第28話 理不尽な暴力は、母の哀しみも踏みにじろうとします。けれど、それを許さない小さな勇士も存在するのです。

丘の上の人影が動いた。

夜のしじまを隔てて、せむしの老人が、さっと胸に手をあて、上体をかがめる。

背後に控える三匹の巨大な犬の影法師は、まるで悪魔の城のようだった。


「公爵夫人と御令嬢、夜分の不躾な訪問を、まずはお許しいただきたい」


ひっひと癇に障る声をたて、老人は大声で口上を述べる。

完全にこちらに気づいていた。

風向きのせいか、声が遠くを渡り、ここまではっきり届く。


うん、挨拶するなんて、襲撃者にしてはまともかな。

なんか声に嘲りを感じるが、まあ大目に見てやるか。

あとで壊した門の修理費の請求書出してもいい?

うち、今貧乏なのですよ。

よし、少し水増し請求してやろう。


フレンドリーな私の気持ちは、次の老人の言葉で、木端微塵切りとなった。


「おまえら、全員、わしのかわいい魔犬のクソになれ!!紅目の化物め!!公爵め!!よくもわしの片目を潰してくれた!ジュオウダの魔犬使いの名にかけて、おまえの家族を鼻の曲がるようなクソに変えくれるわ!公爵をクソになった家族に引きあわせてくれる!!そうせねば、このわしの腹の虫がおさまらぬ!!」


うわあ、前言撤回します。

こいつ、最低、最低、最々低のクソ野郎だ。

それにしても、ジュオウダの魔犬使いか。記録で読んだことがあるな。

他国にも悪名とどろかせた、結構大物の犯罪者だったはず。

お父様に片目を潰されたと記されていたから、その逆恨みか。

まあ、あの病弱なお父様に直接そんなこと出来るわけないから、討伐の責任者だったんだろう。

魔犬に対する論文も読んだことがあるんだけど・・・・・思いだそうとすると身体が痛い。


身体!? 頭じゃなくて!?

痛いっ!あいたたっ・・・・!?


「オウッ」


私は体を締めつける圧迫感にもがいた。

メアリーがぎゅうぎゅうに私を抱きしめていた。


メ、メアリー!? ちょっと苦しい・・・・

加圧ダイエットは、私にはまだ早いよ。

ほら、見て、この完璧なプロポーション。

私はくいっとポーズをとってみた。

メアリーは私を見ていなかった。

ほ、ほんとに苦しいんですけど・・・・・!?


私はメアリーの腕をぱたぱた叩いて遺憾の意を表明したが、メアリーは腕の力を緩めようとはしなかった。熱病に取り憑かれたかのように、身体の震えがさらに大きくなる。

私のビブラートもさらに拍車がかかる。


「ヴヴヴヴオオ・・・・・・!!」


「メアリー、やめなさい!!」


「メアリーさん! スカスケが壊れる!」


お母様とブラッドが慌てて止めに入り、ブラッドがメアリーの手から私を奪い去った。

慌てすぎていて、スカーレットとチビスケが融合したおニューネームが誕生していた。


メアリーは私達が目に入っていなかった。

声も聞こえていなかった。

私がいなくなったのに、私を抱いたポーズのまま、じいっと丘の上の影達を凝視していた。がたがたと全身を震わせながら、まばたきもせずに、まっしろな顔色で。異様な様子に私はぞっとした。


「・・・・・ジュオウダの・・・・魔犬使い・・・・!! やっと、見つけた・・・・!」


メアリーが呻いた。歯の間から押し出すような怨嗟の呻きだった。

私が女王時代に聞いた、断頭台で私を呪う反逆者達の声が耳によみがえる。

いつも明るいメアリーにまったく似つかわしくない声に、背筋が寒くなった。


「メアリーさん!?」

「アウオッ!?」


メアリーは私達を肩で押しのけ、転がるように駆け出した。

常に人に気を使う彼女らしくない行動。

そんな乱暴な扱いをメアリーに受けたことがない私は、ショックで呆然としていた。


「・・・・あいつら!・・・あいつら・・・・!・・・・殺してやる・・・・!!」


メアリーがぽろぽろ涙を零しながら、暖炉のそばに立て掛けてあったあった火かき棒をひっ掴み、私達に声もかけず、サルーンの脇の出口の扉と閂を開け放ち、戸外にとび出す。


「戻りなさい!!落ち着いて!!メアリー!!」


お母様の鋭い制止も、メアリーの耳には届かなかった。


「・・・・ヨシュアを・・・・私の、ヨシュアを返せ!!返してよ・・・・・・!!」

消え際に残ったメアリーの悲痛な涙声で、私はすべてを悟った。


お母様がつらそうに一瞬うつむく。


ヨシュア。メアリーの亡くなった息子の名前。


私に授乳しながら、その名前を呼んで涙をこぼしていた。

メアリーの息子さんが普通でない死に方をしたのは、私も薄々感付いていた。

仲の良かったお母様はすべてを知っていたはずだが、さすがに詳細を口にするのは憚り、ただ悲劇がメアリーの目の前で起きたという事だけを、悲しそうに教えてくれていた。


あいつらが、ジュオウダの魔犬使いが、メアリーの息子の仇。


かって「108回」の女王時代に閲覧した、「魔犬使い」の詳細を、私は思い出した。

高額の報酬と引き換えに暗殺を請け負う、大陸にも悪名鳴り響いた犯罪者。

その最強の手駒だったのが魔犬ガルムだ。

各国の貴族や要人の子供たちを専門に噛み殺した、雄牛のように巨大な犬。

訓練とモチベーションの維持を兼ね、無関係の村々の赤子達を毒牙にかけたと記録されていた。

メアリーの息子が巻き込まれたとしたら、その件しかあるまい。


胸が悪くなる話だが、魔犬ガルムは長くは生きられなかった。その活動時期はわずか3年ほどだった。身体に対して、心臓が小さすぎた。犬の心臓は、大型犬も小型犬もほぼ同じ大きさだ。人間の品種改良も、心臓だけは変化させることが出来なかったのだ。文書に記された活動時期と特徴と照らし合わせると、あの中央の巨大な犬が魔犬ガルムで間違いない。。


では、メアリーの息子は、赤ちゃんは、メアリーの目の前で、この犬に噛み殺されたのか。

なんて酷い・・・・・!!


私は震えた。メアリーが怒りに我を忘れて飛び出したのは当然だ。


いつも優しく笑顔を絶やさなかったメアリー。

でも、その裏でどれだけの哀しみに耐えていたのか、彼女が人知れず流していた涙を、私はよく知っていた。


本当に強い人間というのは、メアリーのような人のことを言うのよ、とお母様は私にいつも語っていた。悲しさに負けないで優しさを失わない人間こそ、真の強さを持つ人間なのだと。ご自分の強さはメアリーの足元にも及ばないとまで言った。弓の達人でありながら、力に溺れずそう断言できるお母様を、私はとても誇らしく思った。もちろんメアリーのこともだ。


二人とも、もったいないほど最高の、私の大切な母親だ。


そのメアリーを! 私の家族を、私の自慢のお母さんを!

よくも泣かせたな! 悲しませたな! 許さない!

私は怒りで歯がみした。・・・・・まだ歯がない。解せぬ。


「オアウ!!」

ブラッド!!お願い!!私に代わって、あいつら、ぶっ飛ばして!!


「心得た。あいつら、メアリーさんの子供の仇なんだな。チビスケの怒り、メアリーさんの無念・・・・・オレの分もこめて、あいつらに叩きこんでやる」


ブラッドは片目をつぶって応じた。

さすがチート生物。

血液の流れや会話の切れ端で、大体の事情を察したらしい。話が早い!


「・・・・獲物がのこのこ自分から飛び出して来おったわい。なんと殊勝な」


魔犬使いが小馬鹿にした笑いを浮かべ、ざっと手を前に振ると、左右の魔犬が進み出て、矢のような速度で丘を駆け下った。もちろん獲物とはメアリーのことだ。遠目でもわかる加速と勢いに、私は戦慄した。体当たりするだけで牛を転倒させる威力があると直感する。あいつらにとっては、火かき棒なんか、枯れ枝ぐらいにしか思えないだろう。まして牙まで加われば、メアリーの華奢な身体など一瞬でぼろ屑に変えられてしまう。


メアリーが殺される!!


自分の手で子供の仇を討ちたいメアリーの気持ちは痛いほどわかる。でも、あんな化け物相手に闇雲に飛び込んだら、完全な無駄死だ。自殺行為でしかない。そんな死に方、息子さんだって望むはずがない。

それに、それに、私の大事な家族を!絶対に私の目の前で死なせるもんか!!


〝もう嫌!!お願い!!これ以上大事な人達を、私から奪い去らないで!!殺すなら、私から殺して!!お願いよ・・・・・・!!〟


またか・・・・・・!!

突然胸の奥から噴き出してきた悲痛な情念の叫びを、私は唇を噛み締めてこらえた。

歯がないから、噛めません!

よそから見ると口もごもごさせてるように見えるだけです。決まらぬ、無念。

こんな歯抜けのヒロイン、早く卒業したいです。私の乳歯さんはまだですか。


リンクするように溢れて来たのは、私だけど私でない感情。「今の私」の性格のべースになっている「108回」の自分と明らかに異なる誰か。こうも繰り返されると、さすがに私も気づかざるを得ない。私には「108回」の記憶以外のアンノウンが混じっている。

「108回」の私も大概な目にあったけど、この子の受けた絶望はさらに深い。これは自分の不幸や痛みを嘆く涙じゃない。今のメアリーが流しているのと同じ、愛する人を失った血の涙の痛みだ。そう直感する。


覚悟を決めた人間は、自分の身のことだけなら、死よりも辛い苦痛にも耐える。

だが、愛する人達が奪われる苦痛は、どんな勇士をも打ちのめす最悪の猛毒だ。どんなに拷問されても口を割らない剛毅な戦士も、目の前で愛娘の指を一本潰される事には耐えられない。もっとも効果的で迅速な拷問は、家族や恋人を目の前でいたぶることなのだ。私が女王時代に何度も見聞きした、心底胸の悪くなる光景だ。

大切な人が無惨に殺される痛みは、体でなく心を殺す。遺族は泣くことも出来ないほどの痛みを負う。

このアンノウンっ娘は、それを何度も何度も体験したんだ。発狂寸前の後悔と悲痛。なにも出来なかった無力な自分が、憎くて、大嫌いで、悲しくて、自分のせいで誰も救えなかったと、涙が枯れ果ててなお、悔み続けたんだ。ジグゾーパズルの端っこのような断片的な記憶だけだが、それだけは確信できた。


時間にしたらまばたきほどの一瞬だったが、押し寄せた「彼女」の悲痛な感情は、津波のように凄まじかった。

私はその波に流されまい、引きずられまいと必死に耐えた。

なんとか堪え、ふうっと息をつく。


あなたの気持ちはわかるよ。

今の新生児な私だって似たようなもんだから。


だから、私は、頼れるあいつに、私のすべての想いを託すんだ。

それが、あいつの力になると信じて。

ここに今、あいつが、ブラッドがいる。

なにも出来ない私だけど、祈るしか能がない自分だけど、あいつは「おまえの祈りが力になる」って言ってくれた。オレを頼れと声をかけてくれた。だから、私は祈るんだ。ブラッドなら、なんとかしてくれるって信じてるから。


あほだけど、あいつはすごいんだよ。


アンノ(仮称)ちゃんも、私と一緒に見届けなさい。

世の中捨てたもんじゃない。

メイド姿で、理不尽をぶっとばす、頼れる男の子だっているんだってことを!!

こんだけ、よいしょしたんだから、とっととあいつら、ぶっ潰して、メアリー助けてよね。ブラッド!!うひゃあッ!?


「・・・・・・行ってくらあっ!!」

ブラッドが私を乱暴にベビーバスケットの中に放りこんでいた。


「オアアッ!?」

ちょっと、ブラッド!乙女はもっと丁寧に扱いなさい!!

いま私のこと1メートルくらい放り投げたでしょ!!

乳児虐待反対!! ぼふんっと布団に受け止められながら、私は拳をつきあげた。

・・・・・だけど抗議のためじゃない。激励のためだ!!


いっけええええ!!チート生物!!

ブラッドが稲妻の速さでメアリーに追いすがる。


「ヨシュアの・・・・・息子のかたき!!」


メアリーが決死の覚悟で振りおろした火かき棒は、あっさりと魔犬に噛み止められた。


「・・・・ヨシュア。ヨシュア。はて、どこかで聞いたような」


火かき棒を取り戻そうと懸命に力を込めるメアリーだが、魔犬の口は万力のようにぴくりとも動かない。甲斐のない奮闘を続けるメアリーを、うろんげに凝視する魔犬使いの目が、かっと見開かれた。


「誰かと思えば、そうか!おまえ、クロウカシス地方の娘か!そのしつこさで思い出したわい! ガルムの食べ残しの息子を抱いて、目を開けてくれと、泣き叫んどったが、どうじゃった。頭が半分ない息子は、ちゃんと生き返れたかの」


目を愉悦にぎらつかせ、残虐な笑いを浮かべる。


ふ、ふざけんな・・・・!こんなゲス野郎に、メアリーは息子を奪われたのか・・・・!!

それも、化物のモチベーションを保つための餌なんて、くだらない理由のために!!


「・・・・・殺す!絶対殺してやる!あの子は春も迎えられなかった・・・・・・!」


怒りに燃えて睨みつけるメアリーに、魔犬使いは嘲笑を浴びせかけた。


「母親なのに守れんかったおのれの力不足を嘆け。今夜は予約でいそがしいでな。おまえなぞの相手をしている暇はない。身の程知らずにわしらに挑みおって。息子のかたき、じゃと。笑わせる。おまえ如きが、ガルムを引っ張りだすことなど、百年たっても叶わぬわ」


魔犬使いの言葉どおり、元凶の魔犬ガルムはメアリーを一瞥さえしなかった。丘の上に立ったまま、身じろぎもしない。路傍の石へと同じく無関心であった。胸が痛くなる無惨な光景だった。


「ちくしょう!!こっちぐらい向け!!」


メアリーの喉を振り絞るような悲痛な叫びにも、耳さえ動かそうとはしなかった。


「そんなつまらんこと、とうにガルムは忘れたとよ。きゃんきゃん五月蠅いわい。ギャルド、もういい。とっとと殺れ」


鬱陶しそうに、魔犬使いが、ぴっぴっと水滴を払うように手を動かした。


きゃんきゃんって何よ!!あんたらなんかワンワンでしょうが!!


メアリーの火かき棒を咥えた魔犬が、言葉に応じ、ぐうっと顎に力を込める。金属製の火かき棒が、ぺきんとへし折れた。メアリーの顔の大きさの倍ほどもある頭だった。人間の骨なんて簡単に噛み砕ける咬合力だった。そのまま、ぐいっと頭を横に動かす。


「非力を思い知らせて殺せ」


魔犬使いが吐き捨てる。

ギャルドと呼ばれた魔犬が無造作に首を振っただけなのに、折れ残った棒に、諦めず必死にしがみついたメアリーの足が宙に浮いた。人間一人を軽々と宙吊りして振り回す、信じがたい怪力だった。もう一度首を振ると、火かき棒が手から弾き飛ばされた。掴むものを失い、落下するメアリーに、魔犬のぞろりと並んだ牙が迫る。


「ヨシュア・・・・ごめん・・・! かあさん、終わっちゃった・・・かたき、取れなかった・・・・なにもしてあげられなくて、ごめんね・・・・・・・」


メアリーが悔し涙を浮かべ、亡くなった息子に涙声で謝る。

ぎゅうっと心臓を握りつぶされるような恐怖に私は叫んだ。

いけない!空中では逃げ場がない!!メアリー!!


「・・・・・まだまだあっ!!終わらすもんかっ!!」


間一髪、ブラッドが追いついた。メアリーの後ろ襟もとを引っ掴み、大きく後方に引きずり落とす。のけぞったメアリーの鼻先で、空ぶった牙ががちりと噛みあわされた。


「よう・・・・仇討ちは代理も認められるんだぜ。今からオレが、その代理人だ!!」


唸る魔犬に歯をむいて笑い返す。

メアリーを後ろに放り投げた勢いを利用し、ブラッドが回転する。


「水臭いぜ、メアリーさん!オレ達仲間だろ、あんたの息子の仇は、オレ達の仇!オレの腕はあんたの腕だ!!」


「ブラッド・・・・・!」


涙を浮かべるメアリーに、ブラッドは余裕のある優しい笑みで頷く。閃く魔犬の牙を軽々とかわし続け、さらに回転速度をあげた。スカートが花のように美しく開く。猛攻を潜り抜けると、その脇腹に加速をのせた裏拳を叩きつけた。


「受けとれ・・・・・メアリーさんとヨシュアの無念を!!」


一拍遅れ、パアアンという乾いた音が響き渡った。

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