第41話 大渦での死闘。メアリーは魔犬ガルムを道連れにしようとし、ブラッドとセラフィのコンビは奥の手にすべてを懸けます。そして私は、ルビーに取り憑いた怨霊たちの哀しい真実を知るのです。 

「・・・・こちらに落下してくる・・・・・!くそっ・・・・・!!」


「大丈夫!!間一髪流れにのった!!みんな、しっかり掴まって!!」


魔犬の迎撃に跳びあがろうとしたブラッドを、鋭くセラフィが制した。

セラフィの言葉通り小舟は急速に加速し、魔犬ガルムの攻撃を、すんでのところですり抜けた。心臓が飛び上がる様な性質の悪いアトラクションだ。

水飛沫とともに水中に再び没する魔犬ガルムの目を、セラフィが睨み続けていた。


「あいつ、嗤ってやがった。子供ばかり竿一本の小舟と侮ったんだ・・・今までずっと観察してたのか・・・・!みてろよ!ボクがいる以上、この小舟はただの小舟じゃなくなったんだ・・・・・!!」


濁流がどばんっと盛り上がると、無数の流木がミサイルのように飛び出した。

小舟めがけて弧を描き追撃してくる。


また魔犬ガルムお得意の投擲攻撃ですか!!

なんで人間に獣が飛び道具使ってくるのよ!普通、逆でしょ!!


水の抵抗があるこちらに比べ、空中を飛来する物体のほうが明らかに速い。


やばい!!直撃する!!逃げきれない!!


「みんな屈んで!!」


セラフィの叫びとともに舟がぐるんっと半回転した。

一瞬、さすがのセラフィも竿の操作を誤ったのかと思った。

フィンもついていない浅めの小舟は不安定だ。

少しのことですぐに回転する。だが違った。


「これがセラフィ・オランジュか。オレ、すげー奴を友達にしちまったかも・・・・」


ブラッドが唸る。ドリフトするように舟が急速に進行方向を変える。

目まぐるしく進行方向と船体の角度さえ変え、次々に飛来する流木をかわしていく。

身体を動かすのと違い、舟を動かすにはタイムラグが必ず生じる。

あらかじめ水流や舟の動きを予測してないと不可能な行動だった。

全部事前の計算づくでやってるんだ。

それも船頭が船首船尾についているわけではない。

船尾にセラフィ一人、竿一本。

しかもセラフィは後ろさえ振り向いていない。

人間技ではなかった。


「・・・・・ボクはすごくはありません。ただ少しだけ、人より風と水の流れが見えるだけ。ボク自身は非力な小賢しいだけの子供です」


謙遜ではない。本気でそう思っている真剣な目つきだった。

そして、セラフィの気持ちが今の新生児の私には痛いほどよくわかった。


「だけどボクは非力を恥とは思わない。自分が無理なら他人の力を借りる。個と個をつないで力にする。みんなの役に立つよう努力する!!それがボクの生き方です!!このように!!」


前方の水面がごおっと海坊主のように盛り上がる。

ざあっと流れ落ちる水の向こうから、隻眼が私達を嘲るように見降ろしていた。

まるでセラフィの努力を小馬鹿にするようなタイミングだった。


魔犬ガルムの奴、潜水してこの小舟を追い抜いて待ち伏せしてたんだ!!


だがセラフィは動じることなく、まっすぐ前を向いていた。

向かい風で前髪がはねのけられ、セラフィの輝く碧色の双眸があらわになる。


向かい風!?風は池から岸に吹いていたんじゃ・・・・!


「・・・・・ボク達を罠にはめたつもりか。だったら、朝の風の吹き返しぐらい注意しておくんだったな」


ごおっと髪が逆立つほどの逆風がまた吹きつけてくる。


でも、風じゃ魔犬ガルムの動きを封じるのは到底無理だ・・・・・・!!

ほら!!もう魔犬ガルムの牙がすぐそこまで・・・・・!!


だが、私が悲鳴をあげるよりも早く、雷光がたて続けに閃いた。

蒼白い電光が尾をひき、次々に魔犬ガルムに突き刺さった。


これは・・・・・お母様の雷爬!!


「罠にはまったのは、ぼくらじゃない。おまえのほうなんだ・・・・!!」


セラフィが冷徹な色を碧の瞳にたたえて呟いた。

のけぞりながら魔犬ガルムが水柱をあげて濁流に没していく。

なかばまで貫通した矢羽がばちばちと名残の電光を放つ。

岸でお母様が弓を構えていた。肩でふーっふーっと息をしている。


「・・・・・スカーレットに!娘に手を出すな・・・・!」


殺気立っているのにその姿は美しかった。胸が熱くなる。

雷爬は風の吸引力を利用し、矢を急加速する技だ。

速度があがれば当然飛距離も伸びる。

お母様は、長距離射程の雷爬で援護射撃できるよう、機会をうかがっていてくれたんだ。

私からずっと目を離さないでいてくれた・・・・!!

そしてセラフィは打ち合わせもなしに、お母様の行動を予測し、逃げ回りながら、雷爬が使える追い風の位置にガルムを誘導していたんだ。


「・・・・・言ったでしょう。ボクは他人の力を借りるのを恥とは思わないって」


唖然とする私達にセラフィが笑う。

オランジュ商会の連中がお母様に矢を渡すのが見えた。


こいつ、どこまで用意周到に先を読んでたんだ・・・・・!!


「・・・・公爵から夫人の弓の腕前は聞いていました。使う矢の材質や長さ重さも。おかげで弓にあう矢を事前に用意できました。あとは夫人の射線上に魔犬を誘導し、逆風にタイミングをあわせるだけの話」


セラフィがこともなげに話すが、それ、小舟できっかり合わせるのに、どんだけ神業な時間調整と読みが必要なの?小舟ひとつでこんなことができるのなら、世界最速の帆船ブロンシュ号と人手が加われば、私の女王軍の海上封鎖なんて容易く突破できるのは当たり前だ。

敵にまわすと厄介極まりなかったけど、味方になるとほんと頼もしいよ。


「このまま流れを利用して奴を振り切ります!!岸にいる面子相手には魔犬ガルムといえど勝機はない!!ボクらで奴を倒す必要はない!!岸まで逃げきるだけでボクらの勝利です!!」


セラフィの言うとおりだった。

お母様が凛々しく矢をつがえる。

王家親衛隊がトライデントの構えを取り、槍の穂先をあげる。

オランジュ商会の連中が頭上で縄をつけた甕を旋回させる。中身は魔犬封じの酒に違いない。

そしてお父様とマッツオが突入の呼吸をはかっている。


そうだ!!私達には頼りになる大人がこんなにいる!!

それに!!頼りになるのは大人達だけじゃない。ここにだって・・・・!!


「・・・・・魔犬ガルムの奴も岸にあがられちゃ勝ち目はないってよくわかってる。だから、必ず水の上で決着をつけにくる。ここが勝負どころだ。まかせたぜ、セラフィ」


「言われなくても!!ボクにばかり働かせる気ですか!!奴は至近距離で障害物を投げあげてくるはずです。ボクがかわしそこなったぶんは、あなたが撃墜してください。頼りにしてますよ・・・・ブラッド」


「やっとオレの名前を呼んだな。まかされた!!おまえにばかり男は上げさせないぜ」


不敵に笑うブラッド。セラフィが苦笑する。


「・・・・・そのメイド服でその台詞は似合わないですよ」


「たしかに!!だけど、戦いは見た目や姿格好でやるもんじゃない。大事なのは中身だろ」


「・・・・そうですね、その通りです。気が合いますね」


ブラッドとセラフィが笑い合う。


ああ、いいなあ、こういうの。


朝日の眩しさのせいか、二人の姿が霞んで見える。

子供ではなく、頼りがいのある大人の姿が重なって見える。


「スカーレット安心しな。オレとセラフィが揃ったら、おまえには指一本触れさせねえ」

「これから大陸の列強向こうにして渡り合うんですからね。これぐらいの相手に足踏みなんかしている暇はないんです」


なんか、ずっと昔にもこんなことがあったような・・・・・・


目の前が光に包まれる。

優しい記憶が心を満たす。


「・・・・・それとな。その衣装、よく似合ってると思うぜ・・・・」


成人したブラッドが照れ臭げに頬をかいて私を褒める。

嬉しさがじわりと胸に広がる。

鮮やかな民族衣装が視界の隅で揺れる。

神の目のルビーのペンダントが衣装に映えてさらに煌めく。


やわらかい着心地。そうだ、これは・・・・


「・・・・・それに関しては同意します。ただ、〝治外の民〟の晴れ着というのが納得できませんが。それ、本来は婚約者に贈るものでしょう。先走りにもほどがあります」


見た目は不服そうなセラフィだが口調は優しかった。

セラフィの肩に手をまわし、ブラッドが笑いかける。


「・・・・・わかってるさ。オレたちの決着はこの戦いすべてにケリがついてからだ。だから、けっして死ぬな。親友よ」


「・・・・・あの世へ勝ち逃げは許しませんよ。また生きて会いましょう。親友」


二人は固く握手を交わし合う。

私もそこに手を伸ばした。

重なり合う三人の手。

私達は笑い合った。

小さい頃から遊んだ三人だけの懐かしい秘密の場所で、私達は再会を誓い合った。


必ず生き残って、またここで・・・・・!!


でも、その約束は果たされることはなかった。

胸が張り裂けるほどの悲痛が私を貫いた。息が出来ない。

二人とも約束を守らず、私一人を置いて逝ってしまった。

責めることなど出来ない。

二人とも私を守るため散ったのだから。

なにもかも責められるべきは私だ。

でも、もう怒ってくれる人も、慰めてくれる人も、私にはいない。

喜びを分かち合う人もいない世界で生きてなんになるのだろう。

気をゆるめれば、すぐに私は衰弱して死ぬだろう。

身体が生きることを拒否するほどの哀しみが常に心を苛んでいる。

でも、私は死ねない。

私が死ねば、私のために散った人達は、なんのために死んだかわからなくなる。

たとえ八つ裂きにされて殺されるほうが楽でも、私は生きて歩き続ける。

・・・・そうでなきゃ、私はこの世だけでなく、あの世でもみんなに顔向け出来なくなるもの。

・・・でも、つらい・・・・つらいよ・・・・!・・・・早くみんなに会いたい・・・・!!


「・・・・・まずい!!渦が発生する!!」


セラフィの叫びで私は我に返った。


なんだろう、とても悲しい夢をみていたような気がする。

今は眠っている場合じゃないのに。


はっと顔をあげると、岸と私達の小舟の間に立ち塞がるように、水のうねりが収束していくのが見えた。水面の異常に気づいた岸の皆がどよめいていた。流れはみるみるうちに巨大な渦巻きに成長し、あたり一面の浮遊物を吸い込みだす。


大きい・・・・!!この小舟ぐらい簡単に呑み込んでしまいそうだ。

なんでこんなところに渦が!?

まさか魔犬ガルムの奴が、水中で回転でもしてるんじゃないでしょうね!?


「・・・・・鉄砲水で増水しすぎた池の水が、川に向かって逆流しはじめたんだ!!水位差が渦を呼びこんだのか・・・・・!!」


セラフィが歯噛みする。


「あと少しで逃げ切れたのに・・・・・ボクとしたことが・・・・!!」


のっていた流れが渦の影響で変化し、小舟ががくんと揺れた。

渦に向かってゆっくり吸い寄せられていく。


な、なんなの!?この絶妙なタイミングの不幸イベントオンパレードは!?

ほんとにこれルビーの呪いじゃないでしょうね!?


「・・・・・あの渦、かわせないのか」


さすがにブラッドが緊張を声ににじませて問う。


「・・・・・もちろん回避できます。ボクを甘く見ないでください。ただし、もし魔犬ガルムが相討ち覚悟で突入してきたら、確実に道連れで、あの渦に吸い込まれ・・・・・・」


セラフィが言い終わるよりも早く、水面が爆発した。

背筋の寒くなる速さで魔犬ガルムが突撃してくる。

明らかに自爆覚悟の突進だ。もう隠す気のない殺気が面をはたく。渦に吸い込まれることを毛一筋も恐れずむしろ渦を利用して速度をあげるガルムと、渦に吸い込まれまいと悪戦苦闘する小舟では勝負になるはずがなかった。

あっという間に距離を詰められる。

凶悪にむき出しになった歯茎がくっきり見えるほどの近さだ。


「・・・ボクをなめるなよ。こうなれば、ぎりぎりで奴をかわして渦に叩きこんでやる・・・!!」


覚悟を決めたセラフィの目が異常な集中力で底光りしだす。

セラフィが竿を水から引き抜いた。


「ブラッド!!手伝ってください!!」


「そ、それであいつをぶったたくのか?」


ブラッドが目を丸くする。

矢を弾き飛ばす魔犬ガルムに対して無謀すぎる。


「違う!!あいつを支点にして攻撃をかわして、その反動であいつを渦に押し込んでやる。サポートを頼みます!!」


「合点だ!!」


二人が言葉を交わし終わるのとほぼ同時に、魔犬ガルムが襲いかかってきた。

高くはねるとお母様の雷爬の餌食になるから、まるで魚雷のように水面すれすれで突撃してきた。


「・・・・・ここだあっ!!」


セラフィが叫ぶと竿を魔犬ガルムに突きたてた。

ぐうんっと竿が大きく撓る。

ぐるんっと小舟が大きく回転する。

まるで合気道のように魔犬ガルムの巨躯に沿って反転回避していく。


「・・・・いい加減しつこいんだよ!!」


セラフィにタイミングをあわせてブラッドが首の斜め後ろにまわりこむように動き、魔犬ガルムを渦に向けて蹴り飛ばした。逃れようのない完璧な阿吽の呼吸だった。だが魔犬ガルムは、二人の予想外の行動に出た。ワニのデスロールのように全身を高速横回転させたのだ。


「・・・・・くっ!!」


「・・・・・ちっ!!」


突然力の方向をずらされたブラッドとセラフィの身体が大きくはじかれる。


こいつ、一瞬でふたりの意図を読みきって、対応を切り替えたんだ・・・・・!!


コンビネーションをくじかれた二人が体勢を整えるよりも早く、魔犬ガルムは反転した。

牙と残った右前脚が閃く。小舟めがけて振り下ろされる。

それを阻止したのは思わぬ人物だった。


「・・・・・させない!!」


私を船底に置くと、メアリーが船尾に向かって転がるように走り、船べりから跳躍した。

狡猾な魔犬ガルムは非力なメアリーを戦力として数えていなかった。だから完全に虚をつかれた。ブラッドとセラフィに、全神経を集中していたため、潰れた視界の死角をついて飛びかかったメアリーに反応が遅れた。回避も払いのけもできなかった。お母様の弓技雷爬で突き刺さったガルムの片目の矢柄にぶらさがり、メアリーは全体重をかけた。片脚が欠損し、かつ無理な姿勢で反撃をしようとしていた魔犬ガルムがたまらずバランスを崩す。渦に身体をとられ、その攻撃は大きくそれて空をきった。入れ替わりに小舟は渦から脱出した。


「メアリーさん!?」


「オアッ!!」


悲鳴をあげる私達にメアリーはほほえんだ。


「・・・・・さあ、お嬢様、今のうちに逃げてください」


なに言ってるの!!そんなこと出来るわけないじゃない!!


「早く舟に跳び移りなさい!!その渦に巻き込まれたら命はない!!今ならまだ間に合う!!」


「メアリーさん!!ふざけるな!!手を早くとれ!!」


セラフィが怒鳴り、ブラッドが必死に身をのりだし、手を伸ばす。

メアリーは静かに横にかぶりを振って拒否した。


「・・・・・私は息子を守れなかった。でも、娘は守れる。私は嬉しいんですよ。最期に娘って呼ぶことを許してくださいね。お嬢様・・・・・」


船べりにしがみついた私にメアリーは笑顔を向けた。

胸がつかれるほど優しい笑顔だった。

お母様が悲痛な叫びをあげ、狂ったようにメアリーの名前を呼び続けている。


「奥様・・・・・私を友達と言ってくれて嬉しかった・・・・・私はここでみんなに会えて幸せでした・・・・さあ!!あんたはここで私と沈むのよ!!」


きっと睨みつけるとメアリーは魔犬ガルムの顔に片脚をかけ、ぐんっと身体をもちあげた。そのまま両手で矢をさらに押し込む。魔犬ガルムの潰された片目から血しぶきが飛び、メアリーを染め上げていく。


「・・・・・ヨシュア・・・・・お母さん、やっと役にたったよ・・・・ずいぶん長い間待たせちゃった・・・・駄目な母親でごめんね・・・・・やっと、そっちに・・・・・」


メアリーの目はすでに私達を見ておらず、そのほほえみは亡くなった愛する息子に向けたものだった。メアリーと魔犬ガルムがもつれ合うようにして渦の中心部に向かって流されていく。


お父様が馬を駆り、マッツオとともに水に飛び込むのが見えた。

でも、とても助けには間に合わない!!

渦の勢いはますます強まり、水が轟々と音をたてて走っていく。

なのに私達の小舟は渦を迂回し、メアリーからどんどん離れていく・・・・!!


「セラフィ!!頼む!!舟を戻してくれ!!オレにとっておきの技がある!!必ずなんとかしてみせる!!だから、メアリーさんを見捨てないでくれ!!」


「オアアアアッ!!アオオオッ!!」


お願い!!メアリーを助けて!!私のもう一人の大事なお母さんなの!!


泣きつく私達を、セラフィは試すような深い碧色の目で見た。


「・・・・・メアリーさんの志をドブに捨てて、再び渦の中に突っ込めと?二次遭難は確実ですよ。罪悪感から逃れる為のくだらない自己満足です。命を救われた当のあなた達が、彼女の尊い自己犠牲を踏みにじろうというのですか」


セラフィの言うことは、ぐうの音も出ないほど正論だ。

だけど・・・・!・・・・・それでも・・・・・!!


「・・・・・それでも・・・・オレは仲間を見捨てたくはないんだよ・・・・!!・・・・そのためになら、いくらでも力を振り絞ってみせる・・・・・!・・・・だから、オレを信じてくれ・・・・頼む・・・・セラフィ・オランジュ・・・・・!!」


歯のあいだから押し出すように訴えるブラッドの目が真紅に輝いた。

身体強化技の「血の贖い」を発動したんだ!!

ブラッドとセラフィは睨みあった。

真紅の視線と碧の視線が息詰まるほどにぶつかり合う。

ややあって、ふっとセラフィが表情をやわらげた。


「どうやら一片も迷いはないようですね。答えにもならない答えですが、その意志の強さに免じて、とりあえずの及第点をさしあげます。・・・・渦から離れたのは、吸い込まれる別の流れにのって舟を加速するためです。あなたを信じましょう。だから、ボクの腕も信用してください。さあ、行きますよ!!」


セラフィは朗らかに笑うと、ぐっと棹を突き入れた。

魔法のような速度で小舟が急加速し、渦に再び向かっていく。


「・・・・・おまえ、最初からそのつもりだったのか・・・・・」


ブラッドの呟きにセラフィは頷いた。


「・・・・・あなたが、なにか奥の手を出そうとしていることは勘付いていました。でも、この再突入は一瞬のためらいが命取りになる。あなたの覚悟をためす必要がありました。冷酷な発言を詫びます。あなたにも公爵令嬢にも」


セラフィはぺこりと私達に頭をさげた。

そして、きっと顔をあげ、渦を睨みつける。


「・・・・・ボクの父は魔犬からボクをかばって亡くなった。母もそれが原因で・・・!メアリーさんのあの姿を見て割り切れるほど、ボクは人間が出来ていないんだ・・・!!」


小さな独り言だったが、冷静さの奥に隠した激情の炎が垣間見えた。


「・・・・このまま渦につかまらないぎりぎりの船速と距離で、魔犬ガルムをかすめます。そのときにメアリーさんを引き戻してください。ボクは渦への対応で手一杯になります。魔犬ガルムは、あなた一人にまかせますから、なんとかしてください!!」


舳先に立ったブラッドが、その言葉に嬉しそうに頷く。


「・・・・オレに命あずけてくれるってのか。震えるな。おまえ、やっぱ最高の奴だったな。だったら、オレもいいとこ見せなきゃ、友達面は出来ねえよな」


セラフィの心の炎に煽られるように、ブラッドの周囲に、ゆらっと血煙が立ち昇った。


「・・・・オレが今から使うのは「治外の民」最強の威力の技だ。こいつを喰らわしたら、魔犬ガルムだろうとなんだろうと間違いなく息の音を止められる。ただな・・・・・威力がピカイチな分、発動リスクが半端ない」


最強技?じゃあ、なんで今まで使わなかったの、という私の疑問を読み、ブラッドが苦笑して説明する。


「言ったろ。リスクが半端ないって。・・・・・まず両脚止めて三十秒ばっかり溜めをつくらなきゃいけない。その間、他の動作は一切できない。そんでもって有効射程距離は放つときの踏み込み一歩分のみ。それ以上進むと威力が拡散して無意味になっちまう。・・・・それと放てるのは一発だけ。反動もものすごいんで、放ったあとは、まともに動けなくなるからな。しかも一度発動態勢に入ると、途中取り消し出来ないんだ・・・・・なっ、笑っちゃうだろ」


ちっとも笑えないんですけど!!

ずらっと並ぶハイリスクの一覧表に私は開いた口がふさがらなかった。


「なんです。その欠陥商品は。格闘素人のボクでも、使えない技だとわかりますよ」


セラフィが呆れかえる。


そりゃ、魔犬ガルム相手に使えないはずだよ。

要するに三十秒も敵の目の前で無防備の棒立ちになるんでしょ!!

しかも踏み込み一歩分しか届かないなんて、そんなもん発動前に殺されるか、遠くに逃げられるかしてかわされるに決まってる。おまけに技のキャンセルも出来ないし、技発動後は戦闘不能になる!?そんなアホなもん実戦で使えるわけないでしょうが!?

そんなのに当たるのは、舐めきってゆったり胸倉掴みにくるチンピラぐらいしかない。


「・・・・・ああ、普通なら実戦では使用不可能だ。もともと「治外の民」の里でも演武でしか使えない技だしな。だけど今ここにはセラフィがいる。こいつが機動力になってくれる。翼を与えてくれる。だから、この技は・・・・今このときだけ、最強技に生まれ変わる」


「・・・・・ボクを足代わりに使う気ですか。しかも、それだと舳先を魔犬ガルムのぎりぎりに寄せないといけないじゃないですか。まったく・・・・・ただでさえ難易度が高いのに」


「だけど、おまえなら出来るんだろ。それと足じゃない。おまえはオレの不可能を可能にしてくれる翼だ」


「・・・・・心を読むうえに口がうまい。ブラッドこそ商人をやるべきですよ。いいでしょう。大勝負は商人の生き甲斐です!!さあ、渦に再突入します!!チャンスは一回です!!しくじらないでくださいよ!!」


「・・・・・・上等・・・・!!」


二人は顔を見合わせにやりと不敵に笑った。

長年の親友のように息があっていた。

小舟ががくんと揺れる。私達は再び渦のまっただなかに飛び込んだ。

水圧でぎしぎしと船体が軋む。

私を振りむき、ブラッドが笑いかける。


「・・・・とはいえ、不安は否めないからな。スカーレットは成功を祈っててくれ。おまえの祈りは・・・・・なんていうか、力になる気がするんだ」


「なんといっても真祖帝のルビーの持ち主ですからね。期待していますよ」


セラフィも優しくうなずく。


二人とも私が引け目を感じないよう、さりげなく気を使ってくれたんだ。


胸が締め付けられる。

渦の中心近くでは、魔犬ガルムがメアリーを振りほどこうと暴れているが、前片脚では渦に抵抗するのがやっとの有様だった。そして魔犬ガルムの足掻きにより、メアリーは渦に吸い込まれずに済んでいた。皮肉なことにメアリーの命を脅かす渦と魔犬ガルムが、メアリーの命をかろうじて救っていた。それでも時々爪がかすめ、メアリーのほどけた髪の毛か飛び散る。私達の再接近にも気づかず、メアリーは決死の形相で矢にしがみついていた。


「・・・・・今行くぜ。メアリーさん・・・・!!」


ブラッドがざっと右足をひいた。

大きく右拳をひき、左手を前に突き出し、腰をおとす。

人差し指と中指を揃えて伸ばし、親指をそこに当て、小指と薬指は握りこむ、いわゆる剣印を左手で結び、額にあてて意識を集中する。


「・・・・・・・ふううっ・・・・・・!!」


そのまま左手を手刀の形にし、ぶんっと前に突き出すように振り下ろし、大きく身体を右回りにねじって溜めをつくる。血煙が翼のようにふたつに分かれ、背中でゆらゆらと羽ばたき出す。

技の準備段階に入ったんだ。


セラフィは極度の精神集中のため、瞬きをしていなかった。

たぶん一瞬でも渦の流れから目を離すと、舟が転覆するんだ。

棹か目まぐるしく動き、渦の中でも奇跡のように舟を傾けさせない。

蒼白な顔色だが、碧のまなざしは、嵐を貫く灯台の輝きになって燃えている。


メアリーは私を助けようと、たった一人で魔犬ガルムに飛びかかった。

ブラッドとセラフィは命懸けで、そのメアリーを助けようとしている。


私が、私だけが、無力でなにもできない・・・・・!!

悔しい・・・・!!悔しいよ・・・・・!!


私は神の目のルビーを握りしめ、額に押し当てて祈った。。

さっきこのルビーはブラッドを退けるため、幻の炎を現してみせた。

確かにこのルビーはただの宝石ではない。

不思議な力が秘められている。


だったら!!今こそ、その力でみんなを助けて・・・・!!


あの焔だけでも、魔犬ガルムのめくらましには十分役に立つはずだ。


もし力があるのなら。お願い・・・・!!私に力を貸して・・・・!!

ひとりだけ護られているなんてもう嫌だ。

私だって、ほんの少しでもいいから、みんなの助けになりたい・・・・・!!


だがいくら必死に願っても、ルビー反応ひとつ見せなかった。

当然だ。今の新生児の私には取引する材料さえない。

対価も用意できないものを、都合よく助けてくれるものなどない。

我が身の不甲斐なさに涙がこぼれ、ルビーを濡らした。

ルビーを伝わる私の涙がきらきらと輝く。何度も何度も光の粒子がはじける。

違う、涙のせいではない。光を反射しているのでもない。

これはルビー自体が発光している・・・・・!?


心臓が脈打つかのように、ルビーの奥で光が明滅する。

まるで私に優しく語りかけようとしているようだった。

いや、実際におだやかな男性の声が、私の心の中にしみ込んできた。


〝・・・・・もう泣くな・・・・対価はこの涙で十分だ・・・・今からルビーのなかで眠っている〝皆〟を起こす・・・この神の目のルビーの力を借りるには、その怨霊達の試練が必要なんだ・・・・わかるか・・・・・?〟


どこか懐かしい聞き覚えのある響き。

根拠もないのに、突然のこの声は信じられると直感した。

こくこくと頷くと「彼」は笑ったようだった。


〝・・・・・いい子だ。これから試しの焔がくる・・・・・・ルビーの中の怨霊たちの精神世界に、心をひきずりこまれるぞ・・・・・だが、恐れるな・・・・おまえなら、大丈夫だ・・・・俺も一緒についていく・・・・・〟


怨霊という物騒なワードが連発されているが、私を安心させようと静かに語りかける「彼」の声を聞くと、不思議と心が落ち着いた。

頭を優しくなでられ励まされた気がした。

だから、ごおっと神の目のルビーから焔が噴き出し、私の全身を包み込んだときも、さして動揺はせずにすんだ。

さっきブラッドが撥ね退けられたときとよく似た焔だ。

だが、セラフィは焔に気づいていない。位置的に目に入らないはずがないのに。

ブラッドは精神集中して背中を向けているとはいえ、勘の鋭い彼が、異変を察知できないなんてのもありえない。

だから、はっきりとわかった。

今度のこの焔は、私にしか見えていない現象なんだ・・・・・!!


そして周囲の光景が突然暗転する。

見えていたブラッドの背中も、向かう先にある魔犬ガルムに喰らいつくメアリーも、すべてが彼方に遠ざかり、一瞬で点になって消えた。


私は虚空の真っただ中に放り投げられていた。

落下していく私の耳元で、びゅうびゅうと風切り音が叫ぶ。

それは怨霊達の恨み節だった。

これが「彼」のいう怨霊達の精神世界・・・・・!!

悲痛と呪いに渦巻く雷雲で遠くが見えない。

雲が不気味に赤く染まっている。

いつの間にか私は周囲をゆらめく焔に取り囲まれていた。

焔が歪んだ無数の人間の形をとる。

焔に宿った凄まじい怒りと怨みが、私を焼き焦がそうとする。


〝・・・また来たのか。真祖帝の座を狙う思いあがった愚かものが・・・・!!なぜ、神の目のルビーは引き寄せられてしまったのか・・・・!!許すまじ!!真祖帝と我ら光蝙蝠族の絆を踏みにじり、穢すもの!!〟


〝・・・・我らの心は怨みのみ!!命を奪われ、妻子を奪われ、死してのち名誉すら奪われた。戦士を陥れ、逆族の濡れ衣をきせ、そのうえ厚かましくも後継を気取るとは・・・・・!!なにが貴族、なにが王族!!きさまらに真祖帝のあかしは、決して触れさせん!〟


〝・・・・・我らの悲痛を思い知れ・・・・・!!真祖帝の心を理解できぬ者どもめ・・・・誰であろうと許しはせぬ!・・・・このルビーを手にする者に、未来永劫の呪いあれ・・・・!!・・・・よくも女子供まで・・・・・!!偽りの歴史を歌うものどもよ!! 滅びるがいい!!〟


風音が無数の呪詛となり、私を切り裂こうとする。


光蝙蝠族!?

この怨霊達は光蝙蝠族で、それがルビーの呪いの元凶だったってこと!?


いきなり飛び出してきた思いもかけぬ言葉に、私は唖然とした。

光蝙蝠族は、かつて大陸じゅうを暴れまわり、真祖帝に討伐された凶悪な部族。

子供だって知っている、昔話の悪役中の悪役だ。

子供達の戦争ごっこのとき、悪役にされるのは決まって光蝙蝠族だ。

勧善懲悪ものの演劇においても、野蛮な光蝙蝠族が、騎士や王達の知恵や勇気にこてんぱんにされ、命からがら逃げだしていくという筋立ては、もはや定番ものである。

身の程知らずにも偉大な真祖帝を逆恨みし続け、真祖帝と九カ国連合の騎士たちに最後まで降伏せず、滅び去るまで敵対し続けたのが光蝙蝠族のはず。


なのに、これでは、まるで真祖帝を尊敬しているようにしか聞こえないんだけど!?


〝・・・・ちがう!!我ら光蝙蝠族は・・・・・・真祖帝を誰よりも敬愛していた。我らはともに戦ったのだ。九つの争う国をひとつにまとめ、大陸に平和をもたらすことを夢見て・・・・神の目のルビーは、もともと我ら部族のシンボルだった。絆のあかしとして、我らが真祖帝におくったものなのだ・・・・!!


そして悲憤の叫びが嵐となって巻き起こる。

精神世界だからだろうか。彼らが嘘をついているのではないと理解できた。


〝我ら光蝙蝠族は、大戦の最大の功労者だった。真祖帝も我らを心から信頼してくださった・・・・・だから、次期真祖帝のあかしとしての、神の目のルビーを再び我らに管理させたのだ。・・・・光蝙蝠族の目なら信じられる。その目でもって、ルビーよりも先に、真祖帝としてふさわしいかどうか候補者の人物を見極めよと・・・・・その大任に嫉妬したのが、おまえたち九王国の先祖どもだった・・・・・!!〟


怒りに焔たちがねじ曲がり、空をかきむしる。

光蝙蝠族の無念で空が歪む。


〝おまえたちの先祖は、我ら光蝙蝠族を排除する機会を窺い続けていた。そして真祖帝が崩御された直後・・・・喪に服しもせず、汚い謀略を実行したのだ・・・・!!〟


悪夢の記憶が押し寄せ、私は戦慄した。

それは人間の悪意おぞましさを嫌というほど見知っている私でさえ胸糞悪くなる、隠蔽された闇の歴史だった。


真祖帝の死後、哀しみにうち沈み、喪に服していた光蝙蝠族を、各国は秘密協定を結び、騙し討ちによって皆殺しにしたのだ。

子供を人質にとって抵抗を封じたり、毒物を井戸に放り込んだり、会議の席で不意打ちしたり、手段をいとわぬ残虐さでもって。

殺しも殺したり人間の悪意大爆発である。


光蝙蝠族は真祖帝以外には従わず、権力者たちにも取り入ろうとしなかった。

誇り高き大陸最強の部族として、厳格に次期真祖帝を見定めようとしていた。

賄賂も脅しも通用しない。

持て余した権力者たちは、それならばいっそ〝味方として〟油断しているうちに、手に負えぬ彼らを根絶してしまおうと考えたんだ。

九カ国連合の帝位の認証を、光蝙蝠族に握られるのが怖かったのだ。

権力者がなにより恐れるのは権力なのだから。


そして、光蝙蝠族を根絶やしにする殲滅戦がはじまった。

真祖帝が亡くなったことをともに悲しむふりをし、光蝙蝠族の真祖帝への想いの深さにつけこんだ。死を悼む式典を盛大に準備するふりをしながら、光蝙蝠族を武装解除しつつ、裏で大軍を動かした。そして丸腰の光蝙蝠族を巧妙に分断し、突然牙をむいた。


一騎当千の光蝙蝠族の男たちは、皆、最後の最後まで戦士であろうとした。

毒や人質や、武器を取り上げられたりで、まともに実力を発揮できなくても、我が身を盾にして、せめてなんとか女子供は逃がそうとした。

結局、その願いさえもかなわなかったのだが・・・・・・


戦鬼と呼ばれた彼らは人間であり続けた。

真祖帝の死さえ、謀略として平然と利用した九カ国連合の人間のほうがよほど醜悪だった。

ずる賢いだけでなく、品性まで下劣だった。

人間は皮の下一枚に、残虐な獣の本性を隠している。

それに正義という名の大義名分を与えたとき、獣はときとして悪魔に変わる。

人の貌を脱ぎ捨てた悪魔達は満面の笑顔で、泣き叫んで逃げ惑う光蝙蝠族の幼児達を狩り立てた。

笑顔なのは、小さな的を射ることで自分の技量を誇示できるからだ。

彼らは狐狩り感覚で子供達を仕留めていった。

そして泡をふいて痙攣する幼児を、誇らしげに樹に次々に逆さづりにし・・・・

もう、やめておこう。同じ乳幼児として、これ以上語るのは忍びない。


そして、光蝙蝠族が死に絶えた後、九カ国連合のお偉方は、光蝙蝠族の大陸平定の手柄をすべて自分達のものとした。それどころか真祖帝に歯向かった自分達の過去の汚点も残らず光蝙蝠族になすりつけた。死人に口なしである。

そして帝位のあかしである、神の目のルビーをほくほく顔で持ちかえった。

これからは、自分達の思うように九カ国連合を運営できると信じて。


だが、仲間と思っていた国々に裏切られた光蝙蝠族達の怨みは凄まじかった。

怨霊となって神の目のルビーに取り憑いた。

そして、誰も触れることのできない、おそろしい呪いのルビーが誕生したのだ。


光蝙蝠族は死してなお冤罪を背負わされていた。

真祖帝に忠誠を誓い、ともに大陸を駆け抜けた誇り高き戦士達・・・・・

その真祖帝にあらがったという濡れ衣を着せられ、名誉を奪われ、女子供まで一族郎党皆殺しにされ、彼らは怒り狂っていた。話などとても通じそうにない。

怨と恨の二文字しか頭のなかになさそうだ。

この寂しく荒れ果てた血の色の世界は、彼らの心象風景そのものだった。


・・・・・で、だから、なに?


私は怨霊達の呪詛に責め立てられるうちに、だんだん腹がたってきた。

彼らの言い分はわかる。同情もする。「108回」も国民に手のひら返しされ、城に攻め入られた私としては、人間の裏切りに憤慨する気持ちも理解できる。


だけどね、だからといって気に食わないもの片っ端から呪い殺すなんて、いい大人がやっていいことと悪いことの区別もつかないのか。

真祖帝の心を理解できない者は許さない?

いちばんその心を理解出来てないのは、あんたらのほうでしょうが!!

真祖帝は気に喰わない者を即殺せなんて言ったの?言ってないでしょ!!

気に食わなければ、幻の焔でも見せて追っ払えば済む話でしょ!

ブラッドにしたみたいにさ!!


私に怒りをぶつけられ、怨霊達が激昂した。


〝・・・・・口だけで理想を語る青瓢箪が!!我らの恨みは、体験していない者には理解できん!!・・・・・我らの受けた痛み、声一つあげずに受け止められるなら、きさまの話にも耳を傾けよう・・・・・!!〟


青瓢箪?私は赤ちゃんですけどね!!

でも耳を傾ける、たしかにそう言ったね。よし、受けてたつ!!

だけど、あとで吠え面かくなよ!!さあ、試練でもなんでも、ばんばん寄こしなさい!!


怒りの咆哮と殺気とともに無数の矢があちこちから飛来し、私を一斉につらぬいた。

私にとっての昔馴染みの、骨まで鏃が貫通する激痛が全身を震わす。

息が詰まり、刺さった近辺がしびれて力が入らない。

痛みが頭の奥で火花を散らす。

全身がむきだしの神経になり、鉄の楔をハンマーでうちこまれたようだ。


・・・・ったあ・・・・懐かしいなあ、この痛み・・・・


私は心のなかで苦笑した。

五人の勇士の一人、アーノルドの強弓に散々射殺された経験がよみがえる。


・・・・・で、もう一度言うけど、これがなんなの?


私は無理やり痛みをおしのけ、不敵な笑みを浮かべ、ふんっと鼻で笑ってやった。

あ、もちろん約束どおり口には出さず、心の中で台詞を吐いてます。

おおかた自分達の戦死体験かなにかを私に叩きつけてるんでしょうけど、そんなもん、この私は、トータルすりゃ駆けつけ三杯ほどの勢いで呑み干してきてんの!!

108回も殺され続けた私にとって、こんな程度の嫌がらせちゃんちゃら可笑しいのよ・・・・!!

私の心をへし折りたいなら、斬殺、刺殺、毒殺、撲殺、ありったけフルコースで持ってきなさいな。


〝・・・・・・死の激痛をはねのけた・・・・・!?〟

〝・・・・・平然と笑っている・・・・・〟


怨霊達が騒然とする。


・・・・・ごめんなさい。ほんとはむっちゃ痛いです。

額に脂汗だらだらです。

痛みで全身絶賛炎上中です。息できません。

でもやせ我慢で一矢報いるぐらい、今の私だってやってのけるのだ。

さあ、全部受け止めてあげるから、あんた達の殺された痛み、裏切られた哀しみ、全部私に叩きつけてきなさい!!・・・・その痛み、分かち合うぐらいはやってあげられるから・・・・!!


〝・・・・・違う。これは我らが殺された痛みではないのだ。これは・・・・〟


私の気持ちを読んだのか、ひときわ大きな怨霊の焔が、沈んだ口調で呟く。

他の怨霊達の焔が身をよじる。まるで血の涙を流しながら、顔をおおっているように見えた。


私の目の前に血ぬられた夕日の色がとびこんでくる。

赤く染まった丘のうえ、兵士達に取り囲まれた子供達が見えた。

丘のてっぺんには巨木が一本あり、不吉な影をうねうねとおとしていた。

怯えた幼い子らをかばうように立ち、年長の子が必死に兵達に訴えかけている。


「オレが一刺し耐えるごとに、この子達を一人見逃す!!戦士と戦士の約束だ!!いいな!!」


年長といってもまだ十歳になるかならないかの子だ。

それでも膝が笑う恐怖に耐え、兵士達を正面から見据えている。

虚勢ではない。小さな子達を怖がらせまいとしているのだ。


私は自分の顔から血の気がひくのがわかった。

これは光蝙蝠族が、九カ国連合に陥れられたときの光景だと直感した。

にやにや小馬鹿にするように聞いている兵士達の格好は着崩れている。統制もとれていない。正規兵でも職業軍人でもない。どう見ても、食い扶持をかせぐため雇われ兵士をやっているあぶれ者だ。弱者に対しての目を覆う惨劇をひきおこしやすいのは、こういった連中だ。


「テオにいちゃん!!」「やだよお!!」


泣いてすがる幼児達を少年は気丈に励ます。


「・・・・・心配ない。少しだけオレが頑張れば、すぐに父さん達が来てくれる。父さん達は本物の戦士だ。大陸で一番強いんだ。オレにもお前達にもその誇り高き光蝙蝠族の血が流れている。だから、オレを信じて、前だけ見て走れ。いいな・・・・・」


これは、光蝙蝠族の子供達・・・・・!


よおし!!ひとーつ!!

おどけた口調とともに剣の先端が少年の腿に突きたてられた。

げらげら笑う兵士達の声が重なる。


「・・・・・行け!!」


少年は激痛に蒼白になりながらも、笑いかけ促し、幼児の一人が泣きながら駆けだす。


次は俺だ。心変わりして逃げないようしなきゃな・・・・・

残忍な笑いとともに次の兵士が、少年の足の甲を剣で貫く。

情け容赦ない力尽くの一撃だった。たぶん骨まで損傷したはずだ。


「・・・・次、行け!!行くんだ!!」


ためらう子供達をテオと呼ばれた少年は叱咤する。

次の一撃は肩に振り下ろされた。


「・・・・さあ、行け。あの丘の向こうに。オレも後から追い付くから」


三人目の子供が何度も後ろを振り向きながら、丘の向こうに駆け去っていく。

テオは動くほうの手をふり、苦痛をこらえ、励ますような笑みを浮かべ見送った。


私は怒りと悲しみにがたがた全身を震わせていた。

テオは剣で刺されている。

だが私をさっき貫いた痛みは矢によるものだ。剣ではない。

「108回」で刺殺も射殺もくさるほど経験した私には、その違いがわかる。

次に襲う最悪の悲劇の予感に髪が逆立つ。

丘の頂上に登りつめ、反対がわを駆け降りだした幼児達が矢に射抜かれ、声も立てずに斜面をごろごろと転がり落ちた。丘の向こうには兵士達が待ち伏せしていた。


奴らははなからテオとの約束なんか守る気はなかった。

余興として、必死に生きる子供達の人生をもてあそんだ。

大人の戦士達を殺傷する矢の威力は子供達の小さな身体には強すぎた。

突き刺さるだけでなく、激しく殴打されたようにふっとんでいく。

小さな骨格や内臓器官で到底受け止められるものではない。ほとんど即死だった。

さっき私を貫いた痛みはこれだったのだ。


だが、この惨劇は丘の反対側にいるテオや、これから逃げてこようとする子供達には見えない。

次の一撃がテオの耳をとばし、四人目の子供が号泣しながら丘を上ってくる。


やめて!!こっちにきちゃ駄目!!待ち伏せがあるのよ!!逃げなさい!!


私は声を枯らして絶叫したが、その声が彼らに届くことはなかった。

四人目の子供が射殺され、毬のように坂を落ちていく。

五人目の子供を逃がせると信じ、次の刃をテオが受けた。


ひどい!!ひどすぎる!!こんなのって・・・・!!


地面を叩いて号泣する私の周りに、怨霊達の焔が哀しげにゆらめく。


〝・・・・・叫んでも無駄だ。これは過去にすでに起きた悲劇。今さら変えることはできん。・・・・・だが、おまえは泣いてくれたな。我々の子供のために・・・・・もし黙ったままならば、我らはおまえを取り殺すつもりだった・・・・・〟


大きな焔がさっきより幾分優しい声で語りかける。


〝・・・・人の痛みがわかる優しい少女よ。このルビーがおまえに引き寄せられたわけがわかる気がする。願わくば、忘れないでほしい。理不尽な運命に弄ばれながら、それでも懸命に生きた命があったということを〟


沈痛な口調で彼は語る。

最後の子供が射殺されるのを、私はただ震えて見つめているだけしかなかった。

分厚いガラスの壁に遮られているかのように、こちらの声はあちらに届かず、ある程度以上は近寄ることも出来ない。


〝生きていれば、立派な戦士になった子もいたろう。優しく誰からも慕われる母になった子もいたろう。無念だ・・・・・・だが、一番無念なのは・・・・・〟


怨霊は声を詰まらせる。

テオが力尽き、ゆっくり倒れ込むのが見えた。


「・・・・・やった・・・・全員、逃がせた・・・・オレ、族長の息子として・・・・頑張れたよ・・・・父さん・・・・あとは、父さん達がきっと、なんとかしてくれる・・・・」


血まみれで横たわるテオの表情は満足げだった。

その鼻先に束ねられた髪が無造作に投げ捨てられた。

兵士の一人が醜く顔をゆがめ侮蔑の言葉を投げつける。


おまえの親達なんぞ、とっくの昔におっ死んでるんだよ。ほら、おまえの父親の形見だよ。族長の身体はみんなでバラバラに分けて土産代りに持ち帰ったのさ。早くパパに報告しなよ。ボク、がんばったでちゅって!!


兵士達がげらげら下品に爆笑する。

髪に鼻先を無理やり押し付けられたテオの見開いた目から涙があふれだした。


「・・・・ああああっ・・・・!!!」


慟哭するテオの頭を靴先が踏みにじる。

兵士達が愉しげに顔を歪ませる。


〝・・・・・我らは毒をのまされたうえで、奇襲を受け、殺された。守りたいもののために鍛えた力をふるうことが出来なかった・・・・・・子供達は、我ら大人の到着を信じて、懸命にがんばったというのに・・・・・無念だ・・・・・・・〟


怨霊の焔たちが慟哭していた。

過去の情景が残酷に続いていく。


おい!!あっちで女達の集団を捕まえたらしい!!早くいかねえと取っぱぐれるぜ!!


馬をとばしてきた仲間達の言葉に、兵士達は浮足立った。


こんな小汚いガキどもで遊んでいる暇はねえ。ほっとけほっとけ。


下卑た笑い声をあげ、テオを置き去りにして全員が去っていく。


「・・・・・父さん・・・・父さん・・・・!!」


髪を握りしめ、額に押しつけるようにして、暫く泣き、テオはよろよろと立ち上がった。


「・・・・・父さん、心配しないで・・・・・オレたちは生き残った。部族の血は絶えないよ・・・・これからはオレが・・・・みんなを守るから・・・・・父さんみたいに・・・・」


テオは足をひきずりながら、丘の向こうに待っているであろう子供達のところに向かう。

血の帯があとに続く。

夕陽が哀しいぐらいに輝く。


〝このあと、息子は、殺された子供達を目にし、絶望のうちに息絶えることになる〟


静かに語る怨霊の言葉には血がにじんでいた。


いやだ!!こんな悲惨な結末許されるはずがない!!

私は駄々っ子のように泣き喚いた。涙がとまらない。

健気に生きるものが、こんなにも報われないで終わるなんて、あっていいわけがない。


〝・・・・・そうだ。その理不尽に対する憤りが、おまえの力の原点だ。他人のために涙を流す優しさからくる怒りだ。たとえ記憶は失っても、その想いは失われはしない。おまえの魂に刻まれた、もっとも誇り高く優しい姿のようにな。俺が力を貸してやる・・・・・・〟


突然「彼」の声が語りかけ、私を励ます。

力強い輝きが私を後押しする。

胸が熱い。私のなかで圧力が高まり、焔となってぐうっと膨れていく。

膨れたのは焔だけではない。指先が焔を突き破った。

私の身体が成長していく・・・・・!?

すらりと伸びた手足を、ややサイズの大きめな民族衣装が包み込む。

幾何学模様の袖の赤い線が揺れる。

蒼い空色のスカートがはためく。

白の短いケープが雲のように流れる。

これは・・・・・「108回」の記憶以外の、私であって私でない私。

正体不明のアンノ子ちゃんの姿・・・・・・!!

私は驚きのあまり息をするのを忘れていた。

わ、私・・・・・アンノ子ちゃんに変身しちゃった・・・・・!?

スカーレットイリュージョン!?

まさかの・・・・魔法少女っぽい変身展開きたあーっ!?


私も驚いたが、怨霊達の驚きはそれ以上だった。

息をのんで硬直するのがわかる。幽霊なのに息ってのも変だけど。

衝撃が波紋となって広がっていく。


しかし、まさか変身とは・・・・さすが精神世界・・・・・なんでもありだな。

でも、なんでもありなら、私はこの悲劇の結末を変えてみせる・・・・・!!


私は丘の上に向かうテオのほうに向け走り出した。

水あめの中を進むような抵抗が暫く続いたが、気合いをいれると、向かい風を突き抜けたかのように急に身体が楽になった。テオはもはや歩くことが出来ず、地面を這っていた。それでも執念で、もうすぐ丘の頂上付近だ。その先をのぞかすわけにはいかない。私は足早に丘を駆け上った。

怨霊達のどよめきが後を追ってくる。

まあ、過去の光景のなかに闖入者が突入していったら、誰でも驚くだろう。

ただこの過去も、怨霊たちの精神世界で再現されたものでしょ。

だったら、改竄出来ても不思議はない。

そんな吃驚するほどのことないと思うけど。


だが、彼らが叫びしは、完全に私の予想外の言葉だった。


〝・・・・真祖帝・・・・さま・・・・!!〟


万感の思いのこもった叫びだった。


ど!?どこよ!?

思わずあたりを見渡す私。だが、彼らの視線は一点に集中したままだ。


・・・・えっ、もしかして・・・・・私い!?


自分を指差すと怨霊達が震えながら叫ぶ。


〝・・・・真祖帝さまに生き写しだ・・・・・!〟


〝・・・・こんなことが・・・・ありうるのか・・・・・!?〟


そこから先は一気に人数が会話に加わり、興奮しすぎているせいか声が、はっきり聞き取れないほどの騒ぎになった。

私は仰天した。


そんなにアンノ子ちゃん・・・・成長した私と真祖帝はそっくりなんだろうか。


というか、真祖帝って女性だったの!?


・・・・・って、今はそれどころじゃない!!早くテオを!!


私は懸命に這いずり、逃がした子供達のほうに向かおうとしているテオの側に駆け寄り、あまりの惨状に息をのんだ。近くで見ると想像以上に酷い。子供達を逃がすため十三人分の回数を刺されたのだ。それも大の大人の手加減なしで。途中までよく歩けたものだ。血の匂い以外のつんとする生臭い臭気は、内臓まで傷が達し、内容物が腹腔から漏れ出したことをあらわしていた。

もう助かりっこない・・・・・・!!


言葉もなく立ち尽くす前方の私に気づいたテオの血まみれの顔の中で、目が大きく見開かれる。

生き生きしたそのアーモンドを思わす瞳も、今は片方は血みどろの穴に変わっていた。


「・・・・・真祖帝・・・・さま・・・・・?」


テオの呆然と呟いた声で、私は自分の成すべきことを知った。

私はうなずくと、ひざまずき、そっとテオを抱き起した。

驚くほど軽い。こんな身体で年少者達を救おうと命をかけたのか。

手が血で濡れていく。震えが止まらない。

よくもこんな酷い真似を・・・・・だめだ、落ち着け。

私が今すべきは怒ることでも泣くことでもない。


「・・・・でも・・・・真祖帝さまは・・・・死んだんじゃ・・・・」


「・・・・事情があって死んだふりをしていただけです。あなたのお父様もそう。最強の光蝙蝠族がそう容易く敵にやられるはずがないでしょう。きっちり挽回し、今は散り散りになった仲間達に勝利を知らせてまわっているところです・・・・」


私の言葉にテオは嬉しそうにほほえんだ。


「・・・そっか・・・・よかった・・・・・父さん達はやっぱりすごいや・・・・」


テオは誇らしげに手にした父親の髪を握りしめた。


「・・・・真祖帝さま・・・・この丘の先にチビ達が逃げてるんです・・・・・早くあいつらにも知らせて・・・・・安心させてやらなきゃ・・・・・」


「・・・・おチビちゃん達なら、あなたの先に保護しました。みんな嬉しそうに・・・・テオのおかげで助かったと・・・・満面の笑顔で・・・・・!」


もっと上手に嘘を突き通すつもりだったのに、途中で涙がこみあげ、言葉に詰まった。

テオが身を捨ててまで守ろうとした子供達は、もう愛くるしい笑顔を浮かべることなど出来はしない。

冷たい身体になってこのすぐ先に転がっている。

テオが知ればどんなに悲しむだろう。


「・・・・真祖帝・・・・さま・・・・?・・・・あ・・・・オレの血で服が・・・・?ごめんなさい・・・・・歩きます・・・・・・」


肩を震わす私の様子を見たテオは、自分の血が私の服を汚したせいだと勘違いし、離れようと身じろぎした。私はたまらなくなり、血と泥だらけのテオの身体を抱きしめた。


「・・・・バカね・・・・・戦士の血は誉れです・・・・・よく頑張りました。テオ。族長の息子の名に恥じない立派な働きでした・・・・・お父様も、きっと褒めてくれますよ・・・・真祖帝の名のもとに保証します・・・・・」

私の言葉にテオはこぼれるような笑顔を見せた。

だが、その顔色は紙のように白かった。


「・・・・父さん・・・・・オレが、真祖帝さまに抱きしめてもらって・・・・ほめてもらったって知ったら・・・・きっと驚くだろうな・・・・・戦士っていってもらえた・・・・・嬉しいな・・・・喜んでくれるかな・・・・チビたちにも・・・・自慢して・・・・・」


輝いたテオの目が急速に灰色になり、焦点を失った。


「・・・・ええ、だから、怪我を治して、これからも戦士として私とともに・・・・・テオ?」


私の呼びかけにテオはもう答えなかった。

笑顔を浮かべたまま彼は息絶えていた。

だらりと力なく手が垂れ、指の間から父親の髪がすり抜け、風に舞った。

私はそっと彼の瞼を閉じた。


「・・・・ほんとうに、よくがんばりました。テオ・・・・・・」


なのに・・・・・なのに・・・・・!!

私は、この子の頑張りに、嘘をつくことでしか応えてあげられなかった・・・・!!


「・・・・騙して・・・・ごめんね・・・・・・!!」


テオの亡骸を抱えて嗚咽する私の周囲に、いつの間にか怨霊達の焔が無数に佇んでいた。

彼らはかっての戦士の姿を取り戻し、天を仰いで慟哭していた。

群を抜いて大きな戦士がテオの側で男泣きしていた。

テオの面影がある。彼が族長なのだろう。


〝・・・・・過去に起こった出来事は変えられん。これが幻で夢であるのはわかっている。だが、なんと幸せな夢だ。息子が誇らしげに笑い、戦士として逝った。報われた死に顔を見れた。これ以上の幸せがあろうか・・・・・・・〟


彼の剛直な貌を幾筋も涙が伝う。


「・・・・違う・・・・!!こんなの幸せなんかじゃないよ・・・・!!みんな、もっと・・・・もっと本当は幸せになっても・・・・・・!!」


私は泣いた。

わかっているんだ。過去の出来事は、どんなに悲しく、どんなに後悔することであっても取り返しはつかない。私も治外の里を焼き討ちしてしまったあと、どれだけ時間を巻き戻せたら、と願ったことか・・・・!!

だけど、未来なら変えられる!私にはその力がある!だから・・・・・!!


私は涙をのみこみ、袖でテオの顔の血をぬぐった。

幼さの残る死に顔は、それでも自分が成すべきことを成したと信じ、誇りに満ちていた。

この気持ちを無駄にさせてなるものか・・・・・・!!


「・・・・・テオ。私が光蝙蝠族の無罪を、世界中に証明します。そして、あなたという小さな勇者がいたことを語り継いでいく。だから、安心して・・・・・眠って・・・・・!」


・・・・・光蝙蝠族の無実を証明する手がひとつだけある。

世界最大の宗教組織、聖教会の本拠地である聖都、上層部でしか閲覧できない最深部には、世界じゅうの各教区の「正確な歴史」を逐一記した報告書が眠っている。

時の権力者たちの都合よくねじ曲げられた歴史ではない、本物の歴史だ。

それは聖教会最大の武器のひとつである。

聖教会の歴史は長い。範囲も広大だ。大陸もほとんどが教区に入っている。

その教区内の正確な歴史を綴った記録は、為政者達にとっても脅威である。

先祖たちの悪行を隠蔽して偉業と偽ったり、乱世でのしあがった実際はあやしい系譜の貴族などざらにいる。その欺瞞をその気になれば聖教会は暴けてしまうからだ。

聖教会の先達たちは先見の明があったのだろう。

聖教会が大陸じゅうの王族や貴族に圧倒的な影響力をもつ理由のひとつだ。

そして光蝙蝠族の殲滅のような大きな出来事を、聖教会が記録していないはずはない。

真祖帝と光蝙蝠族の主従関係についてもだ。

必ず詳細な記録を残しているはずだ。

もちろん閲覧し、公開するのは、並大抵でない努力がいるのはわかっている。

大国の妨害もあるだろう。

それでも・・・・私は光蝙蝠族の皆の名誉が、テオたち子供の命が報われないまま終わるのは許せない・・・・!


私の決意に怨霊の焔たちがどよめく。


〝・・・・・そなたが本気だと、出任せを言っているのではないと、我々にはわかる・・・・・!!光蝙蝠族の名誉を回復する・・・・歴史を正してくれると・・・・・そんな奇跡が本当に可能なのか・・・・・だとしたら、どんなに嬉しいことか・・・・・〟


私は頷いた。テオの身体をそっと地面に横たえ、立ち上がり、周囲に集まった光蝙蝠族の怨霊達を見まわした。怨霊達は固唾をのんで、私の行動を見守っている。


「私は真祖帝ではありません。ですが、今から語る言葉は、真祖帝ならきっとおっしゃったであろう言葉。そのつもりで聞いてください・・・・・」


私は腹をくくり、「108回」の女王時代の記憶をたどった。

あのときの自分らしく振舞ってみよう。

もっとも今から行うのは「108回」ならぬ嘘八百だが。

大陸全土を統一した真祖帝よりは格が落ちるが、腐っても私は一国の女王だった。

気品気高く凛々しく、そして女性らしく慈愛をこめて・・・・・・

即位式のあと、はじめて女王として家臣達に抱負を語った時のように。

私は大きく息を吸い込み、顔をあげた。


「・・・・・真祖帝の名にかけて宣言します。光蝙蝠族の皆は、大人から幼子一人一人に至るまでまことの戦士でした。その名誉を踏みにじることは、何人たりとも許しません。あなたたちの忠義と友情を私は忘れてはいません。友よ。私は、いつか・・・・あなた達の名誉を回復することを、その絆にかけて誓いましょう・・・・・」


私は両手を前に広げ、彼らを真正面から見つめ、言い切った。

光蝙蝠族たちの怨霊は水をうったようにしんとなっている。


「・・・・だから、あなたたちの名誉が回復されたそのときは・・・・テオたちを・・・・子供たちを誇ってあげてください。お前達のおかげで部族は名誉を回復した。部族を守れたんだって・・・・・よくがんばったって・・・・・ほめてあげて・・・・・・」


実際のところ真祖帝の性格なんてよくわからない。

もっと雄々しい女帝キャラだったりしたらどうしよう・・・・・・・

だけど、私はこう言わずにはいられなかった。

子供達の死になにかしらの意味を与えてあげたかった。


私の心配は杞憂に終わった。

私の言葉が終わるより早く、怨霊達が一斉に恭しく跪いた。

積怨で歪んでいた焔は、透明な清らかな焔になっていた。

ぎらぎらと夕陽だけが輝いていた丘に、いつの間にか美しい花が咲き乱れていた。

テオの小さな亡骸が光となって、天に昇っていく。

心の世界だから、怨霊達の感情が、即光景に反映されるのか。

やわらかな木漏れ日のもと、顔をあげる彼らから、子供たちへの哀惜の想いがあふれだし、涙となって零れおちた。


〝・・・・その言葉、まさに我らの真祖帝様そのもの・・・・子供達の死を無意味ではなかったと・・・・そう言ってくれるのか!・・・・それこそが、我らがずっと求めていた言葉・・・・・あの子たちは・・・・・立派な戦士だったと・・・・そう褒めてもよいのだな・・・・・!!〟


私は知った。

彼らは自分が無惨に殺されたことよりも、大切なものたちを守れなかったことを悔いていた。

生きた意味さえも残せず、まるで殺されるためだけに生まれてきた幼い命。

そう認識することは、親である彼らにとり、身を切られるより辛いことだったんだ。

その一途な想いは、演技した私が罪悪感を覚えるほどだった。

この人達は、悪鬼なんかじゃない。怨霊になったのも、その愛の深さゆえだ。

あとで私が偽物と思いだし、落胆することを思うと胸が痛む。

ごめんね、本物の真祖帝じゃなくって・・・・・・

期待に満ちたまなざしで、私は彼らが欲する言葉を知った。

私はぐるりと彼らを見渡し、重々しく頷き、そして微笑し、手を伸ばした。


「褒めてあげてください。心のなかで、子供たちを、ぎゅっと抱きしめてあげてください。そして私が、真祖帝が・・・・・・いつか勇敢な子供達が、あなたたち父親のような立派な戦士に成長することを楽しみにしていたと・・・・そう伝えてあげてください・・・・」


私の言葉は予想以上の効果を及ぼした。

彼らがうつむき、ぼろぼろ涙を零すのがわかった。

突っ伏して号泣するものさえいた。

ううっ、ほんとに胸が痛いよ・・・・・


そして彼らは焔から光にかわった。

感謝と歓びの念が静かに押し寄せてきた。


〝・・・・・契約はなった。我らの心は激しく揺さぶられた。真祖帝さまに瓜二つの不思議な少女よ。そなたは、我らに人の心を思い出させてくれた。光蝙蝠族の名誉を回復すると約束してくれた。子供達の人生に意味を与えてくれた・・・・・どうか教えてほしい、そなたの素性を・・・・・!〟


「私の名前は、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガード・・・・・・父はリンガード家、母はメルヴィル家の・・・・・・・」


そこまで語ったとき、光蝙蝠族の亡霊たちは大きくどよめいた。


〝・・・・メルヴィル・・・・・!!そなたはメルヴィルの血をひくものだったのか!!・・・・これを・・・・・これを見てほしい・・・・・!!〟


尋常でない彼らの驚きぶりに呆気にとられながら、私は彼らの指し示すほうを見た。

丘の上の大樹、まっかな夕陽がかげっていく。

これはさきほどテオ達が虐殺された過去の情景の続き・・・・・?

どうして、またこの光景を・・・・・

つらい記憶に目をそむけかけた私は、目を見張った。

大樹には大きな洞があった。

そこが揺れ、小さな二歳ぐらいの女の子が這いだしてきた。

不安げな表情で誰もいなくなった周囲をうかがい、おそるおそる地に爪先を伸ばし、その股のみじかさゆえに、バランスを崩し、転がり出てしまう。

木の皮で姿を隠すようにして、奥に身を潜めていたんだ・・・・・!!


〝・・・・テオ達は、子供達は・・・・万が一にそなえ、一番幼いこの娘を咄嗟にほらに隠していたのだ。・・・・・子供達が守ってくれた、ただ一人の光蝙蝠族の生き残りだ・・・・・そして、この子は・・・・・〟


死に絶えた仲間達の身体に取りすがって、長い間号泣していた女の子は、やがて泣きやまぬまま、とぼとぼと坂をくだりだした。

小さな孤独な全身を震わせる大きすぎる悲痛な叫びが胸をつく。

だが、その背はみるみるうちに伸び、弓を持つ凛々しい女性の姿に変わった。

夜と昼がくるくると回る。

それは時間の経過を意味していた。

私は息をのんだ。

その娘の顔立ちはお母様にそっくりだった。


〝・・・・・生き残ったこの娘は成長し、やがてメルヴィル家の始祖となった。そうだ。そなたには・・・・我ら光蝙蝠族の血が流れている・・・・・我らの子孫から、真祖帝さまに瓜二つの姫が生まれ・・・・・神の目のルビーに認められた・・・・・!!そして・・・・我らのもとに・・・・・!こんな嬉しい奇跡があろうか・・・・・・・!!〟


予想外の自分のルーツ秘話に圧倒されている私に、光蝙蝠族の祖霊達が笑いかける。


〝・・・・・我らはこれより先喜んで、そなたの・・・・いや、貴女の力になろう。この神の目のルビーは、あなたにこそ相応しい。我らの心は、あなたとともに・・・・・・〟


怨嗟から解き放たれた彼らの生前の雄々しい姿が、一瞬光のなかに浮かびあがった。

彼らだけではない。

この空間そのものが眩しい光に染め上げられていく。

その光は神の目のルビーの輝きだった。

蝙蝠の翼が光の中で誇らしげに羽ばたいたように見えた。


〝・・・・・うまく試練を切り抜けたな。上出来だ。これで神の目のルビーはおまえに力を貸してくれる。さあ、現実世界に戻るぞ。実際は数秒もたっていない出来事だから安心しな。おまえの願いどおり、大切・・・・な人達を助けてやってくれ〟


光の中で、さっきの「彼」の声が嬉しそうにささやく。

何故かちょっと照れ臭げだった。

怨霊達は人間だった頃の姿を見せたのに、「彼」は相変わらず声だけのままだった。


それにしても、こんな棚ぼたで試練パスなんて、なんか良心がとがめるよ。

私じゃなくて、ほとんど「彼」のおかげだもの。

だけど、道は開かれた。ならば、あとは突っ走るのみ。

今いくよ。待っててね。メアリー、ブラッド、セラフィ・・・・!!


「ありがとう。あなたのおかげです。お礼を言いたいのだけれど、あなたは姿を見せてくださらないの?」


〝・・・・・いや・・・・まあ・・・・うん、大したことしてないし・・・・〟


何気なく問いかけたのだが、「彼」はそれまでの快活さとは別人のように歯切れが悪くなった。なにか言いかけ、また取りやめ、また迷いを繰り返しているようだった。


〝驚かすといけないから、今はやめておく・・・・・おまえが「真の歴史」の記憶を取り戻したら、そのときには姿を見せるよ・・・・・・・・なあ、礼がわりに、ひとつ聞かせてもらっていいか・・・・おまえがここまでして助けたいと思った、ブラッドや・・・・・セラフィは・・・・・「108回」でおまえを殺した奴らだろ・・・・・なのに、おまえは復讐するどころか・・・・逆のことを・・・なぜだ?・・・・・もっと怨んでも・・・・憎しみを抱いてもおかしくないだろう・・・〟


やけに沈んだ口調で質問してくる。

なんだか「彼」らしくない。

私は首を傾げた。なんでこんなに罪悪感でしょげかえった口ぶりなんだろう。

過去に誰かを傷つけたことでもあって後悔しているんだろか。

ふむふむ、ここは「108回」の人生経験豊富なお姉さんが、気を楽にしてやるとしよう。


「・・・・・私ね、今回生まれてすぐお母様に殺されかけたんだよ。でも、今お母様ほど私を愛してくれる人はいやしない。綺麗で優しくて頼りになる最高のお母様なの。私、前の「108回」の人生のときより、ずっとずっとお母様が大好きなんだ・・・・・」


そうだ。最初の出会いは不幸だったが、そのことを怨んでいては、今のお母様と私の関係は築けなかった。

人の出会いは思い通りにはならない。

違う形の心同士が、運命という風に流されて行き交うのが人生だ。

ちょっとばかり角がぶつかるのは当然だ。

だからこそ神様は人と人が思い合えるようにしてくれたのだ。 

優しい気持ちと分かりあう喜びを授けてくれたのだ。

困っている人に、無償の手を差し伸べる誇り高さを与えてくれたのだ。

そして、今回、それをもっとも私に感じさせてくれたのは、皮肉なことに「108回」で私を殺したブラッドだった。


「・・・・あほのブラッドはね、ほとんど見ず知らずの私のために、おそろしい魔犬ガルムと戦い続けてくれてるんだよ。そのうえ、今度は大陸の列強国まで相手どってくれるって・・・・・無関係なんだから、ほっといて逃げればいいのにバカでしょ。近くで守るため、メイドの女装までしてさ。あんな格好いいバカ相手に、殺された恨みなんかいつまでも抱いてられないよ」


ほんとにブラッドには感謝の言葉しかない。

照れ隠しで悪たれ口は叩くけど、もしあいつが私のせいで死んだら、私は絶対に自分を許せなくなる。

調子にのるだろうから絶対口にはださないけどね。

セラフィだって命懸けで小舟にとびこんできてくれた。

みんな私のために必死なんだ。

だったら、私だって恨みなんか忘れて必死になるしかない。


〝・・・・そうか・・・・おまえは、そういう奴だったな・・・・ありがとう・・・・〟


「彼」は涙ぐんでいるようだった。

拳を握りしめ、上を向き、嗚咽をこらえて立ち尽くす姿が見えた気がした。

うむ、私の言葉が「彼」の負担を減らす助けになったのならなによりだ。


〝・・・・・おかげで気が楽になったよ・・・・そんなおまえだから、光蝙蝠族の怨霊達も、素性を知る前から、心を揺さぶられたんだな・・・・最後におまえの隠された力を教えておくな・・・・・おまえには、いろいろな想いをつなぐ力がある。そして、神の目のルビーは、世界の境界かべを打ち破る。誰よりもおまえにこそふさわしい護帝宝石だ。〝運命の共振〟なんて洒落た言いかたをしてた奴もいたっけ・・・・・〟


繋ぐ力とな・・・・それは、パン粉や小麦や卵みたいな感じでしょうか・・・・?


〝・・・・・全部食いもんじゃないか。せめて、リボンとか紐とか、恋人を繋ぐキューピッドみたいとか表現しろよ。女の子なんだから〟


首をかしげる私に「彼」は苦笑した。なんか聞き覚えのある語り口だ。

そして「彼」の声は遠ざかっていく。

だが、消える瞬間まで優しく私に語りかけ続けるのをやめなかった。


〝・・・・・なあ、人は死んでも、なにかを守ろうとした想いは、たしかにそこにあったんだ。目には見えなくなっても、消えたわけじゃない。おまえの力は、その想いに形を与えてやれる優しい力だ。・・・・・だから気づいてやってくれ。物に残された想いや、大事だった人に寄り添い続ける気持ちに。・・・・つないでやってくれ。亡くなった者から遺された優しさを。・・・・・頼んだぜ・・・・・がんばれよ。それとな・・・・その衣装、おまえによく似合ってると思うぜ・・・〟


胸が切なさでいっぱいになったのは、「彼」のおだやかな励ましに勇気づけられたためか、最後に付け加えられた褒め言葉のせいなのかわからなかった。以前にもこんなことがあったと思うのは、きっと気のせいなのだろう。


周囲の光景が反転し、再び現実が戻ってきた。


水の匂いがきつい風が頬をうつ。

水飛沫と激流の轟音が耳に飛び込んでくる。

小舟は渦の真っただ中に突入していた。

だが、ほとんど進んでいないことから、現実世界では「彼」の言うとおり、数秒ほどしか時間は経過していないとわかった。

感傷にひたっている場合ではない。

私は気を引き締めた。

私の気持ちに反応し、胸元で揺れるルビーが赤々と輝いている。

さっきまでとまるで違う。力が迸っているのがわかる。

半眼だったルビーの中の輝く目がかっと見開かれた。

眩い光が放射状にあたりを照らす。

メアリーを振り落としかけた魔犬ガルムが、片目を光条の一本にレーザーのように射ぬかれ、一瞬視力を失い、硬直する。


セラフィが驚愕し、手を止めたまま、ぽかんとした顔で私を見ていた。

ブラッドがぎょっとした表情で振り返っていた。

驚きのあまり言葉を失い、金魚のように口をぱくぱくさせていた。

二人ともここが渦のまっただ中であることを忘れるほど、度肝を抜かれてしまっていた。

岸の皆も衝撃で固まってしまっている。

皆の驚きは、ルビーが光っているからだけではない。もっと深甚なものだった。


・・・・・・それも当然だった。

私は精神の世界で怨霊達と相対したときと同じ、成長した私、アンノ子ちゃんの姿になって現実に戻ってきていたのだから。


もちろん実体じゃなく、神の目のルビーの焔の力でつくられた幻の身体だ。

私は片手を掲げてみた。鮮やかな赤い縁取りの袖が風にひるがえる。ほっそりした白い手を朝日の光にかざしてみる。透けない。影まで出来ている。おまけにまるで本来の自分の身体のように動く。

見覚えのある焔が周囲にまとわりついているのが、唯一普通の身体と違うところだ。

これ、いったいどういう仕組みなんだろう。

・・・・・幻がなかったら、突っ伏した新生児の私の上にふよふよルビーのペンダントが浮いてるんだろうか。うーむ、シュールだ。


そしてわかる。今の私に出来ることが・・・・・!

聞こえる。今まで聞こえなかった魂の声が・・・・!

見える。人の想いが光になって・・・・・!


密閉された部屋の扉が開け放たれたように、どっとさまざまな感覚が飛び込んできて、その情報量の多さに立ちくらみしそうだ。

私はひときわ大きな三つの輝きに意識を集中し、手をすっと振った。

焔が大きくなって渦巻き、ゆっくりと三人の老戦士の形をとっていく。

「彼」は別れ際に教えてくれた。

なにかを守ろうとした人の想いは、見えなくなってもそこにあると。

そして私はそれに力を与えてあげられると。

物に遺された想いに気づいてやってくれとも。


そうだ。私達の味方は思わぬ身近なところにいた。

魔犬ガルムの体内深く残された鎌の切っ先の中に。


「・・・・・お母様と私のために戦ってくれてありがとう・・・・勇敢な戦士たちよ・・・・・そしてお願い、今一度だけ私達に力を貸して・・・・」


私の感謝と訴えに、焔の中に現れた、三人の髭の戦士達は相好を崩しうなずいた。

嬉しそうに頭をさげ語りかけてくる。


〝・・・・・お初にお目にかかりますわい。スカーレット姫さま。わしらは・・・・〟


皆まで聞かずとも今の私にはわかった。

彼らはハイドランジア三戦士と呼ばれた歴戦の勇士達だった。

お父様に留守中の身重のお母様を託され、、魔犬ガルムと戦い、誰にも知られることなく勇敢に散った。

だが、老戦士たちの執念は、いまだに折れ飛んだ刃の先端に宿っていた。

私達がこの過酷な戦いを奇跡的に生き抜けたのは、きっとこの三人の想いが死してなお私達を守っていてくれたからだ。

彼らがどれだけ私の誕生を心待ちにしていてくれたか、抱きしめることを夢見ていたか、その気持ちが伝わり、私の胸が熱くなる。。


「・・・・・知っています。白髭のブライアン。黒髭のボビー。茶髭のビル。お母様と私のために戦ってくれた勇士達・・・・・なんとお礼を申したら・・・・ごめんなさい・・・・私達を守るために、あなた達はその命を・・・・・・」


涙を浮かべる私に、三人の老戦士達は豪放に笑いかけた。


〝・・・・・詫びは不要ですじゃ。ただ笑ってくだされ。及ばずながらもよくやったと褒めてくだされ〟

〝その不思議なルビーが姫様の力を高めてくれたのですじゃ。おかげで姫様と話をする夢がかなった。それだけで、わしらは満足ですじゃ〟


〝それにしても、やはり姫様は美しく成長されましたのう。わしらも鼻が高いわい〟


三人は笑いあってうなずく。

その優しさが身にしみて、私はさらに溢れる涙を指で拭った。


それにしてもよかった。この幻の私の身体、ちゃんと言葉を話せるんだ。

新生児のアウアウ語だったら、どうしようかと思ったよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る