第10話 医務室
2人は医務室にいた。
訪れた時には誰もおらず、今は2人っきりだ。
向かい合う様に椅子に座り、ルクレツィアはクレイの傷口から流れる血をゆっくり布で綺麗に拭い去ると、そっと優しく押して痛みはないかクレイに確認した。
だがクレイからの返事はなかった。
ルクレツィアは返事を諦めると、立ち上がって薬を探しに行く。
クレイはその後ろ姿を黙って見詰めていた。
やがてルクレツィアが薬を持って振り返ると、クレイと目が合う。
ルクレツィアの体が硬直した。
だが直ぐにルクレツィアは目線を伏せると席へと戻った。
だが、彼はずっと見詰め続けていた。
クレイはその間一言も喋らないで、されるがままだった。
手は思ったより悪い状態ではなかった事に、ルクレツィアは安堵した。
どうやら無意識に魔力を込めて、魔力の膜で手を守っていたらしい。
それでもクレイの手からは皮がめくれて血が流れ、見ているのが痛々しいくらいの状態ではあった。
クレイはただジッとルクレツィアを見詰めていた。
「折れてはなさそうね……」
ルクレツィアは呟く様に言うと、包帯を巻き始めた。
すると今まで黙っていたクレイが静かに口を開いた。
「……お前、手当てできるのか。」
あまりに意外だったのだろう。
クレイが不思議そうな顔で眺めている。
確かに今までの私ならこんな事は出来なかった。
前世の記憶のお陰よね……。
けどそんな事は口に出せない。
あっ……そういえば私、この間手当てしたんだった。
ルクレツィアはそれを思い出して、苦笑すると言った。
「ええ。実は最近、子供達の傷を手当てする事が多くて。」
「……子供達?」
クレイが聞き返す。
「……ええ。私、最近は孤児院にお邪魔してお手伝いをさせて貰っているから……」
それに対するクレイの返答はなかった。
恐らく、最近大聖堂に足を運んでいる事は探っていたなら知っているはずだとルクレツィアは思った。きっとその事に納得しているのだろう。
そして再び、2人に沈黙が落ちる。
その間、医務室の時計の針だけが煩く響いた。
ルクレツィアは包帯を巻き終わるとようやく手当てを完了させた。
だがルクレツィアはその手を離さないままだ。
クレイは何も言わずにその様子を見詰めていた。
するとしばらくして、ルクレツィアの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
クレイは驚いた顔をして息を飲む。
ルクレツィアは震える声で言った。
「……ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
クレイの手をルクレツィアは優しく両手で包み込んだ。
「あなたにつらい思いばかりさせて……。本当にごめんなさい。近づかなければあなたを傷付ける事はないと思っていたのに。なのにまた傷付けてしまった……」
ルクレツィアは絞り出す様な声で言い、顔を苦痛で歪ませた。
「それは違う。これは俺が……」
「でも、私のせいだわ。それに、この傷の事だけじゃない。」
ルクレツィアが遮る様に言った。
「国王陛下やお父様が私を心配して、アルシウスがクレイに探らせていたんでしょう?」
「それは……」
クレイは急に言われて思わず言葉に詰まった。
返事はしないが肯定しているも同然だった。
ルクレツィアは悲しい顔で言った。
「私が秘密にしていたのが悪いのよね。態度が変わった理由も、孤児院に行っていた事も。それで、まさか……クレイを傷付ける事になるなんて。」
ルクレツィアの瞳から一雫の涙が伝っていく。
「私がいくら変わってもクレイには迷惑を掛ける存在でしかないの?」
ルクレツィアは顔を上げると真っ直ぐにクレイを見詰めた。
その姿にクレイは目を見張った。
何かに押し潰されそうなのを必死で耐えているような、そんなルクレツィアの表情にクレイは動揺を隠せない。
先程、イアスが言っていた言葉を思い出した。
何かに追い詰められている……。
確かにそう言っていた。
ルクレツィアは一体何に追い詰められているというのか……。
クレイは目の前の今にも消えてしまいそうな華奢な体を見詰めた。
こんなに細いルクレツィアに今まで苦しめられていた自分が信じられなかった。
「クレイ……」
名前を呼ばれてクレイはルクレツィアに意識が戻る。
「もういいわ……。もう、これ以上あなたに迷惑を掛けたくないの。この言葉を信じてくれなくても、もういいの。」
ルクレツィアは愛おしそうにクレイを見詰めた。
「あなたを好きになってごめんなさい……。もう二度とあなたの前に現れないわ。さよなら……」
そう言い、ルクレツィアは何かを振り切る様に立ち上がると、その場から去るためにクレイに背を向ける。
クレイは思わずルクレツィアの手を掴んだ。
ルクレツィアは驚いて振り返った。
「随分勝手だな……」
クレイが押し殺した様な低い声で言葉を発した。
その表情は何故かひどく傷付いた様に見える。
ルクレツィアは突然の事に狼狽えた。
そして吐き捨てる様にクレイは言った。
「俺に好きだと告げておきながら、簡単に俺の前から消えてしまえるんだなっ」
「だってそれは……」
「許さない。俺の前から消えるなんて……許さない。」
ルクレツィアは、その射貫く様な鋭い目つきにゾクリッと寒気が立った。
この目……知ってる。
クレイを虐めていた時にしていた私の目だ。
異常なまでの執着を剥き出しにしたその瞳……。どうして……?
クレイはルクレツィアの手をぐいっと引っ張ると、ルクレツィアの顎を引いて自分の唇をルクレツィアの唇に重ねた。
ルクレツィアは驚いてクレイの胸を強く押す。
だがクレイは更にルクレツィアを自分に引き寄せ、逃れられない様に頭を押さえ込む。
「んっ」
ルクレツィアの口から声が漏れる。
クレイは何度も角度を変えながらルクレツィアに唇を重ねてくる。
やがてルクレツィアから抵抗する力がなくなると、されるがままになった。
しばらくして、クレイはようやくルクレツィアの唇から自分の唇を離す。
そうしてクレイはルクレツィアを睨み言った。
「俺の許可なく姿を消すのは許さない。いいな。」
そう言い放つとクレイはその場から立ち去っていった。
ルクレツィアは何が起きたのか分からず、頭が真っ白になり、その場に崩れ落ちるようにへたり込んだ。
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