第53話 外伝 廃城の吸血夫人(中編)

私とハンナは、首尾よくヴェンデ城の礼拝堂への潜入に成功した。

ハンナが猛犬たちを懐柔してくれたおかげだ。

これで、城にさらわれたあほアリサの救出確率が、ぐんっとあがった。


私は心の底からハンナに感謝した。


私はでっかい猛犬が苦手なのだ。


たかが犬とあなどるなかれ。

城飼いの番犬は、狩猟犬と二足のわらじの場合がおおい。


私は以前そういった番犬どもに、丸一日追い回されたことがある。


隠れても匂いでしつこく追跡!!

連携攻撃!! 

仲間を殺しても踏みこえてくる!! 


ちょっとしたトラウマだ。


何度も死を覚悟し、こんなのに追い回される野生動物に共感した。しばらくジビエの肉が喉を通らなかったくらいだ。


イノシシ狩り用の犬にいたっては、闘志が、痛みや生存本能を凌駕するヤツまでいる。一度噛みついたら、腹を切り裂いても、肋骨をへし折られても、決して口を離さない。その執念深さは哺乳類というより爬虫類だ。鋭い牙と剛毛、隆々たる筋肉のイノシシ相手にひかないのだから、頭のネジがどっかとんでいるのだ。私は自慢のスカートを破けたゴミ袋のようにして逃げ回った。


もしも私が犬で、まいったと腹を見せてもムダである。犬社会では、群れを維持するため、喧嘩で個体同士の序列づけをする。なのに、相手がまいったと悲鳴をあげても、そのまま首にかみついたまま絞め殺すような犬がまれにいるのだ。そういう犬社会不適格なヤツが、イノシシ狩りの犬として選ばれる。


雰囲気から見て、ヴェンデ城の番犬たちもそんなしし犬であろう。


戦闘回避できて本当によかったよ……。


「お足元を気をつけてくだせえ」


私たちは礼拝堂に足をふみいれた。


夜の礼拝堂は暗く、燭台の灯りが明滅しながら、私とハンナの頬をいろどった。両壁に描かれたフレスコ画の聖人像と天使たちが、私達を取り囲むように静かに見おろしている。光量が足りず、その表情は見えなかった。


「この礼拝堂から、奥様の寝室のある建物に入れますだ。たぶんアリサ様はそこに……」


「……ありがとう。ハンナのおかげで、アリサを救えそうよ」


私の言葉に、ハンナが立ちどまり呟いた。


「……よかったですだ。……あたしは、夜の礼拝堂が好きでした。誰もこねぇ。聖人様や天使様がたは、あたしの醜い顔を見ても気味悪がったり、バカにしたりしねえ。でも、最近は、ここに来ても泣いて懺悔ばかりしてた。あたしは、娘さんたちを誰一人、奥様から救えなかった。その罪を許してくださいって……」


その告白に私はとても悲しくなった。


娘達に逃げるように忠告するのは、ハンナにとってどれだけ勇気がいることだったろう。

エリザベータにばれたら、文字どおりハンナは八つ裂きだ。


なのにハンナは誰にも耳を傾けてもらえなかった。嘲笑された。裏があるのかと疑われた。復讐のつもりかと罵られさえした。


どんな気分だったろう。

命がけの善意を足蹴にされるのは。


「つらかったね。がんばったんだよね」


私はハンナを背中から抱きしめずにはいられなかった。


しかもハンナが助けようとしたのは、かつて自分に「化物」と石を投げつけた娘たちだ。ハンナが飢えて死にかけていても見殺しにしようとしたのだ。


お返しで、見て見ぬふりをし、暗い悦びにひたっても不思議はなかった。血の報復は人類の業だ。


なのにハンナは違う道を選んだ。どんなに馬鹿にされても、何度も娘達を救おうとした。娘たちが忠告を聞かず自業自得で殺されても、ハンナは自分を責めた。


なんて高潔な魂なんだろう。


ハンナは、血泥の城に、奇跡のように咲いた花だった。

私はハンナが大好きになった。


礼拝堂には、蝋燭の油脂のはぜる微かな音だけがした。あとは無音の闇のとばりだけが降りていた。ハンナのおさえた呟きは、私に沁みとおるようによく聞こえた。


「……ううん、もう、つらくはねえです。今夜は、あたし、泣いてねえですだ。学がねえから、うまく言えないけど……とてもしあわせな気分です。あたしは、ずっと人を助けたかった。スカーレット様だけは、あたしの本当の心をわかってくれた。きっと神様が、あたしの願いを聞き届けてくださっただ……」


そしてハンナは花のほころぶように笑った。


「ハンナ……」


私はハンナを抱きしめる手に力をこめた。


無学がなんだ。

ハンナの心は聖女に等しいよ。

殺しあいと騙しあいに疲れはてた私に、人の光を見せてくれた。私が目指す誇り高い女王のありかたを思い出させてくれた。


ありがとう。


私は、こんな子がしあわせに暮らせる国をつくりたかったんだ。


「……ハンナ、私こそ、あなたに感謝しなければ。私の力の及ぶかぎり、あなたをしあわせにしてあげる。だから、アリサを助け出したあとは、必ず私と一緒に来るのよ」


私はハンナに礼を言った。


ついでにスカウトのダメ押しを忘れない。

ハンナはそれには答えず、後ろからまわした私の手に、遠慮がちに手を重ねた。


「……あたし、スカーレット様が、あたしの名前を呼んでくださった声を、きっと忘れねえです。侮蔑じゃねえ、あわれみでもねえ。……あたしを人間と思って呼びかける、あったけえ声だ。忘れかけてたおっ父とおっ母の声と同じだ……」


「おおげさね。名前を呼ばれたくらいで。私たち、お友だちなんだよ。これから何万回も名前を呼び合うことになるのに」


「……お友だち……。……あたしとスカーレットさまが……」


ハンナは恥ずかしそうに呟き、ややあって振り向き、申しわけなさそうに懇願した。


「……スカーレットさま、ちょっと、お待ちいただいていいだか?」


私が気圧されるほど真剣な目の光だった。。


「時間はかけねぇですから、どうか……」


私はうなずいた。


アリサ救出作戦に時間の余裕はないが、ハンナは潜入成功の立役者だ。

それに、いい女はいつも心の余裕は忘れないものなのだ。


ハンナは床に両膝をついた。

両手をぎゅっと組み、そこに額を押しつけるようにし、祈りを捧げた。極度の集中でぽたぽたと汗がおとがいから、したたり落ちた。人がこんなに全身全霊で祈れるものだと、はじめて私は知った。物音ひとつ立てられない峻厳な気配が、ハンナからたち昇っていた。


ハンナの祈りが終わったとき、私は緊張から解放され、ほおっと息をついたほどだった。無意識に物音どころか呼吸音まで消していたのだ。


「……ねえ、ハンナ。何をお願いしたの?」


私はハンナに問いかけずにはいられなかった。


「内緒ですだ。さ、お連れ様を助けにいかねば。この扉が城への入り口ですだ」


ハンナはにかんだように笑い、はぐらかした。


私達は再び手をつないで先を急いだ。


礼拝堂を出るときに、私は何かに突き動かされるように、フレスコの宗教画をふり仰いだ。

天使や聖人の表情は、ドーム型の天井からの暗がりで隠され、やはりよく見えなかった。


……私は愚かにも、ハンナの悲しい覚悟に気づいていなかった。その優しさをまだ見あやまっていた。


後でどれだけ悔やんだことか。なにが女王候補者だ。すぐそばの友達の気持ちもわからなかったくせに……。もっとハンナと話せばよかった。彼女は出逢ったばかりの私を、あんなに大切に想ってくれていたのに。


私はのちに、ハンナが礼拝堂でなにを祈ってくれたか知り、思い出しては何度も泣いた。


でも、それはすべてが終わったあとだった。


そして思う。

あのとき天使たちや聖人たちは、ハンナの尊い心に泣いていたのだろうか。それともハンナの気高い勇気にほほえんでいたのだろうか。あるいは別の表情を浮かべていたのだろうか。


私は問いかけたい。


彼らは、ずっとハンナの祈りと苦悶を見てきたはずだ。ハンナのはかない人生をいったいどう思っていたのだろうかと。どうして生きているうちに、その健気さに報いてやらなかったのかと。


「……神様、大変申し訳ねえですが、灯りをひとつお借りしますだ」


祈りが終わったあと、ハンナは礼拝堂の燭台をひとつ手に取っていた。


それでもまだ私たちが進む、城の闇は深かった。かすかに足元と壁が見える程度だ。堅牢な石造りの城は、防御一辺倒で窓がほとんどなく、通路がやたら狭い。分厚い石壁に圧し潰されそうだ。まがりくねった洞窟のようだった。まるで迷路だ。


ハンナに手をひいてもらわなければ、私はとっくに螺旋階段から足を踏みはずしていたろう。握りあった掌のぬくもりだけが確かなものだった。


「……もうすぐ奥様の寝室ですだ。そこで娘たちは裸にされ、丁寧に拭かれますだ……」


ぐるぐると塔を昇りながら、ハンナが声をひそめて語ってくれた所業は、身の毛もよだつものだった。


(※ここから先は残酷描写があり。ご注意を)


薬で身体の自由を奪われた娘たちは、天井から逆さづりにされる。そして屠殺される豚のように喉をかき切られる。エリザベータはその真下で浴槽につかり、血のシャワーを堪能するのだそうだ。エリザベート自身も媚薬に酩酊していて、娘達を鞭うったり、ときには興奮のあまり、娘たちのやわらかい部位を噛みちぎり、苦悶と絶望の表情を時間をかけて鑑賞するらしい。


胸くそ悪い……。あの鞭さばきはそうやって、つちかったものだったのか……。


「それだけじゃねえんです。奥様は儀式をされますだ。でっかい角と牙の生えた不気味な像に抱きついて、血を塗りたくって、口うつしで肉片を押しこむんです。……それから、かわいそうな娘さん達を脅して、その像にまたがらせ……」


光景を思い出して、ハンナは青ざめていた。

これ以上は勘弁してくだせえ、と呟き、おし黙ってしまった。ハンナは胸で教会の印を切った。


私も吐き気がしてきた。

神の御名を心で唱える。


エリザベータは性的倒錯者どころか悪魔崇拝者だったのだ。金や物だけでなく、人まで湯水のように消費できる大貴族が、手段を問わず願いを叶えようとしたとき行きつく外法だ。生きながら悪魔の供物になった娘たちの恐怖はいかばかりだったろう。


「……だいじょうぶですだ。アリサ様ほど美しい娘さんなら、奥様は力を入れた生贄の儀式をされます。準備には時間がかかるはず……それまでアリサ様は安全ですだ……」


ハンナが太鼓判を押した。

トラブルばっかり起こすアリサのムダな美貌が、変なところで役に立ったよ。

人生はなにが幸いするかわからない。


「……ここですだ。奥様の寝室には、おつきの女官様と女の召使しか入れねえです。それに、ここなら奥様も自由に長鞭はふるえねえ……」


エリザベータの寝室手前での、ハンナのアドバイスに私はうなずいた。


つまりアリサ奪還の絶好のチャンスということだ。


安心した。


達人であるエリザベータの鞭が最大の脅威だったからだ。あの鞭先の動きを、人間の目で見切るのは困難だ。使い手の懐に飛びこもうにも、射程の長さをかいくぐる前に、めったうちだ。私も飛び道具はいくつか隠し持っているが、あの鞭さばきに対抗するには心もとない。


だが、鞭は長ければ長いほど、威力を出すのに広い空間を必要とする。振り回さないと遠心力がのらない。この寝室では加速が不十分なぺちぺち打ちになる。


……助けを外に求められる前に、一気に制圧すれば、勝算はじゅうぶんだ。そのあと、エリザベータを人質に取り、城から脱出する。


私は扉に耳をつけ、室内の様子をうかがった。

音はしない。

きわめて少人数か不在ということだ。

好都合だ。

だが、待ち伏せされている危険性もある。


私はハンナに隠れているように指示し、飛びのきながら扉を蹴り開いた。


……寝室には誰もいなかった。


壁には時代遅れのタペストリー。ベッドの天蓋は天井から宙吊りだ。おびただしい数の乾燥ハーブの束がぶら下がっている。部屋の床にはワラが敷きつめられている。


昔の館では、このワラが汚れたら新しいワラと替え、清潔をたもったという。暖炉と蝋燭の火はともったままで、さっきまで人のいた気配がした。


意気ごんでいただけに私は拍子抜けした。


そして、アリサが隠されていないか、と部屋をつぶさに調べ、気分が悪くなった。


……血痕だらけのそこは、人間専門のと殺場だった。乾燥ハーブは、血と臓物臭を隠すものだったのだ。


ま新しい白布で内部をおおわれた浴槽が中央にあった。その真上に鉄の鳥かごがぶらさがっている。

内側にびっしり植わったトゲは刃のように鋭く、触ればたちどころに傷だらけになるだろう。いや、鳥かごではない。それは中に閉じこめた娘に流血させ、エリザベータに捧げさせる集血器具だった。

ハンナの教えてくれた方法以外にもバリエーションがあったのだ。


「……頑丈な鉄かごがゆがんでいる……ひどい……」


私はうなった。


それは娘たちが死から逃れようとあがいたあとだった。


そのときの様子が想像できた。


そばの壁には天井に届くほど長い鉄棒が立てかけてあった。先端は焦げて溶けていた。鉄棒をまっかに熱し、鉄籠のすきまから差し入れ、裸にした娘に押しつけたのだ。こすれて傷だらけの鉄棒を見れば、どれだけ容赦なく突き入れたかわかる。


鉄かごの中は狭い。そしてトゲだらけだ。焼かれる痛みに悶絶しながら、逃げまどう娘は、鉄かごのトゲに何度も身をうちつける。娘たちの柔肌は引き裂かれ、血があふれだす。それをエリザベータは下で喜々として受けとめ、肌に塗りたくったのだ。


娘たちの絶望の悲鳴と肌を焼く音に、うっとりと聞き惚れながら……。


拘束用の鎖と枷のついた人間大の石台もあった。犠牲者が逃れようと必死に暴れたのだろう。うっすらと人の形にすり減っていた。


石台には傾斜がつき、溝が掘ってあった。犠牲者の喉をかき切り、効率よく血を回収するためだ。


横の机には奇怪な形の刃物が並んでいる。

腑分けや皮剥ぎに使うのだろう。


やたら大きな皿が重ねられていた。人間の手足がのせられそうだ。普通の寝室には不要なものだ。娘たちは、切り離された自分の一部分を見せつけられながら、活造りのように解体されたのだ。


人権も尊厳もない。ここでは人間は、エリザベータの楽しみのための消費物でしかない。悪夢の遊び場だ。家畜のように私を殺させたくないというハンナの言葉はまさに正しかった。


奥まったところのヴェールをおそるおそるめくった私は、血塗られた悪魔像と鼻を突きつけあうことになり、悲鳴をのみこんだ。牙に肉片がはさまっていた。髪のついたまま剝がされた女の顔の皮が、べったりと悪魔像の頭から鼻先に貼りつけられていた。生乾きだ。血がこびりついて固まった長いブロンドの髪が痛々しい。


視線を落とした私は、像のグロテスクな屹立を目にした。巨大な爬虫類を思わせるおぞましい形だ。

全体をおおうウロコは鋭く、まるですりがねだ。押しつけて動かすだけで人間の皮膚など破れるだろう。まして……。


嫌悪感がぞわそわと背筋をかけのぼる。


エリザベータがこの像を使い、どういう行為を娘達に強いたか想像してしまった。ハンナが口ごもるわけだ。血みどろの王位継承権争いで拷問器具を見慣れた私でも、ここまでひどい代物には、なかなかお目にかかれない。


ここの女城主は真の狂人だ。


寝室でアリサは見つからなかった。


私はいても立ってもいられなくなった。エリザベータは殺人にためらいがなく、モラルはもっとぶち壊れている。豪運アリサといえど、いつ無惨に殺されても不思議はないのだ。


浮足立った私は、はりつくように響き渡る角笛の音に、とびあがりそうになった。帰ってこない私を心配し、おそるおそる寝室に入って来たハンナが、さっと顔色を変えた。


「……この音は……晩餐会のファンファーレですだ……!! ……もしかしてアリサ様は……!!」


私達は蒼白な顔を見合わせた。


「こ、こっちですだ。案内いたします。急がねば……!!」


ハンナが私の手をひき、私達は暗い階段を転がるように駆け下りた。


ハンナは焦っていた。

そのわけを悟り、私は唇を噛みしめた。

アリサは上質な獲物すぎたのだ。


「たぶん奥様は、アリサ様を、みんなの前で自慢しながら、料理するおつもりですだ……!!」


ハンナの話によると、エリザベータは悪魔崇拝の同好の士達と、大広間で晩餐会を開くことがあるそうだ。そのときは、乙女の血でつくったブラックプティングや、口に出すのもはばかられるような料理に舌鼓をうつのだそうだが、エリザベータはそこでのメインディッシュとして、アリサを供するつもりなのだ。


私達は厨房にとびこんだ。


突然の闖入者に、料理人たちが目をむき、わめきたてたが、かまわずに中を突っきる。かまどの上では、吊り下げられた鍋が煮え、焼き串器に丸ごと突き刺された鳥が、油をしたたらせている。


……大規模な厨房なのに、料理のかなめの黒光りするオーブンがない。立ち働く女子もまったく見当たらない。料理器具もいやに種類が少ない。厨房に不可欠なものがいくつか欠落している。


巨大な調理用の長机には、食材と山ほどのハーブが並べられていた。逆にハーブの量と種類が、どの厨房で見たよりはるかに多い。これは昔の料理の特徴のひとつだ。


香辛料が手に入りづらく、塩が希少だった時代は、入手が容易なハーブで、とにかく食材のいたみを誤魔かすのがデフォだった。ほかにもハーブティーを愛飲し、薬代わりにハーブ。ハーブ浴を推奨し、香料もハーブでつくる。高貴な人の座る床にもハーブ。どんだけハーブが好きだったのか……。中世は、まさに浴びるようにハーブを消費していたのだ。


アリサを香草詰めにするぐらいの量はあったが、幸いなことに、どうやらここにはいないようだ。


私はほっと胸をなでおろした。


その隙をつき、恰幅のいい料理人が、私の手首を摑んでねじりあげようとした。神聖な厨房にぶしつけに踏み込んだよそ者に憤慨し、「今すぐここを出ていけ」と顔全体を口のようにして叫んでいた。「この城の外にとっとと立ち去って二度と近づくな」とまで言われた。ところ払いである。


彼は職務に忠実だったが、不幸なことに、私に会話のキャッチボールをする心の余裕はなかった。エリザベータの鬼畜の所業に気が立っていたのもある。


私は間髪いれず、彼の下顎をフック気味に鉄扇でうちぬいた。かくんっと彼の顔がぶれた。ある角度で顔を揺らすと、人は脳震盪をおこしやすい。相手が叫んで口を開いていればなおさらだ。


お父様から伝授されたスカーレット三十三の護身術のひとつだ。一部の戦士達だけが知る秘伝である。そして彼の顎と首は、一流の戦士ほど丈夫ではなかった。


料理人は派手に後ろにひっくり返り、盛大に料理台の食材をまき散らした。


「……私を女とあなどるな。死にたくなければ正直に答えなさい。ここに食材として、金髪の女の子が運ばれてこなかった?」


私は彼の喉元に大包丁を突きつけ脅した。

まるで女海賊である。


「私は気が短い。答えないなら、ここにいる全員が死ぬことになる」


刃物をぎらつかせる。ついでに刃物狂いのアピールとして、料理人の横の野菜を千切りした。


はったりもいいところだ。

私にそんな戦闘力はない。

もし全員に一斉に組みつかれたら終わりだ。


冷酷な表情をとりつくろいながら、内心は冷汗だらだらだった。


だが、女の細腕で、体格差のある大男をたやすく制圧した私は、超絶的な武術の使い手と思われたようだそして睨んだとおり、この料理人がここの長だったらしい。彼はまだ目を回していたが、私が「いひひ」とわざと残酷な笑みを浮かべ、首をかき切るジェスチャーをすると、周囲の皆があわてて答えてくれた。


たぶんエリザベータの同類と思われた。

少し傷つく。


どうやらアリサはここには運ばれてこなかったらしい。


「……『特別な料理』は、この厨房を通らないんだ」


まじめそうな若者が嫌悪感をこめて言った。

吐き捨てるような調子だった。

何人かが共感するように頷いた。

どうやらここはまっとうな仕事場だったらしい。


「それ専用の隠し部屋があるんだよ。俺らは命じられて、新しい刃物や皿を、ときどき運ぶんだ」


たしかにエリザベータの寝室のような陰惨な気配は、この厨房にはない。


「お騒がせしてごめんなさい。これは少ないけどお詫びよ」


『特別な料理』が搬出される隠し部屋を彼らから教えてもらい、私はふところから人数分の金貨を取り出し、机に置いた。気絶させた料理人の顔には、大盤ぶるまいで三枚をのせておいた。両のまぶたと鼻の上だ。思わぬ出費に泣ける。エセルリードにばれたら、しばらくは私のおやつはビスケットだけだ。この金貨、ここで通用するのかと疑問には思う。


「……友だちを助けに行くのかい」


小さく問うた若者に私はうなずいた。


「……幸運を」


驚くことに若者は私を祝福してくれた。

さらに驚くことに、彼だけでなく、他の皆まで好意的な表情で私を見送っていた。

それはあげた金貨以上のものだった。


「おぞましい宴会をするときは、兵士たちは大広間の近くから追い出されるんだ」


ありがたい情報までつけてくれた。

悪魔崇拝を見られたくないというわけか。

これでプロの武装集団を相手しなくてすむ。


エリザベータの悪魔の所業が気に入らない人間が、内部にこれだけいるということか。


スカートをつまんで膝を軽く屈して返礼すると、全員がびっくりしていた。変なあいさつをする奴だという顔をしていた。


「うう、私の作法は完璧なのに」


今この場では時代を先取りしすぎなのだ。

憤懣やるかたなし。

私はおちこんだ。

ハンナが心配しておろおろしている。


と、そんなことにこだわっている場合じゃない。


私とハンナは厨房を飛び出し、教えてもらった隠し部屋に急行した。


変哲のない壁に、ヤギの装飾をほどこした箇所があり、そこが隠し部屋への入り口だった。わずかなくぼみに指をかけながら、少し持ち上げるようにして押しこむと、かたんと音がして、その壁一面が横にスライドして開いた。


「……こんな部屋があったなんて……」


ハンナが驚きに目を丸くしていた。


城勤めのハンナでさえ知らなかったギミックだ。


厨房の皆が教えてくれなければ、私は永遠にここにたどり着けなかったろう。私はアリサのような豪運はないが、人運みたいなものだけには恵まれているのだ。


隠し部屋は殺風景で、大きな机といくつかの椅子があるだけだった。壁には盾かけの跡があり、ここが元は衛兵の控え部屋だったことを示していた。古い城にはこういった部屋がたまにある。「くせ者だ!! であえ!! であえ!!」と叫ぶと、わらわらと家臣たちが湧いてくるという寸法だ。


だが、人知れずこの城を守り続けた衛兵たちの誇りは踏みにじられた。今のこの部屋は、悪魔への供えものの準備の場に成り果てた。無駄に飛び散った血痕と血臭は、エリザベータの寝室と共通だ。プロの厨房と違い、素人が作業した証拠でもある。


だが、真新しい残留物はない。

アリサはまだ無事だ。


「……スカーレット様、ここから大広間の様子がのぞけますだ」


向かいの扉に額を押しつけていたハンナが、ふりむき、声を押し殺して教えてくれた。


扉にとびついた私は、のぞき穴からの光景に目を見張った。


「うえっ、なにこれ……」


レディーらしからぬ呻きを漏らしてしまった。


巨大なタペストリ―が壁をおおい、いたるところに三角の旗が突き出て垂れ下がっている。盾や武具が見せつけるように大量に飾られている。ぶらさがったシャンデリアは、王冠のように円形で重々しい鉄製だった。槍の穂先のように剣呑な光を放っている。壁には松明が燃えていた。


まあ……大広間の内装はよしとしよう。


床にワラが敷き詰められているのもだ。

地方の農家だとなくもない、かもしれない。


問題は……ここからだ。


大広間では確かに晩餐会が行われていた。


だが、私の知る洗練された晩餐会とまったく別物だった。


小男たちが大男の肩の上で、トランプタワーのように立っていた。両手をつないだ軽業師二人が、車輪のように床を転がる。交差するように別の二人がバク宙をうった。ナイフをジャグリングしている者もいる。二股を垂らした帽子をかぶった道化師が、げらげら笑いながら練り歩いていた。柔軟人間がタコのようにくねり、かかとで両頬をはさんでみせる。楽師たちが鳴り物ではやしたてる。


これでもかという見世物の連続。

まるでサーカスの集団だ。


これは……とにかくど派手なもてなしが最上とされた、古い時代の晩餐会だ。


宴会場の大テーブルの配置は、大きく間隔をとった「コ」の字だった。彼らが縦横無尽に動き回るスペースが十分にあった。ここでは、ショーと食事会が一体化していた。


上座の中央のエリザベータを筆頭に、宴会の出席者は女ばかりだった。エリザベータと同じような、上着の両脇が極端にえぐれたドレスだ。後ろ暗い趣味の集まりだけに、顔を隠したいのだろう。全員が額から鼻までおおう動物のマスクを着用していた。


エリザベータのみ素顔だ。大権力者の自分は、隠す必要などないといわんばかりだ。それとも悪いことをしている自覚さえないのかもしれない。


同席するマスク婦人達も負けず劣らず悪辣だった。


「今日の『特別な料理』は自信の逸品だとか」


「あら、楽しみですわ。ここの料理を食べたあとは、肌のはりが違いますの」


「土くさい農奴の娘でもあれだけの効果。青い血ならばいったいどれだけの……」


「それが、なんと、今日の娘は貴族らしいとか……」


「まあ……!!」


うわ……こいつら、だんだん本物の狐や狼やヤギに見えてきたよ。いや、動物に失礼か。


聞いてるだけで気分が悪くなる会話だ。

それも声をひそめてではない。

下町の酒場のように、手を叩き大声でだ。


うーん、貴婦人の皮をかぶった動物かな?


食事マナーも最低だ。

料理は基本手づかみ。

それぞれ一本づつの小刀とスプーンだけが食器だ。

取り皿のかわりに四角い黒パンがあった。


最初は冒涜行為の一環かと思ったが、これもまた昔の食事光景だと思いあたった。カトラリーとテーブルマナーにいろどられた現代の常識とはまったく違うのだ。


「ぞんぶんに期待するがいい。これほどの極上の乙女、二度とは手に入るまいぞ」


エリザベータが、眼前の船がたの銀器から塩をつまみ、自信たっぷりに断言する。


塩入れの銀器が前にある婦人達が歓声をあげ、ない者は、ねたましげな表情をした。


塩の容器を置くかどうかで階級を明確にする、これも古い習わしだ。


アリサを皆に行き渡らせる余裕はないということか。どれだけ独占して食べる気なんだろう。


その若さと美への執着に寒気がした。


あほアリサの肉なんかをそんなに食べたら、脳がただれて、腐り落ちるんだから。薬もすぎれば毒になるのだ。


私が心のなかで悪態をついていると、またも角笛ファンファーレが鳴り響いた。


大皿にのった料理を、給仕たちが数人がかりで、次々にエリザベータの前に運んできた。


ぎょっとした。


翼を広げたクジャクやキジが未調理で皿にのっていた。人間を食べるだけあって、血のしたたる生のままが好みなのか。いや、よく見ると、一度焼いた鳥に、また羽根をはりつけ、飾り立てていた。


食中毒が怖くないのだろうか。


まあ、昔は、生きた鳩が飛び出す料理もあったそうだし……。


続いて運ばれてきたのは、いろいろな動物の身体をつぎはぎしてつくったキメラだった。


今と料理の概念が違いすぎ、くらくらする。

ここでは料理そのものがショーなのだ。


「見よ!! この天使のような乙女を!! けがれを知らぬ美を!! 天に愛されたこの奇跡を破壊し尽くし捧げてこそ、我らが主もお悦びになろうというもの」


ひときわ大きな皿の前で、エリザベータがもったいぶった口上を述べる。


上にかけた白布をつまむ指は猛禽のかぎ爪のようであり、目に暗い炎が燃えていた。若さと美しさへの焦がれんばかりの嫉妬と、それを破壊できる喜悦だ。


うやうやしく安置された例の悪魔像に口づけし、エリザベータがばっと白布をひいた。


やはり大皿の上にアリサがいた。


厳密にはアリサは乙女ではなく、色欲で汚れまくりなんだけど……。


アリサは一糸まとわぬ姿だった。敷き詰められた花の中、安らかに眠っていた。たぶん薬を飲まされているのだろう。下着の支えがなくてもいささかも崩れぬ胸のはりと、きらきら輝く豪奢な金髪。

たるんだところのない純白のみずみずしい肌。まるで美の女神像だ。


アリサをよく知る私でさえ息をのんだほどだ。


「なんと……」


「これほどとは……」


ざんねんな頭に反比例し、裸になればなるほど、アリサの美しさはすごみを増す。


婦人たちが羨望と嫉妬のため息をつく。


ぽかんとした給仕が料理をぶちまける。ぼおっとなったナイフ使いが、自分の尻にナイフを落とした。男たち全員の目がアリサの裸体に引き寄せられていた。


傾国レベルの本領発揮だ。


だが、そこで終わらないのが、アリサが暴走娘たるゆえんであった。


アリサがむにゃむにゃと口元を動かし、寝言を言った。


「……もにゃもにゃ、スカーレットさま、そんなにアリサとエッチしたいの? もうっ……アリサ、また赤ちゃんできちゃうよお」


息を殺して様子をうかがっていた私は、扉の前でずっこけた。


アリサが寝ぼけたまま、にまにまとする。

欲望丸だしの実にあさましい笑みだ。


「……こどもが五人……こどもが六人……こどもが七人……いいよ、アリサいっぱい生んだげる……いやん、スカーレットさまばっかり、ずるいよお。次は、アリサが、ぺろぺろしてあげるんだからぁ……レロレロ……ふがぁ……」


寝言と、鼻ちょうちんを、同時におこなうウルトラCだ。


盛り上がっていた宴の空気が、一瞬で台無しになり、周囲がしいんと凍りついた。


どういう卑猥な夢を見てるんだ、このあほ娘は。勝手に私と子づくりするな!!


よほどショックだったのか、軽業師の連中など芸の披露も忘れ、呆然と立ちつくしていた。おお、とうめきながら、かぶりを振っている給仕もいる。あこがれのアイドルが、とんでもないビッチだったと発覚したときの男の子の顔をしていた。


……チャンスだ!! 全員の動きが止まった!!


「……アリサ、あんたねえ……!!」


私はお決まりの台詞とともに飛び出した。


どよめく芸人たちのあいだを一文字に走りぬけ、鉄扇を思いっきり投げつけた。鉄扇はブーメランのようにカーブをえがいて飛んだ。あわてて阻止しようとした連中もいたが、まわりこむような軌跡に対応しきれない。伸ばされた手や武器はむなしく空をきった。


「……天罰よ。地獄に帰りなさい……!!」


鉄扇は狙いあやまたず、悪魔像に命中し、その首を切りとばした。


「成敗!!」


ごとんっと頭が床に落ちて潰れた。

無念首のように宙をにらんでいる。

参列の御婦人がたが凍りついた。


うん、さっき寝室で確認したけどね。安物の石材なんかで彫るからダメなんだよ。たぶんエリザベータ、職人にぼったくられたぞ。


「悪魔の呪いがくるぞ!!」


私は怒鳴った。

自分でやっといてなんだけど。


ばちばちと落雷のような轟音をたて、松明が黒煙をふきだした。紫や緑、オレンジの炎がひらめく。鼻をつく硫黄そっくりの異臭が充満する。


参加者たちは一瞬、棒立ちになったあと、悲鳴をあげ、椅子を蹴って立ちあがった。


あたりは大混乱におちいった。


ふふ、おそれおののくがよい。


まあ、空飛ぶ鉄扇にみんなが気を取られているあいだに、私が特性の煙玉を、ひそかに松明に放りこんでただけなんだけどね。


通称、スカーレットとんずら玉。


本来、逃げの一手に使うアイテムだが、彼らは、悪魔が出現するさいの硫黄と地獄の炎だと、本気で信じて怯えきっていた。私ひとりで全員の相手なんてできないから、はったりかましただけだ。こうもうまくいくとは拍子抜けだ。自爆覚悟のワンペアでひとり勝ちした気分だ。


彼らはパニックになって、我先にと出口めがけて殺到した。


押し合いへし合いでじつに見苦しい。

転んだ人間を踏みつける地獄絵図だった。

動物のマスクにふさわしい行動だ。

私は呆れはてた。

いざってときに人間の本性はあらわになる。


外道のこいつらもぶちのめしてやりたいけど、今は元凶のエリザベータが優先だ。邪魔者たちはとっとと退場してもらおう。


地を這うような得体のしれないうなり声が、彼らを追いまわし、その恐怖に拍車をかけた。


「ほら!! 悪魔の怒りの声が!! 早く逃げないと、つかまって八つ裂きにされる!!」


私も調子にのってあおりまくった。

ちょっと楽しい。


王位継承候補者のライバルたちにこんな策をしかけたら、「なにやってんだ、このバカは」と冷たく一瞥されて終わりだろう。


招待客だけでなく、芸人や給仕たちまで逃げ去ってしまった。職務放棄だ。この時代の人間の迷信深さは、驚くべきものがあった。そんなんで悪魔崇拝なんかしなきゃいいのに……。堅実無難な人生設計が一番よ。


私はちらっとハンナのほうを見た。

ものかげに隠れ、ちょこんと体育ずわりをし、私が頼んでおいた鳴笛を吹いてくれていた。

まっかになって懸命に頬をふくらませている。

仔犬を連想する。

私のお姉さんスピリッツを直撃だ。

かわいいな、もう。

私は頭をなでに行きたいのを必死にこらえた。


うなり声の正体はこの笛だ。

別名かくらん笛。

スカーレット七つ道具のひとつだ。


低い音は出どころをつかみづらい。

すぐ真後ろで鳴っていると錯覚しやすいのだ。


まあ、これも、本来は追手の目ならぬ耳をくらますために吹くものなのだが……。


ああっ、ハンナが演奏に集中しすぎて酸欠になってる!! 


周囲の様子に気づいていない!! 

くるくる上体がまわってる!! 

ハンナ、そこまでしなくていいって!! 

ストップ!! もういいの!! 

ハンナのおかげで、みんな逃げ去ったから!! 

死んじゃうよ!!


エリザベータの手前、ハンナに呼びかけるわけにもいかず、私は必死に手ぶりでハンナを止めた。


今や敵はエリザベータただ一人だ。

兵士たちがいなくて本当によかった。

こそこそ悪いことをしようとするから、自分で自分の首をしめる羽目になるのだ。


「……ほほ、たいしたものよな。女一人の身でここまでやるとは。だが、わらわを他の連中とは一緒にするなよ」


けれど、エリザベータは、この大パニックの中でも余裕たっぷりだった。燭台がひっくり返り、引火したテーブルクロスが目前で炎上しているが、意にも介していない。確かにこいつは良くも悪くも大貴族だ。


「アリサ!! おきて!! 燃えちゃうよ!!」


このままではアリサのほうが火にまかれる。


私はのどを枯らして叫んだが、アリサは高いびきで寝入ったままだ。普通は火事だと叫べば、まわりに無関心な世捨て人でも飛び起きるのに……。薬のせいか。いや、これ、アリサの素かもしれない……。


「まったく、あほアリサ!! 世話ばかり焼かせて!!」


ほっとくわけにはいかない。


私は令嬢らしからぬ罵りをしながら、アリサを抱きかかえた。飛び退く。細腕にアリサ一人の体重は重いが、そこは根性と気合でなんとかする。今まで、何回このあほ娘を抱きかかえて逃げ回ったことか……。


「知恵と腕があっても、しょせんは女。目の前のものに夢中で、状況が見えなくなる」


エリザベータが嘲笑い、完全に両手がふさがった私めがけ、鞭をとばしてきた。


ああっ、もうっ!! やると思ったよ!! 


一撃目はかろうじてかわしたが、アリサをかかえて次は無理だ。


エリザベータもわかっていて、残忍な笑みで舌なめずりをした。ピシィッピシィッといたぶるようにクラック音を鳴らす。


「獲物は追いつめるときが一番楽しいのお。もはや打つ手はあるまい? おまえたち二人、仲良く皮を剥いでやろう。わらわの美の糧になるがよい……!!」


「……まっぴらごめんよ。それにどうかしら? 勝負は最後までわからない」


「へらず口を……」


勝ち誇り、鞭を振ろうとしたエリザベータの顔が凍りついた。


赤い布がふわふわと舞いおり、鞭の握りにからみついた。私の頭のリボンだ。アリサを助けに入る寸前に、ほどいて上に放り投げておいた。


「獲物だって油断してると噛みつくのよ。こんなふうに」


リボンはテーブルの炎にふれると、ぼんっと閃光をふき、火の玉のように燃えあがった。


ざまあみろ。

今まで犠牲になった女の子達の分のお返しだ。

私は、爆発的に燃える布を、服のあちこちに仕込んでいるのだ。


「目の前のものに夢中で、状況が見えなかったのは、そっちだったね」


言葉で追い討ちも忘れない。


「ぎゃあっ!?」


エリザベータは悲鳴をあげ、顔をかばうように両手を振り回して飛び退いた。


とっさに鞭を放らなければ、一緒に火だるまになったろうが、残念ながらたいしたダメージは与えられなかった。前髪の毛先がちぢれ、ほほに少しかすり傷ができた程度だ。


だが、エリザベータにとっては許しがたいものだったようだ。


「おのれ……!! 下賤な分際で……!! よくも高貴なわらわの顔を……!!」


血相が変わっていた。

化粧のようにはりつけていた余裕が剥がれ落ち、醜くわめきたてる。


「百万べん八つ裂きにしても、あきたりぬ……!!」


「わあ、こわい。一回三時間でも三百年以上だ。あんた、くたびれはてて、もっとおばあちゃんになっちゃうよ。ただでさえ……ごほん、ごほん。失言ごめんあそばせ」


私は悪口の限りをつくした応酬をしながら時間稼ぎをし、アリサを安全なところにおろした。


「おの……!! お……!!」


エリザベータは激おこだ。

口をぱくぱくさせる。

おのれと言いたいが、怒りすぎで、ろれつが回らないらしい。


私はわざとらしく小首をかしげた。


「……とうとう言葉も忘れちゃった? ボケのはじまり? もしかして足腰も立たない? 年取るって悲しいよね。よぼよぼエリザベータ」


誤解しないでほしい。

私は年寄りは国の宝と思っている。


とにかくエリザベータを怒らせ、なにをさしおいても今すぐ私を殺したいと思わせる必要があるのだ。そうすれば行動が読みやすくなる。


私はさらにあおり続けた。


「しょうがないなあ。私からそっちに行ってあげるから、女同士さしでけりをつけましょう。あんたに若い子の挑戦を受ける度胸があるならね。どうする? しわくちゃエリザベータおばあちゃん」


「……!!」


エリザベータはもはや一言も発せず、私をにらみつけた。見るだけで私を殺せそうな勢いだ。もうそれしか頭にあるまい。思考の視野狭窄だ。


エリザベータが殺人までおかして求めた若さと美を、むちゃくちゃにけなしてやった甲斐がある。


私は再びエリザベートに歩み寄った。


爪先に全神経を集中しながら、一歩一歩慎重に足を進める。エリザベータに気づかれないように。


足がすくみ、息が荒くなり、手が汗ばむ。


崩れかけた断崖絶壁のはしっこを爪先ひっかけて伝い歩きしている気分だ。きゃあっと女の子らしく悲鳴をあげ、しゃがみこんでも誰も私を責めまい。私が歩む先の足元になにがあるか知りさえすれば。恐怖を精神力でねじ伏せ、冷静に足裏の感覚をさぐるのにたいへん苦労した。


さっきアリサを助けにとびこんだとき、感じた床の違和感。

たしかこのあたりだったはずだ。


……あった……!! 


伝わる音があきらかに違う。

どっと額から汗が出た。

どきどきしすぎて心臓がとびだしそうだ。

そこから先に足を踏み出すのは、おそろしいほどの勇気を必要とした。


私の心理描写をえがくと長いが、それは時間にすればわずか数秒のできごとだった。


エリザベータは私を睨んだまま、背後の壁のタペストリーを、ばさっとはねあげた。そこにはくぼみがあり、鎖と金属の輪が鈍く光っていた。


エリザベータは邪悪に嗤った。


「……死ね!!」


ひねりも皮肉もないストレートな台詞をしぼりだし、がちゃんと鎖をひいた。


ばんっと音をたて、私のまわりの床が消えた。一辺が二メートルほどの四角い穴は、底が見えないほど深かった。ごおっと下から冷たくかび臭い風が吹く。観音開きの落とし穴が作動したのだ。


いくたの犠牲者をのみこんだ罠に、エリザベータは勝利を確信したろう。


私がひとあし早く、空中にジャンプしたと気づくまでは。


ヴィンテ城と似た古城で、同様の罠をみた経験が役にたった。


「で、次の罠は? エリザベータ」


テーブルをとびこえ、そばに着地し、私は冷たくエリザベータを見おろした。


ゴミがむだなことを、というように蔑んだ目でだ。


ここでエリザベータの心を折っておかなければ、おとなしく人質にはなるまい。私にはなにをしても通用しないと、完膚なきまで教えこむ必要がある。


落とし穴の上を歩いた恐怖と、無理な跳躍で、私の足がぷるぷるしているのは内緒だ。


私はエリザベータの目をのぞきこんだ。

まだ闘志がある。油断は禁物だ。


「……くっ……」


エリザベータは身をかがめるとテーブルの下から小型のクロスボウをひきずりだした。

私めがけてトリガーをひこうとする。


本人は電光石火のつもりだろうが、私にはスローすぎる動きだった。


幼少の頃は英雄のお父様に、今はハイドランジア最強のマッツオに稽古をつけてもらっているのだ。

筋力はさすがに男にかなわないが、反射神経は一流の戦士たちと遜色ない。


機先をせいし、エリザベータの眉間に鉄扇を投げつけることに成功した。エリザベータは悲鳴をあげてよろめいた。目を潰さなかっただけ感謝してほしい。


クロスボウの矢は、私を大きくそれ、あさっての方向に飛んでいった。


天井近くでなにかにあたり、金属音と火花が散った。


かわす必要さえなかった。

私はもう一本の鉄扇で、おびえたエリザベータの手首をしこたまうちすえた。クロスボウを取り落したところで、エリザベータののどもとに、鉄扇のふちの刃をおしあて、すっと軽くひいた。ぷつぷつと横一文字に血のたまが浮きでた。


「……よけいなことをすれば、次は鼻か耳をそぎおとす」


低い声でそう脅すと、青くなったエリザベータの目が死んだ。美にこだわるだけあって、このセリフは効果てきめんだった。嘘のようにおとなしくなった。


ことごとく後の先をとるような相手には、どんな抵抗をしても無駄とようやく悟ったようだ。


私は満足し、エリザベータを人質にし、この城からの脱出にとりかかろうとした。


椿事はそのとき起きた。


ぎぎぎっと嫌なきしみが、頭上から聞こえた。


不審に思い、私は真上を仰ぎ見た。


私の顔から血の気がひいた。


ばかでかいシャンデリアがかたむいて揺れている。

大重量を吊りさげている根元の金属の輪が、めりめりと裂けだしていた。そのすぐ横にエリザベータの放った矢がつきささっていた。さっきの金属音は、矢がこの輪にぶつかった音だったのだ。


思わずエリザベータを見たが、彼女もまたぽかんと口を開けたあほみたいな表情をしていた。


想定外の偶然の事故だったのだ。


シャンデリアの落下も想定外にすぐだった。

シャンデリアは、がくんっと一度停止したあと、天井のくびきの輪をあっさりちぎり取った。解き放たれた獰猛さで、私達に逆落としに襲いかかった。ぶるんぶるんと太い鎖がのたうつ。とがった装飾はまるで降りそそぐ無数の牙だ。


猛犬のかわりにシャンデリアの襲撃とは!!


「……っ……!!」


私はエリザベータを抱きかかえて逃げようとした。不本意だが、死んでしまっては人質の価値がない。


だが、エリザベータは恐怖で腰がぬけてしまっていた。ぺたんと床にすわりこむ。エリザベータの体重だけでなく、床との摩擦までが私の細腕にかかった。


これじゃ動かせない……!!

私は愕然とした。


さんざん命をもてあそんだくせに、いざ自分がとなると途端にこれだ。

こんなのでは犠牲者も浮かばれまい。

だから小悪党ってきらいなんだよ!!


だめだ!! もう間に合わない!! 

やっぱり大一番で私は運に見放される。

よりによってエリザベータなんかと心中!?


運命に毒づきながら、死の予感に身をこわばらせた私は、すさまじい力で突き飛ばされ、ごろごろと横に転がった。私とからみあうようにしてエリザベータもだ。


殺人シャンデリアは私達を喰いそこね、髪の毛とドレスの裾をかすめるにとどまった。激突の大音響が耳をつんざく。蝋燭の炎が四散し、衝撃で床がはね、私たちの身体は一瞬浮いた。


「……!!」


名前をよんだ私の叫びはかき消された。


シャンデリアの激突音には、肉をつらぬく鈍い音が混じっていた。

血しぶきが花びらのように悲しく舞った。

突き飛ばした小さな両手を私は見てしまった。

優しくほほえむ彼女の顔が目にやきついた。


私はいやいやをするように、かぶりを振った。


床に食いこんだシャンデリアの残骸から、みおぼえのある手が生えていた。暗闇のなか、ずっとつなぎあい、私をみちびいてくれた手だった。


「……ハンナ……!!」


私はかすれた悲鳴をあげ、ハンナの手にすがりついた。

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