第48話 レオナードの過去

ルクレツィアは目を見張った。


そうか……。

自分の過去を恥じている。

過去の事を知られたくないんだ。

確かに彼の過去は壮絶だった。


影の一族として生まれ、その教育を幼い頃から受けていたがそれは地獄を見る様な光景だった。

どんな事をされても口を割らないための訓練や、毒による耐性の訓練、酷い裏切りにも何度も合った。

それでも逃げなかったのは影の一族を敵に回した瞬間に自分が消されてしまうからだ。

そして幼い頃から絶対的服従を恐怖心と共に植え付けられていた。


彼は、こんな一族に生まれた事を呪った。

何度も死にたいとも思った。

死んだ方が楽なんじゃないかと思ったのも数え切れない。

だけど最後には、自分が貪欲なまでに生に執着している事に、生きたいという欲望から逃れられない事を思い知らされる。


そんな絶望の中、光を与えてくれたのは王太子であるアルシウスだった。

そんな彼の境遇を知り、助けてくれた。

今思えば、それすらも一族が仕向けた罠だったのではないかと思う。

王太子に忠誠を誓わせるために……。


けれども彼の心に嘘はなかった。

自分に対する誠意は本物だった。

初めて人を信じられた。

この人のためなら自分の力を貸してもいいと思った。

だって彼は俺を大切だと言ってくれた。

身を呈して俺を庇ってくれたから。


だけど……目の前の女は、アルシウスを選ばなかった。


あんなに愛されて、大切にされて、何が不満だったんだ?

まだ足りないのかよっ。


レオナードが目を細めるとボソッと呟いた。

「……なんでアルを選ばなかった?」

「え?」

ルクレツィアは狼狽えた。

だがレオナードはお構いなしに言葉を続けた。

「だってそうだろ?クレイより断然いい男なのに。あんた趣味悪いの?バカなの?」

その言葉を聞いたルクレツィアは、以前にもアルシウスから同じ質問をされた事を思い出した。

脅されているにも関わらず、ルクレツィアは思わずあの時の事を思い出してフッと笑みを零した。

それを見たレオナードが目を見開いた。

ルクレツィアはハッと我に返ると慌てて言った。

「ごめんなさいっ。違うの!これはあなたを笑ったんじゃなくて、前にもアルシウスに同じ様な質問をされたから……思わず……」

「ふーん……」

レオナードは冷めた瞳でルクレツィアを眺めた。

「で?」

「え?」

「なんて答えたの?」

手に持つナイフを煌めかせながら面白そうに尋ねた。


ひぃ~ッ!

これはゲームとは違う展開だっ。

どう答えればいいのか正解が分からないっ!

でも嘘は吐けない。

後が怖いっ!まぁ、後があるかも分からないけど!


ルクレツィアは意を決して口を開いた。

「そうよって言ったわ。」

「ん?」

「だから、私は男の趣味が悪いのよって言ったの!だから私バカなの!悪い?!」

なぜか威張る様な態度で、怒鳴って答えた。

するとレオナードは驚いた様に何度か目を瞬かせ拍子抜けた顔をした。

が、次には顔を崩して笑い出した。

「ハハッ。それ、アルにも言ったんだ。否定しなよ。クレイが可哀想じゃん!アハハッ!」

「ハッ!しまった。これ秘密だったのに。自分からバラしてしまった。」

ルクレツィアは思わずバツが悪そうな顔になる。

「アハハッ。いや、あんた心配するとこ間違ってるから。俺に殺されそうなの分かってる?あ、そうかバカだからかっ。アハハッ」

どうやらレオナードの笑いのツボを押してしまったらしい。

「あーあ。やっぱりあんた面白いね。せっかくの雰囲気が台無しだよ。なんかバカらしくなってきた。あ、またバカ……クックッ」


そういえばゲームでも打ち解けた後はよくこんな風に笑っていた様な気がする。

あまりレオナードルートはやってなかったから忘れてた。

でも、まぁ……さっきまでの危険な雰囲気は壊れたから良しとしますか。

あー、ビビった!

私、バカで良かった!


レオナードがようやく息をついて落ち着くと、言った。

「今日は殺すのやめとくわ。」

その言葉にルクレツィアの口が思わず引きつった笑みを浮かべる。

「いや、永遠にやめてね。」

だが、直ぐに真面目な顔になると言った。

「ていうか、あなた元々本気じゃなかったんじゃないの?」

「そう思う?」

手に持つナイフをオモチャの様に弄びながら面白そうに笑った。

ルクレツィアの背中にゾクリッと冷たいものが走る。

再び引きつった笑みを浮かべると、レオナードは苦笑した。

「冗談だよ。あーあ。クレイのものじゃなかったら、もっと遊ぶんだけどなぁ。」


いやいや、全力で願い下げだからね?

さすが変態っ!

この……人の心をいたぶって弄んで楽しむ変態サディストがっ!


「ん?殺されたい?」


ひぃ~~ッ!

やっぱり心読まれてるぅぅっ!


「言ってない!悪口なんて言ってないから!」

ルクレツィアはブンブンと首を横に振って答えた。

「え?俺そんな事聞いてないけど?」

レオナードは笑って言ったが、瞳の奥が笑ってない。

ルクレツィアの顔が真っ青に染まった。

「へえ……。悪口ねぇ?」

レオナードはゆっくりと手を伸ばすとルクレツィアの頬に優しく触れ、そっと耳元で囁いた。

「お仕置き……好き?」

そう言い、ゆっくりと顔を離してルクレツィアを見詰めると、恐ろしい程に美しい妖艶な笑みを浮かべた。

「ひぃっ」

思わずルクレツィアが悲鳴を上げる。


するとレオナードが弾ける様に笑って言った。

「冗談だってば。俺、人のものに手を出す趣味はないからさ。」

ルクレツィアの肩をポンポンと軽く叩いた。

それを聞きルクレツィアはホッと胸を撫で下ろす。

そんな彼女にレオナードが声を低くしてそっと言った。

「……人のものになってて良かったね?」

ニヤッと覗き込む様にレオナードが見てくるので、ルクレツィアは再び体が石のように固まった。


こ、これは本気だっ!

最後の言葉は間違いなく本音だ!

やっぱり、レオナードルートは現実ではあり得ないから!

絶対に何度か死ぬっ。


こわっ!


もう一度言う……



こっわっっ!!



レオナードは硬直しているルクレツィアの頬を面白そうにツンツンと突いていた。

だが、やがて思い出した様に口を開いた。

「そうそう。言い忘れてたけど、王太子の命令で今度はあんたの護衛につく事になったから。危ない危ない。遊び過ぎて本題をすっかり忘れるとこだった。」

「はぁ?!」

ルクレツィアが思わず、信じられないという顔でレオナードを睨みつけた。

「おお、こわ。」

ちっとも怖くなさそうな声でレオナードが呟く。

「ちょっと待ってよっ。そんな事勝手に……」

「よろしくね?」

レオナードが満面な笑顔でルクレツィアの言葉を遮った。

「……」

ルクレツィアは無言の圧力を感じて押し黙っていると、レオナードが更に言った。

「俺の目的はそれを伝えに来ただけだよ。殺しに来た訳じゃないから安心してね?あ、それとモンタール公爵には秘密だから。護衛の理由聞かれても困るでしょ?だから極秘でよろしく。」

レオナードはそう言ってルクレツィアを押し除けると窓に手を掛けた。

「よし、じゃあ帰るわ。」

そう言ってヒラリと窓辺に飛び上がると窓を開いた。

「……本当にそれだけ?」

ルクレツィアが思わず声を漏らすとレオナードが苦笑した。

「なに?本当は襲われたかった?それでもいいけど……」

ルクレツィアは全力で首を横に振った。

「あっそ。じゃあ、これから仲良くしてね。おやすみ。」

そう言ってレオナードは手を振ると、窓からサッと飛び降りた。

ルクレツィアは慌てて窓から顔を出すと、地面を見下ろした。

だが、そこには地面に降りたはずのレオナードの姿はなかった。

ルクレツィアは困惑して辺りを見回したが、とうとうレオナードの姿を見付ける事は出来なかった。

ルクレツィアは浮かんでいる月に向かって苛立ちながら呟いた。

「本題だけならこんな夜更けに来る必要ないよね?」


絶対にからかうのが目的だったな。


ルクレツィアがそう思い不貞腐れていると、どこからか『そうだよ。』という風の音が聞こえてきた気がして、ルクレツィアはブルッと震えた。

だが、どこを見回してもルクレツィアを見詰めているのは月だけだ。

ルクレツィアはそっと自分の体を抱き締めるのだった。




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