第29話 開かれた戦端。お母様の弓技とブラッドの拳は冴え渡ります。それでも悪意の力はそれを上回るのです。

ブラッドの身体がくるくると優雅に回る。

遠目には無邪気な少女が、スカートを膨らませて遊んでいるようにも見える。

だが遠心力をつけて繰り出された裏拳は、風をまき、魔犬の脇をとらえていた。

心臓の直上に、情け容赦ない一撃が叩きこまれる。


「受けとれ・・・・・メアリーさんとヨシュアの無念を!!」


一拍遅れ、パアアンという乾いた音が響き渡る。

やった!!心臓止めだ!!

私はブラッドの勝利を確信し、ぐっと拳を握り締めた。

あれならどんな化け物でも打ち倒せる。

当たれば生物の心臓を停止させてしまう、文字通りの必殺技だ。


「・・・・・ちっ!?」


だが、ブラッドは顔をしかめ、後方に大きく飛び退いた。

魔犬が反撃の牙を閃かせたのだ。

致命の心臓止めを喰らったのに、まったく平然としている。

驚愕した私は、ブラッドに迫る影を見て凍りついた。


巨大な魔犬ガルムは相変わらず傍観を決め込んでいる。

しかし、ブラッドと相対するギャルドと呼ばれた魔犬以外のもう一匹が、巧妙に身を沈めるようにし、いつの間にか横から回りこんでいた。ブラッドの避ける方向をあらかじめ予測していないと不可能な動きだった。


こいつら計算尽くで襲撃してきている。

私は戦慄した。

ブラッドが手強いと瞬時に判断し、二匹の連携攻撃に切り替えたんだ!!


しかも背後にはメアリーが倒れ伏している。守るためにブラッドは逃げられない!

奴ら、そこまで織り込み済みなんだ!

ブラッドが殺される!!


「・・・・・・大丈夫。私の矢は奴らよりもずっと速い」


弦の音が鳴る。

お母様の手から放たれた弓矢が、一直線に空を閃き飛ぶ。

扉が開け放たれたままの出入り口をすり抜け、魔犬達に襲い掛かる。

待っていたかのようなタイミングだった。

もしブラッドが間に合わなければ、即座にメアリーを助けに入ろうと構えていたのだとわかった。


矢に気づいた魔犬達が、ブラッドの背中に身を隠すように動いた。

ブラッドを盾にする気だ。

こいつら、強いだけの獣じゃない。おそろしく狡猾なんだ!


「オアアアッ!!」


私は悲鳴をあげた。

ブラッド、よけて!!毒矢にあたる!!


「・・・・・スカーレット、心配無用です。母は弓では、どんな相手にも引けは取りません。ダンスはからきしですけど・・・・・・・弓法、蛇腹」


お母様はまったく動じず、静かに呟いた。


飛翔する矢が、ブラッドの手前で、ぐんっと急激に沈んだ。

地面に突き刺さる!

射損なった!?

だが、矢は地面すれすれをかすめ、またVの字を描くように跳ねあがった。

ブラッドの両脚の間、スカートの下を潜り抜け、その向こうの魔犬に襲いかかる。


「うおっ!ひゅんっとした!!」


ブラッドが身を縮める。

何がひゅんっとしたのかは気づかないふりをしておこう・・・・

清らかな私には、なんのことか、さっぱりなのデース。


盾にするつもりのブラッドの身体が、今度は逆に魔犬達の視界をさえぎった。

しかも予測しづらい足元からの跳ねあがる攻撃だ。

いくら化物犬でもかわせるわけがない。


どどっと命中音が連続した。

魔犬二匹の巨体が揺らぐ。

二匹!?一匹じゃなくて!?


「・・・・・弓法、蛇行」


ふうっとお母様が息を吐く。

試射で見せた、横くねりで障害物を回避する弓技だ。

今の「蛇腹」の一矢のあと、間髪入れず放っていたのだ。

最初の矢と同じく、ブラッドを目隠し代わりにし、あっという間にもう一匹の魔犬も仕留めてしまった。なんという神業。

これ、もうこちらの過剰戦力じゃない!?


だが、お母様は眉をひそめた。


「・・・・・だめ。仕留め損なった。あいつら普通の毛皮じゃない」


命中したはずの矢が、二本とも魔犬の身体から抜けおち、力なく地面に転がった。


「駄目だ!!コーネリアさん!!こいつら、なんか妙なもの着込んでやがる!!」


再びはじまった魔犬達の猛攻をしのぎながら、ブラッドが警告する。

そうか!毛皮に偽装した鎧かなにかを着用してるんだ。

だから、必殺の心臓止めも威力が遮られて、効果がなかったんだ!


「どうじゃ!!宗家の心臓止めを、見事に喰いとめおった!これで、わしの魔犬を倒せるものは、もうこの世におらんわい!!」


躍り上がり、まくしたてる魔犬使い。

そのあと、ふうっと息をつく。


「それにしても墜ちた天才が復活しておったとは・・・・正直肝をつぶしたわい。シャイロックの情報も当てにならんわ・・・じゃが、メルヴィルの魔弾さえ、わしの魔犬には通用せんと証明された!!魔犬こそが最強よ!!」


魔犬使いはどうやらお母様の過去を知っているようだった。

かなりの強者と記憶していたらしく、矢が魔犬に通じないとわかって、明らかに安堵していた。


勝ち誇ったように魔犬二匹が、ブラッドとメアリーに襲いかかる。


「んっなろっ!拳が駄目なら、こいつでどうだ!」


ブラッドが飛び退きながら、スカートの下に手を突っ込んで、袋を引っ張りだした。


あんた、また、なんてところから・・・・・・・


嚢じゃないですよ、

袋ですよ。布袋。念押ししときますね。

ブラッドはスカートの中にいろいろ物騒なものを仕舞いこんでいるのです。


右、左と投げつけた袋は狙いあやまたず、魔犬の鼻づらに命中し、盛大に中身をぶちまけた。

白い粉塵が派手に散華し、追撃しようとした魔犬二匹はそこにまともに顔から突っ込んだ。

砕いた生石灰に刺激物を混入した目潰しだ!


「どうよ。オレのふたつの隠し玉は!!」


ちょっと!私のフォロー、踏みにじらないで!

私は赤面した。

あんた、その台詞わざと選んでないよね?


粘膜を爛れさす劇物をもろに吸い込み、魔犬達が咳きこんだ。

悲鳴こそ上げなかったが、前脚で顔を掻き毟って苦悶する。


ブラッドがゆらりと陽炎のように音もなく跳躍すると、ふわりと倒立する形で二匹の首筋に指先で触れた。スカートがまくれあがって見苦しくならないよう、器用に閉じた両膝で挟み込んでいた。そのおしとやか動作必要?


「そっか。胴体は防具着ているけど、やっぱり首筋はむきだしみたいだね・・・・」


冷たく囁きかける。


「・・・・・・じゃあね」


「いかん!!避けろ!!ギャルド!!シャッス!!」


魔犬使いが喚き立てたときにはもう遅かった。

魔犬二匹が反応する暇さえ与えず、ブラッドの掌撃が炸裂した。


「まずは二匹・・・・・メアリーさんの哀しみを思い知れ」


独特の鋭い破裂音が響き渡り、魔犬二匹の身体がはねあがった。

不可視の電撃に貫かれたかのようだった。

どさりと横倒しになり、白目を剥いて口から泡を吹いて痙攣する。

失禁した尿が黒々と地面を濡らした。

ゆるやかにスピンしながらブラッドが着地する。


魔犬使いが絶叫した。

こけつまろびつ丘の上から駆けおりてくる。


「頸動脈の血流を完全に停止した。血流無しでは、脳は活動を停止する。意識がとんだまま、すぐに壊死しはじめる。もう絶対に助からない」


血を操るブラッドだから成し得る技。

魔法のように鮮やかで、そして凄惨な技だった。

いつものブラッドに似合わない厳しい眼差しで、のたうつ魔犬を見下ろす。


「犬のおまえ達に善悪の判断はつかなかったろうけど、おまえ達は裁かれるだけのことをやったんだ。恨むなら、おまえ達を殺人の道具に仕立て上げた馬鹿な飼い主を恨め」


それでも口調にはわずかに憐れみの色があったのがブラッドらしかった。


「ブラッド・・・・・ごめんなさい・・・・・私・・・・・・」


涙を浮かべて謝りかけたメアリーにブラッドは屈託ない笑顔をむけた。


「あのさ。オレ、メアリーさんのお茶、気に入ってるんだ。早くあいつら、ぶっ倒さないと、メアリーさんがお茶・・・・・・」


淹れてくれないだろ、かな。


「お茶の淹れ方、オレに教えてくれないだろ」


あんたが教えてもらいたいの!?

どんだけメイド業に嵌まってんのよ!


笑いかけるブラッドに、メアリーもようやく笑顔を見せて頷いた。


そこにいるだけで、みんなの不安を払拭してしまう頼もしさ。

たとえメイドに女装していようと、やはりブラッドは「治外の民」の長の息子だった。

さすが後の世界最強の殺し屋。その名に恥じない息をのむような技の冴え・・・・・って、あんた、なにスカート、ぱたぱた煽いで遊んでんの!?決めのシーン台無しじゃないの!


「ふむふむスカートって、いろいろ仕込めて便利だ。だから、女の人はスカート履いてるのか。「治外の里」の男衆にも勧めてみるかな」


変な勘違いをして、とんでもないことを思いつくブラッド。

「治外の民」の壮年マッチョどもがスカートを履いて闊歩する、身の毛もよだつ未来予想図に、私は心の底から戦慄した。

それも全員、メイド服着用だ。

やめてよね!そんな地獄絵図!!

中身化物軍団が、外見まで化物軍団と化すじゃないか!


畏れおののく私は、さらに震えあがる光景を目撃し、凍りついた。

それまで様子を窺っていた魔犬ガルムが、いつの間にかブラッドめがけ、肉迫していた。


「ブラッド、前!!」


目ざとく気付いたメアリーが叫ぶ。


速すぎる!!こいつ、さっきまで丘の上にいたはずなのに!!

どういう速度よ!?

近くで見ると、さっきまでの魔犬達の倍以上の筋肉の質量なのがよくわかる。

あの二匹をつむじ風とするなら、こいつは嵐の塊だ!

ふきつける鬼気は、先の二匹とは比較にならない。

もはや獣どころか魔物としか思えない。

地獄の燐火のように小さな目が緑色に輝いていた。


「・・・・・化物の親玉のおでましかよ!!」


蒼白になってブラッドが迎撃の構えを取る。

近くになると体格差が際立つ。

ブラッドが子供なこともあるが、まるで小山が迫ってくるような威圧感だ。


「さて、ここからが正念場ね」


ひゅんひゅんっと矢鳴りがした。

お母様は冷静に魔犬ガルムの動きをとらえていて、接近のタイミングにあわせて、矢を放っていたのだ。

よくよく見るとブラッドも、お母様の援護を予測して動いていた。

さりげなく矢の射線、開け放たれた出入り口の延長線上に移動していたのだ。

あんな怪物を前にしても、二人は冷静な判断力を失っていない。頼もしい。


すごいな、この二人。


私はあらためて感嘆した。

でも、お母様。その矢、魔犬ガルムから、かなり離れたとこを通過しそう、というか・・・・・このままでは掠めもせずに飛び去ってしまいます!!


「いえ、これでいいのです。弓に関しては、母は期待を裏切りません・・・・・ピアノは弾けないけど・・・・・弓法、鎌首」


矢がヴンッと突然横にぶれた。

またスーパーな弓技ですか!?

それにしても、いちいち技名を口にするのって、もしかして・・・・


「メルヴィル家の鉄の掟です。コンプレックスを付け加え、己を戒めるのも」


やっばり!!

私も習得後は技名叫ばないといけないのか。

自分流にかわいく改名しちゃダメですか?

くねくねアローとか。

そして、叫ぶコンプレックスはやはり胸か!?胸のことなのかあッ!!

ますます異世界恋愛ワールドからテイク・オフ!!


・・・・・・・と、それより、今は弓矢の行方!!

急速変化した矢の軌道の先は・・・・魔犬ガルムの顔面直撃コース!!

胴体の守りは防具で鉄壁と悟ったお母様は、むき出しの箇所狙いに切り替えたのだ。

ガルム視点だと、貌の前にいきなり弓矢が出現したように見えたろう。

絶対かわせない!!

あったれええっ!!

私は思わず拳を握り締めた。

だが、突き立つはずの矢は、あっさりとその剛毛にはじきとばされた。

なんでええっ!?

魔犬ガルムはかわそうとする素振りすら見せず、そのままノンブレーキで突進して来た。


「・・・・・・うっそだろぉ」


唖然とするブラッド。

それでもスカートの下から電光石火でスローイングナイフを取り出し、投げつけたのは流石だった。しかし、それも空しく体表で弾かれる。


「・・・・・っこれなら!!」


ブラッドが身体をねじり、魔犬ガルムの首筋めがけ、拳をめり込ませる。

両手を打ち鳴らしたような鋭い音が響く。

さきほど他の魔犬二匹を降した血流停止技だ。

さらに、二度、三度・・・・


「こなくそっ・・・・・・かわす気もないってかよ・・・・・馬鹿にしやがって・・・・!」


魔犬ガルムは避けようともせず、ブラッドの攻撃をすべて平然と受け止めた。

体表が頑丈すぎ、素でブラッドの攻撃をはじいてしまう。

ダメージがまったく通っていない。

さらに蹴りを五発ほど叩き込まれたところで、うっとおしそうに身体を振った。

犬が体毛についた水滴をとばす仕草だ。

それだけでブラッドは、蠅叩きを当てられた蠅のように吹き飛んだ。

その気になればいつでもブラッドをまっぷたつに出来る底知れない力が垣間見えた。


「やべえ・・・・・勝てない。反則だろ、こんなん」


身軽に跳ね起きたブラッドの顔は笑っていたが、語尾が震えていた。


「いつでもオレなんか殺せるって顔しやがって・・・・・・」


私でもわかる。

こんな相手倒しようがない。戦力が違い過ぎる。

いくらブラッドでもあの化け物には絶対勝てない。

頼みの綱の心臓止めも、こいつには通用しない。

防具無しでも、お母様の弓矢を弾き、ブラッドの技を寄せ付けない怪物に、打つ手などあろうはずがない。


それでも背後のメアリーを守るため、ブラッドは挑み続けるしか道はない。


「お、おおう・・・・・・わ、わしのかわいい子達が・・・・・!!」

ようやく丘からたどり着いた魔犬使いが、息絶えた魔犬二匹の横に、へなへなと崩れ落ちる。


「よくも・・・・よくも・・・・・よくも、わしの芸術作品を!!絶対に赦さんぞ!!!殺せ、ガルム!!一人残らず皆殺しじゃあっ!!!」

口角から泡をふき、怒り狂って魔犬使いは命令した。


め、迷惑な芸術作品だな。

どこの美術館も展示を拒否すると思うよ。


それまでこちらの攻撃力を見切り、悠然とかまえていたガルムが、のそりと動き出す。

山崩れを目前にしたかのような圧迫感に、ブラッドの顔色が変わる。


「メアリーさん!!さがれ!!あんたがさがらないと、オレが逃げられない!!」


ブラッドが絶叫し、それまで壮絶すぎる戦闘にのまれ、呆然と座り込んでいたメアリーが跳ね起きた。


「でも、ブラッドは、私を守るために・・・・私だけ逃げるなんて・・・・・!」

躊躇するメアリーだったが、


「オレはいいから、スカーレットを守れ!!背後はまかせると言ったろ!!」


ブラッドの叱咤で、はじかれたように私達のほうに向かい走りだす。

魔犬ガルムは追うそぶりすら見せなかった。

いつでも殺せる相手と侮っているのがわかる。

ひ弱な人間達の甲斐のない抵抗を嘲笑うかのように、魔犬ガルムの眼光が歪に輝く。


「嗤いやがったな!やるだけやってやらあっ!!土壇場の人間なめんなよ!!この化物犬!!」


ブラッドが自らを奮い立たせるように怒鳴ると、魔犬ガルムに戦いを挑んだ。

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