第42話 アルシウスへの答え
ルクレツィアは学園の休日に、王城の回廊を侍女の後に付いて歩いていた。
案内された場所は色とりどりの綺麗な花々が咲き乱れる温室だった。
子供の頃に何度も足を運んでいた場所で、ルクレツィアは久しぶりに訪れて懐かしさが込み上げてきた。
温室の中央にはテーブルと椅子が置かれていてテーブルの上には既にお茶の用意がされていた。
侍女に促されルクレツィアは一つの椅子に腰掛けると、辺りを見渡した。
きれい……。
昔と何も変わっていない様に見える。
よくここで隠れんぼをしたり、鬼ごっこをしたりと色々な遊びをしていたな……。
昔を思い出しながら、ルクレツィアは侍女が入れてくれた紅茶に口を付けて美しい庭園をしばらくの間堪能した。
どれくらい経っただろう。
ようやく一息ついた後、これから行う事を思い出し、ルクレツィアは憂鬱な気分になった。
そう、今日はいよいよアルシウスに告白の返事をする。
ルクレツィアはそのために王城を訪れていた。
クレイの想いにちゃんと応えてはいないが、アルシウスには返事を早くしないといけないと思った。
だって、分かったから……。
私が無事に生き抜ける事ができたとしても、彼の想いに応える事はない。
そう……ハッキリと分かったから。
だから彼のためにも早く返事をしなければと思い、ルクレツィアは今日この場所へ訪れたのだった。
だがアルシウスは執務で少し遅れると連絡があったため、ルクレツィアは温室に通され彼の訪れを待つ事にした。
ルクレツィアは緊張していたが、この庭園が心を穏やかに落ち着かせてくれた。
今日はちゃんとアルシウスに返事をしないと。
このままだとクレイにもアルシウスにも失礼だもの。
ルクレツィアは改めて決意を固めると、不意に扉の方へと目を向けた。
すると、いつからそこにいたのかアルシウスが扉に凭れ掛かりながらこちらを見ていた。
ルクレツィアの心臓がドキリッと高鳴る。
アルシウスは苦笑すると、ゆっくりルクレツィアの元へと歩いて来た。
「待たせてすまなかった。……本当は来るのをやめようか迷ったけどな。」
ルクレツィアは慌てて立ち上がると言った。
「こちらこそ忙しいのにごめんなさい。今日は時間を作ってくれてありがとう。」
アルシウスは首を振りながら言った。
「ルクレツィアに会えるためなら時間は惜しまないから。さぁ、座ってくれ。」
その言葉にルクレツィアは心を痛めつつも、促されて再び席に着いた。
アルシウスも向かい側の席に座ると、紅茶を口に含んだ。
ルクレツィアも同じ様に紅茶を口に含む。
そしてルクレツィアは、先ほどまで側で控えていた侍女がいなくなっているのに気が付いた。
きっとアルシウスが人払いをしてくれたのだろう。
ルクレツィアはこれから告白の返事をするつもりなので、気を利かせてくれたアルシウスに心の中で感謝した。
アルシウスはカップを戻すと庭園を見渡した。
「覚えてるか?ここは俺とルクレツィアが初めて会った場所だ。」
それにルクレツィアも頷いて答えた。
「ええ。覚えているわ。懐かしいわね……」
「ルクレツィアは叔父上に連れられて初めてここを訪れた。」
それに続けてルクレツィアも口を開く。
「それであなたを紹介されたのよね。初めてあなたを見た時、なんて綺麗なんだろうと思ったわ。私の思い描いていた王子様そのものだった。」
その言葉にアルシウスは苦笑いをした。
「あの時はそう見える様に無理をしていたからな。」
「え?」
ルクレツィアはその言葉の意味が分からず聞き返した。
するとアルシウスは少し照れた様にしながらルクレツィアを見詰めた。
「初恋だった……。あの時、俺は妖精の様に可愛いルクレツィアを一目見て好きになったんだ。」
それを聞いてルクレツィアは驚きを隠せなかった。
まさかあの時そんな風に思われていたなんて、ルクレツィアは思いもしなかった。
アルシウスは瞳を細めながら更に言った。
「さっきもそうだ。大人になってもルクレツィアは美しい妖精だと魅入っていた。」
眩しそうに熱を帯びた瞳でルクレツィアを見詰めてくるので、ルクレツィアは顔が赤くなっていくのを止められなかった。
「だから俺はすぐに婚約をしたいと父上に申し出た。ちょうど婚約者候補の話を聞かせられてた時期だったかな。とにかく早くしないと誰かに奪われてしまうと思った……」
そう言ってアルシウスは悲しみの色を滲ませた。
「だけど、それは叔父上によって阻まれた。叔父上はルクレツィアに婚約という契約で縛りたくないと言っていたよ。君には恋愛をして愛する人と結ばれて欲しいと、そう言っていた。」
そんな事があったなんてルクレツィアは全然知らなかった。
父親がそんな風に想ってくれていたなんて、アルシウスがそんな前から自分を慕ってくれていたなんて……。
ルクレツィアはたくさんの想いに包まれていた事を改めて感じた。
そしてアルシウスは真っ直ぐな瞳でルクレツィアを見据えると言った。
「けれど……。やっぱりあの時無理にでも婚約していれば良かった。そうしたらルクレツィアは俺のものになっていた。」
「アルシウス……」
ルクレツィアは真っ直ぐに向けられた想いから目を逸らす事が出来なかった。
申し訳ないと思う気持ちや罪悪感が、ルクレツィアの心を強く締め付けた。
だけど……。
私はちゃんとアルシウスに言わなければならない。
彼は真っ直ぐな気持ちを、傷付く事も恐れずに私に向けてくれているんだから。
その想いにちゃんと答えを伝えなければならない。
ルクレツィアは手を強く握りしめるとアルシウスの想いに向き合った。
「私は、あなたの気持ちには応えられない。本当にごめんなさい。」
目を逸らすことなく、ルクレツィアはアルシウスを強い瞳で見詰めた。
アルシウスは瞬きもせず、ただ黙ってルクレツィアの強い想いを受け止めていた。
だがしばらくして、アルシウスの瞳に妖しい光が宿るとゆっくりと口を開いた。
「……返事は、ルクレツィアが無事に生き延びた後にしてくれると言っていなかったか?」
「そ、そうなんだけど……」
その咎める様な声にルクレツィアが狼狽える。
「クレイと付き合うのか?」
「それは……」
ルクレツィアのその答えを濁らせると、言葉に詰まった。
ハッキリ付き合うという言葉はなかった。
でも、私は彼のキスを拒まなかった。
きっとそれが答えなんだと思う。
彼が誰よりも大切だと感じているのは事実だ。
ただ、その気持ちに罪悪感が全く含まれていないかと言われれば、それは嘘だ。
でも、その感情は死ぬまで切り離される事はないだろう。
だからその罪悪感を抜きにしてクレイの事が好きかどうかを考えるのは、愚問だった。
だってどうしたって私の心の奥深くにもう根付いてしまっている。
もう、どうしたって消せない……。
彼が私を望む限り、私が彼を拒否する事はない。
だがその煮え切らない返事に、アルシウスの苛立ちが募っていく。
そして仄暗い影を落とすと、重い口を開いた。
「そんなに……」
席を立ち上がったアルシウスは、ルクレツィアへ近づいていく。
その凄む様な威圧感に、ルクレツィアは不安になった。
そしてルクレツィアは気圧される様に椅子から立ち上がると、ゆっくりと後退っていく。
「そんなにあいつが好きか。……なんでクレイなんだ?なんで俺ではだめなんだ?」
アルシウスはルクレツィアへと詰め寄って距離を縮めてくる。
そのただならぬ雰囲気にルクレツィアは少し恐怖を覚えた。
アルシウスはルクレツィアの側までくると、手を引いて自分の元に引き寄せた。
いきなり引っ張られてルクレツィアは体勢を崩してしまう。
「きゃっ」
ルクレツィアはその場に倒れ込んだ。
アルシウスは倒れたルクレツィアの上に覆い被さり、両手を拘束した。
そして熱を帯びた瞳でルクレツィアを見詰め、乞うように訴えた。
「俺もルクレツィアじゃないとだめだ。好きだルクレツィア。俺を選んでくれっ」
今にも泣き出しそうな……想いを必死で堪えている顔が、ルクレツィアの胸を強く突き刺す。
アルシウスは絞り出す様な声で想いを口にした。
「ルクレツィア……好きだっ」
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