第18話 交錯する2人の想い
――――少し時は遡り、星夜祭の式典の時の事。
クレイは久しぶりにルクレツィアに会った。
それは星夜祭の式典の時だ。
今はホールにて貴族達が談笑しながら、聖なる乙女が王城に到着するのを待っていた。
そんな中、ルクレツィアが彼女の瞳よりも淡い色のドレスを身に纏い、柔和な笑みを浮かべる姿を見れば、もう昔のルクレツィアではないのだと落胆する自分がいた。
あんなに憎んでいたはずなのに……。
消えてしまえばいいと何度も思った。
自分の視界から永遠に消えてしまえばいいと……。
だが現実はどうだ。
ルクレツィアの秘密を聞いた時、胸にストンと落ちる感覚を味わった。
だから違うのかと……。
しかしその直後、どうしようもない苛立ちと焦燥感が襲ってきた。
俺は必死でそれを暴走しないように、ただ黙っている事しか出来なかった。
最初は俺を遠ざけたいがために、そんな話をしているのかと思った。
そんな馬鹿げた話をしてまで俺を遠ざけたいのかと……。
だが彼女の目は少しの曇りもなく、真剣な眼差しだった。
だから少なくともこの話をしている彼女は本気なのだと悟った。
けど、この話の真偽よりも俺は彼女の心の方が気に掛かった。
だから俺をもう必要としていないと言っている様に感じた。
自分自身でもう以前のルクレツィアはいないのだと、今の自分は虐めが大嫌いだと。
勝手だっ!
俺はこんなにも苦しい想いをしているのに、それを彼女はいとも簡単に捨て去っていった。
残された俺はどうすればいい?
あの激情に溺れた瞳でもう俺を見詰めてくれないのか。
彼女の俺を見る目が以前と全く違う事を、クレイは嫌というほど感じていた。
でもそんな気持ちになる自分に狼狽えてもいた。
もう彼女は俺を必要としない……。
なぜなら、俺への依存が完全に消えてしまったから。
あの異常な繋がりはもう消えてしまったんだ。
それをひどく悲しいと思う自分も、また異常だったのは間違いない。
あの特別な繋がりはもう永遠に失われてしまった……。
だって既にもう彼女は消えてしまったのだから。
そう思った時、クレイの胸に刺すような痛みを覚えた。
そしてクレイは気が付いた。
そうか、俺は……彼女が好きだったんだ。
いや、前から既に気付いていたが認めたくなかっただけだ。
どんな仕打ちを受けていても、俺は彼女が欲しかった。
こちらを見ていて欲しかったんだ。
だから彼女が消えて、こんなにも悲しいのかと……。
クレイは再び視線をルクレツィアへと向けた。
以前とは違い取り巻き達も居らず、彼女を囲むのは貴族の男達ばかりだった。
クレイはその光景に苛立ちを覚える。
だがすぐに我に返るとその感情に困惑した。
何故ならその感情は間違っていたから。
クレイは手にしていたグラスに口を付けると、思いを振り切る様にクイッと持ち上げて液体を流し込んだ。
俺が好きなのは以前のルクレツィアだ。
今のルクレツィアじゃない。
これはそう……、ただの勘違いだ。
するとクレイの元へアルシウスがやって来た。
アルシウスは群がる女性達から逃れ、クレイの元へと避難してきたようだ。
クレイの元へは余程メンタルが強い者でないと近づいて来ない。
アルシウスは持っていたグラスから飲み物を一口含むと言った。
「ルクレツィアは本当に別人の様だな。」
「ああ……」
クレイが素っ気なく返事を返す。
「お前いいのか?」
「なにが?」
クレイは質問の意図が読めず、アルシウスを見遣った。
「いや……」
その言葉にアルシウスは苦笑した。
そして再びルクレツィアを見詰めると言った。
「なんだか彼女……昔のルクレツィアに戻ったみたいじゃないか?」
クレイはそれには答えず、ただ黙ってルクレツィアを見詰めた。
アルシウスが懐かしそうに目を細めて言った。
「母親が亡くなる前までは、彼女はたくさんの人々に囲まれていた。あいつは母親が亡くなってから……お前に異常なまでの執着を見せる様になった。」
「何が言いたい……」
クレイが低い声を出して言った。
アルシウスはクレイに向き直ると真剣な眼差しで見詰めた。
「俺はそんな異常なまでの深い関係が羨ましかった……」
その言葉にクレイが驚いた顔を見せる。
アルシウスは更に続けた。
「俺は将来この国に立つ人間だ。常に冷静に有り続けないといけない。自分を律して常に公平であれ。それが俺の教訓であり……重い足枷だった。だから……」
アルシウスは悲しみの色を滲ませて言った。
「お前達が羨ましかった。俺には出来ない事だったから。特にクレイ……お前が羨ましかった。」
そう言われ、クレイは何かを探る様にしばらく黙ってアルシウスを見詰めていたが、やがて言った。
「そうか……」
「それだけか?」
アルシウスが不満げに問い掛ける。
だがクレイの答えは素っ気ないものだった。
「別に……」
するとアルシウスは少し苛立ちを含んだ声で言った。
「お前はルクレツィアをどう思っているんだ?」
それに対しクレイは冷たく言い放った。
「あいつは……もう俺の知ってるルクレツィアじゃない。どうでもいい。」
その言葉にアルシウスは大きく目を見開いた。
「なんだと?それ……本気で言ってるのか。」
アルシウスは驚きの声で問い掛ける。
「ああ。本気だ。」
クレイはアルシウスに淡々と答える。
するとアルシウスはしばらく呆然としていたが、やがてクレイの瞳を真っ直ぐに見詰めて言った。
「確かにクレイに今までしてきた事は許される事じゃない……。お前は彼女の言葉によって傷ついていたし、つらさも少しは分かっているつもりだ。けど、今まで見てきたからこそ敢えて言わせて貰う。」
アルシウスの強い瞳がクレイを見据えた。
「以前のルクレツィアを敢えてお前は甘んじて受け入れ続けていたんじゃないのか?お前ならあんな関係どうにでも変えられたはずだ。」
「なんだと?」
クレイに怒りの声が滲む。
だがアルシウスはやめなかった。
「なぜなら、お前は他の上位貴族の虐めに対しては直ぐやり返して解決していたよな。それにこの国の聖騎士になるために相当過酷な訓練をしているはずだ。だから決してお前は弱くない。いや、むしろそこら辺のやつらよりかなり強い。けど何故か彼女には決して必要以上の抵抗をしなかった。」
そこでアルシウスが溜め息を吐いた。
「クレイ……お前は結局子供の頃のままで、本気で彼女との関係を変えたいと思っていなかったんだ。あの関係を続ける事で彼女の心を自分に縛り付けておきたいと、本当は心の底で望んでいたんじゃないのか?」
「黙れ……」
クレイの手に力が入る。
「……2人をこんな風にしてしまった責任も俺は感じてる。こんなにも歪んだ執着心を生んでしまったんだから。だがな……」
アルシウスはそう言うと、クレイの胸ぐらを掴んだ。
「彼女をよく見ろ。異常な執着が消えて元に戻っただけだ。お前は1人取り残されて、いじけてるだけの様に俺は見える。お前もいい加減、目を覚ませっ」
アルシウスはクレイの襟元を押し退ける様に乱暴に手放した。
そして睨む様にクレイを見ると、静かに言った。
「……本当はお前も、自分が彼女に何をしたのかよく分かっているな?」
その刺す様な視線にクレイは息を飲んだ。
だが次にはアルシウスの瞳に悲しみの色が宿り、労わる様な優しい声で言った。
「俺は彼女にした事を責めてる訳じゃないんだ。互いにそうしなければならない程、心が弱っていたんだと今は思ってる。それを救ってやれなかった俺にこんな事を言う資格はないのも分かってる。ただ……お前に後悔して欲しくないんだ。今のままでいたら、絶対に後悔する事になるぞ。いいのか?」
だがクレイは目を逸らすと言った。
「……うるさい。放っといてくれっ」
アルシウスは何かを推し量る様に、しばらく黙ってクレイを見詰めていたが、やがて言った。
「いいだろう。お前がそのつもりなら、もう俺は遠慮しないからな。」
そう言い捨てると、アルシウスはクレイに背を向けて立ち去っていった。
クレイは持っていたグラスを打ち付けてやりたい衝動に駆られた。
うるさいっ!うるさいっ!うるさいっ!
苛立ちがどんどん高ぶっていく。
俺の気も知らないくせにっ!
すると持っていたグラスがパリンッと割れて粉々に砕けた。
手にはドロドロと赤い液体が流れて滴り落ちていく。
それに気付いた給仕の者が慌てて駆け寄ってくる。
何かを言われたが、耳に入ってこない。
なんて、もろい……。
地面に滴る血のようなシミを見詰めた。
もうどうでもいい……。
クレイはゆっくりと歩みを進めると、その場から退場していった。
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