第20話 お父様はついに港に到着します。決戦の地、公爵邸に向け、運命は流れ出すのです。

海原を突き進むブロンシュ号の前方に、見慣れた景色が近づきつつあった。

ヴェルヘルム領の飛び地である山脈の威容が、空の果てに浮かぶ。

空に下部が溶け込んだ蒼い山肌、その頂のふちは初夏にもかかわらず、白雪に微かに覆われている。

ブロンシュ号の驚異的な船足は、沿岸近くになり、風が乱れ吹き荒んでも、まったく衰えはしなかった。

乱流を読みきり、航海長が指示をとばす。


「右舷! 吹き返しくるぞ! ヤード転回!! お嬢の白帆

ドレス

の裾を破るなよ!! 」

「へい!! 人使いの荒いこって」

「無茶苦茶だ! こりゃ、あとで縫帆職人の連中にどやされるぞ」

水夫達は文句を言いながらも、愉しげに動索にとりつく。


マストのヤードが巧みに回転し、的確に帆風をはらみ続ける。

本来なら帆を絞る強風の中、帆の強度いっぱいまで風をとらえ、船速を最優先しているのだ。

ロープが激しく動く。滑車が軋む。帆をあやつる水夫達の筋肉が盛り上がる。


第二報めを携えた移動鳩が飛び込んできたとき、目的の港はもう目前だった。

たたまれた文書を広げたオランジュ商会の会頭、セラフィが表情を曇らせる。

潮風に髪をなびかせるがままに瞑目し、天を仰ぐ。


「・・・・・エセルリードさんからの知らせです。マリーさんが殺されたそうです」


聞き耳を立てていた航海長が驚いて駆け寄ってくる。

手紙を覗きこみ、顔見知りの訃報に、髪の毛を逆立てるようにして唸る。


「刺し殺されただって!? ひでぇことしやがる。マリーの嬢ちゃんは、間違っても人の恨みを買う人間じゃねぇ。会頭、これは・・・・・!!」


「シャイロック商会の差し金だね。やり口から見て、デクスターとアンブロシーヌの仕業だろう。なんてことを・・・・・」

セラフィは唇を噛んだ。

手紙を持った指が震えていた。

紙についた血痕から、彼はエセルリードの悲痛を読み取った。


「エセルリード? シャイロック家の次男のか」

シャイロック家らしからぬ善人の三子の顔を、公爵は思い浮かべた。

セラフィがうなずく。顔色が悪かった。


「エセルリードさんとマリーさんとは将来を誓い合った仲でした。ほんとに仲睦まじくて・・・・」


そのとき横波で船が揺らいだ。

小柄なセラフィがよろめき、手すりにぶつかりそうになる。

公爵がブロンシュ号に乗ってから、はじめて見せる失態だった。


「・・・・・大丈夫か」

「す、すみません」


間一髪で公爵に肩を支えられ、セラフィが礼を言う。

ぶざまを見せた羞恥で耳までまっかになっている。


「お亡くなりになった会頭の母上も、マリーってお名前だったんでさあ。だから、会頭にとって、二人の幸せは他人事とは思えなかったんだ」


航海長がセラフィの動揺のわけを明かす。


「そうか・・・・・」

と公爵はため息をついた。


「シャイロックを潰す理由が、ひとつ増えたな。この一件に決着をつけたら、奴らただでは済まさん」

と暗い炎を宿したまなざしで、遥か公爵邸のほうを睨む。


「ぼくの到着までに、コーネリアの身になにかあってみろ。首謀者どもを生きたまま切り刻んでやる」


ようやく船酔いから歩けるまで回復した従者のバーナードが、心配げに公爵を見る。

なにか言いかけて口をつむぐ。公爵の怒りはただごとでなかった。オランジュ商会の皆にはわからなくても、噴火直前のようなおそろしさを、公爵を見慣れた彼は感じていた。アンブロシーヌを目にした途端、一刀のもとに切り捨てかねない。平静を装っているが、はらわたが煮えくりかえっているのだ。それは公爵が王家に対してとった手段にもあらわれていた。


「それにしても思い切った手をうたれましたね。まさかハイドランジア王家を強請

ゆす

るなんて」

冷静を取り戻したセラフィが感嘆の言葉を口にする。


バーナードが視線を落とす。彼の懸念はそこだった。


公爵は夫人の保護のために、王家最強の親衛隊を動かすよう、ハイドランジア王家に要請したのだ。

勿論なまじの事で王家が動くわけがない。公爵がオランジュ商会の伝書鳩に託した手紙には、この要請を断った場合、公爵が他国に亡命するとしたためてあった。そして、要請を受け入れた場合の見返りについてもだ。


「ははっ! まったくでさあ! あれには痺れましたぜ! なにせ莫大な未払いの報奨金の権利の破棄だ!」


手をうって航海長が賞賛する。

水夫達の何人かが同意し、甲板を走り回る仕事の合間をぬって、ガッツポーズをとる。

賭け事好きであり、潔い生き方を信条とする船乗り達にとって、公爵の行動は敬意をはらうに価するものだった。


公爵が脅しの武器

ネタ

にしたのは、ハイドランジア王家が抱える、公爵への未払い金だった。

彼が今までたてた功績の報奨金は巨額すぎ、王家の財源ではとても賄えない。

王家にとってその報奨金は頭痛のタネだった。

最高位の公爵の爵位授与は、苦し紛れの選択だったのだ。

いつか国庫に余剰金ができたときの約束手形のようなものだ。


「支払われる予定もない報奨金など、なんの価値もない。コーネリアの安全が第一だ」


公爵は事も無げに吐き捨てたが、勿論そうでないことを、この場の全員が知っていた。

未払いの報奨金は、王家の咽喉元に刺さった骨であり、引け目だった。

公爵の王家に対する影響力の源だったのだ。

公爵は愛する妻の安全のために、その権利を放棄した。


もし王家親衛隊を動かすなら、支払金の受取権利を破棄する。

逆に断ったなら、他国に亡命し、受取権利を盾に取り、王国に攻め込む口実とする。

それが手紙の内容だった。


バーナードの表情が曇るのも当然だった。

どっちに転んでも、ハイドランジア王家に喧嘩を売る文書内容だ。

正気の沙汰ではない。


「ジュオウダの魔犬使いが暗躍しているならば、ハイドランジアでかろうじて歯が立つのは、王家親衛隊しかいないからな。じ

が命を懸けて教えてくれた情報だ。あの勇敢な古強者

ふるつわもの

達がただでやられるわけがない。このブロンシュ号にぼくが乗れたのも、きっと彼らの導きだ。無駄にはしない」


公爵は、子供の頃の呼び方で、亡くなったハイドランジアの三戦士をたたえ、その死を悼み、胸に手をあてた。血縁のバーナードもまた沈痛な面持ちで、同じ所作をした。


王家親衛隊は万が一のときの保険だ。

すでに親衛隊は、公爵邸に向けて動いているはずだ。

自分がここから馬をどれだけ駆っても、公爵邸までは半日を要する。

その時間の穴埋めのために、公爵はハイドランジア王家を脅したのだった。


「愛する女のためにすべてを投げ出す。いいですぜ、その生き方。海の神様もきっと追い風をくださる。そして、もちろん俺達も力になりますぜ」


航海長が歯をむきだして笑い、セラフィがうなずく。


「ボクたちも魔犬への対抗手段は考えてきたのです。きっと力になれるでしょう。そして、公爵、あ

の鞍と胸当てと武器も、馬とともに用意してあります。かって魔犬たちを追い詰めた人馬一体の妙技、思う存分発揮してください」


セラフィの言葉に、公爵だけでなく従者のバーナードも驚きの目を見張った。

その口ぶりから、公爵の事情にセラフィが精通していると知ったのだ。


「驚いたな。ぼくの戦い方まで把握しているのか。君たちを敵にまわしたくはないな」


「それはこちらも同様です」


公爵とセラフィは笑いあい、どちらからともなく手を伸ばし、握手を交わした。


ブロンシュ号は港湾に入った。

マストをおろして係船している船の横を通り過ぎていく。

水夫達が、錨綱が正しくほぐれるかどうか確認するため、綱の格納庫をのぞきに行く。


港の石垣や荷揚げ用の小船がはっきりわかるほど近づくと、セラフィの言葉通り、数頭の馬が倉庫前に待機しているのが見えてきた。

荷車や樽や大袋が雑然と点在する中、ぴしりと整列した馬たちはとても目立った。

特に目をひくのが真ん中にいる立派な白馬だ。目をこらした公爵が驚く。


「・・・・・あれは!?」


セラフィが会心の微笑を浮かべる。


「この遠目で気づくとはさすがです。そうです。かってのあなたの愛馬の子供です。従順かつ勇敢ですよ。お気に召しましたか」


「百万の味方を得た思いだ」


公爵は笑った。

心の通う名馬があってこそ、彼は真の力を発揮出来る。

剣呑な喜悦に紅目が輝く。

身体が倍になったかのように威圧感をはらむ。

セラフィが目を細め、航海長が口笛をふいた。


「こういうのを血湧き、肉踊るというのだろうな」


愛馬とともに駆け抜けた戦場の臭いを、公爵は思い出していた。

かって一騎当千と敵味方に称えられた鬼神が、武器を得てよみがえった。


「おお・・・・・!!」

思い悩んでいたバーナードから迷いが消し飛んだ。


「御身の前に敵はおりますまい」

感激に身を震わせ、恭順の片膝をつき、頭を垂れる。


公爵はうなずき、疾走する風雲を見上げた。

その果てには、愛する妻が彼を待つ。


待っていてくれ、コーネリア。

あらゆる敵を蹴散らして、ぼくは今、君のもとへと馳せ参じる。

だから、それまで無事でいてくれ。


公爵は願いをこめ、拳を強く握り締めた。

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