第19話 守りたいもののために。死地を覚悟した少年は、わざと飄然とふるまうのです。

みなさん、こんにちは!

にっこり放つ天使の笑顔。あなたの心

ハート

を狙い撃ち。

お話がちっとも進まない、永遠の零歳児。

だってループはお約束。

無邪気な可憐さと、危険な香りをあわせもつ女。

魅惑の新生児、108回殺された悪役令嬢、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。

ばきゅーんっ!


「アウアー!!」


はうあっ!?

あなたの心臓

ハート

じゃなく、天井にしか狙いがつけられません。

だって上体も起こせない新生児ですもの。

寝たきりじゃ、天井の染みぐらいにしかセクシーショットできないんです・・・・!

や、やるせない・・・・・・・・


たっちとあんよは、まだですか!?

ハイドランジアの宝石とたたえられたこの身が、なんという体たらく・・・・・


かっての光り輝く美貌と肢体を思い出し、私は悲哀に身体を震わせた。


「ん? またおしっこか。なんか臭うな」

ブラッドが鼻をぴくつかせる。


ぎゃああ!!

またこのパターンか!!

危険な香りってそういう意味じゃない!


こらあっ! ブラッド! どこに顔突っ込んでるの!?

乙女のおまたの臭いを嗅ぐでない!!

この変態メイド女装っ娘!!

いやあああ! 乙女の秘密が暴かれる!

おしめのせいで、膝が自在に閉じられぬこの身が恨めしい。


ブラッドが顔をあげ、

「これ、ウンチじゃね? 」


わあああああ!!


「あら、お嬢様、おむつ替えの時間ですねー」


・・・・・ごめんなさい。メアリー。

わ、私、ほんとに粗相してました。

だって、赤ん坊なんだもの。

いろいろ、その・・・・・括約筋的に堪えられないのです。

私、もう死にたい・・・・・天に召されたい。


「やっぱり、そうだろ。オレ、血液の流れでわかるんだ」

得意げなブラッド。


おまええええ!!

さっき、ひとのデリケートゾーンさんざん嗅ぎまわってたろうが!

血液の流れ関係ないじゃん!!

天に召されるのは延期だ。不埒ものを成敗してくれるわ!


「お嬢様のきれいなお尻がかぶれたら大変です。さっと取り替えて気持ちよくなりましょうね」

メアリーが手際よく、おしめをほどき出し、私はブラッド討伐をあきらめた。


うう、メアリーさん、お願いします・・・・・


私の女王としてのプライドは、日々順調にすり潰されてます。

水車小屋でひかれ続ける小麦のよう。ゴトゴトガタガタ、もうがたがたです。

木っ端微塵の全粒粉です。


前の108回の人生で、悪役令嬢街道をひた走り、非道な女王だった私。無惨に殺され続けた程度では、まだ罪の償いは済んでいないということなのでしょうか。


ううっ、ごめんなさい。

生まれ変わって私、素寒貧なんです。

この公爵邸、むちゃくちゃ貧乏だし・・・・・

赤ん坊の私に差し出せるものは、もうこの身ひとつしかありません。

私、ちょっと罰として、これから見世物小屋に売られてきます・・・・・

おしゃべりする赤ん坊として、指を指されて、笑いものにされるのです。

みんな、さよなら。

私、悪役令嬢じゃなく、ドナドナ令嬢として、残りの人生、孤独に生きていきます。

北風と凍てついた夜だけが、私の友達なの・・・・・・


「ウアウア、ウーア、ウーア、ウアウア、ウーアーアー」


「こんな悲壮な表情で、喃語している赤ん坊ははじめて見るなあ。これ、なんの歌だ?」


ブラッドが呆れ声で尋ねる。


「それにしても、でっかいウンチを生んだなあ。べちょべちょだけど。お腹くだしてんの?」


「ウアウア、ウーア、ウー・・・・・アアアッ!?」


哀しみの歌を歌いながら涙していた私は、ブラッドの言葉にぎょっとした。


「ちょっとブラッド。お嬢様はまだミルクしか飲んでないのだから、こういうウンチになるのは仕方ないんですよ。ほら、お嬢様、きれいきれいしましょうね」


ふおおおおおッ!!

やっぱり見世物はつらいッ!!

納得できぬッ!


私は怒りと恥ずかしさで拳を振り回した。


ブラッドぉおお!!

あんたね、いくらメイドっ娘のなりしてても、立派な男の子でしょうが!!

それを、花も恥らう零歳児、私のあられもない姿を堂々と覗くなんて!

卑劣な痴漢、のぞき、許すまじ!


くらえ! 私の恥じらいとやるせなさをのせた、哀しみの拳を!

空を引き裂け、新生児パンチ!

宿敵ブラッドの顎を粉砕するのだ!


「アウア~!!」

私の拳は、むなしく空を切った。

射程15㎝!! こんなの届くわけあるかあっ!

手が短すぎる!

私は悲痛な叫びに身をふるわせた。

手がこきんっていった! もやしか! この貧弱な肉体は!


「アアアアア~!!」

私は、やるせない咆哮をあげた。


「なにしてんの? おまえ」

と呆れ顔でのぞきこむブラッド。

その顔をにらみつけた私は、あることに気づき、激しく動揺した。


そっちこそ何してんの!

こいつ、鼻と口に、覆いの布までしてる!

なによ! その失礼な完全武装は!!


「オアアアア~!!」

私は、哀調を帯びた悲憤の叫びをあげた。


私の乙女心は、今、二重の意味で深く傷つきました!

憤慨ものです! 糞害じゃありません!


そんなに臭いが気になるなら、見学しに来なきゃいいでしょうが!

誰も一般公開なんてしてません!

見学お断り! 面会謝絶!


おのれ、ブラッド!

今の私は復讐の鬼と化した!

108回殺された悪役令嬢じゃなくって、108回タマとった極道令嬢になってやる!


「あら、お嬢様、あまり暴れると、背中が汚れますよ」


メアリーにやんわり窘められ、私はあわてて、ばたばたしていた手足を止めた。

天使の羽根でなく、ウンチのはねを、背中に背負った極道令嬢は、私としても不本意だ。


それにしても、ほんとに私は幸せものだ。

こんな異常発育した赤ん坊。

普通なら近くに寄るのも気味悪く思うはず。

それなのに、私が言葉を理解する新生児と知ってなお、二人の母親の愛は変わらない。

それどころか以前にも増してあたたかい。

お母様とメアリーには感謝の言葉しかない。

嬉しすぎる誤算、こんな取り越し苦労なら大歓迎です。


さんざん思い悩みうち震える私の心を、二人の愛は優しく包んでくれた。

ぐすんっ、まさに案ずるより生むが易し。

ねえねえ、ブラッドもそう思うでしょ?


「ほんと、でっかいウンチ生んだよなあ」


そっちじゃないよお! 何度も繰り返すなよ!

今回のお話、何回ウンチって出てきたの!?

ただでさえ、恋愛もの詐欺扱いされてる物語なのに!

これ以上品位をおとすでない!

私が異常に早熟な子供なのにもかかわらず、って話のほう!


「・・・・・ところで、チビスケ、まだ歩けないの? おっそいな」


あ、歩けるわけあるかあっ!

掴まり立ちも、這い這いもまだだよ!

私まだ生後二週間の促成栽培なんですけど!?

ごめんね! 陸ではねまわる、進化しそこねた魚みたいで!


これでも新生児としては異常な部類に入るんですけど!?

なんと寝返りうてる驚異の運動能力だよ!

まだ生後一ヶ月未満なんだから、拍手喝采ものよ、これ!


・・・・・寝返りうつたび、死にかけるけどさ。

うつ伏せの呼吸困難と疲労で。

命がけの寝返り。新生児の人生は、デッドオアアライブの連続。

だから、アンコールはやめてください・・・・

メアリーがきらきら期待に満ちた目で私をじっと見つめるのです。

私、いったい一日何回寝返りすればいいの・・・・・・


子供達に面白がってつつき回され、疲労困憊して枯れ果てる食虫植物に親近感わきます。

その哀しみ、悔しさ、わかる、わかるぞ・・・・・!


「やれやれ運痴だなあ」


それは洒落か!? 駄洒落のつもりなのか!?

どうしてもその単語に行きつきたいのか!?


ウンチウンチって馬鹿にして! 自分で用が足せるようになったら、すっごい素敵な花柄の「おまる」

チェンバー・ポット

を買って、女の子らしいとこ見せつけてやるんだから! うらやましがって泣いて頼んだって貸したげないからね!


「ウーウーウー!!」


「ああ、オレが覆い

マスク

してるから怒ってんのか。違う違う。オレ、生石灰の目潰しつくってたんだ。だから、鼻と口に布巻いてただけだって。粉吸い込むとやばいから」


あっ、そうなの? 生石灰じゃ、しかたないね。


「アウアッ!?」


納得し、機嫌をなおしかけた私は仰天して叫んだ。

あんたが建築材のモルタルのことメアリーに訊いてた理由はそれ!?

なんて凶悪な兵器

もん

つくってんのよ!


石灰石や貝殻を熱処理してつくる生石灰は、大量を水と混ぜると高熱を発する。管理が甘いと火災の原因になるほどだ。劇物なのだ。人間の目に入った場合、角膜を侵食し、失明を招く。実際、兵器として使用した国もあった。

ブラッドらしからぬ残酷な手段だ。


「オレは外にいるからさ。なにかあったら大声出して呼んでくれよ。遠慮するなよ。ぜったいだぞ」


戸外に歩き出したブラッドは足を止め、振り返ると


「ちょっと危ないことしてるからな。外にはしばらく出ないでくれよな」


威嚇の唸りをあげる私に苦笑し、手をひらひらさせながら、ブラッドは部屋から出て行った。

ふ、ふんっ、なにが危ないことだ。ロマリアの焔

ほむら

を使うのでもあるまいし。彼奴奴

きゃっつ

め。我が剣幕に恐れをなしたと見えるわ。


「お嬢様、ちょっと失礼しますね」


にゃあ!?


「ナアッ!?」


腕組みをして腰高にふんぞり返った私は、メアリーに両足首をもたれ、お尻をぐいっと持ち上げられて、子猫のような悲鳴をあげた。


「ねえ、お嬢様、ブラッドはからかいに来たんじゃなく、お嬢様が心配で、何度も安全確認しに来てくれてるんですよ。聡明なお嬢様はおわかりでしょうけど」


私に優しく語りかけながら、メアリーはてきぱきと、私の粗相の始末を進めてくれる。

ああ、私はほんとうに幸せものだよ。メアリーが乳母でほんとうによかった。

メアリーの言動には、母親のような情がある。

赤の他人の私に、我が子のように、あ、愛情を注いでくれる。


ううう、言葉にすると照れくさい。


貴族にとって、乳母による養育は普遍的な習慣だ。

だが、必ずしもいい乳母にめぐり合うとは限らない。


乳母は隔離された子供部屋の監督だ。

密室の中、暴君と化す乳母だっている。

人の心の闇は深い。

いくら貴族でも、子供のうちは無力で従順なか弱き存在だ。

非力な子供に、惜しみなく愛を注げる人間ばかりではない。

幼い頃の虐待の経験で、心を歪められる貴族は、決して少なくはない。


「はいっ! お嬢様! おまたせしました! 綺麗になりましたよ!」


メアリーの嬉しそうな声で我に返り、私はひどく赤面した。

上半身は腕組みをし、むずかしい顔で感慨にふけり、下半身は足首つかまれてのオムツ替えだ。

さぞ滑稽にうつったろう。


「もの思いにふけるお嬢様も素敵でしたよ」

とメアリーがくすくす笑いながら慰めてくれる。


「アウウー」


世にも情けない顔をして落ち込んでいる私を、メアリーはひょいと抱き上げた。


「どうします。おねむでしたら、お姫様ベッドにお連れしますけど? 」


メアリーのいうお姫様ベッドとは、私の据え置き式揺りかごのことだ。

頭上あたりは美しい天蓋に覆われていて、黄色いふんわりとした丸い花たちで飾り付けられている。

ブラッドが摘んできてくれた花だ。


「いつもお嬢様を気にかけてくれる、優しい子ですよ。ブラッドは。口ではああ言っても、お嬢様をちゃんと女の子扱いしてくれています」

「アウアー・・・・・」


わかってるよ、メアリー。ブラッドがいい奴だってのはさ。

たださ・・・・・・


「あっ! 蜂!? いったいどこから!? しっ!しっ!」


めざとく小さな蜂を見つけたメアリーが、あわてて追い払おうと走り回る。


「せっかくお花に囲まれた可愛らしい揺りかごに・・・・! しっ! しっ!」


メアリー・・・・・発生源は、ブラッドが摘んだその黄色い花だよ。

花びらが幾重にも重なりながらも、丸い形のままひろがらない形状は、とても可愛らしいんだけどさ。

そこ絶好の虫の隠れ家になるんだよね。

そして、その花の名前知ってる?


タマキンバイっていうんだよ。


風にそよぐ丸いタマキンバイで、隙間なく覆いつくされた私の揺りかご・・・・・

美しく花飾りされたお姫さまベッドなのに、なぜか素直に喜べない。

ブラッドめ。わざとじゃないだろうな。


「アウウアー」


可憐なタマキンバイを指差して、私は嘆息した。


「お嬢様! ブラッドにお礼を言いに行きたいんですか? ですが、ブラッドからしばらく出てこないでほしいと・・・・・ 」


違うよ! ブラッドのアホさ加減に呆れてたんだよ。

まあ、いいか! ブラッドの奴がこそこそ何してるのか、こっちから確かめに行ってやる。

あいつ、何かよからぬことをやってるに違いない。

ブラッドの弱みゲットだぜ!

ということでブラッド見学ツアーに出発!!


・・・・・ちょっと心配だしさ。あいつ、すぐ無理するから。

そして、むちゃするときは、決まってそれを隠そうとするんだ。

お姉さんの目は誤魔化せませんよ!


「アウアー!!」


身を乗り出し行き先を主張する私に、メアリーは


「しかたありませんね。こっそり、ちょっとだけですよ」


困った顔で念押しすると、私を抱え、ブラッドを追って歩き出した。


二階の子供部屋から廊下に出て、Yの字になった豪奢な正階段を下りると、吹き抜けのサルーンに繋がっている。窓の向こうに庭園が見える。アホのブラッドが溺れかけた池を中景に据えた景観だ。この池は人工物ではなく、もともとあったものに手を加えたので、小船で遊覧できるぐらい広い。

今でこそ人手不足で荒れ果てた庭園だが、巧妙に配置された丘や道や植え込みなど、かっては、まるで一枚の絵画のように美しかったはずだ。どんだけ金かけたんだろ。中景に水って、ロマリア憧憬派の絵画の再現だよね、これ。


本来この公爵邸を訪れた客人は、豪華な玄関ホールで息をのみ、期待に満ちて階段室をのぼり、目の前に開ける素晴らしいサルーンとその向こうの窓からさしこむ名画のような景色の美しさに、賞賛のため息をついたことだろう。


今・・・・・サルーンのめぼしい装飾は引き剥がされてます。剝がしあとが切ないです。

絵画、一枚もありません。調度品、素寒貧です。使用人が使うような椅子やテーブルがちらほら。左右のバランスが悪く、タチの悪い揺りかごのようにガタガタ落ち着きません。

庭園、芝や生垣が伸び放題のワイルドな光景です! 古代ロマリア文明憧憬どころか、原始時代にでも誘いたいのでしょうか。


お父様・・・・・お客さまに早く帰ってもらいたいの? 

こんな屋敷訪問したら、どんな貴族だって、嫌がらせかと思って、落胆のため息をつくよ!


前の108回の人生では、我が家は、とても裕福だったんだけどな。お父様は自宅にほとんど寄りつきこそしなかったけど、たくさんの使用人が常に忙しく立ち働いていた。


「あ、ブラッドですよ」


テラスから少し離れた立ち木のあたりに、ブラッドのメイド服のスカートがちらちら動いていた。

私達はこっそりサルーンの脇の出口からテラスに降り立った。

ブラッドに気づかれぬよう、抜き足、差し足、忍び足・・・・・・

いや、私はメアリーに抱きかかえられてるだけなんだけどさ。

でも、覗き見って楽しい!

私はわくわくしながら反省した。

ブラッドも悪気はなかったみたいだし、さっきの覗きは許してあげよう。


「・・・・・秘密任務みたいで、どきどきしますね、お嬢様」

メアリーもノリノリである。

そういやすっかり忘れてたけど、メアリーもポンコツ要素があるんだった。


「なにやってんだ!? 二人とも!! 来るなと言ったろ!!」


集中のあまり今まで私達に気づいていなかったブラッドが、顔をあげ、きょとんとし、それから怒鳴った。血相が変わっていた。

見たこともないほど怖い顔だった。


「部屋に! 間に合わない! くそっ!」


ブラッドの姿が霞んだ。いや、あまりの俊足のため、そう錯覚したのだ。


「舌噛むなよっ!!」

「アウアッ!?」

「きゃあっ!?」


彼は一足飛びに私達のもとに到達し、私達を引っつかむと、建物の中に飛び込んだ。

つむじ風にまきこまれた気がした。

異音が轟いた。メアリーの肩越しに、私は見た。

さっきまでブラッドがいたあたりで、人を呑みこむ大きさの火柱が立った。

火花をまとわりつかせながら、噴水のように立ち昇る輝き。

梢の葉が発火して燃え上がった。

ばちばちとはじけながら生木の幹が焼け焦げていく。

間一髪だった。ブラッドに引きずり込まれなければ、私とメアリーは熱風に巻き込まれていた。

撒き散らされた火の粉が、鉄の手すりに命中し、じゅんっと穴を穿った。

ぞっとした。普通の火ではありえない現象だ。


・・・・・ロマリアの焔

ほむら

・・・・・!!


見覚えのある炎の花。

よみがえった前の108回の人生の記憶に、私は戦慄した。


〝治外の民〟の秘中の秘の爆発物。

少量の砂に似た代物だが、一度燃え出すと、鉄をも溶かす炎を噴出する。

鉄礬土と砂鉄、あるいは孔雀石を材料に作り出されるそれは、軍艦おとしと恐れられた。


ロマリア文明の錬金術師の生き残りが、〝治外の民〟の里に逃げ込み、継承された驚異の技術。

各国は躍起になって再現しようとしたが、どの国も成功の糸口すら掴めなかった代物だ。


かってロマリアはその炎を兵器として使用し、あまたの船と船乗り達を焼き尽くした。

水をかけると爆発し、どんな強靭な布をかぶせても、紙のように燃やしとばす。

消火しようがない、まさに地獄の炎だった。

その恐怖の記憶は、ロマリアが滅びさったあとも語り継がれた。

軍艦の船団がなす術なく燃えるさまは、岸から見ると火群

ほむら

に見えた。

この兵器がロマリアの焔

ほむら

といわれる由縁だ。


〝治外の民〟は自決用にそれを使用した。

追い詰められると、ロマリアの焔

ほむら

で周囲を巻き込んで、自爆するのだ。

私の女王親衛隊の重装兵が、何人も・・・・巻き添えで焼き殺された。

胸が痛む。

分厚い鎧がものの役に立たなかった。

高熱により、煮えたぎるまっかな鉄に変わり、中身の肌と肉を焦がすのだ。

どんな屈強な人間も生きていられるわけがない。


「・・・・・怪我ないか! 二人とも!」


とびおきたブラッドが血相変えて問いかける。


呆然として身を起こしたメアリーが、こくこくと頷き、あっと小さく声をあげた。


「ブラッド、燃えてる・・・・・・」


「わっ!?」

ブラッドはスカートからあがる一筋の白煙にうろたえ、あわてて手で叩いて、火元を消化した。

スカートの真ん中あたりに、前後を貫く焦げた小指大の穴があいていた。

ロマリアの焔

ほむら

の火の粉が突き抜けたあとだ。


「アウアアア・・・・・・!」


私はがたがた震えていた。視界がにじんだ。

まさか本当にロマリアの焔

ほむら

を使う気だったなんて。

ロマリアの焔

ほむら

は、〝治外の民〟の門外不出の秘術だ。

自決するときのみ使用を許可される。

禁を破れば、万が一生き残っても、〝治外の民〟すべてを敵にまわすことになる。

たとえ長の息子のブラッドでも例外ではない。


ブラッドは出会ったばかりの私達のために、すべてをかなぐり捨てる覚悟までしてくれていた。


「なんて顔してんだ、チビスケ。泣くな泣くな。怖がらせて悪かったな」


にっかりと笑い、私の顔をのぞきこむブラッド。


違うよ・・・・・

私は怖くて涙を浮かべてるんじゃないの。


私は両手をさしだして、ブラッドの髪を引っつかんだ。

引っ張って泣いた。

言葉が喋れないのがもどかしい。


ねえ、私とあんたは出会って二週間もたってないけど、前の108回の人生で、何度もあんたと会話したの。あんたがどういう人間か、私は見てきたの。

敵としてだけれど、あんたの人となりは、本当によく知っているのよ。


自分を犠牲にしようとするとき、それを悟られまいと飄然とふるまうってことを。

優しすぎるのよ、あんたは!


他の4人の勇士が勇み足で危機に陥ったときも、必ず自分に敵をひきつけ、皆を逃がそうとしてた。

いつもひとり距離を置いて、ひよこ達の世話なんて御免蒙るって、ため息ついてたのに。


今度も一人でなにもかも背負う気でいるんでしょう。

信条を曲げて残酷な手段を使ってまでも、私達を守ろうとして。

そんなことされて、私が喜ぶとでも思っているの!?

残されるほうの気持ち、考えたことあるの!


私は泣きながら、ブラッドの髪をむちゃくちゃにかき混ぜた。


ブラッドは、心臓止めの存在を明るみに出すことで、自分が〝治外の民〟の宗家の者だと、シャイロック商会に暗に脅しをかけてくれた。

にもかかわらず、襲撃を諦めない相手は二種類しかいない。

その強さが理解出来ない愚者か、その強さを知っても怖れない実力者だ。


「・・・・・オレの考えを読んだのか。ほんとに何者だよ。おまえは・・・・・」

ブラッドは驚いた表情を浮かべ、そして真剣なまなざしになった。


「隠すのは無理か・・・・・悪い予感がする。シャイロックの沈黙が長すぎる。次に現れる敵は、たぶんオレよりも強い。この手の予感ははずれたことがないんだ」


お父様が私の誕生に気づく前に、シャイロックはなんとしても決着をつけようとするはずだ。

追い詰められているのは、あちらも同様なのだ。

それが間際までなんの手もうってこないのは、次の一手に絶対の自信があるからだ。

ブラッドの予測はたぶん正しい。


ブラッドは最悪の場合を想定している。

いざとなれば自爆してでも敵と刺し違えるつもりだ。


「だけど、俺は負けない。だから心配そうな顔をするな」


自爆覚悟で倒すって言うの!?

ふざけないでよ!


なんで、こんな大事なときなのに、私は非力な赤ん坊なの!?

せめて成人した私だったら、自分の身くらい自分で守れるのに!!

どうして私は、いつも肝心なときに!! 

せめて言葉が喋れたら!!


「いつも猿みたいだなんて言ってるけどさ。実際は、おまえは美人で優しい姫さんになると思うよ」


泣きじゃくる私の手を優しく髪からほどくと、ブラッドは頭のリボンをほどいた。

私のサイズにあわせ、器用に折りたたみ、そっと私の頭にリボンを巻き、形を整える。


「保障する。オレはこの手の予感もはずれたことはないんだ」


優しかった。いつも私をからかっている彼とは別人のようだった。

いや、これが彼の本質だ。


そして、私の手をとると、片膝をついて、手の甲にくちづけした。

顔をあげ、にやりと不敵に笑う。成人したブラッドの頼りがいのある貌が重なる。


「姫のために戦うのは、男の本懐ってやつだろ。おまえはただ、騎士に与えるように、オレに祝福をくれればいい。誓おう。ロマリアの焔

ほむら

での自爆は、オレが殺されかける時まで使わない。オレはオレだけの力で、限界まで、戦い抜いてみせる」


ブラッドは悪戯っぽく片目をつぶった。


「・・・・・お嬢様」

とメアリーが優しくうながす。

私は涙を拭い、うなずいた。


「アウアウアー、アウウアー、オアアー、アウウウー・・・・・」


あなたの忠誠、確かに受け取りました。

その高潔な魂と生き様に、神のご加護のあらんことを。

私達の未来、あなたに託します。


・・・・・ア、アーウー語じゃ、いまいち決まらない!

ちゃんと伝わってるの? これ。


「・・・・・託された。まかせろ」


伝わってたよ!!


ブラッドが立ち上がる。逆光の中で見上げる彼は、とても大きく頼もしく見えた。

十歳の少年でなく、大人の彼が、陽だまりの中で笑いかけてきた気がした。

・・・・・シルエットがスカートのメイド服姿なのが、玉に瑕だけど。


「・・・・・それにオレだって、勝算がないわけじゃない」


ブラッドは力強く言い放った。

宥めるためだけのその場の言葉ではない。

目と語尾に確信の熱があった。そして、付け加えた。


「おまえのお母さん、コーネリアさんは、おまえが思っているより、多分ずっと強い。シャイロックの連中はそのことを知らない。そこが勝機だ」

とにやりとした。


私とメアリーは、思わず顔を見合わせた。

お母様の弓矢の腕前はよく知っている。

それでも、〝治外の民〟の長の息子で突出した戦闘能力のブラッドに、そうまで言わせるほどとは、にわかには信じがたい。


だが、ブラッドの言うとおりだった。

単なる弓矢の達人としてしかお母様を認識していなかった私は、このあとお母様を訪ね、ブラッドの見解が正しかったことを思い知らされ、驚愕するのだった。


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