第8話 死の記憶と嗤う者
……これは、私の「72回目の人生」の終焉の記憶。
私の早足の足音だけがもの哀しく響いた。
城につくられた隠し通路、いつの頃につくられたかも定かではない黴臭い石の暗渠。追い詰められた王族が逃げ延びるための、最後の頼みの綱。
城は今頃火に包まれているはずだ。
長い城の歴史の中で、何人の王族がここより都落ちをはかったのだろう。
私も今やその一人だった。
だが、私の心はまだ折れてはいない。
泣いてやったりなどするものか。
大切な人たちはもう誰も残っていない。私だけが生きている。
自分ひとりが悲しむために流す涙など、私は持ち合わせていない。
自分のやったことに後悔もしない。
供がひとりもいなくなっても、たとえ国の誰からも認められなくなっても、私は自分が女王であるというプライドだけは捨てない。
通路の繋がる先は川のほとりだ。
出口は少しだけ川面より低い位置にある。
通路から出るには少しだけ川の水を潜り抜ける必要がある。
絶対に外からは通路の存在を悟られないための工夫だ。
今が大雨の数日あとでよかった。
増水した川の水が逆流した名残で、通路の床のあちこちに水溜りがある。
川藻のきつい匂いがする。
通路をつくった当時に比べ、川底が沈殿物で上昇したのが原因だ。
こんなところで松明を取り落とせば、一巻の終わりだ。
足元は水浸し。むわっとした湿度。再点火は容易ではあるまい。
壁伝いに脱出できるかもしれないが、暗闇の中で襲い来るネズミと戦いながらの命がけの逃避行になる。
私は慎重に松明をかざして歩いた。
川の水の匂いが強くなる。出口が近い。
ブラッドは、そこで私を待ち受けていた。
しゃがんでいた彼がゆっくりと立ち上がった。
私の手にした松明の炎が、ゆらゆら私たち二人の影法師を照らしていた。
「ブラッド……さすがね。まさか、王族以外が隠し通路を知っているなんて、思わなかった」
私は苦笑した。
最強の殺し屋。一対一で私がかなう相手ではない。
私の命運はつきた。
だが、不思議と穏やかな気持ちだった。
「「治外の民」はいろいろな獣道に通じているんでな。許可なく不法侵入した非礼は詫びよう」
相変らずの仏頂面で、ぼそっとそんなことを言う。
「ずいぶん礼儀正しいのね。敵の私に遠慮する必要なんかないのに」
私は思わずくすくす笑った。
何度も私を追い詰めたブラッドだが、仇敵というより好敵手という気持ちを抱いてしまうのは、彼のこういうところを気に入っているからだろう。
「ここには俺一人で来た。他には誰もいない。通路のことも教えていない」
「そう……あなたらしいわね。ありがとう」
言葉の意味を私は正しく理解し、感謝した。
若い女性が複数の兵士達に捕まれば、待ち受けるのは恥辱にまみれる末路だ。
そういう目にだけはあわせないと暗に告げているのだ。ブラッドは潔癖すぎる暗殺者だった。
皆が手の平返しをした今、いつもと変わらない彼がうれしかった。
ならば私も最後まで悪の女王として振舞おう。
「ねえ、一応たずねさせて。私に仕える気はない? 私ならこの窮地さえのりきれば、必ずまた逆転してみせるわ」
お互い主従の関係などありえないと百も承知だ。これは定例の挨拶のようなものだ。だが、それも最後になる。だから、いつもは口にしないことまで言及した。
「それとも他の四人の勇士と同じく、あなたもあの「救国の乙女」に心酔しているのかしら」
「よせ。勇士なんて呼び方、虫唾が走る。俺はただの人殺しだ。あの胡散臭い女も大嫌いだ。他の連中と一緒にしてくれるな。あの女の笑顔も涙もまやかしだ。裏に得体のしれない本性を隠している。あいつが悪の女王といわれるほうが、しっくりくる。あんたのほうがマシだ」
渋面で吐き捨てるブラッド。
私は驚きに目を見張り、にやりと笑った。
あの女への痛快な酷評を久しぶりに耳にした。
どうやらあの女にも従わせられない者があったようだ。
「ふふ、少し胸のつかえがとれた。あなたになら、殺されてもいい気がしてきた」
あなたにはその資格もあるしね。
私は心のなかでそっと呟いた。
私はあなた達「治外の民」の里を焼き討ちしたものね。
思い起こすと胸がちくりと痛んだ。
ブラッド・ストーカーの故郷。「治外の民」の本拠地。
私は、彼らを数の暴力で殲滅した。
私の敵対勢力にやとわれた彼らは脅威だった。
「治外の民」は寝室にまで忍び込んだ。あらゆる手段で私の暗殺をはかった。
放置しておけば、いずれ私は彼らの牙にかかっていたろう。
彼らと和平交渉しようとしたが梨のつぶてだった。
堪りかねた私は彼らの源を叩くことにした。そうする以外に道はなかった。
それでも最初は全滅させる気なんかなかった。
軍で里を取り囲み、交渉、最悪でも脅しての降伏が狙いだった。
だけど、彼らは再三の降伏勧告を拒んだ。
誰一人として投降者は出なかった。
徹底抗戦の構えを崩さなかった。
度重なる夜襲を敢行し、こちらの軍が甚大な被害を受けた。
やむをえず、指揮官は兵に里全体を包囲させ、里に火をかけさせた。
そのうえで飛び道具の波状攻撃をかけた。
獣のように強い彼らも、接近戦にもちこめなければ、手も足も出なかった。
そして「治外の民」の強さに戦慄していた現場の兵達に、手加減する心の余裕はなかった。
結果、里は玉砕した。女も子供も皆殺しだった。
その知らせを聞いたとき、私は耳を疑い、思わず玉座を蹴り、立ち上がってしまっていた。しばらく茫然と立ち尽くしていた。
そこまで悲惨な結末は予想していなかった。
戦場の狂気を私は正しく理解していなかった。
……私が冷酷無比の女王と呼ばれる事になる、きっかけだ。
私にとっても苦い記憶だ。
ブラッド・ストーカーは、その里の唯一の生き残りだ。
里の長の息子にして、一族の最高傑作といわれた男だった。
焼き討ちのことをこの場でブラッドに謝りたかった。
ずっとずっと謝りたかったのだ。
だが、それをしてしまえば、私は楽になるだろう。
それは卑怯だ。
そんな曖昧な気持ちで殺されたなど、死者も納得がいくまい。
だから、この胸の痛みは秘めたまま、ずっと抱えたまま、私は死のうと思う。
反省もしない、最悪の女王として。
「……油断したわね、ブラッド。この短剣は刃を高速で飛ばす。あなたを殺して私は生き延びる」
私は仕掛けつきの短剣をブラッドに向けた。
なるべく驕慢に見えるように笑った。そして柄を強く握り締めた。
内部のバネがはじけ刃が矢のように飛んだ。
ブラッドは軽々とかわした。
当然だ。こんなものが彼に通用するわけがない。
懐にとびこんできた彼の掌が、私の胸にあてられた。
ぱああんと音が弾けた。
どくんっと私の心臓が硬直した。
相手の心臓を停止させてしまう「治外の民」の秘術だ。
身体がしびれる。力がぬける。視界が暗くなっていく。
私の手から松明が滑り落ち、すべての明かりが消えた。
闇だけがあたりを包んだ。
終った。すべて。
これでいい。この結末なら納得できる。
真っ暗でよかった。私の顔は見えまい。
じゃあ、もう泣いてもいいよね。我慢しなくていいよね。誰も見てないものね。
ごめんなさい。ごめんなさい。
あなたの大切なものを、みんな奪ってしまった。
たくさんの命を、未来を、私がつぶしてしまった。
ごめんなさい。
許してとはいいません。
ただ、ごめんなさいと謝らせてください。
崩れ落ちる私の身体をブラッドが抱きとめた。
「……俺は血の流れで、相手の心がある程度読める。だから、あんたの胸のうちはわかっていた」
その言葉で私の涙があふれでた。
私を支えるブラッドの体温が伝わってくる。
ねえ、どうしてそんな優しい言葉がかけられるの。
私はあなたの里のみんなを皆殺しにしたんだよ。
それなのに、あなたは私のことを理解してくれていたの。
じゃあ、じゃあ、黙っていようと思ってたあの言葉を、私、口に出してもいいの?
「……ごめん……なさい……!」
「ゆるす。あんたの謝罪、たしかに受け取った」
そして、彼は幼子にするように、優しく私の頭を撫でた。
「今までよく一人で耐えたな。つらかったな……おやすみ」
バカ……! バカ……!
私、あなたの仇だよ。なんでそんなこと言えるの。
でも、ごめんなさい。嬉しいの。
私にそんな資格ないってわかってるのに。
理解してくれてる人がいてくれて、私、嬉しいの。
こんな楽な気持ちで、私……死んでいってもいい……の ?
あ まだ あいさつ 返してない
意識を失っちゃ……
「……おや……すみ……な、さ……」
舌がもうまわらない……あと、ありがとうって伝えなきゃ……
そして、私は名状しがたい安らぎの中、意識を手放した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ~あ、女王から転落したあげく、あのじめじめした洞窟で、死を迎えちゃったか。かわいそうねえ。あんなに奇麗だったのに、死体はきっとネズミの餌ね。でも、ブラッド関連はあんまり面白くない結末だわ。もっと派手な悲劇が好きなんだけどな。次はセラフィあたりでいってみようかな」
そして彼女は、「救国の乙女」、アリサは、えへらと嗤った。
豊かな金髪を耳にかきあげ、氷壁のように蒼い瞳を光らせる。
その視線の先には、燃え落ちていく城があった。
アリサの口元が三日月の形に吊り上がった。
「ふふっ、なかなか悪の女王役が板についてきたじゃない。スカーレット。でも、まだ、たった72回目よ。ああ、もっともっと絶望したあなたの顔が見たい。私の心があなたの思い出でいっぱいになるように」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……あ、寝落ちしてた。
新生児の身体はすぐ眠くなる。
また前の108回の人生の記憶を思い出してたよ。
それもブラッドに殺されたやつだ。
108回の人生を思い出したっていっても、だいたいが記憶だけで、そのときの感情の機微までは覚えてないんだけど、死を迎えるときの恐怖だけは鮮明に残ってるんだよな。難儀だ。
まあ、でも今日の夢見はよかった。
「治外の民」の秘術で心臓とめられるやつで、一番楽な死に方だからだろう。
ブラッドは超一流の殺し屋だった。
無駄な苦痛を与えず標的を屠る技術は芸術的でさえあった。
余計なもの一切を切り捨てた男の生き様は、鍛え上げた戦場刀のように見事だった。
機能美を極めた美しさがあった。
「……これさあ。胸にばあんと詰め物したほうが、女っぽく見えんじゃね? 」
おい、ゴラあ!?
こっちのブラッドはなにやってんの!?
女装を極めてどうすんのよ!?
だいたい、あんたの年でそんな巨乳なんて不自然でしょうが!
余計なもので、ごてごて飾り立てるンじゃない!!
おしゃれは引き算なんだから!!
「おおっ、これ面白いなっ」
ああっ、もう!!
スカートの広がり確認するのに、くるくる回るのやめい!!
それ完全に女の子の遊びだから!!
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