第32話 炎に包まれる公爵邸。勇気とお互いへの信頼を武器に、私達は悪夢に挑みます。
魔犬ガルムの目がぎろんっとブラッドを睨みあげる。
太い首の筋肉が盛り上がると、ものすごい勢いで鼻面を上方に突き上げた。
「・・・・・させっかよ!」
だがブラッドが力を込めると、再び肘打ちで地面に叩きつけられる。
動かせないと悟った魔犬ガルムは、ワニがデスロールするように全身をねじって横回転しはじめた。
「わっ!?」
貌の上からはねのけられた小柄なブラッドの身体が、ボールのように宙に浮く。
魔犬ガルムの顎が、がっと開くと、空中にあるブラッドを下から喰いちぎろうと襲いかかった。
かろうじて魔犬ガルムの鼻面を蹴るようにステップでかわすブラッドだが、執拗な牙は諦めることなく、ブラッドをスカートごと嚙みちぎろうとつけ狙い、退路を断つ。
「ひえっ!?わっ!とっ!おっ!」
息もつかせぬ連続攻撃に、ブラッドは膝に力を溜めるひまも与えられなかった。
大きく跳躍して逃れることが出来ない。
スカートの両端をつまみあげ、ガルムの鼻面の上でタップダンスをし、迫る牙をかわし続ける。
ワニに狙われた因幡の白ウサギのようだが、こちらは毛皮どころか肉まで喰いちぎる気だ。
かわすほうは命が懸かっている。
火花が散りそうなぐらい牙が激しく打ち鳴らされる。
間断ないがちがちがちと背筋が寒くなる音は、まるで一本の震動のようだ。
一発喰らっただけで致命傷だ。
焼けた鉄板上にいるように泡食ってブラッドの脚が踊る。
「この変態犬!!オレのスカートの中身喰いちぎる気だ!!やばすぎる!!ちぢむ!!」
ブラッドが悲鳴をあげる。
命とか身が縮むような恐怖を覚えるってことだよね!?
私は心の中でさりげなくフォローしてあげた。
「やれい!!ガルム!!多少の力なぞ、おまえの牙の前には無意味よ!!そのまま、いつもの赤ん坊どものように、そんなガキなんぞ、まっぷたつに嚙みちぎってしまえ!!」
戦々恐々して怯えて跳ねまくっていたブラッドの表情が、威丈高な魔犬使いの煽りで一変した。
陽気な人懐っこい雰囲気が消え、瞳が凄愴な紅色を帯びた。
「・・・・・笑ってその台詞を口にしたな。おまえらにゃ、血が出るまで額を床にこすりつけて、一万遍謝ってもらっても、まだ足りないぜ・・・・・・」
魔犬ガルムの牙をかわすブラッドの脚の動きが一気に加速した。
襲いかかる牙を脚をあげてかわす間に、一発鼻梁を蹴りつける。
それが二発、三発・・・・かわす度に回数がはねあがっていく。
際限なく踏みつけの回転が増し、魔犬ガルムは口を開く間さえ与えられなくなった。
怒涛の踏みつけに耐え切れなくなり、魔犬ガルムが再び下顎から床に叩きつけられる。
「・・・・・罪の重さに、潰れて詫びろ!!」
大瀑布の圧力に身動きひとつ取れなくなった魔犬の頭と背中に、ブラッドの踵の弾雨が降り注ぐ。
押し潰された魔犬ガルムが重圧で涎をまき散らしながらのたうつ。
床を地震のように轟かし、ブラッドは小山のような魔犬ガルムを力尽くで床に縫いとめていた。
「バカなあっ!?」
驚愕する魔犬使いをよそに、魔犬は兎キックに踏みつぶされるワニのように追い込まれていた。
立ち上がろうと四肢に力を入れることも出来ない。
筋肉の動きを読みきったブラッドが、後の先で巧妙に動きを封じ込めているのだ。
このまま魔犬ガルムはなす術もなく圧壊されて、床の破片と混ぜこぜになりそうに見えた。
だが、予想に反し、ばあんっと魔犬ガルムの身体が、海老のように大きく後方に跳ねのく。
「・・・・・・うわっ!?なんだあっ!?」
予備動作なしのバネじかけのような奇怪な動きに、ブラッドも反応が遅れ、はねあげられた。
私は戦慄した。
動きを悟られないよう四肢をほとんど使わず、背筋の力だけで跳躍したんだ!!
化物め!!
だが、魔犬ガルムは、サルーンの片隅に積み上げた机と椅子の山に背中から突っ込んだ。
さっき私達を押し潰そうと放り投げ武器にしたものが、皮肉にも今度はガルム自身めがけ崩れ落ちた。
轟音をあげ、重たく固い家具が破片を巻き散らす。
やった!!因果応報、天罰覿面だ!!
慌てふためいて後退したのはいいけど、背後の障害物に気を配る余裕まではなかったようね!!
まともに身体ぶち当てたよ!!
「はっ!自爆しやがった!」
鋭い木片から咄嗟に目を腕で庇いながら、ブラッドが苦笑する。
「・・・・・違う!!自爆じゃない!!気をつけて!!また武器に使う気よ!!ブラッド!!」
お母様が顔色を変え鋭く警告した。
お母様の言うとおり、机と椅子がブラッドめがけ飛来してきた。
さきほど私達を狙ったときと違い、放物線でなく、一直線に飛んでくる。
ぞっとする風切り音がした。
巻き込まれれば肉塊必至の容赦のなさだった。
「その手はもう見飽きたんだよ!」
ブラッドは私達を背後にしないよう気をつけながら、それを軽々かわした。
飛び石を渡る気軽さで、襲いかかる机と椅子を見切り、危うげなく飛び移るように回避していく。
ウサギの海渡りの神話を見ているようだった。
安定してるなあ。私は安堵した。
こいつ、もう無敵じゃないか・・・・・
あれ、でもあの神話の結末って・・・・
「ブラッド!!下!!」
いち早く、なにかに感付いたお母様が叫んだ。
空中回避の神業を披露するブラッドの足元に、暗い巨大な影が滑り込んでいた。
浮きあがった机や椅子を隠れ蓑にして接近したんだ!!
魔犬ガルムの巨体がぐんっと浮上する。
離れて見ている私達にはわかっても、至近距離で戦闘し、無数の飛来物で視界の狭まったブラッドには、なにが起きているかまったく見えていなかったはずだ。
「・・・・・・・え!?」
ブラッドが目を見開いたときにはもう遅かった。
閃く牙の嚙み合わせに小さな身体が呑みこまれ、胴が分断され、鮮血が飛び散った!!
「ブラッド!!」
お母様とメアリーが悲鳴をあげたが、私は悲鳴を懸命に押し殺した。
大丈夫です!!お母様、メアリー!!
ブラッドがこんな簡単に死ぬはずない!!
あいつは私を守るって言ったんだ!
約束破って、いなくなったりするはずがない!!!
「・・・・・馬鹿め!!逃げ場のない空中でまともに喰らいおった!」
隠れて様子をうかがっていた魔犬使いが狂喜の叫びをあげる。
「なにが「血の贖い」じゃあっ!!小細工しても現実と実力の差は非情よ!!驚かしおって!!」
「・・・・・小細工しても、現実と実力の差は非情か。その言葉そっくりそのまま返すぜ」
不敵な少年の声が応じた。
驚愕の目を見張る私達に、ブラッドが嗤いかけた。
跳躍した魔犬ガルムの下に、逆にもぐりこんで、腰を落として構えていた。
まったくの無傷だ!
じゃ、じゃあ、今嚙み殺されたブラッドは!?
無惨に二つに分かれて落下していくブラッドのメイド姿が霞み、血煙になって四散する。
まっかな桜吹雪か蝶の群れのように幻想的だった。
まるで吸血鬼が霧になって消えるかのような離れ業だった。
「・・・・目くらまし技を使うのは、おまえだけじゃないぜ。血桜胡蝶
ちざくらこちょう
ってんだ。冥土の土産に覚えときな。ちなみにこれは冥土とメイドをかけて・・・・・・」
わかったから、なにかするなら早くしなさい!!
「空中じゃ逃げ場はないって言ったな・・・・その通りだ!オレじゃなくて、こいつがな!!」
かわせない空中に誘いこまれたのは、魔犬ガルムのほうだった。
ブラッドの身体が独楽のように旋回する。
あまりの高速回転の摩擦で足元から白煙が流れた。
「・・・・・・ふっ!!」
ぱああんと乾いた破裂音が響き渡った。
ちりいんっと鈴のような澄んだ音も混じる。
落下運動に入った魔犬ガルムの巨体が、がくんっともう一度撥ねあがった。
ブラッドの裏拳が、無防備にさらけ出した魔犬ガルムの顎を、まともに下から叩きあげたんだ!!
心臓止めが決まった!!
あれ、でも、なぜ顎を?
「今のオレでも、おまえの胴甲のガードを突き破って心臓は止められない。だけど、脳を揺らして自由を奪いさえすれば・・・・・・!」
ブラッドの言葉通り、墜落してきた魔犬ガルムは、まともに着地することが出来なかった。
床に這いつくばるように腰から崩れ落ち、立ち上がろうともがく。
前脚はともかく、脳震盪で後ろ脚が麻痺している!!
「オレの後ろの頼もしい大人達が、バトンを受け取ってなんとかしてくれるのさ・・・・・あとは頼んだよ、コーネリアさん!!」
ブラッドがふわりと射線上から飛び退き、お母様が頷いた。
「・・・・・その信頼、受け取りました・・・・・・この勝機、逃さない!!」
おそろしく鏃が細長く鋭い矢を、お母様がつがえた。
今までのものと明らかに違う、異様な形状だった。
それまで殆ど溜めをつくらず連射していたお母様が、はじめてゆったりと構えに時間を取る。
凛とした佇まいに目を奪われる。
「正射必中・・・・・・・!貫け!!」
弓の弦がびぃんんと高らかに鳴った。
限界いっぱいまで弓を引き絞った射撃だった。
連射はせず、放ったのはただ一矢のみ。
曲がることも変化もせず、しかし、その矢は閃光となってガルムに突き刺さった。
ブラッドの攻撃で脳震盪を起こしふらついている魔犬ガルムに、かわせるような弓威ではなかった。
かろうじて前腕を掲げ、顔面の直撃は避けたが、その矢は深々と指の間に突きたった。
刺さった!通じた!あの怪物に!
私は拳を握り締めた。
長い鏃は根元近くで折れ、矢柄はあさっての方向に跳ね飛んだが、射ち込まれた鏃の大部分はガルムの体内に取り残された。
貫通特化の必殺の一撃だった。
こんな技を、まだお母様は温存していたのか!
「・・・・・弓法、毒牙。その鏃には返し針があります。一度突き刺されば、もう抜くことは出来ない」
勝った!!鏃の毒がまわる!!
いくら化け物でも、体内の毒には対処できまい!もう終わりだ!
さすがお母様!!
よし、あとは丸裸になった魔犬使いをとっ捕まえて、悪事を自白させましょう。
この面子からはあいつでは逃れる術はない。
あいつ、どうせシャイロック商会に依頼されてたんでしょ。
芋づる式に悪党どもを引きずり出してやるんだから!!
さあ、これから忙しくなるぞ!
産着を腕まくりして気合を入れなおしていた私は、信じがたい光景を目撃し、驚愕した。
魔犬ガルムが、被弾した前脚の先端をためらうことなく噛み千切った。
毒がまわる前に指ごと体内の鏃を切り離したのだ。
ぶちぶちっと最後までつながっていた皮膚を引きちぎると、鏃と脚の欠片を吐き捨てる。
左足の指二本を犠牲にしたのに、平然としていた。
「・・・・・往生際が悪すぎるぜ!いい加減にくたばれよなっ!!」
疾風のように魔犬ガルムの懐に飛び込んだブラッドの拳が唸る。
首筋を狙っている。さきほど魔犬二匹を一撃で死に至らしめた血流停止技だ。
しかも今度は「血の贖い」使用中だ。威力は前回の倍ではきくまい。
これは、決まった・・・・・!
命中寸前に、ガルムの全身の毛が逆立った。
緑色の燐光のような目が、ぞっとするほど輝きを増した。
めきめきと音を立てて体が膨れ上がったように見えた。
いや、実際に筋肉が肥大していく・・・・・!
い、嫌な予感しかしないんですけど・・・・・!
「やめろ、ガルム!!「本気」になってはいかん!!身体がもたん!!」
魔犬使いが悲鳴をあげた。
魔犬ガルムが、がはあっと息を吐いた。
パアアンと打撃音が響き渡ったが、魔犬ガルムはなんの痛痒も感じない目で、じろりとブラッドを一瞥しただけだった。のそりと四肢を踏みしめ立ち上がる。
「うそだろ。筋肉の硬直だけで、受け止めやがった・・・・・・・!」
驚愕の呻きを漏らした瞬間、ブラッドの体が宙に飛んだ。
「うおっ・・・・・・!?」
私達の横にブラッドが突き刺さるように落下し、勢いを殺しきれず、ごろごろ後転して飛び起きる。
受け身がとれていなければ、打撲と骨折で戦闘不能になっていた。
魔犬ガルムが前脚でブラッドを撥ね上げたのだと気づき愕然とする。
あげたままになった左脚から血が噴き出していた。
こいつ、頭おかしい!
指が半分無くなったほうの脚を、躊躇なく叩きつけたよ!!
「やばいぞ・・・あいつ、本気になりやがった。今まで全力出してなかったんだ・・・・!」
ブラッドが唸る。
ひええっ、やっぱりそういうオチなの!?
異世界恋愛タグ様が、天国でなく地獄で手招きしている様子が見えた気がした。
お、お母様、さっきの貫通特化の矢の毒牙は・・・・・!?
私のすがるような視線で考えを悟ったお母様が、静かに横にかぶりを振る。
「残念だけど毒牙はあの一本のみなの。それに、たぶん・・・・・・・」
お母様は言葉を濁したが、言わんとすることは私にもよくわかった。
魔犬ガルムの体毛がどういう仕組みか、ざわざわと揺れ動いている。
筋肥大し、首筋の体毛が広がったガルムは、さっきの倍ほどの大きさに見えた。
ぎちっぎちっと妙な音がするのは、胴体部分の膨張に、着込んだ胴甲が押し広げられ、悲鳴をあげているのだろう。地獄の力が乗り移ったかのような今のあいつに、矢が通用するとはとても思えなかった。
「残る手は・・・・・・・」
「罠」ですね!!もう、あいつに通用しそうな手は、「罠」しかないですものね!!
さんざんバラまいてきた伏線さん達、回収のときがやって来ましたよ!!
さあ、ど派手に回収&反撃です!!
「目か、肛門を狙い撃ちね」「あとは金玉をぶっ潰すかだな」
「オアウッ!?」
お母様とブラッドのバーバリアンな提案に、私は腰を抜かしそうになった。
それNGワードな展開だから!!
特にブラッド!!
あんた、あのゼスチャーの流れどぶに捨てる気!?
「人間だったら、耳の穴から脳を狙えるんだけど、犬は難しそうね。他は口腔内くらいか」
「延髄にダイレクトアタックかませるしな」
だ、駄目だ!この二人にまかせておくと、話がどんどん血生臭い方向に進んでいく。
仮にも令嬢を名乗る作品が、肛門とかおきゃん玉狙いで、敵を撃破しちゃ駄目でしょ!
いくら有効そうでも、そういうのは、見て見ぬふりをするのが暗黙の了解なの。
ドラゴンの肛門ぶっ刺して、きゃん玉握りつぶした王子様が、
「姫・・・・助けに参りました」
って爽やかに微笑んでも、ちっともロマンチックじゃない!!
そんなストーリー、吟遊詩人だって頭抱えちゃうよ!!
つぶせ~、つぶせ~、きゃん玉つぶせ~、なんて歌えないよ。
聴衆のみなさんもどん引き確定!!出入り禁止処分確定!!
ほ、ほら、異世界恋愛タグ様が、お怒りに身を震わせていらっしゃる。
当初の予定通り、スカーレットちゃん提案のトラップ大作戦でいきましょうよ!!
「オアアアアアッ」
私は大声でまくしたてた。あ、でも・・・・・・
冷静になって現状を検討してみる。
私達のしかけた罠は、このサルーンの壁向こうのロングギャラリーにある。
ちょうど今私達がいる場所の、壁一枚隔てた位置だ。
けれど、その画廊の出入り口は、北と南の二箇所しかない。
ここから五〇メートルほど迂回し、突き当たりの出口から入り込まないと、罠には誘い込めない。罠までの総距離は百メートル以上になる。それだけの長さを、足手まといの私を抱え、ぶちきれた魔犬ガルムの猛追を耐えしのいで移動・・・・・?
うんっ!!無理だなっ。
「血の贖い」でブラッドはパワーアップしたが、魔犬ガルムも真の力を解放したため、こちらが不利の力関係は変わらない。少しでも油断すればガルムは力押しでこちらを殲滅できる。移動してばらけるなど問題外だ。
私は自分の提案を心の中で却下した。
説明パート終了!!読了お疲れ様でした!!
出来る女はあやまちを認められるものなのだ。
文字にすると長いが、私がコンバットプランを放棄するまでの思考タイムは、わずか0・05秒ほどに過ぎなかった。
魔犬ガルムがぎろっとこちらに頭をめぐらした。
体温が高いせいか、夜が寒いせいか、牙の間から漏れ出す呼気が、霧となってあふれ出す。
がはあっと開いた口は嗤っているように見えた。
緑色の眼光がどぎつく光輝く。
犬というより、怪獣といったほうが、しっくりくる。
私は震えあがった。
きっと、異世界恋愛タグ様のお怒りが、魔犬ガルムに取り憑いたんだ!
「オアアアアアアッ!!アオオオオオオッ!!」
「あほおっ!あれは、おまえを狙ってんだ・・・・・・大声で刺激してどうすんだ!」
わあああん!!あほのブラッドにあほって言われた!!
でも、確かに私、あほでした。
私、ガルムにとっては、極上のディナーなんでした。
私の泣き声聞くと、辛抱たまらん状態になるらしいです。
そう、冷静な判断力を失うほどに。
あの狡猾な怪物も、そのときは隙だらけになる。
私はさっき魔犬ガルムが、魔犬使いの命令を無視したことを思い返していた。
ならば、逆にうてる手もある・・・・・・!!
奴は必ず私に襲い掛かってくる!
あいつを私にあえて引き付ければ、行動パターンが絞り込める。
ねえ、ブラッドなら、ある程度これからの動きを掴んでさえいれば、あの怪物の攻撃だって捌けるよね。そしたら・・・・・奴を直接、「罠」に叩き込めると思うんだ。
「オアアア、オウウウウ・・・・・・・」
私はブラッドに新作戦を立案した。
耳を傾けたブラッドの顔がみるみるうちに曇る。
「却下。正気の沙汰じゃない。一歩間違えりゃ、赤ん坊のおまえじゃ即死もんだ」
私の身を案じたブラッドは、にべもなくはねのけようとした。
今更なによ!!
異世界恋愛で覚醒バトルやってる時点で、すでに正気なんて余裕で突き抜けてるわ!!
それに、あんたの「血の贖
あがな
い」のタイムリミットはまもなく訪れる。
「108回」の体験で、私はブラッドの限界が近い事に気づいていた。
瞳の色の赤色が薄れてきている。
限界前に決着をつけないと、ほんとうに私達は全滅する。
うつ手がなくなる。
生き残るためにやるしかないんだよ!!
「オアアアオオオッ!!」
私の激にブラッドは驚きの目を見張る。
「「血の贖い」のタイムリミットのことまで知ってるのか。ほんと、おまえいったい・・・・」
そういう文字増やしみたいなワンパターン、今はいいから!
ほら、あんたのまとった赤いオーラも弱くなってきてるじゃない。
迷ってる時間なんかないよ!!
「ああ、これ出血の霧だそ。オーラとかじゃない。うう、貧血でふらふらする・・・・・」
えっ!!それエフェクトとか霊気とかじゃなくて、まさかのリアルブラッドだったの!?
じゃあ、タイムリミットって出血多量のせいか!?
はじめて知ったよ。メアリー、まさかの大正解!?
やっぱ「治外の民」ってアホ集団でしょ!!
「うう、目の前が暗くなってきた。なんか足元ふわふわするよ・・・・・」
なに思春期の女子みたいなこと言ってんの。
ちゃんとヒジキや小松菜食べてる!?
よ、余計時間ないじゃないの!!
オレを信じろ、と言ったのは、あんた自身でしょ。
私はその誓いを信じ、あんたの勝利を疑わない。
だから、あんたもとっとと約束を果たしなさい。
「・・・・・・わかった。おまえの策にのる」
ブラッドはいやいや頷いた。
「血の贖
あがな
い」が使えなくなれば、ガルムに抗する手段がなくなることを、他ならぬ前衛のブラッドが一番よく理解していた。
「コーネリアさん、メアリーさん。スカーレットの命、オレに預けてくれ。これから、なにがあっても、オレが合図するまで手を出さないでほしい」
驚きに目を見張りながら、二人ともブラッドを信じ、黙って頷いた。
うんっ、私も一肌脱いじゃうからねっ。
私はいそいそと支度にかかった。
あーあーマイクのテスト中。
柔軟体操おいっちに。
ふんどしならぬ、おむつの締め直し。
私のベビーバスケットをまたぐように、ブラッドが立つ。
スカートの後ろ裾がベビーバスケットの上にかかり、私の姿を覆い隠す。
このスカートが緞帳代わりだ。
準備が整った私は、ぎゅっと両拳を握り締めた。
さあ、スカーレットリサイタルの開幕よ。
ばっとブラッドのスカートをはねのける。
私の乳児服ときたら、つま先よりずっと長い重ね着なんですもの。
お色気要員の未来は遠いのだ。
でも魔犬ガルムにとっては、私はどんな女性よりも魅力的にうつるはずだ。
さあ食欲に我を失って、突っ込んでこい!
見境いがつかなくなるくらい、子供達の命を食い散らかしたツケを・・・・・・・あんたはここで支払うのよ。
私は大きく息を吸い込み、喉を振り絞るようにして泣き叫んだ。
「ホンギャアアアアアッ!!!アンギャアアアアア!!モンギャアアアアアッ!!」
普段「赤ちゃん」としては泣かない私だが、そこはハイドランジアの宝石として、各国の重鎮を手玉に取った演技力でカバー!!どうよ、このアカデミー賞ものの渾身の名演技!!
「へたくそ。またのお越しを」
ばさりとスカートの布が落ちてきて、私の顔を覆い隠した。
こら、ブラッド!!ちゃんとスカートまくしあげててよ!
せっかくの見せ場なのに、これじゃまるで失格くらった芸人さんみたいじゃないの!
床が地震のように鳴動した。
私の泣き声に反応して、ガルムがづっごんでぐるぅ~。
おおう、体がバイブレーションする・・・・・!!
スカーレットちゃんのお求めは、ちゃんと順番守ってレジに並んでね!!
お店の中で走っちゃダメって習わなかったのかしら。
噂に聞いた象兵の突進とは、きっとこんな感じなのだろう。違うのは、
魔犬ガルムの巨大な牙のあいだからは涎がほとばしり、鬼火のような眼光が、食い入るように私に狙いをつけていることだ。心胆寒からしめる光景だった。
私はこいつに食い殺された赤ちゃんたちに、心の中で語りかけ、瞑目した。
怖かったよね。苦しくて痛かったよね。
無理矢理ママと引き離されて、悲しかったよね。
今、仇をとってあげるから・・・・だから、安心して天国で幸せに暮らしてね。
私はきっとガルムを睨み返した。
いいよ、こっちだって狙い通りだ。
ここからは目なんかそらしてあげない。
たとえ体は赤ん坊でも、心であんたなんかに負けるもんか。
「108回」殺された悪役令嬢をなめるなよ!!
私の気持ちに応じるように、ふううっとブラッドが呼気を長く鋭く吐き、腰をおとす。
血煙が渦巻き、ぶわっとスカートが風をはらんでふくらんだ。
迫り来る魔犬ガルムの影で目の前がまっくらになる。
墓場の燐火のように、ガルムの目が輝いていた。
それを紅く輝くブラッドの目が迎え撃つ。
空気が揺れた。竜巻と竜巻が激突したようだった。
「・・・・・・のっ!!!」
ガルムの超重量の突進を、小柄なブラッドが正面から受け止めた。
信じがたいパワーとパワーが拮抗する。
いや、実際には互いが相手を巻き込み、ねじ伏せ、噛み砕こうとする応酬の連続だった。
ガルムの巨大な足とブラッドの足が、私のベビーバスケットのまわりでタップダンスでもしているかのように激しく入り乱れる。この状態でも、ブラッドは私に害を及ばさないよう配慮を忘れていない。スカートの下に隠すようにして、守り続けてくれている。
「オアキャアッ!!」
私もガルムの足がのぞくたび、必殺の新生児パンチをお見舞いして、ブラッドを援護した。
この!この!こんにゃろう!
「オアッ!オアッ!オアッキャアッ!」
ほらっ!!私も助太刀してるんだから、あんたも頑張りなさいな!!
「ぐっ・・・・・・・!!」
それでもやはりブラッドのほうが分が悪い。
追い込まれて膝がくだけそうになっている。
ならば!!
私はブラッドのスカートの下から、ぴょこっと顔を出した。
髪先をだだんっとガルムの爪がかすめ、髪の毛数本が飛び散ったが、精一杯の余裕を見せ、ふんっと鼻で笑って見上げてやる。
生命の危機ぐらいで、びびってなんかあげるもんか。
恐怖で漏らしても私にはおむつがあるもんね。
だから、私の命いっぱいを武器にして、おまえを翻弄してあげる。
「アオッ!!」
べーっと舌を出し、しかめっ面で挑発する。
ついでに人差し指で、のどをかき切る仕草も付け加えておいた。
魔犬ガルムの耳がぴくりとし、目がぎろっと動いた。
顎が無意識に私を追ってしまう。
巨体がぶざまに泳いだ。
我慢していた犬が、大好物の肉を放り投げられ、どうしても反応してしまうように。
あらあら、よそ見してていいのかしら。
躾の悪いワンちゃんね。
好き勝手に子供達を喰い散らかしてきたから、そんな醜態さらすのよ。
あんたのダンスの相手は私じゃないのよ。
ダンス中に移り気は厳禁よ。
ましてブラッドほどの強敵を前に、その油断は命取り。
「食い気に我を忘れ、気をそらしたな・・・・・・・・」
ブラッドが嗤った。
攻守の逆転は一瞬だった。
わずかに重心がぐらついた隙を、ブラッドが見逃すはずがなかった。
そうよ、赤ちゃんたち、よく見てなさい。
あなた達は無駄死になんかじゃない。
誇りなさい。あなた達は、自分で自分の仇を取ったのよ。
今、この頼れるお兄ちゃんが、悪魔を倒してくれるからね。
「おまえが殺した子ども達の犠牲が今・・・・・おまえを殺す!!」
ぶわっと魔犬ガルムの巨体が浮き上がり、頭から壁に激突する。
まるで自ら突貫をかけたように見えた。
ブラッドの得意技、「流転」だ。
「108回」で何度も私の親衛隊が地に這わされた絶技。
相手の勢いと重さを丸ごと利用し、そこにさらに技で加速を与え、壁や地面に叩きつけて、戦闘不能に追い込むのだ。魔犬ガルムの頑丈な巨躯は、叩きつけられるべき分厚い壁まで突き破り、その向こうのロングギャラリーまで飛び込んでしまった。
もともとは中庭を囲む旧い建築様式だった外壁を、隔壁に改築したのだろう。
崩れた大穴からは頑丈な石組みが覗いていた。
中間にはモルタルと小石がびっしりだった。
魔犬ガルムを「流転」にかけたから、打ち崩すことが出来たのだ。
そして魔犬の踏み込んだ先には、罠が張られていた。
「おまえは赤ん坊のスカーレットの胆力ひとつに負けたんだよ・・・・・地獄に堕ちろ!!」
魔風のように身をひるがえそうとしたガルムの足元が、がくんと沈んだ。
薄板に取り換えた廊下の床板を踏み抜いてしまったのだ。
対人用を想定した罠だ。
魔犬ガルムの巨重など一瞬でも支えられるわけがなかった。
跳躍して逃れようとしたガルムは、残った脚で脆い足場をさらに破壊してしまった。
怪力が仇になった。
コールタールの沼にはまったかのように自由を奪われ、もがき逃れようとするが、四肢はむなしく床下の空間をかくだけしか出来ない。力の支点になる足場がなければ、どんな怪物にもなす術はない。蟻地獄の巣にはまった蟻と同じだった。
ガルムをめがけ斜め下に向いた床板の上を、私のベビーバスケット2号さんが慎ましやかに滑って来た。積載されているのは「治外の民」の自決用の「ロマリアの焔」だ。かつんとガルムの身体に当たって停止する。
ブラッドが私を抱きかかえて後ろに跳ぶ。
「・・・・・コーネリアさん!!火矢!!」
「承知!!子供たちの痛み、母親たちの痛み、メアリーの痛み・・・・・思い知りなさい!!」
すでにブラッドの企みを読んでいたお母様は、油布を巻いた矢に燭台の炎で点火済みだった。
阿吽の呼吸で、吸い込まれるように火矢が飛ぶ。
見事に私のベビーバスケット2号さんに突き立つ。
シューッと音をたて、白い火花が白煙とともに立ち昇る。
「ロマリアの焔
ほのお
」に引火した証拠だった。
爆発が・・・・・起きる!!
さらば、私のベビーバスケット2号機よ・・・・!あなたの雄姿は忘れない。
「見届けなさい。メアリー。私達が、あなたが、ヨシュアの仇を取ったのよ・・・・・」
「奥様・・・・お嬢さま・・・・・ブラッド・・・・・」
涙ぐむメアリーに、お母様は頷き、優しくほほええみかけ、はっと顔をあげる。
「いっけない!!忘れてた!早く逃げなきゃ、大変なことに!!」
お、お母様、なぜ格好良く決めたあとにオチを・・・・・私、遺伝を感じます。
とにかく今はここから離れなきゃ!!
「オアアアアアッ!!アオオオッ!!」
「108回」で「ロマリアの焔」の脅威を身をもって体験している私は、背筋がちりちりする焦りに身を焼かれて叫んだ。
踵を返して一目散に走り出したお母様とメアリー。
「なにもかもぶっとぶぞ!!早く屋敷の外へ!!」
私以上に「ロマリアの焔
ほのお
」の威力を熟知しているブラッドは、ガルムとの戦闘時よりも必死な形相だった。魔犬ガルムがもがいているその下には、たっぷり冠水している地下室がある。私とブラッドは、「ロマリアの焔」が着水したその結果なにが起きるか、よく知っていた。
白色に屋敷の中が照らされた。
まるで夏の太陽の光が炸裂したかのようだった。
本格的に引火したのだ.
凄まじい苦悶の咆哮とそれをもたらした熱波が、私たちの皮膚をひりつかせた。
鉄をも溶かす「ロマリアの焔」が火柱をふきあげた。
私はブラッドの肩越しに、炎に包まれる魔犬ガルムを見た。
炎の高熱が広がり、壁を床を天井を、片端から燃え上がらせていく。
熱の悪魔がすべてを貪欲に飲み込んでいく。
魔犬ガルムは至近距離で灼熱の裁きの直撃を受けた。
あれだけ巨大な生物が、油紙のように一瞬で燃え上がった。
「魔犬ガルムが地獄に還っていく・・・・・・」
ブラッドが呟いた。
私はぎゅっとブラッドにしがみついた。
断末魔の絶叫をあげ、もがき暴れながらガルムの体が炎の海に沈んでいく。
咆哮の音圧で、壁の漆喰にびりびりとヒビが走り抜けていく。
魔犬は今、おのれの罪にふさわしい、地獄の炎の責め苦に焼かれていた。
せめて少しでも苦しんで、あの世にいきなさい。
あんたの苦痛は死ぬまでの一瞬だけど、子供を奪われたお母さん達は、その痛みと悲しみを抱えて、人生を生きることになったのよ。今までも、きっとこれからも。
守ってあげられなかったという後悔とともに。
床が抜け、魔犬ガルムが「ロマリアの焔」とともに暗渠に吸い込まれていく。
咆哮の響きがくぐもりながら墜ちていった。
「・・・・・やっべえ!!」
残った「血の贖
あがな
い」の力を振り絞り、ブラッドが急加速した。
前を走るお母様とメアリーの背中にあっという間に追いつく。
「ふはりほも、ほへん!! (二人ともごめん)」
私を産着を口にくわえる形でぶら下げ、ブラッドは両手をのばし、お母様とメアリーの腰を後ろから抱き抱えた。口がふさがっているので言語不明瞭だ。
私、子猫扱い・・・・。
大人二人を抱えたまま、ブラッドはさらに急加速する。
ほんと、あんたの凄さは底なしね。
「ひっ・・・・ひひあえいあいっ!!(い、息ができない)」
うんっ、私で口が塞がっているんだから当然だ。
あんた、あほさも底なしね。
「よくもガルムを!!生かしては返さん!!」
憤怒で形相を変え、魔犬使いが立ちふさがり、投げナイフを放ってきた。
ひえっ、私に直撃する!?
ブラッドは両手が塞がっている。対処しようがない。
美人薄命!?私の命運尽きちゃった!?
がきんと金属音がした。
「馬鹿な!!」
魔犬使いの目が驚きで飛び出しそうになる。
ブラッドが投げナイフを歯で噛みとめていた。すごい!!
「はっぶねぇあ(あっぶねぇな)・・・・・・!!」
あれ、でも、さっきまで私を口に咥えていたはず・・・・・・ということは・・・・・
「オアッ!?」
風が私の耳元で鳴った。
やっぱり!?
私は宙に放り投げられていた。
とりあえずお約束で両手をばたつかせてみる。
はばたけ、スカーレット!ついに大空へ!?
そして失墜!!ひゅ~んっ!!こ、これもお約束ね!!
「そんなに飼い犬が大事ならあっ・・・・・一緒に地獄に行ってこいよっ!!」
魔犬使いの肩を踏み台にして、ブラッドが高く跳躍した。
魔犬ガルムとまっこうから渡り合う爆発的な蹴りに踏みつけられ、魔犬使いが口腔を奥までのぞかせ喚いた。
「ぎゃおああッ・・・・!?」
ぱきんという嫌な音がしたので、肩甲骨か鎖骨が折れたはずだ。
出鱈目な脚力を肩に受け、もんどりうって転倒する。
今のブラッドの前には、多少の腕の覚えなど蟷螂の斧だ。
踏みつけは二回だった。
両腕が使えなくなり、起き上がれない。
「おのれ・・・・!!・・・・腕があッ・・・・腕があがらぬッ・・・・!!」
喚きながら芋虫のようにもがいている。
「よう、姫、お迎えに参りました・・・・・ほああああっ?(怖かったか)」
ブラッドが空中で、私を優しくキャッチする。
口で産着を噛みとって・・・・・
「オアアアッ!オオッ!」
どういたしまして、騎士殿。怖いわけがありません。
どうせ迎えに来るとわかっていましたから。
それより悪運尽きたのは、魔犬使いのほうだったね。
あいつ、もう終わりだ。
だって、最後の裁きがはじまるから。
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