第34話 よみがえった悪夢。闇を震撼させる咆哮に、勇猛な騎士たちは奮い立つのです。
私は心の中で、お母様をいじめた貴族達をこらしめてやることを誓った。
同時に王位継承戦のサバイバルレースのことを思い出す。
あのときは、お互い笑顔で挨拶しながら、水面下では殺すか殺されるかの駆け引きを繰り広げたものだ。候補者たちはほんとうに手強い相手だった。
それだけの覚悟が、遊び感覚でお母様を貶めた夫人や令嬢達にあるかどうか、レースを勝ち抜いた私が確かめてあげる。
もっとも当のお母様は復讐は望まないだろうなあ。
マッツオ隊長に過去の栄光に言及されたら、羞恥で黙り込んでしまう控え目な人だもの。
私はお母様をちら見し、ため息をついた。
弓を手にしているときは、魔犬と対面で渡り合うほど肝が据わっているんだけどな。
褒めたつもりが、かえってお母様を落ち込ませる結果になり、マッツオ隊長が気の毒なくらいあわてていた。
「いやいや!!醜態などとんでもない!!うちの連中の反応をご覧ください。十二年前の陛下のご即位の式典で、国内外の並みいるお歴々に、どれだけの感銘を奥方さまがお与えになったことか・・・・まさに我が国の誇りですぞ・・・・・・なあ、みんな」
大きな身体を小さくし、必死にお母様に語りかけている。
女性への畏敬の念を忘れない彼は、女性が傷ついたり哀しんだりするのを見るのが、ひどく苦手だ。隊長の意を汲んだ王家親衛隊が、口々に賛同の声をあげる。さすがに武辺一辺倒ではなく空気を斟酌する優秀さも兼ね備えている。
「しかしながら、いささか驚きましたな。失礼ながら、十二年前と寸分変わらぬ腕前とお美しいお姿。そして・・・・・・・」
マッツオ隊長は、崩壊してなかば瓦礫と化した公爵邸に、困惑したように目を向けた。
「お聞きしてよろしいですかな。いったい何が起きれば、お屋敷がこのようなありさまに?我々王家親衛隊は、紅の公爵殿から、奥方さまをお守りするよう依頼され、急ぎこちらに参ったのです。ジュオウダの魔犬使いというたいへん危険な犯罪者が、あなた様を狙っていると聞かされましてな。ですが、これは・・・・・」
「ご心配には及びません。ジュオウダの魔犬使いならば、既に瓦礫の下ですから。屋敷はそのために私達が自分で潰したのです」
「な、なんですと!?」
お母様の言葉を聞き、マッツオ隊長と親衛隊員達はぎょっとして目をむいた。
「隊長、こ、これを!!」
そこに、すでに哨戒にあたっていたらしき騎士達数人が、馬を並べるように蹄を鳴らして、ゆっくりこちらにやってきた。馬たちの首を締めないよう、胸に上手にロープがかけられており、その先端には2匹の獣がくくられ、数頭がかりでひきずられて後に続いていた。馬にひかれる犂みたいだ。さきほどブラッドが絶命させた魔犬たちだった。馬も騎士達もとても緊張し、しきりに後ろを気にしていた。今にも魔犬達がよみがえって襲いかかってくる気がしているのだろう。
迎える他の親衛隊が、魔犬のあまりの巨大さにどよめく。ガルムに比べれば子犬のようなサイズだが、それでも大型犬のふたまわり以上はある。
「壊された門の近辺に残された足跡と一致しました。これが魔犬・・・でしょうか」
哨戒役の騎士が緊張した面持ちで、マッツオ隊長に報告してくる。
「ふうむ。紅の公爵殿の、救援要請の手紙に同封されていた、オランジュ商会の報告書とも特徴は一致しているな・・・・・・」
報告書の写しらしいものを取り出して広げ、考え込むマッツオ隊長。
「ホアッ!?」私は驚きで飛び上がりそうになった。
今、なんて言った!?
オランジュ商会!?
なんでここにその名前が出てくるの!?
「108回」において女王の私を惨殺した、5人の勇士の一人、風読みのセラフィが率いるオランジュ商会は、神出鬼没の世界最速の帆船ブロンシュ号を旗艦として、後方撹乱と支援を繰り返し、私の軍隊を窮地に陥れた。
奴らは操船の天才だった。
海上封鎖も意味を成さなかった。
軍船の群れの中を、ブロンシュ号ただ一隻で突っきり、逃げおおせたことさえあった。
しかも非武装で・・・・もはや笑うしかない。
なんで荒れ狂う嵐の中、普通に帆船が走っていけるんだ・・・・・・
寄せ集めだった「救国の乙女」の軍、反乱軍は1枚岩ではなかった。
それがまともに機能できたのは、オランジュ商会が補給線と連絡網を一手に引き受け、繋ぎになっていたからだ。そうでなければ物資と食糧、兵の供給の遅延、各軍勢の情報伝達の齟齬で早々に瓦解していたはずだ。
さんざん私に煮え湯をのませてくれたオランジュ商会だが、奴らがハイドランジアの表舞台に上ってくるのはまだまだ先の話のはずだ。今の時点では、先代の会頭の死後の混乱を、シャイロック商会に突かれ、大幅な規模の縮小に追い込まれたため、弱小勢力もいいところだ。
会頭のセラフィも、まだ六歳ぐらいのはずであり、仮にもハイドランジアの英雄であるお父様「紅の公爵」との接点などあろうはずがない。
それがなんで!?
「あの・・・夫が、ヴェンデルが、私達を守るよう、王家親衛隊の皆様に頼んだのですか?」
お母様が戸惑いながら問いかける。
そうそう、オランジュ商会の件も気になるけど、そっちも重要だよ。
王家親衛隊が本来の任の王家護衛を離れ、公爵邸に派遣されてくるなんて普通は考えられない。王家親衛隊は王族守護の最後の要だからだ。最悪の事態には王族を無事に避難させるのが彼らの役目だ。どんなときも彼らは王家のそばを離れない。誰が頼んだって、どんなに金を積んだって、決して王宮より動かない。彼らを動かせるのは国王陛下のみだ。ということは・・・・・・・
「さようでございます。紅の公爵殿は、国王陛下に直接あなた様の保護を願い出たのです。どうかシャイロック商会の魔の手より、あなた様と、おなかの中のお子を守ってほしいと・・・任務地の遠方よりはるばる手紙をもって、ご自身の今までのご功績を担保にされましてな。もしかして、こちらがお子様ですか?」
すらりとしたお母様のおなかを一瞥し、戸惑いながら私のほうに視線を向ける。
よしっ!シャイロックの悪だくみ露見!!あいつら詰んだ!!
思わずガッツポーズをする私と目があい、大目玉をぱちくりする。
マッツオ隊長の言葉に、お母様がうなずいて
「予定日より早く出産したのですわ。娘のスカーレットです」
「早産・・・・! いや、しかし、それにしても、この成長、筋肉のつき具合は・・・今ガッツポーズまで・・・・・?」
マッツオ隊長がぶつくさ言っていたが、思考に気を取られていた私は無視した。
・・・・・功績を担保に願い出た?そんな甘いことで国王が動かせるわけがない。
マッツオ隊長は、お母様を気遣い婉曲な表現をしただけだ。
為政者達は仲良しごっこをやっているわけではないのだ。
王家親衛隊は王の権威の象徴のひとつ。
迂闊に動かせば、王の権威が軽んじられる。
さらに、今の公爵邸に介入するということは、シャイロック商会と正面から事を構えるということも意味する。シャイロック商会は貴族達に強い影響力をもつ。派兵には貴族達の反撥もあったはずだ。
それなのに国王が親衛隊派遣に踏み切るとしたら。
国王が数々のリスクも黙殺するほどのリターンがあるとしたら・・・・
うん、「紅の公爵」、お父様のたてた数々の功績への、未払いの報奨金の破棄しかないな。
幾つかの可能性を思索したあと、私はそう確信した。
ハイドランジアの国家予算を破綻させるほどの額が帳消しとなれば、国王だって大喜びで派兵の書類にサインするだろう。
しかも双方の面子も立つ。
お父様はお母様を守るために、功績を担保にどころか、報奨金そのものの受取権利を破棄したんだ。
お父様、なかなかやるじゃない。あんなぶすくれた顔してるのに。
若かりし日のお父様のファインプレーに、私はこみ上げる笑いを止められなかった。
父親が母親を救うためにすべてを投げうったというのは、貴族としては失格だけど、私的にはとても気にいった。
「オッオッオッオッ・・・・・・・・」
「声を出して笑った・・・生後ひと月も立たないお子が・・・バカな、ありえん・・・・!」
おっと、マッツオ・・・・・バレンタイン卿。
「お久しぶり」ねっ!私としたことが挨拶を忘れていました。
令嬢らしからぬ無作法でごめんなさい。
「108回」ではいつも私を助けてくれてありがとう・・・・
相変わらず暑苦しいお顔だこと。
「オアッ!」
私は片手をしゅたっと上げて挨拶しておいた。
優雅に立礼を決めたいところだけど、新生児ゆえ無理なのです。
あほのブラッドのおなかの上に寝そべったままでごめんね。
ただでさえ大きいマッツオ団長の目が驚きに皿のように大きくなる。
「赤髪・・・・・紅の瞳・・・・・!」
あれ、今ごろ気づいたの?
いつもみたく顔じゃなく筋肉や体つきばかり見てたんでしょ。
赤子体型でごめんね。でも、将来はスタイルよしの超美人だよ?
メルヴィル家の戦装束のお母様に見惚れたあと、屋敷崩壊のいきさつと魔犬二匹の死骸に驚いていた親衛隊の騎士達が、今度はびっくりして私を一斉に注視する。
よく見ると「108回」で見覚えのある顔もちらほら混じっている。
おおっ、みんな若いね!
「オアッ!オアッ!オアアッ!」
私はしゅたっしゅたっしゅたたっと手を上げ、昔馴染みたちに声をかけた。
お疲れさま。深夜手当出てる?
どっと騎士達がどよめいた。
ただし称賛でなく、どん引いてるような反応だけど。
お母様への讃美の視線と違い、なんか未知のモンスターに対する畏怖の視線を感じるんですけど。
失礼な、未来のハイドランジアの宝石に向かって。
私はウインクして魅力アピールをしておいた。
とどめに投げキッスを追加した。
目撃した全員の顔が引きつる。
魔犬の死体を見たときより吃驚してない?傷つくなあ。
「なんというか・・・・非常に表情豊かなお子様でおられますな」
汗を拭きながらマッツオ団長が騎士達の動揺を手ぶりで制する。
「うちのスカーレットは賢いので。もう言葉も理解できるし、可愛いし、控え目に申しても、ハイドランジアで一番なのではないかと思います」
お母様が胸を張って答え、私は羞恥に身悶えした。
お母様、完全に親馬鹿モードです。嬉しいけど・・・・・・・
「そ、そうですか・・・・・さすがは、紅の公爵殿と、魔弓の狩人の再来をうたわれたご夫人のお子様ですな。多少の不思議が起きてもおかしくはない、と。さて、この状況を詳細にご説明いただいて宜しいですかな。さきほどジュオウダの魔犬使いを、瓦礫の下に埋められたとおっしゃったが・・・・・・」
照れ臭さで身をくねらせている私を諦めたように見ながら、マッツオ団長は強引に話をまとめあげた。
「多少・・・・?」「多少じゃないよなあ・・・・」とひそひそ声で話し合う騎士達を一睨みで黙らせる。
うん。多少どころじゃないよね。
みんなの反応は正常だよ。
こんな新生児、異常を通り越して、超常現象に近い。
絶対忘れられないくらいのインパクトがあったろう。
その気になったら年相応の新生児の真似も出来たけどさ。
せっかく王家親衛隊が来てくれたんだ。
シャイロックの連中が今後手を出せないよう、、たしかにここに私がいたって証人になってもらわなきゃね。硬骨揃いの王家親衛隊の口止めは、さすがにシャイロックでも不可能だ。
公爵令嬢は死産だったなんて言い逃れは出来なくなる。
ごめんね。私の安全のために、みんなを利用させてもらうよ。
私が心の中で謝罪しているあいだに、お母様はマッツオ隊長に今までの死闘の経緯を淡々と説明していた。
シャイロック商会に雇われたジュオウダの魔犬使いが、今夜襲撃してきたこと。魔犬は三匹いて、そのうちの二匹がそこに転がっている二匹だということ。最後の魔犬は手に負えなかったので、魔犬使いともども、屋敷内の罠にはめて、葬り去ったということ。
さすがにブラッドの素性と「ロマリアの焔」のことは隠し、そこは破棄された地下室に溜まっていたガスに引火したせいという事にすり替えていた。
鉱山坑道などでのガス爆発事故はままあることなので、
「それにしても爆発の規模が・・・・・しかし、地下空洞が潰れれば、この大崩壊もありうるのか・・・・・」とマッツオ隊長は納得したようだった。
「では、魔犬使いともう一匹の魔犬は、屋敷の崩落に巻き込まれて生き埋めになったのですな。あなた方の武勇に心から敬意を表する。ジュオウダの魔犬使いは、大陸の強国でも手に負えなかった犯罪者だ。いくつもの騎士団や傭兵団を壊滅に追い込んでいる。それをよくぞこのご人数で」
マッツオ団長が敬意をこめ低頭する。
「体長と足裏の比率、それを残された足跡にあてはめて推測しますと、埋まった魔犬はこの二匹の魔犬の倍以上の大きさだったと思われます」
屈みこんでいろいろ調べていた騎士が、緊張した顔をあげ報告し、あちこちで驚嘆と衝撃の呻きが漏れた。
「さすがはメルヴィルの天才・・・・」
「弓の女神だ・・・・・」
「我が国の至宝・・・・・」
お母様への讃美が崇敬に近いレベルになった。
弓の達人であるお母様こそがこの奇跡的な勝利をもたらしたのだと、憧れの視線の集中砲火がはじまった。
「いえ・・・・・あの・・・・私は・・・・・」
弓をのぞいては控え目な性格のお母様は消え入りそうだった。
「治外の民」の長の息子のブラッドのことを大っぴらにするわけにもいかず、かわいそうにオロオロしている。それでも先ほどのように黙りこくってしまわず、ひきつった微笑をおずおず浮かべているのは、王家親衛隊の実直さに、少し心を開いたからだろう。
それにしてもさすがの王家親衛隊の炯眼でも、大の字で伸びている十歳ちょいほどのメイド少女が、魔犬ガルムと正面から渡り合う実力者だと見抜くことは出来ないのだった。ただマッツオ隊長だけはなにか感付いているらしく、ブラッドを見下ろし、妙に大目玉をぎらつかせている。鼻息荒く興奮し、ぶつくさ呟いていた。
ううむ胸の高鳴りが止まらぬ、とか。なんとそそる存在だ、とか。これは是非に手合わせをとか。それ傍目からだと危険極まりない性犯罪者に見えるからね!?
ブラッド、気の毒に、あんた厄介な相手に目をつけられたみたいよ。
マッツオ隊長・・・・つまりバレンタイン卿は、フィジカルだけなら、成人のあんたにも匹敵する怪物よ。「血の
彼は「108回」の私の記憶の中では、最強格の戦士の一人だ。
私の女王親衛隊も、模擬戦でまるで歯が立たなかった。
片手で人間を軽々と振り回して放り投げるんだもの。
あんなの誰もかなわないよ。ぶううんぶううんって凄い風切り音してたもの。
掴まった瞬間、急加速と遠心力で意識がブラックアウトする。
反撃なんて出来るわけがない。
おまけにマッツオの得物の鉄鎖つきの巨大な鉄球・・・・・!
あれに当たると両手剣が一撃でへし折れるんだ。
全身鎧着込んでてもビスや接合部分が無茶苦茶に潰され、まともに動けなくさせられるんだもの。もう歩く投石機と変わんない。危なくって近寄れないよ。
ちなみに女王親衛隊長に任命しようとしたが断られました。
理由は、もう体力が衰え、馬と力比べをしたら苦戦するロートルですので、だったよ。その相手って筋肉隆々の最強軍馬のドロワ種・・・・・
あんた、体力の衰えの基準がおかしすぎるのよ。
・・・・・しかも結局、死ぬまで身近で私を守ってくれたくせに。
おかしいよ・・・・・・・
なんであそこまで私に忠誠を尽くしてくれたの?
いたるところから冷酷無比な女王って嫌われて、かわいそうだったから?
私、反乱軍があんたを好待遇で迎えたがってたこと知ってるんだよ。
ブラッドもセラフィもアーノルドも、あんたを高く買っていたもの。
それなのに・・・・・敗戦が決定しても、最後まで私に義理だてしてさ。
いつも私を逃がすため、下手な言い訳しては、勝手に死んじゃうんだもの。
私に気をつかって、普段通りのでっかい声で楽しそうに笑いながらさ。
・・・・・・おかしすぎるよ・・・・笑えないよ・・・・・!!
私、あんたが逃がしてくれた壁の向こうで、声出さないようにして泣いてたんだよ。
ああ、もう!思い出したら、また涙出てきた!
「ジュオウダの魔犬使いは、我々の大切な先達たちを殺しおったのです。あだ討ちは我らの悲願でありました。酒と戦場をこよなく愛した偉大な三戦士のかたきを取ってくれたこと、王家親衛隊全員、心から御礼申し上げる」
食い入る様な視線をブラッドから引きはがすと、マッツオ隊長は深々と頭を下げた。
王家親衛隊全員が一糸乱れぬ統率でそれに倣った。
そのあとは全員が待ちかねたように、甲斐甲斐しく私達の世話焼きに熱中しだした。
「・・・・・夜風は冷えます。宜しければこれをお羽織りください」
「怪我はございませんか。少しでも痛いところがあれば、どうぞご遠慮なく」
「さあ、どうぞこちらにお座りください。幹が背もたれになりますぞ」
総勢三十人以上が一斉に話しかけるものだから煩くて仕方ない。
王家親衛隊は強さだけでなく、人間性も重視される。
欲に目がくらむ人間に、逃亡する王家を守り抜く役目はまかせられないからだ。
ただでさえ騎士道精神あふれる連中が恩義まで感じているのだから、下にも置かぬおもてなし攻勢になってしまった。
敷布代わりの外套の上に座らせられた私達に、次々にガウンがうち掛けられていく。
多いよ!ガウンでおぼれちゃうよ!
寝ている状態のブラッドなんて完全に埋没してるじゃない。
王家親衛隊は戦闘のプロだけど、介護はやっぱり素人だ・・・・・
「・・・・・オアッ!」
私はガウンの海をかきわけ、ぷあっと顔を出した。
「さあ、気つけになります、よければお召し上がりください」
小さなコップに注がれた、柑橘系の匂いがきつい酒がお母様とメアリーに差し出される。
「おまえ、それは魔犬対策に、オランジュ商会が用意してくれていた蒸留酒・・・・・」
騎士の一人が呆れかえり、軽く咎める。
なに!?それ、なに!?それ!!
もしかして、「108回」で私が大好物だったお酒じゃない!?
あのむせ返る香りが癖になるんだよ・・・・
私は興奮し、心の中の尻尾を振り立てた。
でも、対魔犬用の代物だったんだ・・・・なんか複雑。
「魔犬の動きを封じる大事なものだぞ。勝手に甕の封をあけて・・・・」
「かたいこと言うな。飲んでも美味いって宣伝されたぞ。魔犬は奥方さまが倒されたし、少しぐらいよかろう。酒も魔犬にぶっかけられるより、美人に飲まれたほうが本望だろうさ」
同朋達にたしなめられたが、酒好きらしいその隊員は笑って流していた。
お母様は気に入ったらしく、一気に飲んでしまい、親衛隊員達はびっくりした顔を見合わせた。
おお、お母様もお気に召しましたか。
相当度数のきつい酒なので、メアリーは鼻を近づけただけで、申し訳なさそうに辞退した。
「あの・・・・もう一杯いただいてもかまいませんか?」
お母様、気つけはおかわりするものではありません・・・・血筋を感じます。
「あの・・・・更にもう一杯いただいてもかまいませんか?」
三杯めに突入した!?
と、ところで私にお酒は・・・・私も未来の美女ですよ・・・・?
期待をこめたまなざしで見上げたが、乳児の私にお酌がまわってくることはなかった。
ああッ!!憎い!この赤子ボディが憎い!!
お母様もメアリーも、騎士達に寄ってたかって親切にされた経験などないため、好意を無碍にも出来ず、目を白黒させて接待攻勢を受けていた。
ぬうっとマッツオ隊長が目の前に立った。
大きすぎる影にメアリーがびくっとなる。
脅かさないでよ!あんたのでかいガウンの追加なんか、いらないからね!!
お酒ならほしいけど!!お酒くださいな!!
私は餌をおねだりする仔猫のようにせつなく暴れまわった。
「アオー!!アオオーン!!」
・・・・・ブラッドが寝てるのでつっこみ役がいない。寂しい。
「すまない。驚かすつもりはなかったのだ。これを・・・・・・」
謝りながらスカーフをメアリーに渡す。
「女性の頬はいつまでも涙でぬれているべきではない。これで涙をふくといい」
「ありがとうございます・・・・・」
メアリーがほほえんで礼を言うと、眩しげに目を細め、うむうむと頷きながら、親衛隊に指示を出すため歩み去った。
マッツオ隊長の機転を見習い、騎士の一人が私専用にガウンの一着を畳んで敷布団代わりにし、余った部分でおくるみのように包んでくれる。えらいおっかなびっくりの手つきなので、新生児を抱きあげなれていないのかと思ったが、作業を終えるなりそそくさと退散したところから見るに、違う意味で緊張していたらしい。私は憂いを含んだ溜息をもらした。どうやら印象付けをやり過ぎてしまったようだ。
「ロマリアの焔」の反応が続いていたのか、さっきまでは魔犬ガルムののみ込まれた瓦礫の山の隙間から、白煙がゆらゆら夜気に立ちのぼっていた。それも今はしんと沈黙している。
王家親衛隊に保護されたことで緊張の糸が切れたのか、お母様とメアリーはお互い寄りかかるようにして、背後の木の幹に背中を預けて眠ってしまった。二人が包まれたガウンの温もりの下からもうひとつ寝息が聞こえているので、ブラッドも安眠しているとわかる。
悪夢は終わったのだ。
みんな、お疲れ様。安らかな夢を見てね。
それじゃ、私も一眠りしよっかな。おやすみなさ~い。
・・・・・ごとんっと音がした。
私は飛び上がった。瓦礫のかけらが転がった。
崩落した公爵邸だが、外壁はさすがに丈夫だったようで、裏表の石の壁の間をモルタルと小石で埋めた複層の断面をぎざぎざにさらし、にょきにょきとそこかしこに露呈している。ロマリア風の飾り柱があちこちから突き出て、蒼白い月光にさらされている。
まるで古代の廃墟を形どったモニュメントのように見えた。
あるいは不気味な舞台のセットのような。
演劇の第二幕がはじまるにはおあつらえむきの光景ではないか。
どっと嫌な汗が噴き出してくる。
そうだ。私の知っている運命の神様はもっとひねくれものだったはずだ。
油断しているときこそ、横っつらを嬉しそうに張り飛ばしにくる。
そんなねじくれた脚本が大好きだったはず。
みんなが、ほっと一息ついているような、こんな好機を見逃すはずがない。
ばっとガウンの山をはねのけ、ブラッドが飛び起き、私は自分の不安の的中を悟った。
「やばい!!あいつ、まだ死んでない!!コーネリアさん!!メアリーさん!!起きて!!」
いちはやく危険を察知した王家親衛隊の馬たちは耳を後ろに伏せ、尾を激しく振りこそしたが、逃げずに踏みとどまった。並みの馬なら白目を見せ、騎士たちを振り落とし、火がついたようなギャロップで遁走したろう。さすがだ。騎士達なら誰もが夢見る名馬揃いだった。
「お嬢様!!」
メアリーがあわてて私を抱きあげる。
お母様が万が一に備え、弦を張ったままだった弓を手にとった。
「あいつが、出てくる・・・・・!」
どんっと瓦礫の山が突き上げられた。
巨大な蛇がのたくり、背中をぶつけているかのように、ぼこっぼこっと地表がはじけながら、その畝がどんどんと私達のほうに近づいてくる。
この敷地内にある地下空洞を使い移動しているのだ。
畝から蒸気がしゅうしゅうと噴き上がるのは、ロマリアの
地獄の炎でもあいつの息の根は止められなかったんだ・・・・・・!
「地中から来るだと・・・・・・!!化物め・・・・・・!!」
マッツオ隊長が驚きの声をあげたが、裏腹にその顔は好戦的な喜びに輝いていた。
「王家親衛隊よ!我が同胞よ!どうやら神は我らにも復讐の機会を与えてくださるおつもりらしい!恩義あるブライアン老、ボビー老、ビル老のかたきを討つときは今ぞ!!」
その言葉に事態を把握した王家親衛隊が、拳をつきあげ、おおうっと雄叫びをあげた。
隊長の命令を一言も聞きもらすまいと、その後はしんと水をうったように静まり臨戦態勢に入った。
「槍隊全員騎乗!!公爵夫人と令嬢を背後に陣を組め!!弓兵隊の射撃後、前衛突貫をかけよ!!攻撃が終わった前衛は最後尾にさがり、警護にあたれ。次に攻撃にあたる者達も同様にせよ」
なるほど攻撃の前衛と警護の後衛を、次々にローテーションさせることによって、攻撃役の気力をためる時間と、私達の安全を同時確保するわけか。
単独のガルム相手には有効な手だ。
「つまり、「あれ」を仕掛けるわけですな」
「我らの見せ場が早速まわってきましたか」
「馬も槍もいつでも研ぎ澄ましております」
嬉しそうに顔を見合す親衛隊員達に、マッツオ隊長が深くうなずく。
「水車のような連続攻撃で奴を疲労させろ!!王家親衛隊の名にかけてぬかるなよ!そして俺は・・・・・・」
全員に指示と激をとばしたあと、マッツオ隊長はにやりとし、ガントレットの拳をぎちぎちと握り締めた。
「男の最強の相棒、鉄拳で勝負である!!偉大なハイドランジアの三戦士を屠ったのだ。魔犬は俺の拳をおそれさせるほどの強者たる責任がある!!俺を失望させるでないぞ。さあ、その強さを証明してみせよ!!」
こ、こいつ、魔犬ガルムを拳でぶん殴る気か!?相変わらず無茶苦茶だ・・・・・
「もうオレはしばらく「血の贖い」は使えない。魔犬ガルムには対抗できない。不本意だけど、この旦那達にまかせるしかないな・・・・・!」
悔しげなブラッドに、マッツィオ隊長は歯をむいて笑い返した。
「まかせるのである。小さな勇士よ。魔犬ガルムとやらを接近戦で追い込んだのはおぬしであろう。強者の気配がびんびん伝わってきおる。王家親衛隊の名にかけて、ぶざまを見せるわけにはいかぬな」
隊長の言葉に、ほうっという顔をして親衛隊がブラッドを振り返る。
私達の目の前の地べたが、べきべきとひび割れながら、ぐうっと盛り上がった。
巨大な水棲生物が海底から浮上してきた様を思わせた。
まっくろな夜の地面がせりあがる。
土砂がはねあがった。
地盤を割りながら現れた怪物が、再び闇を震撼させる咆哮をあげた。
訓練された王家親衛隊の軍馬が後ずさる物凄さだった。
蒸気がぶわっと漏れ出し、胸の悪くなる臭いが押し寄せた。
魔犬ガルムの体毛は黒焦げ縮んでいた。
私達の攻撃を幾度となく跳ね返した胴甲の表面の毛皮は焼け落ち、内部の板金が所々覗いていた。
とびでた骨のように見えて不気味だった。
まるでガルム自体はすでに死んでいて、悪霊が乗り移って死体をつき動かしているかのようだった。
しかも残り火をあちこちに纏わりつかせたままだ。
転がっている魔犬二匹の死骸がぬいぐるみに思える凄まじさだった。
地獄の業火に焼かれていた化物がそのまま地上にさまよい出たようだ。
「・・・なんたる怪物・・・・三戦士は・・・・ブライアン老たちは、こいつに殺されたのだな・・・・・・!」
私達を庇う様に前面に立ったマッツオ隊長が唸る。
全身が鳥肌だっている。
魔犬ガルムが、ごはーっと息を吐きながらゆっくりあたりを見回す。
緑色の邪悪な眼光は武器を構えている王家親衛隊もまるで目に入っていないかのように通り過ぎていく。
私と目があうと眼光が爛々と輝いた。
歪ににいっと揺らめく。歯をむいて嗤ったように見えた。
おまえを喰い散らかしたいと熱い欲望を叩きつけてきた。
こいつ、どうしても私を喰らいたいのか・・・・・!!
いいよ、決着をつけよう!
こっちにも好都合よ。あれっぽっちじゃ気がすまなかったところよ。
あんたを殴り足りない連中は、まだまだたくさんいるみたいだしね。
・・・・さあ、皆の者、出番ですよ!!怨敵を討ち滅ぼしなさい!!
やあっておしまい!!
「アオッ!」
私はびしっと手を振った。
王家親衛隊のみんなが、一斉に見てはいけないものを見てしまったような顔した。
しまった、私、まだ赤ちゃんだった。女王時代のくせがつい・・・・
私はてへぺろしてその場を誤魔化した。
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