第2話 108回ぶんのループ人生経験は伊達じゃない。その知識を生かして、私はぐーたらしたいのだ。
今までのループ人生を、すべて引き継いだ私。
膨大な知識が今、私の中には蘇った。
百回分以上の人生経験が私とともにある。
これって結構すごいことじゃない!?
私は新生児用ゆりかごの中で、拳をつきあげ、雄叫びをあげた。
「オアー、ヴアー、ヴイアー」
がっかりだ。私のチャームポイントのひとつ、美声がなんたる無惨なことに……
かつて各国の使節を魅了したミラクルボイスなのに。
押し潰された蛙みたいにかすれた声だ。
まるで数百年ぶりに声を出した虜囚のようではないか。
ま、まあ、未熟な赤子の咽喉では、いたしかたない。
舌さえまわるようになれば、元の美声も取り戻せよう。
私は、公爵令嬢として胸をはれる教育を受けてきた。
必修教科だった四カ国語も、母国語同様に流暢に喋れる。
それを各国代表と渡り合う女王業務で鍛え上げたのだ。
発声器官さえまともに動けば、今すぐに通訳として身をたてられるレベルだ。
ダンスもピアノも絵画も刺繍も馬術も、すべて家庭教師のお墨つきだった。
そちらは、おむつがとれて、背丈と手足と指が伸びてからでないと、さすがに不可能だが……
おむつ……女王までつとめた身としては、なんたる屈辱。
他人に下の世話をまかせきりにせざるをえないのだ。
私に出来ることは、「かゆい。股間が不快だ」とオアーオアーと馬鹿みたいに泣いて、粗相に気付いてもらうことだけだ。
おのれ、寝返りもままならぬ赤子ボディが恨めしい。
私は腹立ち紛れに、ゆらゆらと揺りかごを揺すった。
渾身の力をこめても、赤子の力ではこの程度が関の山だ。
ぜーはーぜーはー、つ、疲れた……
「揺りかごがやけにぐらぐらね。バランス悪いのかしら」
声がして、足音の震動が近づいてくる。
ぐっぐっと私の愛すべき
大人の圧倒的な力は、まるで巨人のようだった。
「変ね。カゴの底に、なにかはさまってるわけでもないみたいだし……」
「オー、アー、アー」
私は激しく安全な居住権を主張した。
今の私は、まるで陸にあげられ、ぴちぴちとあがく瀕死の小魚だ。
はやく二足歩行に進化したい。
そうすれば、驚異の天才児の誕生である。
さぞかし家庭教師達の度肝を抜くだろう。
記憶がよみがえった今、履修した教科以外のことに手が出せる。
もっと他の言語を習得したり、護身術の類を極めてみたり……
思いを馳せるだけで、心が弾む。
だが、結局、どれだけ優れていても、それは個人の域を過ぎない。
今の私の最大の強みは、これから先のこの国の未来を知っているという事実だ。
これはとてつもなく大きなアドバンテージだ。
個人の性能が点なら、これは面だ。
国の命運を左右する情報は、値千金に匹敵する最強の武器になる。
神の目を与えられたに等しい。
ひきこもりに必要な資金稼ぎにはもってこいの能力だ。
スカーレット・ルビー・ノエル・リンガード
神の目をもつ女……
かっこいい!! いや、今は新生児アイだから、盲目に等しいんだけどさ。
「ア゛ーヴヴー 」
私は感動で身を震わせた。新天地が目の前に開けている気がした。
ちょっと働けば、すぐにぐーたらライフがおくれそうだ。
過酷な秒刻みの女王業に比べれば、多少の苦労など苦労のうちに入らない。
「あら、おしっこかしら」、上方から声がする。
違う! 私はウーアーと抗議した。
さっきから喋っているのは、たぶん、乳母かナースメイドなのだろう。
たぶん、というのは、新生児視界はゼロに近いからだ。
分厚い霧に覆われたように、すべてが薄らぼんやりしている。
きっとまだ目の焦点が合わせられないのだろう。
私は考える。
私が人生の終焉を迎えるのは決まって28歳の誕生日前だった。
そこまでの天気、災害、発掘された鉱山、新技術、28年ぶんの情報は、すべて頭に叩き込まれている。
かっての人生で私は、女王独裁体制を敷き、歯向かうものに容赦しなかった。
だが、別に政事そっちのけで遊び呆けていたわけではない。
手段こそ非道でも、まじめに富国強兵に取り組んでいたのだ。
ワーカホリックとさえ言えた。
省みなかったのは家庭でなく、国民だったので、あとで家庭内暴力どころか国内反乱の憂き目にあったけど。
その108回の人生すべてに共通した、邪悪な勤勉さが今、とてつもないリターンになって帰ってきたのだ。自分で自分を褒めてやりたい。
「……奥様!? いけません!! まだ動かれては……!」
突然周囲が慌しくなり、私の思考は中断された。
入り乱れる複数の足音。
さきほどの声の主の女性がひどく慌てている。
「……どうして女の子なの!? 私、世継ぎが産めなかったって、また責められるの!? また、この家にふさわしくない嫁って、義父母に陰口言われるの!? 」
新たに加わったのは、ヒステリックな金切り声だった。
「あんたが! あんたが女の子なんかに生まれてくるのが悪いのよ! 」
え、私、この人に、むっちゃ責められてる?
新生児を責めたてるって、人として如何なものか。
視界がオールホワイトのままだけど、会話内容から察するに、乱入してきたのは、私を生んだあと、産後の肥立ちが悪くて、すぐ亡くなったっていうお母様か。
肖像画と当時を知る人々の話でしか知識はないが、そういえば、妊娠中と産後つうじて、ずっとマタニティーブルーだったって噂は耳にしたもんなあ。
噂は真実だったのか。線が細そうな人だったものなあ。
なるほどね、原因はお世継ぎ待望のプレッシャーか。このあと、落胆と失望で体調悪化し、病を得て亡くなるパターンというところかな。
お母さまは、誇り高いが戦う気力のある女性ではなかったようだ。
同情は、する。
だが、直接お母さまと会話した記憶のない私にとっては、赤の他人のようなさめた感覚しかない。
だから、「そんな泣き叫ばなくても、あと3年もすれば、議会を新嫡子法案が通過し、女の子でも家督を継げるようになるのに」とシニカルな感想しか抱けなかった。私の108回の人生経験の中で、この法案が不採決になったことはなかった。
王位継承の争い中、毒殺、暗殺のやりとりを潜り抜けた私にとって、他人の陰口くらいで取り乱すなど失笑ものでしかない。他人がなんと言おうが、「性別は神様の采配。文句があるなら、神様にどうぞ」とでも吐き捨て、堂々としていればいいのだ。
私には妊娠経験がないので、マタニティーブルーにぴんとこないのもある。
「……こんな娘、殺してやる!!」
ちょっ、ちょっと、お母様!?
落ち着きましょ、あなたの愛しい娘ですよ。
そんな不穏な発言やめて、愛のリリカルして抱き合いましょうよ!
愛の抱擁は千の言葉に勝るのです。
がたがたがたっと、揺りかごが震動する。
「ヴー、ア゛ー、ヴー!!」
私の悲鳴がまぬけに響く。
私、生れ落ちた途端、抱擁どころかいきなり大ピンチ!?
このままじゃ、法要に向けてまっしぐら!!
身を守る砦は、編みカゴひとつ、布団とおくるみのみ。
せ、せめて柵付きベビーベッドをください!
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