第42話 援軍。生者と死者の魂の交錯するとき。永訣・・・・・そして・・・・・

「・・・・・・なっ、なっ・・・・・」


「・・・・・う、海では不思議なことが・・・・い、いや、さすがにこれは・・・・」


私の変身とまとわりつく焔。

さらに三戦士の姿を間近で目撃したブラッドとセラフィは、衝撃のあまり言葉を失っていた。


〝・・・・・わしら亡霊の姿は姫様以外には見えないはずなんじゃがな。ルビーで増幅された姫様の力が強すぎ、間近にいるおまえ達にも一時的に影響が出ているということかの〟


三戦士が興味深そうに呟く。

ブラッドとセラフィが驚愕で目の焦点が泳いでいる。

このままでは舟が渦に取られ、転覆しかねない。

私は二人に頷き、感謝のほほえみを向け、意識を引き戻した。

アンノ子ちゃんの説明までしている暇はないから、そこはざっくりで省略しとこう。


「・・・・・おちついて。ブラッド、セラフィ・・・・・二人とも今まで私を守ってくれてありがとう。これが神の目のルビーの力。この姿は未来の成長した私です。私も・・・・いえ、私達もあなた達とともに戦います!!だから、前を向いて。詳細は後で話すから。メアリーを助けることに集中して!!お願い・・・!!」


私の懇願にセラフィがはっとなり、操船にまた集中しだす。

顔面蒼白ながら、前をしっかり見据えて竿をさばいていく。

さすがブロンシュ号の船長だけあって適応力あるな。


「・・・・・海ではいくらでも不思議なことが起きる・・・・海ではいくらでも不思議なことが起きる・・・・海では・・・・・・」


そうでもないのか・・・・その決まり文句、精神安定剤として使ってない?


「・・・・・同じ心音・・・・・おまえ・・・・・!!スカチビかあっ!?」


ブラッドが驚愕して絶叫する。

私はむっとした。

仮初とはいえ美女の姿になったのだし、三戦士の手前もあり、おしとやかにいこうと決意したばかりだったが、この言葉は聞き逃せない。


「・・・・うっさい!!あほブラッド!!スカチビっていうな!!なんだかいろいろ漏れてるみたいじゃない!!ハイドランジアの魅惑の星になんてあだ名つけんのよ!!必殺の新生児パンチお見舞いされたいの!!」


もっとも幻の身体なんだから、パンチなんか放てるわけがないのだけれど・・・・・ 思いっきり怒鳴り、代わりに、べーっと舌を出してやると、ブラッドは目を白黒させた。


あー、しっくりくる。やっぱり今の私に清純路線は似合わないな。


「ははっ、やっぱりスカーレットなのか!!せっかく美人になったのに、中身はそのまんまだ。そのほうが、こっちも緊張しなくていいや!!」


ブラッドが快活に笑い、再び前を睨み据え、唇をかみしめる。


「なんせ一発きりの大勝負だ・・・・・!!こればっかりはミスするわけにゃいかないからな!!最終動作入るぜ!!」


ブラッドの背中の血煙の翼がさらに大きくなる。

小舟は間もなく渦の中心部近くの魔犬ガルムに達しようとしていた。

ずぶ濡れのメアリーはまるで死体のようにぐったりしていた。

ガルムの片目に突き刺さっている矢がらを握りしめた指は白くこわばっていた

。憔悴しきり、目はうつろでなかば気を失っている。

かろうじてしがみついてはいるが、いつ落水してもおかしくないほど限界だった。


〝・・・・小僧、いい面構えよ・・・・信念をのせた一撃必殺。戦士はそうでなくてはいかん・・・・わしらの初陣をおもいだすのう〟


と茶髭のビルが目を細める。


〝うむ、前を見据える若武者の凛々しい姿は、いつの時代も同じじゃ。老骨が滾るわい〟


黒髭のボビーが腕組みをして深く頷く。


〝・・・・・じゃがな。ブラッドとセラフィといったの。たいした坊主どもじゃが、あの魔犬ガルム相手にはちと格が足りん。奴は百獣の王になりうるほどの星の持ち主じゃ。育ちのせいで邪悪に歪んではおるがの・・・・・〟


白髭のブライアンが瞑目して呟く。


〝狙いは悪くないがのう。このままでは、格の差で無理やり相討ちに持っていかれるの〟


茶髭のビルも深刻そうに肯定するが、その髭だらけの口元はほころんでいた。


「こ、これから技はなつ直前に、縁起悪いこというなよ。もう技の発動止められないんだぜ」


あわてるブラッドを二人はにやにやして見ていた。


〝・・・・・思わせぶりにからかうのはやめい。安心せい。なんのためにわしらが来たと思っとるんじゃ。格目の足りん分は、わしら老いぼれどもの年の功でおぎなってやるわ〟


黒髭のボビーがあきれ顔をした。


〝・・・・・まあ、そういうわけじゃ。あの化物犬の心臓のすぐ横には、わしらの最期の無念のたっぷりこもった刃の先端が突き刺さっておる。いわばわしらの形見じゃ。老兵は死んでも、ただでは去らん。胴甲を貫いて体内でへし折れたんで、魔犬使いも見逃しおった。そこにおまえらのありったけをぶち込め!!後はわしらがなんとかしてやるわい〟


白髭のブライアンが片目をつぶり、悪戯っぽく笑う。


〝・・・・・化物犬め、痛覚がないのが災いしたのう。だが、致命の位置に刃が動いたのは、わしらだけの手柄ではない。おぬしや、奥方さま、マッツオの大憎や親衛隊の小僧ども、そして若様との死闘が、刃をそこまでめり込ませた。いわば全員でつないだ一撃よ。これも姫様のつなぐ力のおかげかのう。あとを託せる若者たちに逢えてよかったわい・・・・・!!〟


茶髭のビルが愉しそうに首を振る。


〝・・・・・奥方さまの雷爬の雷の気をたっぷり溜めこんでおるからの。奴め、さぞかしぶっ魂げるじゃろうて。お前たち二人ならきっとやれる。手柄は若者に譲ってやる。じゃから、年寄りの置き土産を無駄にするでないぞ〟


黒髭のボビーの激励に、ブラッドとセラフィが顔を引き締める。


「・・・・・応!!」


「・・・・言われるまでも!!」


二人の返事に黒髭ボビーは破顔する。


〝・・・・・迷いのないいい声じゃ。やはり、わしらの若い頃を思い出すの。ずっと腐れ縁で散々馬鹿をやった戦友どもじゃ。まさか死ぬときまで一緒とは思いもしなんだが〟


幼馴染の三老戦士達が顔を見合わせ、呵々大笑する。

彼らはブラッドとセラフィに過ぎ去った青春の面影を見たのだ。


「・・・・・行きます!!最大船速で奴の横をすり抜けます!!ここからは渦の中心部だから、まともにコントロールも出来なくなる!!あとは頼みます!!ブラッド!!」


セラフィの言葉に、ブラッドがひいた右拳を握りしめる。


「・・・・・まかせろ。みんなの想い、絶対ぶちあててやらあ・・・!!」


だが、そのとき、魔犬ガルムが大きく息を吸い込むと、がっと張り裂けんばかりに口を開いた。喉の奥で不気味にゆらっと空気が歪む。毒を吐く気だ・・・・・!!


「・・・・・やべえっ!!あんにゃろう、オレとセラフィが二人そろって回避出来なくなる瞬間狙ってやがったんだ・・・・・!!」


技の発射段階に入り、身動きできなくなったブラッドの頬を冷や汗が伝う。

セラフィも蒼白だった。

この状況では、もうあの毒気をかわす術がないことを悟ったからだ。

魔犬ガルムの体毛がばりばりと逆立つ。

残った生命力を振り絞っている。

急に膨れ上がった身体に押しのけられ、メアリーの手がずるりと滑った。

このままだと落水して渦に呑み込まれる!!


「メアリー!!」


「メアリーさん!!」


「・・・・・くっ!!」


〝心配無用!!動くでないッ!!〟


飛びだそうとした私達を白髭ブライアンが鋭く一喝した。

ごおっと突風が巻き起こり、気絶して落下するメアリーの身体が持ちあがった。

見えない手で運ばれたかのように私達の小舟に転がり込んでくる。

そのまま風はつむじと化し、魔犬ガルムが吐き出した乾坤一擲の毒気を散華させた。


「・・・・・馬鹿な。このボクが読めなかった。なんだ、今の風は・・・・・・!?」


呆然とするセラフィに三戦士達がほほえみ、そして一点に視線を向ける。


〝・・・ずっと見守っていたのは、わしらだけではなかったということじゃ・・・〟


魔犬ガルムとの間に入り、私達を守るように回転する風。

その中心部に、三戦士たちを形造っているものと同じ焔がちろちろと燃えていた。

この焔が私達を助けてくれたの?


「・・・・・・う・・・・」


船板の上でメアリーがうめいて身じろぎする。

よかった!!意識を取り戻したんだ。

よろよろと上半身を起こしたメアリーの目が見開かれた。

その目にはメアリーや私達を救ってくれた焔が映っていた。

メアリーが小さく叫んで船べりに手をかけ、身を乗り出した。

焔が揺らめき、小さな小さな人影の形をとる。


「・・・・・・あっ・・・・あっ・・・・・」


メアリーの表情がぐしゃりと崩れ、目からぽろぽろと涙が零れおちた。

胸に詰まる思いが強すぎ、言葉も忘れて、嗚咽となってあふれでた。


焔にぺたんと座り込むようにし、男の子の赤ちゃんが宙に浮いていた。

メアリーを魔犬ガルムからかばうように両手を広げ、メアリーに振り向いてにっこり笑う。

メアリーに面差しが似た、春の陽だまりのような明るい笑顔だった。


〝・・・・・まぁー、まぁー・・・だーすき・・・・!〟


逢えて嬉しくてしかたないというふうに、たどたどしく母親への想いを口にする。


「・・・・・・ヨシュア・・・・・!!」


笑いかけられたメアリーは堪え切れず、愛する亡き息子の名をやっと呟くと、そのままわっと泣き崩れた。


〝・・・・・生きていたときは、よほど、おまえさんのことを慕っておったのじゃろう。ずっと心配そうに側で見守っておったわい。よき母親だったのだな〟


白髭ブライアンのいたわりの言葉に、メアリーが声をあげて号泣する。

ブラッドが優しいまなざしでそれを見守る。


「・・・・・よかったな。メアリーさん・・・・・」


そして小舟の舳先が魔犬ガルムと交差する。


「・・・・・さあ!!悪夢を終わらせるときだ!!」


剣印を結んだブラッドの左指先で鈴の音のような鋭い音がした。

鈴の音がどんどん早まっていく。

背中の紅い翼が、高速飛行する物体のように鋭く尖る。


「いけえっ!!ブラッド!!」


セラフィが顔を紅潮させ絶叫する。


〝決めてみせいっ!!〟


〝わしらが・・・・!!〟


〝・・・・ついておるわい!!〟


白髭ブライアン、茶髭ビル、黒髭ボビーが雄叫びをあげる。


毒気は風に散らされると魔犬ガルムは判断し、残りの命を燃やし、最後の牙を閃かせた。

渦のまっただなかで、ブラッドと魔犬ガルムが激突する。


「・・・・・お願い!!力を貸して!!」


私の頼みに応じ、神の目のルビーが光り輝く。

紅い光が収束し、魔犬ガルムの目を射抜く。

網膜を焼けつかせるほどの威力はなかったが、目くらましには十分だった。


そして、風をきって飛来した棍とガントレット、雷の尾を引いた矢が、一瞬硬直した魔犬ガルムのその隙をつき、轟音とともに奴の胴体に突き刺さった。あまりの威力に、巨躯がぶわっと水をひいて大きく傾く。まるで魚雷の直撃でもくらったかのようだった。そして奴の急所、心臓付近がまるみえになった。


〝・・・・さすが若殿、衰えぬ腕前見事!!〟


〝マッツオの大僧もやりおるのう〟


〝奥方様の矢はいつもながら鋭いわ〟


三戦士が我がことのように誇らしげに胸を張る。

近くまで泳ぎついたお父様とマッツオが自分の武器を投げて援護してくれたんだ。

そして矢はもちろん私のお母様が放った雷爬だ。


「・・・・・獣・・・・ぼくの娘に牙を向けるな・・・・・!!」


「小さな勇士よ!!あとは任せたぞ!!」


「ブラッド・・・・あとは、あなたに託します・・・・!!」


そして、岸辺の王家親衛隊とオランジュ商会の皆の声援が空気を揺るがす。


ああ・・・・私には「108回」で最後にひとりぼっちで死んでいったときと違い、こんなにもたくさんの頼れる仲間達がいる。

みんなが心を合わせ、その絆の力が今、ブラッドの拳ひとつに集約されていく・・・・・!!

そして、誰より優しいこいつが、そんな重ねられた想いを、決して無駄にするはずがない。


だんっと右足が大きく踏み込まれた。

メイド服のスカートの裾がぶわっと舞う。

ふううっとブラッドが鋭く息を吐いた。

傾いてむき出しにさらされた魔犬ガルムの胸に、ブラッドの右拳が滑るように吸い込まれた。

時がとんだかのような静寂な動きだった。

無駄なブレがまったくなく、しかも桁はずれの速度のため、一連の動作がなかったかのように錯覚させられたのだ。

研ぎ澄まされた名刀のしんとした迫力を思わせた。


すぐに静寂は破れ、ごおっと突風が押し寄せた。

ブラッドの背中の血の翼が、桜吹雪になって激突地点を中心に逆巻く。

拳を頂点に三角錐状に発生した衝撃波が、数度私達の上を吹き過ぎた。

そして魔犬ガルムはだらんと舌を垂らしたまま身動きひとつ取れなくなっていた。


「・・・・・通ったぜ・・・・!!・・・・受け取れ。魔犬ガルム。みんなの想いを・・・・・おまえがいくら強くても、ひとりぼっちで抱えるには、ちと荷が重すぎるだろうけどな」


ブラッドが顔をあげ笑った。

紅い瞳がふうっと元の漆黒の瞳に戻る。

拳の威力がガルムの心臓めがけて走り抜けていく。

その直上にある三戦士の遺した鎌の切っ先が、そこに伝わった衝撃に共鳴し、きいいんと鐘の音のように鳴り響く。それは戦士達への鎮魂歌だった。


「・・・・・この技は、打ち込まれた相手の心臓を限界を超えた力で拍動させる。たとえ止まっていようと強制的に・・・・・そして心臓から異常な圧力で送り出される血液は、水圧の刃に変わり、身体を内部から破壊し尽くすんだ・・・・・・」


ブラッドが拳を打ち込んだ反動で、一拍遅れるようにして小舟の舳先がずれ、魔犬ガルムから離れていく。駄目押しでセラフィが竿で硬直した魔犬ガルムを押し、小舟を加速させた。

私達は渦から遠ざかっていく。


「・・・・・血液は命の流れだ。血が通っていない身体の箇所はない。この技は、その血液を利用し、逆に命を破壊する禁忌技なんだ・・・・・・・!!」


ブラッドが小さく呟いた。


〝・・・・・・見事じゃ・・・・・!!〟


満足げに三戦士が頷く。

その言葉を合図にするかのように、どくんっと魔犬ガルムの胸部が膨れ上がった。

まるで胸郭に高圧空気を送りこまれたかのようだった。

心臓の暴走がはじまった。

どくんどくんと凄まじい心音がこちらにまで伝わってくる。

振動で渦の水までがばしゃばしゃ飛沫をあげた。

魔犬ガルムが断末魔の咆哮をあげる。

心臓で過剰な圧力をかけられた血液が高圧の刃となり、全身を走り抜ける。

ガルムの全身が血飛沫をあげて内部から爆発した。

神経が、臓器が、骨が、血管が、筋肉が、体内の組織のなにもかもが耐えきれず、ずたずたに分断されていく。

「・・・・・刃となった血液は、その形を保ったまま、相手の身体を突き破って外に飛び出す。それが紅葉が舞い散るように見えるから、この技の名を・・・・・無惨紅葉というんだ・・・・・」


ブラッドの言うとおり、それはまっかな無数の紅葉が一斉に舞い散ったように見えた。

ガルムの身体がぐらりと傾き、ゆっくりと沈んでいく。

そうなっても心臓の狂気の暴走は止まらない。

次々に無惨紅葉が咲き乱れる。

その度に身体が細切れになって飛び散っていく。

老戦士達の遺した刃の切っ先がガルムの心臓に突き立ち、溜めこんだ電気を幾度も放出し、心臓の強制鼓動を加速させ、破壊力に拍車をかけていた。

命を全身に送り届けるはずの血液が、反旗を翻し、身体を食い散らかすため牙をむく。

それは、すべての血を絞りつくすまで止まらない、絶対の断罪だった。


矢をはじく頑丈なガルムの毛皮が張り裂ける威力だ。

もし人間の肉体が受ければ原型さえ留めず爆散するだろう。

「108回」では一度も見たことがない技だったが、成人ブラッドはこの技を発動条件の難しさから使えなかったのではなく、残酷さゆえ使いたくなかったのではないか、今のブラッドの沈痛な面持ちを見て、私はふとそう思った。


噴き出した血のむわっとする臭いがあたりに充満する。

魔犬ガルムの身体が内部から削られ、少しづつ縮んでいく。

それでも魔犬ガルムは諦めなかった。

隻眼の眼光はここに至ってもまだ衰えない。

むしろさっきよりもぎらぎらと輝いていた。

身体の崩壊にも渦にも抗い、消えゆく命の炎を執念で補い、私達に迫ってこようとする執念は、胸をうたれる凄絶さだった。

だが、三半規管を破壊され、神経も筋肉もずたずただ。

完全に身体は壊れている。

まして大渦のなかにとらわれているのだ。

さしもの魔犬ガルムも、盛大に水飛沫をはね散らかすだけで、まともに泳ぐことさえ出来なかった。

足掻きながら魔犬ガルムが渦の中に呑み込まれていく。

それでも奴の目は私達を追い続けていた。


「・・・・・行きましょう。奴はもう終わりだ」


その場から離れようとするセラフィを、ブラッドが手で制した。

小舟は渦の影響を受けない位置に停船した。

ブラッドは舳先にどかっと腰をおろし、魔犬ガルムに向かいあい、静かに語りかけた。


「・・・・・オレはもう一歩も動けない。世の中、上には上がいるって思い知らされたよ。一人じゃとてもおまえには勝てなかった・・・・・・」


ブラッドと魔犬ガルムの視線が空中で絡み合う。


「・・・・・お前のやったことは、到底許せることじゃないけど・・・・オレはおまえの強さは一生忘れない。そして、いつか、おまえを超えるほど強くなって・・・・魔犬ガルムは生涯最大の強敵だったって、そう語り継いでいくよ・・・・おまえの生きた意味はあった。だから、もう楽になれ」


ブラッドの言葉を聞き、魔犬ガルムの目がにいっと嗤った。

口元が歪み牙がのぞく。

身を震わすと全身からありったけ残った血を噴きだした。

血霧のなかかから、ゆっくり幻が浮かび上がってくる。

これは・・・・・幻影技の血桜胡蝶・・・・・


「・・・・・いいんだ。心配ない。これは、たぶん違う・・・・・・・」


身がまえた私達をブラッドが制す。

ブラッドの呟きに賛成するかのように、私の胸元のルビーが強く輝いていた。

邪悪極まりない貌つきにもかかわらず、たしかに今の魔犬ガルムからは殺意を感じなかった。


舞い散る血の花びらのなか、母犬の乳にむしゃぶりつく仔犬の姿が見えた。


・・・・・これは、魔犬ガルムの幼いときの記憶・・・・?


神の目のルビーがゆるやかに明るい焔をふきあげている。

その力が私達に魔犬ガルムの思い出を共有させていた。


他の兄弟に比べ身体の弱いその仔犬は、よく乳にあぶれていた。

それでも愛情深い母犬は、兄弟が眠った隙をうかがい、いつもそっと席をあけて待っていてくれた。

世界で一番大好きな、優しい母のぬくもりに抱かれ、まどろむ記憶。

顔にとびちったミルクを母親が舐めとってくれる。

甘えきった仔犬の胸は幸せいっぱいだった。


・・・・・その幸せはいつまでも続かなかった。残酷な形で母子の関係は終焉を迎えた。

容赦なく振りおろされる杖と怒号が、その幸せを無惨に打ち砕いた。


「喰え!!喰わんか!!母犬の肉ぐらい喰えん奴が、魔犬になぞなれるか!!」


いなくなった母を心配し、鼻を鳴らして必死にさがしまわっていた仔犬の鼻先が、血まみれの肉塊に無理やり突っ込まれた。そこからは大好きだった母の匂いがした。殺される直前まで自分の心配をしていたことが匂いでわかった。歯を食いしばって呑み込むまいと抵抗する仔犬の口をこじあけ、肉塊が執拗に押し込まれる。いくら吐きもどしても何度も何度も。


悲鳴をあげる仔犬の心が、絶望と憎悪であとかたもなく壊されていく。

あとには才能という名の怪物だけが残された。

私達は声もなくその記憶を見つめていた。


これが・・・・・この怪物の憎しみの源泉・・・・・・!!


私は、なぜ魔犬ガルムが、命令だけとは思えないほど子供の命を奪うことに固執したのか、その理由がわかった気がした。


「・・・・・そうか、おまえ、ほんとうは・・・・・ほんとうに望んだものは・・・・・」


ブラッドの言葉に、魔犬ガルムはもう答えなかった。

私達を苦しめ抜いた怪物は、最期まで邪悪な嗤いを浮かべたまま、渦巻く水の中に永久にその姿を消した。だが、その姿はひどく哀しげなものに私には見えた。


消え際に、喜びに尻尾をふって走っていく仔犬の幻が浮かび上がった。

その先には懐かしい母犬の姿があった。

尻尾をちぎれんばかりに振りたて、仔犬はそのまわりを何度もはねまわった。

そして仔犬は母犬にとびつき、幻は無数の紅い蝶になって、雲間からさしこむ朝の光の中にとけ消えた。


「・・・・・・バッカ野郎が。おまえほどの力があれば、殺した千倍も万倍も命が救えたろうに、人間に生き方歪まされやがって・・・・!救われねえよ・・・」


舳先に座り込んだブラッドが悔しそうに吐き捨てた。


こうして長い夜は終わりを告げた。

輝きを増していく朝日を振り仰ぎ、三戦士は目を細めていた。


〝ちょうど良い潮時で、朝の始まりじゃな。わしらもお別れの時間じゃ〟


白髭ブライアンの言葉に茶髭ビルがうなずく。


〝そろそろ、わしらもお暇せねばのう。姫様の美しさと若武者どもの奮闘に見惚れ、少々長居が過ぎたわい〟


〝若殿や奥方様、親衛隊のバカどもに挨拶出来んのは、ちと残念じゃがの。宜しく言っておいてくだされ〟


黒髭ボビーが少し寂しげに笑った。


私の成長した姿は岸にいる皆にも見えるが、三戦士やヨシュアの姿は、この小舟にのっている人間にしか見えないらしい。


〝・・・・・まぁーまぁー、ばいばい・・・・・〟


ヨシュアが微笑みながらゆっくり、ふわりと小舟から離れていく。


「・・・・・待って!!ヨシュア!!行かないで!!」


泣きべそになりながら、メアリーが船べりにしがみついて慟哭する。


「・・・・・せっかくまた会えたのに・・・・!!お願い!!母さんも一緒に連れて・・・!!」


必死にヨシュアに伸ばすメアリーの手をさえぎるように白髭ブライアンが動き、横にかぶりを振った。

白眉の眉間に皺をよせ、厳しい表情でいさめる。


〝・・・・・それは言ってはならん言葉じゃよ。・・・・命懸けであんたを助けようとしたこの三人になんと言って申し開きする気じゃ〟


ブライアンの言葉に、メアリーは、はっと顔をあげ私達のほうを振り向いた。

ブライアンが小さく頷く。


〝なあ、娘さんや。つらいのはよくわかる。じゃがな。死んだものとして説教させてもらうぞ。こんな幼い息子がけなげに笑って、別れを告げようとしておるんじゃ。母親を心配させまいとなあ。・・・・・あんたがあの子を思い出して悲しんでおった間、あの子は自分がどんなに幸せだったか。どうやったらそれを伝えて母親のあんたを笑顔にしてやれるのか、ずっとそればかり考えておったよ。・・・・・・その気持ちをくんで、笑って見送ってやるのも母親としての務めじゃないかのう〟


歴戦の傷に覆われた貌といかつい白髭と白眉毛からのぞく目が、慈父のように優しくなり、道を開けた。


「・・・・ヨシュア・・・ほんとなの・・・・母さん、あなたを心配させてたの・・・・?」


伸ばしたメアリーの指先を、また戻ってきたヨシュアがぎゅっと握りこむのが見えた。


「・・・・懐かしいね・・・・いつもヨシュアは・・・・返事のかわりに・・・・私の指をこうやって・・・・握って・・・・笑って・・・・・・!!」


言葉に詰まり慟哭するメアリーに、白髭ブライアンがほほえむ。


〝・・・・時は巻き戻せん。死んだものは蘇らん。・・・・じゃがの、哀しみでなく、優しいあんたの想い出のなかで、この子を生かし続けてやることは出来よう。そうすれば、たとえ住む世界は別れても、互いの絆は永久に切れはせん・・・・そして、この子が一番ほしい言葉も、あんたなら、わかるじゃろう〟


メアリーは嗚咽をこらえ、俯きがちに何度もうなずいた。


〝・・・・・では、この子がなにより大好きだった、あんたの優しい笑顔をはなむけとして添えて渡しておやり。これから先、あんたらを繋ぐ最高の宝物になるようにな・・・・〟


その言葉にメアリーは意を決したように立ち上がり、ヨシュアに向かって両手を差しのべた。

懸命に涙をおさえこみ、精一杯の笑顔を浮かべる。


「・・・・・ヨシュア、大好きだよ。ずっと、ずっと・・・・どんなに離れても・・・・かわらず大好きだよ・・・・・!!」


広げたメアリーの手の中に、ヨシュアが嬉しそうに飛び込んでくる。


〝・・・・・・まぁーまぁー、だーすき・・・・ばいばい・・・・・・!!〟


「ヨシュア・・・・私もだよ・・・・・ずっと・・・・愛してる・・・・!!・・・・ずっと・・・!!・だから・・・・・・!!」


ぎゅっと抱きしめたメアリーの腕のなかに、明るい笑い声を残し、ヨシュアは光の粒子になって消えた。

光がきらめきながら天に昇っていく。

メアリーはそれを見上げ、しばらくの間、最後に息子を抱きしめた形のまま、立ち尽くしていた。

笑みをうかべたままの頬を涙が幾筋も伝う。


「・・・・だから・・・・ちゃんと、お別れしなきゃ、いけないんだよね・・・・さよなら、ヨシュア・・・・・笑って・・・・見送ってあげられたけど・・・・やっぱり涙はとめられなかったよ・・・・ごめんね・・・・・最後まで、だめな母さんで・・・ごめんね・・・!」


あとは声にならず、ふぐっふぐっと涙をこらえ喉をならし、舟板に両膝をついた。

突っ伏して身を震わすメアリーを、三人の老戦士達はいたわりのまなざしで見つめていた。


〝・・・・・よう母親としての務めをやりとげた。あんたのもとに生まれて、あの子は間違いなく幸せじゃった。だからもう自分を責めてはいかん。それはあの子が一番望んでなかったことじゃ・・・・・〟


と瞑目をささげたあと、白髭ブライアンが声をかけた。


〝去り際に心から嬉しそうに笑っとたのう。一番ほしかった言葉と見たかった母親の笑顔をもらって、心置きなく旅立っていきおった。ごらん、天までの橋が出来おった。赤子ながら見事な男ぶりよ。残念じゃ。成長したらさぞや立派な戦士になったろうな〟


天を振り仰ぎ、茶髭のビルが目を細める。

流れ込んだ水が生んだ水飛沫のせいか、空に向かい、うっすらと虹の脚がかかっていた。

私達は息をのんでその光景を見つめていた。


〝あんたは息子のぶんも生きにゃならん。それがあの子がこの世におった証にもなる。それにあんたには、あんたの帰りを待ち望んでいる者達がたくさんおるじゃろう。望まれた人生は幸いじゃ。大事に生きるがええ・・・・・〟


そう言って黒髭ボビーが、お母様、私、ブラッドのほうを見やり、にかっと笑う。

そして頼れる老三戦士は浮き上がり小舟をはなれた。


〝・・・・・わしらはもう行かねばならん。・・・・・メアリーさんや。スカーレット姫さまと奥方様を頼んだぞ。・・・・・姫様は誰よりもお強い心をお持ちじゃ。それでも・・・・ご自分で立ち上がれないほどの悲しみにうちのめされるときが、きっと来る。そのときに、お心の支えになってやってくれ。・・・・子を失った哀しみを乗り越えたあんたの言葉は、絶望に沈んだ心にも届く唯一の光じゃ。それはどんな豪傑の男連中てもかなわぬ、あんただけに出来る務めじゃ・・・・さあ、年寄りのくどい言葉はもう終わりじゃ。・・・・あとは姫さま、ご自分のお気持ちをお伝えくだされ・・・・・〟


私をうながすように白髭ブライアンがまなざしを送ってきた。

老三戦士が言葉をかけるように笑いかける。

私の胸元の神の目のルビーが激しく明滅している。

幻覚を維持できる限界時間がきたと、私にそう告げていた。

私はメアリーのそばに片膝をついた。


「・・・・メアリー。もうすぐ私、元の赤ちゃんの姿に戻ります。だから今のうちに言わせて。・・・・いつもありがとう。大好きだよ。そして、新生児だから身勝手な我儘を言うね・・・・・私、まだまだあなたに甘え足りない。私が二本足で歩けるようになっても、ずっと離さないからね。・・・・・覚悟して。私、わがままなんだから。だから・・・・だからね。私を置いて勝手にどこかいくなんて・・・・・絶対許さないんだから・・・・・だってメアリーは、私の・・・・もう一人の・・・・お母さん・・・・なんだ・・・・もの・・・・・・!!」


最初は静かに諭すつもりだったのに、メアリーとの思い出が次から次にあふれ出して止まらなくなった。不覚にも途中から私自身が感情にのみこまれ、ガン泣きしてしまった。

うぐふうっ・・・・か、恰好悪い・・・・しゃっくりみたいに嗚咽が抑えられない・・・・


「・・・・・お嬢様・・・・・・・」


「ち・・・・違うの・・・・これはっ・・・・かっ・・・花粉が鼻に入って・・・・・」


涙を浮かぶほど力をこめておさえても、喉から嗚咽があふれ出る。

羞恥で頭のてっぺんまでゆであがった私を、メアリーは顔をあげて見つめた。

まっかに泣きはらした目のまま、おずおずと口元に笑みを浮かべる。


「・・・・・こんな・・・わがままで情熱的な口説き文句は・・・・・はじめて聞きました。私も大好きですよ・・・・お嬢様のこと・・・・・お言葉に甘えて・・・・・お婆ちゃんになるまで張りついちゃいますから。そのときになって後悔しても、絶対出ていきませんからね・・・・・・・」


しゃくりあげながらそう言うと涙をぬぐって、すくっと立ち上がる。


「さあ、みなさんのところに帰りましょう・・・・!!お嬢様の無事な姿を見せ、みなさんを安心させてあげなければ・・・・ほら、待ちきれなくて、公爵様とマッツオ様が迎えに来てしまったじゃないですか。あら、お二人だけでなく、奥様や皆さんまで・・・・・」


私達に振り向き、闊達に笑いかけるその姿は、いつもの明るいメアリーだった。

池面を渡る風に髪をおさえ空を見上げる。


「・・・・・ヨシュア、私、強く生きていくよ・・・・・思い出のあなたまで消さないように・・・・・胸をはって・・・・・見ててね・・・・・」


小さく決意を呟く横顔は、哀しみを乗り越えて進む大人の女性のものだった。


「・・・・・皆、怪我はないか。よくやったな」


「・・・・がぼっ・・・・ははっ・・・・見事であった!!・・・わははっ・・・がぼっ」


白馬にのったお父さまと、勇ましく泳ぐマッツオが、波をかきわけ、こちらに近づいてくるのが見えた。近くで見る若いお父様は、イメージよりも人間味のある表情をしていた。私と同じ紅い瞳が感情豊かにきらめく。マッツオ、あんたは、笑うか水吐き出すか話すか、どれかひとつに留めなさいな・・・・


水位差がなくなったのか渦も消え、濁流の流れがゆるやかになっていく。


「・・・・・・スカーレット!!メアリー!!ブラッド!!」


待ちかねたように馬を駆り、お母様が二人のあとを追って、水に脚を踏み入れる。

王家親衛隊の皆が騎乗したまま、歓声をあげて後に続く。

みんな普通にまたがったまま馬を泳がしてるよ・・・・すごい馬術レベル・・・・


「・・・・・会頭!!あっしらにはそんな馬扱いは出来ねえんで、ここから声でお迎えしまさあ!!・・・・・さあ、野郎ども!!会頭が寂しくないよう、岸から声を張り上げろ!!潮風で鍛えただみ声を、陸の野郎どもに見せつけてやれ!!」


さすがにそんな真似は不可能なオランジュ商会の連中が、航海長の音頭のもと、口々に出迎えの声をあげる。


「・・・・・会頭!!おかえりなせえ!!」


「・・・・・惚れ直しやしたぜ!!」


「・・・・海の男の勇気、見せてもらいやした!!」


景気づけにアルコール度数の高い魔犬除けの酒に火をつけ、派手な篝火にする。

なんかお盆の迎え火みたい・・・・・・


「や、やめろおっ!!恥ずかしい!!」


半オクターブ高い声でまっかになって抗議の悲鳴をあげたセラフィを無視し、にやにやしながら全員が航海長の命令を忠実に実行する。ああ、これ、絶対わかってからかって楽しんでるパターンだ。だが、その眼差しは確かな誇らしさと情愛に満ちている。

愛されてんなあ、セラフィの奴。


雲が晴れ青空が光る。


三人の老戦士達は愉しげに目を細め、その様子を眺めていた。


〝随分にぎやかじゃのう。じゃが、これがよい。笑ってさよなら、という奴じゃな〟


〝終わりよければ、すべて良し・・・・よのう〟


〝では、スカーレット姫様、お名残り惜しゅうございますが、これにて〟


そして、三人の姿は陽炎のように薄らいでいく。私は万感の思いをこめて、三人を見送った。


「・・・・・ありがとう。ブライアン、ビル、ボビー・・・・・万夫不当の戦士達。あなた達の献身と勇敢さ、私は生涯忘れません・・・・・何と言って、この感謝を言葉にすれば・・・・・」


三人は私に名前を呼ばれる順に嬉しそうにうなずき破顔した。


〝そのお言葉だけで、十分報われますわい。わしらは・・・・・・〟


「・・・・・バーカ、スカチビ、おまえ全然わかってねぇな。まったく、頭のいい奴はこれだから。爺さんたちも、最後ぐらい素直になれよ」


「ひゃあっ!?」


ブラッドが苦笑し、ぱあんと私のお尻を叩き、私は驚いてぴょんと跳び上がった。


ちょっ、ちょっと、この幻の身体、感覚まであるんですけど!?


「やだやだ。齢取ると本音まで皺の中に隠すのかよ。メアリーさんにも、セラフィにも、そんなもんとっくにバレてんだぜ。少しはヨシュアを見習えっての・・・・・・人間ってのは、もっと単純でいいんだよ。スカーレット、もうわかるだろ」


三人の老戦士が息をのみ、ブラッドとメアリーとセラフィが、私達を優しい目で見ている。

私は自分が戦士達にかけるべき言葉を悟った。

照れくささを振り払い、両手をさしのべる。

幼子が懐いているおじいちゃんにそうするように。

気持ちが少しでも伝わるよう、精一杯の気持ちを笑顔とともにこめて。


「・・・・・ブライアン、ビル、ボビー・・・・・大好きだよ・・・・・・!!」


老三戦士が目を見開き、言葉を詰まらせ、鼻をまっかにした。


〝・・・・・姫さま・・・・・・!!〟


髭だらけの頬を滂沱とした涙が濡らしていく。

彼らは男泣きして暫く天を仰いだ。

メイド服を風にたなびかせて、朝日を背にするブラッドを睨みつけ歯軋りする。。

そして飄々とした表情で受け止めるブラッドに顔を見合わせ、誰からともなく爆笑した。


〝・・・・やられたわい!!すっとぼけた顔をして、見事にわしらから一本を取りおった!!〟


〝口惜しいわ!!そして、なんと頼もしい。まさか、こんなスカートをはいた小僧に、涙を流すほどの一撃を喰らうとはのう〟


〝・・・・・姫様は亡き大殿さまのおもかげが色濃いが、姫様にそういうことを言われると、若殿の幼い頃を思い出すの。若殿もわしらによう懐いてくださっていたもんじゃ。昨日のことのように、よく覚えておりますぞ・・・・・・若殿〟


〝マッツオの小僧も、いつの間にか大憎になり、わしらを追い抜くほど成長しおって〟


小舟のすぐそばに馬を寄せたお父様と泳ぎ着いたマッツオを見て、三人は嬉しそうに目を細めた。


〝わしらが叩きのめして育てた王家親衛隊の奴らも立派になりおった。あの頃はひょろひょろの苗木じゃったのにの・・・・若樹もたくましくなり、あっという間に大樹になる。自分が手がけた皆の成長を目にしながら、旅立てる・・・・・子供がいなかった、わしらにとってこれ以上のはなむけはないわい〟


小舟を取り囲むように集まってくる騎乗した王家親衛隊を一瞥し、白髭ブライアンが相好を崩す。

いかめしい髭の向こうで鼻をすする音がした。

三人の老戦士達は幸せそうな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと薄れていく。


「・・・・・なあ、スカーレット。なんとかならないのか。みんな、あの爺さん達の知りあいなんだろ・・・・・」


ブラッドがこっそり私に耳打ちして尋ねた。

私にもブラッドの気持ちがよくわかった。


なんとか、お父様や、マッツオ、親衛隊の皆らにも、老戦士達の姿を見せて、面と向かった別れの挨拶をさせてあげたい・・・・・・・・


私達の願いに応じるように、私の胸元のルビーが強く光り輝いた。

それは朝日の光さえ押しのける強さで、小舟の周辺に集結していた全員の目を眩ませた。


「・・・・・・む・・・・」


「・・・・何事だ・・・・!?」


歴戦のお父様とマッツオでさえ思わず腕で目をかばったほどの凄まじさだった。

影響を受けなかったのは、私、メアリー、ブラッド、セラフィの四人だけだった。

焔がかつてない強さで立ち昇る。

その焔のなかに、私は真祖帝に仕えた光蝙蝠族の戦士達の姿を垣間見た。

彼らは微笑んでいた。

おなじ戦士として、彼らは三人の老戦士の魂に共鳴したのだ。

私は、彼らが私の望みを叶えてくれたことを知った。


「・・・・・ありがとう。光蝙蝠族のみんな・・・・・・」


私が呟くと、彼らは頷き、再び焔と溶け合い、ひとつになって消えた。

焔が私の身体から離れていく。

神の目のルビーが眠るように光を失う。

ルビーの中の瞳がまたまどろむような半眼になる。

大人だった私の姿の幻が消え失せ、私はもとの新生児に戻った。


「・・・・・よう、お疲れ・・・・よくがんばったな」


ブラッドが船底から私を抱き上げた。

メアリーが私を受け取り、ぎゅっと抱きしめ、頬ずりをする。


「・・・・・大人のお嬢さまも美人で凛々しかったですけど、私はこちらのお嬢様のほうがしっくりきます。ヨシュアに会わせてくれて、ありがとうございます・・・・・・」


焔が渦巻き、きらきらと水晶のように飛び散っていく。

粉雪のように降り注ぎ、白髭ブライアン、茶髭ビル、黒髭ボビーの皆への思い出と、抱いていた気持ちを、その場の全員に届けていく。


雪におおわれた丘の向こうに立派な屋敷が見える。

幼いお父さまに雪のなか、ブライアン達三人の戦士は寒稽古をつけていた。

親の愛情を知らずに育ったお父様にとって、曾祖父の側近だったこの三人は育ての親代わりのようなものだった。


私と同じく真祖帝の紅い瞳をもって生まれたお父様を、バイゴッド祖父母は政治的に利用しようとして騒ぎを起こし、見事にそれに失敗した。その件の詳細はまた何れ述べるとしよう。


陰謀をくじかれ、議会を除籍され、曾祖父の雷をくらったバイゴッド祖父母はその苛立ちをお父様にぶつけ疎むようになった。才能のあるお父様は、自分と違い、曾祖父に愛されていたから、それに対する嫉妬もあったのかもしれない。


弟達だけ可愛がられ、父母に冷遇されるようになったお父さまは、暖炉の煙が立ち上る本邸をいつも寂しそうに眺めていた。一家団欒の夕食どきでも、別邸にいるお父様は呼ばれることはなく、常にひとりぼっちだった。


急に家族に突き放されたお父様は、環境の激変に適応できず、極めて表情に乏しい子になった。

それが平然としているように見え、余計に祖父母の怒りを買った。

感情に欠ける怪物と罵りさえした。


そんなお父様を、自分の外套ですっぽり包み込み、壮年だった頃の白髭ブライアンは笑いかけた。

彼らの外套は戦場での寝具も兼ねていて、ぬくもりは保証つきだった。

それにしても昔から白髭なのね、この人・・・・・・


「・・・・・若殿。たとえここに家族団欒の火はなくとも、戦士は皆、胸に炎をもっておりますぞ。これで暖を取りなされ。わし一人では足りませんようでしたら、ほれ、他にも腐れ縁の悪友どもが二人が、順番を待ちかねて待機しておりますわ」


茶髭のビルと黒髭ボビーが、ばっと外套をひるがえし、盾や大鎌をかまえた「格好いい」ポーズを取る。

幼い頃のお父様がそうすれば喜ぶのを知っていたからだ。


いや、お父様無表情に拍手してるけど、ほんとに喜んでるの、これ・・・・

私には判別しづらいが、三戦士にはわずかなお父様の表情の変化がよくわかるらしい。

今日は御機嫌のようでよくお笑いじゃ、と感心している。

全然わからん・・・・・・・・

そして三戦士はおもむろにジョッキを取りだし、酒を注ぐと、若殿の笑顔に乾杯と叫び、一気に中身を飲みほした。


「わしらは胸の戦士の炎をより燃え立たせ、その火を分かち合うため、酒をのむのですわい」


「戦士に言葉はいらぬ。態度とさかずきで語るべし。若殿が早く戦士になられ、ともに酒を酌み交わす日が楽しみじゃわい」


きょとんと見上げた幼いお父様が、ぽんっと外套から飛び出し、二人の真似をしてびしっと「格好いい」戦

士のポーズを決め、自分がすでに一人前であるとアピールする。


「これは頼もしいわい!!その意気ですじゃ!!」


雪原に笑い転げる三人の明るい声が響く。

戦に明け暮れた三戦士には子供がなかった。

だから、お父様を自分の子のように想い、その天賦の才を誰より愛した。


「・・・・なんだ・・・・?・・・・何故じい達の想い出が突然・・・・?」


お父様が戸惑ったように頬をこする。

その眦からは確かに涙が流れ落ちていた。


お父様の思い出だけではない、駆け出しの王家親衛隊員たちを、鬼となってしごきあげた三戦士の胸のうちが、暗い酒場のテーブルの灯のように、じんわりと皆の心を照らす。


深夜、三人だけで杯を交わし合う老戦士達。

表情が沈痛なのは、これが祝いではなく鎮魂の杯だからだ。


「・・・・・ノートンの奴、あっさりくたばりおって。今月に入ってもう犠牲は三人目じゃぞ。王家親衛隊に入れて夢がかなったと、あんなに喜んでおったのにのう。子供の頃から憧れておったと・・・・・!わしは、こっそりわしらの修練場をのぞきにきておった子供の時分の奴を、よっく覚えておるんじゃ・・・・目をきらきらさせてのう」


茶髭のビルがぐいっと杯をあおる。


「・・・・幾ら呑んでもちっとも酔えんのう。この酒、度数が弱いのと違うか」


その酒は火を近づければ燃えるほど、この店で一番強い酒だった。


「・・・・・ふむ、天井から雨漏りもしてるようじゃ。水でも混じったのかの。しかし、若い者に先に逝かれるのは老体には堪えるわ。・・・・王家親衛隊は、王族の盾じゃ。強くなくては生き残れん。特にマッツオのような甘ッちろい生き方を貫くならば、どんな相手よりも倍強くなくては不覚を取る。少なくとも、わしらを越えさせにゃ、話にもならん・・・・・・奴の生き方は嫌いではない。あいつは弱者の希望になれる男だ。わしらが若い頃夢見た、理想の騎士になれる男じゃ。断じて殺させるわけにはいかん・・・・・・」


染み一つない天井を振り仰ぎ、黒髭のボビーが呟く。

その厳つい頬と髭は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


王家親衛隊の任務はいざというとき、身を捨ててでも王族を守ることにある。

その頃、ハイドランジアでは、王族同士の内輪もめが繰り広げられていた。

相手が守るべき王族では、王家親衛隊も手の出しようがない。反撃できず斬り殺される犠牲者が隊内に増え続けていた。悪質な王族のなかには、わざと争いの火種をばらまき、無抵抗の親衛隊を傷つけることを楽しみにする者までいる始末だった。


白髭ブライアンが鬼の形相で歯軋りする。


「・・・・・権力に惚けた馬鹿どもめが。親衛隊は捨石でも玩具でもないぞ。奴らが一人前になるのに、どれだけの血のにじむ努力と鍛練を重ねたか、まるでわかろうともせずに!!わしらは、身近でそれを見てきたのだぞ。それを・・・・・それを、あっさりと・・・・・!!虫けらのように・・・・・!!」


白髭ブライアンの背中が怒りと悲しみでわななく。


「・・・・マッツオの大僧だけではない。王家親衛隊の奴らは、皆わしらの息子じゃ。輝かしい未来をつくる若者たちよ。もう二度と誰も死なせはせん・・・・・じゃから、これからは・・・・・馬鹿どもの思惑を軽くあしらえるよう・・・・身分差で手を出せない相手にさえ殺されぬほどの強さを、奴らに骨の髄まで叩きこむ!! 死んでいった連中の無念、無駄にはせん!!そのためならば・・・・・・」


白髭ブライアンが厳しい貌でジョッキを掲げる。

茶髭ビルと黒髭ボビーが深く頷き、ジョッキをうちあわせる。

がちんっと重々しい音が、夜のしじまに響き渡る。


「・・・わかっておる。誓おう。たとえどんなに恨まれようとも・・・・!!」


「・・・うむ、我ら老いぼれ、心はひとつ。若者の未来のため。たとえ鬼となろうとも!!」


「・・・・・王家親衛隊全員を、折れぬ最強の刃に鍛え上げる・・・・・・・!!」


それは王家親衛隊には明かされなかった、鬼教官達の涙の誓いだった。

前途ある若者達が殺されぬよう、最強の域にまで鍛え上げようとする、三老人の悲愴なまでの決意が、皆の心に突き刺さる。


「・・・・・ブライアン老・・・・・ビル老・・・・・・ボビー老・・・・・!!・・・・我々は、お三方の秘めた思いやりに気づいておりましたぞ・・・・・!!だからこそ・・・地獄の訓練にも文句ひとつ言わず、皆耐えぬいたのです・・・・・!!・・・・感謝の言葉よりも、我が身で成果を示すことが、恩義に報いることと信じて・・・・・・」


拳を握りしめ、感涙に身を震わして叫ぶマッツオの言葉に、王家親衛隊の皆が号泣する。


「・・・・・あなた方は、まさに王家親衛隊の厳父であった。我々が今・・・・一人前の騎士となれたのは、お三方のご指導の賜物であり・・・・!!」


「・・・・・じゃったら、その一人前が人前でおいおい泣くでないわ。みっともないのう。心配でおちおち成仏しとられんわい」


突然、背中に上からかけられた聞き覚えのある呆れ声に、マッツオがはっと顔をあげ、大目玉がとび出るほどに見開かれた。王家親衛隊の皆が息をのむ。


「お・・・・おお・・・・・!!」


マッツオの目から大粒の涙が零れおちる。

焔がゆっくりまわる中、白髭ブライアン、茶髭ビル、黒髭ボビーが、懐かしげに全員を見降ろし浮かんでいた。神の目のルビーは私達だけでなく、その場の全員に三戦士の姿が見えるよう、最後に力を貸してくれたのだ。


「・・・・・・じい達・・・・・・」


お父様が呆然と見上げ、言葉を失う。


「・・・・そういうおぬしこそ、泣きながらなにを言う。ははっ、それで娘御や小僧どもに説教など片腹いたいわ」


と黒髭ボビーに指摘され、茶髭ビルが激昂する。


「なにを抜かす!!耄碌じじいが!!おぬしこそ、ぴーぴー泣きべそしおって!!」


「なんじゃと!!では、どちらが正しいか、呑み比べで決着をつけようかい!!」


「やらいでか!!吠え面かいて悔やむでないぞ!!これは手つけ金じゃあっ!!」


「貰い過ぎじゃ!!お返ししてやるわい!!」


飲み比べの前に、空中でど突き合いがはじまっちゃったよ・・・・


「・・・・・幽霊になっても殴り合いしてるぞ・・・・・」


「・・・・・もともと成仏なんかしていない気がするよな・・・」


「・・・・・死んじゃってるから、永遠に戦い続けるんじゃ・・・」


「・・・・・完全に修羅界の住人だよな・・・・・・」


あまりのことに悲しみの涙が引っ込んでしまった親衛隊員達が、こそこそと囁き合うなか、

茶髭ビルと黒髭ボビーがクロスカウンターに近い形で相討ちになり、顔面を歪ませた。

幽霊って殴り合いできるんだ・・・・・・


「・・・・・これで三百六十回目の相討ちじゃ・・・・・・」


「・・・・・たわけ、耄碌、三百六十一回目じゃわい・・・・・」


二人は怯まず、再び額をぶつけあうようにしていがみ合うが、互いを見る目は笑っていた。


「・・・・・若殿、わしらは、あの世で呑み比べに忙しいゆえ、これにて。・・・・・新しい家族を大事にしてくだされ。ひとりぼっちで屋敷を眺める雪の夜はもう終わりじゃ。・・・・奥方さまとスカーレット姫様が、これからの若殿の帰る家そのものになってくださる。その温もりがある今、わしらはもうお役ごめんですじゃ・・・・・ちと寂しいですがの」


白髭ブライアンが優しく微笑む。


「・・・・・最後に、わしらの目の前で、姫様をその手で抱いた姿を見せてくだされ。それを見届けるのが、わしらのこの世の最後の務めですわ」


ブライアンの言葉に、お父様は驚いたように目を見張り、そしてひどく困惑した表情でうつむいた。


「・・・・・ブライアンじい・・・・・ぼくは・・・・赤ん坊を抱いたことがない・・・・どうやって抱けばいいのか、わからないんだ・・・・・・」


私はその一言で、お父様はお母様以外の者に愛情がないのではなく、ただ他人との距離感を掴むのが苦手なのではとふと思った。


雪の中、ぽつんと立って、家族のいる本邸の明かりを眺める幼いお父様が見えた気がした。


三戦士の記憶を共有してわかった。

幼い頃、お父様は祖父母に愛されず、表情を失った。

だが、貴族ならば家族と疎遠であることは、じつはそれほど珍しいことではない。

貴族というシステム上、そうならざるを得ないところはあるのだ。

お母様のメルヴィル家のように、親子水入らずで暮らそうとする貴族は少数派だ。

それでも大多数の貴族の子は、乳母や家庭教師のもとで普通に成長する。

なのに、お父様が無表情になったのは、実は人一倍感受性が豊かな子供で、親に突き放されたことで、深く傷ついたからなのではないか・・・・

そして、また突然裏切られることを無意識に怖れ、氷の仮面をかぶるようになり、そのまま大人になってしまったのでは。

ほんとうはとても愛情深い人間なのに、それが自分でもわからなくなっているだけじゃないのか。

お父様がお母様に病的なまでに愛情をそそぐのは、その本性の裏返しなのでは・・・・・


「・・・・ヴェンデル・・・・ほら、見て。あなたと同じ赤い髪、紅い瞳。この子はあなたの娘。だから、子供の頃のあなたがそうされたかったように、この子を抱きしめてあげて・・・・・」


お父様の横に馬を寄せてきたお母様が微笑みかける。

お母様も神の目のルビーの力で、幼いの頃のお父様の記憶を見たのだ。


「・・・・・さあ、公爵様・・・・・」


メアリーがにっこり笑い、私をお父様に向け、そっと差し出した。

馬を小舟の縁ぎりぎりまで寄せ、お父様がおっかなびっくりで私を受け取る。


やれやれ、世話がやけるよ、このポンコツお父様は。

仕方ないから、両手を広げ、抱っこしてよアピールをしてやろう。

そういえば幼いお父様も一人前アピールを全身でしていたような・・・・・

ボディランゲージをしたがるのは、まさか遺伝じゃないよね・・・・・・


「・・・・・そのまま下から手をまわして、引き寄せて・・・・・」


「・・・・・こ、こうかな・・・・・・・」


お母様の指導のもと、お父様が私の抱っこに悪戦苦闘する。


うわあ、吃驚するほどど下手くそだな。この人・・・・・


それでもなんとか私を、ぎこちなく胸に引き寄せることに成功する。


うへぇ・・・・ぐらぐらするよ。落ちる!!落ちちゃうよ!!

もっと、しっかり支えてってば・・・・・!!


私は必死にお父様にしがみついた。


「ほら・・・・・スカーレットも、こんなにあなたに抱きついて・・・・きっと、あなたが大好きなのよ・・・・・」


お母様がほほえむ。


お母様、それ勘違いですから!!


「・・・・あ、あたたかいな・・・・・・」


お父様が驚いたように目を見張る。


渾身の力でしがみついてますからね!!額に汗浮かぶほど!!


「・・・・まさか、スカーレット。この大事な場面でお漏らしを・・・・」


ブラッドが不安げに呟く。


するか!!あほお!!新生児の体温は高いんだよ!!

ほら、お父様、震えてるじゃない!!私、お漏らしなんかしてませんからね!!


だが、お父様は、わななく手で、ぎゅっと私を引き寄せた。

お母様が、嬉しそうにうなずく。


「・・・・・・これがぼくの家族・・・・・・ぼくの・・・・・!!」


私の頬にぽつぽつと温かいものが落ちてくる。この人泣いてるの・・・・

そういう感情があったんだ。意外・・・・・・


戸惑っていると、ぶわっと霧が晴れたかのように、鮮明な映像が頭の中に飛び込んできた。

見覚えのある深い森・・・・・・・

ここはお母様の実家のメルヴィル領だ。

大樹の下のお母様の墓石が見える。

まだ森のそこかしこに雪が残っている。

それでも地面からは春の新芽の緑が顔をのぞかせていた。

これは・・・・「108回」の私の記憶・・・・?


お父さまに手をひかれ、幼い私がちょこんと立っている。

お母様のお墓の上に積もった樹氷をはらったお父さまの手は、水気をふいたあとでも冷たい。

お墓に触る時、お父さまはどんなに寒くても、決して手袋をしようとしないからだ。

長い間お墓の前にひざまずいていて立ちあがったお父様は悲愴な面持ちをしていた。


「・・・・・お父さま。お父さまは、お母さまのお墓におまいりするとき、いつもあやまってばかりで、泣きそうな顔してるでしょ。お母さまを幸せにしてあげられなかったって・・・・・ねえ、お父さま、私なくなったお母さまに似てる?」


たどたどしく問いかける幼い私に驚いたように目を見張り、お父さまはしゃがみこみ、私と目線をあわせ頷いた。


「ああ、スカーレットとお母さまの笑顔はよく似ているよ・・・・」


「・・・・ほんとうに?じゃあね、私、もっとたくさんたくさん笑うね。そうすれば、お父さまも、お母さまの幸せな笑顔を思いだして、嬉しい気持ちになれるでしょ。そしたら、お父さまももっと笑えるでしょ」


小さな私はぎこちなくにいっと笑った。

乳歯の生え換わりの時期で、前歯が隙っ歯になっている。


「私と同じで、お母さまもね。きっとお父さまにもいっぱい笑っててほしいって思ってるはずなの。だって大好きな人には、誰だっていつも笑顔でいてほしいって思うもの。お父さまだって、お母さまの笑顔が大好きだったでしょ」


そのとき、お父さまは私の笑顔と重なる、在りし日のお母さまを見たのだと思う。

私を見つめるお父さまの目から涙があふれだした。


「・・・・どうしたの?私の笑顔お母さまに似てなかった?」


あわてる私にお父さまは震える手を伸ばし、引き寄せるとぎゅっと抱きしめた。


「ちがう。スカーレットとお母さまの笑顔はそっくりだよ。優しいところも・・・・そうだ。君の中にたしかにコーネリアは生きている。そして、ぼくは君の父親なんだ・・・・・ぼくはまた・・・・大事なものを見失うところだった。ぼくには君が幸せに笑えるようにする責任がある。ぼくらは、たった二人の家族なんだ。心配をかけてすまなかった」


「・・・・ううん、ちがうよ。二人じゃない。お父さまと天国のお母さまと私の三人の家族よ・・・・」


背伸びして短い手を首にまわそうとする私を片手で軽々と抱えあげ、お父さまは立ち上がった。

その力強さにきゃあきゃあ喜ぶ私に、ほほえみかける。


「・・・・・そうだ。ぼくたち親子三人はずっと一緒だ。愛しい小さなレディ。君がいつかふさわしい男性とめぐり合うその日まで、ぼくはスカーレットを守るナイトになろう」


外套についた雪を颯爽とはらって誓い、青空を仰ぐお父さまは、娘の私がどぎまぎするほど格好よかった。抱えあげ際にすっと優雅に額にキスされ、私はまっかになった。

お返しにキスしようとしたけど、すきっ歯が急に恥ずかしくなり、私は口をおさえた。

こんな素敵なお父さまの娘として、今の歯並びは近づけたくない。

私と笑顔がそっくりだというお母さまの思い出に、すきっ歯の私が重なったら大変だもの。

だから私はキスの代わりに、ぎゅっとお父さまに抱きついた。


そして、お父様はお母様のお墓に静かにほほえみ語りかけた。


「・・・・・すまない、コーネリア。あの世で君に謝るのはもう少し先になりそうだ。ぼくたちの愛する娘が立派に巣立つその日までは・・・・・君は死んでもなお、ぼくに生きる理由を残してくれたんだな・・・また来るよ。そのときも、ぼくに勇気を与えてくれ」


私達を見守るように、大樹からの木漏れ日が、やさしい風とともに頬をなでていた。


な、なにこの記憶・・・・・

あの残念公爵が、まるで私の理想の父親像みたいに振舞ってる・・・・!?

これじゃ、ただの完璧人間じゃないの・・・・オチがないぞ・・・・!!


記憶の映像に引っ張られたのか、胸が高鳴りだし、私はあわてふためいた。

鼻の奥までつんとなってくる。


気の迷い気の迷い。こんな記憶間違いに決まってる。


自らに必死に言い聞かせ、平静を保とうとする。

だが、耳の赤さまでは隠せない。

困惑する私に、ブラッド、セラフィ、メアリーが笑いかける。


「よかったじゃないか、スカチビ。親に抱きしめられる子供ってのは、いいもんだ」


「ブラッドもまだ子供でしょう。でも、よかったですね・・・・・親に愛された記憶は生涯の宝物になります。甘えるのもまた子供の仕事ですよ・・・・それは幸せなことなんです」


セラフィは少し寂しげだった。

そうか、こいつ、お父さんもお母さんも、もう・・・・・


「私でよければ、親御さんの代わりに、抱きしめてさしあげますよ」


メアリーがいきなり後ろから、ぎゅうっとセラフィを胸に引き寄せた。

背後から押し付けられたにも関わらず、セラフィの顔が胸に挟まれて埋没する。

いくらセラフィが幼児とはいえ、なんという破壊力・・・・・・!!


メアリーの奇襲を受け無言でばたばたするセラフィを見て、ブラッドが朗らかに言う。


「感動で声が出ないみたいだ。メアリーさん、もっときつく抱きしめてあげて」


「こう・・・・・・?」


メアリーがセラフィの後ろからまわした手に力をこめた。


「そうそう、こいつ、照れ屋でなかなか本心出さないからさ。これぐらい強引なほうがいいんだよ」


いや、セラフィ蒼白になってぐったりしてるんですけど!

・・・・本心どころか、魂出ちゃってない!?


「・・・・・これが、選ばれしものの実力・・・・・・!!」


お母様がご自分の胸に目を落としたあと、戦慄の冷や汗を流す。

岸辺のオランジュ商会の連中が口笛を吹き、囃したてる。


あ、私わかっちゃった。これ、毎度お馴染みの流れだ。

感動じゃなく、コメディーで最後締めるのね・・・・

セラフィのおっぱい〆で終わりというのは、ちょっと気の毒だが。


王家親衛隊員達がなぜか拍手する。

マッツオまで・・・・・・・


「・・・・・よかったですな。まずは取り敢えず、ご家族のご再会をお祝い申し上げる」


私の胸にかかっているルビーのペンダントをちらっと一瞥はしたが、マッツオはそう言って破顔した。


あ、もしかして私達公爵一家のために拍手してくれてるの。

私のあやしい変身とか眼前で見てるのに、そちらを優先してくれるのか。

ほんとお人好しの騎士集団だよ。


「・・・・・終わりよければすべてよし。これで思い残すことはないわい。・・・・・若殿、新しい家族を大事にしてくだされ。さらば、ですじゃ」


白髭ブライアン、茶髭ビル、黒髭ボビーの三人が光に包まれ、満足げに空にのぼっていく。


「・・・・・さよならは言わない。戦士に言葉はいらない。そうだったな。あの雪の日の爺達との思い出は、いつもこの胸に炎になって灯っているよ・・・・・・」


見上げるお父様は目を潤ませ、片手で私を抱いたまま抜刀した。

びっと刀身を目の前で立てる。戦士を見送る礼だ。

王家親衛隊の騎士達が一斉にあとに続く。

マッツオだけが、剣でなく拳だけど・・・・

あんた、剣使わないものね・・・・・

私も手をふってお別れのあいさつに加わった。

三老戦士を見送るお母様の頬をなぜか涙が伝い、予想外のことにお母様本人があわてる。


「はじめて見る方達のはずなのに、ど、どうして涙が・・・・・・・?」


そんなお母様を見守る三老戦士のまなざしは、まるで愛娘に対するような慈愛に満ちていた。

私はふいに、お母様が寝言で人の名前を呟いていたことを思い出した。


そういえば、あのときの名前は・・・・・・


はっと顔をあげた私に気づき、黒髭ボビーがしいっというふうに指で笑顔の唇をおさえ、茶髭ビルが悪戯っぽく片目をつぶった。


「・・・・・コーネリア、今度、語ってあげよう。あの三人のことを。ぼくに理想の男親の背中の記憶を残してくれた、勇敢な老戦士達のことを・・・・・・」


お父様がお母様にそっと語りかけた。

私を抱いたお父様の乗った白馬、そしてお母様の馬を中心にぐるりと円を描くように、騎乗した王家親衛隊が円陣をつくっていた。

上空から見れば薔薇の花のように見事だろう。

水上でも一糸乱れぬ驚異の統率ぶりに、王家親衛隊の育成に半生を費やした老戦士達は相好を崩す。


「・・・・・さあ、もう行かねば。これだけの豪の者達に見送ってもらえるは戦士の誉れ。姫様のお力のおかげで、皆と顔をあわせ、別れを告げることができる。もう思い残すことはなにもありゃあせん。晴れ晴れと旅立つことが出来ますわい」


白髭ブライアンが私達家族に笑いかける。


「皆、いつまでも達者でな。中途半端にこちら側に来おったら、あの世で血反吐はくまで鍛え直してやるわい。・・・・・・だから、わしら以上の爺になるまで、死ぬでないぞ。この愛すべき馬鹿どもが」


叱咤する茶髭ビルの声は涙でかすれていた。

親衛隊のあいだでもすすり泣きが起こる。


「姫さま、世話になりましたわい。そして姫様を頼むぞ。若き獅子たちよ。娘さんもな」


黒髭ビルの頼みに、ブラッドと意識を取り戻したセラフィが、力強くうなずき、メアリーがぺこりとお辞儀をした。


そして、三老戦士は同時に天を仰いだ。朝の光と風が交差する。


「あとを託せる若者たちがいるとは、老いたものにとって、なんと素晴らしいことか」


嬉しそうな呟きを残し、三人は風の中に消え失せた。

雲がとばされ、どこまでも続く青空が広がる。

虹がうっすらとそれを彩る。

水も少しずつ引きだした。

私達は旅立った魂たちを思い、いつまでも空の彼方を見上げていた。

たとえ朝虹が雨の前触れであろうと、私達の胸は清々しいものでいっぱいだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


月明かりのなか瀟洒なレースのカーテンが揺れる。

広大な屋敷には人の気配は少ない。

大広間で膝まずいた魔犬使いは、恐怖に全身を震わせていた。

部屋の調度品は豪華なのに、燭台がわずかなのが不自然だ。

これは数少ない住人達がそもそも夜でもともし火を必要としないからではないか。

悪逆非道な人生をおくってきた彼が、自ら膝を折らずにはいられないほどの鬼気がふきつけてくる。

ソロモンが後ろに立ったまま、三角に口を吊り上げ、くっくっと含み笑いを漏らす。

眼鏡のレンズが怪物の目のようにギラギラと光っている。

退路を断たれているようで背筋がちりちりする。


一段高くなった奥の床の藤椅子に、足をくんだ女性が優雅に腰かけている。

見事に巻き上げた髪とゆるやかな薄手の衣装の向こうに透ける肢体は、ため息をつきたくなるほど美しい。ほっそりした首筋と指先は白磁のようにあやしい魅力を放っている。

その先に視線を動かさずにはいられないまじこりを漂わせていた。

そして女性はおのれの美しさを見せつける挙措動作をよく知っていた。

男なら生唾をのみこまずにはいられないだろう。

だが、魔犬使いは、その裡に潜む桁はずれの魔性を感知してしまった。

にこやかにほほ笑む彼女からは想像もつかぬ邪悪な匂いを。


「・・・・・ソロモン。あなたの勝手な行動は癇に障るけれど、おもしろい玩具を持って帰ってきてくれたから、今回は目を瞑るわ。・・・・・魔犬達を育てあげただけあって、よく鼻のきくこと。身の程を弁えた人間は嫌いではないわ。才能以上の役を願う役者ほど滑稽なものはないもの」


上機嫌ではあるがその笑みは底知れぬ深淵を感じさせた。

魔犬使いは返事する余裕すらなかった。

喉がからからに乾き、唾も出てこない。

ここに連れてこられる前まで、女だろうと正直侮っていた。

ソロモンの言葉の端々からただ者ではないと推察していた。

それでも超人的な数々の技術をふるうソロモンのほうが難敵だろうと思っていた。

その思い込みが誤りだったと、全身を伝う悪寒が彼に学習させていた。

寒い。凍えて死にそうだ。


「・・・・アリサ。少し圧力を弱めてあげてください。あなたの本性は、彼には少しきついようです」


ソロモンが進言し、魔犬使いは目をむいた。

アリサ・・・・そうだ。

そもそもアリサという女のもとに自分は連れてこられたはず・・・・・!!

それなのに、目の前のこの女は・・・・・!


「・・・・この女は、高名な占い師の〝マザー〟のはず、そう思ったのね」


女性は愉しげににんまりと口元をゆがめ、指先を伸ばした。


「余計な詮索はしないことね。私にはあなたの考えが手に取るようにわかるの。〝治外の民〟は知っているでしょう。彼らの技を私は自在に使えるわ」


魔犬使いは喉元に火箸を突き込まれたような激痛を感じ、両手で掻き毟るようにしてのたうちまわった。

痛みのあまり声をあげられない。


「・・・・・これが血桜呪瘴のほんとうの使い方。あなたの魔犬ガルムの使ったのは贋物よ。本来は毒ではなく、痛みと筋肉の暴走で相手を封じるの。こんなふうに」


肩を砕かれたような痛みが走り、魔犬使いは絶叫した。

次に足が勝手にはねあがり、転倒した。

受け身もとれず息が詰まる。

なのに、ぴょんと身体がはねおきる。

ぶつけたところと反対側に何故か激痛が走り抜ける。

魔犬使いはくるくる独楽のように回りながら、白目をむいて喚き続けた。


「・・・・・あははっ!!素敵なダンスねぇ。ふふ、お次は高くジャンプして」


背中がみりみりと弓のように反りだし、魔犬使いは悲鳴をあげた。


「・・・・・あら、猫背も思い切りそらせると伸びるものなのねえ。人間の背筋力って結構すごいものなのよ。自分で体験してみるといいわ。ほぅら」


女が指を鳴らすと、背筋の力だけで魔犬使いは天井近くまではねあがった。

筋力の暴走により、床に激突前にすでに骨がへし折れていた。

女性は無邪気な子供のように手を叩いて喜んだ。

毒肩から床に落下し、嫌な音をたてる。

肩甲骨が砕けたのだろう。

さきほどブラッドに破壊された片腕よりもダメージは深刻だった。

なのに激痛でも、でたらめな乱舞は止まらない。


「・・・・た・・・・助けて・・・・・!!」


毒ガスにさらされたものだけが味わう苦悶に、魔犬使いはのたうちまわった。


「見事な跳躍ね。でも惜しかったわ。あと少しで天井にキス出来たのに。次はもう少し強めに行ってみましょう。みんな、そこまではがんばったのよ」


女性は思慮深げに天井を見上げる。

焼けつくような痛みの中、天井を一瞥した魔犬使いは、痛みさえ忘れる恐怖に心臓を鷲掴みにされた。

よく見ると天井には人型の染みが何か所も張り付いている。

古い血痕だ。つまり、あれは・・・・・!!


「やめろやめろ!!やめてくれ・・・・・・!!」


涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃになりながら、必死に喚いたつもりだったが、声がかすれ、ひゅーひゅーという哀れなかすれ声しか出ない。


「・・・・・ふふっ、安心して。ちゃんと届くから。あなた、お年寄りだから、少し強めにやってあげる・・・・・」


めりめりと筋肉が音をたててねじれていく。


「・・・・・ひいいっっっっ・・・・・・!!!」


「・・・・・はしゃぎすぎです。アリサ。・・・・・失礼」


打ち上げ寸前で、すっとソロモンが割って入った。

アカデミックガウンが翻ると、なにごとをしたのか、魔犬使いは痛みと筋肉の暴走から開放され、床にぶざまに転がった。魔犬使いはソロモンの足元に必死ににじり寄った。あんなに不気味に思えたソロモンが救いの神に見える。彼はエキセントリックだが、まだ意思疎通ができる。


だが、美女のほうは、こちらの思惑など気にもとめず、なにをやり出すか予想がつかない。

移り気で性根が邪悪そのものだ。


「そうね。少し浮かれているのは認めるわ。だって・・・・あのスカーレットが男の子になるのよ。どうやって言い寄ってあげようかしら。一緒にワルツだって踊れるのよ。・・・・・ああ、楽しみで眠れなくなりそう・・・・・」


遮られ気を悪くしたふうでもなく、美女は愉しげに目を細めた。


「・・・・・そのうえ、男の子と女の子の姿を使い分けるのですって。ふふっ、表情も変えるのかしら。髪型はどうするのかしら。下着は?「108回」ではなかった展開ね。・・・・・決めたわ。私は公爵邸でスカーレットと一緒に暮らすの。だって、一瞬たりとも、あの子から目を離すのが惜しくなったもの」


突拍子もないことを口にし、美女は幸せな恋を夢見るようにまぶたを閉じた。


「・・・・・・手はずはまかせたわ。ソロモン・・・・」


「・・・・・・御意に」


動ずることなく、恭しく身を折るソロモンに満足げにうなずくと、美女の姿が陽炎のように揺らぎ、消え失せた。藤椅子にはおくるみに包まれた新生児がすやすや眠っていた。幸せな夢にまどろんでいるのか、ふふという笑い声が闇に響いた。


あるじの安眠をさまたげるのを怖れるかのように、屋敷は死んだような静寂に包まれていた。

魑魅魍魎まで息を潜めているかのようだ。

梟の声ひとつしない。

冴えた月が蒼白い金属のように夜に引っかかっていた。

たのしげな赤子の含み笑いの響きだけが、夜のとばりを渡っていった。


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