第35話 王家親衛隊突喊。そして、五人の勇士の一人ソロモンが、闇でうごめき出すのです。

マッツオ隊長の大音声が響きわたる。


「矢あ、放てッ!!」


ゆらりと動きだそうとした魔犬ガルムめがけ、王家親衛隊の矢が一斉に放たれた。

さすがの錬度で、すべての矢が狙いあやまたず魔犬ガルムに命中した。

そしてぽとぽとと地面に落ちた。

第二波、第三波と連射されたが、結果はまったく同じだった。

射手達が驚愕に目を丸くする。


だめだ。素のままでも奴の毛皮は強固だ。

携行用の短弓では威力が足りなすぎる。

あれでは何百ぺん射てもガルムにはダメージひとつ与えられないだろう。


ガルムはにわか雨にうたれたほどにも意に介さず、そのままこちらに突き進んできた。


「魔犬の狙いはうちの子です!!私は大丈夫ですから、この子を中心に戦陣を!!」


魔犬ガルムの目に矢を放ちながらお母様が叫んだ。

さすがに目への攻撃はそのまま受け止められないガルムがうっとおしげに顔をふり、矢を叩き落とす。


「目だ!!目に攻撃を集中させろ!!奥方様を援護するんだ!!」


親衛隊の矢も負けじと魔犬ガルムの顔面に集中した。


「・・・・・弓法、蛇がらみ」


六本の矢で回避不能な包囲網を形成するお母様の神業が閃いた。

王家親衛隊がほおっと感嘆の声をあげた。


だが、魔犬ガルムは大きく息を吸い込むと、地を揺るがす咆哮を放った。

怒涛のように襲いかかっていたお母様と王家親衛隊の矢が、ふくれあがる空気に押され、びりびりと震動した。それでも、ほぼ全ての矢は命中したが、ガルムの体表を貫くには至らず、あっさり弾きとばされた。。


「だめ・・・・!!矢がぶれた!!いくら至近距離でも、芯がぶれては貫通できない・・・!」


声で防御壁をつくったのか・・・・!

ここにきて怪物ぶりをさらに増す魔犬ガルムに、お母様が呻き、百戦錬磨の王家親衛隊が驚愕にどよめく。

だが魔犬ガルムにとっては相当忌々しい攻撃だったらしい。

不快そうに吠えたてると、ぐうっと身を縮めた。めきめきと筋肉が溜めをつくる。


「魔犬め!!我らをなめるでないわ!!まだ我らは最大の牙を見せてはおらん!!槍かまえ!!気合を入れよ!!あれを仕掛けるぞ!!」


不安な夜をかき消すかのように、雄叫びをあげて騎士と騎馬の一群が突撃する。

赤と青の胴甲に金色のリベットと刺繍がきらめいた。騎馬を飾る鮮やかな布がひるがえる。

マッツオの大音声の発破は、轟く蹄鉄の雷音を上回った。


「突き立てよ!!我らの騎士の牙を!!」


「「「「オオオオオオオッ!!!」」」」


応じる騎士達の叫びが猛ったどよめきの塊となり、地を揺るがす。

馬上の騎士達が槍を斜め下に一斉に下げた。


私はごくりと生唾をのみこんだ。

歩兵を心底恐怖させる、馬上の槍による突撃攻撃を仕掛ける気と悟ったからだ。

戦局を一撃で打ち崩す、その爆発的な恐怖は、味わった者でないとわからない。

もしも巨人族の戦士が槍を振るったとしたら、相手は刺されるというよりはね飛ばされたように戦場では見えるに違いない。馬のパワーと速度を十分にのせた馬上からの槍攻撃とは、まさにそれだ。

騎馬で軍を崩し、歩兵が隙間から入り込み蹂躙する。それが戦場の習いだ。

安全を期し、がちがちの鎧で防御をかためた馬上試合でさえ、骨折などざらに起き、試合後歪んだ鎧は自力で脱げなくなる。騎馬の突撃とはそれほどの威力がある。


「三戦士への畏敬の念を、一槍一槍にこめ、奴の身体に貫き通せ!!おのれがどれだけ価値のあるものを奪ったか、骨の髄まで獣に思い知らせてやれ!!」


マッツオの言葉に、王家親衛隊が、どおっと沸き立つ。

槍の根元近くの簡易式の輪が、胴甲右脇の、斜め横に張り出した滑り止めの金具、ランスレストにかちりと当てられた。ぐんっと槍が水平に持ち上げられる。


「貫け!!友の無念を晴らすために!!突き立てよ!!騎士の信念を突き通すために!!」


三騎一組の密集隊形をとった親衛隊の突進を脅威と判断した魔犬ガルムが、ゆらりと身体を動かし、攻撃をかわそうとする。


「矢は通じなくても、動きは止められます!!みなさまも援護お願いします!!蛇がらみ!!」


ガルムの回避行動をいち早く察知したお母様が、六本の矢の包囲網を射出する。

王家親衛隊の射手たちも間髪いれず指示に従った。

矢は突撃する朋友達の背中を追い越し、魔犬ガルムの目一点をめがけ襲いかかった。

魔犬ガルムが大きく息を吸い込むのを見て、お母様がさけぶ。


「今です!!突撃を!!あいつは咆哮中、その場から動けません!!」


「心得ましたッ!!」「応ッ!!」「御意ッ!!」


お母様の言葉に後押しされるように、先頭の組が怯まず加速する。

魔犬ガルムの咆哮の衝撃は、再び矢を振動させ芯をずらし攻撃を無力化させたが、さすがに騎兵の突進をとどめる威力はなかった。

お母様の狙いどおり、騎馬の速さと重量は咆哮を突破した。

矢が地に落ちるよりも早く、おそろしく速度の乗った親衛隊の三本の槍が、まともに魔犬ガルムに突き刺さった。


騎兵の錬度は横列突撃時の隙間で判断できる。

騎兵同士が密着すればするほど突撃は完璧に近づく。

親衛隊のものは接触すれすれの最上級技だった。


小さなランスレストに根元を固定された槍は、人馬の重量と速度をぶれることなく、その穂先に集中させた。三本のうち二本の槍は魔犬の胴甲にあたった。ギイインと凄絶な音がして、内部の板金と穂先の接触点から火花が飛散する。あとの一本はガルムの首筋に命中した。突撃は、頑丈な魔犬ガルムの体表を貫通こそ出来なかったが、一瞬身体を痺れさせ自由を奪うほどの衝撃を与えることに成功した。


はねとばされた魔犬ガルムの後ろには、次の三騎一組が走りこんでいた。

再び三本の槍の攻撃が突き刺さる。

吹き飛んだ魔犬ガルムの背後から、さらに違う組が襲い掛かる。


エンドレスの突き上げが始まった。

稲妻となった三騎馬ー組の騎兵達が、四方八方から交錯する。

一歩間違えば正面衝突するほどの、間断ない猛攻の嵐が閃く。

夜間それを敢行してのける度胸と技量は並みではない。


魔犬ガルムの巨躯がきりきり舞いするように宙でのたうつ。

突き上げ終えた組はまた助走するための距離を取り、再突撃の機をうかがう。

新しい組が激突するたびに火花があたりに散華する。

魔犬ガルムを玉に見立てた壮絶な玉突きが始まった。

息もつかせぬ連続攻撃に、魔犬ガルムの脚はほとんど地から浮き上がっていた。


ああ、これ、王家親衛隊が式典のデモンストレーションでよく見せてた奴だ。

実戦で使えるのか・・・・・・


「これぞハイドランジア王家親衛隊、必殺奥義、トライデント!!」


マッツオ隊長が胸を張る。


おおっ、三又の銛、トライデントね。

三本一組の槍だものね!かっこいい!!


「トライデント・・・・・らせん地獄巡り!!」


がくっときた。

前半と後半がばらばら・・・・

なによ、その二昔前のプロレス技みたいなネーミング・・・・・・


「この技に一度嵌ったが最後、敵は絶命するまで地に伏すことさえ許されぬ!!騎兵の最大速度のチャージを延々と喰らい続けることになるのである!!その攻撃の威力は、体内まで浸透しする。たとえ一撃目を耐える強敵でも、衝撃でしばらくは身体の自由は利かぬ。続く二撃め三撃めをまともに喰らい続け、やがては粉砕されること必至」


マッツオが誇らしげに胸を張る。


猪に鼻で突き上げられた猟犬が、見た目は無傷なのに、狩りの直後に急死することがある。体皮が無事に見えても、激突の衝撃が骨や内臓を損傷させる場合があるからだ。あまりに強い衝撃は体表で散らしきれず、体内に被害を及ぼすのだ。


王家親衛隊のトライデントらせん地獄巡りも同じような追加効果があるということだ。

おそるべき技だ。そのネーミングセンスも含めて。


実際魔犬ガルムは身をよじり、突き出す槍の連環からなんとか逃れようと図っていたが、攻撃を受けたあとの身体のしびれがそれを許さず、幾度も騎兵の突撃を喰らい続けた。

釣り針をはずそうと暴れ回る鮫が、水面に飛び出るたびに、銛を四方八方から投げ込まれる様を思わせた。


「すげえ!!王家親衛隊ってこんな強いのか!!オレ、「治外の民」以外でこんな強い大人達にははじめて会ったよ。あいつ、確実に弱ってきてる。いけるよ!!」


興奮して拳を握りしめるブラッド。


「いや、魔犬はたぶん熱気を吸い込んで肺を壊してしまっている。それなのに矢をずらすため咆哮など放つから、自ら呼吸器官にとどめをさしてしまったのだな。酸欠の疲労は一気に身体の自由を奪う。あれでは本来の身体能力にはほど遠いだろう。おそらく痛みを感じない化物なのだろうが、それが仇になったのだ」


マッツオ隊長は驕らず、冷静に状況を分析する。


「奥方さまはじめ、おぬし達の奮戦が奴の力を削いだのだ。我らの手柄とは思っておらんよ」


これが王家親衛隊の怖いところだ。

最強部隊なのに力に溺れ油断することがない。


「ときに小さな勇士よ。おぬし「治外の民」の宗家の者ではないのか」


失言に気付き、ブラッドが口をふさぎ、お母様がなにか言いかけたが、マッツオ隊長は笑って首を横に振った。


「素性を黙っていたいのなら、それ以上詮索はせんよ。我らは勇士を尊敬する。尊敬するものの不利益になるようなことは、断じて行わんよ」


その間も王家親衛隊の猛攻は続いていた。

魔犬ガルムはあっという間にぼろ雑巾のようになった。

あれだけ激しく動かしていた手足の動きも鈍っていく。

魔性の生気が抜け、巨大な毛の塊となっていく。

だらんと口からはみ出した舌が、槍が胴体を突くたび、揺れ動いた。

呼吸がもうまともに出来ていない。

それでもなお、王家親衛隊の槍の車懸かりは、魔犬ガルムが倒れることを許さない。

見せしめの処刑のように、倒れる前に槍で突き起こされ、ぐったりした巨躯がはねまわる。


私達の誰もが、魔犬ガルムの絶命は時間の問題だと確信していた。


「魔犬よ、我らにトライデントの態勢で待ち構えさせた時点で、おまえは詰んでいたのだ。それでも万が一ということもある。奴の死を確認するまでは、絶対に攻撃の手を休めるな。念のため、奥方さまと小さな勇士は幹の側までお下がりを。あなたは私の後ろに」


マッツオ隊長は気を緩めず、私を抱えているメアリーに背中にまわるよう促した。


「・・・・・あなたもあの魔犬になにか因縁があるのか?」


泣き腫らしたメアリーの目になにか感じるものがあったのか、マッツオ隊長は問いかけた。


「・・・・・息子を・・・・殺されました・・・・」


俯いて呟いたメアリーの頬を一筋の涙が伝い、マッツオ隊長は息をのんだ。


「・・・・すまぬ。古傷を不躾にえぐってしまったか。御詫びといってはなんだが、私の背中を殴れ」

 

私達を背後に守ったまま、マッツオはそう謝罪した。


「は・・・・はあ・・・・・」


「遠慮は無用!!早くしたまえ!!」


戸惑うメアリーをマッツオが急きたてた。


「えいっ!!」


私を両腕で抱いていたメアリーは、拳の代わりに頭突きをかました。

かなり思いきった一撃に、かすかにマッツオの巨体が揺れた。


「・・・・よい一撃だ。そしてこれは迂闊にも、哀しみを思い出させた俺のけじめよ!!」


ぼごんと凄い音がした。

鮮血が飛び、丈夫なサレット兜と巨体が揺れた。

マッツオ隊長が自分で自分の頬を殴り飛ばしたのだ。

頬の血をぐいっと拭うと、にかっと笑う。


「この痛み、数千倍にして魔犬にぶちかますと約束しよう。天国の息子殿にも聞こえるほどの威力でな。あなたに似てかわいい息子だったのだろうな。それで、我が無礼を許してくれるかな」


深く優しい声に、メアリーははっと顔をあげかけ、そして額を再び広い背中に押し当てた。


「・・・はい・・・・!お願いします・・・・・!ご武運を・・・・・!」


私を「108回」のとき、守りぬいた、巌よりも頼もしい背中がそこにあった。


「心得たッ!! その想いたしかに承った!!我が名は、王家親衛隊隊長マッツオ・ジェダイト・ノエル・バレンタイン!!女性が涙でなくほほえみを浮かべられるよう、鬼の拳にて悪魔を粉砕するものぞ!!お前達、遅ばせながら、俺も戦いに加えさせてもらうぞ!!」


マッツオ隊長の身体じゅうの筋肉がぎりぎりと膨れ上がった。


あ、あんた、徒手空拳で、騎馬の突撃のまっただなかに飛び込むつもり!?


激戦が続くなか、どこかで梟が鋭く鳴いた。

まるで誰かに報告をしようとしているかのような声だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「・・・・・さすがは王国最強の王家親衛隊。そのうえ鉄球なしとはいえ、バレンタイン卿まで参戦するとは。もはや魔犬ガルムの命も風前のともしびといったところですね」


漆黒のアカデミックガウンをひるがえし、長身の男は、すうっと目を開いた。


はるか向こうの、スカーレット達と魔犬ガルムの死闘にそう呟く。

鼻眼鏡のレンズが、奇怪な生物の目玉のように冷たく輝いた。

月夜に立つその姿は、闇の大地から生え出た人ならざるもののようだった。


「お、おまえは、いったい何者じゃ・・・・・・」


地面にへたりこんだ魔犬使いは、震えっぱなしだった。

歯の根が合わず、かすれた声を絞り出すのが精一杯だった。

稀代の犯罪者が、まるでと殺場の家畜のように竦み上がっていた。

右肩は骨折し、左肩もひびが入っている、だがその痛みさえ意識しなかった。

まるで人食い虎の口の中にいる気分だった。

本能がこの青年の危険性を告げていた。

外見はまだ成人したばかりの若造に見えるのに、まったく恐怖の底がはかれない。


青年はあわれな老人を一瞥し、興味がなさそうに黙殺し、また戦いの様子をうかがうのに熱中しだした。ポーズでなく、心底意識の外にはじきだされたと直感し、ぞっとした。


そもそも魔犬使い達が今いる場所は、崩落した公爵邸よりはるかに離れた林の陰だ。

月明かりの下では、夜目のきく魔犬使いでも、戦いの詳細な様子はわからない。

それこそ夜間の狩りに長じた梟の目でもないと、わかるはずがないのに、この黒衣の青年はまるで現場にいるかのように、状況を把握しているのだった。


爆発と崩落に巻き込まれた瞬間、魔犬使いは、突然、この眼鏡の青年に後ろ襟取られ、死地から引きずり出されて助かった。

なにが起きたか、今でも理解できない。

降り注ぐ殺人的な瓦礫と繰り返される爆発、熱の輝きと蒸気が渦巻くあの場所は、この世の地獄だった。

さしもの魔犬使いも、確定した死の恐怖に絶叫し、髪の毛は残らず白髪になった。

なのにこの青年は大人一人を軽々と肩に担ぎあげたまま、数百回以上の回避行動を一度も失敗することなく、散歩でもするかのような気軽さで死地から脱出したのだ。まるで何処にどうやって逃げればいいか、最初からわかっているようだった。荒事にはまったく不向きな服装なのに、服に焦げも破れもおわなかった。


〝しかも、あのときこいつが見せた身体能力は、あれはまるで・・・・・〟


「おや、ようやく気がつきましたか。そうです。私は「血の贖い」を使ったのですよ。あなた達を追い込んだ身体能力の強化技です。不世出の技術を再現できた自分に少々酔っていたのですがね。ブラッドはこの私の予測を上回った。まさかあの歳で「108回」の記憶もなしに「血の贖い」をやってのけるとは・・・・・!一発で酔いが醒めました。やはり彼は、スカーレットを守ろうとするときにこそ、奇跡的な底力を発揮できるようですね・・・・・「真の歴史」の彼を思い出しました」


今さらながら魔犬使いに気付いたように、嬉しげに語ると眼鏡を光らせ、ずいと青年は顔を近づけた。

青年の言葉の意味は殆どわからなかったが、自分の心を読まれたと知って、魔犬使いは心底震えあがった。


「血の贖い」と読心が出来る連中の心当たりはひとつしかない。


「おぬし、「治外の民」か・・・・・・」


ブラッドに手を出した報復で「治外の民」にさらわれたと思ったのだ。

血流を操る彼らの私刑は酸鼻を極める。殺されるならまだ幸せだ。

生き延びたなら、死んだほうがましという酷い後遺症に苦しめられることになる。


眼鏡の青年は人差し指の先を、怯える魔犬使いの額にあてた。

内緒話に大声を出した唇をとがめるようなしぐさだった。


「「治外の民」?ああ、私が復讐にあらわれたと思いましたか?違いますよ。私は「治外の民」ではありません。たしかに彼らの技は使えますがね。そもそも「治外の民」だから「血の贖い」が使えるというわけではないのです。使えていれば「108回」で、「治外の民」の里もぶざまに全滅などしなかったでしょう」


メスで切開するかのように、つうっと指を滑らせる。


「で、では何故わしを助けた・・・・・・・」


「あなたを生かしたのは、我が想い主、アリサのためです。その魔犬育成の技術を彼女のために役立ててほしいのです。アリサは現在手持ちの駒不足でして」


青年の口ぶりに魔犬使いはふるえあがった。


「アリサ・・・・・・・・」


老人は危機回避においては達人であった。

眼鏡の青年からは、同じ街にいるのさえ遠慮したい厄災を感じた。

かって紅の公爵と対峙したときも感じなかった得体の知れぬ深淵の気配だ。

さらにアリサという響きからも同等の危険性を直感した。

こんな化物が二匹もいるという事実は、彼の悪党のプライドを木端微塵に破壊した。


老人の怯えた反応に、青年は満足げにうなずいた。


「おのれの分を知る者は嫌いではありません。私があなたに力を貸せば、二年か三年で魔犬の軍勢がつくれるでしょう」


老人は、自分こそが犬として、躾中の調教師の視線にさらされている気がした。


「ずいぶんスカーレット側に戦力が集まりすぎたのでね。覚醒したブラッドと「治外の民」。セラフィとオランジュ商会。バレンタイン卿と王家親衛隊。公爵夫妻が健在、たぶんアーノルドも・・・・・さらにスカーレット自身の能力まで加わってはね・・・・・。バランスを調整する必要があるのですよ。もっともアリサは自分一人と四家の手駒だけで相手するつもりのようなので、このスカウトは私の独断です。アリサは怒るでしょうが、これも惚れた弱みというやつでしてね」


端正な青年の口元がかすかにほころんだ。


「もっとも、あなたにはなんの事かわからないでしょうね。知る必要もありません。これからのあなたは、ただ私の言うことに従えばいいのです」


指が喉元に移動し、魔犬使いの額に脂汗がふきだした。


「あなたに拒否権はありません。あなたが逃げられないように、アリサの本当の名前と出自を、特別にお教えしましょう。さて、この情報を知ったとなると、どれだけの人間から、あなたは命を狙われることでしょうね」


耳元で数句ささやかれた魔犬使いの顔色が変わる。


「馬鹿な・・・・・そんなことが・・・・鉄仮面の男は・・・・・!!」


「ほう、鉄仮面の彼を知っていましたか。さすがに裏世界の事情に通じていますね。信じられないのは当然です。だからこそ、アリサに忠誠を誓ってもらうため、わざわざ私が出向いたのですよ。暴力を信奉するあなたなら、言葉は信じられなくても、力と恐怖で従わすことはできる。こんなふうに、ね・・・・・」


青年の指先が魔犬使いの胸に触れ、すうっと奇妙な動きをした。

ぱあんと軽い破裂音がした。


「・・・・・・・ひっ!?」


「治外の民」の秘術、心臓止めをされたと悟った魔犬使いがのけぞって尻もちをつく。

顔が蒼白になり、恐怖に歪む。

青年はくすくす笑った。


「今のは脅しです。ただの躾ですよ。ですが、私がいつでもあなたを殺せるということをお忘れなく。殺されるよりは奴隷のほうがましでしょう?さて、もうひとつ脅しをかけておきましょうか」


そう言いながら、長身をかがめると傍らの樹木の幹の陰に手をまわした。

引きずり出された長い弓を見て、魔犬使いの目が驚きで飛び出しそうになる。

単弓である長弓はもちろん見知っている。

巧みに使うものは、山なり射撃で鎧さえぶち抜いてしまう。

だが、この弓のМ字に似た形状は、さきほど煮え湯をさんざん飲まされた公爵夫人の使っていたものとまったく同じだった。


「この大きさの複合弓じゃと・・・・・・・!?」


「ふふ、この弓も作成には苦労したものです。さて、ブラッドの能力の再現ついでに、アーノルドの能力にも挑戦してみるとしましょうか。「血の贖い」も鳥瞰射撃も、もはや彼らだけの世界ではない。この私の能力をもって、今から公爵夫人と王家親衛隊のお相手するのも一興ですが・・・・・・」


アカデミックガウンの袖をまくりあげ腕を露出させた。

矢をつがえ、ぎりっと弓を振り絞る。


「ここはひとつ、魔犬ガルムにもうひと踏ん張りしてもらいましょう。魔犬の「血の贖い」の実験記録がほしいのでね。発動すれば、そう長くはもたないでしょうが、どのみち放っておいても死ぬ運命の素材です。かまわないでしょう。この鏃には奇跡の薬が塗布されていましてね、それを大盤ふるまいで、魔犬ガルムの体内に注射してあげようというわけです」


眼鏡のレンズが不気味に輝き、くっくっと含み笑いをする。


「見なさい。強弓を軽々とひく私のこの素晴らしい肉体を。これは公爵夫人の弓の倍ほど力を要するのです。いいことを教えてあげましょう。私の年齢はじつはまだ十歳なのですよ。私が開発した薬と鍛練法でつくりあげた身体なのです。信じる信じないはあなたの勝手ですが」


冗談かと思ったが、笑い飛ばせない得体の知れなさがあった。

数々の犯罪の天才たちを知る魔犬使いにも、まるで底がつかめない。


「そう、人は英知でおにいさんにさえ成れるのです。自然の法則さえ覆せるのですよ」


静かに語ってはいるが、青年には抑えきれない狂気がにじみでていた。


「貴様、いったい何者じゃ・・・・・・・・」


ごくりと生唾をのみこむ魔犬使いを見降ろし、眼鏡の青年は口元を三角に釣り上げた。

ぎらりと闇で眼鏡が光る。


「私の名はソロモン。呪薬師の一族といえば、あなたにはおわかりでしょう。公爵夫人の堕胎薬、ロマリアの焔、元を正せば、すべて私達由来のものです。魔犬つくりにも随分協力しましたからねえ。今回の公爵邸の顛末には、私達も・・・・・特に私は興味津津なのですよ。人は私を禁忌の大学者とよびます。五人の勇士などと呼ばれたこともありましたねえ。いや、これは今の私とは関係ない話でしたね」


ふふっと笑い、息を鋭く吐き、ソロモンは矢を放った。

もしコーネリアがこの場にいたなら、その弓威を悟り驚愕したろう。

やや山なりの軌跡を描き、闇の向こうにぶうんと消える矢音を見送り、ソロモンはつぶやいた。


「さあ、ブラッド。この一矢が、私からあなたへの宣戦布告です。今から魔犬も「血の贖い」を使いますよ。見事試練にうち勝って、姫を守り抜き、私のライバルにふさわしい男と証明してみなさい。そして、セラフィ・・・・やっと来ましたね」


遠くを見やり、目を細める。


「妻への恋慕に狂った紅の公爵の説得が、あなたへの試験です。いきり立った公爵は大変危険な相手です。下手をうてば首が飛びます。だが、公爵の参戦なしには「血の贖い」を発動した魔犬ガルムは倒せない。公爵邸に直行すると、公爵は間に合わず、愛妻を失うことになる。さあ、セラフィ。風を読みきり、あやまつことなく、見事に舵をきってごらんなさい」


そしてソロモンは懐かしげにつぶやいた。


「・・・・・お久しぶりです。かっての友たちよ。もしあなた方が不甲斐ないと判断したら、私はスカーレット以外を即座に皆殺しにして、今度こそ彼女を自分のものにしますよ。闇のアリサ。光のスカーレット。どちらの隣にも並みの男は似合わない。あなた方の健闘を祈ります」

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