とはいえメアリーもまだ年齢的には少女だものね。恋バナ大好きなのは仕方ないか・・・・
「・・・・・ブライアンさん」
気まずい雰囲気だった私とブラッドは、お母様のぽつりと呟いたひとことで凍りついた。
メアリーは逆に、おおっと鼻息を荒くしている。
お母様はまだ眠っている。寝言だ。寝顔のまなじりに涙が光っている。
ちょっ、ちょっと、お母様・・・・・・? それ、お父様の名前と違う・・・・・
「ボビーさん、ビルさん・・・・・・」
さ、三股あっ!?
「・・・・私は30半ばすぎじゃない・・・・・かろうじて、まだ20代・・・・・むにゃ・・・」
なんの夢を見てるんですか!? どういう寝言なの、お母様!
もしかして、私のコメディー枠を狙ってる!?
独占禁止法の荒波がこんなところまで押し寄せた!?
私のショバが荒らされちゃうの!?
私の活躍できるとこ、今ここしかないのに!
恋愛疑惑以上に、私、大ピンチ!?
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