第56話 悪役令嬢のエンドロール
――――瞼に暖かな光を感じて、目を開いた。
瞳にベッドの豪華な天蓋が映り込む。
体に力を入れようとしたが、上手く動かす事が出来なかった。
なぜか体が怠くて重い。
首をゆっくりと動かして辺りを見回した。
ここは王城の中にある、ルクレツィアに与えられた部屋だった。
部屋の窓から暖かな日差しが差し込まれて、目覚めたばかりの瞳には痛いくらいだ。
すると扉がノックされて、侍女が入ってくる。
その侍女はルクレツィアを見るなり、持っていたトレイを落として目を見開いた。
トレイは大きな音を立てて床に転がっていく。
「お嬢様っ!お目覚めになったんですね!お待ちくださいっ。い、今、知らせてきますからっ!」
そう言い、すぐに部屋を退室していった。
喉乾いた……。
喉がカラカラだ。
水が飲みたい。
私は……確か、崖から落ちたはず。
そうだ。
クレイッ!
ルクレツィアは怠い体を無理やり起こした。
そして更にベッドから立ち上がろうと、何とか体に力を入れる。
だが筋肉が震えて、上手く力が入らない。
すると開け放たれた扉の外から複数の足音が聞こえてきた。
足音が扉の前に来ると、最初に姿を現したのは……ルクレツィアの父親だった。
「お父様……」
ルクレツィアが思わず声に出すと、父親は大声で名前を呼んだ。
「ルクレツィアッ!」
走ってルクレツィアの元へ駆け寄ると、縋る様にルクレツィアを掻き抱く。
そして何度もルクレツィアの名前を呼んだ。
「ルクレツィアッ、ルクレツィアッ……」
その切ない声にルクレツィアの瞳に涙が溢れた。
「お父様っ」
ルクレツィアも父親の体を強く抱き締めた。
私、助かったんだ。
ここは現実だ。
この温もりは間違いなく、本物だわ。
ルクレツィアは助かった事を実感できるのが何より嬉しかった。
だって、それは生きているからこそ味わえる感情だから。
「し、心配……掛けて、ごめん……な、さい……」
掠れた声で何とか言葉を紡いだ。
「……お前が助かって、本当に、本当によかった……」
父親が涙色に濡れた声で絞り出す様に言った。
「お前が生きていてくれるだけで、それだけでもう十分……。アルシウスから全部聞いたよ……」
ルクレツィアも父親が泣いている声を聞き、涙がとめどなく溢れてくる。
しばらく2人は抱き合いながら、黙って涙を流した。
だが、2人の側で咳払いが聞こえて、ルクレツィアは視線を移した。
するとそこには国王が立っていた。
ルクレツィアは慌てて顔を上げる。
「国王陛下っ」
だがそう口に出すと、喉がカラカラでひどく咳込んでしまった。
「ルクレツィアッ」
父親が慌てて離れると、顔を覗き込んだ。
「ほれ、水を飲ませてやりなされ。」
突然、馴染みのない声が聞こえてルクレツィアは声の方を見遣った。
国王に気を取られて気が付かなかったが、すぐ側に白髪の老人が立っていた。
その老人から父親がグラスに入った水を受け取ると、ルクレツィアにゆっくりと飲ませた。
「大丈夫か?」
心配そうに父親が覗き込む。
ルクレツィアは笑って答えた。
「うん。大丈夫。」
その言葉に父親がホッと胸を撫でおろした。
「では、そろそろこの辺で診察をさせてもらえますかな?」
老人がそう言い、父親は渋々とベッドから立ち上がった。
「レディを診察するんじゃ。男性は外でお待ちくだされ。」
老人は鋭い目つきで国王と父親を見据えた。
2人はその視線にウッと言葉を詰まらせ、名残惜しそうに部屋を退出していった。
「さて、診察を始めるかの。」
先ほどの冷たい視線とは違い温和な優しい声でルクレツィアに言った。
だがルクレツィアがすぐに訴える様に老人に尋ねた。
「クレイは?クレイは無事ですか?」
その言葉に老人が一瞬、虚を突かれた様な顔をしたが、すぐに思い至った様な顔をして笑って言った。
「大丈夫じゃ。お前さんと一緒に崖から落ちた若者の事じゃな。彼は既に意識を取り戻して、今は学園に戻っておる。きっと今頃知らせがいって、すぐにこっちに来てくれるじゃろ。今日は学園の最終日だと言っておったから、明日からしばらく休みのはずじゃ。これからいくらでも会えるわい。」
その言葉にルクレツィアは驚愕の表情を浮かべた。
えっ?どういう事?
ちょ、ちょっと待ってっ?
ちょっと、お、お、落ち着いて整理しよう。
なに?
とりあえず、クレイは無事でよかった。
うん。それが一番重要。
でもその後なんて言った?
今日が学園の最終日?
ルクレツィアはその事実がようやく頭に入ってきて、思わず叫んだ。
「ええぇっ?!今日が最終日って事は……」
ルクレツィアの大きな瞳が更に大きく見開かれて、何度も瞬かせた。
「私、それまでずっと眠っていたの?!」
目の前の老人を凝視した。
「そうじゃ。5カ月以上意識が戻らなかったんじゃ。でも、聖女の祈りのお陰でなんとか一命は取り留めた。そして定期的にお前さんに回復魔法を施してくれたんじゃ。元気でいられるのは、そのお陰じゃぞ。詳しくは後ほど尋ねるがよかろう。ただひとつ言える事は、お前さんはたくさんの人のお陰で助かったという事じゃ。本当にお前さんは周りから愛されていたんじゃのう……」
労わる様に優しく語りかけるので、ルクレツィアの胸が詰まる。
たくさんの想いや人々が思い出され、ルクレツィアは胸にそっと両手を当てて頷いた。
「そうだったんですね……」
そして手にギュッと力を込めた。
「さ、診察をするぞい。既に外には今か今かと、たくさんの者達がお前の様子を見たいと待ち構えておるわ。」
「はいっ。お願いします。」
それから診察が終わり老人から異常なしとの診断が下されると、すぐに国王と父親が再び部屋の中へと入ってきた。
だが部屋に入ってきたのはそれだけではなかった。
王妃やその子供達、そしていつもルクレツィアの面倒を見てくれている侍女達。
部屋がとても賑やかになった。
ルクレツィアはこんなにも自分を心配してくれていた人がいる事が本当に嬉しかった。
ルクレツィアは一人ひとりにお礼を述べた。
そして、しばらくしてメルファが姿を現した。
彼女は涙でグシャグシャになった顔で足を縺れさせながら駆け寄ると、ルクレツィアを力いっぱい抱き締めた。
そして人目も憚らず、大声で泣き声を上げた。
ルクレツィアはその様子を見て、自分もボロボロと涙を零し大声を上げて泣いた。
メルファの深い想いが、震える手が、ルクレツィアの胸を強く締め付ける。
2人はしばらく、ただ泣き続けた。
それだけで十分だった。
メルファの想いがルクレツィアの存在を強く感じさせてくれる。
こんなに想ってくれる人が自分の周りにいてくれる事に、心から感謝した。
そしてようやく落ち着きを取り戻すと、メルファが声を掛けた。
「ルクレツィア。おかえりなさい。」
涙をボロボロと零しながら、笑って言った。
ルクレツィアも泣きながら笑って答える。
「うん。ただいま。メルファ、本当にありがとう。」
「ううん。こっちこそ、ありがとう。この世界に帰って来てくれて、……本当にありがとう。」
「メルファ……」
その温かい言葉にルクレツィアは言葉を詰まらせる。
すると、急に部屋の外が騒がしくなった。
ルクレツィアが部屋の扉の方に目を向けた。
姿を現したのは……クレイだった。
その姿を見た途端、ルクレツィアの息が止まった。
彼は時が止まったかの様に目を見開き、こちらを凝視して硬直したまま立ち尽くしている。
何も変わっていない、いつもの彼だ。
変わらない彼の姿を見て、ルクレツィアは堰を切った様に様々な感情が溢れ出す。
クレイ。クレイ。クレイッ……。
クレイッ!
次には顔を歪め、一気に涙が溢れだす。
視界がぼやけてクレイが見えなくなった。
だが、すぐに温もりがルクレツィアを強く抱み込む。
ルクレツィアはその温もりを必死で求めた。
「クレイ、クレイ、クレイッ……」
何度も名前を呼ぶ。
崖から私を助けるため、迷わず飛び込んで来てくれた。
自分の死さえ
……彼が生きてくれていて本当に良かった。
もうそれだけでいい。
それだけで、十分……。
その想いに応える様に、彼の温もりは熱を上げていった。
ああ。この温もり……。
この優しい落ち着く匂い。
私、生きてる……。
クレイは体を震わせながら、ルクレツィアをしっかりと、けれど優しく抱き締めていた。
そして彼は何とか絞り出す様に、そっと愛しい人の名前を呼ぶ。
「ルクレツィア……」
震える声で、耳元に囁かれたその言葉。
まるで魔法の様に、自分の心を満たしてくれた。
「クレイ……」
その気持ちを返したくて、彼の名前を囁く。
クレイもその言葉を聞き、次第に震えが落ち着いていく。
2人はお互いの存在を強く確かめ合った。
その温もりだけで、もう言葉はいらなかった。
――――ああ、私の唯一の人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます