第43話 アルシウスの苦悩

「ルクレツィア……好きだっ」


そしてアルシウスが射貫く様な瞳で訴える。


「欲しいっ。……どうしてもお前がっ」


その獲物を捕らえるかの様な獰猛どうもうな瞳に、ルクレツィアはゾクリッと背筋が凍った。

そのままアルシウスが自分の唇を重ねようと、ルクレツィアに顔を近付けてきた。

ルクレツィアは逃れようと顔を背けてもがく。

「やめてっ。アルシウス!」

だが、力強い腕に押さえつけられビクともしなかった。

「アルシウスッ!」

悲痛な声と共にルクレツィアの瞳から涙が溢れてきた。

その涙がいくつも流れて、ルクレツィアの頬を伝っていく。

そして嗚咽を漏らしながら、遂にルクレツィアは泣き出してしまった。


アルシウスがハッと我に返る。

そして大きく目を見開かせ、ルクレツィアを見詰めた。


「ルクレツィア……」


思わず愛しい名前を呟いた。

ルクレツィアは苦痛の表情を浮かべて泣いていた。


その様子を見て、アルシウスから次第に力が抜けていった。

そしてルクレツィアの手を放すと、呆然とその手を見詰めた。

しばらくの間、自分のした事が信じられなくて何も考えられなかった。



どうして……。



アルシウスは手を強く握りしめると、苦痛で顔を歪ませた。


苦しい……。

どうしてこんなにも苦しいんだろう。

なんで、彼女じゃないとダメなんだろう。


すると……彼女の幼かった頃が急に思い出された。


……俺の初恋。


彼女は恥ずかしそうに父親の陰に隠れていた。

それがとても可愛くて、自分が側に寄っていくと、恥ずかしそうに照れた笑みを見せてくれた。


妖精みたいに愛らしい女の子。


俺はその瞬間、その可憐な笑顔に釘付けになった。

そしてもっと笑って欲しいと思った。


なのに……。


アルシウスの耳にようやくルクレツィアの泣き声が届いた。

アルシウスは意識が引き戻され、泣いているルクレツィアが目に映る。


彼女をこんなにも悲しませてしまった事に、ひどく胸が痛んだ。

笑っていて欲しいと思っていたはずなのに。

幸せにしたいと思っていたはずなのに。


俺は……本当にどうしようもない。


アルシウスの瞳に悲しみの色が帯びルクレツィアを愛おしそうに見詰めると、宥める様にルクレツィアの涙にそっとキスを落とした。


「ルクレツィア。ごめん。もうしないから……」


アルシウスは壊れ物を扱うかの様にルクレツィアを優しく抱き起こすと、蜂蜜色の艷やかな髪にキスを落とした。



「ルクレツィア。好きになってごめん……」



その言葉にルクレツィアは首を横に振りながら、両手で顔を覆い隠すと泣きながら言った。

「ごめんなさい。ごめっ……なさい。ごめんなさいっ……」

ルクレツィアが声を詰まらせながら何度も謝った。


こんなルクレツィアを見ても、愛しさが止まらない。

手を放したいと思えない。

どんなルクレツィアでもいい。

俺の事が一番じゃなくたっていい。



……ただ、彼女が欲しい。



アルシウスはルクレツィアを優しく抱き締め、彼女の体温を感じながら、そっと囁いた。



「好きで、どうしようもない……」



そう言い、アルシウスは密かにキスを髪へと落とす。


もう……無理やりでも自分のものにしてしまおうか。

嫌われてもいい。

一生掛けて愛すると誓うから。

君に一生恨まれてもいい。


ルクレツィアを抱き締めていると愛しさが溢れて、そんな考えが浮かんできた。

しかし、ふと彼女の笑顔を思い出す。

そんな事をすればあの笑顔は永遠に失われるだろう。

そして胸に強く痛みが突き刺してくる。



それでは……君は永遠に手に入らない。





……どのくらい経っただろう。

しばらくして、ようやくルクレツィアが落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと顔を上げた。

そこにはルクレツィアを優しく見詰めているアルシウスがいた。

だが次にはアルシウスの顔が悲しみに染まり、絞り出す様に声を出した。

「……こんなはずじゃなかった。もっと、もっと綺麗に……ちゃんと終わらせたかったのに……」

その言葉を聞いてルクレツィアの胸が強く痛んだ。

「アルシウス……本当にごめんなさい。」

こんなに弱々しくなったアルシウスを見たのは、これが初めてだった。

彼はいつも完璧で、周りの意見を気にしながらも自分の意見をしっかりと伝え、そして堂々としていて、それでいて清々しくて、人々の心を強く惹きつける。

正しく、次期国王に相応しい完璧な人。



アルシウスは次代の国王として、常に努力をしてきた。 

自分の理想とする国王を目指し、そうあろうと常に意識していた。

国民の期待に応える為、配下の者達に相応しいと思われる為、舐められない為、自分の気持ちを律して常に冷静でいなければいけないと。

……でもそれが重荷でもあった。

時々、それを全て投げ出してしまいたい衝動に駆られた。



自由になりたい。



不意にそんな感情が湧き上がる時がある。

でも王太子である自分がそんな事、許されるはずがない。

だからいつもその感情を胸の奥に押し込める。


自分の気持ちを何も考えずに曝け出すのは、これが初めてだった。

けれど誰かを傷付けたかった訳じゃない。

足枷を外して自分を曝け出してみても、後悔しかなかった。

だが、ルクレツィアは思いもしない言葉を発した。


「……それでいいの。自分の気持ちに素直になる時があってもいい。」

ルクレツィアが優しく囁いた。

だがアルシウスは首を横に振った。

「だめだ。こんな情けない自分は嫌だ。」

ルクレツィアはその言葉を否定した。

「情けなくてもいいの。あなたは一人の人間だから。完璧な人間なんていない。時には弱いところも誰かに見せないと、自分自身に押し潰されてしまうわ。だから、それでいいの。」

その言葉に対して、アルシウスは目を伏せて何も答えなかった。


更にルクレツィアは言った。

「あなたはとても素敵な人よ。私に伝えてくれた想い、とても嬉しかった。心が何度も動かされたわ。クレイがいなかったら私はアルシウスを選んでいたかもしれない。こんなにも好きになってくれて本当に嬉しかった。とても誠実な想いを、こんな私に……ありがとう。」


アルシウスはしばらく黙っていたが、やがて自嘲した笑みを零すと言った。

「こんな格好悪いやつ。振られて当然だな……」

ルクレツィアはそれをすぐに否定した。

「そんな事ない。アルシウスは常に周りの事を考えていて、強くて、優しくて、真面目で、努力家で、威厳があって、そして何より誠実な人。……私には勿体ないくらいに素晴らしい人よ。」

アルシウスは苦笑した。

「そんな素晴らしい人を振るのか。」

ルクレツィアもフフッと笑みを漏らすと言った。

「私、男を見る目ないから。」

その思いもよらない返事に、アルシウスが声を出して笑った。

「ハハッ。それクレイが聞いたらショックだろうな。」

ルクレツィアは笑顔で言った。

「ええ。だから秘密にしてね。」


そこでようやくアルシウスは顔を上げてルクレツィアを見詰めた。

その顔には薄っすらと涙が滲んでいるのが分かる。


アルシウスはゆっくりと立ち上がった。

そして何かが吹っ切れた様に天を仰ぎ見ると、大きく深呼吸をした。


「何だかスッキリしたな……」


それから独り言の様に呟いた。


「たまにはこういうのも悪くないか……」


その表情には、先ほど感じていた後悔の色は微塵も見えなかった。


そしてルクレツィアに向き直ると、手を差し伸べた。

その差し出された手にルクレツィアは手を重ねると、アルシウスが起き上がらせてくれた。

「すまなかった。」

アルシウスが謝罪を述べると、ルクレツィアは首を横に振って言った。

「全然、大丈夫よ。」

2人は手を繋いだまましばらく見詰め合った。


だが、アルシウスが不意にその沈黙を破った。

「一つだけ聞かせて欲しい。」

「……?」

ルクレツィアが不思議そうな顔をする。

「なぜクレイを選んだのか知りたいんだ。」

「そうね……」

その問いにルクレツィアは少し考えていたが、やがて口を開いた。

「彼は私がいないと生きていけないから……かな。何をするか不安で、放っておけないの。もし私がいなくなったら、全てを投げ出してしまいそうだし……。だってあの人、信じられないくらい私の事大好きよね?」

ルクレツィアは呆れた顔をして見せた。

アルシウスが思わず笑みを零す。


それを見たルクレツィアは、優しい顔付きになり言った。

「でもアルシウスは私が死んでも、きっと大丈夫。私がいなくなったとしても、絶対に王太子を投げ出したりしない。あなたは周りの人をとても大切に想っている誠実な人だから……」

その答えを聞いたアルシウスは、溜め息を漏らす様に口を開いた。

「なるほどな……。それを聞いて納得だ。完敗だな……」

そう言ったアルシウスの顔には、どこか清々しさが感じられた。

そしてルクレツィアを眩しそうに見詰めた。



俺の初恋……。


そろそろ解放させなければ。

もう十分だ。

いい加減、目を覚まそう。



……けれど。



それでもきっと、変わらない。


この想いは……ずっと変わらない。


大人になっても、いずれ別の人を好きになったとしても。



永遠に変わらない。



俺の初恋は君のもの。



絶対に忘れない。

今、この時、この瞬間を。


この想いは……永遠に君のものだから。



ルクレツィア……俺の初恋。





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