第19話 聖女の憂い
聖女が誕生してから2週間が経過していた。
既に学園は始まっていたが、聖女であるメルファ・フランツェルは未だ学園には戻って来ていなかった。
そしてルクレツィアは現在、神官に案内され王城の回廊を進んでいた。
背後には騎士もいる。
なぜなら聖女に会うためだ。
神殿と国政は聖女を学園に戻すのを躊躇っていたが、聖女が学園に通う事を強く望んでいるため、審議会は割れていてまだ結論が出ていなかった。
聖女の意向をなるべく尊重するという国の規則があるため、無視する訳にもいかない。
そんな中、聖女の身柄は国で一番安全な王城にて据え置かれていた。
今回アルシウスの働き掛けもあり、特別にルクレツィアが聖女に拝謁する許可を得た。
長らく外界から遮断されてしまった聖女への話し相手としての配慮もあったのだろうとルクレツィアは推測した。
ルクレツィアは聖女に同情していた。
聖女の様子は目に見えて衰弱しているという。
食事も喉を通らず、体は痩せ細り顔も青白く、今にも倒れてしまいそうだと。
だって、ずっと王城に閉じ込められるなんて嫌に決まってる。
聖女の意向を尊重するという規則を設けられたのも、監禁状態にしないためじゃないの?
監禁なんて生きているのに死んでる様なもの……。
ゲームでは学園にすぐに復帰してる感じだったけれど、もしかしたら聖女が倒れて死にそうになるのかもしれない。
だからその結果、反対していた人達は死なれるよりはという事で渋々学園に通う事を許可するのかも。
このままヒロインが学園に復帰しないのは、私にとっては喜ぶべき事なのかもしれないけれど……。
ゲームでは学園に通い続けていたのだから、このまま監禁され続けるとは思えない。
けど……。
そんな事はどうでもいい。
それよりも、ただ許せないっ。
彼女を閉じ込めるなんて間違ってる。
彼女の人権を無視するのは、とんでもない横暴な行為で断じて許されるべき事ではない。
彼女を守るためだと、反対する人達は言うのだろう。
だが彼女は監禁なんて望んでない。
彼女のためだなんて、思い上がりも甚だしい。
彼女が不幸になるのは私の望んだ願いではないっ。
そんな苛立つ心を抑えながら歩いていると、案内をしていた神官が扉の前で立ち止まった。
そしてノックをする。
すると中から扉が開いた。
ルクレツィアは神官の後に続いてゆっくり中へと足を踏み入れた。
ルクレツィアが部屋を見回すと、そこには学園の時の制服とは違い、聖女の衣装を身に纏ったメルファ・フランツェルがいた。
ルクレツィアは学園にいた頃の印象とは全く違う彼女に目を見開いた。
体の線は細く今にも倒れそうで、顔も痩けていて生気がない。
短期間でこんなにも変わってしまうのかと、ルクレツィアは心を痛めた。
メルファ・フランツェルは今にも消えそうな儚い笑顔でルクレツィアを出迎えた。
ルクレツィアは痛む心を抑え込み気を取り直すと、淑女の礼をして挨拶をした。
「聖女様。この度は拝謁する機会を与えていただきまして有難うございます。」
するとメルファが慌てて言った。
「や、やめてください。モンタール様っ。私は男爵令嬢ですからそんな畏まらないでください!」
「いいえ。聖女となられましたので、国王と同等の高位な御方としての礼儀を尽くさなくては。」
「そんな、やめてください。私は私ですっ。私は何も変わってませんから。それよりもっと親しく接してくれた方が嬉しいです。」
メルファが懇願する様にルクレツィアに言った。
うっ……。
か、かわいい。
でも今にも倒れてしまいそうで、弱々しい様子に痛たまれない気持ちになる。
だが憐れんでいる場合ではないと、ルクレツィアは気を取り直して口を開いた。
「かしこまりました。それでは、とりあえず人払いをさせていただきますね。」
そう言いルクレツィアが部屋にいる侍女達に振り返ると、侍女達はその視線を察し一礼をして部屋から素早く退出して行った。
ルクレツィアはメルファに向き直ると満面の笑みで言った。
「今回は特別に2人っきりでお話できる様に取り計らってもらいましたの。ですから、ここにいるのはあなたと私だけ。どんな話をしても誰も耳に出来ませんから、どうぞご安心を。」
そう言って片目を瞑って見せた。
するとメルファが嬉しそうに言った。
「なら私の事はどうかメルファと呼び捨てて呼んでいただけますか?」
「ええ。喜んで。メルファ。私の事もルクレツィアと呼び捨てで呼んでください。」
「えっ!それは……」
メルファが躊躇いを見せる。
「メルファ。お願い。」
ルクレツィアが甘える様な瞳でメルファを見詰めた。
心なしかメルファの頬が赤くなった気がする。
そしてメルファは何かを決意した様に頷くと、恥じらいながらもそっと名前を呼んだ。
「ル、ルクレツィア……さま。」
か、かわいい……。
何これ……家に持って帰っていいかな?
この子を毎朝愛でれば、一日頑張れるっ。
も、もっと聞きたい……。
ルクレツィアの新しい扉が開いた様で、ドキドキしながらメルファに言った。
「様もいらないわ。ルクレツィアって呼んで?ね?」
ルクレツィアはメルファの瞳を覗き込む様に顔を近づけた。
メルファは顔を真っ赤にさせて動揺しながら言った。
「ル、ル、ルクレツィア……」
するとルクレツィアは嬉しそうに微笑んだ。
「フフッ。ありがとう。メルファ。」
「い、いえ。こちらこそ……嬉しいです。ル、ルクレツィア。」
まだメルファは呼び捨てに落ち着かない様だったが、笑顔を見せてくれた。
そして躊躇いがちに再び口を開いた。
「実は、ルクレツィアと……以前からお話をしてみたいと思っておりました。」
その意外な言葉にルクレツィアは片眉を上げた。
「そうなの?」
「はい。実は聖なる乙女として何度も神殿に通っていたんです。それである時、機会があって私が孤児院に伺おうとした時に子供達と一緒に遊んでいる女性を見つけました。」
ルクレツィアはその言葉に驚いてメルファを見詰めた。
「髪色は違っておりましたが、確かにルク……レツィアだと気が付きました。お声をお掛けしようかと思いましたが、髪色を変えていたという事は秘密にしたいのではないかと思い、その時はそのまま孤児院には行かないで立ち去りました。なので、今、こうしてお話する機会が出来てとても嬉しいです。」
瞳をキラキラと輝かせてルクレツィアを見詰めている。
「見られていたなんて恥ずかしいわ。確かに誰にも知られたくなかった時もあったのだけれど、話し掛けられるのは全然大丈夫よ。まぁ、孤児院の安全を配慮して公爵令嬢なのを知っているのは孤児院では園長先生だけだけど。でもそんな風に思ってくれていたなんて……本当に嬉しい。」
そうして2人はお互いに笑い合った。
それから2人は既にお茶が用意されている窓辺のテーブルに腰掛けると、みるみる内に打ち解けていった。
時が経つのも忘れてお互いに他愛もない会話を気兼ねなく話せる様になると、メルファの敬語も無くなり、2人は以前から仲が良かったと思わせる程、心がとても近くなっていた。
ルクレツィアは一息つくように紅茶を口に含むと、真剣な表情でメルファに言った。
「……そういえば、学園にはまだ戻って来れないの?」
その言葉にメルファは気落ちして言った。
「そうなの。私は明日にでも通いたいくらい何だけど……」
「そうなのね。」
ルクレツィアは同調した。そして予め用意していた疑問をすぐに尋ねる。
「でも学園にどうしてそんなに戻りたいの?」
実は今回の訪問の一つの理由がこの質問だった。
神殿も国王達もなぜそんなに学園に戻りたいのかを聞き出して欲しいと頼んできたのだ。
それはそうだろう。
国のトップに君臨する偉いおじさん達に自分の気持ちを気軽に話せる訳がない。
ルクレツィアは頼まれはしたが、メルファが話して欲しくないなら言うつもりはなかった。
自分の命にも関わる問題でもあるけれど、純粋に彼女の気持ちが知りたかった。だからその質問をした。
結局はゲームの時の気持ちしかルクレツィアは知らないのだから。
ちゃんと彼女からどう思っているのかを聞きたいと思っていた。
メルファは持っていたカップをソーサーに置くと、おもむろに話し始めた。
「私は……今でこそ男爵令嬢という貴族の身分ではあるけれど、本当は平民だったの。」
ルクレツィアはゲームでその事実を知ってはいたが、黙って頷いた。
確か、平民の母と2人で暮らしていたが、お店で働いていた母親にフランツェル男爵が見初めて結婚し、メルファは養女となったはずだ。
そしてメルファは自嘲気味に更に言った。
「マナーなんて付け焼き刃で優雅でもないし、貴族と平民の勉学もレベルが全然違う。それに今回……私は聖女なんて呼ばれる様になってしまった。私はその環境変化にすごく戸惑ってるの。」
メルファは苦しそうな顔をしてカップを見詰めている。
ルクレツィアがなんと言って声を掛けていいか分からないでいると、メルファは気にせず話を続けた。
「私……自信なんてない。私自身は何も変わってない。でも環境だけは私の気持ちを無視してどんどん変わっていく……。普通に生活したい。普通にしたいだけなの。」
「メルファ……」
切ない声を聞いたルクレツィアもメルファの気持ちが痛いほどよく分かった。
メルファが少し声を荒げて言った。
「分かってる。聖女がどれほどのものか。私でもそんな事分かってるっ。だけど、まだ私にはその準備が……、まだ心の整理が付いてないの。そんな状態で流されるままに自分がそれを受け入れる事は出来ない。いや、したくない。するなら自分からその運命に向き合いたいって、自分の足で納得して進みたいって、ただそう思っているだけなの。……でもそんな事みんなが心配してくれているのに、ただの我儘だなって思って……」
そこでメルファが大粒の涙を流して顔を俯けた。
そして苦しい思いを吐き出す様にそっと言った。
「誰にも言えなかった……」
ルクレツィアは思わず立ち上がるとメルファの側に行き、労るように抱き締めた。
そして優しく囁いた。
「言ってくれてありがとう。メルファ……」
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