第13話 108回繰り返した人生の記憶と、不可解な記憶。そして私を殺した五人の勇士の二人目。絡み合う運命の糸に私はまだ気づきません。

「……なあ、本当のおまえを隠すなよ」


彼が優しく私の耳元に囁きかける。


だめよ、ブラッド。まだ、こんなに日が高いのよ。

お母様も、メアリーも見てるの。

木漏れ日の下で、風が優しく肌をなでる。

いえ、これはあなたの指なの……?


ねえ、いけない人。

女にはね、いろいろ秘密にしておきたいことがあるの。

いっ・けっ・ずっ。


……すみません。誰かそろそろ私を止めてください。


みなさん、こんにちは。

108回殺されまくった悪役令嬢こと、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。


前回のあらすじ。


ブラッドに秘密がバレました。

どびっくり。


あれ、前々回より、話が後退してない?


私そうそうに女優を目指す道に挫折しました。


「おまえ、ぜったい、意識あるよな~」


うわっ……私の演技力……低すぎ ?

のぞきこんでるよ。ブラッドさん、めっちゃ私の事のぞきこんでるよお。


「あら、お嬢様、どうしてお顔を隠しているのかしら」


両手で顔を覆って隠そうとする私を、抱っこしているメアリーが不思議そうに見る。


メアリーには魔王ブラッドが見えないの?


大きなリボンをつけて、メイド服にエプロンを垂らした女装魔王ブラッドがくるよ!


「アーウーアーオー!!」


「そんな叫ぶなよ。ちょっと血液の流れで、考え読ませてもらうだけだから」


でたよ!  なんでもかんでも血液の流れ!

どうせ、そのうち「血液の流れ」で占星術でもやるんでしょ!

はいっ! 今日の私の運命は大凶です!

終了っ!  みなさま、お疲れ様でしたっ!  撤収!

うちあげ何処いきます!? 二次会行っちゃう!?


「……さて、と」


やめてえ! この店は健全な店なの! 当店では踊り子へのおさわり禁止です!

私にもプライバシーを侵害されない権利はある!

全世界の乳児代表として、屋根付鍵付のベビーベッドを、議会に要求する!


メアリー、メアリー、つかまっちゃったよ!

魔王が私をひどい目にあわせるよ!!


「オア゛ー!! オ゛オ゛オ゛アー!!」


私は絶叫して、ブラッドの指先をふりはらい、手足をばたつかせた。

くらえ! 乳児の最終兵器、あまたの保護者きょうてきたちをきりきり舞いさせた、むずかりを!


「ごめんね。ブラッド。お嬢様、なんか機嫌がよくないみたいだから、また今度遊んであげてね」


メアリーが謝り、私をブラッドから遠ざけるようにして引寄せ、あやしはじめる。私はメアリーの肩先に顔を埋めるようにして、こっそりほくそ笑んだ。


どうだ、私の演技力!

やっぱり私、名女優!


〝おぼえてろよ〟耳元でブラッドの声がした。

メアリーには聞こえていない。私にだけ届く声。


知ってるよ、これ「治外の民」の言霊とばしでしょ。

そんなもんでビビらないもんね。

元悪逆女王なめんなよ。


私はメアリーの肩先から顔をのぞかせ、彼女とお母様にわからないように、こっそりブラッドに、あかんべえをかましてやった。


〝おまえ……バカなの? 自分から意識あるって、ばらして、どうすんだよ〟


ブラッドの呆れ果てた声がした。


しまったあッ!!!!

やっちまったあッ!!!


くっ、慌ててはいけない。ここは動揺をあらわさず、余裕を見せて、


くっくっくっ……


悪役令嬢らしく、余裕たっぷりにあざ笑ってやる。


酷薄さのマントを背にまとい。

ぽうっぽうっと輝く蒼い星々は私のしもべ。

夜の同胞よ。我が前にひざまずけ。

ケルベロスにかみ殺される罪人のように震えるがいい。

我が手の甲に、畏怖の口づけを押し当てよ。


どう、まわりの空気が凍りつくようなこの威圧感。


「アッアッアッ……」


「あら、げっぷ残ってたかしら。ミルク吐くといけないから、ぽんぽんしましょうね」


勘違いしたメアリーに、肩に乗せるようにおなかを押し当てられ、背中をぽんぽんされている、とんまな私を見て、ブラッドが笑いをかみ殺している。ぷるぷる震えている。


やめてぇ~! 私の威圧感があ~!


「へたくそなポエムが聞こえた気がした」


笑ってんの、そっち!?  なんたる屈辱!! 私、泣いちゃうよ!?


「それにしても、奥様が弓の達人なんて驚きました」


屠殺場にひかれる仔牛のような哀しげな瞳の私。

それをリズムをとって揺らしながら、メアリーがお母様に話しかける。

お母様は汗を拭う手をとめ、頬を少し染めた。


「……私は、子供の頃から、山を庭代わりに走り回っていたから。男爵家といっても名前ばかり。ダンスも礼儀作法もなにも知らなかったの。狩人の子供となにも変わらなかったわ。笑えるでしょ」


お母様は深窓の令嬢ではなく、森走の令嬢でした。

屋敷にこもっていた箱入り娘ではなく、山ごもり娘だった模様……


そうか。弓をひくのに邪魔にならないよう、お母様の胸はあんなに慎ましやかなのか。

つまり、これは進化!

すなわち、私に引き継がれた貧乳は、継承されし誇り高き血脈!


私はとりあえず、どやっと胸を張った。


巨乳よ、私は今こそあなた達と手を取り合おう。

わだかまりは水に流そうではないか。


「いえ!! 素敵です!! だって奥様、きらきら輝いています。旦那様はそこに惚れたんですよ! プロポーズはきっと旦那様からですねっ」


おおっ、お母様の話にメアリーが別角度から食いついた!


おーい、メアリーさんや。貴族の子女にそんなストレートな質問してはいかんぜよ。

まあ、でも、恋バナは女子共通の話題です! 私も! 私も参加させてっ!

お菓子と飲み物用意しよっ!

ああっ!? 私まだ母乳しか飲めねえっ!

やるせないッ!!


核心ずばりの質問に


「……え、あ、あの……」


まっかになって、こくんと頷き、黙りこくって俯いてしまうお母様。


うんうんうん。


「どこで! どこでです! そして、なんと!?」


ガンガンに攻め込むメアリー。

乳母から恋愛重装騎兵にクラスチェンジです。

ジョストおおっ!!


「……私達がはじめて出会った、千年以上生きてきた大樹の前で……」


お母様、口をおさえ、よみがえる浪漫の思い出にぼうっとしている。


「この樹の生きた時間と同じくらい、変わらぬ愛を捧げると、跪いて手にキスを」


かあ~っ!! 乙女か! 乙女チックですか!

こりゃあ、あてられますなあっ。ほっほっほ。


私は、縁側でひなたぼっこして目を細める老猫の気持ちで、恥らうお母さまを愛でた。


初々しいですなあ。

そしてむず痒いっ。

私のイメージ猫にはノミがわいている模様。


それにしても、あのお父様がねえ。意外だ。

私にはお母様のことを、殆ど語らなかったもんなあ。

私の物心ついたときには、お母様は亡くなられているパターンしかなかったし。

そんでもって妾宅に入り浸っていたし。


いやあ、新鮮な初体験です。ごちそうさま。

娘としては、ちょっと気恥ずかしいけどね。


「公爵さま、とっても格好いいですものね。私もここに伺う前にお会いしました。周囲が光り輝いているみたいでした。ああ、若かりしお二人が、伝説の樹の前で誓う永遠の愛。一枚の絵のようです……」


伝説の樹ときましたか。


ときめき夢想モードに入っているメアリーに私は首を傾げた。


そういえばメアリー、お父様に紹介されて、公爵邸にやってきたんだっけ。

このあいだ直接に会ってるんだよね。


でも「格好いい」?

あのお父様が?

「光輝く」? ハゲかな?


私の記憶の中のお父様は、いつも咳き込んで、幽鬼のような顔色をしていたぞ。

やつれて亡霊みたいだった。髪はあったけど、白髪混じりの赤髪だった。


前の108回の記憶がよみがえったとはいえ、私があまり幼い頃の、自己が確立していない時の記憶はない。記憶を自分の記憶として認識できていなかったためだろう。


その記憶の空白部分をさしひいても、5歳ぐらいからの事は憶えている。

5年分、お父様を遡らせたとしても、「紅の公爵」なんて、随分盛った話だと思う。

老臣たちからは、若い頃の公爵は美形だったという思い出話も聞かされたけど、まあ、娘の私へのリップサービスだろう。

思い出と伝説はそっとしておくのが粋なので、あえて黙ってはいたけどね。


それにしても、お父様はまだ公爵邸に帰ってこないのか。

あなたをこれほど待ち望んでいる、こんなかわいいお母様をほったらかしにしたまま。

それなのに、妾宅なんて破廉恥なところにお篭りするなんて。

ほんと、妾宅に火をつけて燻りだしてやろうかしら。

お母様、お父様が飛び出してきたら、ウサギみたいに射っちゃっていいですよ!


…………………


スカーレットはまだ気づいていない。

スカーレットの記憶する公爵と、母親とメアリーの記憶する公爵の姿。

その状態が大きく違っている事に。

そして、それが何に起因するのか。

彼女がそのことに気づくのは、もう少し先のことである。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


その頃、「紅の公爵」ことヴィルヘルム公爵、つまり

ヴェンデル・クリスタル・ノエル・リンガードは、端正な顔をゆがめ、船主達と言い争っていた。


いつも冷静沈着な彼が、机を殴りつけるほど激昂していた。

それでも船乗り達も言い分を譲ろうとはしなかった。


「こんな波が荒い日に、沖なんて出れやしません!! あんた達もわからずやだな!! この港には、並か小型の船しかありやせん! よほどの大型でなけれゃ、こんな波頭越えられませんよ! 転覆して海の藻屑だ! ハイドランジアになんか辿り着けやしない!」


「この方は身重の奥様をハイドランジアに待たせてあるんだ。必死に仕事をきりあげて、今日この港にやっと到着したんだ。なんとかならないか。礼金ははずむが」


公爵の従士が頼み込む。

もちろん密命を帯びての任務だったため、二人は身分を明かしていない。

彼は公爵に深く同情していた。


公爵はある願いをかなえるため、ハイドランジア王家の無理難題をのんだ。


その願いとは、公務いっさいを辞し、公爵夫人の父、オブライエン男爵のあとを継ぎ、今後はオブライエン領で余生を過ごすこと。オブライエン領は、王国のはじの深山幽谷だ。事実上の中央政権からの引退宣言である。中央に馴染めなかった夫人のために、彼はすべてを投げうつ決意をしていたのである。


ハイドランジア王国中枢は激震した。

「紅の公爵」の威名は国内外に鳴り響いている。

彼が中央を離脱する影響ははかり知れない。


中央政府は、願いを受諾する条件として、彼をもってしても容易には叶えられない密命をつきつけた。

現在、王弟がおさめる隣国の、千年ごしの民族紛争である。

匙を投げ出して帰ってくると期待していたのだ。


だが、公爵は半年で密命を成し遂げた。

そして、ハイドランジア王弟、即ちこの国の最高責任者への挨拶もそこそこに、逸る心をおさえつけ、馬をとばしにとばし、やっとの思いでハイドランジアへ渡るこの港にたどりついた。


「礼金の問題じゃねえ!  あんたらだって、死んだら元も子もないだろうが! 三日も待てば、沖の嵐も収まる。海もなぐ! それが待てないなら、陸路をいくがいい!!」


「それでは時間がかかりすぎると言っているんだ!! 」


「バーナド、もういい。言い争う時間が惜しい。馬で陸路を進もう」


公爵はあきらめ、外套を羽織り、雨脚の強い戸外に進みでようとした。


「……ちょい待ち。ハイドランジア王国に行きたいのかい。馬で山越えするだけで三日はかかりますぜ。いいぜ、俺達の船に乗りなせえ。ただし条件つきでよければだが」


ぬうっと入ってきたぬれねずみの若い巨漢がいた。船乗りのイメージを具現化したような姿だった。


「女のためなら嵐の海も辞さないとは気に入りましたぜ。男なら、恋も生き様も命がけでなくっちゃいけねえ」


潮風と外洋の日差しで浅黒く鍛え上げられた顔で破顔し、ばんっと胸厚の筋肉を叩く。


「オランジェ商会……!!」


船主達がどよめく。


「そうさ。オランジェ商会の船に越えられない海はねえっ。そうでしょっ! 会頭!」


そして彼は胸をはり、振り向いた。自分の足元を……。


「そうです。ボクたちは現に今、ハイドランジアからこの港に帰港してきたのですから」


子供の声がした。公爵の目の光が鋭くなる。

周囲がさらに大きくどよめいた。

それを成し遂げる困難さを熟知しているからだ。


巨漢の若者の足元から、ちょこちょこと小さな人影が進み出、かぶっていたフードをはねのけた。

目が見えないほど前髪を垂らしたぼさぼさ頭の男の子だった。髪をばりばりかき回す。

幼すぎる。大男の腿の半ばくらいに頭頂がある印象だ。だが、落ち着き払ったその態度は、とても子供のものとは思えなかった。


「さあ、見ず知らずのボクらに未来を託しますか。それとも……」


髪に隠された男の子の目がぎらりと光る。公爵の視線とからみあう。


「連れて行ってくれ。嵐の海へ。ぼくの愛する妻のもとへ」


公爵はためらわなかった。

皆まで言わせず、身をかがめ、男の子の小さな手と握手を交わす。


「さすが、紅の公爵閣下。期待通りの人物です。あなたはボクを年恰好で侮らなかった。ボクはボクを信頼してくれた人には全力で応じます。契約履行と心の繋がりこそが、われらオランジェ商会の剣と盾。ここからハイドランジアへは、今と違い追い風となります。あっという間にハイドランジアに送り届けて差し上げましょう」


男の子は我が意を得たりというふうに、にっかり皓歯をむいて笑った。


「この契約、誇りと命をかけて。ボクの名前は、セラフィ・オランジェ。以後お見知りおきを」


スカーレットがもしこの場にいて、その名前を耳にしたら、悲鳴をあげて、泡をふいて失神しただろう。

前の108回繰り返した人生において、スカーレットを殺し続けた五人の勇士。

そのうちの一人が、このセラフィ・オランジェだった。


今までの108回の歴史では、ブラッドと同じく、この時点では決して交わることのなかった二人の運命の航路。それがまもなく交差しようとしていた。

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