108回殺された悪役令嬢。すべてを思い出したので、乙女はルビーでキセキします。
第37話 魔犬ガルムは最後の覚醒を果たします。運命は気まぐれで、邪悪なものに味方したりもします。それでも、人は、意志の力で未来を切り開くのです。
第37話 魔犬ガルムは最後の覚醒を果たします。運命は気まぐれで、邪悪なものに味方したりもします。それでも、人は、意志の力で未来を切り開くのです。
穴の底で死闘を続けながら、私達の言葉に耳を澄ましていたマッツオが、親衛隊員達に叫んだ。
「なるほど!!池まで辿りつけば、この怪物を葬れるのであるな!!おまえたち、馬は無事だな!!よおし!!身軽な三人、すぐさま穴から跳びだせ!!奥方さまがたを、池までお連れしろ!!」
親衛隊のみんなが落下した穴の深さは三メートル以上ある。
ブラッドならともかく、防具をつけた人間が容易に飛び越せる高さではない。
無茶な命令するなと思ったが、
「はっ!!」「今すぐ!!」「心得ました!!」
比較的小柄な三人が即答すると、逡巡することなく走り出した。
行かせまいと魔犬ガルムが立ち塞がり、爪を閃かす。
「・・・・・邪魔させんっ!!きさまの相手は俺よ!!行けいっ!!」
その攻撃を前脚を掴んで防ぎ止め、マッツオ隊長が怒鳴る。
「よしっ!!我々が発射台になる!!とべえっ!!」
穴の縁近くにいた他の騎士達が、バレーボールのレシーブのような態勢をとり、脱出しようとする三人の片足の踏み込みを両掌で受け止める。
「すまん!!頼んだ!!」
「おうっ!!まかせろ!!そりゃ、いけえっ!!」
阿吽の呼吸で、背筋の力を爆発させ、両手を上に振り上げる。
彼らのアシストと自らの脚力とあわせ、三人の小柄な騎士は、爪先まで縁を飛び越す見事な跳躍で、穴から脱出をしてのけた。
これだけの騒ぎにも関わらず、主達を見捨てて逃げず、いまだに待機していてくれた馬達を見て、その忠義に一瞬だけ相好を崩すと、顔を引き締め、私達に問いかける。
「みなさま、乗馬の心得は・・・・・」
「私は嗜む程度には・・・・・」
お母様は馬を割り当てられると、弓を宙に放った。
鐙にたんっと足をかけ、軽く両手で、鞍の両端の盛り上がり、前橋と後橋を掴むと、ひらりと馬にまたがる。音もない鮮やかな跳び乗りは、馬に負担を与えない見事なものだった。
もうそれだけで馬術の熟練がわかった。
嗜む程度などとんでもない。
最低でも「108回」で障害飛越をこなしていた私レベルだ。
放り投げた弓を、馬上で見もせずに後ろ手でキャッチする。
補助しようとした反対側にまわった騎士が、感嘆の口笛を吹いた。
同時にあらわになった太股の付け根に気づき、慌てて目をそらす。
うん、メルヴィルの戦装束は騎乗にふさわしい恰好じゃないよね。
お母様は弓を構えて、乗り心地を確かめるのに熱中し、気づいてないけど。
それにしてもお母様、そのポーズは・・・・・
魔犬ガルムが追ってきたら、振り向いて騎射するつもりですよね!?
手綱離した状態で、馬を走らせる野放し走行で。
生粋の騎馬民族の戦士ですか、この人は・・・・・・・
「鐙の長さはどうです。調整しますか」
「ちょうどいいようです」
背が高いというか、足が長いんだな。
おかげで余計に脚線美が目立つ。
よもや、戦場で内腿の白さをもって、男たちを幻惑するのが狙いか!?
うん! 私は弓だけ教えてもらい、この戦装束は継承しないどこう。
メアリーは乗馬経験がないので、騎士の一人に同乗させてもらっている。
小柄なので騎士の前に座っても、彼の視界の妨げにはならないようだ。
すぽんとコンパクトにおさまっている。
「すみません・・・・子供の頃、馬の後ろで犂なら引かせてたんですけど・・・」
それ、畑仕事・・・・・・
鞍のほうに座らせてもらった事に恐縮し、背後の馬の裸の背に直乗りした騎士に謝り続けている。
それでもスカートが膝まで捲れ上がるのもかまわず、しっかりと馬に跨っていた。
恥知らずなのではなく、同乗の騎士に負担をかけまいとしているのだ。
姫様乗り・・・・・サイドサドルなど、素人の手に負える座り方ではない。
騎士たちにもその気遣いは伝わっていて、貴婦人に対するように丁重にメアリーに接している。
そしてブラッドは・・・・・
「き、君、その座り方は危ない・・・・・・」
「いいの、いいの。オレ平気だから」
ちょこんと横乗りして両足をばたつかせるブラッドに、同乗の騎士が困惑する。
「またがるとさ。いろいろ突き刺さっちゃうんだ」
物騒な武器をスカートに内蔵しているブラッドは、跨ることを嫌がった。
・・・・なにが、どこへ刺さるかは、深く考えないでおこう。
「しかしだな。
子供のブラッドの足では鐙まで長さが足りず、空を蹴るしか出来ない。
「そのうえ公爵令嬢を抱きかかえたまま・・・・・」
さすがに乗馬初心者のメアリーや、弓を持ったお母様に預けるわけにはいかず、私の身柄はブラッドが預かることとなった。騎士から見ると、いたいけな年端もいかぬメイドが、両手で赤子を抱き、お尻のわずかな接地点を頼りに、お姫さまのように横乗りしている状態だ。
それも鞍ではなく、その後ろの馬の肌に直乗りだ。
そのうえ馬丁が馬の口を引いての散歩ならともかく、これから全力で馬を疾走させるのだ。
こんな危険極まりないサイドサドル認められるわけがない。
普通なら馬が五十歩も進むのを待たず転げ落ちる。
「心配ないって。オレ普通じゃないもん。いざってとき、追いかけてきたガルムに即対応したいから、後ろのが都合いいんだ。それよか、早く行かないと、王家親衛隊のみんなの頑張りが無駄になるよ!!」
ブラッドはむしろ、そちらのほうが気掛かりそうに、出発しようと急きたてる。
「しかし・・・・ううむ、だ、だが、君は魔犬ガルムと渡り合ったのだったな。ならば心配は無用か!!」
さきほどのマッツオ隊長の言葉を思い出し、騎士はうなずいた。
「うん、横乗りどころか、爪先立ちでも馬の背に乗ってみせるよ」
ブラッドが後押しするように、にかっと笑った。
「よし!!承知した!!・・・・・行くぞ!」
迷いをふっきり、騎士は馬を動かした。
お母様の馬と、メアリーを乗せた騎士も後に続く。
「・・・・・オレさ、「治外の民」のみんな以外で、こんな強い大人達見たのはじめてだよ!!オレは「治外の民」の長の子供、ブラッドってんだ!!王家親衛隊ってすごいんだな!!来てくれて助かった!!ありがとう!!」
ブラッドが離れ際にふうっと息を吸い込むと、穴底の王家親衛隊員達に大声で礼を言った。
お母様とマッツオが、え、それ言っちゃうの?みたいな唖然とした顔をしたが、これはブラッドなりの強者達への敬意の名乗りだったのだろう。
「この国でもっとも勇敢な皆さま、どうかご武運を。心より感謝します」
お母様も続いて馬上より頭を下げる。
「・・・・・マッツオ様、あなたの拳、きっと天国の息子に届いたと思います。いつか、あらためてお礼を。だから・・・・・死なないで・・・・・!!」
メアリーが遠慮がちに、しかし、はっきりとお礼と願いを口にした。
「アオオオッ!!」
みんな、無理しないでよ!!
特にマッツオ!!
「108回」みたいに勝手に死んだら許さないからね!!
私達が池まで移動する時間だけ稼げばいいんだから!
きっと、生きて皆でまた会おうね!!
ありがとう!!
私も礼を言った。
ほんとお父様のファインプレイだ。
出動要請を受けた王家親衛隊が駆けつけていなければ、魔犬ガルムが復活した時点で私たちは詰んでいた。
マッツオ隊長が拳を突き上げて応じた。
他の隊員達も死地にあるとは思えない笑顔で、こちらを見上げた。
「あの少女は伝説の「治外の民」の長の子か、道理で・・・・・・」
「そのお墨付きだとよ。ずいぶん過大な評価をもらったものだ。ブラッドというのか。「治外」の民は男の子のような名前を女の子につけるのだな」
「「治外の民」の姫君というわけか。まだ幼すぎるが、将来は間違いなさそうな、かわいらしい容姿だ。これは奮起せねばならぬな」
うん、その期待は間違ってる。
そいつ、将来は強面の鋼の肉体のオスだよ。
なんか、騙してるみたいでごめん・・・・・・
「コーネリア嬢から、この国でもっとも勇敢な、と言われたぞ」
「弓世界にはファンがいっぱいいるからなあ。一緒に弓を並べて戦ったと、弓キチの友人に話したら、泣いて悔しがるだろうな」
弓組は、お母様いちおしだ。
宴でもはじまるかのように、明るく語り合う男たち。
命の危険にさらされる過酷な任務への恨み言ひとつ言わなかった。
自らの職業に心から誇りを持つから、死地に笑って赴けるのだ。
「108回」ではマッツオが隊長を辞して後、王家親衛隊は不幸にして壊滅した。
そのことを語る時、マッツオはいつも泣いていた。
それでも彼らの最期は誇り高く、騎士の鑑として語り継がれることになる。
私の女王親衛隊は、彼らの勇名にあやかり、新設された騎士団だった。
彼らは過去の武名が嘘ではなかったと私に証明してくれた。
さすがは近隣国家で最強の騎士団をうたわれた、ハイドランジア王家親衛隊だ。
私は彼らのことが、いっぺんに気に入った。
この恩は決して忘れない。必ず恩返しするよ。
あなた達を壊滅なんてさせるもんか。
今後二十八年間の出来事を知っている私なら、死の運命からあなた達を救えるんだ。
だから、今はみんな生き残ってね・・・・・・!!
そんな私の願いを打ち砕くように、魔犬ガルムが牙を封じた胴甲を、ばきばきと噛み潰した。
プレスの機械のような出鱈目な咬合力だった。
私は恐怖のあまり言葉を失い、声なき悲鳴をあげた。
牙をむいた魔犬ガルムの貌が、突然ぶわっと三つも四つも胴体から飛び出してきたのだ。
まるで伝説の地獄の番犬ケルベロスのようだった。
魂が凍りつく悪夢の光景に、全員が息をのむ。
ぐうっと不自然に四本の頸が伸びた。
かたまった王家親衛隊めがけ、大蛇の群れのように一斉に襲いかかる。
恐怖でこわばりながらも突き出された王家親衛隊の槍が、その貌をすり抜ける。
「なにっ!?」「馬鹿なっ!?」
大混乱に陥る王家親衛隊を見て、ブラッドが青ざめ、呻きを漏らした。
「あの犬野郎・・・・!!血桜胡蝶の分身を応用しやがった・・・・・!まずいぞ!!あれは達人を惑乱するための幻術なんだ。だから血桜胡蝶の幻には、実体とおなじ気配がある!!王家親衛隊ぐらい強いと無意識に気配を察知するから、逆にどれが本物かわからなくなっちまう・・・・・・!!」
たまりかねて馬上から飛び下りようとするブラッドを、穴底からのマッツオ隊長の大声が押しとどめた。
「手助け無用ぞ!!おぬしはおぬしの役目を果たせ!!いくら首が増えようと、身体はひとつであろうがッ!!ならば、やりようもあるというものっ!!」
マッツオは襲いかかるガルムの四本の首をかいくぐり、懐に飛び込んだ。
巨体をがしっと抱え込み、肩と背中の筋肉がめりめりと膨れ上がる。
「・・・・・・ぬうううっ!!幻ごときで我らを止められると思うな!!おごるな!!化物!!騎士をなめるなあッ!!お返しに人の技を喰らわせてくれる!!」
マッツオは、雄牛よりもはるかに巨大な魔犬ガルムの身体に手を差し入れ、ぐうっと両手で頭上高くさしあげると、渾身のリフトアップスラムで地面に叩きつけた。
地面が揺れる。
まともに背中を強打し、魔犬ガルムがぐうっと息を詰まらせる。
同時に幻の首がひゅうっとかすれて消え失せ、魔犬ガルムは元の姿にもどった。
「わははっ!!なんだ、変化の術はもうネタ切れか!!どうせなら身体も三つぐらいに増やすべきだったな!!」
とびおきて咆哮をぶつける魔犬ガルムに、マッツオが大目玉を光らせ呵々大笑する。
「吠えよ、吠えよ!!そんな吠え声、そよ風である!!さあ・・・・・行かれよ!」
魔犬に向ける勇猛さとうってかわった穏やかなまなざしでマッツオが微笑する。
「・・・・・・行きましょう」
私たちに同行する隊員がうながした。
マッツオが軽く手をあげ私たちを見送ると、魔犬ガルムに向き直り、屹度にらみつける。
「・・・・獣には我らの矜持はわかるまい!!魂の震える餞の言葉をもらい、守りたい者に心から感謝される!!これを背中に受ける限り、何度でも立ち上がれる!!それが騎士という生き物よ!!魔犬ガルムなにするものぞ!!武器を構えよ!!王家親衛隊の誇りと人間の強さを、獣に見せつけてやれ!!!」
マッツオ隊長以下、全員が地の震える吶喊の声をあげたのが、背後に聞こえる。
その轟きは魔犬ガルムの咆哮に勝るとも劣らなかった。
その雄叫びさえ呑み込もうとするかのように、魔犬ガルムからあらたに巨大な血煙りの柱が噴出する。
それは地の裂け目からぎらぎらと立ち昇る不吉な溶岩の輝きに見えた。
不気味に空気がゆらいだ。
地獄の蓋が開き、瘴気があふれ出した気がした。
なにか良からぬことが起きる予感に、どっと冷や汗がふきだす。
だが、私達はそれ以上戦いを見守ることは出来なかった。
私達を馬に乗せた騎士たちが、仲間たちとともに戦いたい逸る心を抑え、唇をひき結ぶとその場をあとにしたからだ。泣きそうなメアリーの顔が視界をかすめた。
月明かりの中、私達は池に向かい、馬を走らせる。
夜明けが近い闇の中、私達の最後の戦いがはじまろうとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スカーレットの心配は不幸にも的中した。
魔犬ガルムの噴き上げる血煙りは、毒霧と化した。
それが逃げ場のない穴の底全体を覆い尽くした。
空気より重い毒霧は、穴という容器の縁いっぱいまでわだかまった。
王家親衛隊は屈強だった。
たとえ魔犬ガルムが血桜胡蝶で幻影の首を作り出し、暴れまわったとしても、仲間の屍を乗り越え、いずれはこの怪物を屠っていただろう。
それだけの信念と勇気が彼らにはあった。
だが、魔犬の生み出した毒ガスは、神経を侵し、彼らの意志そのものを肉体から切り離した。
毒ガス戦など経験したことのない騎士たちは、なにが起きたかも認識できなかった。
なす術もなく、ばたばたと穴底に倒れ伏す。
魔犬ガルムが使ったのは血桜呪瘴・・・・・・
「治外の里」の長の息子のブラッドでさえ知らない悪魔の技だった。
あまりに非人道的な無差別攻撃のため、「治外の里」でも封印扱いされ、長を継ぐものだけが継承時に、先代から口伝のみで明かされる秘儀だ。
それを魔犬ガルムは本能で太古の闇より蘇らせた。
魔犬ガルムは全員が昏倒したことをぐるりと睥睨し見届けた。
にやりと牙をむき出して嗤うと、軽々と穴の底から飛び出した。
「・・・・・おのれ・・・・!・・・・・させぬ・・・・・・・!」
ただ一人、毒に抗いのろのろと穴の底を這いずっていたマッツオが、力を振り絞って必死に手を伸ばすが、指先がかすかにガルムの後ろ脚をかすったにとどまった。
魔犬ガルムがスカーレット達を追って闇に消える。
魔犬の後ろ姿だけではなく、すべての景色が急速にかすむ。
ぶざまに地に突っ伏したマッツオは、それでも立ち上がろうとし、また転倒した。
膝に力が入らない。毒霧は足の自由と視界を奪い去っていた。
絶対絶命だ。この状態では三メートルの穴の深さは断崖絶壁に等しい。
毒霧に満たされた穴の中から脱出できない。
マッツオは歯ぎしりし、拳を握りしめた。
このままでは王家親衛隊は穴の底で全滅だ。
瘴気の類の攻撃だと看破したときには、もうすでに身体の自由は失われていた。
この国には火山がないため、亜硫酸ガスなどの危険知識がないことが災いした。
血の毒霧は空気より重いらしく、拡散せず穴の底にいつまでも溜まり続けている。
それでも、彼の不屈の精神はなおも健在だった。
マッツオは拳を穴の土壁に叩きつけた。
毒霧に浸食された目と鼻と耳の穴からは血が噴き出した。
それでも彼は一心不乱に拳を振るい続けた。
見えぬ目の代わりに、拳があたる感触で土壁の位置を確認して。
傍目には毒の影響で狂って痙攣しているように見えたろう。
だが、マッツオは正気を失ってはいなかった。
しかし残念ながら、三十数回ほど拳を叩きつけたとき、マッツオの意識がとんだ。
ついに身体が限界を迎えたのだ。
ゆっくり上半身が穴底に向かい沈みこもうとする。
意識が無明の闇に吸い込まれようとしたとき、さっき出会ったメアリーの言葉がよみがえった。
夜の月のように、マッツオの心に光がともる。
「・・・・・マッツオ様、あなたの拳、きっと天国の息子に届いたと思います。いつか、あらためてお礼を。だから・・・・・死なないで・・・・・!!」
幼い外見だが、メアリーの目には、子を失った母の深い哀しみがあった。
それでも他人への思いやりを忘れず、人として生きようとする強さが垣間見えた。
「・・・・・・・ぬううッ!!」
マッツオの瞳に再び闘志の炎がよみがえった。
そして失神を踏みとどまった。
自分が死ねば、あの優しい彼女はきっとまた悲しみの涙を流すだろう。
愛する子を喪失した彼女に、またつらい想いをさせるのか。
いや、あの化物犬を捨て置けば、彼女の命も危機にさらされだろう。
彼女に比べ、自分はなんという体たらくか!!
かよわき身体で理不尽な人生に立ち向かう女性達に比べ、自分には恵まれた体躯がある。
ならば、その自分があきらめる道理などなし!!
今一度思い出せ!!
おまえは何者なのか!!なんの為に戦うのか!!
マッツオは自問自答し、月夜に咆哮した。
「なめるなあッ!!我が名はマッツオ・ジェダイト・ノエル・バレンタイン!!女性に涙を流させる悪魔を、鬼の拳にて粉砕するものぞ!!悪魔に勝ち逃げなどさせんわ!!」
手足に力が稲妻となって充ち満ちた。
マッツオは立ち上がった。
両手の指を組み合わせ、頭上高く振り上げる。
「オオオオオオオッ!!崩れ落ちろおっ!!!」
渾身の力をこめ振り下ろされたダブルスレッジハンマーが、穴を鳴動させた。
穴全体が突き上げを喰らったように、どおんと揺れ動く。
打擲の衝撃が周囲に伝播し、轟音とともに土壁数か所が一気に崩れ、周囲の洞窟が姿をあらわした。
穴底と同じ高さで繋がった空気が、ごおっと音をたてて雪崩れ込む。
魔犬ガルムの血煙りによってつくられた毒霧を希釈し、あっという間に押し流した。
穴から脱出不可能と悟った時、マッツオは王家親衛隊全員を救う道として、迷わずこの手段を選択した。
マッツオの腕力だけに許される離れ業だった。
「・・・・・よおし。手応えあった。魔犬め、今度はこちらが洞窟を利用させてもらったぞ」
空気をむさぼりながら、見えない目でマッツオは会心の笑みを浮かべた。
みるみるうちに土気色だった肌が血色を取り戻す。
がぱっと大目玉が見開かれた。
手の甲でごしごしと眼に入った血を拭いとる。
鼻血をふんっと鼻息で吹き飛ばし、のそりと立ち上がる。
「ふむ、この血の毒霧は、一定以上の濃度にさがると効果を失うようだな。とはいえ、あと少し吸い込むとこの世に戻って来られなくなるところであった」
と自らの身体の反応と、あちこち動かすことで安全を確認したあと、大きく息を吸い込んだ。
落雷したような大音声が響いた.
気を失った王家親衛隊全員が、マッツオの大声による発破一発で叩き起こされ、とびあがったのは言うまでもない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは公爵邸の敷地のねじくれた潅木の中の空き地。
四人の亡霊たちは、スカーレット達と魔犬ガルムの戦いを、固唾をのんで見守っていた。
離れた場のことも、それが公爵邸の敷地内であれば、彼らはおおよその様子を把握できた。
女の幽霊は不安げにうろつき、武人の幽霊は切り株に腰かけ、押黙っている。
のっぽの幽霊は、鬼火のサイコロを、たてた指先で転がしながら、残る片手で、帽子のつばをぐっと深めにした。
「サイコロの出目は最悪だア。魔犬めはここにきて新たな力に目覚めおった。ただでは地獄には還らんとさ。死神はまだ鎌をおさめちゃいないなア。王家親衛隊長は、力尽くで親衛隊の死の運命をひっくり返した。残る犠牲者候補は・・・・家族の幸せをつかむ直前、旦那との再会かなわずして、はかなく散る薄幸の花・・・・とあるなア。つまり、こいつは・・・・・・・」
やせた女の幽霊が、自らの身体を抱きしめるようにして、がたがた震えだした。
「ふざけるんじゃないよ!!コーネリアのことしかないじゃないか・・・・・・!!あたしには、わかる!!あの子は、このままだと、あの化物犬から娘を守るため、命を落とす・・・・!!」
武人の幽霊が低く呻く。
無理な力をふるったせいか、消耗し、切り株に座り込んだまま立ち上がらない。
「・・・・・若狼も、俺の期待にこたえて奇跡を起こした。見事だった。だが、まさか化物犬までも「血の贖い」を使うとは!!そのうえ、|血桜胡蝶に|呪瘴だと・・・・・・!死を間際にしたことが、奴を覚醒させたのか!!紅の公爵はまだか!!彼の助力なしでは、とてもあの怪物を倒すまでには至るまい・・・・」
その言葉を遮るように、鼻をぴくつかせていたでぶの幽霊がわめきたてた。
「ほひぇーっ!!たいへんだよ!!穴から脱出した魔犬がもうすぐ公爵夫人と娘に追いつく!!すごい速さだ!」
でぶの幽霊の言葉に、武人の幽霊と女幽霊の顔色が変わる。
「コ、コーネリア達はどうしてるんだい!!安全だからって、あの池を選んだんだろ!!船着場に小船があったろう!!池の上に避難出来たのかい!?」
「まだ池に向かう森の途中だよ・・・・!ああっ!魔犬がどんどん距離を縮めていく!!」
「なんてこと・・・!!コーネリアがこのままじゃ殺されちまうよ!! なんとかならないのかい!!コーネリアは私が唯一認めた好敵手に生き写しなんだ!!」
「な、なんとかって・・・・おいらに言われても・・・・・」
女幽霊の剣幕にたじたじになったでぶの幽霊が、はっと息をのんだ。
「きたよ!!公爵たちがやっときた!!これなら夫人たちの危機にも間に合うかも!!」
でぶの幽霊が耳をぴくつかせ、躍り上がって大声をあげた。
女幽霊がはっと顔をあげ、武人の幽霊は片眉をあげ、期待をこめたまなざしを、でぶの幽霊に向ける。
だが、二人の期待に反し、様子をさぐるでぶの幽霊の鼻面に皺が寄り、表情が険しくなる。
「・・・・・ふン。万事うまくいかぬが世の習いさ」
のっぽの幽霊がうそぶき、さらに深めに帽子のつばを引き下げた。
「・・・・・ひえええっ!!だめだ!!公爵邸の爆発と炎が、駆けつける公爵たちの目と耳に届いてたんだ!!それがかえって災いしちまった!!脇目もふらず、公爵たちは屋敷のほうに向かっているよお!!もう魔犬のやつは、とっくに池のほうに向かってるのに!!屋敷に行って引き返してちゃ、すれ違いさえ起きやしない!!」
でぶの幽霊の悲鳴に、武人の幽霊が思わず拳を握り立ち上がり、女幽霊が髪をかきむしる。
のっぽの幽霊が、帽子で表情を隠したまま、静かにつぶやく。
「残念ながら、賭けは俺の勝ちさなア。魔犬は優勢。命の炎を執念と力にかえ、追跡中とくらア。十割がた、公爵夫人もお陀仏だア。だが、運命とサイコロの目は人の思惑をこえたもの。風の吹くまま気のむくまま。今は東、次は西。ころころ変わって読みきれぬ。さアて、最後の頼みの綱は、オランジュの坊やだ。風読みのセラフィの本領発揮となるや否や。風は読めてもむしろ難事は説得のほう!!魔犬の毒霧かわすには、手足のように公爵を動かすことが必要ときた!!商人が武器は信用度。夫人の危機に気が立っている、付き合い浅い公爵を説得し、見事死の運命の裏をかけるかどうか、いざや、ここが商人サマのふんばりどころ!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
紅の公爵とオランジュ商会の一行は、押し黙り、ひたすらに馬を走らせていた。
先頭を行く公爵の、決死の形相でぴいんと張りつめた雰囲気は、会話することを許さないぐらいの威圧感を放っていた。先ほど火の手を目撃したときから、ずっとこの調子なのだ。
公爵邸の敷地を取り囲む壁がようやくくっきり見えるところまでたどり着き、それに力を得て、一行がさらに馬を走らせようとした時のこと。
公爵邸の屋根を吹き飛ばす火柱と、それに照らされた噴煙、ただならぬ轟音が、月夜をあざむく鮮やかさで走り抜けた。
それは一瞬の出来事で、あとには再びしいんとした夜の帳が押し寄せた。
「ロマリアの焔」は「治外の里」の門外不出の秘儀だ。
それゆえ博識のセラフィでさえ、その爆発がなんなのか理解することはできなかった。
そして不安に身を苛まれ額に冷や汗をかきながら、敷地内に到着した公爵の目に飛び込んできたものは、強大な暴力で破壊され押し破られた我が家の門だった。無惨な木材の割れ目は、夜目にも白く新しく、つい今しがた押し破られたことを示していた。
周囲に残された魔犬の足跡は、あとから通過した王家親衛隊の騎馬の蹄に殆どかき消されていた。
だが、ジュオウダの魔犬使いを過去に討伐した経験が、魔犬どもの痕跡をはっきりと公爵に教えてくれた。
「・・・・コーネリア・・・・!!」
顔をあげ屋敷の方角をふり仰ぎ、公爵は震える声で愛妻の名を呼んだ。
血の気を失った顔色で彼方を睨みつけ、再び馬に飛び乗った。
「・・・・・・やってくれたな!!魔犬使いめ!!八つ裂きにしてくれる!!」
ぎりっと歯軋りすると、公爵は後ろのオランジュ商会一行に声もかけず、馬を全速力で走らせ出した。
あわててオランジュ商会の一行が後に続く。
振りきられないようにするのがやっとの疾走ぶりだった。
特に幼児のセラフィは二人乗りした航海長の前で、落馬の恐怖に必死に抗うことになった。
足元を流れる地面は洒落にならない速さだ。
いくら子供を同乗させるための特別設えの長い鞍とはいえ、ギャロップに近い速度での移動は狂気の沙汰だった。本来の鐙の他に、前に座らす子供用の鐙も付属しているが、セラフィの身長以上に、馬の背が激しく上下しているのだ。
足裏を踏ん張るどころの騒ぎではない。
大人の感覚でいえば、ロデオのブロンコ・ライディングを時間制限なしで続けているようなものだ。
この速度で馬の高さから投げ出されたのなら、幼児では即死することになる。
「会頭・・・・・大丈夫ですかい。減速しやしょうか」
さすがに見かねた航海長が尋ねる。
セラフィは顔色こそ蒼白だが、
「このままで問題ない。嵐の海と思えば、なにほどのことか」
と前を睨んだまま、きっぱりと断った。
風圧で前髪がはねのけられ、額の傷跡があらわになっていたが、深碧の目は怯みひとつ見せない。
その眼差しは荒れ狂う波浪をものともしない海の男のものだった。
おそろしい集中力で馬の動きのタイミングをはかり、ふっとばされないよう、体と重心を完璧にコントロールしてのける。
到底幼児の成せる技ではなかった。
板一枚隔てた死地を日常にする船乗り達の胆力は並みではない。
幼くしてブロンシュ号を率いるセラフィは、その船乗り達を率い、何度も海の地獄を体験している。
ましてブロンシュ号はどんな嵐もものともせず、緊急の荷や人員を確実に目的地に送り届けるのが信条の船だ。たとえ子供でも、くぐった修羅場の数は半端ではない。
怯むことを知らないその顔つきに、若き日の先代会頭の面影を見て、航海長は顔をほころばせた。
誰もが躊躇う大嵐の海を突っ切り、一攫千金の夢を成し遂げた、オランジュ商会創始の魂は、確かにこの二代目に受け継がれているのだ。
その魂を失わない限り、機会さえ掴めれば、必ずオランジュ商会は再興しますぜ。
航海長は満足げに独りごちた。
往時の勢いはなくても、残った人間達の絆は固い。
セラフィもそれをわかっているからこそ、命懸けで公爵に協力しているのだ。
仇を取りたいという気持ちだけで動くほど、セラフィという人間は安くない。
より良き結果をオランジュ商会の皆と勝ち取ることこそが、セラフィが真に望むことだ。
セラフィには不思議な勘があり、絶対に勝負どころを間違えない。
ほんとうにブロンシュ号が危機に陥ったとき、その指揮をとるのは、航海長でなくセラフィなのだ。
ひとたびセラフィが立てばどんな大嵐も船に危害を加えることはかなわない。
針の穴を通すような精緻さで、暴風と荒波の合間を縫い、船を港に導く奇跡をやってのける。
指揮後は負担が大きすぎ、丸一日は床に伏すことにはなるとはいえ、リスクを補って余りある破格の能力と胆力だった。
セラフィはただ担がれているだけの稚い飾り神輿ではない。
幼くても恐怖と嵐をねじふせる傑物なのだ。
だからこそ百戦錬磨のブロンシュ号の乗組員全員が、幼児のセラフィを主と仰ぎ、その判断に絶対の信頼を置くのだった。そのセラフィが紅の公爵への協力が最優先事項と判断した以上、オランジュ商会に異議をとなえるものなど一人もいない。
能力だけでなく、たゆまぬ一途な努力と気概を買われているセラフィは、ブロンシュの船乗りたちの、信頼だけでなく、愛情も勝ち取っている。
彼らが主に向ける目は、旅立つ息子や孫を誇らしげに見るまなざしに近い。
セラフィとともにどこまでも。
それがオランジュ商会全員の望みだ。
だからこそ、セラフィがなにかを感知し、はっと顔色を変えて言葉を口にしたとき、航海長はじめ同行のオランジュ商会全員が、即座にその言葉を聞き取ろうと耳を澄ました。
「公爵様!!待ってくだせえ!!屋敷のほうに行っちゃ駄目だ!!会頭がそう言ってる!!」
つんざく風と蹄の音にも負けぬ大音声で、セラフィの代わりに航海長が呼びかけた。
そこはちょうど道の分岐点だった。道は二股に分かれている。
「・・・・・・なんのつもりだ。何故止める」
馬を止めた公爵の目は、月夜でもわかるほど真紅だった。
まっかな月と同じ色をしていて、人を黙らす殺気に満ちていた。
追い込まれた虎のように苛立っていた。
愛妻の危機に、公爵は我を失っていた。
邪魔するものは友人知己でも叩き斬りかねない、抜き身の剣呑さが、ゆらゆらと立ち昇っていた。
「・・・・・屋敷のほうに向かってはいけません。そちらに奥様はおられない」
セラフィはたじろがず真正面から公爵の瞳を見返した。
かってコーネリアを虐めた「赤の貴族」全員が目をそらした、公爵の静かなおそろしい怒りの目も、セラフィを怯ますことは出来なかった。幼児とは到底思えぬ度胸と冷静さだ。
オランジュ商会全員の人生を背負っていることを、セラフィは片時も忘れたことがない。
窮地の自分を見捨てなかった仲間達の将来が、その双肩にはかかっている。
その責任感がセラフィに年齢にそぐわぬ胆力を与えていた。
「理由は?」
公爵の声は氷の刃のようだった。
一触即発だ。
セラフィを守るように馬を進めようとしたオランジュ商会の面々を、セラフィは手で制した。
「根拠は・・・・ありません。勘です。ただし、ボクはこの勘をはずした事はない。このまま屋敷に向かうと、あなたは永遠に奥様の笑顔を見ることはかなわない。希望につながる光は、複雑な風をのりきったこの先にこそあります」
セラフィの指し示したのは、屋敷ではなく、池のほとりに繋がる道だった。
夜の林に遮られ、道の先はまったく窺い知ることが出来ない。
「そんな曖昧なことを、この火急の際に、信じろというのか・・・・・!!屋敷から火柱があがったのを見たろう!!王家親衛隊の蹄のあとも、屋敷に向かっている!!」
公爵は髪を逆立てるようにして唸った。
憤懣をぶつけるように抜刀し、セラフィの眼前の空間を切り裂く。
セラフィの前髪数本が飛び散った。
刀はそのままぴたりとセラフィの首筋に押し当てられた。
「今、ぼくのコーネリアが魔犬に襲われている最中かもしれないんだぞ!彼女はたった一人なんだ!!王家親衛隊が間に合ったかどうかもわからないというのに!!」
公爵はブラッドの存在を知らない。
焦りと苛立ちで手負いの獣の形相だった。
セラフィは、ぐっと拳を握り締めた。
相手は乗馬したままなのにいつ近寄られ、切りつけられたか、まるで目視できなかった。
まして今は刀身を自分の首筋に突きつけられている。
機嫌を損ねたら一刀のもとに、首と胴が泣き別れだ。
それでもセラフィは退かなかった。
「いきなりのボクの言葉を信じられぬのは無理からぬこと。ですが、あなたが旅をともにしたブロンシュ号の乗組員の腕なら信じられるでしょう。その彼らが絶対の信頼を寄せるのが、ボクの勘です。その意味を理解出来ないあなたではないはずだ。ボクを信じなくてもいい!!ですが、彼らの腕を、船乗りの誇りを信じてください!!そして今はボクの言葉に従ってほしい!!」
セラフィは顔色ひとつ変えず言いきった。
自分への信用ではなく、愛する仲間達への公爵の評価に、賭け金として人生すべてを載せた。
命をかけた信頼は、オランジュ商会全員の心を強くうった。
彼らは頷き合い、セラフィを旗印に選んだ自分たちの正しさを、誇らしく再確認した。
そして固唾をのんで公爵の返答を待った。
夜風が水のにおいを運んでくるなか、公爵はセラフィを睨みつけたまま、返答を口にした。
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