第7話 ルクレツィアの涙

まだ夕暮れ時には早い時刻に差し掛かった頃。

ルクレツィアは外聞も憚らず、ぐったりと横になっていた。


子供って、子供って……すごいっ!

なんて体力なのっ!

私はもうヘトヘトです。

でも……。


ルクレツィアは子供達の寝顔を振り返った。

スヤスヤと寝入っている子供達の寝顔は正に天使だった。

その寝顔を見ていると何だか満ち足りた幸福を感じる。

ルクレツィアの顔から自然と笑みが零れた。

そしてルクレツィアは体を起こすと、たった今子供が足蹴にした毛布をルクレツィアがかけ直した。

するとそっと遠くから声が聞こえてきた。

「こちらにいましたか。」

ルクレツィアが振り返るとそこにはイアスが立っていた。

軽く会釈をするとイアスが手招きをしたので、ルクレツィアは他の先生に頭を下げてその場を離れる。

そして部屋から離れた所で園長が立っているのが見えた。

「今日は一日子供達と遊んでくれてありがとうございました。子供達もとても楽しんでいて嬉しそうでした。またぜひ遊びに来てください。」

そう園長が言ったのでルクレツィアは驚いて言った。

「えっ、そんな。こちらこそ本当にありがとうございました。でも、あの……もう終わりですか?」

「あら、そんな風に言っていただけるなんて……ウフフッ」

園長が微笑むとイアスも笑って言った。

「無理は禁物ですよ。しかも今日お願いしたのは突然でしたし、あなたの家の方達もご心配されるかもしれません。」

園長もそれに同意した。

「ええ。それがよろしいと思います。疲れも見えてますから。これに懲りずにまたぜひ遊びに来てください。今度バザーも致しますから。」

その温かい言葉にルクレツィアは心がじんわりと癒やされるのを感じた。

「はいっ。またぜひとも遊びに伺わせてください。今日はとても……、とても楽しかったです。」

ルクレツィアは深々と頭を下げた。

そして顔を上げると、園長がそっとルクレツィアの手を握りしめた。

その手の温もりがルクレツィアの心に触れて涙が溢れそうになる。

それを何とか堪えると、ルクレツィアも園長の温かい手を握り返した。

イアスはそれを見届けるとそっと声を掛けた。

「では、参りましょうか。」

「はい。」

イアスに促され、ルクレツィアは歩き出す。

だがふと思い立ち、後ろを振り返ると園長に向き直った。

「今回は子供達や先生方にさよならを言えなかったので、よろしくお伝えください。今度はちゃんと事前に連絡をしてお伺いさせていただきます。本当に今日はありがとうございました。では、また。失礼致します。」

すると園長は嬉しそうに言った。

「ええ。楽しみにしています。どうぞ、お気を付けて。」

一礼するとイアスの方へ向き直り再び歩き始めた。


そして孤児院の門まで来るとイアスが言った。

「では寮までお送りします。」

その言葉を聞いたルクレツィアは驚いた顔で戸惑いながら答えた。

「えっ?私の事をご存知でしたか?」

イアスが家ではなく寮と言ったので、ルクレツィアは自分の事が誰なのか知っているのだと理解した。

よく見ると、イアスの服装も神官のものではなく普通の服装になっていた。

イアスは笑って言った。

「ルクレツィア様の名前は学園では有名ですから。実は私もあの学園の生徒なのです。学年は一つ上になりますが……」

ルクレツィアはその言葉に声を失って驚いた。

顔が羞恥で真っ赤に染まっていく。


な、な、な、なんて事っ!

まさか同じ学園の生徒に悩みを相談していたとは!

ど、どうしよう。

とりあえず、この事は黙っていて貰わなくてはっ。


「あの……、この事はどうか内密に……」

その言葉にイアスはゆっくりと頷いた。

「もちろん誰にも言いません。ご安心ください。さぁ、参りましょう。」

「は、はい……」



しばらく歩いた所で、不意にイアスが口を開いた。

「少し寄り道してもよろしいですか?」

ルクレツィアは狼狽えながらも頷いた。

「ええ。私は構いませんが……」

「ここから少し登った所に眺めがいい場所があります。そこにご案内しましょう。」

イアスがそう言って微笑むので、ルクレツィアも微笑みを返した。


何だか……この人といると、心がとても落ち着く。

さすが神官様だわ。


そんな事を思いながらイアスの後ろに付いて行くと、少しして広場が現れた。

歩みを更に進めて行くと、ルクレツィアはいきなり視界に飛び込んできた光景に思わず声を漏らした。

「わぁ……。なんてステキな眺めなの。」

そこからは王都の街を一望する事ができ、ルクレツィアはその素晴らしさに息を飲んだ。

「私のお気に入りの場所です。」

イアスが目を細めて言った。

ルクレツィアは黙って頷くと、しばらくその景色を眺めていた。

そして、自然と涙が溢れてくるのを感じた。

それでもその涙を拭う事なく、そのまま景色を見詰め続ける。

イアスは何も言わずに黙って見守っていた。


そうしてどのくらい経ったか分からないが、ようやくルクレツィアが涙を拭うとイアスを振り返った。

「イアス様……」

「はい……」

ルクレツィアが震える声で言った。

「なんとお礼を言ったらいいか……。わ、私っ……」

声が詰まって言葉にならない。

それでもイアスは黙ってルクレツィアの言葉を待つ。

ルクレツィアは何とか口を開いてゆっくりと言葉を紡ぎだした。

「今日、イアス様にお会い出来て本当に良かった……。本当にありがとうございます。」

そして深々と頭を下げた。

イアスはそれを見て狼狽えると、慌てて言った。

「お顔を上げてください。」

そう言われてルクレツィアが顔を上げると、イアスは安堵の息をひとつ吐き微笑みを浮かべて言葉を続けた。

「そう言っていただけて良かったです。私もルクレツィア様にお会い出来て嬉しく思っていますから。」

「イアス様は神が使わしてくれた天使だと思います。」

ルクレツィアが真剣な眼差しで言った。

それに対してイアスは少し顔を赤くしながら慌てて首を横に振った。

「買い被りすぎです。私はただの平民ですから。なので敬語などお止めください。」

だがルクレツィアも首を横に振ると言った。

「いいえ。私の身分などただのお飾りに過ぎません。今日、改めてそれを実感しました。イアス様の方が私よりも、余程尊いお方に見えます。」

イアスは苦笑して首筋を手で擦った。その言葉がこそばゆく感じる様だ。

真剣な表情で言われるから、尚更気恥ずかしさを感じるのだろう。

イアスは気を取り直すと言った。

「ではお友達になりませんか?そんな風に畏まられるよりも、私はあなたと子供達の様に仲良くしたいです。」

そう言われてルクレツィアは心が弾むのを感じた。

「いいんですか?そう思っていただけるのは……とても嬉しいです。」

ルクレツィアは少し照れた顔をしながらも嬉しそうに笑った。

イアスも優しく微笑むと手を差し出して言った。

「ご紹介がまだでしたね。私は、イアス・フェルシオンと言います。」

「こちらこそ。私はルクレツィア・モンタールと言います。どうか身分とか関係なく接してください。私もイアス様とお友達として仲良くさせて貰いたいですから。」

そう言ってルクレツィアも手を差し出して、2人は握手を交わした。


お互いに笑い合う。


優しい空気が2人を包み込んで、ルクレツィアの心が穏やかになっていく。

互いの手が離れた時にイアスが口を開いた。

「……そういえば、今日の孤児院はいかがでしたか?」

その問いかけにルクレツィアは頷くと言った。

「はい。行って良かったです。私は難しく考え過ぎてました。」

ルクレツィアは苦笑して更に続けた。

「子供達が喜んでくれる。笑顔を見せてくれる。それが一番私の望む事だと気付かされました。もちろん、贖罪という気持ちはどうしても消す事は出来ません。だけど……、きっかけは何だっていい。私は罪を抱いていてもいい。相手にとっては私の罪など何の意味もない事だと分かったんです。」

そしてルクレツィアはそっと両手を胸に当てると強く握りしめた。

「人を笑顔にしたい。それが私の一番の願いです。その事に偽りはありません。罪を背負っていても、いなくてもその気持ちは変わりません。きっかけは償いだとしても、子供達の笑顔や喜びは、罪とは関係のない綺麗で純粋なもので、また嘘偽りのない本物なのだから……。その子供達の笑顔を守りたい。そして子供達に少しでも何か行動したい。その想いの先に、きっと贖罪があるんだと思います。」


子供達を自分が許されるための道具にしているんじゃないかと感じていた。

実際にそうかもしれない。

でも、だからといって子供達に何もしないのは違う。

それを理由に何もしないのは、ただ逃げているだけだとルクレツィアは思った。


「……子供達はただ楽しいから笑うんですよね。私の償いや贖罪という考えは独りよがりでした。そんな目で子供達は私を見ていない。私が勝手に罪悪感を感じていただけ。ただそれだけだったんです。そう子供達に気付かせてもらいました。……って、よく分からないですよね。ごめんなさい。上手く纏められないです。」

そう言ったルクレツィアのはにかんだ笑顔はとても綺麗だった。

イアスはそれを眩しそうに目を細めながら見詰め、静かに口を開いた。

「大丈夫です。あなたの想いは私に伝わりました。……それがあなたの出した答えなんですね。」

「はい。だから考え過ぎないで、子供達と友達になって、そして微力ながらも子供達に何が出来るのかを考えていきたいと思いました。」

「そうですか。ではその答えが、あなたの心の支えとなります様に……」

イアスはそう言うと再び景色を眺めた。

そしてそれ以上何も言う事はなかった。

でもそれが何より有難いと思った。

ルクレツィアもそれに倣う。


街は先程よりも少し赤みが増していた。

もうすぐ夕暮れ時になるだろう。

ルクレツィアの心は沈みゆく夕日の様に穏やかだった。

こんな気持ちになれたのは久しぶりだ。



ありがとう……。



何故かこの街の景色に感謝の気持ちを伝えたくなった。

その理由を聞かれても困るけど……。


街はその気持ちに応える様に、先程よりも更に赤く色を染めていく。

そして、やがてイアスが言った。

「では、参りましょう。」

ルクレツィアは明るい声で返事を返す。

「はい。」

そうして2人は歩き出し、やがて立ち去って行った。




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