第39話 お父様のお母様への愛の深さに私はどん引きします。そしてセラフィが参戦し、運命のルビーが私達を導くのです。
潤んだ瞳で見つめ合う若き両親。
「・・・・・コーネリア、可哀そうに。身体もこんな凍えてしまって。ぼくが留守したせいで迷惑をかけた。せめて熱い口づけで、その身を温めることを許してほしい」
そう言って、とんとお母様の額に自分の額を押しあてるお父様。
それまでの死闘の緊迫感を押しのけ、恋の花が華やかに咲き誇る。
むずむずする。花の量が多すぎるよ!!
絶対これ恋愛耐性のない人間には、致死量の花粉巻き散らしてるよ。
大喜びのメアリーとは逆に、私は居心地の悪さに落ちつかなかった。
そりゃあ、もちろん私だって恋に焦がれる乙女のはしくれですよ。
「108回」でも素敵な恋愛に憧れていなかったといえば嘘になる。
女王目指すのに忙しくて恋愛してる暇なんてなかったうえ、即位したらしたで殺されちゃったけどさ。
でも、いくら恋に憧れるとはいえ、時と場合によりけりよ!!
ここはお洒落なバルコニーでも、舞踏会場でもない!!
恋って雰囲気大事だよね!?
なのに!!みなさん、周囲の素敵な景色をごらんください。
あたり一面、血の池地獄みたいなまっかな大水で水浸しです。
毒で森は枯れ、骨のような幹をむきだしの白い木々。
さらに今なら!!
いたるところに矢が突き刺さり、荊杉の残骸があちこちにからまった、奇怪なオブジェみたいな魔犬ガルムまでセットでつけちゃいます!!
わー、なんてロマンティックなお買い得!!
・・・・・って、なるかあ!!あほぉ!!
むなしい一人ボケツッコミをし、私はぜーぜーと肩で息をした。
そうでもしないと、正気を保てそうにない。
いくら久しぶりの再会を喜び合う恋人同士といっても、なんでこの二人、この地獄のような光景バックにしてラブ空間に突入できるの!?
それともジャンル異世界恋愛だと、これぐらいのバカップルは普通なのか!?
違和感を感じる私がおかしいのか!?
お、おのれ・・・・・恋愛経験がなさすぎて、尺度がわからない・・・・!
私の懊悩をよそに、二人の愛の語らいはとどまるところを知らなかった。
「・・・・・あの、あなた、せめて目を閉じて・・・・・恥ずかしい・・・・・」
「・・・・・だめだ、刹那でさえ、君から目を離すのが惜しい。恥じらうその薔薇色の頬、どこまでぼくを虜にすれば気がすむのか」
そして、お父様の唇がお母様の唇にそっと重ねられ・・・・・
わあああっ!!
この二人、ほんとにキスをおっぱじめたよ!!
後ろに魔犬ガルムが所在なげに立ってるんですけど・・・・
ガン無視ですか、そうですか。
なんかはじめて魔犬ガルムをかわいそうと思ったよ。
「きゃあああっ!!これは熱々すぎるッ!見て見ぬふりをするしかありませんね!!」
とメアリーはさっと両手で目を覆うが、その指の間は限界まで開かれていた。
なんというお約束なザルの目隠し・・・・・
そして船の棹離しちゃだめだって・・・・・・!!
むず痒くて身悶えする私に気付き、メアリーが皆まで言うなというふうに頷く。
「さてはお嬢様!!ときめいてウズウズですね!?お気持ちはわかります!!」
それ、やっぱりしっかり見えてるよね!?
ウズウズじゃないよ!
両親の濃厚なラブシーンに困惑して、もぞもぞしてるんだってば!!
「オアオアオ~・・・・・」
「・・・恋人同士って、周囲がどんな状況でも、キスに没頭するものなの?って聞いてるぞ」
ブラッドが私の言葉を訳すと、メアリーは力強くうなずいた。
「もちろんです!!恋は無敵なんです!!恋人同士のキスは、槍が降ろうと雷が降ろうと止めることはできません!!」
そ、そうなの・・・・・!?
い、いや、やっぱ、おかしくない!?
「・・・・ぼくの恋焦がれる気持ちが、少しでも君の温もりの足しになればいいのだが・・・」
ややあって唇を離したお父様がお母様にほほえむ。
二人の唇の間を光る糸がつなぐ。
「・・・・・も、もう十分ですわ・・・・」
瞼と頬を桜色に染め、お母様が頷く。お父様も深く頷き返した。
「・・・・・よかった・・・・・では、今度はぼくの渇きを癒してもらう番だ。どんなに君の潤いに焦がれていたか、その唇と舌で感じ取ってほしい・・・・・」
「ちょっ・・・・・ヴェンデル・・・・だめ・・・・・んッ・・・・!」
そして二人の唇はまた重なった。
私はなにを見せられているのか・・・・・
あ、いや、異世界恋愛だから、これで正しいのか・・・・?
あーっ!!頭がこんがらがってきた!!
「・・・・・ディープインパクト・・・・きた・・・・!!」
もうちら見を隠す気さえなくなったメアリーが感激にうち震える。
せ、せめてライトかプレッシャーにしてほしかったよ・・・・
このお母様命のお父様が、シャイロックの妾を囲った!?
ありえないでしょ!!
お母様を裏切るくらいなら、この人、自刎しかねないよ。
いったい、なにがどうなってるの?
混乱して頭を抱えかけた私は、はっとなった。
ちょっとおっ!!お二人ともイチャってる場合ですか!?
魔犬ガルムが怯むことなく襲いかかってきてますよ!
しかもお父様、お母様の腰を抱いているから片手が埋まってるじゃないですか。
そのうえ背中までむけて!!
そんな隙だらけの姿、あの化け物が見逃すわけない!
「・・・・魔犬め、今、おまえのけがらわしい影が、コーネリアの美しい影に重なった」
お父様は後ろも振り返らず棒をあげて、背後からの魔犬ガルムの牙を受け止めた。
だから、なんで片手持ちした武器で、あの化物の攻撃を受け止められるの!?
「月明かりの美に酔いしれていたのに、酔いが醒めた。・・・・許さん。よくも逢瀬の口づけを妨げてくれた。コーネリアを腕にしたぼくに勝てるつもりか。身の程をわきまえぬ化物め、傲慢な夢から叩き起こしてくれる」
ぎいんと、また固く重い音がし、魔犬ガルムが棒立ちに硬直する。
「そして学べ。コーネリアに重なっていいのは、この世でぼくだけだ。たとえそれが月下の影だとしても、な。そうだろう・・・・・・愛しい人よ」
なにを真顔でこっ恥ずかしい台詞言ってるの!?この人は!!
しかもお母様をあごクイッしてるし・・・・・・
そしてお母様もぽおっと頬を染めてる場合じゃないでしょ!!
しかし私の焦りに反し、ガルムの反撃の爪も牙もとんでこなかった。
さっきと同じだ。もう間違いない。
お父様の攻撃のあと、魔犬ガルムは行動を封じられている。
だからお父様はあの狡猾な魔犬を一方的に打擲できるんだ。
いったいなにが起きているの!?
私は驚愕で頭がしびれていた。
そのときになり、ようやく魔犬ガルムの脚にしがみついていた二人の王家親衛隊員がずれ落ちるように地面に倒れた。お父様の到着にさえ気づかないほど必死だったのだろう。
よくぞ今まで。おそるべき職業意識の高さだ。
でも、逆にそれが仇になって深手を負ってしまった・・・・・!!
「だいじょうぶ。二人とも心臓は動いている。あいつの毒はすぐに揮発するみたいだ」
二人の血流の流れを凝視し、ほっとしたようにブラッドが語り、私も胸をなでおろした。
そして、二人の健闘をよそにラブ空間を展開していたお父様。
なんか、もう、ほんとにごめんなさい・・・・・
さすがにお父様が感謝の目礼をした。
よかった。お母様しか見えてないのかと思ったよ・・・・
「二人とも見事だ。生死をものりこえる勇気。さすがは王家親衛隊。よくぞ身を盾にし、妻を守り抜いてくれた。君達への敬意もこの棍に込めさせてもらう。そこからさがれ、獣。勇士たちを足元に見下すな」
お父様が棒で払いのけると、感電したかのように魔犬ガルムが痙攣し、派手に跳ねとぶ。
無造作にしかも片手でだ。魔犬ガルムが自ら跳躍したようにしか見えなかった。
まるでブラッドの「流転」だ。
だが、「流転」と違い、これは魔犬ガルムの力を利用していない。
お父様単体の力だ。
魔犬ガルムが驚愕しているのがわかった。
あの化け物が完全に力負けし、木偶の坊のように翻弄されている。
「・・・・・愚かな獣に一方的に蹂躙される恐怖を教えてやる!!おまえが殺した子供たちの気持ちを思い知れ!!突き破る!!」
お父様の言葉にメアリーが、ぐっと私達に見えないように拳を握った。
棒の先端がぴたりと魔犬ガルムに向けられる。
風を巻いて、突きが繰り出される。
ごんごんっと鈍く低い音が続き、その間隔が縮まり、やがて一つの唸りになった。
魔犬ガルムが蜘蛛の糸にとらわれた虫のようにもがき苦しむ。
やはり反撃してこない!
いや、それどころか、少しづつその巨体の腰が砕け後退していく。
お父様の手元と握っている棒が霞む。
打突音が轟き、魔犬ガルムの身体が震動する。
目で捉えきれない凄まじい速さで棒の突きを繰り出している。
あまりに現実離れした光景だった。
棒の連打だけで魔犬ガルムの反撃を封じ、なす術も与えず、散々に打ち据える。
これがあの病弱な、咳きこんでばかりいた、よろよろのお父様!?
マッツオ隊長も人間離れしてたけど、これはもう神話の世界の住人だよ!!
海の怪物と対峙し、王女を片手で抱き寄せ、片手で剣を振りかざす白馬の勇者の伝説を私は思い出していた。
「常勝不敗の公爵」、「紅の公爵」。
戦場であまたの兵達を戦慄させたという、その通り名はまさかの真実だった。
魔犬ガルムを圧倒する強さだ。マッツオ級でもなければ太刀打ちなど出来ないだろう。
〝「紅の公爵」さまが武器を振るわれると、周囲の敵どもは紙人形のようになぎ倒されました。まるで魔法のように強者達が痺れ、動けなくなるのです。前進するだけで、敵軍の真っ只中に道を開いていく。さながら海が割れる如しでした。あの方は、一人で戦局を変えてしまう、ほんとうの英雄でしたわい〟
女王時代に耳にした、老武官達の懐かしげな与太話が、まさか事実だったなんて。
それにしても、ちょっと化物すぎない!?
これ、どういうカラクリ!?
「・・・・乗馬してる馬のパワーを、自分の身体の捩じりにためこみ、次の動作に同期させて瞬間的に爆発させてるんだ。ためたバケツの水を勢いをつけて流し、他の流れとあわせ、速度と水量を増すように」
ブラッドが唸る。
わ、わけわかんないんですけど!!
「・・・・わかりやすく言うと、馬の力を自分の身体で数倍に増幅して、相手に叩きつけてるんだ。これが父上に聞いた人馬一体の極み、戦場無双の馬闘術か・・・・!やり合う前にまず逃げろって注意されるわけだ・・・・・」
「オアアアッ!!アオオオッ!!」
お、おかしいでしょ!そのバトル漫画理論!!
私、ちっとも納得できないんですけど!!
百万歩譲って納得しても、なんであの矢まで弾き飛ばす化物犬が、打擲されるだけで、痺れて動けなくなるのよ!?
「力の伝導が桁違いにうまいんだ。骨や牙などの硬い箇所をうって、その震動で脳や神経を揺さぶる二重攻撃になっている」
名解説役のブラッドが、私の抗議と疑問に答えてくれる。。
「つまり、あの打撃を受けると、一時的に体が痺れて動けなくなるってことだよ。王家親衛隊の必殺技トライデントの、麻痺の効果をより高めたみたいな技なんだ。コーネリアさんの弓技といい、言葉を理解する新生児のおまえといい、おまえんちの家族・・・・どうなってんの」
呆れ声で言い放つブラッド。
むきいっ!!人外集団「治外の民」の長の息子のおまえにだけは言われたくはないわ!!
はい!!解説ありがとうございました!!
つまり、早い話が、お父様の攻撃には、スタンみたいな追加効果がありってことですね。
骨を使って衝撃を伝えるかあ。
肘を思い切りぶつけると、びりびりするみたいなもんかなっ。
そりゃあ、馬のパワー数倍にして振るったり、打った相手痺れさせるんだったら、戦場無双も出来るよね!!ほんと、すごいや!!
私はもう理解を放棄し、やけくそ気味に、とんでも理論を丸呑みすることにした。
結果よければ、すべて良し!!
お父様の目が暗くおそろしい紅色に燃えあがる。
宇宙の深淵を背後に引き連れた、ぞっとする夕闇の色だ。
お母様のほつれ毛をなおす優しい仕草とあまりに対極的な殺気だった。
「コーネリア、少し離れておいで」
ほほえみ、そっとお母様から手を離すと、両腕で棒を頭上に掲げ、旋回させはじめた。
「・・・・・馬闘術は知られていても、技名を知る者はまれだ。何故か、わかるか」
あっと言う間に回転速度があがり、棒は高速回転するプロペラのようになる。
「馬闘術の技を受けた敵は、ほとんどが戦場から生きて帰れないからだ。死人に技の恐ろしさを語ることは出来ぬ。・・・・・そのなかでも最強の技を受ける光栄に、震えて感謝しひざまずけ。行くぞ!!」
半透明の凶悪な円盤と化した棍が、魔犬ガルムをのみこんだ。
嵐のような連打で血の塊が飛び散る。
その血が旋風に沿って螺旋を描く。
名状しがたいがりがりという凄絶な音と風切り音が交錯する。
倒れることさえ許さぬ連撃の竜巻で、魔犬ガルムの身体が削られていく!!
「・・・・・この技を受けたものは、血と肉を撒き散らし、赤いつむじ風と化す。荒野の紅砂を巻き上げる強風になぞらえ、人はこの技を・・・・赤塵旋風と呼ぶ」
棒の回転がようやく停止したとき、魔犬ガルムは血まみれの襤褸屑と化していた。
その周囲をいまだにつむじ風がまわる。
くるりと白馬の踵を返し、お父様が背を向ける。
「・・・・・・散り沈め!!」
棍を振ると、ぴっと先端についた血糊がとんだ。
それを合図に、魔犬ガルムが全身から鮮血を噴きだし、支えを失ったかのように、地響きをたてて倒れ崩れた。
「・・・・・ぼくの本気を受け、原型を留めていることは評価してやる。貴様に美しい月夜は似合わない。化物にふさわしい闇に帰るがいい。塵は塵に。闇は闇に」
かすかに振り向き冷たく見下ろすお父様は、紅い瞳の魔王にしか見えなかった。
出鱈目をさらにぶっちぎった強さだ。
白昼夢でも見ているかのようだ。
それでも魔犬ガルムはまだ死んではおらず、懸命に立ちあがろうともがいていた。
お父様が、ほうと声をもらす。
「・・・・・赤塵旋風を受けて立ち上がれるものなど、バレンタイン卿以外にいないと思っていたが、どうやら予想以上に化物だったようだな。よかろう。ならば、今度こそ塵に還してやろう・・・・・む・・・・?」
「・・・・・貴様あ!!よくも俺のかわいい部下たちをッ!!許さんッ!!」
お父様が再度棍を構えるよりも早く、巨人が疾風のように飛び込んできた。
巌のような身体が怒りで赤鬼のように染まっていた。
全身から湯気があがっていた。
太い拳がぎりぎりと握りしめられ、太い腕が膨れ上がる。
倒れた王家親衛隊二人を見た大目玉からは火が噴き出しそうだった。
「があああっッ!!!」
背中の筋肉が盛り上がり、踏み込んだ足元がどすんと陥没する。
ようやく立ち上がった魔犬ガルムの下顎に、鬼の咆哮とともに凄まじいアッパーカットがめり込んだ。
まともに喰らった魔犬ガルムの目が、ぐわんぐわんと泳いだ。
ぐるんと白目をむき、四肢がぶわっと宙に浮き上がる。
太い鋼の指が万力の力で、宙にあるうちに魔犬ガルムの口吻を引っ掴んだ。
「・・・・・きさまはあッ・・・・・砕いて潰すッ!!」
そのまま魔犬ガルムの巨躯を頭から地面に叩きつける。
「まだまだあッ!!!」
さらに首根っこを掴んで引き起こし、何度も何度もうちつける。
魔犬ガルムをハンマー代わりに大地に穴が穿たれていく。
容赦ないごんっごんっという鈍い音がし、その度に地がはねた。
途中で枯木が爆ぜるような音が混じったのは、どこかの骨が折れたのだろう。
魔犬ガルムがぐったりしていることに漸く気づいたらしく、仁王のようだった大男の大目玉に愛嬌が戻って来た。
ばつが悪そうに手を離して立ち上がる。
「怒りに我を忘れ、一対一の戦いに割って入ってしまった。あまつさえ死にかけの相手を打ちすえるとは・・・・・俺もつくづく未熟よ・・・・」
太い声が忌々しげに吐き捨てる。
山脈のような偉丈夫がぬうっと聳え立っていた。
「ああっ・・・・・!!」
メアリーが喜びに息をはずませた。
「・・・・きっとご無事だと信じておりました・・・・・!」
感動で潤んだ瞳は、女の私が胸を突かれるほど、生き生きと輝いていた。
「・・・・・はっ、やっぱりな。あの大将がやられるもんかよ」
ブラッドがにやりと笑った。
「おーい!!騎士の大将!!心配しないでも、そこの騎士のあんちゃん達は生きてるよ!!魔犬の毒を浴びて気絶してるだけだ。毒素はもう消えてる!!スカーレットもメアリーさんも無事だ!!」
大声で岸に呼びかける。
暑苦しくも頼もしい男、王家親衛隊隊長マッツオ・ジェダイト・ノエル・バレンタインが、巨大な石像の重々しさで大地に立っていた。
マッツオ、やっぱり無事だったのね!!
私とメアリーは手を取り合うようにして喜んだ。
それにしても、マッツオを本気で怒らすと、こんな鬼みたいに怖ろしいのか。
「108回」では私が怯えないよう、なるべくそんな貌は見せないでくれていたんだ。
つくづく優しい男だよ。そりゃ、行く先々で子供達に取り囲まれていたわけだ。
「・・・・そうか、よかった。やはりあの毒の効果は長くは続かないのだな。奥方様・・・・・皆さまもご無事でなにより。そして紅の公爵殿、戦いの無作法お詫びいたす。奥方様がたも危険な目にあわせてしまった。面目次第もござらぬ」
ブラッドの言葉と周囲の様子から状況を素早く見てとり、マッツオが安堵の息を漏らしたあと、お父様とお母様に真摯な口調で詫びた。
謝ることなんかないのに、いかにもマッツオらしい律儀さだった。
こちらも彼が来てくれて一安心だ。
叩き上げの戦士だと巌の風貌から誤解されがちだが、マッツオはきめ細かい配慮が出来る理想的な貴族だ。悪いけど、見た目は貴公子、頭の中はお母様でいっぱいのお父様よりよっぽど頼りになる。
あの人じゃ、小船上の私達のことなんか頭から吹っ飛んで、お母様を白馬に乗せて寝所めざしてどっかに走り去りかねないよ。
「かしこまることはないさ。バレンタイン卿。君たち王家親衛隊が奮戦してくれたおかげで、妻の危機に間に合った。責めるどころか感謝の言葉しかない。そもそも狂った獣を討伐するのに作法もなかろう」
お父様は上機嫌で鷹揚にうなずき、お母様も涙を浮かべる。
「そうですとも!!王家親衛隊の皆様こそ、まことの騎士の鑑・・・・・!!なんと言ってお礼を申し上げればいいのか・・・・さ、大丈夫ですか?」
意識を取り戻して呻いて身じろぎだした騎士二人のもとに駆けよって跪き、泣きそうな童女の顔で背中をさする。煽情的なメルヴィルの戦衣装で屈んだので、お母様の内腿の奥は丸見えになっていた。
「だ、大丈夫であります!!」
「動けるであります!!」
低い目線的にとんでもない光景を目撃し、親衛隊員達が狼狽して軍隊口調で跳ね起きる。
突然、すさまじい殺気が押し寄せ、私達は鳥肌だった。
ごおっと冬の北風が吹き荒れた気がした。
「魔犬め!!まだ生きていたの・・・か・・?」
拳を握り、魔犬ガルムを睨みつけたマッツオが戸惑う。
見下ろすと、魔犬ガルムは舌をだらんとはみ出させ、地面に倒れ伏したままだ。
はい、容疑犬は完全に死亡しています。
そして殺気の主が誰かわかった私は、羞恥のあまり両手で顔をおおった。
「・・・・・ぼくのコーネリアが、他の男の背中を優しく撫でた・・・・!あまつさえ見たな。その聖域を。聖域守護者として、残念ながら目撃者は始末せねば」
白馬にまたがったお父様の目が、いかれた決意で暗く燃えていた。
嫉妬にとち狂って、こともあろうにお母様の恩人達に殺意をみなぎらせていた。
真紅のフロックコートを着こなした魔王が降臨していた。
な、なにが聖域守護者よ!!
そんな傾斜角三十度でまる見えになりそうな開かれた聖域があるかあ!!
私、ぜぇったいその戦衣装継承しないからね!!
この人、貴公子な見た目に反し、心が狭すぎる!!
残念ながら、じゃないでしょうが!!残念なのは、そっちのほうでしょう?!
傷つけられた部下を見て鬼化したマッツオに比べ、ジェラシーで魔王化!?
身内として恥ずかしすぎる!!
いくらお母様を愛しているとはいえ、ほんと勘弁してほしい。
「・・・・・あのさ、おまえの父ちゃん、ひょっとして、アレか。残念公爵?」
呆れ顔でブラッドが問いかけるが、私は恥ずかしくて顔もあげられなかった。
そうですよ!!図星です!!悪うございましたね!!
英雄でも残念なあの人の血が、私には半分も流れているんです!!
よもやのあほな理由で一触即発の緊迫が張りつめたが、そこは頼りになるマッツオがさらっと場をおさめてくれた。
「・・・・・紅の公爵殿。王家親衛隊の皆は、あなたと奥方さまの再会を願い、不肖ながら戦い抜きました。ご覧くだされ。部下どもも遅ばせながら、馳せ参じました。途中であなた様に飛び越えられた恥を忍んで申し上げます。・・・・・・ここはひとつ、奥方さまと幸せな抱擁をして見せ、我らを安堵させてはいただけませぬか」
マッツオの言葉の途中でたくさんの蹄の音が轟く。
崖が崩れ落ちて斜面になったところを、鮮やかな青赤の布をたなびかせて王家親衛隊の騎馬たちが駆けおりてくるのが見えた。統制のとれたその動きは、祭典の行列のように美しく、彼らの技量を誇示していた。やっぱり皆も無事だったんだ!!
「欠損者なし。さっすが」
人数を素早く確認し、ブラッドが嬉しそうに賞賛の口笛をふく。
私は事情を察し、ため息をつきたくなった。
心配して私達のもとに急行してくれていた王家親衛隊を、お父様は白馬で跳躍し、追い越したんだ。
この国最強の騎士団相手にそんな離れ業やってのけるなんて、完全に人間やめてる。
それにしても、なに!?この過剰戦力大集合!!
魔王のお父様、鬼のマッツオ、最強の騎士団、神域の射手のお母様、武の天才児のブラッド。
・・・・・下手な城ならすぐ陥落できそうな豪華メンバーだ。
この面子が揃ったら、魔犬ガルムが生きていても、千に一つも勝ち目はなかったろう。
「ささ、奥方さま、皆が駆けつけてまいりました。お早く」
「我らはもう平気ですので、お二人の仲睦まじい御様子がなによりの褒美です」
親衛隊の二人の騎士も空気を読み、手を触れないように気をつけつつ、お母様を促す。
変な父親で気苦労かけます、ごめんなさい・・・・・
「・・・・さすがはハイドランジア王家親衛隊。華実兼備のまことの騎士達だ。さあ、コーネリアおいで。彼らの気持ちに応えてあげよう」
すっかり機嫌を直した馬上のお父様は、おずおずと歩みよるお母様に満足そうに頷く。
お母様は私達の小船のほうをしきりに気にしていた。
「・・・・・あの、ヴェンデル、あの小船に・・・・・」
「そうだ。君を抱き上げる前に、この魔犬が本当に死んでいるか確認しておこう」
お父様はそう言うなり、ぐるんと手にした棍を一回転させ、横たわった魔犬ガルムの地面側の片耳をずどんと突き潰した。
「・・・・・ふむ、やはり死んでいるようだな」
ぶちぶちと耳を捩じりちぎり、魔犬ガルムが動かないのを確認し、後ろ手で棍を鞍の後ろに立てかける。
胸が悪くなる残酷な生存確認方法にお母様が蒼白になっていた。
怖いよ!!この人!!
この血が私にも流れていたら、そりゃあ「108回」で冷血女王と懼れられるわけだ。
ちょっと落ち込んだよ・・・・・
「さあ、コーネリア、話があるのなら、馬上で聞こう」
「娘のスカ・・・・・あ・・・・!」
みなまで言わさせず、両手を差しのべると一気に抱えあげ、自分の前に横乗りに座らせた。
「・・・・・もっと身をひねってごらん。密着してぼくの肩に片手をかけて・・・・そうしないと抱き合う形がとれないから・・・・ああ、服の上からでさえ、君の背中のラインは美しい・・・・・」
「ヴェンデル、待って!!大事な話なの!!あの小船に・・・・・・」
「近づいてくる馬の蹄の音でよく聞こえない。もっと頬をくっつけるようにして話しておくれ。ほら、もっと身を寄せて・・・・・互いの息が吹きかかるくらいに。二人きりで愛を語らうときのように・・・・・」
横肩をお父様の胸板にあてる形になったお母様の腰に手をまわし、お父様が耳元でささやき誘導する。
言動が矢継ぎ早すぎて、お母様は私のことを語る間も与えられなかった。
「・・・・・おまえの父ちゃん、コーネリアさんのことしか頭にないのか。オレ大声でおまえのこと呼びかけてやろうか」
さすがに気の毒がってブラッドが声をかけるが、私は必死にかぶりを横にふった。
あんな恋に狂った人間に水差したら、ろくでもないことになるに決まってる。
うん、さわらぬ神に祟りなし!!
マッツオがお母様の膝にさりげなく外套をかけ、聖域をガードする。
ちょっと、その気づかいできる爪の垢、お父様に煎じて飲ませてやって。
「奥方さま、これはとりあえずことが一段落してからですな。某におまかせあれ」
とマッツオが苦笑してお母様に語りかける。
「ことって・・・・なにごとでしょう!!胸が高鳴ります」
メアリーが期待に目を輝かせる。
いや、思ってるような恋愛イベントじゃないと思うよ・・・・・
到着してずらっと整列した王家親衛隊に、マッツオが大声で命令する。
「紅の公爵様とその奥方様のご再会をお喜び申し上げる!!ご夫婦に、永遠の愛と祝福あれ!!全員、槍かまえ!!交差!!」
隊長同様空気を読める隊員達は、疑問ひとつ口にせず馬を進め、向き合った二列にぴしりと綺麗に分かれた。馬たちもおすまし顔だ。
「「「永遠の愛と祝福あれ!!」」」
親衛隊全員が騎乗したまま、きちっと槍を斜め上にあげると、斉唱する。
穂先が峰の頂点で×の字に交わる槍の三角トンネルが出来た。
槍々の先端真下にはハイドランジアの飾り国旗がはためいている。
お母様はまっかだ。そして私もだ・・・・!!
このトンネルくぐれっての!?
いや・・・・騎士団が仲間の結婚と門出を祝福して、この儀式やるのは知ってるよ!!
でも、目の前に魔犬ガルムの死体が転がってるんですけど!?
なんなの!!このホースウェディング状態は!!
またしても、まさかのメアリー大正解!!
親衛隊のみんなも真面目くさった顔しちゃって!!
ブラッドの唖然とした顔を見るのがつらいです・・・・・!!
顔から火が出る。
「これはまさしく白馬の王子様に抱えられてのバージンロード状態!!女の子の憧れです!!これからお二人の仲睦まじい新婚生活がはじまるのですね!!奥様、いつまでもお幸せに」
涙ぐむメアリー。だから結婚式じゃないって!!
新婚もなにも、ここに私という愛の結晶がすでにいるでしょ!?
で、お父様はというと満悦げに深く頷き、お母様を抱きあげたままトンネルに馬を進めようとした。
「ありがとう。王家親衛隊に永遠に栄えあれ。ぼくもコーネリアを永久に愛し続ける。さあ、愛しい人よ、ぼくらの家に急ごう」
英雄の皮かぶったあほでしょ、この人・・・・・・
屋敷も敷地も壊滅してるんですけど・・・・・・
その背にマッツオが追加の言葉を投げかける。
「・・・・そして、御令嬢のスカーレット様のご誕生も、心よりお喜び申しあげる」
絶妙のタイミングだった。お父様の馬がぴたりと止まった。
「ぼくの娘・・・・・・・・!!」
はっと池の上に浮かんだこちらの舟のほうを振り向く。
この残念公爵、生まれたばかりの娘のことは本当に頭から消し飛んでいたらしい。
さっき乱入してきたとき、母の愛は・・・・とか口上述べてたくせに、これだよ。
「・・・・・さて、頃合いですね。さあ、私達もみんなのところに戻りましょう。お嬢様のこともお父様に祝福してもらわなきゃ」
さっきまでのはしゃぎようが嘘のように、メアリーが微笑むと岸に船首を向ける。
「ちぇっ、こうなるって最初からわかってたのか。大人のこういうとこ、かなわないよな」
ブラッドが髪をがしがし掻いてぼやく。
「ふふ、あの優しいマッツオさまが、お嬢様のことをほおっておくわけがないでしょ。そのうちタイミングを見計らって必ずご報告くださると信じてました。すてきな大人というのは、そういう気配りが自然に出来るんですよ」
うちの残念貴公子のお父様も一応大人なんですけどね・・・・
「待ってください!!その小船!!戻っては駄目です!!大水がきます!!岸の皆さんも、出来るだけ崖側に寄って!!」
突然、凛とした子供の声が響きわたり、私達の動きを止めた。
よく通る男の子の声だった。
誰!?今の!?
王家親衛隊の皆も呆気にとられている。
公爵邸の夜の敷地内で、しかも大水で池があふれかえった非常時に、響き渡る子供の警告・・・・
あまりに不自然だった。。
あ、私とブラッドも子供か・・・・・・・・
蹄の音が崖の上からした。
明らかに騎士ではない一団が、馬であわただしく斜面を駆け降りてくる。
目立った武装はしていない。
みな見事な馬術だったが、服装や日に焼けた肌に、私は海のにおいを感じた。
私達に叫んだ幼児は、先頭の馬に、大人と二人乗りをしていた。
屈強な船乗りを形にしたような青年の前の鞍に、ちょこんと腰掛けていた。
オレンジ色に近い明るい茶髪が印象的だ。少し癖っ毛がとび出ている。
長い前髪で目は隠され、表情はわかりづらい。
大きく袖を折った金糸飾りの赤いジャケットは膝丈ほどもあり、クラヴァットの白色が胸元で揺れている。ブーツのサイズはぴったりだが、ジャケットは大きすぎるらしく、袖から手が隠れたり出たりしている。
たぶん五、六歳くらいだ。まるで仮装舞踏会に出かける子供の格好だ。
けれど彼にはその服装が、身体の一部のようによく似合った。
着慣れた雰囲気があり、滑稽さでなく、ある種の威厳まで漂わせていた。
そして私はその幼児にも、そして後ろの船乗りの青年にも見覚えがあった。
私はがたがた震えだした。
対魔犬用の酒でオランジュ商会の名が出たときから、悪い予感はしていた。
「子供・・・・?」「・・・・・何者だ?」
訝しげにざわつく王家親衛隊に、お父様が静かに答える。
「彼はセラフィ。嵐の海をブロンシュ号で突っ切って、ぼくを送り届けてくれた恩人だ。魔犬に殺された父の仇を取るため、ぼくたちに協力してくれている」
「ほう、それは見あげた心がけ。なるほど彼が・・・・オランジュ商会の。こちらも今回の魔犬の件では世話になりました。あの齢でたいしたものだ」
マッツオが感心する。
ブロンシュ号・・・・・忌まわしい名前に私は蒼白になった。
ごうっと風がふき、幼児の前髪をはねあげる。
額の大きな傷と激情にきらめく緑の目が見えた。
「ホギャアアアアアアアッ!!」
やっぱりかあっ!!私は絶叫した。
溺死!!転落死!!圧死!!打撲死!!刺殺!!斬殺!!その他あわせて十三回!!
「108回」の人生で私がこいつに殺された回数だ!!
最後の瞬間の恐怖と激痛が、稲妻のように頭を焼く。
セラフィ・オランジュ!!
世界最速の帆船ブロンシュ号を率い、私の女王軍と、人生を滅茶苦茶に翻弄し、かき回したオランジュ商会の会頭!!風読みのセラフィ!!五人の勇士の一人!!
こいつのサポートがなければ、私は反乱軍になんか遅れをとらなかった。
どうして、この時点で、あんたがここにいる!?
あんたらがハイドランジアに拠点を移すのは、もっと後のことでしょうが!!
私はわなわな震える指で、セラフィ・オランジュを指差した。
「お嬢様、そんなに興奮して。お父様に会えるのが、よほどうれしいんですね」
勘違いしたメアリーが私の手を取ると、公爵様ー、お嬢様はここですよーと言いながら、可愛らしく手を振らせる。
ちがうよっ!!私の不倶戴天の敵が現れたんだって!!
おい、こら、セラフィ!あんたもなんで照れながら手を振り返してんのよ!!
死んでも、あんたなんかに愛想ふりまいてやるもんか!!
まったく、お母様が助かったと安心したら、次から次に厄介ごとが・・・・・・!!
あほのブラッドはともかく、私は五人の勇士にも、「救国の乙女」ことアリサにも、金輪際かかわらないと決めたの!!
今生では、女王めざすどころか社交界にもまともに顔出さないつもりなの!
歴史の表舞台になんか絶対立たないんだから!!
引きこもりが女王になんてなるわけないでしょ!!
女王にならなきゃ、圧政もへったくれもない。
私を殺さなきゃならない理由なんて生まれない!
見よ!!この完璧な理論武装!!
なのに、なんでそっちから近づいてくるの!!
あんたなんか、お母様とのラブ空間を妨げられたお父様の怒りを買い、とっととこの場から追い払われてしまえ!!
だが、私の希望に反し、お父様は追い払うどころかセラフィの肩をもった。
「セラフィ君の言葉は、誰よりも信用できる。このぼくの名にかけて保証する。全員、彼の指示に従いたまえ。文句のある者はぼくが相手になる」
「・・・・・擁護していただき、心より感謝いたします」
頭を下げるセラフィに、お父様は親しみをこめた笑みを向けた。
「礼を言うのはこちらのほうだ。君のおかげでもっとも大切な人を失わずに済んだ。君は商人にとってもっとも必要な信用を、身体を張って見事に示してくれたのだ。これからも、ぼくに出来ることはなんでも協力させてもらうよ」
ちょっ・・・・!お父様、なんでセラフィなんかと修好条約結んでんの!?
国交断交を要求します!!私、
「オアアアッ!!!オオオッ!!」
「い、いったん離れましょうか。お嬢様」
怒り狂う私をなだめるように、セラフィの指示に従い、メアリーが舳先の向きをかえる。
そして再び岸から離れた小船の上で、すぐに私達は恐怖に目を見開くことになった。
陸地にいた全員が崖の際まで避難を完了するとほぼ同時に、おそろしい地鳴りのような音が近づいてきた。池の水が激しく揺れ動く。
水の嵩がぐうんとあがった。
生き物のように膨らみながら、水流が押し寄せてくる。
一面水没した中にのぞいていた厩舎の屋根や池のほとりの木々の頭が、波頭に巻き込まれ、一瞬浮き上がるようにして、次々に大水のうねりに呑み込まれていく。
濁流の悪魔が荒れ狂い、耳を聾するほどの粉砕音と水音が雷のようにあたりを圧する。
「うおっ!?」「オアアアッ!?」「きゃあっ!!」
私達の小船は嵐の中の木の葉のようにきりきり舞いした。
必死に船べりにしがみついて耐える。
大波に比べ、小船はあまりにか細い命綱だった。
岸の皆が無事か確認しようにも、身を起こすことさえままならない。
大きく波立ちながらすべてを押し流そうとする奔流と飛沫で視界が埋め尽くされる。
「・・・・・だいじょうぶ!!みんな無事だ!!」
ブラッドががばっと身を起して明るく叫ぶ。
幸い鉄砲水は一回きりだった。
獲物をとらえそこねた波が舌打ちするように弾けながら、地面から離れていった。
大うねりが過ぎさり、その向こうの波間から皆の姿が現れた。
肩を寄せ合うようにして崖の真下と斜面に詰めていたおかげで、全員が助かっていた。
飛沫でびしょ濡れにはなってはいたが、幸い馬も含め、波にさらわれたものはなさそうだった。
悔しいが、セラフィの忠告のおかげだ。私は大事な人達を誰も失わずに済んだ。
だが、当の功労者のセラフィは血相を変え、傍らのマッツオに食ってかかっていた。
「だから!!早くボクをあの小船めがけて投げてくださいって言ってるでしょう!!バレンタイン卿の腕力なら、ぎりぎり届くはずです!!」
あいつ、なにを言ってるんだ!!
こんな濁流と木材や尖った木がぶつかり合う危険水域の上を投げ飛ばしてくれ!?
しかも目標はこんな小さな小船!?
ちょっとでもやりそこなえば、落水しての溺死確実じゃないか!!
「か、会頭なにを!?」
「いくらなんでも自殺行為でさ!!やめてくだせえ!!」
「離せ!!時間がないんだ!!止めるな!!」
必死に止めるオランジュ商会の連中と、とんでもない依頼に目を白黒させているマッツオが、続くセラフィの言葉で凍りついた。突然の押し問答に唖然としていたその場の全員、そして私達も含めてだ。
「わからないのか!!奴が!!あの魔犬が!!波にさらわれるふりをして、あの小船に向かったんだ!!あいつはまだ死んじゃいない!!ボクが行かなきゃ皆殺しにされるぞ!!」
次の瞬間、凄まじい衝撃が下から船を見舞い、私達は船ごと宙に突きあげられた。
「しまった!!」
「オアアアアッ!?」
ブラッドの腕から私の身体がすっぽ抜け、空中に投げだされた。
ブラッドが必死に手を伸ばす。私も懸命に掴み返そうとした。
その間を引き裂くように、まっかな水面がせり上がり、魔犬ガルムが飛び出してきた。
吊り下げられた肉塊に食いつくワニの垂直ジャンプを思わせた。
こいつ、お父様とマッツオが揃った時点で、手負いの身では勝ち目がないと判断して、隙をうかがうために、耳を潰されても死んだふりを貫いたんだ!!たぶん手足をもがれても同じ事をしただろう。
自分の身体も平気で使い潰すそのおぞましい狡知にぞっとした。
断じて動物のとる行動ではない。
悪霊かなにかが取り憑いてるんじゃないか!?
「邪魔だ!!どけよ!!」
ブラッドが怒声を放ち、私に襲いかかった魔犬ガルムの鼻面を蹴りのける。
支えのない宙にあった巨体が、斜めに傾ぎ、水柱をあげて水没する。
「お嬢様!!」
落下する私に、メアリーが全身を乗り出すようにして両手をさしのばす。
船べりから飛び出すこともいとわない全速力だった。
その指先は私をかすめたが、無情にも産着の表面をすべってすり抜けた。
「スカーレット!!」
ブラッドが悲痛な叫びをあげた。
お母様の悲鳴とメアリーの絶叫がそれにかぶった。
落水の衝撃とともに、私は渦巻く濁流の真っただ中にのみこまれた。
まるで洗濯機に放りこまれたようだった。あぶくの音と水圧にかき回され、意識がふっとびそうになる。
新生児はたしか自然に泳げたはずという私の一縷の望みは、自分の上下さえも掴めない奔流の前で、ずたずたに押し流された。
ごんごんと処刑装置のようにぶつかり合う流木の隙間を流れる私は、マシュマロのようにもろい存在だった。挟まれれば肉片も残らないだろう。
さらに濁流の向こうから迫る、隻眼を赤く輝かせた巨大な魔影を見て、私は死にとらえられたことを悟った。
諦めるのは性分じゃない。
でも、身動きさえままならぬ濁流のなか、孤立無援で魔犬ガルムに捕捉されては、さすがに私に助かる術はない。
恐怖はすぐに通り過ぎた。
「108回」で何度も殺された私にとって、死は昔なじみの悪友だ。
ただみんなに申し訳ない気持ちと寂しさが胸に広がる。
ごめんね、みんな。ここまで守ってもらったのに。
私ね、ここで終わりみたい。
お母様、メアリー、今回の人生で私ははじめてお母さんの愛情を知りました。
しかも二人分も。
とっても温かくて、照れくさくて、そして幸せでした。
それだけで生きた価値はありました。
ほんとうにありがとうございました。
お母様、お父様と再会できてよかったね。
いつまでも仲良くね。
お父様の熱愛ぶりなら心配ないか。
いつか私の弟か妹ができたら、おねえちゃんがいたって教えてくれたら嬉しいな。
そして家族みんなでいつまでも仲良く暮らしてください。
メアリー、私の大切な家族をおねがいね。
もちろんメアリー本人も絶対幸せにならなきゃダメだよ。
さようなら、私のもう一人のお母さん。
それとブラッド、散々憎まれ口叩いたけど、あんたにはほんと感謝してる。
ふふ、私が水に落ちた時、あんな泣きそうな顔しちゃって。
お人好しも過ぎると人生不幸になるよ。
でも「治外の民」の里を焼き討ちした私は、今回はいなくなるものね。
きっと幸せな人生になるよ。そう祈ってる。
昔あなたの居場所を奪ってごめんね。ほんとうにごめんなさい・・・・・
そして私の意識は闇におちた。
〝・・・・・・いいえ、あなたは終わらない。ここにはまだセラフィがいる。思いだして、セラフィのことを。そして呼んで、本当の彼を。そこに水と風と船がある限り、セラフィはきっとあなたを救いだしてくれる。だって、いつだって、そうだったもの〟
誰かが優しく私の心に語りかける。
語る声から、セラフィに寄せる愛情と信頼が感じられた。
でも、セラフィって・・・・よりによって、なんであいつが!?
救われるどころか、私、足元すくわれて、何度も殺されたんですけど!?
猛抗議しようとした途端、わっと頭の中に、まばゆい景色がとびこんできた。
風が流れる。潮のにおいのする風が。
青い波がきらめき、水平線が丸みを帯びる。
雲のたなびきさえ置き去りにするように、純白の美しい帆船が海上を疾走する。
海面を滑るように進むさまは心が躍る光景だった。
私はその船尾の最後部甲板の上にいた。
風にあおられる髪をおさえる頭上で、白い帆が音を立てて風をはらむ。
おろしたてのシーツを一斉に干しているようだと私は思った。
遮るもののない海上の太陽の輝きは、お洗濯日和を連想させたからだ。
すべての帆を張って走るこの船は純白のドレスをまとう貴婦人のように美しかった。
そして船乗りのみんなも、この船を心から誇りに思い、愛していた。
陽気で人懐こかった彼ら。私を見る目は、仲間に向ける友愛にあふれている。
その輪の中はいつも心地よかった。
・・・・って、ちょっと待って!!なんで、こんな記憶が!?おかしいでしょ!?
だって、この船って、どっかで見たことあると思ったら・・・・・・
女王の私を追い詰めたあの忌まわしい船、ブロンシュ号じゃない!!
それに私を取り囲んで親しげに笑いかけてくるのは、宿敵オランジュ商会の連中!!
これって、もしかして「108回」の私以外の私、正体不明のアンノ子ちゃんの記憶!?
おまけに私に手を差し伸べ、優しく話しかけてくるのは・・・・・
「・・・・・スカーレット。困ったときは思い出して。このブロンシュ号はあなたの家、オランジュ商会のみんなは、あなたの家族だ。ぼくは家族を決して見捨てない。だから、たとえ世界中を敵にまわしても、ぼく達は・・・・・あなたの味方だ」
海の日差しの中、やわらかにセラフィ・オランジュが笑っている。
不世出の船乗りにして、大商会の会頭。
海の大提督とあだ名される航海の天才。
なのに少年のひたむきさと優しさが時々のぞく。
私はそんな彼の屈託ない笑顔が大好きだった。
懐かしさで胸が痛い。わけがわからず涙がこぼれそうになる。
私にこんな出来事があったはずないのに。
あいつは私を何度も殺した、憎むべき仇のはずなのに。
でも、今、私を見ているセラフィの眼差しは、どこまでも優しい
新緑がお日様に輝くまぶしい色だ。
オランジュ商会の皆が私に向ける笑顔も底抜けに明るい。
「・・・・・スカーレットのお嬢、うちは大家族ですぜ。大きな悲しいことは分け合えば、ちっぽけになる。小さな楽しいことは一緒に馬鹿騒ぎして、さらにバカでかく楽しみやしょう。この海に比べりゃ、どんな悩みも、ちんまいもんでさ」
日焼けした顔で航海長が豪放に笑う。
セラフィが頷く。
「・・・・・世界は広い。たとえこの大陸の国すべてがあなたの敵になっても、新天地は無限に広がっている。そして、このブロンシュ号に追いつける船は存在しない。オランジュ商会以上の船乗りたちも存在しない。ぼくたちを押しとどめることは、世界中の誰にも出来やしない」
そしてセラフィは跪き、私の手を取り、恭しく手の甲に口づけた。
「・・・・だから、本当に行き場を失ったときは、どうかぼくに攫われてやってほしい。遠慮なく助けを求めてほしい。そこに水と風と船がある限り、ぼくはあなたを守るため、何処にだって駆けつける。そして望む何処にだってたどり着いてみせる」
「・・・・・随分まわりくどいプロポーズですなあ」
「さすが会頭。この不器用な口説き文句は、当分酒の肴になりますぜ」
「馬鹿野郎。今のが会頭流の風流ってやつじゃねえか」
「まあ、ブラッドの旦那を筆頭に、ライバルは強敵揃いだ。一朝一夕にはいかねえって」
息を殺して聞き耳をたてていたオランジュ商会の面々が一斉に茶化し、囃したてる。
彼らは、愛する自分達の会頭をからかうチャンスは決して見逃さないのだった。
「お、おまえたち、なにを・・・・・・・!!」
いつも冷静なセラフィが、周章狼狽して耳までまっかになっていた。
その彼らしからぬ慌てぶりに、私もつい吹きだしてしまう。
おかしくって、嬉しくって、その優しさに涙が浮かんだ。
私の涙にさらにセラフィが慌てふためくが、思いやりが嬉しかったからと伝えると、照れながら安堵の笑みを浮かべた。
オランジュ商会の皆が、どっとわきたつ。
明るい彼らとともにいると心が安まる。
私達をのせ、輝くように白いブロンシュ号は海を行く。
幸せなあたたかい記憶。
なのに・・・・・・・
胸が張り裂けそうな悲痛とともに、残酷な結末の記憶がなだれ込んでくる。
セラフィの身体がゆっくりと海中を沈んでいく。
鮮やかな衣装がゆるやかにたなびく。
眠っているように穏やかな死に顔だった。
満足げなほほえみが口元には浮かんでいた。
私が大好きだったその笑みは、けれど私に向けられることは二度とない。
深く優しい
海峡を埋め尽くした艦隊が、炎を噴き上げ、次々に海中に没していく。
まるで雲間から差し込む光のように、炎の色がセラフィを照らしだす。
不世出の天才は、私を守るため、海戦史に残る奇跡の勝利を成し遂げ、その生涯を終えた。
私がセラフィの気持ちに答えを出す前に、手の届かない海の果てに旅立ってしまった。
世界最速をうたわれたブロンシュ号も、乗組員の皆もセラフィと運命をともにした。
セラフィ達だけじゃない。みんな、みんな・・・・・・!!
みんな、私を守るために・・・・・!!
私を愛してくれた人達は、誰一人生き残らなかった。
私の本当の望みは勝利なんかじゃなかったのに。
みんなと笑い合える未来がほしかっただけなのに。
涙が止まらない。
アンノ子ちゃんの哀しみと後悔と絶望が、私の心を焼く。
これが、もう一人の私、アンノ子ちゃんの心の痛み。
自分を愛してくれた人達が次々にいなくなっていく苦しみ。
代わりに自分が死ねばよかったと、何度も繰り返された慟哭。
自分よりも大切な、守りたい人達が、逆に自分を守るために、笑って散っていく。
雨にうたれていることも気づかず、立ち尽くし、流し続けた涙・・・・・・
そして・・・・彼女は、愛する人達すべてを失った。
気がつくと、私の目の前に、腰までの赤い髪をなびかせた女性が立っていた。
穏やかだが強い意志がこもった紅い瞳がきらめく。
でも、その目の奥に深い哀しみと寂しさがある。
私だけど私じゃない私。彼女がアンノ子ちゃんだとすぐわかった。
「108回」で成人した女王の私と変わらぬ容姿だが、その服装は女王時代の私とまったく違っていた。
青を基調にした厚手の生地のワンピースに、白いショートケープの組み合わせの民族衣装をまとっていた。袖口と裾には赤いラインに幾何学模様が刻まれている。
私は驚いてその姿を見つめていた。
彼女の衣装は「治外の民」の晴れ着だったからだ。
その胸元には見たこともないほど大きなルビーのペンダントが揺れていた。
ルビーの中で赤い輝きがゆらめく。
命の炎が輝いているような輝きは、普通のルビーの光りかたではない。
まるで魂が宿っているかのようだった。
彼女は身を屈めると、そのペンダントの金の鎖をはずし、そっと私の首にかけてくれた。
〝それは、神の目のルビーっていうの。・・・・・その石がきっとあなたの運命を導いてくれる。なくした絆をたぐりよせてくれる。あなたがブラッドと再び出会ったように。・・・・・だから、今度こそ悲しい連鎖を断ち切って先に進んでね。そして、私の大切な人達を守って。お願いよ〟
彼女は優しく私を抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。
自分に自分の胸の中にいるってことだよね、変な感じ。
・・・・・でも、あたたかい。私の頬に彼女の涙がはらはらおちる。
そして胸はやっぱり慎ましやかだった。残念無念。
この未来だけはどの私も一緒なのか。
それにしても、神の目のルビーって、どこかで聞いたような・・・・
〝不幸な出会いをしなければ、また、あなたとみんなの運命は共振する。・・・・・きっと神の目のルビーが・・・・ううん、彼が力を貸してくれる。あなたが正しい道を行く限り、きっと・・・・私のときのように・・・・・〟
彼が、と言ったとき、彼女の目から大粒の涙が零れおちたのが印象に残った。
言葉に詰まり、嗚咽をこらえる肩が震えていた。
アンノ子ちゃんはややあって気持ちを押しやるように顔をあげた。
微笑みを浮かべ、そっと私から手を離した。
名残を惜しむように指先で最後にルビーに触れた。
ルビーが応じるようにひときわ強く輝いた。
鼻をまっかにした彼女の姿が遠くなっていく。
〝・・・・・ここで私に出会ったことも、今見た記憶も、たぶん意識が戻ったら、あなたはほとんど覚えていない。でもね、ずっと応援してるよ・・・・!悲しい運命に負けないで。幸せを掴んで!!・・・・・がんばってね、小さな私!!変えて!!未来を!!・・・・まずは呼んで。セラフィの名前を・・・・・・!!〟
それから少し躊躇った後、意を決するように、
〝あの・・・・それと、お父様をあまり嫌わないであげて。苦手な気持ちはわかる。いい想い出なんてひとつもないもの。でも、あの人は感情表現が下手なだけなの。家族の愛を知らずに育ったのよ。だから娘としてあの人の愛情をひきだしてあげて。あなたは忘れているけど、「108回」であなたを愛した素敵なお父様が、あの人の真実よ。・・・・・たぶん・・・・・〟
ちょっと!!いい話になりかけたのに、最後になんで首を傾げた!!
こら、消えるな!!アンノ子ちゃん!!
追伸みたいに、あんなやばい訳あり公爵、私に押しつけるな!!
待ってってば!!
・・・・・そして、激流の轟音が復活した。
身体が冷え切ってまともに動かない。
発熱量がわずかな新生児の身体は、冷水中ではあっという間に体温を奪われ、消耗してしまう。
私は荒れ狂う水と、ぶつかり合いのダンスをする障害物の間を、奇跡的に無傷で漂っていた。
少しのあいだ気絶していたのか。
よく溺死や圧死をすり抜け続けていたものだ。
だが、なけなしの幸運を喜ぶ暇などなかった。
まっかな悪意で隻眼をたぎらせ、がっと牙をむき出しにした魔犬ガルムが目の前に迫っていた。
絶望的な現状を再認識し、私は声なき悲鳴をあげた。
ごぼっと空気が口からとびだし、代わりに水をしこたま飲みこんでしまった。
苦しい・・・・!!やばい、意識がとぶ・・・・!!
私は必死にもがいた。
酸欠の苦悶で目の前に火花が散る。
ぐにゃりと感覚が曲がりだす。
岸辺で私達を助けにいくと、マッツオに食ってかかっていたセラフィの姿が脳裏に浮かぶ。
なぜか大人になったセラフィが私に手を差し伸べる幻覚が見えた。
「・・・・・遠慮なく助けを求めてほしい。そこに水と風と船がある限り、ぼくはあなたを守るため、何処にだって駆けつける」
なんと幻聴まで。こりゃ、いよいよ末期だよ・・・・
だって仇敵のあいつが。しかも笑顔つきで。
こんなこと・・・・言うはずないもの・・・・・
現実は無情だ。
魔犬ガルムの牙が私を噛み砕こうと襲いかかってくる。
私は薄れゆく朦朧とした意識の中で、ぽつんと呟いてみた。
助けて・・・・・セラフィ・・・・なんて、ね・・・・
突然、視界がごおっと暗くなった。
なにかが私の鼻先をかすめるように突入してきて、魔犬ガルムを横から突き飛ばした。
それが小船の舳先だと気づいた時には、不意をつかれた魔犬ガルムは私から大きくはじかれ、狂い踊る流木の群れに押し込まれていた。
より凶悪な水の流れが、私の至近距離を通っていたのだ。
ガルムはその流れに巻き込まれた。
次々に飛び出す枝が猛禽の爪となり、ガルムを引きずり込んでいく。
間断なくぎざぎざに尖った断面の大木が襲いかかり、魔犬ガルムを押し潰しながら、彼方に運び去った。
偶然ではなく、狙いすまして小船は突入してきたとわかった。
地上では象の突進でさえ食い止めるであろうガルムも、浮力の働く水中では、小船の体当たりにさえ踏みとどまれない。
とはいえ位置も流れも角度もなにもかも計算づくで舳先をぶつけるのは人間技ではない。
・・・・・・それでも、確信できる。
魔法のように船を操るあいつなら、これぐらいやってのける。
まさか本当に助けにきてくれるなんて・・・・
暗い濁流の中に手が差しこまれた。
両手で脇を抱えあげられ、私は水中から引き上げられていた。
夜明け前の空の輝きが目にとびこんでくる。
「・・・・・間に合った!!よかった!!」
私を暗い水面から救いあげたのは、やはりセラフィ・オランジュだった。
必死だったのだろう。
全身濡れねずみで顔面は蒼白だった。
セラフィは私を助けるため、マッツオに濁流の上を投げ飛ばしてもらい、命がけでこの小船に飛び込んできてくれたのだ。
長めの前髪が水ではりつき、額の傷と
その愁いを含んだ瞳の色は、朝日の輝きを受けたせいか、とても綺麗だった。
まるでエメラルドのようで、私は不覚にも暫く見とれてしまった。
なぜか涙があふれてくる。
水中の暗闇に目が慣れたところで、朝日をまともに見たからだろう。
・・・・・・そうに決まっている。
この胸を締めつけるせつない感覚も、きっと身体が冷えきったから・・・・
だって、それ以外に理由はないはずだもの。
でも、なにか大事なことを忘れているような・・・・・
私の思い悩む心に合わせるように、首元にかかった金の鎖が揺れていることに、私はまだ気づいてはいなかった。もちろん鎖の先に繋がった、炎のように揺らめくルビーの存在にも。
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