第35話 聖女の突然の告白
最近、メルファの様子がおかしい。
元気がなくルクレツィアといても、どこか思い詰めた様な顔で遠くを見ている事が多い。
ルクレツィアはお昼休みに思い切って尋ねた。
「何かあったの?」
「え?」
メルファが驚いてルクレツィアを見詰めた。
「何だか最近メルファの様子がおかしいわ。もしかしてユリゲル様と何かあったの?」
するとメルファが一瞬、泣きそうな顔をしたがすぐに笑って誤魔化す様に言った。
「それなんだけど、私がカーク様を好きだと思ったのはどうやら勘違いだったわ。今、私には好きな人はいないから。」
「えっ!?どういう事?」
あまりに衝撃な発言だったので、周りの目も憚る事なく大きな声が出てしまった。
そんなまさかっ!
あんなにラブラブだったのに?!
いつもユリゲル様の事を嬉しそうに幸せそうに話してくれてたのに?
ユリゲル様もまんざらではない態度だったけど……。
「一体、何があったの……?」
ルクレツィアが思わず口に出して呟くと、メルファは明るい声で元気良く言った。
「別に特に何もないから。ただ恋に恋してたっていう事かな?色々と協力してくれてたのにごめんなさい。」
メルファが頭を下げるので、ルクレツィアは慌てて首を横に振った。
「私が好きでやってた事だから全然いいの。でも、本当にそれでいいの?」
ルクレツィアはメルファの顔を覗き込んで表情を伺った。
メルファは真剣な顔で頷いて見せた。
「ええ。それでいいの。それに……」
メルファが視線を落とした。
そうしてしばらく言い淀んでいたが、やがて再び顔を上げるとルクレツィアを見詰めた。
その瞳は強い光を宿していて、ルクレツィアはメルファがこれから大切な事を言おうとしているのが分かった。
ルクレツィアが思わず息を飲んで身構えると、メルファがゆっくりと口を開いた。
「私、この学園から去る事に決めたの。」
「ええぇっ!」
ルクレツィアは予想もしていなかった発言に、衝撃過ぎて口が大きく開いたまま、時が止まったかの様に固まってしまった。
どういう事!?
どうして急に?
やっぱり誘拐の事を気にして?
本当にメルファは彼の事好きじゃなくなったの?
これで死亡エンド回避?!
一瞬、そんな考えが頭の中でよぎった。
だがすぐに違うと思い直す。
いやいや落ち着け!わたしっ!
一度立ったフラグがそう簡単に消えるはずがない。
メルファが彼を好きじゃなくなったとしても、死亡エンドがそれで回避できるとは思えない。
楽観的に考えては危険だ。
だって既にユリゲル様を一度は選んだんだもの……。
あ、そういえば……。
ルクレツィアはある事を思い出した。
あのゲームには誰とも結ばれなかったルートもあったはずだ……。
その時、悪役令嬢は死亡エンドを迎えていた?
どうだった?
ルクレツィアは思い出そうとしたが、今さら何か記憶が蘇ってくる気配はなかった。
でも、いずれにせよ楽観的思考はやめておこうと思った。
メルファに好きな人ができた時点で、既にフラグが立ってしまったのだから、メルファの好意が消えたと同時にフラグも折れるとはどうしても思えなかった。
だからルクレツィアは、メルファが今の時点で学園を去っても死亡エンドが回避できた訳ではないとの結論に思い至った。
そして今彼女が去る事に、何の意味もないと分かった時、ルクレツィアの胸に急に悲しみが溢れ出してくる。
寂しい……。
もっともっと一緒にいたかったし、メルファとしたい事もたくさんあったのに。
何より、彼女がいなくなるなんて……考えられないっ。
頭の中がすっかり混乱しているルクレツィアだったが、メルファは更に言葉を続けた。
「もう十分心の準備が整ったわ。淑女教育もルクレツィアのお陰で納得できるまでになった。自分が貴族の中でもやっていけると自信が持てる様になったの。だから私は聖女として相応しくあるために神殿で教育を受ける心構えができたの。いえ、受けたいと思ったの。そのためには神殿で……」
「やだっ!」
ルクレツィアが泣きそうな顔で叫んだ。
「そんなの……寂しい。嫌っ。せっかく大切な親友が出来たのに。学園を卒業してからでも遅くないでしょう?」
泣くのを我慢してルクレツィアは必死で訴えた。
だが、メルファは首を横に振った。
「……もう決めたの。今まで黙っていてごめんなさい。でも、神殿の整備が整うまでは王城に滞在する予定だから。毎日会うのは難しいかもしれないけど、いつでも会おうと思えば会えるわ。言っときますけど、学園から離れてたとしても、ずっとお婆ちゃんになっても親友は辞めさせてあげないんだからねっ」
メルファが少し睨む様に見てくる。
ルクレツィアは悲しみの色を浮かべて、弱々しくメルファに言った。
「当然よぉ。こっちだって絶対に離れたりなんかしないんだから。」
メルファはその言葉にホッとした様な顔で笑った。
ルクレツィアは寂しい気持ちを抑えられず、メルファに抱き付きながら言った。
「でも寂しいよーっ。なんで今なの?学園で過ごせるのは今だけなのに。メルファとは、まだまだ沢山したい事あったのよ?若い時期って宝石の様な価値があるの。そんな貴重な時代にずっと神殿にいるなんて……メルファが勿体ないっ」
「ルクレツィア……」
メルファは悲しみの色を帯びた声で、彼女の名前を呟いた。
そして涙を浮かべながら、優しくルクレツィアを抱き締め返すと、そっと囁いた。
「私の事を心配してくれて……ありがとう。」
その優しい声を聞いて、ルクレツィアの目にも涙が浮かんできた。
「メルファ~!」
メルファは涙を堪えながら震える声で言った。
「ルクレツィア。私の大切な人になってくれてありがとう。国王様に恐れずに立ち向かってくれて、誘拐された時も庇ってくれて本当に嬉しかった。だから私もあなたのために何かしたいの。何か困った事があったら絶対に力になるから……」
そう言うと、メルファが体を離してルクレツィアの瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「今度はあなたを助けたいの。」
その言葉にルクレツィアは目を見開いた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
メルファはルクレツィアの手を強く包み込んだ。
「もしあなたが危ない時は私が力になるから。……だから遠慮なく何でも言ってね。」
そう言ってメルファの瞳から一雫の涙が零れ落ちた。
「メルファ……」
「えへへ。これでお別れな訳でもないのにね。泣いちゃった。」
メルファが誤魔化す様に笑うと涙を拭った。
ルクレツィアは慌ててハンカチを取り出し、そっとメルファに差し出す。
「ありがとう。ルクレツィア。」
メルファはそのハンカチを受け取り、目に押し当てた。
ルクレツィアは、メルファの言葉を聞いてドキドキと心臓が早鐘を打つのを感じた。
ヒヤッと手先が冷たくなっていく。
びっくりした……。
私が死ぬかもしれない事を知っているのかと思った。
まさかね?
知るはずはないわ。
でも、私が死ぬかもしれない事を黙っているのはハッキリ言って後ろめたい……。
大切なメルファに、この不安を打ち明けられないのはつらい。
だけど言う訳にはいかない。
メルファの事だから絶対に自分のせいだと思い込んでしまう。
もし私が逆の立場だったとしたら……そう思ってしまうもの。
「……メルファ。いつ学園を去るつもりなの?」
そうルクレツィアが尋ねると、メルファは俯いていた顔を上げて言った。
「一週間後。」
「えっ。そんなに早く?!」
ルクレツィアは一ヶ月の猶予はあると思っていたので、まさかそんなに早いとは想像していなかった。
「ねえ?やっぱり何かあったんじゃない?ユリゲル様とこんな終わり方でいいの?後悔しない?」
だがその問いに対してメルファはキッパリと言った。
「後悔はないわ。それよりも大事なものがあると気付いたから。だから学園を去る事には何の躊躇いもないの。」
「そう……」
意志の強い瞳で真っ直ぐに見詰めるメルファを見て、ルクレツィアはもう、これ以上何を言っても聞き入れる事はないんだと悟った。
正直、去る事の相談をされなかったのは少し寂しいと感じていた。
けれど、自分だってメルファに言えない事がある。
それなのに彼女が相談しなかった事を寂しいと思うのは、とても自分勝手だと思い直した。
彼女には、彼女なりの理由があるのだから。
だからその意志を曲げさせるのではなく、応援しなくてはと思った。
ルクレツィアは明るい笑顔を向けた。
「わかった。応援する。これからメルファは聖女としてみんなの希望となるために、多くの事を経験したり学んだりと大変だと思う。けど、私はずっとずっと一人の女の子として、親友として接していくから……」
そう接する事がこれからのメルファにとって、とても大切になると思った。
「メルファはメルファ。ただの女の子なんだから、それを絶対に見失わないで。わがままになったっていいんだからね。」
ルクレツィアはそう言うと、ギュッとメルファの両手を強く握り締めた。
「うん……ありがとう。」
お互いに涙を溜めて微笑み合った。
ルクレツィアは優しく包み込んでくれている2人の空気が、いつもと違うと感じた。
大切な何かが過ぎ去ってしまった様な、とても大事なものを失っていく様な、心の煌めいていたものが剥がれ落ちていく様な感覚だった。
なぜか寂しい……。
ルクレツィアはそう思った。
そして、それと同時に切なく胸が軋んだ。
それは大人になっていく為に失われる何かなのか。
または新しく芽生える大人への意識に対する畏怖なのか……。
ルクレツィアはその空虚な心を打ち消す様に明るい声で言った。
「よしっ。じゃあ今日はお泊まり会をしましょ!」
それにメルファも嬉しそうに答えた。
「うん!賛成!」
────そして時は静かに刻んでいくのだった。
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