第50話 不穏な足音
ルクレツィアは馬に乗り、レオナードと護衛2人と共に山の中の道を駆け抜けていた。
まだ時間帯は昼なので道は明るく、不安を感じる事はなかった。
逸る気持ちを抑え込み、馬の速度を限りなく限界まで上げる。
馬は必死でそれに応えてくれていた。
王都からモンタール領まで2日間、馬を休ませながらの移動となるので無理をさせ過ぎてもいけない。
「あまり最初から飛ばすともたないよ。」
レオナードが後ろから話し掛けてきた。
ルクレツィアは振り返りながら答える。
「分かってるわ。」
そして思案すると、再び口を開いた。
「そうね。……私は一番後方に回った方がいいわね。3人に先導をお願いします。」
そうしてルクレツィアは失速すると、後退していった。
だが、しばらく進んだところで突然、馬が慄いた。
そして急にルクレツィアの乗っていた馬が暴れだす。
「っ!?」
恐怖で声にならないルクレツィアだったが、何とか宥めようとするも馬があまりに暴れるので振り落とされない様にするのがやっとの状態だった。
「ルクレツィアッ!」
レオナードが急いで馬で駆け付けてくる。
すると突然、ルクレツィアの馬が走り出した。
「きゃあっ!」
ルクレツィアは手綱を離してしまい、必死で鞍を掴みながら体勢を整えようとした。
その後をレオナードが必死で追いかけて来る。
道なき場所を、馬は狂ったように進んで行った。
そして木々を抜けると、その先には崖があった。
ルクレツィアは振り落とされない様にするのに必死で、その事にも気付かない。
「ルクレツィアッ!飛び降りろ!このままだと崖から転落するぞっ!」
後ろからレオナードの声が聞こえて、ルクレツィアは何とか前を見た。
すると目前には青い空が広がり、先の地面が途切れているのが分かった。
ルクレツィアは覚悟を決めると、地面に向かって飛び込んだ。
体を丸めて衝撃が訪れるのに身構える。
だが、その衝撃は全く感じる事はなく、体が勢いよく回転しているのだけは分かった。
体が何かに当たり、ようやくその回転が止んだ。
ルクレツィアは恐る恐る顔を上げた。
目の先に崖が見える。
岩肌が自分を止めてくれた様で、何とか寸でのところで落ちないで済んだ。
ルクレツィアはホッと胸を撫で下ろした。
「危ないっ!」
突然、レオナードの声が近くで聞こえてくる。
ルクレツィアの視界に影が落とされ、思わず上を見上げると、大きな岩が落下してくるのが目に飛び込んできた。
ルクレツィアは目を大きく見開き、硬直した。
やばいっっ!!
潰されるっ!
ルクレツィアは思わず目を閉じた。
すると直ぐに温かい何かにギュッと包み込まれる様な感覚を感じた。
その刹那、ガラスが思いっきり叩き付けられる様な大きな衝撃音が何度も辺りに響き渡った。
そして次にはルクレツィアの周囲に、重く大きなものがたくさん落ちる衝撃音が聞こえてくる。
その衝撃で地面が大きな地震の様に振動すると、急に地面に亀裂が入り足下が崩れ去っていく感覚が訪れた。
ルクレツィアの体が宙に投げ出される。
思わず、ルクレツィアは自分を包み込んでいるものにしがみ付いた。
落ちるっ!
そう思い身構えた。
ルクレツィアの体が沈んでいく感覚がして、心臓が暴れるように波打った。
だが、直ぐにその感覚は止み、それ以上落下する感覚は一向に訪れないままだ。
ルクレツィアは恐怖に震えながらゆっくりと目を開くと、目の前にレオナードの服が見えた。
どうやらルクレツィアがしがみ付いていたのは、レオナードだった様だ。
大きな音が止み、辺りがようやく静かになった。
今は冷たい音で吹き抜ける風だけが、耳に届いていた。
そして落下する感覚はないものの、体が振り子の様に揺れているのを感じた。
た、助かったの?
ルクレツィアはそう思いながら下を向いた時、ルクレツィアの体が再び固まった。
何故なら、下には何もなかったからだ。
眼下の遥か下には、木々が広がっているだけだ。
ルクレツィアは思わず恐怖で悲鳴を上げた。
「ひぃっ!」
そして必死でレオナードの体にしがみ付いた。
「大丈夫、落ち着いて。俺達は落ちない。咄嗟にロープを引っ掛けたから。」
パニックの中、レオナードの落ち着いた声が頭上で聞こえてきた。
ルクレツィアは顔を上げ、レオナードの顔をようやく見つける事ができた。
その顔はいつもの様に飄々としていた表情だったが、いつもより顔色が悪く感じられた。
「まぁ、今、俺達はロープを掴んで宙吊り状態だけど……。だからなるべく動かないでよ。」
ルクレツィアは恐る恐るゆっくりと頷いた。
「これからどうすっかな……」
レオナードがルクレツィアの体をガッチリと捕まえてくれているため、落ちる事はなさそうだが、早くこの状態から抜け出せる事を切実に願った。
すると、遠くから馬の駆けて来る音が聞こえてきた。
ルクレツィアを呼ぶ声も聞こえてくる。
レオナードが大声で呼び掛けに応えた。
「おーいっ!こっちだ!助けてくれっ!」
その声に気付いたのか、次第にそれらの音が近づいて来た。
そしてしばらくして、ようやく護衛達に無事に引き上げられると、ルクレツィアはなるべく崖から離れた場所で力が抜ける様にへたり込んだ。
体の震えが止まらない。
思わず、ルクレツィアは自分の体を抱き締めた。
そんなルクレツィアの様子を見て、レオナードが不思議そうに言った。
「やっぱり俺達、怪我はないみたいだな。魔法を使った訳でもなさそうだし……、もしかしてあんた防護の指輪を持ってるのか?」
その言葉に、ルクレツィアは指輪を嵌めているはずの右手の薬指を確認した。
だが、そこには何もない。
「なくなってる……」
ルクレツィアが思わず呟いた。
その言葉を聞いたレオナードが言った。
「やはりそうか。そのお陰で俺とあんたは怪我もなく助かったんだよ。ガラスの様な衝撃音があっただろ?あれは防護の魔法が発動してアイテムが壊れていく音で間違いない。あんな大岩が上から落ちてきたんだ。咄嗟に俺の土魔法で粉々にしたけど、それでも大怪我は免れなかったはずだし、下手すりゃ死んでた。それに、地面を打ち砕くほどの衝撃だったのは想定外だったな……」
そしていつもとは違う真面目な顔になると、レオナードが言った。
「もしそれがなかったら、どうなってたか……」
ルクレツィアはその言葉を聞いて、背筋が凍っていくのを感じた。
「神って、容赦ねーな……」
思わず、レオナードが呟いた。
その言葉と共にルクレツィアの体が、まるで鉛の様に重くなった気がした。
そして暗くて深い闇にゆっくりと沈んでいく様な恐怖を覚えた。
何か大きなものが圧し掛かってくる様な息苦しさに、ルクレツィアは思わず自分自身をギュッと抱き締める。
ルクレツィアは低くて重い風の音が聞こえた気がした。
その音はルクレツィアの未来を暗示しているかの様に徐々に強まっていく。
それはまるで、不穏な足音のように……。
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