第32話 イアスの過去

「っ!?」

ルクレツィアはイアスに抱き締められて狼狽えた。


ど、どういう事!?

なんで私、抱き締められてるの?!

急にどうしたんだろう?

ど、どうすればいい!?


そう思ったのも束の間、イアスは両手にギュッと力を込めた後、直ぐにルクレツィアを開放した。

そして優しく微笑んだ。

「すみません。あまりに嬉しかったので。」

「えっ?」

ルクレツィアは動揺して思わず声が漏れた。胸の高鳴りが治まらない。

「でも、誰かに見られたら良くないですね。すみません。いくら友人だとしても男同士とはやっぱり違いますから。友人としての接し方を間違えてしまいました。」


えっ?

そういう事?

友人としての抱擁だったって事?


ヤダッ!


私ったら勘違い!

そ、そうよね。

イアス様が私の事好きなんてある訳ないか。

恥ずかしいっ!

勘違いした、私ってば!


そんな事を考えているとイアスが再び口を開いた。

「では今度から私の事をイアスと呼んでください。私もルクレツィアと呼ばせていただきますから。」

ルクレツィアはその言葉で我に返ると、イアスに大きく頷いて見せた。

「はいっ。ぜひ!」

するとイアスは嬉しそうに言った。

「では早速、私の名前を呼んで貰えますか?」

ルクレツィアはさっきの動揺が落ち着かないままに、少し照れた様に言った。

「はい。……イ、イアス。」

するとイアスはフフッと笑みを漏らす。

「すぐには慣れませんね。ルクレツィア。」

その言葉にルクレツィアも笑みを漏らした。

「そうですね。イアス。」

「それにこんな高価な贈り物、ありがとうございます。嬉しいです。」

「はい。喜んで貰えて私も嬉しいです。」

「でも、もうこんな高価なプレゼントはこれっきりでお願いします。逆に恐縮してしまいますから。」

「はい。分かりました。すみません。」

「いえいえ、とても嬉しいです。……大切にします。」

そうして微笑み合うと、再び2人の間に穏やかな空気が流れていった。

ルクレツィアの動揺も、イアスの優しい微笑みのお陰で次第に落ち着いていった。


それからイアスが不意に噴水の方へと目線を向けると、そっと言った。

「それで……私の悩みですが、それは色々と複雑でして……」

ルクレツィアはイアスの悲しみに揺れる瞳をジッと見詰めた。

何か心を決め兼ねている様子で、イアスは噴水の水の流れを黙って見詰めていたが、やがてルクレツィアの方へと向き直った。

その瞳はとても真剣で、いつもと違うイアスの様子にルクレツィアは緊張した。

「少し……自分の過去の話を聞いて貰えますか?」

ルクレツィアはその言葉にゆっくりと頷いた。

「はい。」

そしてイアスは視線を下に落とすと、重い口を開いた。

「私は幼い頃、家族に捨てられたのです。なぜ親は私を捨てたのかというと、それは私の魔法属性に闇が含まれていたからです。」

「闇の属性……」

ルクレツィアはイアスの家族に捨てられたという重い言葉にショックを受けたが、闇の属性だと聞きどこか腑に落ちる自分がいた。

するとそのルクレツィアの反応を見たイアスは苦笑して言った。

「やはり気が付いてましたか……。私が闇の属性を持っていると気が付いたのは、あの誘拐事件の時ですか?」

その問いにルクレツィアはゆっくりと頷いて肯定した。


ルクレツィアを助けてくれた時、イアスが使った魔法は今まで見た事がないものだった。

前に属性は水だと聞いていたが、暗闇にする水魔法なんて聞いた事がない。

暗闇にする魔法といえば闇魔法だと考えるのが自然だ。

だからルクレツィアはイアスが闇属性を持っているのではと思った。

しかも誰にも言わないで欲しいとあの時に言われた。

闇属性とは忌み嫌われる属性だ。

光よりも滅多にない属性で希少なのだが、光と違って闇は人々にとっては恐怖を抱く対象で、闇属性を持つ人に対しても同じ様な感情を抱いている。

そのため、闇属性が生まれると大抵は属性を隠して育てられるか、捨てられてしまうか、酷ければ殺されてしまうのが普通だった。


ルクレツィアは悲しみの色を滲ませてイアスを見詰めた。

イアスはその瞳に応える様に頷くと、再び口を開いた。

「私が捨てられたのは7歳の頃です。それまで私は周囲に水の属性だけだと思われており普通に育てられていました。それなりに位も高く裕福な生活でしたが私に闇属性がある事が分かると、突然、父親は私を殺そうとしたのです。」

ルクレツィアはそれを聞いて目を見張った。

「そんなっ……」

思わずルクレツィアの口から言葉が漏れる。


イアスは思いを馳せるように遠くを見詰めた。

「……まぁ、今思うと父親の気持ちも少し分かるのですが。けれど、母親がそれを助けてくれました。そして私を逃して、孤児院に入れてくれたんです。それからはずっと平民として孤児院で生活し、ラウナス大神官様のお陰で、神官見習いとしての仕事もさせて貰っています。」

ルクレツィアはまさかイアスにそんな暗い過去があったとは思いもせず、大きな衝撃を受けていた。

だってルクレツィアの前にいるイアスはいつも優しくて穏やかで、まるで神様みたいな人だったから。


そんなルクレツィアの気持ちを余所にイアスは更に続けた。

「しかも神官見習いの他にも私は仕事もしています。それは極秘なのでここで言う事は出来ませんが、王太子殿下はご存知のようでしたね。私は大神官様のお役に立てる事がとても嬉しくて、神官として一生を捧げる覚悟もありました。ですが……」

イアスの顔に影が落ちる。


そして暗く重い口を開いた。

「……捨てたはずの過去が、最近再び私に関わってきたのです。」

目を伏せて俯くイアスはとても痛々しくて、ルクレツィアの胸にも痛みが走った。

「私はその過去を無視していましたが……かといって完全に捨て去る事も出来なくて……」

つらそうにイアスは顔を歪ませた。

「イアス……」

ルクレツィアは労る様にイアスの名を呼んだ。

するとルクレツィアの目から一筋の涙が伝っていく。

イアスの心が痛いほど分かり、胸が締め付けられた。

だが、ルクレツィアは自分が泣いてる場合ではないと自身を叱責して何とか涙を押し込めた。


そしてイアスがそっと呟いた。

「今、私には自分の未来が見えなくなってしまいました。私はこの先どうするべきなのか、よく分からなくなってしまったんです。」

イアスの瞳が悲しみに染まり、苦痛に耐えるかの様に眉根に皺を寄せた。

その言葉にルクレツィアは頭を鈍器で殴られた様な強い衝撃を覚えた。


神官の仕事に誇りを持っていた彼が、こんな風に思い詰めているなんて。

こんなにも苦しんでいたなんて。


それなのに私の事を心配してくれて。

そんな優しい彼が、こんなにもつらい表情を見せるなんて……。

彼にとって余程の事が起きたのだろう。


何とかしてあげたいっ。この人の力になりたい。


思わずそんな感情が湧き起こった。


だけどなんて言ってあげればいいのか分からない……。

なんて不甲斐ないの。

自分はなんて無力なんだろう。

彼が私の力を借りたいとは思っていない事が伝わってくる。


……強くなりたい。

もっと頼りたいと思ってもらえる様に、強く。


ルクレツィアは悔しくて、手を強く握りしめた。


すると、無情にも予鈴の音が響き渡った。

イアスは顔を上げると無理に笑みを浮かべて言った。

「時間ですね。変な事を言ってすみませんでした。」

「そんなっ。謝らないでください。つらい事を話させてしまって、私の方こそごめんなさい。」

「いいえ。聞いてくれてありがとうございました。少し気持ちが軽くなった気がします。では行きましょうか。」

イアスが立ち上がった。


だが、イアスは直ぐに思い直すと、ルクレツィアへ振り返って言った。

「でも安心してください。あなたが生きられると確信できるまでは、側を離れたりはしませんから。大切な人を救う事。これが今、私が何としても一番したい事なので……」

その優しい言葉にルクレツィアは堪えていた涙を抑える事が出来なかった。


ボロボロと涙が溢れ出す。

自分の弱さに、不甲斐なさに、苛立ちを覚えた。


その様子にイアスは狼狽えた。

「ル、ルクレツィア?」

「ごめ、ごめんなさい。だって、イアスがあまりにも優しいから……」

イアスは戸惑って、慰めるために手を肩に添えようかどうしようかと迷っていると、ルクレツィアは顔を上げイアスの両手を掴んだ。

「イアスっ。これだけは覚えていて欲しいの。私もあなたと同じ気持ちだから。イアスは私にとって、とても大切な人よ。私はイアスが大好き。イアスの力になりたい。何があっても私はあなたの味方だから。それを……絶対に忘れないで。」

真っ直ぐな強い瞳で、ルクレツィアはイアスを見詰めた。


イアスはその言葉を聞き、大きく瞳を揺らした。

そして唇に力を込めると、絞り出す様な声でそっと言った。


「……ありがとう。」





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