第25話 錯綜する記憶、入り混じる「108回」と「真の歴史」。いろんなスカーレットの演じ分けに、私もてんてこ舞いなのです。

「生温うて心地いい風じゃわい。わしが公爵に片目を奪われたのも、ちょうどこんな夜じゃったのう」


と夜の森の切れ間、崩れかけた石の上に座り、魔犬使いの老人が空を見上げ、背筋の寒くなるような笑みを浮かべる。


灰色の無数の石柱が中途で折れ、あるいは横倒しになり、朽ちかけているこの一角は、禁忌の土地だ。領民の誰もがおそれて近づかない。ここは古代の祭祀場跡だった。信者にとうに見捨てられたこの場所は、巨大な墓石の群れのようで、陰鬱な鬼気をまき散らす。

正気の人間なら、日が暮れてなど絶対に立ち寄らないが、この老人はむしろ心地良さに酔い痴れているようだった。


魔犬使いの背後で、異様な咀嚼音が響く。


三匹の小山のような巨体が、競い合うように、一頭の雌鹿を咥え、振り回していた。小山のように黒々とした影が暴れる。一匹は首を、一匹は足首を、一匹は腿にかぶりつき、思い思いの方向に首を振りたてる。雌鹿は地面に倒れ伏すことも許されず、空中で毬のように跳ねながら、生きたまま貪り喰われていく。まるでシャチが戯れにアザラシの子供を空中に突きあげているような凄惨な光景だった。


八つ裂きにされていく雌鹿が、甲高い笛の音のような断末魔の悲鳴をあげた。


血の泡で濁ったその音に、魔犬使いは、うっとりと聞き惚れていた。


「おまえたち、ほどほどになあ。公爵夫人と赤ん坊めをおさめる分の腹は開けておけよ」


くっくっくっとくぐもった声で嗤う。

その声で、三匹の魔犬はぴたりと生贄への魔宴を中断した。

支えるものを失い、どすんと落下した雌鹿が死の痙攣に掴まれているが見向きもしない。


「いい子たちじゃて・・・・さて、紅の公爵よ。この鹿のように無惨に食いちぎられた妻と娘を見て、おまえが何を思うか、それを考えると笑いがとまらんわい」


残った片目に偏執の光をたたえ、魔犬使いは、潰された片目に手をやる。


「失ったはずの目が、今でも痛みで疼きおるわ」

幻肢痛と呼ばれるものだ。それが常に公爵への怒りと恨みをかきたてる。


「片目の借り。その利子代わりに、おまえの大切なものを噛み潰してくれよう」


沈黙し揃って背後で待機している魔犬達の足元で、ぴちゃりぴちゃりと音がする。抑えきれない涎と哀れな犠牲の返り血が、口吻から滴り落ちているのだ。


「・・・・公爵めの嘆くさまを見てやりたいからの。判別がつくように、頭だけは喰い残すのだぞ・・・・・いや!」


魔犬使いは素晴らしい閃きに興奮した哲人のように、両手を広げ立ちあがった。


「夫人とガキの骨に至るまで全部喰ろうて、おまえ達のクソを公爵に突きつけてやろうぞ!これが夫人と娘のなれの果てと、懇切丁寧に教えてやってのお。クソをかき抱いて咽び泣く公爵。これほど胸のすく光景はなかろうてッ!」


悪魔の発想に我を忘れ、魔犬使いは口端から涎を垂らしているのにも気づいていない。魔犬どもと何ら変わりのない、おぞましい本性。外見は人なだけに余計に救いがなかった。


「ガルムよ。今宵の餌は、産まれたての赤ん坊じゃ」


首を捻じ曲げ、中央の巨大な魔犬に振り向く。

「残らず喰らうてよいぞ。嬉しかろう」


雄牛ほどもある巨大な魔犬ガルムは、目に喜悦と貪欲をたぎらせ、脚を一歩前に踏み出した。すでに息絶えた雌鹿の貌を踏みつける。ぐうっと力を入れると、胸の悪くなる、ばきばきと骨が砕ける音と、ぶちゅっと何かが飛び出す音が響いた。


「では、行くとするかの」


信仰が消え去った遺跡のなかで、鬼吠のように風が鳴る。

一人と三匹のおぞましい影が、月明かりに伸び縮みしながら、ゆらゆらと歩きだす。

行く手には、公爵邸敷地を取り囲む壁のシルエットが虚ろに横たわっている。遠目の薄闇の中、それはひどく頼りなく、紙のように脆弱な印象だった。強さを増す風に今にもなぎ倒されそうに見えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「なあ、コーネリアさん。こいつ、名前つけないの?いつまでも「チビスケ」とか「こいつ」じゃ、話づらいんだけど」


襲撃者にそなえ、各々が準備に余念がないなか、ブラッドが、そう口にした。

私達は今、毎度おなじみ調度品ゼロの正賓室にいる。

暖炉前で矢羽根を点検していたお母様が顔をあげた。


そこなのよねー。気持ちは嬉しいんだけど、私まだ教会に洗礼受けに行ってないんだよね。名無しのゴンベ子ちゃんはやむを得ないのだ。かくしてジェーン・ドゥな私の華麗な日々は続くのだった。


はっ!!?ちょい、待ち!!

洗礼なしじゃ、私、原罪祓えてないですよ!

まして、私は108回も悪徳女王を繰り返した前科もち。

脛に入った傷が痛い。

このまま死んじゃったら、神の御許でなく、鬼のお膝元で、賽の河原の石積み決定なのです!


「お嬢様のお名前!?」


お母様以上に喰いついたのがメアリーだった。

「気品ただようお嬢様にぴったりの、素敵な名前を是非・・・・・!」

頬を上気させ、私に頬ずりせんばかりのメアリー。


そ、そんなに私のことを評価してくれるなんて、照れるな・・・・・


「気品・・・・おしっこの匂いなら漂ってるけど・・・・」

ぷっと吹き出すブラッド。


おのれ!!ブラッド!!赤ちゃんだから仕方ないじゃない!!


メイド喫茶に売り飛ばして、萌え萌え光線を、連日連夜リクエストしてくれるわ!!にゃんにゃんダンスを、衆人環視のなか踊らせ、心をへし折ってやる。おまえに世にも恐ろしい恥辱を与え、メイドと耳にしただけで腰が抜けるようパブロフってくれる!!


「違うって。俺が笑ったのは、おしっこじゃなくて、気品のほう」


 怒り心頭に達した私を、ブラッドがそう宥める。

 そ、そうなの。じゃあ、まあ、いいか。私ったら、早とちり・・・・・

・・・・・あれ?ほんとに、それでよかったっけ?


私が首をひねっている間にも、メアリーのハイテンションは続き、ついに命名検討モードに突入していた。

「どんなお名前がよろしいでしょうか。エリザベス・・・エカテリーナ・・・・アグリッピナ・・・・」


な、なんか、血で血を洗う闘争人生が確約な名前ばっかりじゃない!?

ま、今回の人生の私は、闘争じゃなくて逃走本能に満ち溢れてるけどね!

三十六計逃げるに如かず。

逃げるが勝ち!!


「そうだ!!アリサ・・・・なんてどうでしょう!!」

「ホギャアッ!?」


私は思わず恐怖の叫びをもらした。

ちょっとちびったかもしれない。

冗談じゃない。あいつとは、ただでさえ、同日同刻産まれの呪われたシンクロニシティなのに、これで名前までかぶったら、一歳迎えずに心労で私が死ぬ。作品労災を要求します。


〝産まれた日時も、名前も同じなんて!私たち、運命の、ふっ・たっ・ごっ。えへっ!!〟


ふうっと息がかからんばかりに耳元で囁かれた気がし、おぞましい脳内再生に私はふるえあがった。

絶対言いそう。そんで、あいつ、妙に距離詰めてくるんだよ!!貴族令嬢なのに、間合いをガン無視して、べたべた抱きついてくるんだ。


かわいい?


ノオーッ!!

あのね、二人だけのプライベートな時間なら、まだ苦笑で済むんだけどさ。他の御令嬢のお相手してるときや、公の場で、割り込み御免で敢行するんだよ。しかも、仕方ないから相手しようとすると、ぷいっと勝手にどこか消えちゃうし、後に残される、しいんとした空気と皆の気まずさといったら・・・・・・毎回フォロー大変だったんだよ!?


あいつ、身分差なんて気にしないし、マナーもろくすっぽ覚えてないし、気まぐれだったから、ほんとやりたい放題だった。なのに、あの過度なスキンシップを勘違いして、ころっと落ちちゃう男は多かったんだよなあ。まあ、あいつ見た目だけは満点だったし。


天真爛漫!?素直!?あれは、なにも考えてないの!!


いくら女同士でも、後ろから抱きついて、胸を押しつけるな!!

私への挑戦状か、まったく!!

さりげなく注意すると、いきなり私の胸元に手を突っ込んで、


「これで、私も触ったからおあいこねっ。えへっ」


度肝を抜かれ、硬直している私の胸を、ぺたぺたとまさぐって、


「ちっちゃくて可哀想。男の子みたい。あ、だから、ドレスのえり大きくして誤魔化してるんだ。もう大丈夫。私、おっぱい大きくするマッサージ知ってるの。今度やったげるね。えへへ、遠慮しないで」


えへへ、じゃないよ!! こわいよ!!普通に!!

一生遠慮します!!


私、「ほぎゃああっ!?」って絶叫しちゃったもの。


積み重ねた淑女のイメージが一瞬で台無し・・・・・・

父親のフォンティーヌ卿が顔色変えてすっ飛んできたのは言うまでもない。地に頭を擦りつける勢いで平身低頭して謝罪してたけど、当の本人はぽかんとしたまま。


なお、さすがの傍若無人のアリサも、この事件のあと暫くは、社交界出入り禁止をくらっていた。すぐ平然とした顔で舞い戻ってきたけど。頼みますから、永遠に蟄居させといてくださいませ・・・・・なんなら、座敷牢に軟禁方向で。


王家への忠義と武勇で鳴らしたフォンティーヌ家から、あんな爆弾娘が生まれたのが不思議でしかたなかった。でも、私の認識はまだ甘かったのだ。


なんでこの子、私にまとわりつくんだろ、と溜息ついてたら、私の女王即位後は、いきなり「救国の乙女」として反スカーレット勢力の急先鋒になるんだもの。それで、私が惨殺されるまで追い詰めてくるんだ。


わけわかんないよ!?


私、あんたを庇ったことこそあれ、恨まれるようなことなんかしてないはずだけど!?


行動原理が私の理解力の範疇をこえていて、宇宙人を相手しているように錯覚させられたものだ。まあ、思惑なんかなくって、なにも考えないで場当たり的に動いていたら、たまたまそうなったってだけなんだろうけど。


とにかく、アリサの名前だけは断固拒否です。あの子とは、もう毛一筋ほども関わりたくありません。

私、出奔させていただきますので。二週間、お世話になりました。


「お、お嬢様!?」


私はメアリーの手から逃れようと、身をくねらせ、肩口へと這い上った。ここから美しく羽化し、蝶のように自由な明日へ羽ばたいていくのだ。


次回から、みなしごスカーレットがはじまります!!おたのしみに!!


「あははっ、脱皮しようとしてるセミそっくり」


 おのれ、ブラッド!!蜂と化して、必殺の毒針の一撃、見舞ってくれようか!!


「・・・・スカーレット」

お母様の思いがけない一言で、ブラッドめがけて、蝶のように舞い蜂のように刺そうとしていた私は、驚いてフリーズした。


「スカーレット。この子の名前は、スカーレットがいいです」

噛み締めるように、もう一度繰り返すお母様。


お、お母様、どうしてその名前を・・・・・?


「夫の、ヴェンデルの髪がお日様に照らされて輝いたときの色。いつか女の子が生まれたら、その名前をつけよう。そう決めていたの」

お母様ははにかみながら答えた。


脳裏を稲妻が貫いた気がした。

ぶわっと記憶の映像が押し寄せて、私は息をするのを忘れていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


太陽が昇る。鮮やかな朝焼けが、白くまぶしい輝きに変わる一瞬。


「スカーレット。君の名前は・・・・・・」


私の記憶よりももっと若々しいお父様が優しく語りかける。童話の貴公子がそのまま抜けだしてきたような凛々しい姿。


「お日様の光に透けたぼくの髪の色を見て、君のお母様が思いついた名前なんだ。ぼくの髪の色が好きだと褒めてくれた。いつか娘が生まれたら、その名前をつけよう。そう嬉しそうに笑っていた」


そして、そっと私の手をとり、恭しくその甲にキスをくださったのです。

跪き、私を見上げるその瞳は、朝日の色と同じ強い強い赤の色。日に照らされて輝く髪の色。私達親子の血の繋がりのあかし。


「君の名前はお母様からの贈り物だ。お母様は、コーネリアの命は、今も君の中に受け継がれている。お母さまは君とともに生きている」


大好きで自慢だった私のお父様。

私が一人立ちするまでは、亡くなったお母様とともに、ずっと親子三人で一緒に歩いていくと、それが口癖でした。


私が熱を出したときは、寝ないで、一晩中付き添ってくれた。

私が高熱で意識を失っていたと思っていたらしく、治った後は、そ知らぬお顔をされていたけれど。優しさをあからさまにする人ではありませんでしたから。でも・・・・・でもね。


お父様の気持ちを思いはばかり、お互い気づいてないことにしましたが、自分がどんなに愛されているか知って、嬉しくて嬉しくて、私はシーツをかぶってこぼれる笑いを懸命に押し隠したのです。


厳しいところもあったけど、辛いなんて一度も思わなかった。

だって、それ以上に深い愛を私は感じられたもの。


私とお父様は、お母様の受けた屈辱をそそぐため、二人三脚でハイドランジアの女王への道を志していました。朝日の中、私達はそう誓ったのです。その目的の為には、恋をしている暇なんかない。


でも、女王になっても、結婚は出来る。


私も、お父様みたいな素敵な殿方といつか連れ添いたい。

お母様のように激しく純粋に愛されてみたい。

両親の物語のような恋に、私はひそかに憧れていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・

お父様との別れは突然やってきました。

恒例のお母様の命日の墓参りに出かけ、雪崩に巻き込まれてお亡くなりになったのです。私を慈しんでくれたオブライエンのおじい様も、メルヴィルの屋敷の火災で天に召されてしまった。


訃報を聞いたとき、私は悲痛のあまり気を失い、目を覚まし、何度も何度も諦めきれず事実を確認し、とうとう自分がひとりぼっちになってしまったと悟り、声を殺して泣きました。

人前で弱さを見せるわけにはいかない。

私は女王になるのだから。


でも・・・・・私の家族はもう誰もいなくなってしまった。

辛い。一人は悲しい。寂しくて苦しい。私も、みんなのところに行きたい・・・・


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「・・・・オアアアア・・・・」

気がつくと私は、ぼろぼろと涙を零していた。


ちょっと待って・・・・な、なんなの!?この記憶は・・・!

そして、私のキャラ違ってない!?これ、ほんとに私の記憶!?


私の知っているお父様は、もっと白髪混じりで険しい顔で、常に咳きこんでいて、私が駆け寄ると、「近づくな」と怒鳴るような気難しい人だったはず。屋敷にも寄りつかず、シャイロックの愛人邸に入り浸りで、最期のときも我が家で迎えはしなかったはず。


戸惑う私の脳裏で、今度は雨音が響き渡る。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


雨が降っている。激しい雨が。

私は墓石にすがりついて慟哭した。

嬉しい、自分がどんなに愛されていたかわかって。

悔しい、もらった愛を返すことがもう叶わないから。

父は生前なにも語ってはくれなかった。

それでも、私がもっと賢ければ、人の心がわかっていれば、その愛情に気づけた筈なのに。

私は今までなにを見ていたのだろう。

私は、父の死を知ったとき、友人達が殺されたときほどの哀しみさえ覚えなかった。

幼稚な自分を殺してやりたかった。


こんな愚かな私が、なにが・・・・・なにが!


私は何度も地面に拳をうちつけた。

どんなに痛みを与えても、心の悲痛がかき消せない。

胸が張り裂けそうに苦しい。

私に、あんな名前で呼ばれる資格なんてない!!

真実を教えてくれたエセルリードが、上着を傘代わりに広げ、私の頭上にさしかけてくれている。

自分が濡れるのも構わずに。

彼は笑わない。昔、亡くなった恋人にそう誓ったから。

だから、私を勇気づける笑顔は浮かべられない。

その代わり、泣く私の後ろに立ち、ずっと私を守るように待っていてくれた。

彼もまた涙を流していた。父は彼の盟友だった。


「今はお泣きなさい。そして前が見えるぐらい涙が減ったなら、泣きながらでも歩き出してください。あなたが生きている限り、あなたを愛した人達の気持ちは無駄にならない。生きなさい。どんなに辛くても。俺も、そうやって無様に今日まで生きてきました」


雨が私達の涙を包み隠す。

彼が話しかけ、私は泣きながら、それに頷き続けた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「・・・・・アウッ・・・・ウッ・・・・・ウッ・・・・・」

嗚咽が止まらない。


また私の知らない記憶!?そして、また少しキャラが違う!?

私ったら、嬉し恥ずかし乙女七変化!?


忘れちゃいけない、思い出さなきゃいけない。そう本能が叫ぶ。

それが「彼女」への唯一の対抗手段なのだから・・・・・・と。


胸を焦燥が締めつける。なのに、あと一歩で思い出せない。もどかしい。

私は喉を詰まらせ、身悶えした。


「たいへん!!空気がまだ残ってたのかしら」

メアリーがあわて、私を肩にのせ、ぽんぽんと背中を叩く。


「・・・・・アオッ!・・・アオッ!・・・アオーッ!・・・」

私はアシカのように身をのけぞらせた。


メアリー、ちがうよ!ストップ!ストーップ!

これは授乳で誤飲した空気で苦しんでるんじゃないから!!

私が両手を振ってメアリーを制止しようとしているのを見て、


「・・・・・名前、気に入らなかったかしら」

お母様が心配そうに首をかしげる。


いえーっ!!とってもいい名前ですよ。

私はあわてて振り向き笑顔を浮かべた。

迷っていて「アリサ」とか名づけられては堪ったもんじゃない。


スカーレット、おおいに結構!

私にとっても昔馴染みのお名前です!

また、よろしくね。

「スカーレット」!!


「お嬢様も喜ばれているみたいです。これからも宜しくお願いしますね。スカーレットお嬢様」

メアリーが、ぎゅうっと私を抱きしめる。


「アウッ!?」

メアリーに「スカーレットお嬢様」と呼びかけられた瞬間、また私の涙腺が決壊した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


刺繍が得意だったメアリー。

私はメアリーのプレゼントしてくれた人形をたくさん持っていて、一体一体に名前をつけて可愛がっていた。私が成長してからは、人形達はメアリーの娘に受け継がれた。

メアリーに、娘の名付け親になってほしいと頼まれたとき、どんなに嬉しかったことか。

年の離れた妹が誕生する気がし、出産の日をどれだけ首を長くして待ち望んだことか。


いつも「スカーレットお嬢さま、大好きですよ」と微笑んで抱きしめてくれたメアリー。

私の大切なもう一人のお母様。


でも、メアリーは、私をかばって・・・・!

胸が苦しい。息ができない。

私のせいで・・・・メアリーを殺してしまった!

最期まで私の身を案じていたメアリー。

たくさんのものを与えてくれたメアリー。

なのに、私・・・・私、なんの恩返しもできなかった・・・・・!

ごめんなさい・・・・・メアリー・・・・・ごめんなさい・・・・!

ぜんぶ私が悪いんだ・・・・!

私が代わりに死ねばよかったんだ・・・・・!!

フローラ、ごめん・・・・・私、なんて言って謝れば・・・・

あなたのお母さんを・・・・私が、奪ってしまった・・・・!

涙で何も見えない。私、もう立てない・・・・・

神様、あなたは私から、何人大切な人を奪えば気が済むのですか。

父が亡くなったあと、陰になり日向になり私を支えてくれたエセルリードも、もういない・・・・!


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ウッ・・・・オッ・・・オウ・・・・・・」


「たいへん!まだ空気がおなかに残ってたみたい」

 勘違いしたメアリーがまた私の背中をぽんぽんする。


「・・・・・アオッ!・・・アオッ!・・・アオーウッ!・・・」

再びアシカになる私。


だから、違うって!

記憶のイメージが霧散する。

私は必死に両手で涙を拭い、あふれ出した感情を封じ込めた。

しゃっくりもね。

また背中ぽんぽんループに入ってはたまらない。


「よろしくね。スカーレット。洗礼前の名付けでごめんなさい。でも必ずあなたを守ってみせるから。そうしたら・・・・・」

そしてお母様は伏し目がちに躊躇いながら、

「そうしたら、私に母親として、やり直す機会をちょうだい。出来る限り償ってみせる。貴族の母親らしく上手にやれるかどうかわからないけど」


お母様はまだ私を殺そうとしたことを気に病んでいるらしい。


「アウッ」

私は弓をひく動作をした。


お母様の目が驚きに見開かれた。


貴族の勉強など、108回も悪役令嬢を生きた私には不要です。

おおよそのことは免許皆伝クラスゆえ。

むしろ、そのスーパーな弓技こそ教えてほしいです。

さんざん私を射殺した5人の勇士の一人、闇の狩人アーノルドをやりこめられるよう、私は奴の腕を上回らねばならんのです。奴が、私の引きこもりライフに立ち塞がるときに備えて!


「・・・・・それなら得意分野だわ」

お母様は花がほころぶように笑った。


その若々しい姿に私はあらためて見惚れた。


今日の出で立ちは、いつものコットンにロープではない。

髪を後ろに一まとめに束ね、額には白布の鉢巻き。手にはおなじみの弓籠手。長めの革ブーツ。特筆すべきはスカート丈の短さだ。膝よりも上だと・・・・・!


正確には上着の下裾にプリーツつけて、下に半ズボンを履いてるんだけど、襞のせいでミニスカートに見えます。というか、それ以外に見えません。覗く太股の色が目に毒です。ロングスカートがスタンダードのこの国では危険すぎるファッションセンス。なんで同じ上着の上部分と下部分で意匠がこんなに違ってるのでしょう。スカートに誤認させようという執拗な意志を感じます。


その帯の横結びがリボンみたいなのは、なにか伝統的な意味が?


そして背面にマントのように羽織った荒々しい獣の毛皮・・・・・お母様、ケダモノの貌がついています。襟巻の代わりにしては、ちょっと凶悪すぎませんか・・・・


胸当てはまともだが、なんとそちらはお母様の唯一の弱点、ちっぱいを見事にカバーしていた。胸があるように見えるだと!?こ、これが貧乳戦士達の戦う道!?


ひとつひとつ注視するとかなりアレな格好だが、背中にまとったケダモノのお顔つき毛皮のインパクトが強すぎ、なんか普通に清楚に見える。錯覚ってこわい・・・・・・・・・


「メルヴィル家の女性の正式な戦装束です。断じて私の趣味ではありません」

お母様がきっぱりと断言する。


メルヴィル家は女性の弓の達人を輩出したが、その多くは若くして弓を置くことになった、と続けた。ご自分の衣装を見て、溜息をつく。


な、なるほど。まあ、歳いってから、この衣装は、私もちと辛いかな・・・・・・


お母様級の射手だと戦場でも引っ張りだこだったろうから、早めに女性を戦場から引退させる救済措置だったのかも知れないけど、煽情して、かえって一部のマニアを引っ張りこみそうな格好だよ

・・・・はっ、もしやお父様も・・・・考えないどこう。


と、とにかく私もこれで名無しのゴンベ子ちゃんを卒業です。

今から私は109回目の人生でも、晴れて「スカーレット」を名乗らせていただきます!!

いや、まだ洗礼前だから、いわば仮免許。

人呼んで「仮免スカーレット」ここに、見参!!


「108回殺された悪役令嬢のマーチ」 


作曲 スカーレット

作詞 スカーレット

唄  スカーレット


世にはばかりし 尽きせぬ悪を

峰でうちすえ 刃で斬るよ

成敗成敗、Bye Byeよ

罪の重さを、叩き込み

かよわき者の無念晴らすよ

アウアウアウア アッアッアー

オウッオウオウ オッオッオーーッ!?


※ハミング部分 訳 作者

「唸れ、新生児パンチ!!悪党の腹を突きぬけろ。痛あーっ!!ポキッっていった!!ちょっとブラッド!!骨折してないか、みてくんない。だいじょうぶ?じゃあ、もう一回!!ギャアアーッ!!-今度はポキポキッっていったあー!?」

  ♫


「アー、ウー、アーアー、ウウー・・・・・」


せっかくテーマソング思いついたのに!!

喋れぬッ!!歌えぬッ!!解せぬッ!!

あ、それに私、元悪役令嬢だった。

自分が成敗の対象じゃん!! Bye Byeされちゃうのこっちだよ!!


マイクを握り締めたポーズで無念の涙をのむ私の頭を、ぽんぽんとブラッドが叩く。


「名前ついてよかったな。これからよろしくな。スカー・・・・・・トロ?」


おのれ、ブラッド!!

なによ!その特殊性癖っぽい言い間違いは!?

そんな名前で呼ばれたら、私泣いちゃうよ!!

可及的かつ速やかな間違いの訂正を要求します!!


「涙浮かべるほど嬉しかったのか。スカ・・・トロ?」


さりげなく縮めるなあっ!!涙どころか、怒りと別のものがあふれだすわ!!

憤慨する私に、ブラッドは笑いかけ、御機嫌とりでリボンを結び直す。


「・・・・・?」


その指先がかすかに震えていた。


「さて、姫様に名前がついたところで、タイミングよく、敵さんのおでましだ」


ブラッドの額に、みるみるうちに汗が噴き出してくる。


「悪い予感ばっかり当たるもんだ。ほんと、やになるよな。正真正銘の化物だ。なんて妖気放ってやがる。こんなもん、どうやって・・・・・」


年相応の少年の、途方に暮れている不安いっぱいな表情が浮かぶ。

泣きそうな顔を一瞬だがのぞかせたのを、私は見逃さなかった。

それでも、ふうっと息をつき、一度うつむいた顔をあげたとき、ブラッドはもう迷っていなかった。指先の震えも止まっていた。きゅっと器用に私のリボンを仕上げてくれる。私の視線に気づき、自ら恐怖をねじ伏せたのだ。たぶん、私を怖がらせないように。ただ、それだけの為にだ。

ブラッドはそういう人間だった。


他人を優先し、自分を後回しにする変わらぬ彼の性質に、私は胸が締めつけられた。

彼に比べ、あらためて自分の無力を思い知らされる。

私は自分の手を見つめた。もみじの葉のような小さな手。短い指。

なにも出来っこない、ただ守られているだけの存在・・・・・


「まーた、ぐだぐだ悩んでるだろ。は黙って守られてりゃいいんだ。それが今のおまえの仕事」


私の苦悩を敏感に感じ取り、ブラッドが呆れたというふうに、私の鼻をつまむ。


ちょっ・・・!息、出来ない!!

それより、ブラッド、今、私の名前・・・!?


「オレが守ってやるって言ったろ。どうしても、何か手助けしたいってんなら、オレの勝利を信じて祈っててくれ。それで、オレは絶対負けないから。な、スカーレット」


不敵な笑みを浮かべる。少年の純粋さと男性の頼もしさが同居する素敵な笑顔だった。

理屈にもならない強引な説得。だけど、不思議と信じられた。

うん、だって、ブラッドだものね。期待してるよ、チート生物め!!

まっかになった鼻の頭をこすると、私は素直に手を組み合わせ、みんなの無事を祈った。  

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